6/18 直近の3日間、あまり寝ていない。そんなのに年の割には無理をしているようである。お酒も飲むし。「何故、そんなにしてまで山に行くの?」 などと、時々聞かれる。「トレーニングジムに行っているようなもの。」 などと、答えるようにしているが、実際には何故かわからない。自慢出来るような山歩きではないからかもしれない。

 でも、「何故生きているの?」 と、そんなに変わらない事なのかもしれない。そのような点からも、目標は大事なような気がする。平均寿命とか平均余命、もっと身近なものとして、健康年齢などという文言を気にすると、後何年という事で、ちょっと寂しい。

 ましてや、”終活” なる文言が大流行で、これからの人生を否定しているような気がしてならない。老人ばかりの世の中になっても困るが、他人様のために何かをする気構えで臨みたい。フルタイムでなくとも仕事をするも一つ。生産性がないかもしれないが、聞き上手になるのも良いかもしれない。でも、差し当たって、健康でいて、消費する人となれば、かなりの貢献かもしれないぞ!



6/17 好山病の仲間がススダケ採りに行くというのに、それを蹴って雨飾山に行く事にした。(申し訳ない。) 「雨が残るかもしれないが、そんなに降らないだろう。」 という私の予想であったが、小谷側の登山口に着いた頃に強く降り出した。

 午後5時に高岡に戻らなくてはいけないのであるが、午前5時とか5時半にスタートすれば、何ぼ「山ノ神」であっても、行って戻れる算段であった。「ちょっと待機しようか?」 という私であったが、「行くしかないでしょう」 という「山ノ神」の言葉と共に小降りになった。

 雨具を纏ったものの低温の影響からか、汗ばむ事もなかった。ブナ平までは、標準コースタイムを上回るペースに、これはこれはと思ってしまった。そして、「あれあれ、いつもより残雪が多いような・・」 と思っていたら、荒菅沢へ下る斜面が一面残雪に覆われいるではないか? しかも、朝方の低温であり、キックステップが効かない。その上、視界があまりないのであるから・・・

 「山ノ神」は、当然の如くビビるし、時間を食ってしまった。「ここで止めてもいい。」 とまで言い出した。かなり上に人がいた。先程私達を追い抜いて行った人のように思え、山菜でも採るつもりなのだろうか? などと思っていたら、後から追い付いて来て、迷ってしまったとか・・・

 荒菅沢を越えての取り付きが分からない程の視界の悪さ、そして、残雪がカチカチなのだから、些か参った。でも、それから、登山道には雪がない。 (周囲にあっても、登山道にはない。荒菅沢の源頭にはあり、視界の悪さから、その雪壁で遮られ戻った事はあったが・・・)

”肝心のシラネアオイは?” ”お目当てのシラネアオイは?” であったが、咲くには咲いていたが、雨のためか、それとも低温のためか、”鮮やかに咲いている?” 状態ではなかった。ちょっと、がっかり、そして、私の知っている群生地? はまだ残雪に覆われている? のもあったが・・・

 ペースが落ちると共に時間が怪しくなって来た。いつものパターンより悪くなって来た。まだ金山との分岐手前で、「あんただけ行って来られ!」 が始まった。「炊事用具が入った私のザックを笹平に置いて行け」 とまで言う。帰りの事を思うと、「そんなのなら、ここでいいのでは?」 と言うと、笹平まで行きたいからであった。

 かと言って、昨夜は2時間ほどしか寝ていないし、そんなにペースが上がらない。笹平から荒菅沢側に巻くようにして、山頂への岩場に取り付くのであるが、今まで見たことのないような雪壁があり、荒菅沢側に大きなクレパス状になっている。視界が悪く写真にも撮れなかったが、戻って壁上を歩かなければならなかった。 (晴れておれば問題ないし、危険もない。)

 山頂は真っ白。何も見えない。もちろん笹平も見えない。気温が低いからか、今の時期特有のブヨもいない。いつもなら食事も出来ないほどブヨがいる。山頂滞在は5分ほどであった。笹平に待っている「山ノ神」の約束時間に間に合ったが、今度は私の食事時間がなくなってしまったが仕方がない。  車に午後1時半まで戻ろうという計画であったからなのであるが、「山ノ神」も大変であったろう。でも、何とか午後2時まで登山口まで戻れたのである。

 雨・霧雨、そして、視界を妨げるガスであったが、荒菅沢に戻った正午過ぎ頃から、日が差し出し、一部に青空が覗いて来た。いつものパターンである。車に乗ったら晴れてきたのだから、これもまた仕方がない。小谷側登山口から糸魚川ICまでは、1時間は掛かるので朝日ICまで高速に乗った。  24回目となった雨飾山。車中「山ノ神」がポツリ。「今度の雨飾山行きは、正解であったの?」  正解も不正解もない。帰りの時間を考慮して、早く高岡を出れば何とかなると思っていたが、それに身体が伴わなかっただけ。行きたければ、もっと良い方法を考えるだけ。行きたいか行きたくないかである。



6/16 結局、八乙女山から大寺山まで足を伸ばしました。もちろん雨に見舞われましたが、強くなったり弱くなったりでした。想定していたよりは酷くなく、今少し歩きたくて、林道・道宗道と歩く事になりました。行きは、ササユリと対話し? 帰りは、フキを採ったりしました。

 雨中でありますが、3回のコーヒータイムを取り、雨を楽しむではなく、雨と戯れる事になったようです。山中7時間。低山でありますが、充分に山を堪能してきました。



6/15 今日はあまり降らなかった。それどころか、月まで出ていた。しかし、やっぱり雨になった。全国的にみると、あちこちで強く降っている。災害に繋がらなければいいのだが・・・ 明日は、簡単なところを、ちょっとだけ歩く事になるだろう。



6/14 今度の連休(6/16.6/17)は、またまた良くない予報。辛うじて月曜日は曇りの予報。薬師岳か雨飾山に行こうと思っていたがダメなようである。まあ~、無理する事もなかろう。娘夫婦と9月中旬までの休日調整をしたら、ほぼ私達の希望が通った。その中には、8月中の3連休と5連休もOKとなった。

 世の中は、なかなか自分の思う通りにはならないもので、お天気が悪かったり、何か特別な用事が出来たりする事が多い。もちろん、自分も含めた家族が健康という条件が付いて回る。



6/13 斉木氏から写真が送られて来た。どのような写真なのだろうかと思っていたら、今春、同氏が立山(雷鳥沢キャンプ)にやって来ていた頃、LINEの返事として大倉山頂で撮って送ったものだった。その写真の大きさが凄いA1サイズ(おおよそ85✕60cm)である。

 私のスマホだから画質があまり良くない。なのに 「雰囲気がよく思えたから・・」 なのだそうだが、私の姿が真ん中にあり、私としてはそれなりの喜びはある。しかし、大き過ぎで、どう飾ろうかと迷ってしまう。持ち合わせの額には入らないし、新たな加工とか、あるいは大きな額となると、”結構値が張る” と、その事に精通している知人から知らされた。

 剣岳をバックにしながら、大倉山頂で満足気な雰囲気を漂わせている私の写真だけに、我部屋で一人楽しむのも良いのかと思ったりしている。 (無理矢理私の部屋と表現す。) それにしても、近年、これぞと思える写真が撮れていない。記録写真なのだから、それでもいいのかも・・・



6/12 昨年7月、術後2週間ながら雷鳥沢でキャンプをした。その時に知り合った群馬県の斉木氏から、気に入った写真を大伸ばししたから送りたいので住所を知らせて欲しいという連絡が来た。嬉しいけど、そんなにしなくても良いと言いながら、この機会だからと住所と電話番号を知らせた。

 同氏が宅配便を出そうとしたらしいが、今度は、住所が分かっても私の名前が分からなかったらしい。LINEで「元さん」なのだが、本間が出て来なかったらしく、「名前を教えて欲しい。」 と電話が掛かって来た。私は、姓名を知っているから、相手様も知っているハズなのだが、咄嗟に出て来なかったのかもしれない。

 というものの、私も斉木氏のお所は知らない。そんな事は、どうでも良い。雷鳥沢でキャンプをした時のインパクトが強かったのだろうか、それとも、剣岳途中でリタイヤした事に、何かを感じておられたのだろうか私にはわからない。しかし、私のようなロートルの事を、山友として認めて頂ける事は嬉しいという他ない。



6/11 山は条件の良い時に行くのが良い。お天気の良い時が一番に決っている。そして、展望を楽しむ。キレイなお花を楽しむ。また、山菜の収穫もある。私は確かに、雨の時も出掛ける。雪の時もである。それは、ライフスタイルの一環であると共に、トレーニングジムに出掛けるようなものだからである。

 しかし、何処の山にも出掛けるわけでもない。なるべくグチャグチャでない登山道である山や、屋根(小屋)がある山、そして、お花を楽しめる山などと選別も欠かさない。などと、「変更があっても中止はない。」 結構仲間には重宝がられた事もあった。

 持論であるが、自分の最も知っている山(行き慣れた山)で、冒険をしてみる価値はあると思っている。悪条件でいろいろと経験してみるという事である。それが、雪か雨か、或いは、あまり勧められないが警報が出ているような時である。どう対応出来るか、またどう逃げるかである。しかし、経験などは何の役にも立たない時もある。



6/10 バカな私(達)は、やっぱり山へ出掛けた。ちょっぴり出遅れたが、それでも、栃谷の登山口午前7時半スタート。小雨だったが、強く降られたら困るので雨具を纏った。出足は、気温が低かったので、あまり汗を掻かなかった。

 時間の経過と共に、次第に汗が滲み濡れた草木の露と相まって不快感が漂っていた。時期が時期だけに、草木が登山道を覆い掛かっていて、ピシャピシャと顔に当たるのもあまり感じが良くない。だんだんと雨足が強くなっていったが、山頂への執念は強い。

 傘を差さなくてはいけないような雨になるのだが、傘が木々に引っかかって歩きにくい。それでも、ちょっぴり顔を出しているススダケや、ちょっと大きくなりかけているコシアブラに目がいってしまう。もう全身ずぶ濡れなのにである。

 栃谷から4キロ地点付近で、更に雨が強くなって来た。「まだ時間がある。」 と言う私に、「展望もないのに・・」 とでも言いたげな「山ノ神」が、破れかぶれで前に進んで行くように思えた。オーバーに言えば、ヤブの中を歩いているようなものである。

 1週間も経てば、草木が伸びる。雨が降って誰も歩かなければ尚更である。4キロ地点から15~20分ほど歩いた頃、雨が強くなって、雷鳴が轟くようになった。「もう少し・・」 だと言ってみたものの、「山頂に拘る必要があるのだろうか?」 と思った。そのくせに、「キリのいい所で・・」 とか、「11時になったら・・」 と言ってしまった。

 積雪期や残雪期、そして、新緑の頃や紅葉の頃、また初雪の頃など、一年を通じて通っている山。焦ったり、拘ったりして何が良いのだと思うようになったのも、年齢を重ねたからなのだろうか? 今年も、2/25・4/15・5/19と、今回を含めれば4回目である。そして通算57回目となった。

 ハーハーと登ってきた「山ノ神」であったが、撤退と決まれば逃げ足の速い事。私は、ここ2~3日、右股関節と左踵に違和感あり、慎重を重視しての下りとなる。転んでケガをしては何にもならないから・・・。そして、結局何も食べないで車に戻ったようなもの。

 私は、またミスをしてしまった。雨だから、着替を持参しなければと思っていたのに、その着替の入った篭を忘れて来たのである。全身ずぶ濡れである。12年も使い続けている雨具は完全にとおっていて、ズボンはビシャビシャ。パンツも靴下もである。でも、幸いな事にシャツだけはあった。しかし、パンツ一貫。(脱ぐわけにはいかないので・・) パンツの中に、タオルを入れての運転となる。1時間半の間、寒いから暖房を入れなければならなかった。

 話はそれだけで終わらない。家に戻って、鍵を開けなければならない。「山ノ神」が届かないのである。パンツ一貫で降りて行かなくてはならないので、時間が掛かってしまった。最後は、悪い事をしているのではないからなどと思い切って降りた。



6/9 明日の雨の確率はかなり高い。でも、大降りはないだろうと思っている。しかし、店の床張替え工事の追加作業があり、午後4時なで戻らなくてはいけない。そんな事もあり、まだ行き先を決めかねている。起きてお天気を見ながらなどと言っているが、こんな時は、良い結果となった事はない。

 時間的制約があっても、速く歩くか、早く家を出れば大概の所には行ける。そんな事を言うと、また「山ノ神」の機嫌が悪くなる。だから、あまり期待をしないようにする。



6/8 6/2休暇村吾妻山ロッジでお会いした愛媛の森夫妻からメールが届いた。その後の3日間を比婆山御陵・烏帽子山・吾妻山縦走、そして、自然科学館や帝釈峡谷の施設、また帝釈峡の様々な名所を歩かれたようである。私は、この山域の事は全く分からず、只々、元気で歩かれたものと感じている。

 森氏は私より、ちょっぴり年上、一時は体調を崩されたとお聞きしたが、やっぱり山で鍛えられていたからでしょうか、それとも、山への憧れや執念が、そうさせるのでしょうか、お元気そのもののように拝見していた。

 温厚な人柄で誰にでも好かれるような方々であったから、私(達)も、またいつか何処かでお会い出来たらと思ってしまった。歳を重ねる毎に、友人・知人を少なからず失っていくが、こうして、また新たな方々と知り合いになっていくのは実に嬉しく楽しいものである。



6/7 東京のまどかさんから、「薬師岳や雲ノ平の情報を教えて!」 とのお尋ねがあった。2泊3日の予定だそうだ。「黒部五郎岳へも行けるよ!」 「折立~室堂(薬師岳・立山)も大丈夫だよ!」 と伝えた。

 「雪山訓練のためピッケルやアイゼンも買う。」 「GWに蝶ヶ岳に行きたい。」 「6月に涸沢に行こうか?」 などと述べていたが、実際にはどうだったのだろう? 「スノーシューで歩きたかった!」 などと、山への憧れがいっぱいのまどかさん。

 「私(達)の休みに合わせてくれるのなら、どれだけでも付き合うよ!」 とも伝えた。来年からは、全日曜日を休日にする予定だから、その可能性は高まるのであるが、全ては元気である事が条件である事は間違いない。



6/6 定休日を含め3日間仕事を休んだら、町内会の事も重なって結構忙しい。でも、人間忙しい事に尽きる。辛くとも、やっぱり動いていなければダメになる。他人様に何にもしてあげられなくとも、真面目にやっておれば、ちょっとは良い事がある。



6/5 疲れた。昨日は眠たくて仕方がなかった。反面、頭の何処かでHPを更新しなければというところもあってか、時々は目が覚める。でも、起きる気力がなかった。簡単な山とはいえ3座。そして、1,500キロくらい走ったのであるから疲れるハズだ。

 「遠出はイマイチ気乗りがしない。」 「夜間の運転はイヤだ。」 なと言いながら、イザ決行となると欲が出てしまう。まだ行きたいところがいっぱいある。全部は無理にしても、機会を見付けて出掛けたい。”無理せずゆっくり” を希望しているのだが・・・



6/4 綾部(舞鶴若狭道)には午前3時半過ぎに着いた。深夜割引に間に合うよう人気のない山道を、隣でべット状態にして寝ている「山ノ神」を気遣いながらゆっくり走った。9号線では、2頭のシカが車に引かれていた。

 前夜も寝れなかったが、綾部にやって来ても寝られない。仕方がないので、コンロ・ガス・コッフェルを出してコーヒーを沸かした。三方五湖Pにも立ち寄り、北陸道の南条SAで「山ノ神」と運転を変わった。金津ICで8号線に降りたが、金沢東付近のコンビニで、運転の交代をせがまれた。

 このまま帰宅しても、お昼前なので、ちょっと早い昼食を小矢部でした。帰宅後、後片付けをし入浴後ビールを飲んだら、もうダメで明日の朝まで寝入ってしまった。



6/3 宿の朝食を取ると、どうしても出発が遅くなる。でも、今日の三瓶山もそんなに時間が掛からないようだ。それよりも、登山口に行く事の方に神経が向く。無料区間の高速(松江道)を、ちょっぴり利用すると良いとのフロントのアドバイスをもらったので、慣れないスマホナビを始動す。

 初めての山道、登ったり下ったり、、そして、グルグル回る。方向的に全く予想がつかず任せるしかない。三瓶山の登山口は、私の知っている(調べた結果)だけで4箇所もある。分からないながら、当初はキャンプする予定であったから、北の原キャンプ場を目印にしていたからそれに従った。

 しかし、登山口が何処か分からなかった。三瓶自然館は休館日。キャンプ場の管理棟まで行って尋ねた。ここは、姫逃池登山口で男三瓶山(主峰)に一番近い登山口と教えてもらった。標高差は500~600mである。

 三座目の三瓶山も登りやすい山と思っていたが、「山ノ神」の足取りが悪い。すぐに立ち止まってしまう。後は、「観光したかったら、速く歩くしかない!」 とハッパを掛けるしかない。言葉選びを間違えれば、後々ずっと気不味い思いをしなければならないのです。でも、最後は、先に行き、お湯を沸かす事にした。

 山頂は広く、いくつものベンチがあった。周囲の山々は、少々霞んでいた。そして、やはり、わからない山ばかりである。男三瓶山の他に、女三瓶山・子三瓶山・孫三瓶山があり、火口を囲んでいるようである。昨年の地震の影響で男三瓶山から女三瓶山の登山道は通行止になっていた。仕方がないので、往路とは違った自然林の中の道を降りた。

 さて、3つの山を登り終えて、どうするかになった。「もう一座(那岐山)にも登れたね。」 だったが、今更どうしようもない。またの機会という事にしよう。午後2時半である。中国道・三次に出るか、松江・米子方面の日本海に出るかである。とりあえず、松江自動車道で宍道まで行き、宍道湖沿いに走った。それからは、下道である。

 結果的には、観光というものは何もなかった。鳥取に入って、鳥取自動車道の無料区間を利用したわけだが、だんだんと南下(中国自動車道)している事に用瀬で気付く。智頭と用瀬を行ったり来たりしながら、兵庫の養父・朝来に行き先を変更。山道でカモシカが何頭も出て来る。クラクションを鳴らしても動かない。車中泊をしようと道の駅を探すが、なかなか見付からない。せっかくビールを買ったのに飲む気力を失ってしまった。



6/2 高岡スタートが40分くらい遅れた。しかも小矢部ICから高速に入った関係上、いや、舞鶴若狭道の小浜ICで、Pと道の駅を勘違いして、一度降りてしまった (ETCのバージョンが2.0でないとダメなよう・・) 事もあり、予定していた綾部Pに着いたのは午後11時半頃になってしまった。

 午前4時発の予定では、飲む事も出来ず、また車の中で寝るのは苦手。目を瞑っているだけになった。中国道は長い。東条ICで降りて、道後山スキー場に向かった。これで本当に合っているのかと思うほどであったが、カーナビが導いてくれた。

 岩樋山経由で山頂に向かったが、穏やかで風衝地帯なのか1,200mの山であっても草原のような趣があった。山頂に立っても、馴染みの山々を眺めるでもないし、僅かに薄っすらと大山と言ってもらった方面に目をやるだけであった。

 山頂から池のある周遊コースを歩き、その後は、岩樋山を経由せず、近道なるコースを歩いた。山頂での食事時間を入れても、3時間ほどで戻って来た事になる。駐車場に戻った時。帰ろうとしていた車が目の前で止まった。「富山の元さんでは?」 と声を掛けてくださった方があった。「えぇ・・」 誰だろうと思った。

 「5年前、大山でお会いした島根の中村です。」 と言われた。富山ナンバーの車、そして、「山ノ神」を発見して確信したとも言われた。そう言えば、大山の山頂で食事を一緒にした方いたが、「よく私達の事を覚えていてくれたものだなあ。」 と関心しながら、やっぱり嬉しかった。そして、しっかり握手をして別れた。

 正午過ぎ、本日の2座目の吾妻山を目指す。カーナビとスマホのナビを併用したつもりであったが、結構狭い山道をガイドされ、不安になったが、それでも結果的には1時間余りで登山口に着いた。この吾妻山も登山口から山頂までの標高差はあまりなく、快適に歩ける山であった。

 折しも、今日は山開きで、神楽が行われていた。その催しを横目に見て、山頂を目指すのであるが、日差しを受けると汗が滲んだが、時折爽やかな風が吹き抜けると救われる感じになった。今日は、日曜日と山開きとが重なったからかもしれないが、次から次と登山者がやってきた。

 今日の宿は休暇村である。テント泊や車中泊も良いが、だんだんと、「宿に泊まれればいいな!」 と思うようになって来ている。入浴中、温厚な紳士と会話があった。食事も隣の席になった。偶然、「山ノ神」も、その紳士の奥様とお話をしていたと言った。初対面であったが、我々の部屋で山の話をしようと誘ったのである。 (愛媛の森さん夫妻)

 その食事中に、ハプニングというのか、驚いた事があった。道後山の駐車場で再会をした中村氏から宿に電話が掛かってきたのである。吾妻山に行くと言っていたが、何処に泊まるも言っていないのに、よく分かったものだと、またまたびっくりであった。

 そうなれば、お互いの住所や電話番号を交わしたが、もしかしたら、また何処かでお会いする予感がする。宿の標高は1000mくらい。でも、私は、何故か暑くて眠られなかった。辛い山旅が続きそうである。



6/1 3度目の中国遠征。今度選んだ山々の行程を調べてみると、さほど難しくない。ましてや、那岐山を外したので、3日間3座なのだから、もしかしたら、観光も、ちょっとばかし出来るかもしれない。しかし、高速のカットがいつもあるから、この先どうなるかわからない。

 でも、私の強い要望で、6/2の晩は、国民休暇村で泊まる事が出来る。テント泊を外したから、後は行き当たりバッタリという事になる。はや、高岡1Cで乗るか小矢部ICで高速の乗るかで意見が別れている。前途多難の幕開けだ!