12/31 今年は、いろいろな方々と知り合いになりました。だんだんと知人が欠けていく中、私としてはハッピーというしかありません。奢らず謙虚でいれば、長い山の仲間としてお付き合い出来るような気がしております。長いようで短い人生ですが、ずっと、山と関わっていきたい気構えでおります。山でお会いしたら、声を掛け合いましょう。そして、来年も宜しくお願いします。



12/30 この年末は、土日から休みに入っている方が多いようだ。8連休9連休になる。やっぱり山に行っている方々がいる。お天気によって泣き笑いがあるようだが、行けるだけでもいいし、その意欲に敬意を称したい。さすがに高所へはないようであるが、一年の総決算と意味合いもあるのだろう。

 個人的には、今日を含めて後2日我慢すればいいのだ。元日から7連休だ。荒れそうだ。雨かもしれない。雪が少ない。ムードは良くないが、やっぱり出掛けてしまうだろう。行けない。行けなくなったらお終いだ。



12/29 各地から少雪、雪不足の便りが届く。スキー場には本当に申し訳ないが、山歩きには、寂しいけれど仕方がないと思うしかない。アウトドアは、自然相手であるからにして、豪雪もあれば少雪もある。雨も嵐もなど如何様にでも対応出来なければ、真のアウトドアマンにはなれまい。

 そして、いつかは必ず降る。待つか待たないかは、その人それぞれであるから、何とも言えないが、また、新しい発見があるやもしれない。自分の知っている山で、オールシーズン、好天も悪天も経験しておくのもいい。イザという時には訓練以上の事は出来ないと聞いている。



12/28 大阪の長男がやって来た。と言っても、すぐに何処かへ出かけて行った。また夜中に帰ってくるのだろう。まあ~、息子というものは、そんなもんかもしれないね。そして、二男は来ないらしい。まあ~来ても、晩に食事をするかしないか程度で、”あいそんない(愛想がない)” もんだ。こちらも、来ようが来まいが、山へ出掛けるのであるから、”あいこ” かもしれない。

12/27 大晦日から3~4日に雪マークが付いたと思ったが、雪か雨か分からないくらいの予報である。でも、「山では雪」 と、可笑しいくらいに安堵している。「降る降らない。」 「雨か雪」 によっては登り方が、いや、行き先が変わって来る。

 さほどの技量もなく、日照時間が短い中での歩きだけに、口ほど選択肢が多いわけでもない。下降気味の体力に鞭打っての山行、でも、「まだまだ・・」 とか、「負けてたまるか」 心意気だけである。それでも、その心境は尊いものだと自分に言い聞かせている。



12/26 この歳になると、いろんなところから、また、いろんな事でアドバイスを求められる事がある。私は、学も経験もなく、その返答に困るが、「何事においても、思うところがあれば、それを貫き通す信念があるかである。どんな事があってもブレない事である。」 と、分かっているようなに述べる事がある。

 語る方は、答えを求めるのではなく、頷いて欲しいだけなのかもしれないし、その対応は本当に難しい。信頼関係云々かもしれないが、意外と関係のない方に意見を求める事があるやもしれない。それも、聞いて欲しいの類のような気がする。

 「私に何でこんな事を・・」 と思う事がある。それもその類なのかもしれない。でも、頼られると嬉しくなるものである。そして、余計な事を発してしまう。何もかもがパーになる。人生とはそんなものかもしれない。



12/25 今年の山歩きは終了と述べているからであろうか、「来年の元日山行は何処へ?」 と聞かれた。まだ時間があるから、「お天気次第だね!」 と答えている。今年と昨年は、「千石城山」 その先の3年間は、「尖山」 そのまた先は、「二上山」と「尖山」で、平成16年から続いている。

 中には、「八乙女山」や「城ヶ平山」もあった。平成15年より先は、元日登山ではなく、2日~4日の登り始めていた。もっと違った山もあったのかもしれないが、昭和42年の正月から、新年会は1/1(元日)と、決められた行事があり、時間を考えての山行となっていたのである。

 その新年会(高校時代からの仲間)も、最近は、その規模が小さくなり、開始時間も午後5時からとなっている事から、立山町でも上市までも出掛けられるのである。天候次第と述べているものの、余程でない限り来年も出掛けるつもりです。元日山行の折にしかお目に掛かれない人達もあるのですから・・・

 来年から、自分の休日(休業日)を、毎週日曜日・月曜日、そして、(第1火曜日も)にする事から、1/1~1/7の7連休となる。毎日出掛けるのであるから、そうガツガツする事もないような気がする。今の予報では、お正月の雪量も少ないようである。連休の中での低山キャンプも流れそうな気配である。



12/24 昨日の大鷲山は10回目となった。春木山・唐松岳・奥大日岳に次いで、10回に達したのは今年4座目である。10回以上は52座に達したが、100座となるとまだまだ遠い話である。今年行けなかった三ヶ辻山を含め南保富士・駒ヶ岳(越中)・高頭山は来年到達させたい。

 そして、早乙女岳・大品山・金山・天狗原山も、その機会を狙いたい。50回に達した山は、大好きな大地山を含めまだ7座。人形山(41)・白山(40)・大猫山(38)だから、まだまだである。しかし、来年からの休日増で悲観論は払拭されるかもしれない。後は、自分の体力と「山ノ神」との調整にかかる。



12/23 私としては今年最後の山行であった。怪しい予報でも行くと言ってくれた仲間と大鷲山を目指した。大鷲山は駐車に苦慮するが、今回は、海岸の堤防付近の停め、正しく0mからのスタートなった。通常は積雪期・残雪期の大平からのルートが主であるが、最近は国道8号線からのルートが整備され、ガイドブックにも掲載される様になってからは、通年登られるようになっている。

 私達(北ちゃん・マキちゃん・山ノ神と私)も、今回このルートを利用させてもらった。昨夜来の雨で、ヌルッとする所もあったけれど、全般的には整備された気持ちの良い登山道であったように思う。全員が、このルートは1~2回しか経験がなく、大鷲山の概念は、積雪期に海を眺めながら登る山だという認識であった。

 雨を懸念していたけれど、当分降らないような気がしていた。中間点となる烏帽子林道には、一台の車が停まっていた。こんな日にやっぱり登る人がいるもんだと思っていたが、その先を進み雪が現れた頃に、一人の女性が降りて来られた。ちょっぴりお話をすると、ショッチュウ登っておられるとの事、そして、お話が進むに連れ、私の名を知っておられる事に感激をしてしまい、一緒にカメラに収まってもらった。

 地元に住んでおられる大田さんと言われた女性は、私より4つも年上の方であったが、私よりも元気そのもののようにお見受けした。私より目上の方と遭遇すると、何だか嬉しくなってしまうのは何故だろう。きっと、自分もその歳くらいまでは元気でおられると思うからかもしれない。そんな事を思うと、もっともっと元気で歩いてもらいたいと私の願望が欲を表す。

 大鷲山頂は、風があったので、少し下がって登山道の真ん中で食事をしていた。そんな所へ、またまた魂消てしまうほどのカップルが現れた。何でも2人合わせて150歳だと言われて驚いたが、自分も、もうすぐそのような年齢になる事は間違いないが、果たして山を歩いているかという事になる。

 お二人は、藤井さんと長崎さんと言われたが、大鷲山に一年中、また、毎日のように登っておられるというのだからびっくりであるし、雨でもかと問うと、そうであると言われるから参ってしまった。世にはいろいろと凄い方々がおられるのである。凄い人になる手っ取り早いのは、元気で長生きする事が一番である。そして、何か身体を動かす事をやればいい。

 好山病友の会の行動は、かなり少人数となっているが、それでも、集うと楽しいし嬉しい。こうして付き合ってもらえるのは元気であるからである。友達を自分から減らす事などない。自然に減って行く。減らさないように努力するのが、長生きへの一つの道でもあるような気がする。



12/22 明日は降るか降らないか賭けのようなものだが、大鷲山に向かう事にした。降られたら降られたで、途中変更も有り得る。また、登る前に雨になったら、違った山に変更するかもしれない。どちらにしても、今年最後の山行となる。



12/21 今年最後の山歩き(12/23)を、何処にしようかと考えているが、お天気はあまり良くないようだ。北陸の空だから仕方がないところもあるが、せめて降らないでくれないかと思ってしまう。雨予報になると、選択肢がいっぺんに狭められる。



12/20 何ともないがイヤな感じである。早朝に東京へ出掛ける娘家族を、新高岡駅まで送る約束をした事もあるが、眠られなかったというのか何度も目が冷め眠った感じがしていない。今夜は町内の三役会があった。すぐ寝ればいいのにお酒を飲んでしまう。そして、起きていて何かをしようとする。こんな事をする年齢でないのかもしれないが・・・



12/19 突然、目の前が暗くなった。額には汗が・・・  どうしたんだろう。今は何ともないのだが、何かの前兆なのだろうか? でも、こんな事ぐらいで負けてたまるか!



12/18 昔ほどないにしても、師走というのは何かと気ぜわしい。でも、今年は年賀状を既に投函しているし、この後も、今までにない程順調にいくような気がする。ギリギリになって飾っていた天神様も25日にはお出ましになりそうだ。そして、23日が今年の登り納めとなる。

 只、この年末になって、お風呂の調子が悪い。朝風呂の後、柔軟体操を行っていたライフスタイルが壊れてしまった。もう一つは、町内会の新年会の段取りに頭を絞らなければならない。そう言いながら、山の事しか頭にない私であるが、否応なしに一年が終わっていく。



12/17 「山はいい。」 「ずっと登り続けてたい。」 ちょっと落ちて来た体力に鞭打ってでも行きたい気持ちは、何らかわらない。ずっと以前は、「這ってでも行く。」 を述べていた。実際、松葉杖で登っておられる方を見た事もあったから・・・

 このところ、雨に打たれる機会が多かっただけに、一昨日は予報通りにはならなかったけど、でも、昨日は、最後まで晴れていた。私は、もっと長く、そして、いろいろな山にも登りたい。大好きな山には何回でも登りたいと、欲はまだ旺盛である。

 そんな中、怪我や病気で頓挫される方々が現れて来た。そうでなくても、腰痛・膝痛などで、休養せざるを得ない方も出て来ている。そんな事を思えば、ちょっとのスタミナ切れなどは些細な事である。夢と希望を持って明日に立ち向かいたい。



12/16 「明日は何処の山に行くのですか?良ければ一緒したいのですが・・・」 というガリ君からのメッセージに金剛堂山へ一緒する事になった。もちろん、「こちらはロートルそんなに速く歩けない。」 との了承をもらっての同行であった。

 ガリ君との山行は、何故か晴れが多い。(彼は晴れを選んでいるというが・・) 今日もピーカンであった。雪は少ないけれど、小枝はそんなに煩くなかった。そして、私達の歩きに辛抱強く付き合ってくれた。感謝である。いつもなら、途中で「止めた。」 という「山ノ神」であったかもしれないが、今日ばかりは、そのような言葉は言えなかったに違いない。

 他に誰も上がっては来ない山頂は、遠くにはあるものの連なる北アの眺望をイヤというほど楽しませてもらった。登られた方なら分かると思うが、乗鞍岳や御嶽山もである。反対側で白山と幾つもの名山を一時に眺めたのであるから、山好き冥利に尽きた感があった。



12/15 国少の家を過ぎても雪は殆どなかった。城前峠付近から小さな轍があり、ライオンズの森の標識を過ぎて、しばらくすると一気に雪量が増えた。前行く車が立ち往生していたが、そのグループは山凱会の皆さんであった。ようやく長尾峠に到着した時、「元さんでないがけ!」と声を掛けてくださったのは、何年か前、鳥取の大山でお会いした方々であった。(山凱会のメンバーの方)

 もちろん主宰される谷口さんもおられたが、恐れ多くて、ずっと後から少し離れて行った感じとなった。今日もカンジキとスノーシューを用意したが、使わぬ感じを察しカンジキを担いだ。しかし、使用せず最後までツボ足となった。積雪は40cmくらいだったろうか?

 山凱会グループの中に、地元テレビの山番組で出演されている女子アナの方がおられた。特別お話する事もなかったが、ちょっとだけ大地・初雪山のPRしておいた。まあ~、特別の縁でもなければ、お会いする事もないか!

 出掛けの予報は晴れだったが、だんだんとガスが湧き、最後には剣岳どころか、何にも見えなくなってしまった。明日だって、行ってみねば分からない。「山のお天気」だもん。 今日は、「山の空気」を吸っただけハッピーだった。と思えば、何ら悔やむ事はない。



12/14 明日未明 「ふたご座流星群」 とか、私は嫌いではないが、星の事など、さっぱり分からない。でも、きれいな事は分かる。これを山で見れば、分からないなりにも素晴らしいと思う。 さて、明日は何処へ行こうか? どれだけ雪があるか分からないが大辻山にしょうかな?



12/13 富山在住の女性二人から、同じ日に金時山の画像をもらった。同じ日と言えども、もしかいたら日時は違うのかもしれない。新しい頂きを目指されたのか、それとも、もう一度富士山を眺めに行かれたのかはわからない。どちらの方も、ちょっとの時間を惜しんで何処へでも出掛けられる方々であるが、その点は、見習いたいと思ってしまう。

 明日は、お昼ごろから時雨るという予報であるが、夜の内に雨(山沿いでは雪)が上がり、私の休日(日月)は、晴れマークが付いている。さて、何処へ行こうか?もう何処でもいい。年末には、寒波がやって来るようだ。その方に期待したい。



12/12 2日間アルコールを飲まなかったら身体が狂った。大概の時間を年賀状作りに費やした事が影響したのかもしれないが、アルコールという毒を抜くのが良い方向にならなかったのかもしれない。また、就寝時間が少なくなったように、ライフスタイルの異変によるものだろう。

 そして、まだ大腿部が少し痛い。もちろん生活に影響があるわけではないが、近年になかった事である。餅をたくさん食べたから(歳を取ったから)であるが、あの程度でと少し落胆している。スノーシューを履いて、また深みに嵌って、日頃使わぬ筋肉を使ったからに違いないが、これしきの事で嘆く自分が情けない。



12/11 こんなにお天気が続いてしまっては山の雪が心配になる。外界では、暖かく燃料代の事を思えばハッピーなんだけど、雪で遊ぶ者にとっては心穏やかでない。そしてまた、素晴らしい北アの山々が、絶景を醸し出せば、これも家中にいる者にとって精神衛生上宜しくない。

 一昨日の人形山は、降雪があったばかりで、しかも快晴であった。それこそ雪が眩しかった。このところ、雨にばかり遭っていたので、久しぶりのご褒美を頂いた感じであった。何もかもが自分の思う通りにはならないのが常であるが、”暖冬” が脳裏を渦巻く。

 暖冬の定義は、平均的に気温が高いのであって、雪が降る降らないと違うらしい。暖冬でも一時に大雪が降る事もあり、後に降らないという事らしい。最近は、温暖化という文言が目立つが、ずっと以前でも、そんな事が何度となくあったような気がする。私達が生存している短いスパーンだけでなく、長い次元で考えれば、果たしてどうなのかわからない。

 サンゴ礁の小さな国が水没するかもしれないというニュースを見るに至ると、やっぱり直近の問題なのかもしれない。雪山にイノシシが出没したというニュースも、その類なのだろうか?



12/10 私の年賀状作りが佳境に入った。先週に3工程の印刷を終え、今は、一人一人のお顔を思い浮かべながら、短文であるけれどコメントを書き続けている。世には、いらない。出さない。止める。など、いろいろな考え思いを持っておられる方々がある。私はそれを否定しないし、一方的に出し続けているのもある。

 それは、一年に一度の自己アピール機会だと思っているし、「元気でいます。」との安否情報でもある。そしてまた、この機会だから許されるだろうとの思いから、なかなか書けない事もドサクサに紛れて記している。「会いたいけれど仕方ないね!」 「遠くから幸せを祈っているよ。」 などなど。

 そうして、一年が終わり、また新しい年を迎える。誓いでもあるし、希望を述べる事もある。時には、感謝を込める事もある。もちろん元気でおられるのかと問うのもある。在り来たりのたった一枚の年賀状であるが、400枚の中で、少しでも私の思いが伝われればいい。



12/9 一緒してくれるという周さんと人形山へ。林道に轍があったもののカチカチ。それも中根山荘まで。そこからギアチェンジして無理矢理登山口まで車を入れた。快晴、そして、銀世界である。ちょっぴりスノーシューやカンジキを担いだものの、すぐに装着しなければならないほどの雪量だった。

 深みに嵌ったり、雪の重みで倒れている木々を起こしたり、それを避けたりで、次第に疲労が溜まっていった。登り始めは、山頂まで当然の如く行けると思っていたのが、だんだんとトーンダウンして、三ヶ辻山との分岐までとなり、終いには、宮屋敷跡まで行けるのかとなっていった。

 積雪は、目測であるが、40~100cm(最深120cm)はあったであろう。第二休憩所を過ぎた頃から、荷の重さもあるのだろうが、周さんと私のペースが落ちた。ところがである。奇跡が起こった。「山ノ神」が、宮屋敷跡まで、ずっとリードしていったのである。登山口を午前7時50分にスタートして、宮屋敷跡に着いたのが、午後1時を回っていた。その先は、とてもじゃないけど行けなかった。



12/8 いろいろと迷ったが、明日は人形山へ行く事にしました。何処まで行けるかですが、まあ~、焦らないでゆっくり行ってきます。周さんが同行してくれるようですが、ゆっくりペースに合わせてくれるかが心配です。

 人形山になった経緯は、「山ノ神」に、大辻山・大倉山・金剛堂山・人形山を提案したのですが、言葉の弾みで、短い距離(時間)や簡単な所ばかりの一言が、気に入らなかったのか、「人形山でもいいですよ!」になってしまったのでした。帰宅時間の条件があるものの、ちょっぴりウエイトが落ちる歩きが出来るかもしれません。



12/7 靴下や手袋など登山用具が結構綻びている。コッヘルの蓋が上手く噛み合わない。取手もすぐ外れる。コンロがぐらぐら。リックカバーがボロボロ。探せばいろいろと出て来る。いろいろな物で代用、もしくは修理で凌いでいるが、登山靴や雨具、そして、スノーシューなどは、高額となるため、なかなかすぐには買えない。

 しかし、ずっと山に入るのだから、大事な物はケチるわけにもいかない。命に関わって来るからである。今まで、ちょっとした稜線歩きでも、登山ズボンに下着のパンツだけで良かったのに、最近は、タイツ、もしくは雨具を纏わなければ、すぐに足が攣ってしまう。

 テントの中でも、地べた(雪上)の冷たさに負けてしまう。それに対応するとなると、どうしても、荷が重たくなってしまう。一晩や二晩寝なくとも死にやしないと豪語していたが、今では通用しなくなってきている。コンパクトで軽いものを探せばいいのだが、アルコールを減らせば、すぐに解決するのだろう。



12/6 今日の雪期待は、チラチラも、ほんの一時で肩透かしを食った感じだった。それでも、県東部や山沿いでは降ったようである。この先も、はっきりしたお天気ではないようである。しかし、予報が本当なら、私の休日にお日様マークが出ている。

 ならば何処へ行こうかとなる。大辻山・金剛堂山や上市方面の低山が候補となる。午後5時まで帰宅しなければならない条件があるが、車が少しでも奥まで入れるのなら、やっぱり大辻山になりそうである。この先の降雪次第であるが、仮に林道歩きで終わっても、それはそれで、クタクタになればいいだけの事。



12/5 標高の低い所まで降雪があったのだろうか? 山へ行く者にとっては気になるところである。明日は、もしかしたらと、平野部でも雪予想をしているが、積もるまではいかないのではと思ったりしている。どちらにしても、この時期の登山道は、木々を払い除けての歩きになるのは必死。

 相当降らないと、好きな所を歩くには至らない。それでも、降雪後の晴れ間が広がれば、この上なく喜びを感じ、新雪と戯れる事が出来る。低山では、まだまだカンジキやスノーシューの出番がないかもしれないが、車の中には入れて置かないと、「ありゃ!」となってしまう事がある。



12/4 姉を送るにあたって、最寄りのICは、「北陸道の小杉」と「圏央道の桶川・北本」である。でも、ちょっとでも節約という事で、北陸道・朝日で乗り、関越道・嵐山で降りた。土日と違い割引がないので、約束時間を考えての高速利用となった。帰りは、関越道を利用したが、石打辺りから雨が強くなり、北陸道に出てからは、風も伴い車を揺らされた。そして、究極は3割引を意識して午前0時を過ぎてゲートを越えた。そんな事もあって、自宅に戻ったのは、未明の1時半近くになってしまった。今年は、広島・島根、そして、秋田・岩手と岡山・兵庫、今度の埼玉と4回の遠出となった。まだまだ行けると言われるが、やっぱり夜間の運転は辛い。雨が伴えば尚更である。



12/3 姉を埼玉まで送り届けて来た。30分ほどの滞在で、すぐにUターンとなったが、やはり疲れる。短い期間であったが、また会えて良かった。ここまで来ると「最後かもしれない。」という思いが年々強くなって来る。「これでよし。」と言うのはないかもしれないが、姉はたくさん喋っていった。

 若い頃の姉は、陸上の競技選手。何年間も北陸では無敵だったし、高校時代は、10年間も記録を破られなかった。でも、大病を患った事もあり、今はその面影は薄い。当たり前であるが、姉と弟の関係は変わらなく、いつでも「大丈夫なのか?」とか、「しっかりせんと!」 などと私の事を心配してくれる。

 一生懸命やって来た姉の人生は、どないであったんだろうと思うと、簡単に答えなど出るわけではないが、思い通りにはいかなかったようである。それは、誰にでも言える事で、何もかに恵まれる事などない。思いやりをもって控えめに生きれば、何か答えが出て来そうであるが、私を含めた凡人には難しい。



12/2 姉の来高で諦めていた山行。その姉が、友人からのお誘いがあり、日中の数時間空きが出来た。ならば山に行かなければならない。雨でもである。手っ取り早いのは「八乙女山」 近年、牛岳から八乙女山に移行している感がある。(時間のない時、雨の時である。)

 でも、決して雨が好きではなく、歩かなければならないから行くだけの事である。行かなければ、ジムをサボったのと同じである。雨が強くなり風も伴った。朝高の気温も急降下の様相を呈した。東屋でコーヒーを頂き、シュークリームを食べた。のち三角点まで。

 ないハズのナメコが、ちょっぴりだけど見付けた。雨中歩きのご褒美のような物だと勝手に思ったりしている。(ほんのちょっとだけでね!) 八乙女山も50回候補である。

12/1 姉の来高を機会に従兄弟会を開いた。と言っても私以外全員80代。しかも6人の内3人が未亡人。そのような中だから、私のいう事は、何もかもが新鮮で面白いらしい。お腹いっぱいにしながら大笑いしたが、「また会いたいね!」の挨拶で別れた。

 今年最後の「臨時休業」だったが、来年からは、毎週日曜日は休業とする予定である。「休日は山に・・」を続けて来たが、このような事で山に行かない事が、やっぱり起こるのかもしれない。特別の山歩きをしているわけでもないが、トレーニングの意味合いがあるだけに、その方の不安がついて回る。