7/31 梅雨が上がりそうであるが、なかなか パーっとはいかないようである。そんな中、今度の連休(8/2~8/4)は、キャンプを取りやめ (予約が必要なところもあるので)、日帰りで3日間を過ごす事にした。候補は、唐松岳・金山天狗原山・白山である。(もしかしたら、白山と白馬岳が入れ替えになるかもしれない。) しかし、皮算用だけに いつでもひっくり返る。これが夫婦山行の利点であり弱点かもしれない。



7/30 「草刈り病」という新しい病気が現れた。「好山病」より質が良く歓迎されそうだ。その2つの病気を持っているのが、我々の仲間の岩城君である。彼は以前から赤谷山や猫又山の整備(草刈り)をやっていたようであるが、昨年は、七姫山にも手を入れた。

 仲間の堀君も完全に感染し、もうそのトリコになっているようだ。昨秋は、その七姫山に、雨の中招待されたが、登山道に着くまでの林道は ” なんじゃこれは ” と思うほど荒れていたが、そこを乗り越えて来た人だけが楽しめるのだと、当時の彼は言っていたが、今は、もっと質を上げているようである

 尻高山や白倉山などに着手して、今は何処を刈り開いているのか知らないが、仲間が草刈り機やチェーンソーを買い出したと言っている。草刈り十字軍並で、「越中登山道整備開拓軍」とでも呼ぼうか! 富山の登山愛好家の中では、知らぬ者がいない岳人 岩城・堀・坂東・池原の諸氏が名を連ねているが、一緒に行動しているかどうかはまだ確認していない。



7/29 梅雨明けなんかないのではと思っていたが、やっぱり時期になると ちゃんとなるようである。一つ晴れマークが出ると、オセロのように前へ前へと連なって来る。そうなると、問題は、こちらのモチベーションが如何にとなる。

 梅雨明けしたら、毎週のようにキャンプだと思っていたが、全国的にコロナが蔓延の様相で出鼻を挫かれるような感じある。最も、久しぶりの重荷になるから、不安が募るのも正直なところ。第一週は薬師岳と黒部五郎岳の予定であったが、いろいろと絡み合って、今のところ不透明である。

 晴れれば、3日間とも自由になるはずがない。唐松岳・白馬岳・白山と名が出ているが、3日連続でその山へ行くのも難しいだろう。「私は、行ってもいい。」 と言って「山ノ神」をはぐらかすのも一つの手であるが、そうもいくまい。あっそうそう・金山・天狗原山も候補に上がっていたか?



7/28 コロナの関係、また長雨も影響しているのか、今年の宿泊を伴う山行は、3月上旬の金剛堂山での雪中キャンプと、6月中旬に粟ヶ岳・巻機山へ出掛けた時の車中泊をしただけである。今か今かと梅雨明けを待つのであるが、果たして訛っている身体はいう事を効いてくれるのだろうか?

 昨年は、2月3月とも大地での雪中キャンプ。4月上旬に好山病温泉山行。6月上旬に中国遠征。8月上旬には東北遠征。11月上旬に那岐山と観光などがある。8月中旬には雷鳥沢キャンプもあった。その他に白馬で3回も泊まっている。(唐松岳や入笠山など)

 無理する事などないのであるが、身体や心は、その方向に馴染んでいくというのだろうか、楽な方になびいてしまう。そして、ライフスタイルが崩れていくのだろう。何が良いのか分からないが、自分のしたい事をする。そのために働いている。そのために周りとの調和を図っている。
   あれもこれも自分の思う通りにいくはずがない。だから選択という分岐点に出る。どちらに行こうが常に悩むし後悔をする。同じ後悔をするならであるが、なかなか上手くいかない。だって、これが普通の人間なんだよ!



7/27 決まった時間に電話を掛けなければならない用事があったが、それをこなしてからでも誘われた大辻山に行けたのであるが、昨日の疲れなのかどうか分からないが、「山ノ神」はウンと言わなかった。そうなれば、この空模様からして八乙女山しかなかった。

 一応「山ノ神」の要望を聞いたのであるが、「あんたね。この時間から、あんたの足で行けるハズがないでしょう。」 の言葉で、またまた沈黙の ” お互い単独行 ” が始まった。ちょっと行っては止まる。ちょっと行っては水を飲むが続く。「そんなので・・・」は、言わなかった。言ったらおしまい。

 雨降る前、そして、少~し風がある。大平展望台でコーヒータイムである。そうなれば喋らないわけにはいかず、「飲むか?」 になる。東屋までちょっとであるが、私はここから眺める牛岳が好きである。霧雨が落ちても屋根のない開放感もいい。積雪期で眺める位置が嵩上げされるともっといい。

 「山ノ神」が、八乙女峠にいる 「河原氏とまきさん」 を見付けた。彼らは健脚だけでなく、お花が極めて詳しい。そして、メカもである。またまたコーヒを飲みながら たくさんお喋りをした。片貝と大平山以来であるから、久しぶりであった。断層を案内してもらった後、一緒に降りた。今日も車に戻ってから雨が強くなった。

 余談であるが、お二人は、我々の事を、「今日は何処へ行ったのかな?」 とか、「もしかしたら、八乙女山にやって来るかもしれない。」 と思っていてくれたらしい。特別の技も芸もない私達だけに、時折だけでも、思い出してもらえるなんて本当に嬉しい事です。そんな事もあって山頂を踏まずして戻ってしまった。



7/26 今日は小佐波御前山。マキちゃんと一緒。展望レストラン(バーベキュー広場) 前駐車場に行くと何だか車がいっぱい。トレランの人達なのか、バーベキューする人達なのか確認せず、登山口を今生津(いもず)に変えた。今日は、マキちゃんがガイド役。

 やっぱりこちらから登る人は断然少ないと見えて、マキちゃんは蜘蛛の巣を払いながら先頭を歩いてくれた。通常ルートと少々勝手が違うが、それでも泥濘が少なく時間的にもそんなに変わりなく登る事が出来た。そして、心配していた雨が降らず、小屋のお世話にならず、開通記念碑のあるベンチで食事をする事にした。

 町並みがはっきり見え、富山湾や能登半島も手に取るように伺えた。そして、いつもの事であるが、マキちゃんが持参してくれたご馳走でお腹がいっぱいになった。つもる話もあって、あっという間に時間が過ぎ、下山路をどうするかになった。来た道を戻るか、本道(猿倉山)へ降りるかである。

 結局、猿倉山側に降りる事になったが、そんな事は想定されておらず、車は今生津にある。それでも、あえてそれを選択したのは、より歩く事が出来るからである。そして、猿倉に降りてから、舟倉用水を歩かず自動車道を選んだ。並びながら歩けるからである。たくさん話が出来た。歩いた距離は14キロ。



7/25 予報はどう転ぶか分からないが、明日明後日も我慢するしかないと思っている。同じ山・いつもの山になってしまうかもしれないが、それも試練のような気がする。「8月になったら、思い切り好きな山に行ってやろう。」 今は、そんな気持ちである。

 しかし、九洲か北海道のどちらか、そして、南アの一角もと淡い希望があったが、今年は諦める事にした。でも、まだまだ細切れになるかもしれないが、ちょっとしたところには行けるような気がしている。体力・気力の他に根性が必要か? いやいや、憧憬というのか思い込みが必要のように思う。(後々の事を思うと、どのような想い出とするかも、かなり重要な要素となるような気がするが・・)



7/24 イヤになる雨模様。そんな中、カズミン・per 師弟コンビが、テン泊に出掛けていた情報を得た。始めから雨のテン泊は、それなりの覚悟がいる。それを行くのだから猛者というしかない。5月の大日岳を彼らに誘われ登ったが、より厳しい所にチャレンジするのがたまらないようであった。

 でも、彼らは美味しいものを作るし、お花にも親しみを持っているし、山に対しては万能のような楽しみ方をする。だから 何事にも凄いというしかない。それもそのはず、カズミンさんの師匠はネコ氏なんだから当たり前か! そんなんだから、「山ノ神」を抱える私としては、こちらから声掛けなど なかなか出来ない。



7/23 今度の休日も雨のようだ。週間予報や向こう一週間の予報を見ても雨が多い。ずっと梅雨が続くような感じである。それでも 次行く山を模索する。雨・災害・コロナなどの障壁があっても、次の事を前向きに考えるのは楽しい。白山と雨飾山へは、今年中に、あと2回程出掛けたいとか、大猫山へは、今年行けないようでは50回は難しいと思っている。

 このまま元気なら、千石城山・大辻山・小佐波御前山・金剛堂山・白木峰・八乙女山は100回は行けるような気がする。高落場山・中山・高峰山も順調なら50回超はあるだろう。人形山(41回)・大倉山(38回)・僧ヶ岳(30回)は、意識的に登らなければ50回は遠い。だから、何としても、大猫山(38回)の機会を作りたい。

 剱岳の50回は、もうとっくに諦めている。(近年では、10年に3回ほどしか出掛けていない。あと何回行けるやら・・ 現在32回) このままでいけば、50回以上10座は、ここ2~3年で達成すると思えるのであるが、10回以上100座は なかなか厳しい。(現在54座) 3~5回の嵩上げをするとなると、かなりのエネルギーがいる。でも、塗り潰すというのか数字を積み上げていくのは励みになる。

 名山(百名山・二百名山・三百名山)は、元々踏破など出来ないと思っていたのでそんなに執着心はない。出来ればの気持ちと、その半分程度くらいの気持ちであった。それが、6割程度、最近は7割程度まで上がって来ている。九州や北海道へ行った事がないだけにその程度であったが、最近は必ずしも名山に拘らないでも、登った事のない山に登ってみたい気持ちも湧き出て来ている感じ。

 また、登った事のある山へも再び足を運んでも良いと思っている。ずっと、前の事など覚えていない事もあるし、交通手段も違うのである。今年は今までと違い休日を増やした。いわゆる週休2日である。普通のサラリーマンと比べればまだまだ少ない。何年か先に、営業日を週4日にしたいと思っている。(ならば週休3日) 働けて元気であれば何処へでも行けると思い続けたい。



7/22 山に関係のない友人から 「何回山に行った?」 と聞かれた。山の話をすると喜ぶと思っているからである。その友人からみれば、山バカ・山キチガイだと思ってるだろうし、私自身もそう思っているのだから話は結構噛み合う。「中味はないけど、今年77回」 と言うと、「お前、未だ7月中だぜ!」 「じゃ~、月10回、年に120回か?」 と流石に呆れていた。

 回数(山行機会)だけが先行するが、加齢による体調の衰退はもとより、今年はコロナで、近間の低山歩きが多いから自慢するほどでもない。それでも、少しずつであるが歳を重ねていくわけであるから、体調を上手く導けば ”スーパー爺 ” になれるかもしれないと淡い希望がある。(笑)

 現在、登りや持久力 そして、重荷を担ぐ事には、他の方々とそんなに遜色はないと思っている。しかし、下りはバランスが悪くなって来ているため、速く歩く事が出来なくなって来ている。いつも若い元気者と比べるからであるが、そんなに無理する事などない。

 夏山はもちろん、雪山でも、まだキャンプをする事が出来るのであるから、「御の字」 なのであるが欲は尽きない。それでも、近頃は、「あそこが痛い。」 「ここが可笑しい。」 というような事が増えて来た。しかし、私には山という素敵な趣味がある。そんな事に負けないで、ずっと 元気でいなくては・・・。



7/21 烏帽子尾根と宇奈月尾根の合流点で、2週間前小佐波御前山でお会いしたミーさんに声を掛けてもらった。なかなか分からないものだが、同じ格好をしている私だからわかったのか、「山ノ神」に特徴があったのかは分からない。そのパーティーにYAMAP繋がりの「かつゆきさん」がおられた。

 昨年同様、僧ヶ岳山頂に もう少しの所で、これまた山頂から降りて来られた宇奈月の竹山氏にお目に掛かった。何回しかお目に掛かっていないのに、同じ場所で同じようなスタイルで2年連続というのも珍しい。一言二言しか話さないが、それでも何だか嬉しかった。

 先行しておられたミーさんパーティーに、北駒ヶ岳で追い付いて一緒に写真を撮らせてもらった。その先、駒ヶ岳の難所?辺りから降りて来られた女性に「元さん~」 と声を掛けてもらった。「美香子です。」 と言われて、思わず「会いたかった!」 と言ってしまった。2月に大鷲山頂でお会いしたが、それこそ僅かな時間しかお喋りをしていないのにである。最も、時々であるが、山への憧憬を勝手に送り付けたりしていたからかもしれない。そして、「初雪山」というキーワードがそうさせているのかもしれない。それでも、ほんの僅かのすれ違いざまの一コマである。

 山を歩いておれば、いろいろな方々とお話する事がある。「もう少しだね!」 「頑張ろう!」 「それにしても暑いね!」 など、様々であるが、「こんにちは!」 の挨拶も、いじくらしい方もあるようだ。煩わしいとは分からないでもないが、自分一人では生きていけないのと、お互い助けるとか 協力していくなどと思えば 損とも言えないのであるが、人の考えは様々である。

 私の独り歩きのため、「山ノ神」は、僧ヶ岳山頂と仏ケ平で2時間以上過ごした事になった。阿部寛と阿部慎之助似のお二方にも声を掛けてもらったようだ。(鹿熊氏と古川氏) 大倉山で何度か一緒になった大山氏にもである。何処かのクラブチームからも。また、高岡のカタカゴさんにもと聞いている。美香子さんと写真を撮ってもらったようでもある。「そうとは知らなかった。 残念!」 とのお話もあった。何もかもが嬉しい話ではないか!



7/20 昨日は、年甲斐もなく ちょっと無理した事もあり、チョッピリ その後遺症があった。(太腿がちょっと痛い。) それでも、何処かへ行かなければの気持ちがいっぱい。 (最早、病気でしかない。その症状は自覚している。) 早起きしているものの 行き先を決めかねていた。 (予報は 昨日と違い上方修正?されていたから・・)

 結果的には、午前8時半過ぎ上市へ向かった。ハゲ山・城ヶ平山へ登り、早々に引き返し、以前から溜まっている所用を片付けようというものであった。ところが、上市地内に入ったところで、「雨降らないね! 朝日町の山でも良かったね!」 と「山ノ神」が言い出した。「山ノ神」は、山そのものより、車に乗っているのが好きという人である。

 南保富士に標準を合わせた。どうせ行くなら二王山も。まだ10回を数えていないからである。ところがである。南保富士は林道工事で通行出来ないとの事、歩くのは構わないのであるが、それがよくわからない。折谷夫妻にいろいろアドバイスを受けたが今回は断念する事にした。でも、粟ヶ岳のヒメサユリのお話が出来て良かった。

 ならばと、大鷲山の半分コースと烏帽子林道に入ったが、これまた通行止めのゲートで断念。諦めきれない私達は、再び上市に向かった。ハゲ山の登山口水上に着いたのは午後1時頃になってしまった。「山ノ神」は、ハゲ山だけかと思っていた。というのであるが、城ヶ平山に登ってこそ意味がある。などと、言い合いになったが、そこは私に従わざるを得まい。

 「山ノ神」の足取りは重かった。終いには「熱中症ってのはどんな症状?」 と言い出した。それもそのはず、風もなく、異常に蒸し暑く、汗がタラタラであった。気温も30℃超えであったはず。何もかもが びっしょりであった。” ちょっと行っては止まる。 ” の連続であった。倒れてもらっても困るのであるが、それでもコースタイムくらいでは歩いていたので、振り返りながら城ヶ平山に辿り着いた。

 城ヶ平山に着いたら、「山ノ神」は、いっぺんに変わった。ワラビを採りだした。ビールを飲み始めた。ここまでやれば大丈夫である。山並みは大倉山くらいしか望めなかったが、市街地の方は、富山湾を含めて視界は良かった。でも、黒い雲のあるところから、雷鳴が轟き始めた。降らない内に降りなければ・・・

 依然 「山ノ神」の足取りは鈍かった。私は、平生に戻っていた。浅生への分岐を過ぎてから、「ハゲ山へは私だけが行って来る。水上への分岐で待ち合わせにしよう。」 となった。峠山から「おーい」 と叫び声が聞こえた。私が、ハゲ山で記念写真を撮っていた時である。その後雨に遭わず水上集落に降りた。



7/19 日曜日だからであろうが、少々覚悟はしていたものの 僧ヶ岳の第3駐車場も烏帽子口も車がいっぱい。それよりも、仏ケ平のニッコウキスゲの咲き具合が心配だったが、予想通り昨年の事を思うと ちょっと寂しかった。それは当たり前の事だが、なかなか割り切れないものだ。満開(見事に咲く)のは、何年に1回という人もあれば、1年おきだという人もあるが果たして・・・

 「山ノ神」は、僧ヶ岳でストップ。昨年は、北駒ヶ岳まで行ったのに、今回はその気はなかった。ならばと、一人勇んで駒ヶ岳に向かったものの、昔ほどの事はない。時間に急かされると尚更である。僧ヶ岳に戻った時には足が攣ってしまった。あれだけ汗を掻くと、水だけではダメだという事が改めて分かった。

 今回は、たくさんの知人にお会いする事が出来た。本当に嬉しいし楽しい。また改めて記したいと思うが、僧ヶ岳山頂、そして、仏ケ平で待機していた「山ノ神」も、たくさんの方々から、声を掛けてもらったようである。「元さんの山歩き」では、「山ノ神」の登場する事の方が多いから 当たり前か・・・(笑)



7/18  最近は、お天気の関係で同じところばかり行っている感じで何だか飽きて来た。 (贅沢かもしれないが・・・) 県西部だけだったかもしれないが、明日は晴れるような予報だったが、午後から、いや、夕方前から雨になってしまった。どうしたもんだとなってしまった。

 白山・薬師岳・白馬岳・僧ヶ岳の中からと思っていたが、日曜日で交通規制があるから、白山はカット、薬師岳は、黒部五郎岳と引っ掛けてキャンプが有力。白馬岳も果たして今の力量から日帰りが出来るのだろうかと、次回以降にの延期としたら、僧ヶ岳となった。

 県東部のお天気は分からない。 (午後9時現在の高岡は晴れ降る気配はない。) そして、烏帽子口まで車が入るかも確認していない。でも、行ってみようと思う。以前はぐちゃぐちゃの登山道も歩いていたのだから・・・ 私は、駒ヶ岳まで行きたいのだが、現地に行ってから決まるだろう。そして、僧ヶ岳がダメなら、他の山に登れば良いだけの事。そう思えば気は楽。



7/17 私は現在、このHPの他、facebook・YAMAPに投稿している。私は、勝手に写真や思った事を割と遠慮なく?載せている。当の人達は、仕方がないと思っておられる方もあろうが、今までそれらしい苦情はない。それどころか、載っていないと逆に言われた事はある。

 しかし、他のサイトの事をツベコベいう事はないのであるが、ずっと気になっている事がある、それは、顔を隠している(消している)写真がある事です。イヤなら載せなければいいのに、また遠くから撮って、その雰囲気だけを載せればと思うのは可笑しいのだろうか? でも、そんなのが、かなりまかり通っている。

 でも、いろいろな考え方があり、どれが正解か分からない。波長の合う方と分かち合えばいいだけの事。そんな中で、機会があれば 「一緒に・・・」 と言ってくださる方々がある。社交辞令・おダテを入れれば、結構な数がある。どんなのでも嬉しい事に変わりはない。

 一度一緒すれば、「何だ・・・・」 になりかねないが、それでも、そんな事が実現出来ればこの上ない喜びである。 「一緒したければ、もうちょっと頑張らなくては・・」 と、今度は「山ノ神」にハッパを掛けなければならない。



7/16 「全部失ってごらんなさい。どうってことありませんよ。」= (どんな境遇になっても平気でいられる、そういう人間になることが一番幸せじゃないですか。) というのが、佐藤愛子(エッセイスト) ”気がつけば、終着駅 ” 今朝の新聞広告に載っていた。

 困っている時、悩んでいる時、また決断しなければならない時などには、ピッタリのメッセージのように思った。そのような心境になれば、怖いものなしかもしれないけれど、凡人には、なかなかその域に達しないものだ。

 破れかぶれになれば、そうなるかもしれないが、それでも捨てがたいものがあるはず。有形であっても無形であったもである。「そうだね!」 「そうかもしれないね!」 と言いながら、自分で作った殻から抜け出せないのが正直なところ。しかし、凡人・普通の人でも、愛もあれば人情もある。



7/15 昭和41年来の友・氷見の春ちゃんとこを訪れた。” 刎頚の友 ” と言っていいくらいの仲である。近年は、山行どころか、平生の交わりもあまりなかったが、今年は、意に感ずるところあってか2回目となる。飲むほどに、語るほどに、奥様の手料理が相俟って青春に戻った気がした。

 二人で85キロの荷を担いだが挫折、また、未だアルペンルートが開通していない頃に、黒四ダムに行ったこと、今では考えられない7月に下ノ廊下に挑んだり 、阿曽原から剱沢に迷いながら戻ったという、彼と私の他の人には語れない想い出がある。

 そんな彼のところから終列車で戻って、現在PCの前に居る。酔っている。眠たい。なのだが、この余韻を蔑ろにして眠る事など出来ない。世の中に、どれだけ私の事を分かってくれる人がいるのだろうと考える時、彼しかと思うのであるが、自惚れてはいけない。自分の事でなく、相手様の事を考えておれば、そう腹を立てなくても良いのである。



7/14 昨日の大辻山頂で声を掛けて頂いた若松女史は、H.23.01.04八乙女山で一度だけお会いした方であった。当時、我家の近くに住んでおられたT氏が、八乙女山に行った事がないと言われていたのでお誘いした時だった。山頂 (鶏塚・三角点 当時は、まだ大杉近く最高点の標識もなかった。) から、積雪の多い林道を歩いて降りた。途中、その林道ど真ん中で穴を掘って昼食とした。もちろん、誰も来ないと思っていての事である。

 そんな折、若松女史とお連れの方がやって来られて、「あんたら、元さんみたいな事して・・」 と言われたのである。最も面識もなかったので、「私が元さんです。」と言ったら、びっくりされた事を覚えている。それだけの会話で、やがて10年近くの歳月が流れていたのに、よく私が分かったもんだと感心した。

 もしかしたら、私は時々HPに登場しているからかもしれない。一方の若松女史であるが、僅かな時間しか話していないし、FB繋がりがあるというものの、そのお姿を拝見した事がなかった。家に戻って、当時の写真 (HP上に載っている) を拝見すると、面影があるというものの全く違っているように思った。(笑 失礼 そりゃ 若い頃の方が誰でもであるが格好いいに決まっている。横においでた娘さんを紹介して頂いたが、若くて素敵な方だった。彼女も、若い頃はそうだったんだろう。

 今日は暇だったので、何人かの方に、LINEで近況を尋ねてみた。雨で停滞しておられると思っていたら、その間隙を縫って、山へ出掛けておられる様子を伺った。また、雨の中を歩く方は、私(達)だけではなかった。それぞれのパターンがあって、それなりに楽しんでおられるのを知り、何故か嬉しくなり安心してしまった。



7/13 こんなお天気が続くと行く山の選択に迷う。「そんなら、行かなければ・・」 の声が聞こえて来そうだが、「休日は山に・・」 のライフスタイルを崩すわけにはいかない。山に行かなくなったら、半分終わったになってしまうから (本当は死んだようなもの)、何がなんでもなんである。

 そんな事があって出遅れてしまい鳥越峠に着いたのが午前9時を回っていた。午後から雨の予報だが、山はもっと早く崩れるかもしれないので、大辻山・高峰山・尖山を考えていたが、「山ノ神」に、北尾根からの大辻山に、どれだけだったら登れるかと問うたら、2時間半だと言った。

 時計は9時15分、雨に遭いたくなかったら、ビールを飲みたいなら、それ以上遅くなってはダメだと優しく煽った。それは、「この調子なら2時間で行ける。」 「今日は意外と速いね!」 など、いつもと違った手を使った。 (やっぱり、おだてだね!)

 それが本当に着いた。到達したのである。1~2分オーバーしたかもしれないが、「山ノ神」にしてみれば、久しぶりの快挙?である。2時間というのは標準タイム、速い人なら1時間で登ってしまうかもしれないが、そうなってしまったのだから仕方がない。

 疲れたから写真を撮る。疲れたからお花を探す。また、30分毎の休憩も良いではないか! 他人様がどう思われようと自分の思い(考え)がブレなければそれでいい。それでなくとも、長くやっておれば、年齢や回数など、他人様より上回る事だってあるのだから・・・

 それはそうと山頂に着いたら、予想外の展開が待っていてくれた。ガスで何にも見えなと思っていたのに、雲上にお山のてっぺんが軒を連ねているのである。他の山は見えても剣岳だけは見えないというのはよくあるパターンなのに、その方も見えたのである。時折、恥ずかしいのかお隠れになってしまう事もあったのですが、またまた大サービスがありました。

 山頂には女性だけの3人パーティーがおられた。何年も前に、一度だけお会いした事のある若松女史であった。よく覚えていてくださったものである。(他は娘さんと山仲間)お昼から雨になるからと、先に下山していかれたのであるが、私達は、次から次へと変わる剣岳劇場が終わるまで去れなかった。

 そんな欲張りは、後々響く事になり、下山途中の午後1時頃から雨に見舞われてしまった。でも、今日の雨は、それほど強くなく、心地よいとは言えないまでも、雨を予想していたのに、剣岳を始めとする山々に対峙出来た興奮が、傘など差しておれるかとなったように思う。



7/12 今日も雨。仕方なくと言えば良いのか、飽きもせずと言った方が良いのか、分からないけど八乙女山に出かけた。6合目で準備をしていると、カズミン・perの師弟コンビが降りて来られた。お互い「えぇ~」 であったが、この師弟コンビは、夏山縦走に向けての訓練であったそうだ。雨の中、17キロを担いで2往復の予定らしかったが、いろいろあって1往復となったようだ。こんな凄い人達と付き合うのは、今の私にはちょっとであるから、誘われないようにしなければならない。(笑)

 我々は、いつもの通り、ヤワヤワと歩いた。傘を差しながら滑らないようにである。展望があるわけもなく、可愛いお花に出会うわけもないのにである。 (通の人達には、小さなお花が目につくようであるが・・) 東屋で休んでいたら、YAMAP繋がりのグルートさんが、お花目当てでやって来られたらしい。(初対面、挨拶してすぐに立ち去られた。)

 他にも何人か、各自の思い思いの歩きをしておられた様子であった。何が良くて何が悪いかは分からない。やっぱり褒めてあげるのが一番のようである。そうだ!自分も褒められると嬉しいし、その気になってしまう。自慢は程々になのだが、おバカさんだから、すぐ忘れてしまう。



7/11 また休日がやって来る。お天気でないと、そんなに嬉しくない。先週は、只々歩いたに他ならない。「休日を消化している。」 そんな感じである。しかし、山歩きは人生と同じで、良い時ばかりではない。じっと我慢して、良きお天気に憧れの山に行くのが良い。

 先週の3日間も決して無駄な山行と思わない。「静かな山を歩いた。」 だけではない。少なくとも意欲を失わず、体力の維持に貢献したに違いない。わずか2~3日、、また、たった1回の怠けが、後々響いて来ると私は思っている。身体も意識も正直である。だから歩かないわけにはいかない。



7/10 私より4つくらい年上のお客様から弱々しい電話が掛かってきた。毎月お越しになる上得意のお客様で、ちょっと間隔が空いているから、「体調を崩されているのかな?」 などと思っていたら案の定であった。1ヶ月半から2ヶ月前に、脳梗塞を患い右半身が思うように動かなくなって、現在富山の病院で、リハビリを受けているとの事であった。

 思うように口も身体も動かないのに、私が心配しているのではとの思いから必死に掛けられたようであった。インテリでプライドの高く、特別の趣味などのない方であったが、いつも整髪が終わった後、都合が悪くない時は話のお相手をしていた。

 2年程前だったろうか、スマホにされた時、電話番号をお互いに登録した事もあり、今回の電話となったですが、そうでなければ、電話番号が分かっていても、なかなかその作業が出来なかったかもしれない。それでも、私のような者を思い出してもらえたのだから、それなりの存在感があったのかとやっぱり嬉しい。

 それより先、今度は、私より5~6つくらい若い山好きの男性が、心筋梗塞で入院したとLINEが入った。好きな山にも行かず、仕事ばかりの人生、また家の事ばかりに気を使っていた彼であったが、私の日頃の行動を賛美していてくれていたから話は合っていた。昨日退院したと顔を出してくれた。

 こんな歳になってしまったのかと思わずにはおれないが頑張るしかない。山岳部の同級生も8人中4人がなくなっている。しかし、相対的には、まだまだの年齢である。60代・70代は元気な方がいっぱいいると思っていたら、元気でない人もたくさんいるのだという。元気な者同士で会ったり、何かをしているから、皆元気でいるように思うが、実際には思うほどいないのだそうだ。

 ずっと、元気なグループにいたいと願うのであるが、まわりの人達が欠けていくのも寂しいものである。自分が、ずっと元気でいたいなら、今から若い人達の交流も大事な一つ。でも、エネルギーがいる。体力もそうであるが、世代間のギャップを埋めれるよう努力しなければならない。昔の事ばかり言っておるようでは相手にされない。



7/9 このところ、モチベーションが沈滞気味である。意欲・動機づけなどと言われるが、行動力の心理的な原動力は、内側から引き起こす動因と、外側から行動を誘発する誘因があるらしい。行動するには、肉体的に水・空気・食料などが必要で、心理的には、モチベーションがいるなどと、学者の見解には、分かるようで分からないのである。

 雨が降り蒸し暑さからイライラしているのか、それとも人並みに加齢からなのか分からないが、今まで出来た事、やって来た事が、出来なくなったり嫌になるような時が生じてきた。当たり前と素直に受け入れるのが良いのか、必死に抵抗?するのが良いのかはわからない。

 幸い私には山歩きという趣味がある。いい加減になってきたが仕事もある。お酒も飲める。泣いたり笑ったり出来る友人もある。そして、まだまだ歩ける足がある。これ以上望んだら罰が当たるかもしれない。でも、欲は限りない。その欲を自分だけのものにしないで調和出来れば最高である。他人様の事も考えられる余裕が出来れば人間としての価値があがるのかもしれないがなかなか難しい。



7/8 毎週日月を休業日にしてから、山行日が飛躍的に増えた。第一週は、火曜日も休業としているため(三連休)次の休日まで中4日である。これには些か参っている「山ノ神」は、営業日が身体を休める日としている。片道2時間程度の山なら問題ないのかもしれないが、4時間となると、2日・3日続けるのは難しいと言う。

 ならばであるが、1ヶ月に10日(1ヶ月の1/3)も山に行くのは大変であろうから、その内の1日か2日を私の行きたい山に当ててくれたら、私は満足するし、「山ノ神」の休養になるのではと提案すると、「仕方がないね!」 となった。しかし、好きな所へ出掛ける時は、車を置いていけというのであるから私は困った。

 それでは、「好きな所へ行けないではないか・・」 でも、今年の前半でも、大日岳や犬ヶ岳、キャンプの金剛堂山などは行かせてもらっている。「誘えばいいんだ!」 そんな所へは、「行かない。」 ・「行けない。」 と言ってもらえばこちらのもの。また、いつか遠出をするからの条件を出せば承知してもらえるかもしれない。

 そして、新たな提案もしてみた。なるかならないかは別として、月に1~2回、車を「山ノ神」に貸すというもの。お互いに自由なのであるが、私は誰かに乗せてもらえないと山には行けない事になるが、自力で行ける近くの山はないでもない。もしくは、山離れの訓練となる「電車・バスでの小さな旅」 が出来るかもしれない。果たして・・・



7/7 予報通り今日も雨。九州地方の酷い災害の事を思えば、「何をゴタゴタ言っているんだ。」 になるが、雨が小降りになるのを見計らって小佐波御前山に向かった。「こんな日に登る人なんかいないよね!」 などと言っていたが、バーベキュー広場前の駐車場には一台の車が止まっていた。

 「必ずしも山に登っている人達とは限らない。」 「昨日の事(中山)の事もあるしね。」 などと言いながら、転ばないように滑らないように、ゆっくり歩く事に専念?した。もっとも、階段が続くのだから、速く歩けと言っても思うようにならないのだが・・・ そんな私達も、雨の日には多く訪れていて今回が64回目である。

 傘を差して歩いたが、雨は降ったり止んだりで、山頂近くでは、遠くの山並みや富山市街地、そして富山湾も眺める事が出来た。2時間でと言っていたが、やっぱりオーバーしてしまった。 (でも、帰りはそれなりに・・・) そして、こんなお天気だから、小佐波御前小屋にお邪魔した。

 小屋には、先の車の方々だと思うが二人の女性がおられた。 (ミーさんとY田さん=間違っていたらゴメン!) この夏に北アのど真ん中に3泊4日で山行計画があるそうで、その訓練に来られたとの事。6~7Lの水を担ぎ、雨にも対応するためにもであったが、それだけではない。なんと2往復なのであるから魂消た。

 その2往復は、通しのものでないらしく、駐車場から御前山までが残っているとの事であった。彼女達より20分ほど遅く下山に掛かったが、やっぱり登って来られたのと出会った。「仲間に迷惑を掛けたくないから・・」 であったが、その山への憧憬は敬服するに値した。今夏の山小屋事情は、コロナの影響から予約が思うようにならないとも伺った。彼女らの素敵な山旅になる事を願って擦れ違った。



7/6 一日中雨の予報は、朝早く起きてもテンションが上がらない。行き先にも思案して決まらない。「山ノ神」に無理矢理決めさせたのが中山である。早月川の流れも、ゴーと凄い音を響かせていたが、水の色はまだきれいだった。雨が降っていても、馬場島近くでは、剱岳の稜線が見えた。

 もちろん誰も来る人などない。今日は、折りたたみの傘でなく平場の傘を持参した。急いでも仕方がないし、コツコツと滑ったりしないように歩いた。風はなく穏やかな山中であった。それこそ静かな山そのものである。山頂からの見通しは抜群とは言えなかったが、雨の中の展望としてはまずまず。富山湾もかすかに見えた。

 雨は強くなったり弱くなったりであったが、怯んでしまうような降り方ではなかった。それでも、山頂での食事をパスする雰囲気であった。1100m下の展望が効いて広まった所で、お湯を沸かした。止んだかに思えたが、また降り出した。でも、「山ノ神」は、どうしてもビールを飲みたいらしかったので留まる事にした。コーヒーを飲みたかったし。

 そんな中に、3人パーティーが上がって来られた。全くの空身である。少なくともお二人は、山に登られて間もない方のように見受けた。でも、「雨具は思ったより快適です。」 と言われたのだから、きっと山に嵌ってしまわれるのだろう。上がって来られる時、思わず 「あんたらち、雨降っとるがにバカやね!」 と日頃言われているセリフを言ってしまい苦笑いをしてしまった。



7/5 予報は良くないが、降らない内に八乙女山に行く事にした。お茶(コーヒー)を飲んでも2時間くらいあればとの算段。今朝になって、「私も行く・・」 とマキちゃん参加。俄然楽しくなる。どんよりしていたが降らない。降るような感じになるが、なかなか降らない。

 大平展望台は、かすかに山並みらしいものが見えるが、牛岳は全く見えなかった。東屋に入って、コーヒータイム。「まだ、たくさん歩いていないのに・・」 と思っても、私に付き合う時はしかたがない。マキちゃんは、ずっと昔一度来たらしいが、八乙女山の事はよく覚えていないという。だから、初めてみたいなもんだ。

 反射板からの周回コースを取った。三角点に着いた時、何処かで見掛けた人がやって来た。棚田女史である。健脚であるが故に、ヒョヒョとやって来たらしい。私らが鈍行なら、彼女は特急だ。「不動の水へ行きたいから・・」 とスーッと去って行かれた。

 東屋で二度目のコーヒータイムかと思ったが、それこそ閑乗寺公園上の展望駐車場でしようと先を急いだ。七合目から、「元さん!!」 と声が掛かった。先日の白木峰・小白木峰でお世話になった高木氏である。そして、同行の直江氏と大浦氏を紹介してもらった。その時は、調子に乗って喋り過ぎてしまった感がある。 (ごめんなさい!日頃はそんなに喋らないのに・・)

 車を展望台に着けたら、不動の水を飲んで来られた棚田女史と、またまた出会う事になった。時間のない彼女を無理矢理コーヒータイムに誘い込んだ。雨は殆ど降らなかった。そして展望台(東屋)から、素晴らしい景色を眺めながら少々山談義?となった。



7/4 私的に明日から三連休なのであるが、全て雨の予報である。だから特別の企画もない。近間の低山歩きになると思うが、ずっと雨が降り続く事もなかろう。「休日は山に・・・」 にであるが、あまり楽しくはない。でも、歩いていると、それなりの山を味わえるのである。梅雨の終盤?と思って我慢するしかない。 (実際は、まだまだなのであろうが、そう思うしかない。)



7/3 コロナ給付金に次いで、マイナンバーカードをスマホで申請してみた。ことのほか簡単であった。どうかすると、PCより便利のような気がする。持ち運べるPCであるし、検索などは断然都合がいい。しかし、総合すると、私のようなメカに弱い者は、いろいろな局面で右往左往しなければならない。

 でも、社会活動続けていくに付け、また趣味を続けるためにも、車と共に大事なアイテムである。面倒になったり嫌になったりしても、そこで終わったりしたら、何もかもを否定してしまうようなもの。だから何んでもチャレンジ、意欲なのかもしれない。

 「登山靴が届いた。」 というメッセージを相手様から届いてホッとした。忘れっぽくなっている私だけに、今度はどんな失敗をするのかと心配である。失敗が糧になって進歩していくのなら良いのだが、ダメ・ダメの連続であろう。それを何で穴埋め出来るのかなのであるが、今更笑顔だなんて効くのだろうか?やっぱり率直に誤ったり認めたりするのが一番かもしれない。「スーパー爺」 を目標と思っていたが、「可愛い爺さん」 も良いかもしれない。



7/2 法律事務所から一通の封書が届いた。全く心当たりがないまま開封すると、ディラーの破錠した旨の事が述べられていた。それこそ、” 寝耳に水 ” で驚いた。毎日見ているはずの紙上を見逃した事になるが、不燃物に出してしまった後のため詳細は分からない。

 それこそ、私が悪いのではないにしても、今後のメンテナンスを、どうしようかと悩まなくてはならない。2ヶ月後の車検も気になるところである。貯めていたポイントやオイルのボトルキープなども吹っ飛んでしまう。担当者は、その気配も見せていなかったのに・・・



7/1 大変な間違いをした私でしたが、たくさんの方々から情報を頂いたり、また連絡をしてもらったりして助けて頂きました。登山靴の持ち主で車を運転してくださった今井様には、なかなか連絡が着かないのですが、先程、ゆうパックでお宅へ送り届けるよう手配をして来ました。

 「山の情報は、山友達で・・」 と金沢の中野女史から今井様の情報を提供して頂きました。また河原氏→福野山岳会・大家様→高木様と連絡にも感謝です。俵先輩も随分と心配してくださいました。その他にも、「もしかしたら・・」などと、心配ご迷惑をお掛けしました。

 肝心のご本人とは連絡が取れていないのですが、明日になったら、分かってもらえるのではないかと思っています。後は、間接的にお世話になった方々に、ご挨拶しなければなりません。それにしても、今回はネットの力に助けられました。皆さんありがとうございました。