8/31 せっかく、明日から三連休だというのに、行き先を決められないでいる。予報が一番の問題であるが、「山ノ神」の体調もある。強行突破すれば良かったのだが、今回だけが山行機会でもない。結局、明日起きてからの決断となる。「行かないと、きっと晴れる。」



8/30 3年ぶりに、プロフィールを更新してみた。大ホラのような事を述べたが、本人は至って真面目。そして、元気さだけを唱ったが、それこそ、なってみなければわからない。風貌は髪の毛が風前の灯火、あとは、如何にシワシワにならないかである。山に関しては、死ぬまで燃え続けるつもり。



8/29 強い雨が降った。そして、不安定なお天気が続く。しかし、ずっと雨が続くとも思えない。前線が、北上したり南下すれば、晴れ間が出るに違いない。私の今度の休日(3連休)も、その境になりそう。

 でも、マイナーな所に出掛けると、思わぬ場面に出くわす事がある。倒木があったり、斜面の崩落である。「やはり慎重には慎重を重ねた行動が必要だ!」 と言いながら、じっとなんかしておれない性格であるから、ここ2~3日、予報と、にらめっこになるだろう。



8/28 この先の予報は、ずっと☂マークが並んでいる。☔🌂☂である。9/1~9/3の休日を、如何に有効利用?しようかと考えていただけに意気消沈である。でも分からない。今夏の始めも、傘マークがずらりと並んでいたが、一旦気流の関係か、気圧配置なのかわからないが、逆に、これでもかと暑い日が続いた。

 「行かなければ晴れる。」 「下山に掛かると晴れて来る。」「車に乗ったらすっかり晴れた。」 「中止にすると、覆すようなお天気!」 などと、なかなか思い通りにならないのが常である。何もかもが思い通りになったら面白くないとでも思っておれば、そう腹が立たないのかもしれない。



8/27 雷鳥沢キャンプ最終日に、テーブルを挟んだ2つのテントの方々と、ほんの少しお話が出来た。そのS氏とN女史から、メッセージが届いた。facebookの写真が素晴らしい。そして、あちこち出掛けられているようである。元気さがいっぱいで頼もしさが感じられた。

 「前の晩に声を掛けてもらえば良かったのに・・」 「もう少し早くから・・」 などと、私にはもったいないような文言も綴ってあった。でも、ロートルの私だけに、やっぱりかなり遠慮してしまうところがあるもん?

 剱岳初登頂とあったが、ポイントを掴んでおられ、どれも素晴らしい写真がたくさん載っていた。そして、「初登頂? 本当なんだろうか?」 と思ったが、剱岳だけが山じゃないんだもん当たり前か! また、何処かでお会い出来るかどうかわからないが、新しい山友が出来た感じで嬉しくなってしまう。



8/26 結局、僧ヶ岳とした。晴れを予想していたが、山中は全くのガス。展望はナシ。時折、仏ケ平が見えるくらいであった。さて、「山ノ神」の状態であるが、荷は殆ど私が担ぎゆっくり歩いた。(相変わらず遅い😁) 左肩が上がらないから、何処かに掴まるような時は支えてやらなければいけない。

 それにしても、今年は僧ヶ岳に縁がある。4月は片貝から、ニッコウキスゲが咲く7月、そして今回である。29回目になった。無雪期に宇奈月側から登れば50回も可能になって来た。何かに拘ると結構面白い。

 下山してから、「山ノ神」が、嘉例沢森林公園へ行ってくれという。4週間前、孫達と鋲岳に登った。その時の前半は雨だった。下山してから、悔しいし時間がたっぷりあったから、千石城山再チャレンジとなった時、下の孫エリーのトレッキングシューズを公園駐車場に忘れてきたのに気が付いたのである。(取りに行かず諦めていた。)

 買ったなりのシューズであった。でも、4週間も経つし、その間いろいろな方の出入りがあろうし、雨も降っている。私はあるはずがないし、あっても、見窄らしい事になっていると言ったが、「山ノ神」は必要に食い下がった。終いには、靴が呼んでいるとまで言い出すのである。

 仕方なし、下立からの狭い林道を走った。駐車場にはある筈がない! ところが、「山ノ神」が、「あった! アッタ!」 と、孫のシューズを持ってきた。しかも汚れていないし、濡れてもいなかった。トイレの清掃用具の傍に置いてあったというのである。世の中には、優しいステキな方々がおられるものだと思った。高価な物ではなかったが、この善意に感謝したい。ありがとうございました。



8/25 明日はお天気が良さそうだ。しかし、行き先選定に苦慮している。「山ノ神」にしてみれば、3週間ぶりになるから歩く自信がないと言う。しかも、左肩の自由が効かない。(上がらない。) 単独行に誘導するのは簡単であるが、後々の生活に尾を引かせては何にもならない。優しい山にと言われても、答えようがない。せっかく好天で制限がないのであるからとても悔しい。



8/24 8/20は私が、8/21が娘婿。そして、9/2が娘のバースデーなので、土曜日の今日、まとめて誕生会となった。サプライズとして、大阪から長男がやって来てくれた。まあ~、誕生日には、いろいろな考え方があって一概に言えないが、顔を合わせ楽しく語らえるのなら何も問題はないし、楽しければそれでいい。

 

8/23 14年前唐松岳山頂で、「元さんですね?」 一人の男性に声を掛けられた。「富山県の方ですか?」 と、問い返すと、「私も高岡です。」 と答えてくださり、祖母谷へ降りていかれた。そして、白馬岳に戻られるようであった。その方は、私の親友・はるちゃんの甥が勤める会社の上司であった。朝礼で山の事、時たま、「元さん」の話題があるとは聞いていた。名乗られびっくりであった。

 その方 (沢課長=当時の役職=のち部長と聞いていたが・・) 今夏、南ア北岳周辺で事故に遭われ亡くなられたようである。記事で見ていたが、相当の期間を置いて、この程お悔やみ欄に載っていた。知人が、その方の近くに住んでおられ、時々情報を聞き及んでいたが、こんな事になられるとは悲しみが込み上げて来る。



8/22 山から帰ってからのお天気が悪い。県東部や隣県の能登七尾辺りは、テレビで映し出されるほど多く降ったようである。山用具を片付けるのにお日様が欲しい。濡れものはもちろんだが、そうでなくとも風通しの良い所に置きたい。テントは、竿などで干すより、ポールで組み立てるのが一番。乾かす他に、汚れを見付けれるし、破損(イタミ)などの発見にも繋がる。

 週末からお天気が回復する予報である。気温も少しは落ち着いて来た。なんと言っても熱帯夜から解放されるのが一番である。いろんな欲があるが、睡眠欲も侮れない。

8/21 やっぱり皆 (好山病友の会) 揃ってのキャンプ山行は難しい。最も、休日の違い(山行日は平日)や、年齢的に職場の重責を担っている人達が多いから、当たり前と言えばそれまでである。そして、介護や孫の世話、どうかすると、自分自身の体調も気になる年齢である。

 私は、自営。これからは、融通の効く休日のあり方を考えている。そろそろ引退の声も掛かりそうだが、仕事も有償のボランティアと考えれば、まだまだ力が湧く。(毎日、山に行くわけにはいかないしね!) 私の山仲間は、年齢的に一回り年下の方が多い。だから英気をもらっている。年寄りと付き合ってもらっているのがもうしわけないと思う事もある。

 もっと、若い人達と付き合うとなると、かなりエネルギーが要る。だから、イヤになる事が多いが、それを乗り越えれば面白い。勉強もしなければいけないし、雰囲気も考慮しなければならない。そして、自分が、いい気分になりたければ、心遣いが必要となってくる。私は下手くそ! でも挑戦し続ける。皆仲良くなれば、こんな幸せはない。



8/20 今日は私のバースデー。十二支でいうと6周りした事になる。本当にあっという間にである。ついこの間還暦とか言っていたのに・・・。 そのお祝いのメッセージの返事に結構時間を要してしまった。 (facebook、LINE、メールなど様々) でも、相手様も、貴重な時間を費やして送ってくださったのだから感謝こそすれ、面倒なんて思わない。嬉しいのが本音。 そして、まだまだしたい事がある。仕事も続けたい。出来れば怒らないで笑って過ごしたい。毎日の事だから 仏様のようには、なかなかであろうが・・・・。

 山にはずっと登り続けたい。それは、特別な事をという意味ではなく、自分にあった登り方を考えていくつもりである。雨でも雪でも行くスタイルは当分続けるつもりであるが、それはだんだんと少なくなっていくような気がする。来年から日曜日の全休を目論んでいるからに他ならない。



8/19 私のテントは、ゴアだから結露はしない。(定員を満たせばあるかもしれないが・・) でも、夜露に濡れてフライはベタベタ。(ちょっと未明に降ったようだが・・) そのフライを、そっと開けて空を見た。ガスに覆われているが、ちょっひり月が見え隠れしている。予報は午後から雨だ。どうしたもんだ。

 今ならまだ間に合う。剱岳を見に室堂乗越経由で、剱御前or別山である。「3~4時間あれば行って来られるではないか?」 の格闘である。雨のリスクと、あのガスの様子では見えないのではを考えて止める事にした。

 ところがである。行かないと晴れるのである。半分以上が青空になって来た。「う~ん」 となったが、「昨日見て来たじゃないの?」 それから、「ゆっくりがテーマでなかったの?」 に切り替えた。12袋のコーヒーがあと1袋になっていたが、夜明けのコーヒーを堪能した。カップ麺も食べた。菓子パンも食べた。後は、ぼーっと山を眺めるしかない。それを求めて来た筈なのに・・・

 私のテントとテーブルを挟んで2つのテントがあった。昨日、剱岳を登られ、その日の内に室堂まで行けたのであるが、アクセクするのもどうなんだろうと、剱沢のテントを撤収され雷鳥沢で再び設営されたようであった。

 ちょっとの事で話すきっかけを得た。やっぱり、そんなもんなんだろうか? いろいろと出掛けられておられるようであった。彼処へも此処へもであった。そうなれば、雪山  (大地・初雪山) と年輪 ( 歳の差) しか上回る事がない。😁  彼らは、お昼から仕事があるようで、撤収作業中の僅かな時間であったが、スマホの画像などを見ながら盛り上がった。男女二人パーティー、しかもテントが2張、何だか羨ましかった。

 正午のバスを目当てに室堂に向かったが、2つ前の臨時バスに乗れた。バスに乗った瞬間、6月に道後山(鳥取・広島)の駐車場でお会いした島根の中村氏からLINEが入った。彼は、5年前鳥取の大山山頂でお会いした方である。「太郎小屋から下山し温泉に入りました。高速で帰ります。」 の内容であったが、もしかしたら、お会い出来るのではと、何度となく連絡してみたが、中村氏から連絡があったのは、尼御前SAからであった。残念!



8/18 今日も、どうしようかとなった。3日間ゆっくりという気持ちの中に、奥大日岳と別山くらいは行って来なくてはという気持ちは始めからあった。2座とも剣岳を仰げるからである。しかし、またまた心と足が動いた。「ゆっくり歩いても(立山三山)、午後1時や2時には戻れるではないか?」 である。

 別山乗越(剱御前)まで気持ちよく歩けた。キャンプ場は元より、大日連山や立山稜線、高度を上げていけば、薬師岳や鍬崎山などと、お馴染みの山々である。笠ヶ岳・黒部五郎岳ではないかとなって行く。乗越に来れば、剱岳が、で~んとなる。もう、3年も遠ざかっている。50回はちょっと無理になってきた。 (現在32回)

 別山に来れば、やはり北峰まで行かなくてはなるまい。私は何処から見るより、別山からの剱岳が好きである。剱沢より全容が眺められるし、女性的というのであろうか、険しさの中に穏やかな雰囲気を醸し出しているからである。出来れば雪を頂いている春に眺められれば、もっとステキである。

 そんな中、愛知県から来ておられる小川氏とお互いシャッターの切り合いをして、行き先が同じと知り一緒してもらう事になる。小川氏は温厚な方で、決して私の前には出られない。そして、健脚である。真砂岳・富士ノ折立・雄山を順調?に経過したが、一の越に向かう途中、足が攣り始めた。恥も外聞もない。こればかりは、私の妙薬「山の空気」では治らない。

 それでも、小川氏にずっと待って頂いた。そして、最後の頂き「浄土山」に向かった。富山大学の研究施設がある前に、山頂らしい標柱があるがどうも怪しい。大概の人達は、南に進んで薬師岳や五色ヶ原を望むところで休憩する。平でファージである。

 やはり北側(室堂側)に、20m程降り、また20m程登り返した所に2,831mの標高点がある。そこが浄土山としているように思う。室堂山方面から登って来ると、そこを通過するので、とちらも踏む事になるが・・・

 時間がたっぷりあったので、小川氏に龍王山を勧めた。この頃は、インスタ映えを狙って登って来る方々が多いようだ。小川氏はどんな写真を撮られたのだろうか?興味深い。一の越に戻って、室堂側にちょっと降って、直接雷鳥沢に向かうルートを選択。ここは、登山者が少なく、キャンプ場に近付く辺りからチングルマが凄い。

 小川氏とは、キャンプ場でお別れとなったが、アドレスの交換をした。拙い我HPの事も言ってしまったが、小川氏は、その方面の大家なのだから、ちょっと恥ずかしいような気がした。でも、私のような者でも頑張っているのを分かってもらえれば嬉しい。すぐにビールを買いに行ってしまったので、小川氏夫人に、ご挨拶する機会を失ったのが残念であった。

 そのビールで喉を潤しながら、お腹にも何かを注ぎ込んでいたところへ、剱岳帰りの女性お二人が同じベンチに腰を降ろされた。何の魂胆があったわけではないが、「どう、コーヒーでも飲む?」 と言ったら、「本当にいいの?」 という返事が帰って来た。「山で出会う人、皆友達。」 そんなつもりで私はいろいろな方々とお話をする機会を得ている。コーヒーのお礼にと、返って彼女らの食材を頂いてしまったが嬉しく頂戴した。神奈川から来られた若い女性お二人であった。とても好感を得たがどうしようもないね(笑)

 まだお昼である。昨日の兵庫の若い衆に酒も食材も使い果たした? でも、酒以外はまだまだあった。そうなると、またまたビールを買いに行ってしまった。今日は、500ml4本になった。(計2,000円) 山を眺めながら、そして、日が暮れれば、星を眺めながら、こんなステキな時間を過ごせるなんて、若くロマンチックな事はないにしても、憧れや雰囲気などは幾つになっても変わらない。



8/17 立山ケーブルは、始発予定前から臨時便が動いていた。私の到着は、午前5時45分くらいであったが、6時30分のケーブルに乗る事が出来、8時前には歩き始める事が出来た。ケガをした「山ノ神」の同行もなく、これからの山行のあり方を、ゆっくり考える場にしたい思いがあった。

 「速く歩くだけが山歩きではない。」 いろいろな楽しみ方がある。今回は、3日間、雷鳥沢で過ごしても良いつもりで臨んだ。コーヒーやビールを飲みながら、山の中にいる喜びが味わえればそれで充分だし、これからは滞在型(合宿形式)も良いのでは・・・。

 しかし、テントを張り終えても、まだ午前10時前。またまた悪い癖というのであろうか、この早い時間からコーヒーだけで、また朝からビールを飲むわけにはいかないだろうの理屈が奏功したとでもいえるのか、奥大日岳に足が向かってしまった。

 新室堂乗越手前から劔岳が眺められた。しかし、ほんの10分ぐらいで恥ずかしいのであろうか姿を隠してしまった。いつもそうであるかのように、上昇気流が立ち込めない先に、稜線または山頂に達しなければ、夕刻か明朝まで現れてくれない事の方が多い。

 むろん、奥大日岳山頂はガスの中。でも、山頂に至るまでは、チングルマ・ハクサンフウロ・シナノキンバイ・トリカブト・タテヤマリンドウ・アキノキリンソウ・クルマユリ・ハクサンイチゲなどが目を楽しませてくれた。

 テン場に戻って食事の準備をしていると、兵庫から来たという26歳の同級生3名と意気投合というのだろうか、次第に盛り上がっていった。本当は、3倍近く歳の差があるのだから面白くはないのだろうが、こちらの物量(食材)に心が傾いたに違いない。それでも楽しかった。そして、星もきれいであった。



8/16 午前中は気まずかった。「山ノ神」が、無理難題を持ち掛けてきたが、当たり前と言えばそうかもしれない。そんな事もあって、お昼前から、七尾市の鵜浦から観音崎(内海)に車を走らせた。山派の私には似つかない所であるが、「山ノ神」を怒らすわけにはいけない。抜糸が待っている歯科医にも付き合った。

 こうなればこちらのもの。明日から3日間雷鳥沢キャンプに出掛ける。本来なら剣沢まで行くのであるが、今回だけは、一人でゆっくり過ごしたいと思っての事。もう、疲れるのはイヤになった。のかもしれないし、静かにと言っていても、誰かとお喋りをするかもしれない。

 でも、只々、大自然の中で、ゆっくり過ごし、いろいろ考えてみたい。お酒を飲みながら、考えれるのかは分からないが、それはそれである。 何せ140歳まで、元気で生きながらえなくてはいけないのであるから、こころの洗濯とでもしておこう。



8/15 エアコンのない部屋に何の躊躇いもないが、熱帯夜と言えども30℃超えでは、さすがの私でも、ぐっすりとは眠られない。予定の時刻に目を覚ましたが、何処か可笑しかった。そして、スタートも遅れてしまった。まだ降らないだろうから、牛岳の方が展望が効くと思っていたが、午前8時過ぎには戻れないと思い八乙女山にした。

 砺波市郊外から朝焼けの写真を撮った。大平展望台から牛岳を撮ってみた。八乙女峠からも撮ってみたが、山よりも雲の色や形に視線が向いていた。歩き始めは、寝不足・寝起きなどから足が重かった。それよりも、もしかしたら何処かで倒れるのでは無かろうかとさえ思った。

 でも、次第にいつもの歩きに戻っていった気がした。「山の空気」は、私にとって妙薬。歩く事は、未来への礎。 5日間の休日を全部使わない。そして、2日間は「山ノ神」の要望を聞くとなっていたので、よそよそと家に戻ったが、特別のお出掛けはなかった。終いには、気まずくなったので、風呂掃除をして気を紛らわせた。



8/14 暑い!とにかく暑い! エアコンがなく、風も入らない部屋で寝ているから、汗びっしょりの毎日である、そして、本当に寝ているのか疑わしい。だから、日中は、すぐ眠たくなる。

 今年の盆休は、珍しく5連休としたが、先日の「山ノ神」の負傷で、計画が大幅に狂ってしまった。そこに台風が加わるのであるから尚更である。しかし、過去の盆休を振り返ってみると、必ずしも好天に恵まれ、また計画通りになったとは言えないようである。

 まだちょっとでも出掛けられる。そして、僅かな時間でも自分のものに出来るのであるから、幸せだと思わなければなるまい。明日も明後日も、皆が寝ている時に出掛け、起きる頃に帰って来られれば何の文句も出ないであろう。でも、熱帯夜続くのでは思うように事が運ぶだろうか?



8/13 暑かった大日岳であったが、戻ってビールは飲めたし、身体は何ともない。本来なら8/15~19の休日を、どの山で過ごそうかとなるのであるが、今夏はそうはいかない。「山ノ神」の抜糸 (歯の治療) の日が8/16となった。車の運転にまだ自信のもてぬだけに、私が送迎をせねばなるまい。また、一日くらい付き合えと言われているので、台風の事もあり、単独の私の山行は、8/17~19にずれ込みそう。

 とは言え、8/15・8/16も、やり方次第では、近間の低山へ行けない事もないような気がする。また、母校が甲子園で勝ち進んでいる。テレビ観戦があるかもしれない。しかし、一回戦は、東北遠征の帰りラジオで、二回戦も大日岳の帰りで車の中。じっくりテレビ観戦で勝ったためしがないだけに、何処かへ出掛けていた方が良いかもしれない。



8/12 称名道路のゲートは午前6時前から開いていた。それだけ多くの登山者が押し寄せていた事になる。暑かったが、厚い雲に覆われ展望はイマイチだった。大日平から最初の水場くらいまでは、かなり順調な歩きで、当初の計画登り5時間、降り4時間を遥かに上回っていた。

 ゆっくり歩きに心掛け、水分を充分に取る。コーヒー好きな自分であるから、水は3L、出掛けに「山ノ神」から、凍ったペットボトル1本と、小型のテルモスを渡されたから、ちょっと重さが膨らんだ。そのような事は理由にならないが、やっぱり次第にペースが落ちていった。そんなところに、一人の女性に追い付かれた。「何処から?」 と尋ねたら、魚津の返事。何となく、二度お会いした (と言ってもそんなにお話はしていない。) 「下司女史かな?」 と問うとそうだと言われた。

 そうなると、何十年来の友達のように、一緒してもらう事になる。話せば、それこそ、湧いてくるようなもので、次から次にである。大日岳の山頂で食事も一緒して頂いた。そんなところに、一人の青年が走るようにやって来た。先にやって来ている女性の友かと勝手に思い込んでいるもので、シャッターを切ってもらった女性に申し訳なかったと言っていたが、全くの勘違いであった。

 しかしである。その青年(藤林君)と馬が合ったのか、私達に合わせてくれたのか分からないが、降りは、ずっと一緒してくれた。調子に乗った私は、無口なのを忘れてしまい、ずっと喋っていたようであった。でも、楽しかった。「若いって、本当にいい。」 最近、山を始められたようなのだが、ずっと、このまま山を大好きになってくれたらと思わずにはおれなかった。

 ずっと、一緒してくださった、下司女史にしても、この若者と一緒していた事に楽しくないはずはなかったと思う。大日平山荘でコーヒーを振る舞うと言っていたのに、山荘で水を買わなければいけないようにしてしまい申し訳なかったと思っている。初期の冬山(雪山)入門のお手助けは出来ると思うので連絡ください。あっ、お二人の連絡先も知らないのであるが、縁があれば、また再会もあるだろう。



8/11 明日の休日は、遠い所へ出掛けないを条件に単独の許可が出た。お金が掛からなくて、ちょっと高いところで、大日岳が適当かなと思っている。でも、この暑さだから、水をたくさん持って、ゆっくり歩きを心掛けたいと思っている。盆休(8/15~19)は、5日間を全部使わないとの条件で合意したが、お天気が気掛かりである。



8/10 「山ノ神」の前歯3本抜く羽目になった。残念だが仕方がない。早くまともな食事が出来るようなれば良いのだが・・・ そして、まだまだ人前に出たがらない。仕事が出来ないのだからやむを得ない。



8/9 今度の休日(山の日の振替休日)は、白馬岳か白山の予定であった。8/15~19は、ゆっくり北アの山に浸かりたいと思っていた。ところが、今回の惨事で計画が、パーになる可能性が出て来た。「山ノ神」は、自分の事が出来るのであるから、私だけでも、休日の有効利用と投げかけているのであるが奏功しそうにない。

 でも、盆休を2つに分ければ、何とかなるような気がする。山の日も仕方がないと思わせればよい。「私だけが楽しむのが許せない。」 らしいが、それなら、「早く治せ!」 である。何でもない所での事故なのであるから、これからは、もっと注意して歩かなければいけないのであろう。



8/8 まだ疲れが取れないのか眠たい。そして、「山ノ神」は仕事は出来ない。車の運転も自信がないからと出来ない。まだ何とか食事を作ってくれるから助かる。過去にも雨飾山で墜落。犬ヶ岳で雪渓から滑落。でも、実際は、私の方が仕事出来なくなったのが多いかもしれない。指・甲・腕などの骨折が何回となくある。動かさない期間が長いほど、イザ動かそうと思っても動かないのである。



8/7 午前1時頃家に戻った。濡れものだけ片付けて風呂に入って寝たが2時半頃であった。そして、準備や気に掛かる事があったので、5時半頃に起きた。座ったら眠ってしまうほど眠たかったので、ずっと動いていた。「山ノ神」の打撲した顔が、ますます黒くなってきた。肩が痛くて上がらないという。食べないわけにいかないから、お粥を作っていた。まだそのような事が出来るから良いほうかもしれないが、ねじったり挙げたりは出来なかった。

 すぐに病院・医院に行くように勧めたが、「山ノ神」は、なかなか腰を上げなかった。ようやく午後になって行くと言い出したが、何処へ行けば良いのか分からない。仕方なく総合病院へ行ったが、紹介状がないし、午後の診療はない。でも、対応してくれた看護師は、とても親切で話を聞いてくれ助言をしてくれた。

 結局は、紹介された開業医に出向いた結果、肩の骨にヒビが入っている。2週間後MRIを撮るとの診断で痛み止めだけ。「肩を動かすな!」 との事だから仕事は出来ない。「顔は別の病院へ行ってください。」 だから仕方がない。



8/6 午前4時頃起きてコーヒーやスープを飲んで、コンビニでおにぎりを買ったものの、また戻って来て道の駅付近から赤坂峠に向かった。この暑さからか、また簡単に登れるからであろうか、私達が一番乗りであった。黙々と歩くだけで一合目から九合目までの標識をこなした。八合目付近から、シャクナゲの木が多くあり、そのシーズンに来られれば最高なんだと思った。

 石楠花荘という避難小屋を利用しなかったが、バイオと思われるトイレと共に整然としていた。ベンチもあり、休憩場所には最高の所に思えた。その先は、シャクナゲの群落を潜って10分ほどで日枝神社が、またその先のなだらかな(高度感がない。)ロープの張ってある中を、またまた10分程歩いた所に三角点と山頂の標識があった。

 地理的に見て、三陸のリアス式海岸の眺望が見られるのではと思っていたが、その方面の展望はイマイチであった。山頂では、北海道の山を登り終えて、福島に帰る途中に寄ったという菊池氏と少しお話が出来た。山で出会う人達は、私と同年代より、少しずつ年下の方が多くなって来た。

 暑くて汗がタラタラと滴り落ちる天候であったが、5人の方々と擦れ違った。「このくらいの山だと、少々年齢を重ねても登れるね!」 と快適に下山中だったのだが・・・・ 4合目を過ぎた何でもない所で、「山ノ神」が前のめりに転倒した。顔面を強く打ったようだった。起き上がろうとしたがなかなか動けなかった。部分入れ歯が飛び出して、口の中が切れたようで出血していた。顔は泥だらけ、服もズボンも泥だらけ、ようやく起き上がったら、擦過傷はないにしても、顔全体が痛いようであった。手を出して持ち上げようとしたが、肩が痛いようであった。でも、歩けるようなので助かった。後1時間のところであった。

 赤坂峠に戻って、すぐに高岡へ戻ろうか、計画通り海岸線を走るかになったが、「山ノ神」は、「もう来る事などないかもしれないから、復興の様子を見たい。」 と言ったので、釜石方面(三陸町)に向かった。三陸町から大船渡・気仙沼までの予定が、石巻・仙台港、そして、白石で東北道に乗った。

 「山ノ神」は元気がなかった。ドアを開け締めするのも大変。物を食べるのも大変だった。口を切っているからもしれないし、歯が曲がったのかもしれない。肩も上がらない。冷房が寒いとまで言い出した。東北から磐越を経由して北陸道に入ったが遠く感じた。睡魔との戦いもあった。



8/5 今日は2座目の森吉山である。花の百名山であるが、時期的には、ちょっと遅いかもしれない。登山ズボンがないため、日焼け止めを足にも塗ったが、いい加減な塗り方だったのか、結構焼けて痛い。また、キャンプ地の食事でも結構気を遣った。

 予定では、森吉山高原キャンプ場・こめつが山荘辺りから登るつもりであったが、服装の配慮から阿仁ゴンドラを利用する事にした。特別の事がない限り、ゴンドラやリフトなどの乗り物を乗らない主義にしているが、今回ばかりは山頂に立つために仕方がなかった。

 ゴンドラに乗るのは、距離的にはちょっと手前だし、運行時間的にも急がなくてよい事になった。しかし、カーナビは、「阿仁道の駅」 付近でとんでもないところへ導き、かなりの時間右往左往しなければならない羽目に陥った。しかし、冷静に判断すれば、立派な道に辿り着く事が出来る。

 ゴンドラの所要時間は結構長い。だから暑くて息苦しかった。今日も仕方なく短パンである。それに気持ちだけであるが、虫除け対策として ”ウチワ” を持参した。「ゴンドラを利用すれば森吉山なんか簡単だ!」 と言っていたが、そうもいかなかった。例の如く、「もう少し・・ もう少し・・」 と言いながら「山ノ神」を引っ張った。

 花の百名山とは言え、ハクサンシャジン・クルマユリ・ギボウシだけが目立った。お花は、こちらの都合に合わせてくれない。それを望むのなら、また出直しすれば良いだけの事。それでも、擦れ違う人達と、また、抜きつ抜かれつの人達との会話も楽しい。いつもこんなのなら、平和なのにである。

 山頂で、諏訪部女史一行と出会った。賑やかで楽しそうなパーティーである。昨夜は、休暇村のキャンプ場で、同女史と「山ノ神」が話をする機会があったらしく、またお会いするとなると、旧知の仲のような感じになるから不思議なものだ。山頂から山人平に向かってちょっと降った所に、ニッコウキスゲの群落があった。今回黄色い色を初めて見ただけに、とても新鮮に思えた。

 ゴンドラ駅に戻ってからである。当初の計画では、先に予定していた森吉山高原でキャンプする予定であったが、今更そこへ行って泊まる事もない。ゆっくり観光しながら南下するのも一つであったが、前々から、五葉山にも行けないかと模索をしていた事があった。今回は、一日前倒しになった事もあり一気に浮上した。

 五葉山は、いろいろ計画するに離れた所にある。でも新たに出掛けるのも結構もったいないの気持ちがあった。それと、「あの大震災後の復興はどうなっているのか?」 「見てみたい。そして、何かを食べたり買ったりしたら、現地の人達の応援になるのでは・・」 があった。ましてや三陸海岸などは、足を入れた事のない地でもあった。

 五葉山の赤坂登山口まで、200キロ程である。東北道に乗って釜石道に入った。古い地図には乗っていないし、今日は何処で泊まるかも決めていなかった。当てずっぽうで住田町(岩手県)にしたが、やがて薄暗くなってしまった。コメリがあった。GSに行っている間に「山ノ神」が、コメリで作業ズボンのような物を買ってきてくれた。

 今更、登山口に行くのもおっかないし、道の駅を探した。最短でも20キロである。「道の駅さんりく」に行く事にしたが、大船渡から釜石方面に向かわなくてはいけない。それなら、始めから釜石道で行けば良かったのかもしれないが、そんな事がわかるはずもない。そして、またビールを買いに行った。



8/4 高速は朝日ICから。ちょっとでも安くあげようという計らいである。北陸道・日本海東北道を経由し、まほろば朝日の道の駅で仮眠。仮眠と言っても私はあまり眠られない。午前4時にスタートし北上。古い地図とカーナビも新しくないので、スマホナビを活用したが、よくわからないまま、田沢湖に出、目的地の乳頭温泉に着いた。

 休暇村のキャンプ場を利用する予定であったが、午後からでないと利用出来ないと言われ、予定を前倒しにし、乳頭山(烏帽子岳)に登る事にした。ところがである。またまた大失態である。登山ズボンを忘れて来たのである。日焼けや虫刺されの事を思うと、短パンはいけないのであるが、ここへ来て登らないわけにいかない。

 大釜温泉を経由して孫六温泉から登り始めた。日曜日だからであろうか、それとも三百名山であるからか、意外と登山者は多い。樹林帯を抜けると、アオモリトドマツが目立つ。そして、東北北部特有の穏やかな山容が飛び込んで来る。山頂は、岩がゴロゴロしていて、片側が切れ落ちている。もうちょっと時間を掛けられれば、秋田駒ヶ岳までの縦走路もいいかもしれない。

 山頂で宮古(岩手県)から来られた榊原氏とお話をする機会を得た。そして、下山を一緒させてもらった。休暇村からかなり離れた所にキャンプ場がある。手続きをし、設営を終えてから、また休暇村本館に戻り入浴、そして、20キロ以上離れたコンビニにビールを買いに行った。なにはともあれビールである。(二人で500ml 6本)

 キャンプ場は空いていた。私達はフリーという所での設営であったが、サニタリーの設備は整っていた。(炊事場・洋式トイレ・洗濯機・コインシャワーなど) 疲れていたのでぐっすり眠られた。



8/3 今回の東北遠征は観光的山行の色合いが濃いとは言え、そんなに余裕はない。精々、田沢湖・角館くらいである。もしかしたら、帰りも夜行となる。そして、初日は、車で仮眠、そして2泊ともキャンプの予定である。きっと、疲れ果てて帰って来るだろう。



8/2 忘れ物の多い私達は、明晩から出掛けるため、いろいろと車に詰め込んでいる。その時の思い付きで、あれやこれやと車に入れている。それでも、なかなか忘れ物ゼロとはいかない。そんな時、娘がやって来て、明日は有峰に行くという。詰め込んだ荷はどうしよう? 崩れないようにして、そのまま貸し出そうか? いやいや、全部出して、思い付いた物を追加せねばならない。何もかもいっぺんに出来ないようになって来ている・・・・ 悲しい事だ!



8/1 仲間からミョウガ採りの誘いがあったが、「山ノ神」の強い要望を加味し、8/4~8/6まで、東北遠征する事になった。一日一座の欲望を抑え、今回は割りかし登りやすい山(森吉山・烏帽子岳(乳頭山)だけに、観光山行の色合いが強い。とは言え、8/3の夜に出発する事から、止めようとしている夜行運転が付いて回る。

 今回、「山ノ神」に答えた感じになるから、盆休(8/15~8/19)は、私の意見を通してもらうようにする? しかし、それもお天気次第になるが、例え、全休日日帰り山行になろうと、北アの山々か富山の山にしたい。出来れば、高い所で涼しく過ごしたい。それも、長くである。問題は食料の補充である。いろいろと考えてみたい。その計画を練るのも楽しみの一つでもある。