3/31 とうとうコロナが富山にやって来た。いつかは、そうなると思っていたが、報じられると、やっぱり不安が付いて回る。来週(4/6~4/7)好山病山行が企画されていたが、中止・延期になるかもしれない。どうって事ないと思うのであるが、周りの雰囲気に負けてしまうからかもしれない。

 そうなると、日・月・火の3連休は、日帰りとなる。お天気もあるが、行ける山も少ない。もうちょっと雪があれば選択肢も広がるのであるが・・ 世の中、自分の思い通りにはいかないようだ!

 現在のHP(元さんの山歩き)・FB、そして、最近始めたYAMAP(まだデビューしていない。) 生活が乱れ始めている。(笑) こんなものは、気分さえ乗れば、すぐに書き込めるのであるが、エンジンが掛からないと全然ダメなのである。でも、面白い。何でもやってみたい。



3/30 前日は、まりちゃんとの赤祖父山行が実現出来なかったが、今日は、さかなさんが登場で、高速を飛ばして颯爽とやって来た。一昨日の降雪で、雪割草が雪に隠れてしまっていて、探し当てるのが大変であった。でも、執念というのか、小さくてショボンとしていた雪割草を見付けては歓声を上げていた。

 雪がなかったところに新雪であるから、しかも、そう多くないのであるから厄介であった。ズルズル・グチャグチャで、下山時が思いやられると思ってしまった。それでも、いつも遅いと言い合いになる「山ノ神」のペースであるが、今日は、かなり頑張っていたようだ。

 林道上の取り付きは、これぞまさに、ズルっといきそうな感じで慎重に登った。流石に、ここまで高度を上げれば、それなりの積雪が伴って来る。でも、雪量は少ない。そして、杉林では雨が降っているかのように、溶け出した雪が滴り落ちて来るのは難儀である。

 杉林を抜ければ、赤祖父山のブナ林である。一変した光景に、さかなさんは、またも歓声を上げていた。前日はそれなりの登山者があったようで、トレースが着いている。扇山の標柱に今まで気付かなかったのか、近年建てられたのか分からないが、道宗道にあるのだろう。今まで、てっぺんと思っていた所と、ちょっぴり違うので、GPSでその地点(僅か10mくらいか?)まで、膝を潜らせながら行ってみた。赤いテープがⅠ本付けられていた。まあ~、あんまり意味がないのかもしれないが、自己満足の世界。

 赤祖父山のてっぺんも、多分、砺波登高会の尽力なのであろう、従来の山頂に「山頂まで5分)の標柱が立っていた。行ってみると、その場所の方が、展望も良いし山頂らしい。従って、従来の山頂は、高清水山方面へとの分岐になる。(YAMAPでも、先に述べた所が山頂となっている。これからそうなるのであろう。)

 扇山から赤祖父山まで、さかなさんにカンジキを履いてもらった。山頂でのベンチ・テーブルつくりにも手伝ってもらった。何もかもが初めてのようで楽しかったみたい。その山頂での滞在が1時間40分くらいであったから、大寺山方面に向かって歩いたのであるが、林道に出て引き返した。(もう一つの山頂を踏んでもらえば良かったのであるが・・・)

 予想通り下山が大変であった。本当にズルズル・グチャグチャであり、「山ノ神」が、3回位滑って転んだ。分岐地点(合流地点)から下も雪が中途半端だけに気を抜けなかった。それでも、福寿草の群生地にやってくると、何もかもを忘れてカメラを向けた。でも、荒れている。  人が多く入るから? イノシシが掘り返すから? それとも、1年半くらい前の大雨の影響? などが考えられるが、美しい花を、これからも、ずっと見られる事を願いたい。



3/29 昨夜来の雨は止む事がなく寒さも伴っていた。そして、山沿いでは雪をもたらしていた。まりちゃんとの赤祖父山は、雨・寒さ・積雪・グチャグチャを連想し、キャンセルさせてもらったが、変更はあっても中止はないのが心情で、今日もまた小佐波御前山に足を向けた。

 真っ白な山にも驚いたが、駐車している車の数にも驚いた。やはり日曜日だけに、ちょっとの晴れ間に山へ向かう方が多いのだろう。でも、擦れ違う方が、それほどの人数でもなかったような気もしたがどうなんだろう。その中に、一人の女性とすれ違った。2週間前大辻山頂で、ちょっぴりお話をしただけなのに、私を覚えていてくださったのである。

 下山して、山友を勘違いして待っていた間(コーヒータイム)に、その女性T・Tさんに、YAMAPデビューだと言って手解きを頂いた。今日は、イマイチのお天気だったが、また素晴らしい出会いがありルンルン気分で帰宅した。もちろん私だけでなく、「山ノ神」も喜んでいた筈。



3/28 昨日と比べると随分と寒い。本当は、こんなもんなのかもしれないが、温度差があると結構こたえる。明日は、赤祖父山に出掛ける事になっているが、朝方は、あまりお天気が良くないようだ。また寒くて福寿草が萎んでいるかもしれない。でも、明日は客人がある。その方が魅力で、寒さなんか吹っ飛ぶかもしれない。



3/27 大阪の二男が、「風邪をひいたみたいで喉が痛い。」 などと電話して来たので、コロナ陽性ゼロの富山に来なくて良いと言ってやった。親として会いたくないはずはないが、コロナが終息した頃にやって来れば良いのではと思う。そうなると、俄然、日月の空模様が気になる。行けない状態ではなさそうだ!



3/26 世は、新型コロナウィルスばかりである。何もかもが萎縮しようとしている。それでも山に行く。山は「3密」ではないから問題ないか? しかし、こんな時期なのに、大阪の二男が週末にやってくるという。相変わらず予定を立てて来ないだろうから、私の山行が危うい。困った!



3/25 現時点(3/23日現在)で30回(31日)の山行機会があった。その内の22回は「山ノ神」が同行している。まだ2回の休日が有り、3月であるからにして、健闘していると言ってもいいのであるが、8回(9日)の機会を、「山ノ神」自らで失っている事になる。

 山行内容は別にして(特別の事をしていないから)、だんだんと山から離れて行く人達を考えれば、「何を贅沢な!」 と言われるかもしれない。夫婦で山に親しんでおられる方は大勢おられるが、私達の年齢(やがて合計140歳)で、春夏秋冬(一年を通じて)これだけの山行回数をこなしておられる方々は、そう多くはないと思っている。

 でも、まだ自慢出来ない。私は、日頃から「80歳になっても雪山でキャンプ出来るようであれば少しは自慢したい。」 と言っている。もう一つは、この状態(夫婦で山に親しむ)をずっと続けられればと思っている。でも、「山ノ神」は、大分くたびれてきたのである。

 キャンプは元より、ロングコースや急登があると思われる所を敬遠するようになって来ている。「フォローするから・・」 と言っても聞く耳を持たないようになってきた。では、私だけの山行を許してくれるかというと、そうでもない。「あんたばかり良い目にあっている。」 と言うのである。でも、最近は、「車を置いていけ!」 とは、あまり言わなくなった。

 私としては、まだまだ行きたい所(山)がある。今しか行けないようなところもある。でも、危険だと思われるところへは、自然と行かないようになっている。でも、まだ歩けると自負しているが、もうしばらくのような気がしている。どんなにしても、山中心のライフスタイルなのであるから、どんなになっても、それを変えない。

 「山ノ神」の要望に答えて遠出を入れながらご機嫌を伺い、時折、好きなようにさせてもらうのが一番のように思うが、そうなるかどうかは分からない。夫婦の合意など、すぐにホゴされる事が多いじゃない! 元気でおれば何だって出来る。そのつもりで毎日を過ごしたい。



3/24 AR100・YAMAP・Starava・ヤマレコ・カシミールなどのアイコンが私のスマホ上に並んでいる。しかし、殆ど使った事がなかった。今度の大倉山でYAMAPが話題になった。マキちゃんが先行・北ちゃんが追随。私もと思ったが、現地では電波の関係なのか地図はダウンロード出来なかった。

 私が使っているGPSにも良さがあるのだろうが、スマホの大きな画面で、いろいろな事が出来るとなると、これは面白いと思った。また勉強が始まる。でも山を続けて行くのだから、そのハードルを超えるのも楽しみの一つかもしれない。無料サイトと有料サイトがあるらしいが、使いこなせれば、有料もそう高くはないようだ。



3/23 Mさんの情報を得、3台の車を無理矢理登山口まで車を入れた。今日は、「山ノ神」不参加で、北ちゃんとマキちゃんとの3人で大倉山に挑んだ。やっぱり速い3時間余で山頂に届いた。800m付近から残雪が現れたが、アイゼンが欲しいくらい凍っていた。

 稜線に出てからは、それこそ最適というのか、少雪でありながらも雪上を楽しんで歩けた。山頂では、剱岳のてっぺんが伺えないだけで、大きな雲が有りながらも、大展望を楽しむ事が出来た。今日は、北ちゃんが、ベンチ・テーブルを造ってくれた。

 美味しい物を食べながら、いろいろな話をした。それこそいろんな話である。(コロナウィルスから、老後の話まで) でも、北ちゃんとマキちゃんは、話を合わせるのが上手い。だから、私の失言があっても、うまく取り繕ってくれる。

 そんな山頂に2時間半もいた。そして、何度もセルフタイマーで記念写真を撮った。(私の遺影のためではない。) 今度は、あの山に行こうともなった。まりちゃん・Mさん・さかなさんの話まで言ってしまった。最後は、やはりフキノトウ採りになった。今日は、顎が痛くなるくらいに笑った。



3/22 雨予報にどうしようかと思いながら八乙女山とした。今回は、登山口まで降らないで、歩き始めてから、雨・アラレ・雷に見舞われた。でも、ずっと降っていたわけではない。そして、雪はなくなったけれど、芽吹きを見ながら春の訪れが感じられた。

 八乙女山から大寺山へもと思ったのですが、スタートが遅かったのと、栃原峠からは、林道に雪が覆っており、さっぱり諦め引き返してフキノトウ採りに興じてしまった。これも山。



3/21 少雪のためか、今年は、もはや桑首林道に車を乗り入れる事が出来るようである。今冬、大鷲山で知り合ったMさんからの情報であるが、大倉山からの剣岳が素晴らしいと思っただけで登ってしまうのだから凄い。稜線からの下りはドロドロだったようだが、後は、全て快調だったというのであるから、そのようなパワーは、何処から生まれて来るのだろうかと不思議である。

 単独だったのか、パーティーを組んでの登山であったのか聞き及んでいないが、僅かな時間を大鷲山の山頂でお話した時の印象からは、とても猛者のようにはお見受けしなかった。でも、健脚で執念(憧憬)は、誰にも負けないような方なのだろう。また是非お会いしたいものである。



3/20 今度の私の休日は、予報が良くない方に変わった。時たま喜ばせるのであるが、最後の最後に、またひっくり返されるのだから、あまり面白くない。でも、一日中雨という事もあまりない。だからでもないが、私は山に行く。そんなライフスタイルは、今のところ変えるつもりはない。

 このところ、山をはじめて間もない方々と何人も知り合いになった。年齢は様々であるが、山への意欲には感心する。私が言うのは可笑しいと思われるかもしれないが、通信機器などのアイテムの進歩がそうさせているのかもしれない。

 「雪の山」などは、例え低山でもなかなか行けなかったものだが、今は、スイスイなのだから驚きとしか言えない。もっとも、トレースの無い時は、そのような事はないと思われるが、とにかく凄い。特に女性は凄い。もしかしたら、そんな女性に男性は引っ張られて行くのかもしれない。



3/19 今日の気温は23℃。ドンドン山の雪も消えていく。先日の小佐波御前山でも、朝方積もった雪が帰る頃には溶けてしまっていた。高所には、まだまだあるし、これからも降るだろうが、私(達)が登るような山には無くなってしまいそうだ。

 その分、お花が早めになろうし、当然、山菜の話題も出て来るだろう。人混みを避けるようにとのお達しもあるからに、その点、山行は理に適うかもしれない。でも花粉も辛いよ!



3/18 氷見の ”はるちゃん” と飲んだ。親友という割には、最近ご無沙汰で今年始めて顔を合わせた。高校卒業後今の業界に入ってからの付き合いだから満54年になる。若い頃は、何度となく一緒に山へ出掛けていたが、最近はその事もなくなってしまった。

 独身の頃は、毎週のように会っていたし、世帯を持ってからでも毎月のように、そして、時は過ぎても、春夏秋冬季節毎に飲み会をしていた。しかし、もう一人の親友清志君が亡くなってから、急激に会う事が萎んでしまっていた。こうして、世の中が小さくなっていくのであろうが、自分からそうしていたところもあったのかもしれない。

 「お前は、休みになったら山に行ってしまう。」 が原因のように言われるが、休みでなくても会える事の証明みたいに彼の家を訪ねた。と言っても送迎付きだったから、招いてもらったが本当のところかもしれない。たくさん飲んだ。乱れずに飲んだ。楽しかった。昔の事からこれからの事までである。

 私は必ず言う。終活とか断捨離とかを言うな! 人生はこれからである。まだまだ花を咲かせよう。積極的に人と交わり、大いに夢を持とう。今は、まだ人生の折返し地点である。



3/17 昨日までの山行回数は28回(29日)になってしまった。今月はあと4回の休日があるから、3月にして、1ヶ月以上山に行った事になる。山中心のライフスタイル、山行くために仕事をしていると豪語している私であるから、内容は別にして満足というしかない。

 年金だけで生活していけないという事もあるが、仕事もそれなりに楽しいところもあり、現状にそれほどの不満もない。その中で、今まで行けなかった北海道や九州に行けたらなどと、小さな夢(欲望)を抱いている。そのような事が実現出来れば、山と共に観光も取り入れられたら思うようになってきた。

 「北アに何日も」 という選択肢もないではないが、「山ノ神」とでは、あまりいろいろと歩き回る事も出来ないような気がする。それはそれで、「山旅」といわれるようなのんびりも良いのかもしれない。私もいずれ思うように歩く事が出来なくなるだろうし、運転も怪しくなっていくだろうから、今の内にの思いもある。でも、やっぱり富山を中心の北アの山を歩き続けたいのが本当の気持ちである。

 

3/16 「お天気が悪いけど行く?」 一週間前、金剛堂山の下山時に一声掛けた「さかなさん」を誘ってみた。まさかと思ったけど、彼女は颯爽と猿倉山展望レストラン前にやって来た。山行途中で雨に遭った事はあるけれど、雨・雪とわかっていてスタートするのが初めてだという。

 昨年から山を始めたという「さかなさん」は、獅子ヶ鼻の下をぐるりと歩きたいなどと、山の事が分かっているのかどうか不可思議なところがあったが、体力は充分あるような方だった。そして、戯ける姿もあり、年配の我々への敬意も忘れる事はなかった。

 新雪が15~20cm、樹木も綿帽子を被ったように白く、我々の声だけが奥深くまで響いていたように感じた。小佐波御前小屋では、「山ノ神」が、「さかなさん」の歓迎会の意味合いもあってか、久しぶりに天ぷらを振る舞ってくれた。アルコールこそ無かったが、大いに盛り上がり、言わなくてもいい事まで喋ってしまったかも・・・。

 我々の好山病山行を、「さかなさん」は、どのように感じらてたか分からないが、後々、答がちゃんと出る事でしょう。それにしても、最近は、私の子達と同年代の方々と歩く機会が増えて来た。もう少し頑張りたい!



3/15 城前峠のちょっと手前まで車を乗り入れた。長尾山経由の大辻山、少々喘ぎ喘ぎの「山ノ神」であったが、何とか山頂まで頑張ってくれた。山頂でのビールと大展望の期待だったかもしれないが・・・・。

 今日は、7パティー8人の登山者と出会ったが、大ベテランあり、山初めて間もない方もありのようであった。「スノーシューはどんなもんですかとか?」 「雪中でシャベルを使う。」 事に魂消ておられる方もあったようだ。

 午後1時まで山頂にいたが、下山途中から雪が舞い出した。車に乗って街道に出てから雨になった。予報はぴったりであった。帰宅途中の車の中で、「山ノ神」から、今日は、ハレルヤ山行の日ではないかと問われた。「あっそうか、最近、蔑ろにしてしまっている。」 本当にごめんなさい!



3/14 明日明後日の予報は必ずしも良くない。でも、明日は、お昼頃までは何とかなりそう。「山ノ神」は、もう金剛堂山や大地山は勘弁して欲しいというような顔をしている。では、その真中の山辺りでも行こうかと思ってしまう。

 明後日は、もっと悪いようだ。こんな時ばかり北ちゃんを頼ってしまう。どうなるか分からないが顔を合わせるだけでも、私にしてみれば意義がある。私の分からない事や悩み事を聞いてくれるからである。それほど彼は引き出しをたくさん持っているのだ。



3/13 未明の地震にはびっくりした。寝坊助の「山ノ神」でさえ飛び起き来て、「大丈夫け!」 と、2階の私に叫んでくれた。私は、寝入って1時間余だったが、グラグラする様に目が冷めた。やっぱり、どうしようかと思った。2階にいようか?、それともすぐに降りようかから始まる。

 「何処に行こうか?」 「何をしようか?」 時々、地震に見舞われた時の事を話していても、なかなかその通りにはいかない。「訓練以上の事は出来ない。」 ものだそうだから、もうちょっと真剣に考えておかなければいけないのだろう。10数年前の奥能登地震の時も、家中に入ろうとして、靴が抜けなかった事があった。

 一度だけ山中で地震に遭遇した事がある。北ちゃんとeiko女史と「山ノ神」との4人で、頸城駒ヶ岳の山頂であった。中越地震の余震だったらしいが(震度3)、何か変な揺れ方であったように覚えている。しかし、ちょっぴり飲んでいた「山ノ神」だけは無反応であった。

 咄嗟に、何処か崩れてはいないだろうかと心配をしたものだが、結果的には特別の事はなかった。何時、何処で、何が起こるか分からない。「備えあれば憂いなし」 とはいかないまでも、何もないより、また、何も考えていないよりマシであろう。



3/12 まりちゃんから大地へ行って来たという報告を受けた。何故か大地という話題が出るだけで嬉しい。雪山限定であっても、もしかしたら、私は心の故郷のように感じているのかもしれない。そして、やっぱり大地山頂から眺める初雪山はイマイチだったようだ! 今年は、誰もがそのように感じるかもしれない。

 でも、大地山頂に立てる事に意義がある。(私の勝手) 3時間で登れる事もあれば、6時間掛かっても山頂に辿り着くのが難しい事もある。私の54回の経験から、苦汁を舐めた事もあれば、感動して涙が溢れた事もある。大地50回を達成出来た事もあり、元気なら100回も夢でないような気がして来ている。



3/11 自治会の総会が終わり、肩の荷が降りた感じである。役所に行ったり、町内の残務があるものの、引継ぎ会を残し無罪放免になる? この後、益々山・やま・ヤマ・yamaになればいいのだが、そう簡単に問屋は降ろさないだろう。それが人生というもの。でも、気が楽になった事は事実!

 「初雪山に行けたら・・」 「金剛堂山にも・・」 などのリクエストがある。そして、「さかなさん」から、無断転機のお許しを得たし、好山病に参加したいとまでのメッセージをもらった。何だか、俄然楽しくなって来た。でも、月曜日は、雨など天候の悪い時が多い。そんなのに来るわけないか?

 今年から、毎週日曜日も休業日とした関係上、いろいろな方々とお会い出来るようになった。そして、私のような「年寄」にも、直接・間接的にも声が掛かるようになってきている。今までは、平日(月曜日)に、マイナーな山に登っていると、一ヶ月誰とも会わなかったりもした。本当に雲泥の差である。



3/10 金剛堂山の山頂から降り始めてしばらくしたところで、一人の女性が登って来られた。どちらともなく、「こんにちは。」 と挨拶を交わした。そして、「山頂まで、あと何分くらいですか?」 と尋ねられた。「う~ん、10分ではきついかな。15分くらいでしょう。走れば8分。」 と余計な事まで喋ってしまった。

 その「さかなさん」から、
 こんばんは。今日の山行は、お天気と大好きな雪のおかげで、とても楽しい時間を過ごせました。 走ったら8分!! 5分でやっつけました(^-^)v ヘトヘトやったけど、がんばって走りました(笑)  うそです。たっぷり15分です。

 その「さかなさん」 ユニークな表現が面白い。許可なく載せたら叱られるかもしれませんが、
 親子3人さんがおられるはずの元さんの山ホテル。3人さんとは、道ですれ違ってしまい左側にあそこだなって目星はついたのですけど、ノーマルタイヤのため、ちょっと近づけませんでした💦笑 ビビリなんです😂

 HP拝見させていただきました。好山病✨素敵なネーミングです^ - ^  月曜日活動しておられるとのこと。わたしも、月曜日メインとソロ雪山デビュー牛岳かぶりました🤗 先月、節分の日にあがって熊の足跡に気づかず、あとから画像みて指摘されました💦そんな初心者です。いろいろ勉強したいです。


 次またお会い出来るかどうか分からないが、文章が初々しく、自分にないものがあり感動してしまう。「休日は山へ・・」 の好山病面々。雨でも出掛けます。(無断転記です。ダメなら連絡ください。削除します。)



3/9 寝られないのならと午前5時過ぎから起きてしまった。一面雲海が広がっている。北アの山並みが、その上に鎮座している。剱岳も薬師岳も、槍穂高もである。ひと際目立っているのが、乗鞍岳と御嶽山である。シェルター(居酒屋こんごう)で、お湯を沸かしながら、まだかまだかと陽が昇って来るのを待つ。

 神秘的である。ワクワクする。オーバーかもしれないが、ここにいる自分しか分からない世界。それこそ独り占めである。パンをかじりながら、コーヒーカップを持ち、そして、時々シャッターを切る。同じようなものかもしれないが、このシャンスを逃してなるものかである。そして、槍ヶ岳の所から陽が昇った。

 ちょっと上がって、ちょっと降りて、テントを入れたりであるが、同じようなもの。でも、興奮しているので、これでもかこれでもかと撮り続ける。もっと、いいカメラならと思うが、それは仕方がない。私のカメラは記録写真なのだからと割り切っている。

 今日は、時間がたっぷりあったので、中金剛・奥金剛まで出掛けた。それでも、時間があったので、シェルターの前にもう一つベンチ・テーブルを造った。そして、またまたコーヒーである。運転があるから、アルコール類が残っていても飲むわけにはいかない。どれだけ眺めていても飽きないのである。

 一人キャンプは、それなりにあるが、キャンプ場などで他の人達がいる。私は、「山ノ神」や山仲間とのキャンプが殆どである。山域に誰一人いないというのは、今回は何度目だろう。数年前、いや10年前くらいの猫又山キャンプ以来かもしれない。あれもこれもとアイテムが多いだけに担ぐのに苦労する。ちょっぴり我慢を覚えなければなるまい。

 ずっと、座っているわけにはいかない。テントとタープなどを撤収し、そろそろという頃にガリ君がやって来た。そうなると、再びザックを開けて、またまたコーヒーとなる。ガリ君は、今回のキャンプに来たがっていた。しかし、家庭内の行事があって来れなかったが、それでも、意を決してやって来てくれたみたい。その内、周さん御一行がやっていた。山は楽しい。



3/8 寝坊してしまったが雨。予定より1時間以上遅くなってしまった。百瀬の旧スキー場跡の駐車場でちょっぴり待機。小雨になるのを見計らってスタート。荷は25キロ、それに最初はスノーシューを括り付けるのだから、最初の急登はきつい。でも、思いの外順調に歩けた。

 11名のサブちゃん御一行や金沢の豆ちゃんと出会ったのもあろうか、元気をもらった気がした。1週間前「山ノ神」との歩きでは、5時間近く掛かったのに、今回は重荷を担いで4時間余で山頂に達したのであるから、まだまだ大丈夫だと思った。

 今年は、大地や小白木峰キャンプが雪不足で機運が乗らなかった。可笑しなもので、この歳になると、少しでも間が空いてしまうと、「この先大丈夫なのだろうか?」 と不安が伴ってしまう。まだまだ初雪山日帰りを捨てたわけでもないが、鬼に笑われてもいいが、来年の大地キャンプは大丈夫だと確信している。

 金剛堂山頂は風が強い。だから殆どの人は、長居する事なく早々に退散して行く。私は、その先の斜面を掘る。少雪でも1,600mの山だからある所にはある。まず「居酒屋こんごう」の建設である? もちろん背丈程掘り下げる。しかし、風があり一人でタープを張るのに苦労する。そして、隣にテントを張るのであるが、深く掘るのは疲れてしまった。

 午後3時位までは、ガスの中であったが、徐々にであるが、そのガスが晴れていき雲海が広がっていく。電波が届く所を求めて山頂に行ったり、あちこち行ってみたが全然ダメであった。終いには、車を離れてから何も食べていなかったし、水も飲んでいなかった事に気が付いた。

 でも、それよりも、再び稜線に上がって夕陽を眺めるのが先であった。大笠山・笈ヶ岳・白山方面が赤くなって沈んで行く。もう寒さなんか感じない。小躍りしながらシャッターを切り続けた。何処の斜面を駆け上がっても駆け降りても楽しくハッピーというしかない。

 「居酒屋こんごう」を造ってみたものの、一人宴会は寂しすぎる。ギョウザを二袋24個焼いた。でも、持参したお酒が半分ほどしか飲めなかった。ビールも1本しか飲めなかった。スノーシューやストック、シャベルなどをシェルター(居酒屋こんごう)に収納し、もちろん炊事用具はそのままにして、テントの中に入ったのが午後8時頃だった。

 今回は、ゴアの3人用のテントを止め、30~35年程前に購入したテントを使用した。重さは殆ど変わらないが、2人用と狭い。昨年大地キャンプの時、一人で寒く寝られなかった事で、コンパクトの物を試したかったのであるが、敷物を一枚多くしたもののそんなには変わらなかった。

 それよりも、風の音が凄く吹き飛ばされそうな感じであった。だから全然眠れなかった。時計ばかりを眺め、夜明けが待ちどうしかった。また、寝返りをうつ毎に足が攣ってこれも眠られなかった一つの要因だったかもしれない。テントの外に出た。そんな時は足は何ともない。(不思議だ!)月明かりが、まるで街灯のように明るくヘッドランプなどいらない。その分星が主役を奪われているようであった。午前1時頃風は止んでいた。



3/7 明日は必ずしも予報は良くない。今のところ金剛堂山に行く予定。夕陽と朝陽を見るつもりでいる。準備は出来ている。そして、単独行になる。



3/6 山行の事だけを考えておれば、のほほんとしておれる。でも、そのような事だけでは生きていけぬ。面白くない事がある。いい事楽しい事より、面白くない事や辛い事の方が多いかもしれない。欲を消せば、そんな事は小さく悩む事も少なくなるのかもしれないが、私はまだ生臭い。

 何をしても、何を見ても、ワハハと笑っておられるくらいの器の大きい人になれない。当たり前だ! そんな仏様のようになれるはずがない。他人様を貶さない。自分を褒めない。などの事も出来ないし、自分が優位になる事しか思っていないのでは・・・・。

 自分の悩んでいる事や怒っている事など大した事はない。あの大自然と比べれば、ほんのちっぽけな事などと思っているのに、すぐに忘れてしまう。また明日から出直しである。すぐに終わる人生か、まだまだ、たくさんある人生なのか分からないが・・・。



3/5 時々、雪マークが付く予報がある。しかし、降らないし積もらない。この先の予報にも雪マークがあるが、降らないだろうし積もる事もないだろう。時々、アラレが降るから山での積雪を期待する。でも、10℃を超す気温では、期待しない方が良いかもしれない。

 それでも雪を求めたければ、近間では金剛堂山くらいしかないのでは・・・。雪山でのキャンプはかなり諦めているものの、出来れば今年もやってみたい気持ちは大きい。1年でもブランクが出来ると、後々に響いて来る事は間違いない。もしかしたら、今度の連休が最後の機会になるかもしれない。

 しかし、お天気の他に、我が家には幾つかのハードルがある。「山ノ神」の体力と気力が、私以上に衰退している事である。それをカバー出来るかである。もう一つは、コロナウィルスで休校になっている孫達の問題を抱えている。親達が休む事がなければキャンプは難しい。そうなると、日曜日の日帰りしかない。それはそれで良いと思っている。でも、まだ分からない。



3/4 毎日コロナウィルスの話ばかり。連日どころか一日中であるから、何とも思っていなかった人まで敏感になる。人の交流がなくなり集会も、キャンセルが相次ぐ。5~6人程度の有志の会合までなくなった。来週行われる自治会総会まで影響が出て来ている。

 「何が何でもやります。」 と公言している私であるが、やっぱり気になるところである。大事な議案もあるので流れては困る。また、総会後の懇親会も心配だ。2週間後に引継ぎ会はあるが、事実上総会までで役は終わるのである。そしたら山に没頭となれば良いのであるが、世はそんなに上手くはいかないものだ。でも、そのような気持ちで向かい合っていけるのは実に楽しいと思わずにはおれない。



3/3 昨夜のHP更新は思うようにならなかったので、早起きしてやり直すがやっぱり恥ずかしい有様。そんな事もあり、午前4時半起床。その施しをしたが、「山ノ神」は、どれだけ待っても起きて来ない。やはり疲れたのだろうか?

 その間、遅まきながら、付き合ってくれる人を探したがダメ! ようやく起きて来た「山ノ神」であったが、妙案は思い浮かばないらしい。ラッシュアワーを通り越したあたりに、とりあえず上市に車を走らせた。ハゲ山・城ヶ平山の想定である。

 西山から登った。そして、ハゲ山に登ったのであるが、途中、グチャグチャ・ズルズルな登山道に城ヶ平山を諦めてしまった。千石城山に気持ちを乗り換えたのであるが、ここもグチャグチャであまり気分が良くなかった。

 それでも、3日間山に携わった事に意義を感じている。自分が仕事をやりながら好きな事する。こんな幸せな事はない。そして、子供達に少なくとも現在であるが、介護の負担を感じさせていないのであるからハッピーである事は間違いない。当たり前が当たり前でなくなる事が、近い将来やって来るのであるから・・・・。



3/2 「日帰りで初雪山に行きませんか?」 と福井の宮ちゃんに声を掛けた。「キャンプは無理だし、長い事歩くのも今はちょっと・・・」 そして、月曜日なら行けるとの返事をもらっていた。「山ノ神」は、大地行きでも嫌だ。何で2週続けて行かなければならないのかとそっけなかった。でも、山しか行かない私。そして、やっぱり宮ちゃんに会いたかったのかもしれない。

 お互いにゆっくりしか歩けないと言いながら、やっぱり宮ちゃんは昔から慣らした足だけにそれなりの歩きをする。お天気もよく気持ちの良い歩きとなり、638までは予定通りの時間で登る事が出来た。一週間前よりも雪量は少なく夏道を行くしかない。それもスノーシューはいらないくらいであった。

 900mちょっと過ぎたくらいの所でコーヒータイムとした。ちょっとお腹が空いていたので、餅やイチゴなどを食べた。この頃まではお天気が良かった。一週間前に歩いた右側のブナ林の尾根に取り付くがトレースがなく気持ちが良い。1000mを超えると、益々雲行きが怪しくなり風も出て来た。

 初雪山まで行ってきたという長津君が降りてきた。早朝4時発だったそうだ。久しぶりに彼に会った。今日は、その長津君以外誰とも遭遇しなかった。最後は、私が先に行って穴を掘る事にした。何にも見えない。只、山頂に立っただけであった。でも、私にはそれなりの意義はあった。久しぶりにあった宮ちゃんと大地山頂に立てた事である。

 宮ちゃんとは、大地山頂を含め僧ヶ岳や鉢伏山などの雪山キャンプの一緒した経験がある。もちろん、猫又山・大猫山・大明神山・細蔵山など数えれば切りがないかもしれない。そう言えば、10年以上前の事だが、牛岳登頂100回記念の時も駆け付けてくれたのを覚えている。

 

3/1 アホな事をして一週間。「果たして重荷を担ぐ事が出来るのだろうか?」 とその試しに金剛堂山を選択した。登り始めは、ちょっぴり急登だし、雪の付いていない所もあったあったのですが、後はスノーシューで気持ちよく歩く事が出来たのでした。テントとシュラフを入れれば、キャンプが出来るくらいの物を担いでいたので、ゆっくり歩きました。でも、「山ノ神」よりも、しっかり歩きましたよ。

 お天気が良く日曜日だったからでしょうか? かなりの登山者が訪れていました。元気なサブちゃんや高岡の西本氏ともお目に掛かりました。両氏とも大先輩です。まだまだ私も負けるわけにはいけません。

 今年は、何処の山も雪不足です。金剛堂山頂上も同じです。でも、ちょっと違った角度から見れば(斜面など)、かなりの雪量があり、掘れば背丈以上は大丈夫でした。やはりある程度の標高を稼がなければならないようです。

 それにしても素晴らしいお天気で、どれだけいても良いような感じでした。山頂は風が強いなどと、草々にして下山していかれた方々があったようですが、シェルターを造れば(穴を掘れば)何の事はありません。そのためか、またまた最後の登山者になってしまいました。