7/31 このところ暑さにはかなり参っている。夜でも30℃くらいある二階から下へ降りて来たのであるが、雰囲気が違いなかなか落ち着かない。また、冷たい物を余計に飲むものだから、後々の事が出来なくなる。こんなところにも歳を感じる。今までは大丈夫だったのに・・・・である。

 こうやって、愚痴る。そうでなければ、私の息は続かない。皆様ご迷惑かもしれませんが、「うん うん」 と聞いて(読んで)ください。まだ負けるわけにはいかないのです。まだ仕事しています。頼りないですが、町内会長もやっています。



7/30 雨具を買った。メーカーはミズノ「BERGTECHEX」 でも安価である。一万円未満である。防水性=長時間にわたり水圧がかかった条件下でも水の侵入に耐える事が出来ます。耐水圧約30,000mm 透湿性=優れた透湿性をもっています。ムレ感を軽減します。 防風性=高い防風性を発揮します。 撥水性=表面に撥水加工を施し、水を強力にはじきます。また、100回の洗濯後でも優れた撥水性を維持します。  などと記してあるが、額面通りになるか分からない。


 撥水性能を回復させる方法  洗濯後、十分乾燥した事を確認し、低温(80℃~110℃)でアイロンがけを行ってください。生地表面の撥水性能が回復します。撥水性が回復しない場合は、市販の撥水スプレーを使用してください。その際一度に塗布せず、乾かしながら薄く重ねて行うと効果的です。撥水剤を乾燥させた後アイロンがけを行うと、より効果的です。


洗濯方法  目に見えない汚れ(皮脂や汗など)も、撥水性低下の要因となります。洗濯は出来る限り使用する毎に行う事をおすすめします。洗濯は手洗いをお勧めします。もみ洗いや脱水機の使用は生地を痛める場合がありますのでお避けください。  40℃のぬるま湯をいれた容器に適量よりも少なめの中性洗剤を入れ、よく溶かします。柔軟成分が含ませている洗剤は使用をお避けください。ファスナーなど開口部を全て閉じて押し洗をします。生地に洗剤が残らないように、十分すすぎます。

 買ったからには、それを信じてやって見ようと思っています。そして、今しばらくは、雨への憂鬱感が消えるのではないかと思っています。雨でも出掛ける私にとっては雨具がとても重要ですから・・・



7/29 僧ヶ岳に向かった。キスゲはダメかもしれないが、その雰囲気と高所の風を期待しての行き先選定であったが、宇奈月の入口のコンビニで買物をしていたら雷鳴が轟いた。どうしてもという事がなかったから、簡単な鋲岳に変更する。しかし、嘉例沢に着いて準備をしていると雨が降り出した。

 車の中で待機である。しばらくして、小降りになったので、「行くぞ・・」 と言うと、「こんなのに行くの?」 の返事である。 「大した事はない! 山頂まで30分も掛からない。」 とゲキを飛ばした。稜線に出たら雨が止んだ。今度は暑いである。それでも、山頂の東屋に着いてからは、カップ焼きそばを食べ、アゲハやバッタなどと言って結構楽しんでいたようである。

 そのちょっと先に行き、鋲岳山頂の標識(三角点も)、そして、反射板の所まで行った。もうちょっと、歩き足らない感じであるが、今更烏帽子山まで行くわけにもいかないし、とりあえず車に戻る事にした。子供達には、「アイスクリームを食べて、もう一つ低い山に登ろう。登ってから、もう一つアイスクリームを・・」 と提案をしたが、「一日に、一つの山でたくさん。アイスクリームも一個で充分という。」

 それでも、私は、上市の千石城山に車を走らせた。確かに暑かった。子供達は歩く気はない。しかし、稜線のベンチまでとそそのかした。足取りは重いし、ミーが全く歩こうとしないのであるから参った。でも、ベンチまで辿り着いたのである。これまでかと思ったのであるが、またまた私だけが山頂に挑んだ。

 山頂まで13分、山頂で7分、ベンチに戻るまで10分。皆待っていてくれた。(私は荷を担いだままだったので、何もかもがびっしょりとなった。) 30分も休憩していたからであろうか、子供達は元気を取り戻した感じで、下山となると、いつもの通り心配をよそに駆けて行ってしまったのである。今日も失敗をした。千石城山で再び山に登る事にしたのであるが、エリーの靴(トレッキングシューズ)がない。嘉例沢を発つ時確認をせず忘れて来たらしい。弱った!



7/28 夏休み中は、孫達の事で、返って時間的な都合が悪くなる。後々の事で、娘に時間を取らせるので、明日は孫達を連れて何処かへ行こうと思っていたが、当の孫達は山に行きたくないと言ったので、それはそれで良いと思っていた。

 ところが、夜になって、急に行くと言い出した。多分、親から 「行ったら・・」 の助言?があったものと想像出来る。しかし、それでも、スイミングとか、いろいろと拘束もあるが仕方がない。それがなければ、白山の夜行登山なども考えていたが、そうならなくて良かったかもしれない。

 夕方から、富山市に大雨警報が出ていただけに、山沿いもグチャグチャが予想される。行き先は、明朝起きてからになるが、考え事をすると寝られないタイプだけに、弱ったものだ。そして、一番危ないのは忘れ物である。注意したい。



7/27 2週間前、白山でお会いした三重の田中夫妻が、この土日に塩見岳に登ると言っておいでた。先週、僧ヶ岳でお会いした富山のM青年は、明日群馬の仲間と、早月尾根日帰りすると言っておいでた。そんな時なのに、変な台風がやって来ている。もう壊れて熱帯低気圧になったようだが、余波の影響を受けなければいいのだが・・・・

 昨年、雷鳥沢でお会いした方々から、「今年も行くのですか?」 などと嬉しいメッセージを頂いている。こんなロートルでも、山に入ると、少々のインパクトがあるのかもしれない。だから、尚更山は止められなくなる(笑) 歩き回るより、同じ箇所で何日も過ごすのが楽になってきた事は事実。でも、それで終わらないからダメ!なのだろうか? 夫婦の話は煮詰まらない。



7/26 この歳になったからではないが、名を残したいとか、優位に立ちたいとかを思った事はない。(以前は、ちょっぴりあったかな?) 今は、どれだけ他人様に貢献出来るかの方に心が動いている。そんな難しい事は私には分からないが、ちょっとだけ手助け出来たり、心を和ませる事なら私も出来ると思っている。

 例え自分の思う通りにいったとしても、それが良かったかとか、楽しかったかというのは同じではないような気がする。気を遣って喜んでもらえる時が、一番嬉しいような気がしてならない。山頂に立った達成感に似ている気もする。「汗を掻いて・・」 などという言葉があるが、汗を流さねば、嬉しい答えは返って来ないような気がする。浅はかな私は、その格闘が多き、ついつい、何でと思ってしまう。

 すぐその答えを求めがちであるが、時間が経ってから、良い響きが伝わって来るような気もするが、そんな事を求めなくなれば、かなり人間が出来て来た事になるのではと思う。若い時の方が、義理とか人情に傾向していたのではと思うほど、今は、薄い人間関係のように思うが、これも、知らずしらずの内に流されていた事になる。



7/25 昭和41年3月高校卒業と同時に設立した管鮑会。53年の歳月を経過している。毎月会合が、いつの間にか2ヶ月に一回になり、最近では1シーズンに一回(年四回)、そして、今年に入って初めての食事会となった。

 昨夜は、ちょっとだけ揉めた。歳を重ねる毎にお互い我が出て来て頑固になっていく。正しいとか正しくないとは関係なく、”譲れない” が、うごめく。「あんな事言わなかったのに・・」 とか、「もうちょっと、輪があったのに・・」 

 私も、もうちょっと我慢すれば良かったと思う事があった。ずっと仲良くやって来たのだから、今更、友を失いたくないからである。只、皆そうだから、決裂する事などない。その帰り道、何年振りだろうか、もしかしたら、10年以上そんな事はなかったと思うスナックに誘われた。やはり、そんな所は私には似合わない。



7/24 ようやく梅雨が開けた。あんなに傘マークが並んでいたのに、やはりオセロのように、いっぺんにひっくり返った。モヤモヤしていた身も心も晴れて、皆が行動すれば日本の景気も良くなるのではなどと思うのは浅はかであろうか?

 夏山計画も俄然力が入って来る。先送り予定の東北遠征が、再び浮上の様相を呈して来た。仲間との北アキャンプ山行が消滅しそうだからもあるが、簡単な所なら尚更良いの心が「山ノ神」に芽生えたのは間違いない。しかし、観光も取り入れられれば、またまた夜行運転を伴わなければいけなくなる。いつまで尻を叩かれるのであろうか?



7/23 小佐波御前山の帰り道、猿倉山の ”風の城” に登ってみた。その間 勘違いした「山ノ神」が先に駐車場まで降りて行ってしまっていた。その「山ノ神」が、声を挙げながら登って来るではないか? 「財布を拾った!」 と言うのである。

 財布はベタベタで、今日落とされた物ではないように思えた。免許書が入っていたので、何か連絡してあげれるものがないかと思ったが見当たらなかった。さて、何処へ届けようと思ったが分からない。それこそスマホで調べて電話をしたのであるが、富山南署がいいという。

 悪い事をしたわけではないが、警察というのは独特の雰囲気があって敷居が高い。「山ノ神」はイヤだというので、私が代わりに届ける事にしたが、それはそれで大変だった。まず、何処で拾ったかである。猿倉山の芝生と言っても、その住所を調べる事になった。「えらいこっちゃ!」 濡れた財布から、されこそ、引っ付いた紙幣をはぐらかさなければならない。6,718円があった。

 運転免許証・健康保険証・診察券・学生証・えこまいかⅠ枚・キャシュカード1枚・クレジットカード1枚・ポイントカード12枚も入っており、それを一枚一枚記入しなければならない。まあ、私ではなく、若い署員の方が記入されていたのであるが、終いには、私に椅子に座って待つように言われた。

 こちらは、只落とされた方が困っておられるのではの一心で届けたのであり、報酬などのためではないのであるが、署の方としても一定の決まり事があるのであろう。結構な時間を費やしてしまった。「一切の権利を放棄しました。」 にチックが入っていたが、本人に渡ったかどうかだけは知らせて欲しいとお願いしたが、未だ連絡は来ない。

 その時の会話の内容であるが、本人から連絡をもらう時は、「住所・電話番号・氏名などを知らせる事になるが・・」 などと言われてしまうと、即座にOKとは言えなかった。署からでも良いからと言ったつもりであったが、そのような事は記されていない。良い事をしたつもりであったが、スッキリはしなかった。でも、この青年が、回り回って、「何処かで、また人のためになってくれたらいい。」 と思う事にした。



7/22 まだ雨が落ちていなかったが、日中は雨の予報。いろいろやり取りをした結果、「北ちゃん」と小佐波御前山となる。こちらは、昨日と今日は娘に休みをもらった大事な日である。しかし、生憎の悪い予報で何もかもがパーになった。それでも、昨日は、その代案?で、まずまずの達成感を僧ヶ岳・駒ヶ岳で得ている。今日も何が何でもであったが、トーンがかなり落ちていた。

「北ちゃん」と約束をしても、こちらは早く家を出たかった。朝食も駐車場に着いてから、「北ちゃん」を待ちながら、また、途中でとも考えていたが、イザ車を停めてお湯を沸かそうと思ったら、コッヘルがない。また、「山ノ神」のビールと、つまみ以外の食材もない事に気が付く。今一度街に戻って、何かを買う手段もあったが、丸一日何も食べなくとも死にはしないとの結論から、「北ちゃん」に、LINEでSOSを出しながら、山頂小屋で待つ事にしたのである。

 その間、気不味い雰囲気での歩きとなった。「お前が・・」 「あんたが・・・」 の後に言葉は続く筈もない。「北ちゃん」の俊足を期待しても、我々の思い通りにはいかない。小屋に着いてからは、「山ノ神」一人、プシューとやって、「それはそれは・・・」 である。私は、コンロ・ガスのセッチングをして、今か今かと待つのみであった。

 その間40分程であったか、まるで走れメロスのようであった。「来る。」 「もう少しで来る。」 などなど・・・。「北ちゃん」が到着したら、何はともあれ、コッヘルをせがんだのであるのは言うまでもない。



7/21 午前8時前、僧ヶ岳烏帽子口(1,280m)は、車でいっぱいだった。そこに大沢野の松田氏の顔もあったが、体力のある彼と一緒するわけにはいかないから先に行ってもらう。今日は、晴れるという予報(いや、降らないという予報) と、烏帽子口まで車が入るとの情報があり、わっと登山者が押し寄せたのかもしれない。

 今日は年寄り?ばかりではなく、結構若い人達が目立った。それは、やっぱり日曜日だったからかもしれない。そして、いろいろな人達との会話も楽しめたのである。最後まで(その近くまで)ご一緒して頂いたのは、朝日町のまりちゃんと松田氏であった。(そのまりちゃん、山ノ神と同じ朝日小屋のTシャツを着ておいでた。)

 仏ケ平のニッコウキスゲが素晴らしかった。その一帯だけなのであるが、正しく群落という言葉がぴったりであった。皆さんも、やはりそれが目当てであったに相違ないが、そんな事も知らないという方もあったし、ニッコウキスゲという名も知らない方もあったが、その光景は、後々「あの日は素晴らしかった。」 という日が来るのではないかと思うのであるが如何に・・・

 そのニッコウキスゲの咲き誇る所まで行くまでは、今日も、またまたお互い単独行の様相を呈していた。「こんな歩きでは白馬岳など行けるわけがない。」 と言ったばかりに、「山ノ神」は憤慨してしまった。「そんな言い方をしなくても・・・」 である。「頑張っているのに・・」 である。でも、そのニッコウキスゲを見て、何もかもが吹っ飛んだ感じであったのであろう。

 その余勢もあったのだが、まりちゃんの元気さにも誘導されたのかもしれないが、駒ヶ岳を目指す事になってしまった。私は、ニコニコ顔をしてしまったが、「山ノ神」は次第に可笑しくなってしまった。北駒ヶ岳への登り返しで、とうとう「ここでいい。」 と言ってしまったのである。北駒ヶ岳山頂まで、後5~10分もないよ!」 と言っても聞く耳を持たないので、炊事用具など一切を「山ノ神」に預けて私は、駒ヶ岳に向かった。一人ビールを愉しめば気分も収まるのではないかと思いながら・・・

 私としても、久しぶりの駒ヶ岳山頂であった。残念ながら、剱岳の一部しか見えなかったが、後立山の山々は、それは素晴らしい展望となって私を楽しませてくれた。また、まりちゃんは、自分のカップ麺を、私にそっと分けてくださったのであるが、お腹の空いた私にはビックなプレゼントとなった。本当に有難うであった。

 駒ヶ岳を後にして、北駒ヶ岳を越えて「山ノ神」の休憩地点に達したが、1時間を遥かに超えているのだから、いるわけもなかった。私の置いていった荷を全て担いで僧ヶ岳に戻ったのだから、結構疲れたのではないかと思った。まりちゃん達よりも一足先に僧ヶ岳に着いた私であったから、「山ノ神」にラーメンを作ってもらった。そして、二人の到着を待って、駒ヶ岳山頂のお礼にコーヒータイムとした。

 もう一度、仏ケ平のニッコウキスゲを楽しみ登山口に向かったが、来週剱岳日帰りを目指す青年が、訓練のために僧ヶ岳へやって来たという話を聞きながら登山口まで一緒した。私のアドバイスにどう思われたかは分からないが、健闘を祈りながら、第三登山口広場まで送ってあげた。そんな事もあり、まりちゃんと松田さんに挨拶をせずに帰ってしまった。



7/20 白馬岳行は、またの機会にする事にした。それでも、明日は、そんなに降らないような気がする。烏帽子口まで車が入るらしいから、僧ヶ岳に行ってみようかな?駒ヶ岳までと言ったら、「山ノ神」に拒否された。



7/19 夏山計画がドミノ的に倒れていく。7月に入って、明後日からの連休も入れれば、3回も、雨もしくは、それに近い天候(予報)である。8月に入ってからの3連休を、東北の山にと思っていたが、それを盆休に繋ぎ合わせた5連休に移そうかと思い始めている。

 そして、先の3連休は、やはり北アの山に入りたい。それは、あそこもこちらもとなれば最高であるが、山に浸っているだけでもいい。ちょっとでも残雪のある頃が、何となく気分も良いし北アの味を楽しめる。

 恒例の好山病キャンプ山行はどうなるのだろう? 昨年は、あの凄い台風予告の最中に出掛けたのであるが、どんな形でも実行出来ないものかと模索してみたい。でも、のほほんと生活をしているのは私(達)だけで、他のメンバーは、いろいろと事情があるようだ。



7/18 梅雨明けが、いつになるかも分からず憂鬱な日が続く。冷夏のようでも、ようやく気温が上がりそうな予報なれど、湿度も高く快適とは程遠い。いい加減に傘マークがなくなって欲しいと思うのは私だけではあるまい。

 恒例の白馬岳行きを、今度の連休(7/21.7/22) に目論んでいたが俄然怪しくなって来た。白馬岳へは過去19回。平成18年からは、一度大雪渓経由、それから、白馬大池キャンプを除いて、蓮華温泉からの日帰り登山が続いている。昨年は、その他に、朝日岳・雪倉岳経由もあったが・・・

 特別7月下旬に拘らなくても良いのであるが、やっぱりお花を見ながらも一つの楽しみであるから、ちょっと残念という事になる。8月は別の企画を考えている事もあるし、孫達が夏休みに入ると、逆に出入りの制限が出て来る。何もかもが上手くいく事など本当に少ない。



7/17 「元さんの山歩き」 を宣伝している割には、更新を疎かにしている。当欄はまだしも、紀行文などは、だんだんと遅れていく。「後から・・」 「その内に・・」 などと誤魔化していたら、一年半程前には、バックアップしていなかった5年分程のデーターを失ってしまい後の祭りとなった。

 「山ノ神コーナーはどうしたんだね?」 なども、山中でお会いする方々から問われる事がある。なかなか、それ以上の事は述べる事は出来ない。同じような事ではつまらないだろうし、「品を落としてまで記する事もなかろう。」 が今の考えである。 もう山の情報としての役目はなくなったし、これから、どのような生き残り方? かを考えなくてはいけないのかもしれない。

 もっともっと、元気で山に登り続けると言いながら、このロートルが何をしでかすのかとなってしまうが、生きている限り輝いていたいし、認められていたいものである。それが例え自己満足の域であっても、他人様に迷惑さえ掛けなければと思っている。

 それでも、時々であるが、山の友に限らず便りをしているのである。(メールやLINEも含めて・・) 中味はあまりないのであるが、「元気でやっているよ!」 ぐらいは届いていると思う。梅雨が長く冷夏の様相であるが、それでも、「今年は誰とお会い出来るのか?」 とか、「誰と一緒出来るのか?」 と楽しみの胸は膨らみ続けている。



7/16 平瀬道からの歩きは、抜きつ抜かれあう中に、中高年男女6名のパーティーがあった。揃いのユニホーム(Tシャツ)の袖に 「令和」 と記し、左胸に 「どうせ昭和生まれやけどな」 と施されていた。奇抜なようで、何かユーモラスを感じ撮らせてもらった。

 笑うのは一番。忘れるのは二番。怒ったら損。世の中、皆このようになれば、平和だし諍いもない。面白い事が出来なくとも、あるいはしなくとも、それに感銘し笑い転げておれば良い。そして、聞いてやれば良いのであるが、なかなか聞き上手にはなれない。何もかも忘れて(イヤな事は忘れる) いつも笑っていたい。シワが出来ても、ハリが出るよ!



7/15 眠い眼のまま、そっと家を出た。(午前3時) 砺波から雨になった。小雨程度であったが平瀬まで続いた。ボーッとしていたせいもあるが、雨の暗い道は、スピードを上げる事が出来なくなって来ている。それはそれで真っ当な道?である。しかし、以前の高速がない時代には、登山口まで2時間で行っていたのだから、どんな運転をしていたのだろうか?

 白水湖(平瀬側登山口)には、予想以上に結構な車が停まっていた。連休最終日だからか、それとも、私のように、もしかしたら、雨が止むのではないだろうかなどと思う輩が多くいたのかもしれない。結果的には雨具を纏わずスタートが出来てラッキーであった。このところ、くたびれた雨具のせいで、結構辛い目に遭っている。今回は、苦肉の策として、以前使っていて、処分仕切れていない雨具を、もう一つとしてザックに忍ばせていたのである。

 そんな事や、カンクラ雪渓対策に軽アイゼン、故障気味の重たい三脚など、またまた重い中味となっていた。でも、来週の為(白馬岳行)の訓練と思い込めば、そんなに苦にならない。「泊まりですか?」 と言われても、いつもそうだから笑い流すしかない。しかし、室堂まで楽々4時間と踏んでいたのに、お花の写真を撮ったりしていたものの、やっぱりここでも歳を感じてしまった。

 抜きつ抜かれつの歩きに、いつの間にか、三重の田中さん夫妻と、ずっと一緒させてもらった。温和な方々であったから、いつも無口の?私であったが、ちょっと喋り過ぎの感はあったものの、イヤな顔一つせず付き合って頂いた。その田中夫妻は、私と比べて二世代若いが、何処かで聞いたような ”好山病” に感染しておられるようで、当たり前と言えば当たり前で、私が着いて行くのにタジタジであった。

 室堂でコーヒータイムを付き合って頂いた。山頂へも一緒して頂いた。山頂で食事としたのであるが、何もかもが良いように動いたのであろうか、雲間から青空が覗いたのである。視界も時々であるものの、パーッと開けるし、雲海の雰囲気も漂わせてくれたのである。雨予想がこのように鳴るのであるから、山はやめられない。

 室堂に戻ったら、「元さ~ん」 と声を掛けて頂いた。福井の越ちゃんからであった。彼女は、3人パーティーで、下村さんと言われる大御所と、若く可愛い女性と一緒であった。それからであったが、LINEのやり取りをするのに、田中さんを含め、QRコード・ふるふる・IDなど、いろいろな方法で模索するのであるが、なかなか思うようにならず、福井方の若い女性に力?を借りたのであった。山の中で、大の大人が、それも老人が加わって、おかしな光景であったのは間違いないであろう。



7/14 分かんないお天気だけれど行くしかない。(白山) 降られたら降られただ! でも、あまりテンションが上っていない。



7/12 月曜日(7/15)は、一番早い海の日。例年海の日の連休は、私(達)の連休と重なるのだが、今年はそのようにならない。それでも、祝日の月曜日で誰かと一緒出来るのではと思っていたが、お天気もイマイチだし、誘いもしていないし、問い合わせもない。それどころか、「山ノ神」も用事を作って山にはいかない。それはそれで、解放された気がするから良いのであるが、この予報からして、何処へでもとはならない。

 そんなに酷い雨とはならないようだから、「白山」 にしようかと考えている。今の雨具では、ちょっと辛いが、花も楽しめるし、ある程度の距離もあるから。それよりも50回を目指すには、今年は2回ぐらい登っておかないと、なかなか詰まらない。 (現在38回) 時間制限もない事だし、ゆっくりと歩いて来ようと思っている。



7/11 続々と白木峰に出かけているらしい。今日のお天気でも、私の知るところでは、石川や福井からお越しのようである。「雨に遭わなかったか?」 と尋ねると、「風が酷かったが、雨には遭わなかった。」 と言っていた。車も混雑しているのであろう。中旬に林道工事があるようだから、しばらくは混雑が必死。お天気になるよう祈りますが・・・



7/10 時々は曇りマークはあるものの、ずっと傘マークが続いている。この頃の雨は、局地的に凄い事になるから注意が必要だが、今のところ、そんなに凄い雨に遭っていない。でも、私の雨具が酷いからすぐにびしょ濡れになる。何とか早く購入しなければと思っているがなかなかである。

 梅雨明けが遅いと言われる予報であるが、オセロのようにくるっと(コロッと) 変わる事がある。早くそうなってくれるのを望むのは私だけではあるまい。学校が夏休みになる頃には梅雨明けとなって欲しい。



7/9 疲れた。そんなのは当たり前なのに、その「疲れた!」 には、こんなハズでないのにが脳裏から離れないからであろう。実際、バランスが悪いし、走って降りる事は出来なくなった。岩や石な上に足をやると不安がいっぱいである。そして、その反対に転べばお終い (ケガすれば、山とお別れ・・) も重々承知している。

 それよりも、ちょっと座れば眠くなる。アルコールが入ればテキメンである。食事中も、PCの前でも、歯磨き中もであるから参る。山にも、アルコールにも負けるようになってしまった。白旗挙げずに必死に頑張っていてもダメなようである。 ”ハガヤシイ”



7/8 今回の山行実行日の前日に小谷村のリゾートホテルを予約した。高岡に戻ってまたという方法もあったが、それは男の言い分だろうし、食事の支度をしなくてもよいのもいいではないかとも思った。私は、山から戻った日などは、特別の要求はしないと決めている。(最も日頃からでも何が食べたいとも言っていない。) ヤッコとかカップ焼きそばでも良いと言っている。でも、奥様方はそうはいかないらしい。

 かと言って、高価な所には泊まらない。(一生に一度か二度くらいはあっても良いか?) 実際、入浴し、2回の食事代 (お店であろうが、自炊であろうが・・) 車中泊でなければキャンプ代もある。後片付けもしないで、何度もお風呂に入って、腹一杯ビールが飲めるのであるから・・・

 でも、ハードスケジュール(気持ちだけは・・体力が付いていかないが・・) いい加減に宿に入らなくてはいけないし、朝食を頂くと、どうしてもスタートが遅れてしまう欠点がある。それだけに、今回の山行も割り切って考えた。富山に戻っての山行もあったが、近場の山(大渚山 1,566.4m) とした。

 小谷側の雨飾山登山口を横目に見て湯峠まで行くのであるが、300~400m手前で通行止めになっていた。道路の欠損であるが行けない事もない。ゲートもあったしその指示に従った。18年ぶりだったので、まるで感じが違っていたというのか記憶違いも甚だしかった。また、湯峠から網谷側へは、何十年も通行止めのままのようである。

 湯峠の登山口の標高は1,250mくらいだから、山頂まで300m余。1時間余で登れる。そして、雨飾山の展望台と言われているが、今日はそのようにいかなかった。それでも、昨日よりはマシで、時には陽が差す事もあった。隣の駒ヶ岳は望めるのであるが、雨飾山の方が高いので、頭の部分が望めない。

 登山グループの奉仕であろうか、きれいに登山道の整備はされていた。この山は、そんなに登られているのだろうかと思ったがそれは分からない。ブナ林が良い。そして、三角点は東峰にある。山頂には展望台がある。その展望台が大渚山の頂上とされている。(東峰の方が、ちょっと高いとか・・)



7/7 いつもの通り黒菱平から歩いた。2つのリフトに乗らなくても八方山荘には1時間程で着く。今回は10回目となったが、以前キャンプをした時も、この黒菱平から歩いた。八方山荘から木道を歩く事になる地点で、霧雨が小雨になったので雨具を着込んだ。

 ずっとガスで、八方池に着いても、山どころか池全体も分からぬくらいで、池に大きな雪塊が浮かんでいるのだけが分かった。それでも、昨日は土曜日であったからであろうか、キャンプを含む宿泊者と思える方々が、次から次へと降りて来られた。その方々に残雪の状態を聞いたが、不安を助長するようなものだけであった。

 扇雪渓下付近では、シラネアオイやオオサクラソウがたくさん咲いていた。雨でなければ、もっと鮮やかに見れたのにと、ちょっと悔しかった。それまでに、ハクサンコザクラ・ニッコウキスゲ・ウサギギクなどが咲いていたが、それらは、まだこれからの状態だっただけに、先の二種は特筆と言わざるを得まい。

 丸山ケルンに着いた頃は、防水の効かない私の雨具はビショビショで衣類にも及んでいた。「ここで止めてもいい。」 という「山ノ神」であったが、もう少し先まで行く事になる。しかし、2,500m付近に達した頃、「通常ルートは通行止で、迂回する事になる。」 との情報に、「山ノ神」と分かれる事になる。

 「ゆるゆると降りて、イヤな感じの雪渓手前で待つ。1時間もあれば行って来れるでしょう。」 と「山ノ神」 であったが、これが失敗の元であった。2,554mの標高点先から通常ルートを避け稜線歩きになるのである。岩が連なる狭い稜線であるが、崩れそうな所には網が掛けられ、急峻な所や狭い所には、ロープやポールが施してあり、強風下でなければさほど問題はない。

 このルートは、唐松山荘裏の一番高い所へ出るのであるが、山荘まででも良いと思っていた心が、山頂まで行くのもあまり変わらないのではとの欲な心が動き、益々時間を使ってしまった。たまたま二人の登山者がおられ、お互いにシャッターを切り合って、すぐに下山とした。この時点で1時間近く掛かってしまっていた。速そうな二人に、「山ノ神に出会ったら、ちょっと遅れて来るから・・」 と服装や格好などを伝えお願いしたが、彼らは、唐松山荘の方へ行ってしまったのであてにはならなかった。

 時計を見て焦った。しかし、どうにもならない。この歳になると、小走りと言っても そんなに早くは走れない。丸山ケルンを降りた所で左足が攣った。不味い。それでも行かなくてはならない。電話も通じないのだから・・・ その内右足も攣り始めた。考えてみれば、殆ど食べていないし、休んでもいない。水分補給もしていない。今更飲んでも仕方がないのだが飲むしかない。

 扇雪渓下で「山ノ神」が待っていた。「ごめん」 と言うしかない。小雨の中、ずっと(1時間程)座って待っていたようであった。私は、それこそ、ゆるゆると降りているのではと思っていたが、約束通り待っていたのであった。幸い雨も霧雨程度であったからまだ良かった。分かれた時、アイゼンを渡そうかと言ったが、待っているから大丈夫と言った。でも、2時間にもなったのだから、炊事用具まではいかなくとも、ポットぐらい渡せば良かったと後悔せねばならなかった。

 その雪渓も、緩んだせいもあり問題なかったが、「山ノ神」に軽アイゼンを着用させた。後は、だんだんと雨が止み、靄っていたが八方池でコーヒータイムとした。木道に差し掛かってから、視界が広がり、白馬の街が見え出した。「帰る頃になって晴れて来る。」 「車に乗ってから晴れた。」 いつものパターンであるが仕方がない。帰路もリフトに乗らず黒菱平に至った。午後3時40分であった。



7/6 先週は3連休にならなかっただけに、明日・明後日も連休となる。(連休にする。) なのに予報はすっきりしない。白山か唐松岳か迷ったが、白山は来週に回し唐松岳になる。黒菱リフトには、今回も乗らないつもり。



7/5 「夢をもつんだね! 夢で終わっても いいじゃないですか 人生はそれだけ豊かになる」 こんな文章を見た。 その通りだと思った。だんだんと夢が萎んでいくだけに、何だか嬉しくなる。傘マークばかり並んでいるだけに気分が晴れる。それでも雨と言っても降らないような日が続く。



7/4 本当に山へ出掛ける方が多くなって来た。それは、「多い少ない。」 「高い低い。」 「遠い近い。」 に関わらず、いろいろな楽しみ方をしておられる。写真・お花・新緑や紅葉・山菜とキノコなどなどである。

 長い間やっていると重宝がられる事もあるが、感性や波長などの違いがあり、何事も上手くはいかない。他人様に受け入れられるには、かなりのエネルギーが要る。知識であったり物量であったりするが、何に置いても自慢をしないで、話を聞いてあげる事が一番のような気がする。

 それがなかなか出来ないのである。そうなれば仕方がない。静かな山を求めるしかないであろう。でも、これからは、そのリスクが増して来る。「百の山頂に百の喜びがある。」 「冬登れば冬山。」 「雪がある山に登れば雪山。」 例え低山であってもである。ロートルの辿る道を考えておかなければならないのであろう。



7/3 白木峰でも太郎山(薬師岳・北ノ俣岳からの変更)でも、ブヨにやられた。今までは、「山ノ神」の方が被害が多く、刺された後、化膿する事が多かった。私は、刺されても殆どそのような事がなかったから、もしかしたら、今回はブヨでなく、違った虫だったのかもしれない。

 気温が低いとか、風がある時には、あまり出没しないと思っていたのに、早朝の方がブヨ(虫)は多かった。気温が上がった日中の方が、ブヨが少なかったとなると、私の知識が及んでいない。最も湿度との兼ね合いがあるのは間違いないのだろう。

 「トンボが、ブヨを食べる。」は、分からないが、確かにトンボが飛んでいる時は、ブヨはいない。「トンボがいる場所は、ブヨがいない。」 「トンボが飛ぶ頃は、ブヨがいなくなる。」 のかも知れない。トンボが飛ぶ環境は、ブヨがおれないのか、それとも、トンボは、ブヨの天敵なのか?



7/2 ブヨに刺され耳がダンボーのようになったが、それでも、楽しかった余韻の方が上回った。その白木峰から戻って、翌日の行き先を決めるに、ちょっと迷ったが薬師岳に心が動いた。しかし、白木峰の駐車場から、最初の林道に出るまでの急登箇所では、「山ノ神」の調子が可笑しかった。「ハーハー」 と息が荒く、もしかしたら、ぶっ倒れるのではないかと思うほどであった。 (のち、平常に戻った?ような感じであったが・・)

 出発前に薬師岳から北ノ俣岳の変更する。何度も山頂手前で挫折する「山ノ神」を知っているから、ちょっとでも可能性の高い北ノ俣岳にした次第。そして、今回の山行は、恒例の白馬岳行きを、どうするかの判断材料にするつもりもあった。 (今年もまた一緒出来るか?また、日帰りにするか?テン泊にするか?)

 そんなのに、「山ノ神」が、ススダケを採りだした。こちらは、イライラするし、昨日襲撃を受けた耳に、またまたブヨが襲いかかって来る。怒っても始まらないし、山の雰囲気を楽しむという方向に考えを変えた。いずれ、だんだんと高い所や遠い所へ行けなくなるのであるから、その予行演習的にである。

 樹林帯を抜ければ、チングルマが現れた。ホットする。曇りがちであるが、結構視界は広がっている。雨は降らないと思った。しかし、私の心の中では、北ノ俣岳へも怪しくなって来たように感じる。「山ノ神」は、寝なくても、重い荷を担いでも、執念を漲らせる私には、少々呆れかえっている。

 整備中の登山道を歩く、高山植物の再生作業も行われている。きれいになるのだろうが、自然の力には、なかなか勝てずイタチごっこは歴然である。チングルマは、まだ下の方にしか咲いていない。五光岩の先には花はない。夏山になったばかりだから仕方がない。

 太郎小屋に着いたのは、午前11時20分頃。簡単な食事をした。「山ノ神」は、この先に行く事を断念しているようだ。案の定、「山ノ神」は、私に北ノ俣岳へ行く事を勧めた。でも、山頂に拘らない山行も良しだし、娘が学校行事(小中学校再編の懇談会)に出来れば参加したいと言っていた事もあり、孫達の面倒を見るとなれば、それに合わせて下山しなければならない事もあり、小屋よりちょっとばかし高い太郎山に行く事にした。

 太郎山は3回目である。岡山の杉原女史が北アにやって来た時、太郎で出迎えた時がある。(のち、薬師峠でキャンプ)その時、雨の中を、日帰りでねぎちゃんもやって来てくれて、太郎山で再会を喜びあった。もう一回は、一昨年、好山病山行の折、二日目の北ノ俣岳へ行く途中、太郎山に寄った。

 わざわざ目的として行く山でもないが、何年か後、日帰りは此処までという事になるかもしれない。(眺望もそれなりに良い。) 小屋前で簡単な食事をしたが、此処までとなったため、「山ノ神」のビールタイム、そして、私の2回目のコーヒータイムとなった。



7/1 大雨が続く予報であったが、富山の予報は曇り。降水確率も低い。ならば、ニッコウキスゲの咲き具合はともかく、「雨の山」 のレパートリーの一座である白木峰行きとなる。1,300mの駐車場に着くなり、ブヨの洗礼を受ける。編みを被ったがラチがあかない。相当刺されてしまった。

 風衝地帯の山頂でも、ブヨを含む虫に悩まされ浮島へ急いだ。ニッコウキスゲの見頃は、まだ一週間も10日も先のように思えるが、チラホラと咲き始めており、それなりの雰囲気は醸し出されている。ササユリも、その順番を待っているようであった。

 展望はイマイチであったが、曇でも降らなければ良しというお天気からみれば、それこそバンバンであった。浮島を最終地点にしておられるからであろうか、登山者が入れ替わり立ち代わり訪れられるのであるが、長居する方々は意外と少ない。私達は、コーヒーを飲みながらゆっくりと過ごした。またまたお節介にも、親子連れと思われる方にコーヒーをプレゼントしてしまった。

 一時を過ごし、山頂へ向けての木道歩きに、ねぎちゃん夫妻と遭遇。一旦は、「またね!」 と別れをしたが、山頂直下で、北ちゃんと田村氏と、またまた遭遇。こうなれば、もう一度浮島に戻らなければなるまい。54回目の白木峰で、浮島に2回も行ったのは今回が初めて。でも行って(戻って)良かった! 久しぶりに会えた方もあり本当に良かった。そして、楽しかった。

 今日は、あらちゃんとも出会った。M女史ともお会いした。元気な方にお会い出来ると、その元気をもらえる気がする。6人で、林道を歩いて下った。フキ採りもした。そして、マキちゃんもeiko女史も揃う日が来る日を私は願っている。