8/31 GO・TOキャンペーンの恩恵を受けて宿を出た。新潟県は雨。午後5時まで戻らなくてはいけなかったので、特別登る山もない。下道で通した。富山県に入ると、雨が降った形跡がない。ならば何処かの山に登らなくてはとなったが、結局は千石城山に辿り着いた。

 暑かった!汗が吹き出て来た。そして、展望は良くない。それでも、お山のてっぺんに登りたかった。ちょうどお昼過ぎであったから、カップ麺を半分こして、コーヒーを頂いて下山した。いつも言うように、トレーニングジムに行っているようなものだ。



8/30 話はいつまでも折り合わない。遠出で長く歩きたくないのが「山ノ神」の希望。どうかしたらドライブでも良いとまで言う。車が一台しかない上に、体力・気力の相違では、夫婦山行の欠点をさらけ出してしまう。そんな中、昨夜妙高に宿を取った。そして飯縄山に行く事になった。

 3回目と言えども、2回目は9年前の事で、薄っすらと覚えているが、そんなに当てにならない。でも、2時間~3時間で登れるはず。やはり単調であった。2時間半程のコースタイムの中に収まった。保育園か幼稚園の父兄を交えた団体、また、ボーイスカウトのグループなど、たくさんの登山者があった。

 ガスっていて展望はイマイチ。それでも北信五岳の一角を改めて極めたわけで、気分は悪くない。後は雨が降らない内にと思っていたが、もう少しのところで、とうとう降られてしまった。でも、戸隠中社辺りに来ると雨がやんだ。そうなると、黒姫高原へ行けという。コスモスは、まだ早いと思っていたが仕方がない。

 休暇村妙高に泊まった。休暇村は、広島・島根の吾妻山に行った時に泊まった事があるが、その他は、キャンプ場でお世話になっている。今回は、ちょっと楽ちんと、GO・TOキャンペーに乗っかる事を考えた。実際35%割引の恩恵を受ける事になる。



8/29 調整不足というのか認識不足というのか今度の三連休は、変更せざるを得なくなった。日曜日は、そのまま使う事が出来るのであるが、月曜日と火曜日は午後5時まで戻らなくてはいけなくなった。でも、休みがなくなったわけでもないし、月曜日・火曜日は、朝早く出れば、ほぼ一日使えなくもない。

 また、午後5時まで帰るつもりなら、日曜日・月曜日を利用して泊まれない事もない。また、月曜日か火曜日のどちらか 「山ノ神」に留守番をしてもらう事もありではないかと思ったりもする。どちらにしても不協和音が起こらないように穏便に事を勧めたい。



8/28 今度の連休(3連休)のキャンプはなくなった。暑さ・天候の急変・疲れ・気力・ムードなど何もかもが混ざった感じでの中止である。それはそれでいいのであるが、そうして、ずらずらと何事もなし崩しで行わなくなっていく危機感ある。

 落ちていく体力は仕方がないにしても、気力までも、その一途を辿るとなると、何もかもが昔の事のようになり、唯の人(普通の人)になっていく。最も普通の人に変わりはないのであるが、ちょっとは特徴のある人であり続けたい。

 従って、キャンプをしないにしても、何処かの山に出掛けるのは間違いない。そうでないと自分でなくなるような気がする。暑い暑いも、もう少し。その内秋風が吹くだろう。そして、「また雨か。」 という時もやって来る。



8/27 福井の宮ちゃんから、「伊吹山のユウスゲは遅かった。鹿害で花はありません。」 という情報を8/24付でもらった。 そう言えば、車山(霧ヶ峰)も、ニッコウキスゲが鹿にやられているようだった。だからか、至る所(山)に柵が張り巡らされている。

 イノシシ・サル・シカ・クマ・カラスなど、私達に害を加えるが、彼らからすれば、生きるため必死なのかもしれない。そんな事を思うと自然災害の怖さは比べものにならない。即命に関わるのであるから・・・・ 「何もかもが共存?」 なんて言ってみても、周り中の人との関係もギクシャクするのでは、何をか言わんであろう。



8/26 「次は何処へ行こうか?」 毎週のように、いや、毎日そのような事を考えているのだから、一年中という事になる。暑い暑いと言いながら・・・・ そうなれば、「山中に留まるのが一番良いとなる。」 しかし、戻るとやはり暑い。今年は本当に応える。

 今度の連休(8/30~9/1)は、高所でのキャンプがいい。しかし、こんなに晴れが続いているのに傘マークがある。しかし、怯んでいては何も出来ない。山登りは人生の縮図と言われるくらいなんだから苦楽があるのは仕方がない。でも、「山ノ神」は重荷を担げるのだろうか? やっぱり雷鳥沢が一番の候補となりそう。



8/25 白山行きの前夜は殆ど寝ていなかったので、家に戻って、風呂に入り缶ビールを2本飲んだら、ウトウトとなってしまった。ならば、早起きしてHP・FB・YAMAPをやればいいと午前3時に起きたが、思考力が伴わなかった。このままでいったら、一日中眠たいハズだから、椅子に座らないようにした。そして、夜も早めに床に着いた。でも10時半過ぎ。

 今年に入っての山行回数は90回を数えた。 (山行日数91日) このところ晴れている事もあり行動時間が長い。そして暑い。また歳を取ったからかもしれないが、疲れを感じるようになってきている。(当たり前か?)  執念というのか、このライフワークを否定してしまうと、自分の人生そのものが無くなってしまうような気がしてやめられない。前向きに動くしかないし、次は何処へ行こうかと模索する事に勇気や元気が出るような思いがある。



8/24 現在は、白山平瀬道は通行出来ないようだ。でも、別当出合まで下道でも吹っ飛ばせば2時間半で行く。何時に出るかと迷ったが、「山ノ神」の足を考えれば、やっぱり早くスタートする事に越したことはない。また、その方が涼しいのである。

 「山ノ神」は、観光新道を希望。コースタイム通りに登れたら、「生ビールをプレゼントする。」 とハッパを掛けてみたが、頑張ったのは、始めの1時間半だけ。殿ヶ池避難小屋で出会った大阪から来たという女性2名から、「室堂センターでの宿泊だったが、広い部屋で自分達二人だけだった。」 と聞いた。そして、何もかもを持参したと言っていた。その彼女らは、この先お花がキレイと言ってくれた。

 殿ヶ池避難小屋までは、シャジン以外殆どお花はなく、終わりかけたアザミを眺めながら、ちょっと遅かったかなと思わずにはおれなかった。しかし、「マツムシソウだ!」 から一変した。「ここにも。」  「あそこにも。」  「わ~っ、マツムシソウだらけだ。」  になった。このように広い範囲の群落は初めてのような気がした。

 マツムシソウは私達のお気に入り。そして、「山ノ神」は、なんたってトリカブトが好き。だから、なかなか上がって来ない。疲れているから尚更かもしれない。「馬のたてがみ」 が一番凄かった(キレイだった)かもしれない。ハクサンフウロウ・シモツケソウもたくさんあった。

 私は痺れを切らして、先に行く事にした。室堂までである。「山ノ神」は、黒ボコ岩や室堂への最後の登り辺りで迎えに来てくれるかと思っていたらしいが、私はそれに応じなかった。冷凍ラーメンを食べて、コーヒーを飲んだ後に「山ノ神」がやって来た。すぐにビールである。私が背負って来たのにである。

 あれだけ晴れていたのにお天気は急変怪しくなってきた。何だか今日の荷は小さくまとまっていたと思いきや雨具が入っていなかった。全く 「ありゃ!」 である。でも、私は山頂に行く事にした。しかし、やっぱり降られた。結果的には弱い通り雨のようであったが、降り始めた頃は、この先どうなるかは分からない。途中、ザックからゴミ袋を取り出し、緊急の雨具を作る事にした。首と両手が出るように切らなければならないが、薄いナイロンだけに持ち合わせていたハサミではなかなか苦労した。完成しても、上半身だけがカバーするが、下半身はそのままである。でも、雨は上がった。山頂で写真を撮ってすぐに降りた。

 室堂に降りてきたら、私の異様な格好に、いろいろな方からの視線を感じたが、問われるまで黙っていた。ニューファッションとでも思えたのだろうか? 改めてコーヒーを頂いた後、下山となる。砂防新道も黒ボコ岩から降りかかった所はお花が良かった。後は、まだかまだかの長い時間歩いた。予定よりかなり遅れた午後5時半別当出合を出た。高岡でスーパーに寄って帰宅したが3時間は掛からなかった。



8/23 やっぱり、なかなか起きれなかった。起きても何だかボーッとしていた。それでも山なのだが、なかなか行き先を決めかねてしまった。結局負釣山になったのであるが、登り始めは午前11時10分頃になってしまった。

 それでも、下山中の藤井・長崎さんコンビと出会った。山頂では、今春大地山頂で出会った竹田君に声を掛けてもらった。暑かったけれど、行って良かったとなった。明日は白山の予定であるが、どうなることやら・・・



8/22 娘のムコ殿の誕生日が私の一日後という事で、土曜日の今夜誕生会をしてもらった。私は、家で充分なのであるが、まあ~、こんな機会でないと外食が出来ないという事もあるのだろう。でも、家に帰ったら、いっぺんに疲れてしまった。(飲み過ぎだったのかもしれない。)



8/21 暑くてなかなか眠れませんが、睡眠時間を1時間ばかり多くしたら、ようやく疲れが取れた感じになった。3時間程が1週間続いたのだから、疲れるのは当たり前だったのかもしれない。でも、椅子に座ると、ついつい、こっくりとなる。それくらいは良いのかもしれないね。

 昨日、大阪の二男からプレゼントとして、モンベルの登山ズボンが届いた。至る所にファスナーが着いていて私好みだ。そして、短パンにもなるらしい。でも、私がそのような短いものを履いて良いものか迷ってしまう。(苦笑) ついでだったのかどうか分からないが、「山ノ神」用として、何と言うのかわからないが、キャロット?も贈られて来た。あの体型で履くのは相当勇気がいるだろう。



8/20 今日は私の誕生日。イヤでも73歳になりました。最近は、そうイヤでもなく、年齢を全面に出す事もあります。「若い」 のは良いに決まっています。出来ればそう有りたいのですが、そんなわけにはいきません。ならば、元気で長生きするしかありません。

 人の世話にならない元気ではなく、自分の好きな事が出来る元気です。それは、なかなかのようです。終活などの言葉は嫌いです。まだまだ生きるのですから、そんな事は必要ありません。最近、「私は140歳まで生きる。」 のだと言っております。だから、まだ人生は折返しなのです。

 そんな気持ちで生き抜くつもりです。 (80歳なら160歳を目標にしてください。) 笑われています。笑われてもいいのです。90歳になってマスターズに出れば優勝するかもしれないよ。 100歳になったら、有名人がお祝いに来るよ! ならば、やっぱりシワシワの顔にならないように、頭もボケないように、足腰もしっかりしていなければ・・・・。

 今日は、mail・LINE・FB・Messengerなどで、32通のお祝いを受けた。あまりお祝いメッセージを出していないのにである。本当に有り難い事です。そのためにも、ずっと元気でいなければと新たに決意した次第です。そして、山に登り続けます。



8/19 やっぱり疲れている。どれだけ好きな事とはいえ、この暑さや寝不足が祟っているのに間違いがない。座ると、すぐにウトウトするし、飲んだ後は、目がチョロチョロになる。そのくせに朝は早く起きてしまう。今年に入って、もう88回(89日)山に出掛けている。自分でも、パーではないかと思う事もあるがどうしようもない。



8/18 前日の岩菅山は、HPを初めてまもなくの頃のものを引用した。当時は、まだデジカメを持っていなかったように思う。フイルムカメラであったから、プリントしたものをスキャンして載せていたのだろう。山から戻ってすぐにUPしていたのだから、エネルギーが有り余っていたのかもしれない。そして、今と違い丁寧に記している。そんな事を思うと、現在の私の書き方は紀行文には当たらない。



8/17 盆休4日目(最終日)は、白山を予定していたのに、どうしても遠出をしたいという「山ノ神」に負けてしまい志賀高原の岩菅山に行く事になった。白山は遠出ではない?のではなく、歩くのがしんどいのだろう。私としては、この4日間キャンプも出来なかったし、「山ノ神」貸しを作るために出掛けたようなものだった。

 岩菅山は、19年前に一度出掛けている。確か一ノ瀬のスキー場から歩いた覚えがあったが、よく分からなかった。下調べが万全でなかったので、結局右往左往し、スマホで登山口を探す羽目になった。聖平という10台くらいの駐車スペースがある登山口に辿り着いた。20分くらい歩いたら上条用水路に出、それに沿って歩く。



     平成13年7月16日の山行を引用 

 岩菅山へは、東館山のゴンドラや高天原のリフトに乗って稜線に出、寺子屋山、金山沢ノ頭を経由するコースと一の瀬スキー場から、上条用水沿いを遡行し先のコースと「ノッキリ」で出合い、頂上に向かうのが一般的である。

 一の瀬スキー場付近に、「一の瀬寮前」のバス停があり、(実際は一寸見落しやすい。)焼額山や奧志賀方面と別れた手前の道で地元の方に、「岩菅山登山口」を尋ねたら、なおも1.5㌔程先に進めとの事だった。 岩菅山登山口のバス停あり聖平と称してあった。聖平は、標高1535㍍で、2295㍍の岩菅山との標高差は、760㍍しかなく、当初予定していたコースタイム3時間40分を、大幅に短縮出来るのではないかと、思わずニッコリしてしまった。

 岩菅山へは、東館山のゴンドラや高天原のリフトに乗って稜線に出、寺子屋山、金山沢ノ頭を経由するコースと一の瀬スキー場から、上条用水沿いを遡行し先のコースと「ノッキリ」で出合い、頂上に向かうのが一般的である。

 一の瀬スキー場付近に、「一の瀬寮前」のバス停があり、(実際は一寸見落しやすい。)焼額山や奧志賀方面と別れた手前の道で地元の方に、「岩菅山登山口」を尋ねたら、なおも1.5㌔程先に進めとの事だった。 岩菅山登山口のバス停あり聖平と称してあった。聖平は、標高1535㍍で、2295㍍の岩菅山との標高差は、760㍍しかなく、当初予定していたコースタイム3時間40分を、大幅に短縮出来るのではないかと、思わずニッコリしてしまった。

トンボが舞う綺麗な水流沿いに川幅と同じくらいの小道があり、流れと逆方向の南へと足を向ける。水辺の高低差のない水平道は、何時の日か、何処かの疎水付近を、散策した事を回想しつつ、志賀高原の朝のひんやりした気持のいい空気を、胸一杯に吸い込んでいた。武右エ門沢で小さな沢を渡り、もう暫く行くと、流れに別れを告げる荒板沢に掛かる橋を渡る。

 沢から10分程登ると「1739㍍」の古い小さな標識が樹木に張り付けてあった。なだらかな道から一寸下ったところで、今日初めての休憩。「10の5」の標識を過ぎると整備された階段を登る。「10の7」は標高1800㍍位でなおも登る。 頂上に達する稜線が見えてきた所に何故か「中間点」の標識があり、ノッキリへ35分、頂上へ70分と表してあった。さほど辛くない登りをコツコツ登ると寺子屋山方面から合流する2020㍍の「ノッキリ」に着いた。

 「ノッキリ」からは、樹木がいっぺんになくなり、展望が頗る良くなる。しかし抉られた道は、石がごろごろして歩きにくかったが、それも、クルマユリが目を楽しませてくれる頃からは、急登なったが足場がしっかりしていて登りやすかった。

私達が山頂に着いた頃に、ノッキリあたりから凄い勢いで登って来たアメリカ人の青年一人を除いて、今日も我々だけの山頂からの展望は、南にアンテナのある同じ志賀の横手山、その右に端正な笠ヶ岳。横手山の左は、火山跡の白い山が白根山でその奧が浅間山。西方面は雲が厚くかすかに北アルプスの山々の頭だけが見えた。その手前には、寺子屋山から東館山への稜線の道が浮かぶようにスッキリと見えた。東側の真ん前には、焼額山がスキー場としての姿を鮮やかに見せていた。
 岩菅山は二百名山で、同じ志賀にある「横手山」と「笠ヶ岳」は三百名山である。何時の日かリフトの乗らないで、それらの山頂に立って見たい。



8/16 お互いの考えが一致しない。キャンプの意欲がない「山ノ神」、遠出したくない私、ならば少しでも高いと所なる。僧ヶ岳に向かった。あまり良くないお天気でガスが立ち込めている。それでも12~3台の車が停まっていた。 (のちに4~5台増)

 ほんの一部・ほんの一時を除いて、ずっとガスに覆われていた。今日は、はじめから僧ヶ岳止まりと決めていたので急ぐ事もなかった。それでも、急登となると、「山ノ神」のペースが遅くなる。遅くなるのならまだいい。止まるのである。  最初は合わせていたのであるが、「先に行け!」 と言われたので、宇奈月尾根との合流点まで行ってしまった。まだ来ないと思いコーヒーの準備をしていたら、3~4分遅れでやって来た。「私はいらない。」 と言って「山ノ神」は通過である。私は、ゆっくりコーヒーを頂いて後を追った。

 なのに、15分も経たない内に「山ノ神」に追い付いてしまった。相変わらず段差の大きい所では、手を引っ張って助けなければいけない。またすぐ水休憩である。もうこのような習性になってしまったのかもしれない。だから元気者のような方々とは、とてもじゃないけど一緒出来ない。

 仏ヶ平に着いてもガスの中、時折、スーッとガスが引き全容が見えたかと思っても、またガスに隠れてしまう。ガスが通過する時は涼しい。止まっている時などは、半袖では寒さを覚えるかもしれない。一足先に山頂に着いてからお湯を沸かしていたが、「山ノ神」が、なかなか上がって来ない。後で聞いたら、「迎えに来てくれるかと思って座っていた。」 というのであるから呆れてしまう。

 後先に何人かの登山者が山頂に立たれた。こちらは、例の如くゆっくりである。駒ヶ岳まで1時間で行けたという30歳過ぎの青年と話す事が出来た。最近はあまり歩いていないと謙遜していたが身は軽そうであった。もう一人の単独行の男性を交えて、僧ヶ岳・駒ヶ岳中心の山談義に花が咲いた。

 

8/15 盆休2日目。やっぱり今朝は揉めた。「山ノ神」の希望は、「遠くへ・・・」 である。 私からすれば、「山ノ神」は、山なんかどうでもよいのである。そうでもないか? ちょとだけはあるような。そのような雰囲気の中で、いくつか候補を上げ、ハンドルを「山ノ神」に預けた。 どうしたわけか、金剛堂山に向かっていた。利賀までの運転をした事もないのにである。

   栃谷登山口に着いたら、オロロが巻き付いて車から出られない状態。これは敵わないと思い東俣に登山口を移した。そこでも、少々オロロはいたが、水域からちょっと離れるだけで随分と違う。車を入れれない事もないダートな道を歩いた。暑い暑い1時間である。

 東俣から歩くのと栃谷から歩く差は、ダートな林道を歩くとなれば、時間的にはそんなに変わらない。しかし、高低差は小さく、風衝地帯が多く、登山者の入り込みが少ないという魅力がある。

 おニューの登山靴に現を抜かしたわけでなかろうが、「山ノ神」のリックがない。誰のせいなのかわからないが、またまた全部、私が担がなければならなくなった。奥金剛・中金剛・前金剛へと、今までと逆ルートである。

 今年1月から8回目の金剛堂山。通算66回目となった。こんなに親しんでいたかと自分でもびっくりである。こうなれば、100回を目指さなくてはなるまい。本当は、そんな事はどうでもいいのであるが、目標があれば、それを達成しようと頑張るのが普通。



8/14 高岡発午前5時30分発 少し出遅れたが、牛首を過ぎた頃に池田氏と遭遇。こんな事はあまりないので一緒させてもらう事にした。私より7歳半も歳上の同氏であるが健脚そのもの。それでも謙遜ばかり。今日は、二人で153歳を出会った人達にアピールして楽しんだ(笑)

 早くに降って来られた美和ちゃんにも会った。 (大鷲山で美香子さんと一緒されていた方である。) いつもHPやYAMAPを覗いてくれていると言われて感激! その内に何処かへご一緒したい気持ちになった。その後は棚田女史である。山なれの貫禄もあり余裕の山行とみた。

 周り中に、上昇気流が立ち込め剱岳はダメかと思いきや、コルに出て(稜線に出て)バッチリ剱岳と対面出来た。小休憩を挟んで山頂に向かったが、時々剱岳の頭にガスが掛かったりしても、すぐに消えて、食事をしながら楽しむ事が出来た。

 今日も暑く身体中が焼けるような感じであったが、何事もなく下山する事が出来た。池田氏に随分と喜んでもらえた。なかなか機会はないが、冷たいビールを、ぐ~っと一緒に飲んでみたいと思った。駐車場に着いたら、これまた珍しい堀シェフに出会った。途中断念して戻ったとの事であったが、もしかしたら一緒出来たかもしれないと悔やんだ。彼は元気だった。



8/13 二人の考えが纏まらない。ならばではないが、とりあえず大日岳を提案。「行かない。」 という「山ノ神」を見越してではないが、一発で決まった。私一人で出かけるわけであるが、帰ってからの雰囲気が悪くなるのは必死!



8/12 ボーッとしている日が続いている。食事を普段どおり食べているのに痩せていく。このままで推移すると、お正月頃に高校卒業時の体重になってしまうのではと思うほど。でも、ちょっと間食したり、余計に食べたりすると、すぐに戻るような気がしてはいる。

 明後日から盆休 (8/14~8/17) なのであるが、全く予定が立っていない。必ずしも予報は良くないが、コロナの影響がやっぱりあるのかもしれない。当初は、東北を考えたりしていたが、東北に水害があったり、遠出の雰囲気も良くない。近間で過ごしたいが、先日の薬師峠のキャンプ場を見ていると、雷鳥沢で過ごすのもどうかと思うようになっている。

 剱沢まで行けば良いのだろうが、「山ノ神」は果たしてどうなのだろうかとなる。 (重荷を担いで行けないような気がしている。) 混んでいても雷鳥沢か、それとも、毎日日帰りかをもうしばらく考えてみよう。



8/11 昨夜家に戻ってから、冷たい物をたくさん飲んだ。でも、暑くてなかなか眠れなかった。HPやFBなどの事が頭から離れず3時間ほど寝て起きた。でも、キーボードを叩く気になれない。夜が明けてから、お墓の掃除に二上霊園へ行ってきた。

 一昨日、登山靴3足纏めてソールの張替に出した。今日は、ネットで注文した「山ノ神」の登山靴が届いた。免許更新のために買ったメガネ (更新にメガネはいらなかった。) で、特別定額給付金を使い果たしてしまった。ちょっと寂しい。「山ノ神」の分を取り戻す交渉をしなければ・・・



8/10 昨晩、何処に行くかとなった。私は大日岳への思いはあったが、「山ノ神」は、薬師岳と言ったのである。どちらでも良かったのであるが、今の「山ノ神」の歩きからはとても薬師岳へは覚束ない事は分かっていたから、スタートから別行動ならの条件を出した。

 有峰林道の開門前に着いたけれど長蛇の列。ゲートを通過したのは午前6時半。しかも折立の駐車場は満杯。奥の臨時駐車場に停めるのも一苦労であった。そんな事でスタートが1時間ばかし遅れる事になった。それでも、午後2時半まで太郎小屋前に戻って来なければならないのである。

 歩きは太郎小屋まで2時間半だったから、まずまずのペースで推移した。しかし、薬師平を過ぎた頃から、何となくであったが足取りが重くなった。 (富山市内で38.9℃を記録) もしかしたら、熱中症なるものかと勝手に良からぬ想像をしてしまった。首筋から背中にペットボトルの水を流し込んでみた。

 実に気持ち良く生き返ったように思えた。残りの水を頭にもかけてみた。「今日は山頂を踏めないかもしれない。」 「2時半まで太郎小屋に戻れないかもしれない。」 との不安がいっぺんに払拭され、足が攣る事もなく山頂に辿り着く事が出来た。

 山頂発は午後1時を過ぎていたが、写真を撮りながら快適に歩く事が出来、約束の時間に5分ほどオーバーしたが、「山ノ神」が待つ太郎小屋前に着く事が出来た。「山ノ神」は、5時間を掛けて太郎小屋に着いたと言っていた。そして、太郎小屋前のベンチで2時間以上を過ごしていたいう。

 道中いろいろな方々と話したと言う。また太郎小屋前のベンチでも、有意義な交流があったとも言っていた。独り歩きは不安がいっぱいであったらしいが、終わってみれば、なかなか良かったとも。持参したビールは2本、小屋の生ビールを我慢したと言っていたが私は分からない。

 まだまだ歩けるのか、もうそろそろ限界かは分からない。でも、意欲だけは失いたくない。山への憧憬も持ち続けたい。何故か太郎小屋の売店から、Dr.shinokawaに「元さ~ん」 と声を掛けてもらった。ユキちゃんと写真を撮らせてもらった。何もかも想い出。またまた最後に近い下山者になってしまったが、暗くならない内に降りられて良かった。



8/9 それなのに、スタートは遅れたものの、やっぱり山に行って来ました。当然、車の中はお互いだんまり、鳥越峠から大辻山頂まで殆ど会話がなかった。食事となると、何かを言わなくてはならず、ひょんな事で会話が戻ってしまった。「もう話さない。」 などと思っていたのに・・・



8/8 ちょっとしたボタンの掛け違いから。いや、言葉尻のイントネーションの感じ方の相違で、昨日から夫婦仲がギクシャクしている。(黙り込んでいる。) どちらが悪いというのでなく、ちょっと我慢すればいいのに、それが出来ないのだから修行が足りない事になる。困ったもんだ!



8/7 市役所からマイナンバーカードを取りに来なさいとハガキが届いた。以前スマホから申請したものだ。意外と簡単で費用も掛からない。もっと早くからしておけばと思っていたくらいである。序に、マイナポイント申込み特設会場で手続きをしてきた。 (キャッシュレスで2万円のチャージ、または買物をすると、一人当たり5,000円のマイナポイントがもらえるというもの。)

 私は、メカに強くはない。しかし、まだまだこの世にいたいので、面倒臭がらないで、何でもチャレンジしていきたいと思っている。カタカナ言葉や横文字に嫌気をさしたらお終いのような気がする。そして、より若い人達と交流するためにも、気合を入れ直さなくてはいけないような!



8/6 今日の富山の暑さは全国一だったようだ。(37.5℃) とにかく暑い。私の部屋は2階。空調はない。周り中駐車場。外壁はトタン張り。2階に上がっただけで汗が滴り落ち、夜中も30℃より下がらない。さすがの私も下階に降りて来た。(疎開)

 「山ノ神」の隣の部屋であるが、ここにも空調はない。しかし、上よりは2~3℃気温は低いようである。そして、少々風が入る。でも、慣れない部屋だけに落ち着かない。すぐに目が覚める。たくさん飲んでも目が覚める。いたずらされない内に、早く2階に戻りたい。



8/5 昨日の山の帰りに山用具店に寄った。ソールの張替えの依頼のためであった。しかし、靴そのものに難があり張替は難しいと言われた。そして、新しいものを提案されてしまった。「山ノ神」の履いている靴も、同じように言われてしまった。2足を同時に買うとなると特別定額給付金がいっぺんに飛んでいってしまう。そして、張替も1ヶ月くらい掛かるというのであるから、思案のしどころである。でも、山に行けなくなるのだけは避けたい。



8/4 私は早く起きた。暑かったせいもあるが、HPの事やFB、そして、YAMAPの事もあったからであった。でも、なかなか思うようにならず、やっぱりボーッとしていた。「山ノ神」は、「山に行かない。好きなところへ行ってきたら・・」 であった。ちょっと疲れていたし、時間的にも大日岳は厳しいと思った。

 時刻も午前8時半を回っているし、車の渋滞もあるから、鳥越峠から大辻山と高峰山に行くのが、一番良いかもしれない思った。やっぱり北尾根を1時間では登れなかった。それどころから、⑨番から失速してしまった。山頂からの展望は良くなかったが、それなりの満足感があった。また知らない登山者と会話にも心が和んだ。

 山頂滞在が予定をかなりオーバーしたものの、北尾根の下りは快調であった。鳥越峠で水を飲んで再び高峰山を目指した。薄っすらとしか見えない展望であったが、私は今日も低山であるが、2つの山頂を極めた事と、たっぷり汗を流せた事に大満足であった。



8/3 唐松岳から下山して、白馬の街で買物をした。泊まるための食料と飲物をである。何処で泊まるかとなったが、小谷道の駅(北小谷)にした。ちょっぴり戻る感じであったが、設備的には便利である。結構空いていたので車の横でミニ宴会となる。しかし、すぐに雨となり片付けたが、通り雨だったのでまた始めた。朝起きてみたら、12本買った350mlの缶ビールが11本飲まれていた。(家から持ち込んだ大吟醸は飲まれていなかった。)

 そんな事で、朝食を取ったりした事もあったが、やっぱり出遅れた。それはそれでいいのであるが足取りが重い。私はすぐに自分を取り戻したが、あまり食していない「山ノ神」は鈍い。3度ばかし「山ノ神」の荷を取りに戻った。自分としては、まるで1往復半歩いた感じである。

 3度目は、天狗原山に荷を置いて迎えに行ったら、「1時間も放っておいて・・」 などと暴言を吐かれた。こちらとて頑張っているのに頭に来る。再び天狗原山で腰を降ろしたのは、午後0時半を回っていた。カップ麺を食した。あれだけ汗を掻いたのだから、少しでも塩分を取っておかないと、また酷い目に合うからである。

 ここからが良いのに、「山ノ神」は足手纏になるから、ここで止めるという。ここで止めるのなら、私も止めると言うと、申し訳ないと「山ノ神」言う。でも、もう少し進んで止めるのなら、私だけ金山を目指しても、後々追い付く事が出来るなどと、問答を繰り返したが、結果的には、午後1時10分過ぎ、私が金山を目指し、「山ノ神」が落ち着いた頃に、下山するというものであった。崩壊地前で待ても付け加えておいた。

 天狗原山を降れば、すぐにお花の楽園となった。今年は全く残雪がなかったが、それでも気持ちの良いものであった。(虫もいなかった。) 速く歩かなければならないし写真も撮りたい。そんな事を思いながら、立ち止まっては歩き、歩いては止まってシャッターを切っていた。

 心配していたハクサンコザクラの群落があった。シナノキンバイもある。ニッコウキスゲも・・・ 本来ならゆっくり歩いて、ゆっくり食事もしたかった。過去には、この山域でも、やはり虫で居たたまれない事もあった。今日みたいな日にと思わずにはおれなかった。

 小走りになった時もあり、天狗原山に戻ったのは午後2時15分頃だったろうか? 水を飲んだ。汗を吹いた。持ち合わせたパンは喉を通らなかった。なるべく速く歩かないと また暗くなってしまうと思った矢先、「山ノ神」が木に腰掛けていた。あれ~っである。

 「山ノ神」の嫌がる崩壊地を過ぎれば何とかメドが付くと思っていたところに、焼山まで行ってきたという男性に追い抜かれた。 (家に戻ってから知ったのであるが、YAMAP関連のnomat氏だった。) それからも長かった。「もう少しだと言ったのに・・全然着かない。」 などと、「山ノ神」は、もはや ”山歩き末期症状 ” になっていた。

 そんな事で相変わらず車に戻ったのは午後6時を過ぎていた。ドブンと露天風呂に浸かって車を走らせた。当然、下道の予定であったが、「早く帰ってビールを飲みたい。」 との願望から高速を使おうとなったが、コンビニの前でETCを触ってしまい 「使用出来ません。」 とアナウスされてしまった。触らなくても良いのに触ってしまい、また暗くてよく分からず、仕方なく、当初の予定通り下道で帰った。疲れた!



8/2 高岡発を午前3時としていたが、やっぱり出遅れ(30分)黒菱に6時着が危うと思っていたが、下道経由でも、スムーズに走れた事もあり15分の遅れで済んだ。ところが黒菱平では、車がいっぱい。空いている所を探すのに苦労してしまった。

 そんなところに、シュンちゃんと玉ちゃんがやって来た。彼らも停めるのに、もっと苦労したはず。リフト待ちに長い列が続いていた。私は、リフトに乗らず歩くつもりでいたが、「山ノ神」は、一つだけリフトを使った。私は、15分で上の遊歩道(探索路)入口で待ったのであるが、私が着いてから、25分後に「山ノ神」がやって来た。本当にへぇ~である。私達が歩いている間に、リフト利用のシュンちゃん・玉ちゃんが八方山荘前までやって来た。

 唐松岳は人気の山だけに、日曜日も重なって多くの登山者で賑わっていた。時折、ガスが切れる事があったが、全般的には曇りがちであった。シュンちゃん・玉ちゃんとは、八方池辺りまで一緒であったが、鈍足の私達はそこまでであった。

 唐松岳はお花でも人気で、お天気がイマイチでも楽しめるのがいい。シラネアオイの時期が過ぎていたが、オオサクラソウが僅かに残っていた。扇雪渓を過ぎ丸山に着いた頃から、展望が良くなってきた。唐松山頂に登っている人達が伺えた。

 やはり今年も従来のトラバース気味の登山道は歩けず、稜線に出ての歩きとなった。(冬道?) ロープやハシゴが施してあり危険な事はない。そのルートは唐松山荘の上に出る。「山ノ神」は、ここで止めると言ったが、何を言っているのかと叱咤に及ぶ。

 山頂から降りてくるシュンちゃん・玉ちゃんと擦れ違った。(食事は唐松山荘前でらしい。) 私達は、山頂で時折顔を出す剱岳を眺めながら、また、不帰方面からやって来る登山者を見ながら1時間ほど休んでいた。そして、ゆるゆると降り、尚且リフトを利用しないのであるから、またまた一番最後の登山者になってしまった。



8/1 とりあえず明日は唐松岳。明後日は、金山・天狗原山を予定しているが、どうなるか分からない。お天気とモチベーションで決めたい。もう無理するような事はしないが、それでも明日はリフトには乗らないつもり。