9/30 2年前の秋、斑尾山でお会いした康さんがやって来てくれた。僅か30分ほど一緒に歩いただけであったし、倍ほど年齢が違うのに、老人を訪ねて来てくれた事に感激である。彼女は日本に住んで4年程であるが、高学歴故か、日本語が堪能(もしかしたら、私より上手)で、知らない事がないくらいである。

 今日は食事をした3時間ほどのお付き合いで終わったが、もしかしたら、またお会い出来るかもしれない。私は、2年前、彼女に 「中国の人はどうして日本を嫌うのか?」 などと訪ねた事がある。その答えは、「それは、日本の事を知らないだけ・・」 「私は日本が大好き!」 「出来たら山が好きな人と結婚したい。」 などの言葉が印象的だった。



9/29 やっぱり疲れた。ライトを点けての運転はやはりキツイ。トラックとカーチェイスのような運転は控えなければいけない。まだ雨が降っていなかったからいいようなものの。また自宅に戻って、深夜(午前0時半)に寝て、午前5時に起きるのでは、この先が思いやられる。

 でも、達成感はある。「休日は目一杯遊ぶ。」 が、モットーであるし、自分なりに身体を使い切れるのは嬉しい事だ。「休日は家にはおれない。」 そんなライフスタイルだから、山中滞在が長ければ長いほど充実している事になる。裏返せば速く歩けない事にもなるが仕方がない。

 今回の燕岳は好天に恵まれた。雲上に立てて絶景も楽しめた。でも、夕陽・朝陽を思うと、やはり泊まらなければならない。今のところ、その事に付いては、ハードルは高くない。後は、体力とお天気である。出来ればテン泊であるが、一年一年遠のいて行く。「山ノ神よ、もっと頑張れ」 なのであるが、これも仕方がない事なのかもしれない。ならば山小屋を利用するしかない。でなければ自由にさせて欲しい。



9/28 道の駅(ほりがね)から燕岳登山口・中房温泉まで1時間も掛からない。しかし、月曜日だというのに第1駐車場も第2駐車場もいっぱい。ならばと第3駐車場に向かったが、間一髪というのか、奥に2台分の空きがあった。でも、後から、ドンドンやって来る車はどうしたのだろう?

 登山口の標高は1,462m。燕岳の標高は2,763mであるから、その差は1,300m。その手前にある燕山荘は、ちょっと低いのであるから、「山ノ神」に4時間のノルマを掛けた。「4時間で登ったら生ビールをご馳走するよ!」である。 燕岳は人気の山である。若い人、熟年者、家族連れ、カップル、ソロ、トレランなど、いろいろなスタイルがあり、軽装、重荷などと、装備も様々であった。

 もう一つ、この山だからであろうか? マスクスタイルの方々が多かった。すれ違い様が怖いのか? それとも多くの登山者がいると思ってなのか分からないが、それに比べて、私達は全くの無防備という事だったのかもしれない。山は大丈夫と思うのは私達だけなのかもしれない。

 明け方は、星がいっぱいだったのに、登るにつれてガスが掛かってきた。本当に 「何で・・」 という心境であった。合戦小屋を過ぎても、そのような状態は続いた。それが、燕山荘が見え始めた頃から視界が広がった。雲の中から抜け出したのである。正しく 「雲上の人」 になったのである。

 シャッターを切らずにはおれない。食事よりも写真である。でも、寒かった。風もあった。ダウンがあってもいいくらい。バーナーに火を点けようとしても、なかなか思うようにならなかったし、温かくなるには時間が掛かった。簡単な食事をして燕岳山頂に向かった。

 山頂に立つと、そこからの展望がまたいい。立山周辺が望める。その立山の隣に剱岳かと思ったが、「あれは針ノ木岳ではないか?」 などと眺めていても切りがない。5度目となった燕岳であったが、全て好天に恵まれているような気がする。燕山荘前に戻って早く下山すれば良いのに、また余計なお喋りとなり、明るい内に車に戻れるかと心配になった。

 往路は平湯経由であったが、復路は糸魚川経由とした。疲れ始めたので糸魚川~朝日間だけ高速を使った。8号線富山東パーキングまで、一度も車から降りなかったので、意外と早く高岡に戻れた。(4時間)



9/27 あんまり良くない。今年100回目となるメモリアル山行であったが、明日に期待し、今日は小佐波御前山とした。小佐波御前山は平凡な山であるが、一年中楽しめる山で大変重宝している。特に雨の日や時間のない時に利用させてもらっている。

 雨は大して降らなかった。でも、やっぱり傘や雨具の出番はあった。そう言いながらも、歩ける事に感謝し静かな山を堪能してきた。山から降りて、大沢野で買物をし、明日予定している燕岳に向かった。と言っても、堀金という道の駅である。



9/26 明日は、あまり降らないような予報になった。てっきり屋根のある山(避難小屋がある山)と思っていたが、状況をみてというふうに変わって来た。明後日は良さそうなので、何処かの山(近間の低山)に登って、そのまま隣県のちょっとだけ高い山に行っても良いのではと思ってきた。どちらにしても明朝起きてからの判断となる。



9/25 今度の日・月のお天気は分からない(少々諦め)が、その先の連休(10月の3連休10/4~10/6) に、「山ノ神」は東北を強請っている。以東岳や和賀岳などに行くのなら両手をあげるが、「山ノ神」には、ちょっとキツイように思える。最も、「山ノ神」にしてみれば、ドライブがてらに、軽い山に登れ、あとは観光というのであろう。

 10月の中旬には、大阪に出掛けなければならない所用があり、また、明日明後日もどうなるか分からない事情だけに、東北に出掛けるにしても、10月第2週には、大猫山や猫又山、または毛勝山に行かせてくれるという担保が欲しいところだ。それもこれも、お天気が付いて回るだけに確定とはいかない。



9/24 LINE41人回復した。ホッとしたところですが、なかなか連絡がつかないのもまだ多くある。80%とくらいと思っていたが、そこまで行っていない感じだ。そんな中で、「大事な私を消さないで・・」 と嬉しいメッセージも届いた。コツコツやるしかない。



9/23 4連休中、立山雷鳥沢キャンプ場は超過密だったと聞く。1,000張近くだというのだが、そんなに張れるのだろうかと思ってしまう。やはり、ソロキャンプ(一人用テント) が主流なのだろうか? 北アでテント(キャンプ) と思いつつ夏が過ぎてしまった。機会を逃すと、ついついそのようになってしまうのが怖い。今春、残雪の金剛堂山でキャンプをしたが、大好きな大地・初雪山でする事が出来なかった。

 何事も、まあ~、まあ~になるのが恐ろしい。「無理する事はない。」 の連続が、自分のサイクルを壊していくのだから自業自得に近い。自然の法則に従い落ちていくのは辛いし悲しい。やっぱり奮起して、その流れに逆らいたいし、「抵抗」 し続けたい。



9/22 今日は、一日中?スマホに翻弄された。新しい物に慣れるには時間が掛かるのは仕方がないが、失った物を補うのは、また違った労力がいる。LINEだけでしか連絡手段がない方には閉口している。しかし、またその内に何とかなるとでも思っていなければ前には進まない。

 昨日の八乙女山で、今年の山行回数が99回になった。次の100回目は、ちょっと気張ってみたいが、「山ノ神」との交渉が付いて回る。10月始めの3連休を「エサ」 にして、優位にしなければと思っているが、お天気の事もあるしどうなるか分からない。



9/21 クズバ山から戻って、娘家族と帰省している息子とで会食となった。外食と違って、テーブルの上にのぼらないくらに料理が並んだ。ビールも、どんどん飲まれていく。親として、「日頃はどうしている?」 「身体は大丈夫なのか?」 と、何処の家でも思うのであろうが、親と子は、そんな話にはならないというのだろうか、違った話題になってしまう。

 日付が変わった頃には、もう飲む付き合いは出来なくなったので、PCの前に座ったが、時間の経つ内に椅子から転げ落ちた。何度も経験しているのだが、年々転げ落ちる姿が危うくなっていく。そして、調子の悪いスマホのSIMカードを触っていて可笑しくなってしまった。どうにもならなくなったので、寝ることにした。

 日は変わっての山行に、「山ノ神」は行かないという。午後から帰る息子と何処かへ行きたいというのが本音なのだろうが、未明まで飲み続けているのだから、全然ダメだろう。そんなのだから、私は皆が寝ている間に(いい加減に戻ればいい)ちょっとでも歩きたいと八乙女山に行くことにした。「遅くとも10時まで帰る。」と記して。

 最近は、時間のない時は八乙女山としている。一番下の駐車場から歩いても、「往復2時間は掛からないだろう。」 の思惑はあった。ちょっと飲み過ぎの感じはあったが、始めはゆっくりと歩いた。でも、一度水分補給をしたが休まなかった。荷も少なくしたこともあって、小走りになったこともあり、三角点・最高点経由でも余裕の歩きとなった。

 だから、給油して来ても30分も早く帰れる事になった。帰っても、飲み過ぎ気味の者は、当たり前であるが、ボーッとしている。それでも、お土産を買わなくてはと、運転手役の「山ノ神」と出掛けて行った。息子を駅に送ってから、ドコモショップに出掛けた。二人共のスマホが調子悪いからであった。

 「山ノ神」は、全く電話もメールも出来ない状態であったので、SIMカードを入れ替えてもらったら元通りになったようだ。私のスマホは、SIMカードが入っているのに、「SIMカードを入れてください。」 という状態が続いていた。それと、バッテリーが弱くなっていたので機種変更を考えていた。それからが、メカに弱い私だけに大変である。

 娘にもいろいろアドバイスをもらったが、LINEの手順が違っていて無くなってしまった。復活にたくさんの時間をかけてもらったが結局はダメだった。LINEだけしか連絡方法がない人にはどうしたらいいのだろう? でも、お互いどうしても、連絡したければなんとかなると思う。FBとYAMAPは健在である。



9/20 クズバ山はキツイ。と言っていた「山ノ神」が、中山を蹴ってクズバ山へ一緒する事になった。" 途中で止めてもいい。” と言うのが後押ししたかもしれないが、せっかくミツバさんと一緒するのであるから、当然その方が楽しいに決まっている。

 そのミツバさんであるが、今冬大鷲山で美香子さんと一緒の時に山頂でお会いした。今夏、大日岳ですれ違いざまに声を掛けてもらった事があるが、お顔もよく分かっていないくらいであった。そんなのに、今回のクズバ山に一緒してもらう事になり、今は不思議な世の中?である。

 クズバ山は急登の連続であるが、アップダウンが殆どない。標高を稼ぐには効率の良い山である。だから、休憩ポイントも少ない。そうなると汗を掻きながら休まないので意外に早く山頂に達する。だから、絶景を目の当たりにすると、達成感は倍増する。

 離れたくない光景である。剱岳はもちろん、立山も大日岳(奥大日岳)も、そして、毛勝三山もである。” 西大谷山から奥大日岳に登山道を ”  という話題もあったのだが、途切れてしまったのだろうか? 残雪期に行ってみたいところだが、今の私には、ちょっと無理だろう。

 ソールを張り替えて(古い方)初めての山行だったが、違和感もなく快適に近かった。まあ~、雨や雪の時はダメかもしれないが、使い勝手は良いと思っている。大展望もあったが、よく喋った。楽しかったが、ミツバさんはどのように感じたのだろうか? 一度一緒してみたいと思っても、選別したら、こちらは老人(年寄り)頼りなかったのではなかろうか? 親子ほどの年齢差も元気であってこその恩恵である。



9/19 大阪の息子がやって来た。早速友達と飲みに出かけて行った。そうなれば、帰省の息子に関係なく山に行ける。でも、明日は、家にいるらしいので、夕飯前には私達も家に戻らなければなるまい。一晩くらい食事に付き合えという合意が出来ているから約束を守らなければならない。

 朝はどれだけ早くてもいいが、午後3時頃には山から降り、5時頃には高岡に戻りたい希望に、ミツバさんが付き合ってくれる事になった。謙遜の塊のようなミツバさんであるが、話を聞けばなかなかの健脚のようである。「山ノ神」の事もあり、中山だけになるかクズバ山まで行けるか、明朝馬場島で決める事になる。



9/18 かなり雨が降るかもしれないという予報であったが、あまり降らなかった。巷の4連休は、どのようなお天気になるのだろうか? 私は、日月の連休であるが、大阪から長男がやって来るという。どのような予定か分からないが、ちょっと複雑な感じ。

 そんな中、マキちゃんが、いっぱいご馳走を持って遊びに来てくれた。ワイワイ言いながら、たくさん食べたくさん飲んだ。いろんな話題が出たが、やっぱり山の事が中心。そして、最後は、やっぱり山仲間(好山病)と、一緒に歩きたい飲みたいになった。



9/17 どんな山でも登らなきゃ分からない。寸評もそれからである。しかし、一度や二度で、その山を語るのもおこがましい。天候や季節、そして体調や気分あろうし、また別のコースなどもあり図りきれない。泊まれば朝陽や夕陽あり、大雨・暴風では地形も変わる。

 同じ山に20回・30回登っても、まだ良くわからないところがたくさんある。それは、50回・100回登っても同じようである。その都度状況が変わるし、お花だって、その年によって咲く状況が変わるのであるから・・・

 最近は、日本百名山や富山の百山などがお手本(ガイドブック)となって人気である。お金と時間は掛かるが、目標を持って邁進されるのは凄いし尊い。しかし、天候もあろうし、時間的制約もあろうし、全部が全部思うようにはいかないのではなかろうか? また時間が経ってしまったら、何処が何処だったか、どのように登ったかなど忘れてしまうのもあると思う。機会があったら、また登るというのはいいかもしれない。複数回である。

 登ってみなければ何もわからない。また、2回目に登って、その山の良さが分かる時がある。その良さも、各々が違うから、何とも言えない。長い間登っていると、「好きな山があるといい。」 「好きな場所があるといい。」 になって来る。人生順風満帆とはいかない。困った時に、辛い時に、その山・その場所に出掛けると結構慰めてくれるものである。

 自然は偉大である。これぞと思う光景に出くわすと、何故か目が熱くなる時がある。物事を解決してくれるわけではないが、元気を与えてくれるような気がする。(大きな自然と、ちっぽけな自分との対比なのかもしれない。)  だんだんそんな所に行けなくなる自分が悲しくなる。



9/16 8/10に依頼していた登山靴が返ってきました。ソールの張替(私の分2足、「山ノ神」の分一足)です。「張り替えられない。」 「張り替えない方がいい。」 と言われていた物も、予想以上ので出来上がりで満足している。この一ヶ月間恐る恐る歩いていたが、それから開放されるのだから、これからが楽しみである。

 しかし、本当に気を付けて歩いていたから、転倒もなかったのかもしれない。バランスや反応が悪いのだから、なお一層気を引き締めなければならないのだろう。「転んだらお終い。」 のつもりで山に出掛けます。



9/15 何だか気持ちが乗り切れません。綴れません。書きたくない時もあります。



9/14 唐松岳に行って来ました。(今年2回目)



9/13 やっぱり雨。でも、降ったりやんだり。困った時は小佐波御前山なのであるが、1ヶ月半ぶり今年8回目となる。そんな中、休みとなったマキちゃんが参戦してくれた。二人と違ってたくさん喋った。 (私って、こんなに喋った?)



9/12 予報に反して、今日はいいお天気である。明日は良くない。でも、明後日は良いようである。そんな事で一喜一憂していてもしょうがない。自然体で過ごすしかない。歌の文句じゃないけれど、「雨が降ったら濡れればいいさ。」 でも、だんだんと応えてくるのは正直なところ。

 今年は、雪が少なかった。降らなかった。こんな話を聞いた。「豪雪の前の年は降らなかった。」 本当なのだろうか? 私は覚えていない。一方で、ラニーニャ現象(エルニーニョ現象の反対) が起こっているとか、起こりつつあるとか? では、来年は雪が降るという事か?



9/11 このところ、あらゆる事に怠けを生じている。「まあ、いいや!」 「後から・・」 「そんな事どうでもいいや!」 等など。これは末期的症状である。大袈裟にいうと、段々と生産性が無くなっていくし、社会貢献が出来なくなっていく。やっぱり訛っていく証拠なのかもしれない。意を決して、ここで踏ん張らなくては・・・



9/10 降雨が幸いしたのか随分と涼しくなった。でも、今日一日の事で、明日からまた、30℃前後の日が続くようだ。しかし、最低気温が下がれば寝苦しくなくなる。そして、イライラも少なくなると思うがどうだろう。私は、始めからイライラなんてしていない。無視しているだけ。でも、それが一番応えるらしい。

 しかしである。これまでを振り返ると、そのような状態が続いても、休日の山行に「山ノ神」は、ちゃんと合わせて来る。 ” イヤなら来なければいいのに・・・。”  次の休日は雨のようだから、お互い単独行でも構わないか。お天気が良ければ、もうちょっとハードな所へいけば、着いて来ないのだが・・・。 しかし、そんな元気も、だんだんと無くなってきているような私である。



9/9 気不味い空気が今も漂っている。しかし、幸いな事なのかどうかは分からないが、仕事が仕事だけに、まったく話さない事はない。また、孫達が学校から帰って来ると、しばらくの間とは言え、どうしても話さなくてはいけない事も出て来る。食事もちゃんと作ってくれる。しかし、朝昼は元々であるが別々。夕飯は沈黙が続く。

 山一辺倒のHPなのに、こんな事を載せてと思われるかもしれないが、私の憂さの晴らしどころなのかもしれない。「何が原因?」 と聞きたくなるでしょう? 恥ずかしくて言えないし、私は結構口が硬い。まあ~、ジジババが、またやっていると思っておられればそれで良いかも。



9/8 お互い好きな事をしたはずなのにギクシャクしている。まあ~、癇癪を起こしても損するだけだから我慢をするが、「後どれだけ・・」 などと思うと、「別々でも良いかな!」 も、脳裏に浮かぶのも本当のところ。しかし、我慢が幸せをもたらしているのも事実。何にも出来ないのだから・・・

 非日常は、日常を上回らない。「仕事と白いご飯だけは飽きない。」 のと同じなのかもしれない。 一度浴びせた一言を、なかなか撤回出来ないのも事実。 簡単な事なのにね! こんな事は、何十回も何百回もあったような気がする。でも、今度こそも、何十回何百回もあったような気がする。 でも、男は幾つになっても自由が好き。



9/7 「もう一日自由にしてやる。」 という電話があった。それこそ「山ノ神」の勝手だと思うが、それなら、何故もっと早く言ってくれないのかとなる。飲んでしまえば、夜行も早立ちも出来ないではないか? 行きたい山はたくさんある。でも、ちょっと怪しいお天気だし無理する事はない。

 今日は、若い衆や猛者達と付き合えるか、自分の体力テストと銘打って大辻山に出掛け北尾根を選んだ。鳥越峠から標高差約600mを1時間で登るというものである。小さなアップダウンは幾つかあるが比較的登りやすい。折からの高温、そして、降雨もあるやもしれない状況であったが、訓練としては絶好のコンディション?だと思った。そして、トレランと違い荷をそれなりに担いでである。

 もっと、長いところもあったが、午後から所用があり、これにかけてみた。例の如くボロボロに近い革製の登山靴である。ソールも減っている。しかし、休まないでコツコツ歩けば行けると思っていたのに、結果的には設定時間を遥かに上回ってしまった。確実に体力が落ちている事になるが、当たり前なのかもしれない。

 でも、黒い雲が立ち込めていたが、剱岳は時々雄姿を覗かせてくれた。今日の山頂には、誰もいなかった。また各登山口にも車がなかった。暑い時に来る人はいないか? 下りも1時間近く掛かってしまったが、本当に遅くなってしまったもんだ!



9/6 結局雨飾山に出掛けた。装備・気力の事もあり、キツイところへの自信がなかったのと、単独行の機会を利用して、雨飾山50回への挑戦後半戦の第一歩とした。始めから風が吹き、高温でも暑さを感じさせなかった。

 ところが、笹平に着くと急変であった。ガスで真っ白、そして、何もかもを吹っ飛ばすような凄い風。それが、山頂では尚更であった。ふーっとガスが瞬間的に切れた時、カメラをかざすのであるが、風で揺れて上手くいかない。

 立っているのも辛いし、火をおこすような食事も敵わない。そして、一人である。この際山頂にタッチしたし、帰ろうか?になったのである。幸い登山道は乾いていたし、それでも慎重に下った。下道を通って富山県に入ったが、一時は、また何処かの低山をと思ったりしたが、やっぱりまっすぐ帰る事にした。



9/5 明日は、何だか晴れるような予報に変わって来た。でも、まだ信用できないでいる。山は必ず雨が降るし、あの靴ではちょっと不安もある。だから白馬岳は、またの機会にする。それでも、雨飾山か僧ヶ岳・駒ヶ岳にしようと思っている。どちらにしても、午前中が勝負。起きてから決めるが早々の出発になる。



9/4 今日の午後、凄い雨が降った。(40ミリ近く) 短時間で終わったが、あのまま降り続く事を連想するとゾットする。今、大型の台風が沖縄近辺に迫っている。なんともなければいいが、そんな上手いわけにはいかないようだ。今度の日・月の山行も予断を許さない状況だ。ずっと離れているとは故、どのような形で前線を刺激するか分からない。もう少し様子を見よう。それでも出掛けないわけがないか?



9/3 先月の10日に靴の張替に出したが、いつ頃仕上がるかと問い合わせをしたら、まだ10日以上掛かるという返事であった。(私の物が2足、「山ノ神」のが1足) このままでいくと、その間の山行日が4日もある。(9/6 9/7 9/13 9/14) 私が現在、無理して履いている登山靴は、かなりボロボロ、ソールはツルツル、雨が降ったらすぐ染み込んでしまう。弱った!

 「山ノ神」のは、3~4週間前、軽登山靴を買ったから良いようなものの、私は神経を尖らして歩いている。まあ~、それで転ばないなどの良い面もないではないが、結構疲れるのである。今度の日曜日は、「山ノ神から自由の日」 になるのであるが、その靴の事を考えると、何処へでもというわけにいかない。弱った!



9/2 今回の第1火曜日の休日が、前月の日曜日・月曜日と続いたので、ちょっと思い違いもあり、完璧な連休とならなかったが、このところ娘夫婦の協力があって、休日は、ほぼ自由になっている。(好きなようになっている。) そして、山行日以外は、孫達の世話も出来るのであるから、これ以上の事はない。

 2週間ほど前の私の誕生日には外食に誘ってくれたので、今日の娘の誕生日は、我家で簡単ながら会食となった。(私と、ムコ殿は一日違いの誕生日) 限られた物でビールを飲むだけかもしれないが、何かと集う事に意義があるような気がする。明後日は、大阪の二男の誕生日である。何かお返しをせねばなるまい。



9/1 暑くてぐっすり眠られない。下の部屋に降りて来ても連日29℃である。(2階は32℃である。) 今もエアコンのない部屋だから辛い。でも、エアコンがあったら、きっと寝られないと思う。修行とか鍛錬などとは言わないが、やっぱり自然がいい。でも、周りからは、「そんな歳でないだろう。」 と言われ出している。

 早く起きたが、行き先が決まらない。天候・時間制限などあるが、早出や速く歩けば何とかなるのだが、やっぱり疲れなのかもしれない。結局は、今年9回目の金剛堂山になった。「同じ山はイヤ」 などと言えば登る山が無くなってくる。「イヤければ来るな。」 である。

 栃谷登山口を午前9時10分頃のスタートとなった。「正午まで登り切らないと、ゆっくりは出来ないよ。」 と言っていたが、その通りになった。登山道沿いのササが延びていて、少々歩き辛かったが、もう少しの踏ん張りが足らなかったように思う。

 4キロ地点で「山ノ神」がギブアップ。いつものように、私だけが山頂を目指す事になる。山頂はガスで視界がなかった。途中には、秋の気配を伺わせるように、リンドウがたくさん咲いていた。予定より早く「山ノ神」の所へ戻れたので、簡単な食事が出来た。

   その間、「山ノ神」は、缶ビールの他に、チューハイなる物を嗜んでいた。待機の名の下に、これが目的であったのかと思ってしまう。雨がポツリとやって来た。長雨とはならなかったが、草木が濡れるので、こちらの着衣も濡れるのが厄介でした。