6/30 私は、昨日大変な間違いをしてしまいました。すぐに「おしらせ」コーナーに載せたのですが、それでもまだ何にもないので、本文に載せる事にしました。車に乗せてもらったのに、どちらかの登山靴まで私が降ろしてしまったのです。気が付いた時は、車が行ってしまった後でした。

 お別れする時に、お名前をお聞きしたのがせめてもの救い。高木氏と今井氏、そして、砺波と福野にお住まいとか。また、福野山岳会に所属しておられるようです。その福野山岳会のHPを見付けたのですが、書込みする所が見当たりません。従って、こうしてご本人様が見て頂ける事を願うだけです。また、誰かお知り合いの方があれば教えてください。お所か電話番号を教えて頂ければ、お詫び方々お返しにいくつもりです。



6/29 いろいろとあったけれど、マキちゃんと小白木峰から白木峰に行く事になった。さかなさんからの誘いをキャンセルしていただけに、もしかしたら、山頂付近でお会い出来るかもしれないとのメッセージだけは出しておいた。その私達であったが、「山ノ神」のスローの事もあり、マキちゃんとの待ち合わせが大幅な遅れとなった。

 ダム取水口からの登り始めは、滑りやすくトラバース気味である。前日の雨のせいもあるのだろうが帰りが心配であった。でも、後は、少々泥濘があるものの全般的には歩き易くなる。ニッコウキスゲが池塘と相俟ってその姿を見せた頃には、「こちらのルートを選んだのは正解」となった。

 小白木峰で、「えぇ~、」 と思った。敦賀の荻野氏である。一度しかお会いしていないのに(facebookではお馴染み)である。あちらも、「月曜日だから、何だか私に会えるような気がしていた。」 と言われるのだから嬉しくなった。同氏は、もうすでに登頂を終え下山中、これから天生湿原に向かうと言っておられた。

 いいペースで来ていたが、階段状の登りに来ると、「山ノ神」のペースが落ちた。こうなると「山ノ神」は不機嫌になる。それでも、標識のある山頂に、ちょうどお昼に着く事が出来た。そして、例の如く 「浮島はあんただけ行って来られ!」である。

 マキちゃんは、「山ノ神」を置いて行くのを躊躇ってか、浮島行を辞退し 「山ノ神」と一緒してくれた。私は、帰りの事もあり浮島に急いだ。木道沿いのニッコウキスゲは、6月としてはかなり咲いていた。しかし、この後の事はわからない。

 「浮島で さかなは泳いでいた。」 いろいなポーズで撮影に応じていた? 私が来たと知るとニッコリしてくれた。ワタスゲとニッコウキスゲ、そして、ちょっとばかしの青空が相俟って、それなりの写真が撮れそうであった。山頂で待つ「山ノ神」とマキちゃんの事を告げ、さかなさんと一緒に山頂に向かった。途中、名がややこしくなるが、真木さんとも出会って、粟ヶ岳の話となった。

 今日の私は、小白木峰でコーヒータイム時に、小さなオハギを一個食べただけで、水も飲んでいなかった。山頂では、カップ麺をどうしても食べなくてはならなかった。管理棟前に車を止めて、林道歩きをして来たさかなさんを小白木峰ルートに誘って、4人で12時25分ぐらいに山頂を出た。

 いろいろな方々に、我々が歩いて来たルートと、万波に降りるルートの事を尋ねてみると、万波側へ降りるのは随分楽との事であったので、そのルートを選択する事にした。しかし、そこからかなりの林道歩きが伴うのであるが、それがどれだけなのか分からなかった。

 白木峰から小白木峰まで、おおよそ1時間くらいで着く事が出来た。その頃から、山頂で、「元さん」と声を掛けて下さった砺波・福野の高木・今井氏らと一緒になった。登万波登山口まで車で来ておられるとの事で私一人乗せてもらう事にした。(私が戻って皆を迎えに来るというもの)

 かなりダートであった。両氏の車は、YAMAPの駐車場よりも、かなり上まで入っていたから、やっぱり歩くとなると大変だったように思う。感謝しかない。そして、初めての万波側に降りる事になったが、「山ノ神」曰く、もうダム取水口からのルートは行かないである。さかなさんも家に帰ってから、歩いた地図を見るのが楽しみだと言っていた。



6/28 朝早く起きたものの、何となくボーッとした感じで、山行準備に取り掛かっていなかった。前日から薬師岳行きをなくしていたが、明日の燕岳行きは、松本付近の予報が良いので捨て切れなかった。と思っている間に時間が過ぎ、どうしようかとなった。

 でも、今日の内に、どうしてもやっておかなければならないと思っていた事があり、いい加減に家に戻りたかったので牛岳行きとした。でも、思う通りにはいかないものだ。「山ノ神」を、おだてながら歩いたものの2時間を上回ってしまった。

 そして、午後からの雨。迂回の段取りも途中で引き返し濡れた道を慎重に降りた。相変わらず静かな山に違いないが、視界が効かないのは、やっぱり寂しい。164回目を数えたが、トレーニングの山から、完全に数える一座になりつつある。



6/27 perさんが、過日の大日岳山行(5/24)の反省会を企画してくれた。竹の子(ガリ君のお店)である。カズミさんを挟んでの会食(飲み会?)は、何年来の山友のように感じ楽しい時間を過ごす事が出来た。3人は油の乗り切った健脚揃い、私は昔の事しか話がない状態である。そんなのに私を誘って頂いたのだから感謝しかない。

 「また何処かへ・・」 と誘ってくれそうだが、”落ち目の三度笠 ” 状態の私だけに、「果たして?」 である。ましてや「山ノ神」までと言われると、よっぽど歩かなくてもいい山でないとと思ってしまう。「誘われる時が✿(華)」 なのだろうから、もうちょっと鞭打ってでも頑張らなくては・・・。



6/26 富山県では、新型コロナ感染者は1ヶ月以上なしである。 (入院患者もゼロのようである。) 安全とは言えないかもしれないが、ホットしている一面もある。しかしながら、何処かへ出掛ける時に、マスクをしていく以外、私自身は、完全にコロナ以前の生活に戻した。

 もちろん、山歩きは、自粛中でも関係なく歩いていたし、逆に安全だと思っていた。 (と言っても、遠出はそれなりに控えていた。) 疑わしい所への出入りさえしなければ、手洗いとマスクで充分な気がする。後は、交わる人との信頼関係だけのように思う。

 それでも、私が関係しているグループの幾つかは完全に停止している。「まだまだ危険だ!」 「外に出る気がしない。」 「身体が弱いから・・」 などの理由であるが、それよりもムードのようである。もちろん無理する事などないし、自分の思うようにやればよいのであるが、そんな事を思っていたら何にも出来ないのも事実である。

 元気な人も感染するらしいが、でも、元気な方が良いに決まっている。治療薬がないのであるから、自力で治さなければいけないのも事実。家の中に籠もっていて体力・思考力が衰えるのでは尚更悪い。たくさんの方々がやって来ない山も、それなりに静かでいい。これからも大いに楽しみたい。明日は、久しぶりに飲み会(大日岳の反省会)がある。



6/25 最近は、目立つというのだろうか、艶やかで存在感のあるお花を求めての山行が続いたような気がする。ササユリ・シラネアオイ・ヒメサユリがそれである。山には、これに負けないくらいのお花がいっぱいであるが、やっぱり気になるお花なのである。

 でも、高山植物はこれからである。ハクサンコザクラ・チングルマ・ハクサンイチゲなどなど、どの名をあげればいいのかわからない。皆小さくて可愛い。私のような武骨者でも愛着を感じる。山にはいろいろな楽しみ方があり、山頂ばかりに拘る事もないし、登る速さだけではない。

 コロナの影響は残るが、今夏も、いろいろな所に出掛けてみたい。名山歩きにも気はそそるが、何か違った歩きも考えてみたい。それよりも、近年取り入れている「同じ場所でゆっくり」 とかが、だんだんと似合って来ているのではと思うようになって来ている。



6/24 「山ノ神」の悪口ばかり述べているが、私自身もズボラになって来ている。紀行文(山行記録)がいい例だ。飲んだら、いつの間にか眠ってしまう。気が付いたら、「ここは何処?」 「今何時」 なのである。片付けも滞っている。ついつい、「後から・・」 「明日・・」 になってしまう。

 そのくせ、特別な事がない限り起床は早い。何時に寝てもである。そうして、疲れが溜まって来るのかもしれない。その疲れに負け、座るとすぐにウトウトしてしまう。毎日の行動に切れがなくなっていってる感じかもしれない。

 「山あっての人生」 などと言っているけれど、もしかしたら、それが負担になっているのかもしれない。しかし、そう考えるだけでも、我が人生を否定しているかのように思ってしまうからイヤだ。でも、「山の疲れを仕事日に癒やす。」 との「山ノ神」の言葉が、私にも当てはまるのかもしれない。



6/23 やはり疲れたのか「山ノ神」は起きて来なかった。「遊んだ後は、尚更しっかりしなくては・・」 が私の口癖なのであるが、ここで諍いをしても、何の徳もない。あれで、目一杯歩いたのだろうし、次から来たらダメだと言われたくなくて頑張ったのかもしれない。

 日頃何にもしない「山ノ神」に比べて、私は、簡単なトレーニングを毎日欠かさずやっている。今回も滑って転んだが、手首の擦過傷と首筋の張りを感じているだけだ。腰にも少々違和感があるが、時間と共に和らぐと思っている。それより、ぶっ通しで下道を飛ばして来た車の運転の方が疲れた。

 年々、いや、日々毎に、身体が衰えていくのを認めざるを得なくなって来ているが、今回の山行では、80歳を過ぎている方と3人お会いした。「まだまだ若い。」 と、こちらにハッパを掛けてもらったが、何だか嬉しくなった。その方達は、決して年寄り歩き?ではなく、他の人達と同じ歩き、どころか、まだ速いくらいであった。負けてはおれない。



6/22 粟ヶ岳登山口から、山越えして六日町へ向かった。途中、小出の道の駅で泊まる事にした。そこから、巻機山登山口まで1時間弱で行けるのを確認して、スーパーで買物をし、何をさて置いても冷たい物を喉に通した。美味しかった。それが祟ったのか、「山ノ神」のペースが上がらない。

 コースタイムは4時間半。予定を1時間遅れて午前6時スタートとなった。午前11時には着くと思っていたのが、終いには、「12時に着かなかったら諦める。」 とまで言い出す始末。でも、前巻機山に着いた頃から、ちょっとばかし元気を取り戻した感じで、ホット胸を撫で下ろした。ワタスゲの群落があった。他にあまり目立った花が無かっただけに、何だか嬉しくなった。でも、写真に撮るのは難しい。

 頑張ったかに思えた「山ノ神」であったが、巻機山の標識のある所までの登りは、喘ぎ喘ぎで、いつ来るのかと思うほどであった。その上の一言が、「もう食事の準備が出来ているかと思っていた。」 なのであるから、何をか言わんである。標識はないけれど、もう10分ほど牛ヶ岳よりに行った所が、一般に山頂とされている。(最高点) そこへ行ってからと思っていたのに・・

 二人共お腹が空いていた。心地よく座る所もなかったけれど、展望が良かった。向かいの山には、滝雲が発生していた。山名は分からないけれど、充分に楽しめ 「山の空気」 もいっぱい吸った。晴れ予報だったのに、「曇」 そして、何だか雲行きが怪しい。雨の降らない内に下山しなければならない。転ぶのが(滑るのが) 一番イヤなので、頑張るしかない。

 すぐにポツポツやって来たが我慢。そして、降ったりやんだりであった。6合目から5合目の間で、とうとう本格的に降り出した。慎重に降りるから、その分余計に時間が掛かる。登山口近くなって、青年が降りて来た。今回も、またまた最後の登山者になった。さて、帰りはどうするかとなったが、下道を選択。巻機山登山口から自宅まで5時間を要したが、まだまだ元気だという事なのだろうか?



6/21 午前2時半過ぎに家を出て、朝日から三条燕まで高速を使った。(日曜日だから割引料金適用。) 前日に粟ヶ岳行きを決めたが、下調べは殆どしなかった。長岡からか、燕三条からか迷ったが、9年前に出掛けた時は、三条燕だったから、何とかなるだろうくらいの気持ちであった。

 結果的には、前回の加茂方面からの尾根からではなく、五百川側(粟薬師)から登る事になった。標高はあまり高くない山であるが、登山口も高くない。コースタイムは4時間。ヒメサユリで有名な山だけに多くの登山者が訪れていた。しかし、そのヒメサユリは七合目より上に咲いているのである。

 ヒメサユリを見始めた頃、何年ぶりであろうか、下山されるI女史と遭遇した。私としては、ヒメサユリよりも値があったのであるが、予期せぬ事だけに思う事も話せなかった。お互い萎れていく身なのであるが、いつまでも輝いておりたいと思わずにはおれなかった。

 山頂近くになると、「山ノ神」の足がピタリと止まった。ヒメサユリが咲いているだけの理由ではない。ならば、私が山頂で食事の準備でもするかと思ったのであるが、山頂は多くの登山者で混んでいた。では、加茂側の尾根により多くのヒメサユリが咲いているという情報もあったので行ってみる事にした。

 確かに2倍くらい多く咲いていたように思う。15分くらい降って山頂に戻ろうとしたら、「山ノ神」もやって来た。そのササユリを見たいというので、またまた降りる事になる。その山道では、とても食事をするような所がないので、見るだけ見て、シャッターを切るだけ切って山頂に戻った。

 お天気もよく見通しも良いのであるが、如何せんお馴染みの山がないので、何処が何処なのか分からない。でも、山の雰囲気は充分に堪能出来た。前回は、翌日、二王子岳に行くため、何処だったか分からないが、山麓でキャンプをした。今回は、次の巻機山に行くため六日町方面へ山越えとなる。途中、小出の道の駅に泊まった。



6/20 結局、流される形となって、明日・明後日は、粟ヶ岳と巻機山行きとなった。粟ヶ岳のヒメサユリに間に合うかどうかわからないが、その周辺の山となって巻機山を選んだ。守門岳もあったが、過去に「山ノ神」が途中断念しているから見送った。

 粟ヶ岳は2回目、巻機山は3回目になるが、そんな事はどうでもいい。逆に、私が、それに耐えられるかに掛かっている。そして、今回は、「山ノ神」の要望を叶えるが、この後、私の希望も取り入れて欲しいとの約束をしたが、「忘れた!」 と言われてはどうしようもない。そんな事がないように願うだけ・・・。



6/19 私と「山ノ神」の山への思いが違い必ずと言っていいくらい揉める。情熱や憧憬だけでは叶わぬようになって来ているからである。意地を通せば、後々面白くない日々を送らなければならず、妥協を見出さなくてはいけない。

 どれだけ 「山は人生そのもの」 「山は人生の縮図」 などと言っても、大方を平地で暮らさなければならないのだから、えらい顔も出来ない。一緒に登っても召使いのようなものだ。 (お姫様扱いしなくてはならない。)

 今年から、毎週連休(日・月)とした事もあり、また、その休日の使い方になるべく支障をきたさないように娘夫婦が便宜を図ってくれているので、それこそ、何処へでも行けるようになって来ている。しかし、体力・気力が減退してきているのである。

 とくに、「山ノ神」である。簡単な山ばかり求めるし、ちょっときつい山となると、「あんただけ行って来たら・・」 であるが、鵜呑みにしたら、後々が面白くない。遠出をしたら、割と容易に登れると思っているようであるが、実際そのようにはいかない。何故ならば、標準コースタイムを上回った事などなく、5割増しなどの事が多い。弱った!



6/18 いよいよ自粛解除で県を跨いでも良いようになる。九洲か北海道へと思っていた企画も、コロナでいっぺんに気勢を削がれてしまい来年以降となりそう。それでも、3~4日程度で、東北辺りへは行けれると思っている。それよりも、北アの山々での企画を、どのようにすれば良いのか迷っている。



6/17 身体の調子が何だか変だ。「だるい!」 「すぐ眠たくなる。」 「アルコールを飲むと、いつの間にか眠ってしまう。」 「山行の後、体重が減っても、翌日にすぐ回復していたのに減ったまま。」 「体脂肪値が小さくなっていく。」 何かのシグナルなのだろうか? でも、食欲はある。そして、次行く山へとの意欲もある。



6/16 1月から今日現在の山行回数が66回となった。特別の山に行っているわけもないし、速さを求めての歩きでもないから自慢も出来ないが、仕事前に出掛けた事もあるし、公約?通り「休日には山に・・」を100%実行している。でも、最近何だか疲れて来たような気がする。

 今月の休日は、あと4回あり、このまま行くと6月末で70回になる。一年通せば、もしかしたら、100回どころか120回を数えるかもしれない。もちろん、病気やケガをしない事が何よりも条件であるし、根気も続かなければなるまい。

 その我々にも異変が生まれつつある。「仕事日に疲れを取っている。」 「行きたい山があったら、行ってもいいよ!」 と、「山ノ神」が戦線離脱を匂わせる言葉を発するようになってきた。その反面、簡単な山や、山旅と言われる遠出を催促する。今年から休日を増やしたから、山行回数が増えたわけだが、連休回数も増えたのである。

 私には、行きたい山がまだたくさんある。行った事のない山もあれば、何度行ってもいい山もある。1/2とは言わないが、1/3か1/4くらい自由にしてくれるなら有り難いのだが。そんな私も疲れが取れにくくなって来ている。また、以前行けた山も、だんだんと遠くなっていくのは仕方がない。でも、他の事が出来ないのだから、やっぱり山と親しむ事しか出来ない。



6/15 晴れを信じて雨飾山。25回目は梶山新湯側から。8号線経由で来たのですが、どの河川も濁流が凄く中洲が見えないくらい、でも雨飾山周辺の雨量は少なかったのか、登山道の泥濘は大した事がありませんでした。

 中の池から、小谷側との分岐(合流)までは残雪が多く、アイゼンが欲しいくらいでした。「山ノ神」の安全のためステップを切らなければならず、そのための筋肉は日頃使われていないからでしょうか、足が攣りそうになってしまったくらいでした。

 ゆっくり歩きの私達故に、笹平に着いた頃にはガスに覆われ展望が無くなってしまいました。でもシラネアオイが目的だったので、「まあ~、いいか!」 となった次第でした。そのシラネアオイですが、真っ盛り、または、終焉を迎えようとしていました。

 他には、ハクサンイチゲ・ハクサンチドリ・カタクリなどが目を楽しませてくれました。人気の雨飾山としては珍しく、一組のパーティーとしか遭遇しなかったのですが、それが何と、河原氏らだったのですから、またびっくりでした。



6/14 雨。「でも行かなくては・・」 お天気の良い時にだけ出掛ける。それはそれは楽しいだろうな! そんな事を言っていたら、今出掛けている半分も行けなくなる。「雨は雨の良さがある。」 それこそ負け惜しみも加わっているのだが、その人その人の人生だから、他人がとやかく言う事ではない。

 「ずっと山に行きたい。」 「出来れば出来る限り仕事をしていたい。」 のだから、「休日は山に・・」 なのである。さて、何処に行こうかとなったが、「雨だしササユリに会いに行こう。」 と、八乙女山・大寺山になった。それは林道歩きでも構わないし、出来れば赤祖父山までと欲を出して臨んだ。

 始めから雨であった。でも、大降りではなかった。八乙女山のササユリは丁度見頃だった。あそこにも、ここにもとシャッターを切った。途中から道宗道を避けて林道歩きを選んだ。滑って転ぶリスクがあったし、林道にもササユリが咲いているからであった。

 ササユリに会いに来た「山ノ神」であったが、雨が強くなってきた頃から、途中で止めても良いと言い出した。それには私は拒否反応を示した。赤祖父山は止めにしても、大寺山には必ず行く。「山ノ神」にしてみれば、言ってみたけれど、行かなくてはいけないんだろうなと覚悟はしていたようだ。

 大寺山にタッチして帰路に着いたようなものであったが、栃原峠からは、道宗道に上がれと「山ノ神」が言ったのでそれに従った。ほんの少しであったが、濡れていても山道はやっぱりいい。八乙女峠の東屋で軽く食事をしたが、肝心のコーヒーカップがない。車の中に忘れてきたようだ。いつもなら予備の紙コップがあるのだが、違ったコッヘルを持ってきたのでそれもなし。展望が効く駐車場でようやくコーヒーが飲めた。



6/13 山登りも高速化したのか、いろいろな情報から、何と速いのかと驚いてしまう。昔も孤高の人に出て来る加藤文太郎ように凄い人がいたのだが・・・・。山に登るには、それ相当の準備をしてなどと言われているのであるが、何も担がずに、また、ほんのちょっとだけ担いでなどの人達が最近は多くなって来ている。

 それはそれで凄い人達だと思うのであるが、果たしてとかも含めて、必ずしも賛美を送れないところである。以前、速く登ればそれだけリスクが減る (半分の時間で登ればリスクは半分になる) という意見と論争した事があった。確かに半分になるかもしれないが、歩く所は同じであるというものである。それこそ半分はヤッカミだったかもしれない。(苦笑)

 私は、安全な装備を担いで、尚且速い人を絶賛する。また、リーダーとなる人は、同行者へのリスクも考えてである。0.001%の事もやっぱり頭に入れておいて欲しい。可笑しい話で恐縮であるが、あれも心配これも心配で、だんだんと荷が重くなって行く。「何入っているの?」 「テン泊ですか?」 それはそれでいい。半分訓練・鍛錬なのだから・・。いやいや修行みたいなもの。

 

6/12 昨夜から更新が出来なかった。今回は私の怠慢ではなく上書きが出来ない状態になってしまったのです。それが全ファイルに及び参ってしまいました。「 〇〇.html このファイルを開くためのアクセス許可がありません。このファイルの所有者または管理者に問い合わせアクセス許可を取得してください。」 との表示、所有者は私ではないか? これといって違った事をやったわけでもない。平生と違った事をやったとすれば、「富山県 地元で泊まろう!キャンペーン」に応募したくらいです。

 面白くない時間が過ぎていきました。そして、YAMAPを見ていたら、先日犬ヶ岳への途中お会いした方は、親不知から黒岩山往復されたようである。それだけでも驚きだったけれど、私より断然早く降りていかれたのだから、凄いというしかない。そして、最近知り合ったカズミンさんが、この時期に早月尾根日帰りである。只々脱帽です。まだあった。折立から黒部五郎岳日帰りである。(折立前泊であるが) 世には凄い方がいっぱいだ。

 午後1時頃、ロックが外されたのか、ファイルへの書き込みが可能になった。不思議である。あれだけ何度もチャレンジしてダメだったのに、ポカっとOKになるのだから、メカに弱い私にはさっぱりである。もっとも、HP支援ソフトを使っていない故なのであろうか? そんな事はないように思うのですが・・・。



6/11 梅雨入りになったようである。しばらく雨が降っていなかっただけに恵みの雨と思われる方もあっただろう。しかし、何処かへ出掛ける、また何かしようと思われた方には、イヤな雨だったように思ったりする。梅雨になったから連日雨とは限らない。意外と6月は雨が降らない。降るとしたら、7月上旬のような気がしてならない。今までの記録を振り返ると意外と6月に出掛けているのだから・・・・。

 「コロナで自粛」(私はしていなかったような気がしているが・・) が、6/19から変わるような気がする。間近ではアルペンルートが動く。また他県への移動が解禁される。その他いろいろな規制がなくなるような気がする。そうなると、何処の山に行こうかとなる。薬師岳・雨飾山・大猫山・唐松岳・白馬岳・白山・金山天狗原山など、昨年行けなかった山や、どうしても記録的に行きたい山など、自分勝手な思いがある。

 その反面、ゆっくり動かず山の中にとの思いもある。それは、なかなか実現出来ないでいる。どんな形でも山と親しんでいれば良いのかもしれないが、「欲」を取り除くのが難しい。九州や北海道の山旅も今年は流れそう。でも、まだまだ元気で長生きするのだと思えば希望は消えない。



6/10 アベノマスクが届いた。県斡旋のマスクも買った。そこへ東京の姪から高価なマスクが届いた。(一枚1,000円)「軽息(かるいき)マスク」は、通気性に優れ、洗って繰り返し使える飛沫防止マスクです。着けて涼しい、夏場に嬉しい6つの機能を備えています。伸縮豊かな生地がお顔の広い範囲にフィットして、日焼け防止にも効果を発揮します。との事。

 1、呼吸が楽! 話しやすい! 2,紫外線99%カット 3,吸汗速乾 4,つけて涼しい!! 5,あらって繰り返し使える 6,制菌・抗菌防臭が特徴。何処かのバイヤーが買付に来ているようだ。この軽息マスクは、姪のダンナの会社(ダンナが社長)が製造している。 との内容。

 なんといっても通気性が良いようだ。メガネが曇らない。息苦しくならない。スポーツにも優しいようだ。引き手数多のようであるが、生地が入り難く困惑もあるようだ。私も明日から仕事で使おうと思っている。それにしても、10万円の給付金はまだかいな!



6/9 一昨日の犬ヶ岳山行に関していろいろな形でメッセージを頂いた。「私も行ってみたい。」 「栂海山荘で一泊するのがいい。」 「足は大丈夫でしたか?」 「靴下を忘れた時点で撤退します。」 「歳を考えては如何ですか?」 「シラネアオイはどの辺りで?」 などと、私の事を心配、あるいは興味を持って頂いている事に感謝しなくてはの気持ちでいっぱいです。

 靴下を忘れたのは二度目であったが、過去の場合は軍手で一本ずつ足指を入れて凌いだ。今回は、上手く入らなかったし、行程が長いのでやっぱり不安であった。まず片方の前足首が革と擦れて痛かった。軍手を挟んだがすぐにズレるし、ズボンを下げて裾を靴中に押し込んだりした。

 結果的には、「気力」 「根性」 しか無かった。山頂に着いた時、靴を脱いだ。靴の中に枯れ葉や小石が入ったりしていたし、足が茹で上がっていたような感じであった。でも、マメが出来たり、靴ずれ状態にはなっていなかった。でも、足全体が重たかった。

 問題は下りであった。しかし、白鳥山から犬ヶ岳間の標高差は300mであるのに、3時間は掛かる。それだけ、登っては下り、下っては登るというのが何度となくある。しかし、黄連山・黄連の水場・菊石山・下駒ヶ岳と目標があり、一ツずつ潰していくのであるから張り合いがあった。

 流石に白鳥山まで来ると、足裏に違和感を覚えた。でも、歩くしかないのである。分岐・鳥居杉・沢を渡る・山姥の洞など、もう少しもう少しであった。早く靴を脱ぎたい一心であった。お天気はさっぱりで何も見えなかった。でも、歩き通した達成感が自分を救ったような気がする。



6/8 天蓋山には2つの喜びがあった。西田氏と久し振りの再会があった。(吉浪氏?とも知り合いになった感じ) そして、朝日町の折谷夫妻との予期せぬ出会いも感激であった。世間が狭いというのか、誰しもの思いは同じなのかもしれないが人生は面白い。やっぱり元気でいたら何が起こるか分からない。

 昨日は、私の思い通り(犬ヶ岳山行)にしてもらった?事もあり、今日は、「山ノ神」の意見を聞き入れ天蓋山としたが、昨日と打って変わって360度の展望が広がっていた。いつも良い事ばかりないが、悪い事ばかりではない。「休日は山に・・」 にである私達にしてみれば、ラッキーにラッキーが重なったように思えた。



6/7 ピーカンの予報が全くハズレ一日中展望なし。おまけに午後から霧雨。瞬間2~3秒視界が広がったが後ダメ。下山時白鳥山付近で2~3分晴れたかに思ったがやっぱりダメ。車に乗ってから、遠くに後立山が浮かんで見えたかに思えたが・・・

 「チャレンジ犬ヶ岳」 であったが、大失態であった。靴を履こうと思ったら靴下がない。昨日から準備をして、破れたのを整理していた筈だったのに、違ったカゴを持ってきたようだった。過去にもそのようなことがあり、軍手を使った事があったが、今回は足に合わなかった。

 ここで止めるわけにいかないので、そっと、直に靴中へ足を入れる事になる。(不安がいっぱい。) その靴も以前2割引に惚れてワンサイズ上の靴であった。今までは靴下を2枚重ねて履いていたくらいなので、尚更不安であった。しかも、昨年から、夏用に降ろし毎回のように履いているので、ソールもかなり減っていたから・・ 

 歩き始めて最初に響いたのは足首だった。軍手を入れたり、ズボンを下げたりしたが、すぐにズレてしまう。足の親指、踵なとと都合が悪かったが、最後はムレだったかもしれない。(家に戻ったら、足裏がおかしかった。)

 そんなのに、目に入る山菜を採ったりしているので、尚更遅くなる。それでも、予定通りに歩けたのであるが、やはり時間の経過と共に遅くなっていってしまった。正午まで山頂に届かなかったら、引き返すつもりであったのが、11時前に着くのではないかと途中思えた。しかし、山菜採りの事もあったとはいえ、疲れたのか11時45分着になってしまった。

 帰りはやっぱり参った。5時間近く掛かってしまった。でも、終焉間近であったが、カタクリのプロムナードはやはりいい。踏まないで歩くのが難しいくらい。また黄連の水場辺りのブナが素晴らしい。今回は靄っていたから余計に神秘的であったように思えた。そして、栂海山荘近くになると、シラネアオイがたくさん咲いていた。



6/6 「こんなハズはない。」 と思いながら、体力の衰えを実感している。もう一度、今の自分を試してみたいと、明日は犬ヶ岳に挑んでみたい。過去6回は、それなりに余裕があったように思っているが、それから、かなりの歳月が経っているから、どうなるかわからない。これでダメなら、これからの山行を見直さなくれはならない。



6/5 一週間前金剛堂山の頂きで知り合った若いカップルに、奥金剛から東俣に出て長い林道を一緒に歩いてもらった。長い時間を共有してもらうと、歳の差も何処かへ吹っ飛んでいった感じであった。若い男性(和田君)は、ほんの僅かであるが、2ヶ月前天蓋山で一言二言会話をしている。(私は覚えていなかったが、彼は覚えていてくれた。) 女性は会社の同僚(菊地さん)で、全くの初対面であった。

 そんな彼女からメッセージが届いた。やっぱり嬉しいものである。電話番号やHPの事は知らせておいたが、こちらのメモにはお名前しか記されておらず、連絡も出来ず、もどかしさを感じていた。またお会い出来るかどうか分からないが、想い出を確実に刻んだ気がしてならない。



6/4 私の休日は、主に日曜・月曜日である。しかも、全日曜日休業としたのは今年からであって、山歩きは平日(月曜日)が殆どであった。先週たまたま土曜日も休業として金剛堂山へ行ってみたが、たくさんの車にびっくりしたのである。そういえば、大日岳に出向いた5/24も日曜日であったが、称名ゲートの開門前から多くの車が列を作っていた。5/31の日曜日の負釣山にも、たくさんの登山者が押し寄せていた。

 今更ながらに、たくさんの山愛好家がおられるのだと思ったが、平日はそれほどでもない。中高年の中でも高齢者と言われる方々が多いと思っていたが、その方々も土日に行かれる事の方が多いのかもしれない。静かな山より、賑やかな、そして、安心して登れるという事なのだろうか?



6/3 直近の10日間の内 9日間も山に出掛けていたのだから、やっぱり疲れた。特別な山に登っていなくても、登山口までの往復の運転、帰ってからの飲食、そして、遅くまで起きているから睡眠不足が続いた。この間、多くのお客様に迷惑を掛けてしまったが、それでも再び来店をしてもらえるのであるから本当に有り難い。

 自分では、まだまだと思っていても、「お元気ですね!」 と言われるのであるから、普通ではないという事なのであろう。鍛錬と言っても、衰えを遅くする事が出来ても、それ以上になる事はないと自覚はじめた。 (今頃気付いたのか? である。)

 山行スタイルを変えるのはかなり難しい。いろいろなスタイルがある事を認識していても、イザとなるとなかなかである。でも、ケガをしたり、病気になったらそれまでである。バランス感覚とか瞬発力が無くなって来ているのは確か。でも、持久力とか荷を担ぐ事には、そんなに遜色がないと思っているが、いずれ怪しくなるのは間違いないであろう。

 ちょっとでも長く山と親しむにはどのようにすれば良いのかは、これからの課題である。今でも、「80歳を過ぎてからでも、雪山でキャンプが出来るようなら自慢をしたい。」 のが夢である。それが 「低山であっても・・」 と、トーンダウンしても構わない。



6/2 今日は、連休?最終日。昨夜から、「もう疲れたから山に行かない。」 と言っていた「山ノ神」が、私がスタートする寸前に、「行く」 と言い出した。百間滑・龍神ノ滝なら簡単だと思ったのかもしれない。私自身も百間滑・龍神ノ滝は初めてで、瀬戸蔵山・大品山は、ほぼ積雪期や残雪期に出掛けたのに過ぎない。(と思っていたが記憶は定かではなかった。)

 誰しもが、だんだんと衰えていく自分自身との戦いである。「山ノ神」は、今日も辛かったようである。かと言って、私だけが出掛けて行けば、我家は面白くない日々を迎えなければならなくなる。そうなれば、「おだて」 しかない。私は、そんなのが苦手だから、お互い単独行になる。

 私も自分自身の衰えを肌で感じている。それをどのように理解して、どのように付き合えるかである。どれだけトレーニングをしても、衰えるのは間違いない。「山は、ゆっくり歩くのがいい。」 と切り替えるのも一つである。今年から休業日を増やした関係上、単純に山行機会が増えている。

 「休日は山に・・」 が、ライフスタイルである私に、「全部付き合わなくても良い。」 そして、「夫婦で150歳まで山歩き。」 を目標にしようと言ってみたが反応は薄い。やはり、良いお天気の時だとか、それなりに魅力のあるところへは行ってみたいようである。

 大品山周辺のブナ林は素晴らしい。新緑と相俟って実に素晴らしい。虫さえいなければ最高なんだが・・・。鍬崎山などは、二人ではとても行けそうではない。私は、それで良いと思っている。二人で行ける山を半分ほど確保して、もうちょっと、ハードな山は、気前よく送り出してくれたら最高なのだが・・・



6/1 5/24から、5/29を除いて、ずっと山歩きが続いている。(明日まで) 今日は、昨年の10月雨の時以来の中山に登りました。予報は良くないのと、「山ノ神」の「あまりきつくないの!」 を加味して選んだのであるが、雨どころか、時々陽が差し、暑いくらいでした。平日であったからでしょうか、他に登山者は一人で静かな山を楽しみました。

 「中山なら楽勝」 と思った「山ノ神」であったが、待っても待っても上がって来なかった。「お互い単独行」は、今日も健在? その「山ノ神」、下りの東小糸谷では、コシアブラはなかったものの、ウドを見付けた。山菜となると元気が出る可笑しな人だ。