11/30 山吹峠手前から雪になった。夕顔の駅(登山口)ではミゾレになった。準フル装備だったハズなのに、「山ノ神」のグローブが夏仕様では、ちょっと不安があった。でも、雪量・気温などは、それほどでもなく、逆に肩透かしを食らった感じであった。

 山頂は、風のせいなのか、片隅の積雪を除けば無いようなものであった。しかし、今日は風がなく、また時折であるが、陽が差すほどになり、じっと我慢をしていた。全く見えなかった景色も、北アの展望にはならなかったが、近間の山が、薄っすらと雪化粧をしているのがわかった。

 もちろん誰もやって来ない。独り占め(2人占め?)のようなものだが、「山ノ神」は、はしゃがなかった。「寒いからビールを置いていったら・・」 を守ったからに、寂しさは隠し切れなかったように思えた。



11/29 美香子さんに声を掛けてもらった負釣山。行けるかどうか分からないとの返事をしたが、雨の心配はなく展望も素晴らしかった。山頂直下で、美香子さん智美さんとお会いし、大展望を楽しみながら山談義に至った。 (エネルギーの余ったお二人は南峰を往復)

 ちょっとしか関わりなくとも、皆山友達になってしまうこの不思議さは何なんだろう? 過日負釣山で出会ったと言ってくれ擦れ違った女史、大猫山でもお会いした浜田氏、山頂ではYAMAPで知っているとたくさんお喋りした男性。山そっちのけであった。

 それでも、お天気が悪いと思っていただけに、剱岳が、で~んと姿を見せてくれ、黒部の扇状地も、富山湾と共にくっきりと見せてくれたのには思わず歓声をあげてしまった。それよりも、大地・初雪山が白くなっているのには、じ~んと胸に来た。

 「来年も行くぞ!」 と思い切り投げ掛けてしまった。「早く真っ白になって欲しい。」 なんて自分勝っての思いを白くなりつつある山にぶつけた。私は、出会った方に、すぐに大地・初雪山の事を言ってしまう。我がふるさとのようにである。大地・初雪山には、いっぱいの思いを募らせている。

 「50回を突破したからには100回を目指そうか?」 とか、2月の初雪山に行く事、毎年大地でテントを張る事など、大地・初雪山の事をあげれば切りがない。今年から毎週日曜日を定休日にしたのも、そのせいだったのかもしれない。(毎週 日月の連休) 元気なら、毎週同じ大地山に行ける。



11/28 私は、明日から3連休。しかし、予報は必ずしも良くない。関東方面へと考えてみたものの、やはりコロナの事もあり富山に留まる事にした。スカッとしたお天気でなくとも山は楽しめる。しかし、大降りはして欲しくない。



11/27 総本家の当主が亡くなられた。91歳であった。何処までの地位だったか知らないが、北電に勤めておられた。私の父が亡くなってから、お客さんとしてのお付き合いがあった(26年間)が、意外と馬があったというのか波長があった。私から見れば高齢だったが、お寺の事や兵学校時代の事、また自分の病状などをHPに載せておられインテリだった。

 当主は本間家の29代に当たり、お寺の総代や老人連合会のお世話もしておられた。親様は判事、祖父様は県会議員だったと聞き及んでいる。でも、私達から見れば、ずっと昔の親戚なのだ。(8代先の分家)そして、私の父は、4代目の6男なのだから・・・

 それでも、自分の知っている方が亡くなられるのは寂しい。これからも、新たに知り合いになる方よりも、おいでにならなくなる方が多くなっていく。同級生や近所の方、また同じ趣味の仲間もである。” 弔いに行っても来てもらわない。 ” の信念でいこう。まだまだと言うしかない。



11/26 クルクル変わる予報に翻弄されている。この時期どうしても登りたいとか、登らなきゃならないとかいう山はない。太平洋側に行けば富士山を眺められる山があるやもしれないが、これもお天気次第である。また、思い切って温泉でもという休日の過ごし方もあるが、やはりテーマがないとその気になれない。

 コロナが怖ければ、何も遠くへ出掛けなければいいし、GO TOの恩恵を受けたければ、ある程度覚悟して出掛ければいい。” 自粛 ” に、「時間がない。」 との声も聞けて来る。そうなれば、自分のポリシーに従うしかない。



11/25 大猫山には3年ほど出掛けていない。記録を見ると38回で止まっている。猫又山も赤谷山へは、もっと行っていない気がする。昨年まで、孫達の送迎で時間的制約があったのが一番大きな要因だったが、「山ノ神」自体が、ブナクラ周辺の山には行きたがらなくなったのが、もっと影響していたかもしれない。

 そして、取水口まで車が入れなくなったり、仲間との山行が少なくなった事も、大猫山をはじめブナクラ周辺の山々へ足を遠のけたような気がする。一年に何回もとか、50回は行かなくちゃとか言っていた頃からすれば、足が上がらなくなったし、バランスが悪くなっているのだから致し方ないのだろう。でも、やっぱり行きたいが、今年はもうダメだろう。



11/24 昨日の小佐波御前山は、元日の千石城山から数えて118回目(119日)の山行となった。そして、後11日の休日が待っているから、一年365日の1/3の122回は、余程の事がない限り達成出来るようだ。

 金剛堂山でキャンプしたのは1回と数え、遠征でも山から降りてしまえば、1回とカウントしている。しかし、一日に2つ以上の山に登っても、それは1回としている。今年は、コロナで4日間仕事を休んだ。 (定休日と続けて休んだので、仕事を辞めたのかと言われた事もあった。)

 大した山に行っていないが、「休日は山に・・」 を貫いているだけに、「山ノ神」にしては、” 仕事日に身体を休めている。” とまで言うようになって来ている。山の選定(行く先)に苦慮する事が、だんだんと多くなっていているが、今は歩ける事の喜びの方が上回ている。

 「あと何年歩けるか?」 などは考えず、常に前向きにならなければ寂しすぎる。若い人達を拝見していると生き生きしている。飛んで跳ねて笑顔が耐えない。(羨ましい。) 青春・朱夏・白秋は過ぎても玄冬がある。それさも過ぎてしまったかもしれないが、スポーツには延長線がある。(ロスタイムではない。)



11/23 雨。それでも小佐波御前山。だから、小佐波御前山へはお天気の日は少ない。風が無かったので、雨具を纏わず傘にスパッツのラフなスタイル。その雨もあまり降らず、終いには止んでしまった。駐車場には一番乗り。あまり早くはなかったけれど、やはり雨だと誰でも怯みがちになるのだろう。

 泥濘もあまり無く、濡れた落葉を静かに踏んで歩いた。雨音も風の音もなく静寂そのものであった。「山ノ神」が熊除けで鳴らしているCDプレーヤの音だけ。ちょっと離れると全然聞こえない。会話も少ない。「何を考えて歩いているの?」 と問われる始末。「君の事だよ!」 とは言わなかったが、何を考えていたのだろう?

 雨が上がったからか、何人かの登山者があったが、小屋には私達だけだった。誰もいない時は、「山ノ神」が必ず掃除をしてくる。(私は見ているだけ) 下山中も追い抜かれたりしたが、その中に、「元さんと山ノ神でしょう?」 と尋ねてくださった若い女性があった。和美さんのお知り合いだった。少しだったけど、歩きながらお話をしてくださった。ネコさんの話も出て嬉しかった。



11/22 やはり予報通りであった。お昼過ぎまでスッキリ晴れていた。レンズ雲があり、しかし、遅くなって雨になった。相変わらずドンドン抜かれた。 (我々二人は、景色を堪能しながら登っているから・・ しかし、本当は悔しいのだ! 笑) 若い兄ちゃん達に抜かれた後、老練長崎さんにも抜かれた。

 従来の積雪期ルート尾根との合流地点近くで、僧ヶ岳でお目に掛かった田上氏と、またまた出会った。しかし、私は勘違いしていたが、すぐに思い出した。そして、山頂までお付き合いを頂いた。彼は、地形図を持参し、オートドックスなスタイル、そして、山座同定を楽しんでいた。 (いいね!)

 何処かベテランのような若者がやって来た。3人の記念のシャッターをお願いした。いろいろ聞いてみると、大鷲山は初めて・・そして、登山もそんなにもやっていない様子。でも、迷惑だったかもしれないが、なんやかんやと山の魅力を押し売りしたが谷井君ゴメンね!

 そして、どっしり構えて食事をしておられた熟年女性。話せば話すほど馬が合うというのか、お喋りが止まらなくなってしまった。朝日町・入善町の方々の話が次から次へと出て来てしまった。大角さん、お喋りし過ぎだったかも、ごめんなさい でも、楽しかったよ



11/21 明日は、県東部の山に行く事にした。「山ノ神」の希望通りにしなくてもいいのだが、どうしてもという所もないので、それに従う事になる。午後からお天気が怪しいので、早めの対応を心掛けなくてはいけない。大鷲山は雪が積もってからの方がいいのだが・・・ 明後日も朝方が怪しい。また屋根のあるところになるかもしれない。



11/20 特別めでたくは無いのですが、今日は私達の結婚記念日。あっという間に満43年。何もしないで歳を取った感じである。でも、「人生は、まだまだ これから・・」 のつもりで臨んでいきたい。人生100年と言われる時代に、終活などの文言は、まだ早すぎる。 (私などは、140歳まで生きるつもりだから・・)

 記念日となると、女性は敏感である。何かしなければならないような雰囲気で少々困惑。45年・50年のようなメモリアルでないから、「簡単に家で・・」 と、ごまかそうとしているが、相方はなかなかウンと言わない。平日だから、都合の良い時に改めてと言うしかない。

 何でも何処でもいいから遠くへ行きたい性分の「山ノ神」。車中泊やキャンプでと言えば、臆するのではの期待があるが、どうなるかわからない。私は登山を付け加えないと承知しない事をわかっているから、逃げ切れるかもしれない。



11/19 新型コロナウイルスの猛威に唖然とするしかない。落ち着いていた富山県でさえ感染者が増えてきた。まだ 「何処かへ・・」 の気持ちがあったのに、いっぺんに萎んでしまいそうだ。そしてまた、暦の読み間違いで、せっかくの3連休の真ん中に忘年会を入れてしまった。 (第1火曜日を定休日としているため、今度の3連休は、11/29~12/1になるのに、てっきり、12/6~12/8だと思っていたのだ。)

 まあ~、これで遠くへ行く事はなくなったが、忘年会があっても山行はあるので、何らライフスタイルが変わる事はない。初雪は、11/29の予報を何かの指標でみていたが何だか当たりそうだ。また、この新型コロナウイルスの変異も、これで最後で普通の風邪みたいになるというネットの記事で見た。本当にそうなればいいのだが・・・ (3波で終了)



11/18 今夏に知人のO氏からアイゼンを譲り受けた。若い頃に傾けていた情熱が薄らいだのか、それとも体調を壊し致し方ないのか真意は分からないが、「もう使わないから・・」 と述べられた。私は、それなりのアイゼンを持っているのであるが、「山ノ神」は、持っているには持っているが、やはり知人から譲り受けたもので12本爪なのであるが鉄製で重たい。それに6本爪の軽アイゼン、またチェーンアイゼンもある。でも、「ピッケルやアイゼンを使うような山には行かない。」 のが、「山ノ神」の持論(信念?)であるため使用する事はないのであるが、車のスタッドレスタイヤのように、必要な時はあるのである。

 今回頂いたアイゼンのブレードの伸縮法が分からず難儀したが、熟慮に熟慮を重ねた結果ようやく使えるようになった。(周さんに教えてもらった事もあったが・・) 10月末の白山登山で「山ノ神」が使用してみたがピタリであった。

 私が初めてアイゼンを使用したのは、昭和39年(高2)の剱沢合宿の時であった。平蔵谷や長次郎谷である。キャラバンシューズに部室に古くからあったX型アイゼンである。すぐに緩んでしまって難儀したものだが、若さ故か、お構いなしで歩く事が出来た。高校を卒業してからは、革靴となり、アイゼンを買い求めにスポーツ店を訪れたら、固定の8爪を勧められた。当時は、そのようなアイゼンしか売っていなかったような気がするが、ちょっと大きな靴を買うとサイズが合わなく使用できなくなってしまった。(今も、ツクツクで新品同様で保存している。) 

 また当時はアイゼン技術がどうとかこうとか言われた。(雪面の角度) そして、今のように出刃もなかった。まあ~、今のピッケルもアイゼンも、厳冬期の剱岳にでも登れるような用具になっているのだから・・・  出刃があり、かえって躓いたりするもんだが、私は一度だけ出刃があり助かった事があった。残雪があった早月尾根で滑落した事がある。直後であったからと偶然もあって、岩にしがみつく事が出来た。それからである。出刃が奏功し(垂直な雪面に刺さる)元に戻る事が出来たのである。しばらくは足が震えて止まらなかったを思い出す。



11/17 金剛堂山に初めて登ったのは昭和54年10月だった。私は30歳を過ぎていたが、まだ車を所有していなかった。 (免許は持っていたが、車なんか持てるとは思っていなかった。) そんな折、新聞記事に金剛堂山登山(労山主催)の募集が載っていたので、氷見の春ちゃんと一緒に応募した。

 電車(汽車)で富山で行かなくてはならなかったが、集合時間に僅か届かないので、一つ早い電車に乗った事を覚えている。富山からバスに乗って利賀に行ったのだが、多分栃谷から登ったのだろう。お天気が良かったが、幹事の人が、遠くにレンズ雲があるから、後半は雨になるかもしれないと言われた事が当たった。そんな事もよく覚えている。また、下山時にハチに襲われ、何人か刺されて手当を受けられていた。そんな私が、先日の金剛堂山登高で68回を数えた。一年中登るのだから、年月を考えれば当たり前なのかもしれない。

 その頃までは、比較的に山間部にまでバス路線があった。しかし、過疎化と共に、だんだんと路線が無くなってしまい、高度成長期ともあって、私も車を所有するようになった。 医王山も牛岳も汽車やバスを乗り継いで、また馬場島も上市から季節限定ではあったが、一日3往復のバスの便があった。大きな荷を担いで乗物を使っていたのだから、昔の人達は随分と我慢してくださったのかもしれない。遠い昔の話である。



11/16 あまり良くない予報で、何処へ行くかと言っていたら、「山ノ神」が、突然 「明日は行かない。」 と言い出した。「予報が変わったよ。」 と言っても返事は変わらない。そうなれば、「もっと、早く言ってくれ!」 となるが仕方がない。

 「鳥越峠から、大辻山と高峰山 遅くとも午後4時までは帰る。」 と書き置きして、家を出ようとしたら、ちょっぴり雨が降り出した。そうなれば、その書き置きに 「変更もあり得る」 と、書き置きに追加して車を走らせた。富山に入ると雨が止んだ。

 大辻山だけでは、ちょっと歩き足らないからと、高峰山を加えるのが定番になってしまった。そうは言っても、積雪期はそれなりの体力がいる。それが、西種からの往復になろうが、国少の家から歩こうがである。特に1月は、日が短いから尚更大変。

 今日はゆっくり歩くつもりであった。私は、夏目漱石の草枕の序文が好きである。
  「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」 
 私は、そのような才能がないにしても、いろいろな事を考え出したり、思い出したりする。山に熱を入れ始めた頃の事、早大受験に失敗した事、たくさん恋して涙を流した事、仲間といろんな事に燃えた事など、それこそ走馬灯のようにである。時々、いい文章や言葉を考えたりするのであるが、イザとなると忘れてしまっている。

 晩秋から初冬にかけての乾いた落葉の上を歩くのがいい。そして、ブナやナラがいい。ホウは葉が大きく絵にならない。また、落葉してしまっているのだから見通しが良い。予報が悪かったからか、私が山にいる時は誰も上がって来ていなかった。すれ違いもである。展望はイマイチだったが、いつもいつも良い時ばかりではない。でも、全く見えないわけでなし、私としては結構満足であった。

 あの山に登りたいとか、この山に行きたいとかの気持ちは薄らいでいても、その希望や憧憬はかわらない。機会があればと、虎視眈々と狙っている? とは言えないまでも・・である。そのためにも、「休日は山に・・」を欠かせない。どのような簡単山でもである。ちょっとでも怠ると、「身体が錆びてしまう。劣化してしまう。」 適切でない表現かもしれないけれど、維持していくための行動なのである。来年も「雪山キャンプをしたい。」 その一心である。



11/15 遅くとも午前6時出発と言っていたのに、またまた30分遅れとなった。そうなれば、栃谷登山口スタートが午前8時になる。 (今日は、お天気が良かったからか、多くの登山者が押し寄せていた。) もう怒っても仕方がないので、心を平常に戻した。

 無いのに「山ノ神」は、相変わらずナメコを狙っている。だから余計に遅くなる。でも、ほんのちょっぴりだけど、ナメコはあるものだ。しかし、怪しいものもある。それの毒見役が私だから、はっきりしないキノコはイヤで仕方がない。山頂に着いてしばらくすると、「元さん~」 と言って近付いて来てくれた女性があった。

 それこそ、ほんの少ししかお話していない智美さんであった。思わず握手を求めてしまった。富山県では有名な山の会の一員としての参加らしかったので、私(達)が、独り占めするわけにはいかないので、自然に別行動となった。ところがである。今日は風が強く、山頂で長居する人は少なく、私達も山を降りる事にしたが、その有名な山の会の方々が、登山道途中(風のないところ)で、小宴会をやっておられた。

 「伝説の人=サブちゃん」 に声を掛けられれば、こんな光栄な事はないし、また、無視して通過しようものなら、バチが当たるというもの。お酒を勧められたが、私は運転手なので柔らかくお断りしたが、女性軍から美味しい物をたくさん頂いた。いっぺんに多くの山友達が出来そう。 (若い人達の友達になれるわけがないか?」)



11/14 「この時期どの山が良いのか?」 の問い合わせに、展望が良いも加わると、「休日は山に・・」 の私は、とにかく行くのであるから、なかなか良いお答えが出来ない。また、ちょっと傘マークが付くと怯んでしまわれるようである。

 そんな私達も、次行く山の選択に苦慮している。お天気が良いのであるから、雨飾山・金剛堂山・人形山を提案してみたが、なかなか「うん!」 と言ってもらえない。そうなると、私が決めて、「イヤなら来なくてよい。」 で決まる。金剛堂山になった。



11/13 このところ、あまり話題がない。GO TOトラベル・GO TOイートぐらいである。しかし、トラベルは、間近の物色では何処もかしこもダメ。イートは、忘年会までない。昨年の今頃は、好山病で高落場山に出掛けている。簡単なところが条件だったので、最短ルートであった。

 今年も、何処か簡単なところへ出掛けようとなっているが、なかなか上手い具合にいかない。休日・お天気・体調など揃わなければ皆一緒とはならない。でも、一緒出来たら、こんな楽しい事はない。でも、もう私が音頭を取るような場合ではないのだが・・・。



11/12 昨日の続きになるが、殆ど「山ノ神」と一緒なのだから、行く山にも限界がある。月に1~2回ほど自由にして欲しいと願うのが精一杯。それもなかなか思うようにしてもらえない。かと言って、余程でない限り単独行も面白くない。そして、バリバリの元気者と一緒というのもおこがましい。

 この歳になって、自由になれないのも可笑しな話であるが、共同生活者を全く無視するわけにもいかない。出来るだけ一緒するが、どうしてもという時には、すんなりと行かせてもらいたい。しかし、夫婦で長い間(歳を取っても)登るのも、違った意味で良いものだ。出来れば一年中、相当の回数を登れたら良い。雪中キャンプも続けられたと思っているが、どうなるかわからない。



11/11 50回以上10座、10回以上100座を目標にしているが、それはなかなか届かない。そして、もうこの時期になると行ける山も限られて来る。8番目に多く登っている八乙女山が49回で、あと一回で50回に届く。その後に続く白山・人形山は各43回で、まだまだ時間(年月)が掛かる。

 10回以上になると、尚更遠く感じる。今年達成したのは、越中駒ヶ岳・高頭山・三ヶ辻山の3座で、合わせても、まだ56座である。ずっと、同じ山に登っておれるわけでもないし、天候次第では、なかなか出掛けられない山もある。

 例え八乙女山や千石城山のように簡単な山もあるが、50回登るとしたら、50日掛かる。まだ仕事をしているから、毎日山に出掛けるわけにもいかない。例え毎日山に行ける環境になっても、お天気の事もあるし、そうそう出掛けられるものではない。仕事をしているとお金は使わないが、一旦何処かに出掛けるとなると、必ず費用が掛かる。

 今までの休日は80回程度であったが、今年から100回は超えるようになった。週2回(月に一度3回もあるが・・) が、丁度良いように思う。そうなると、やはりお天気に関係なく出掛けなければならない。何せトレーニングジムに通うような気持ちなのだから。

 同じ山ばかりも飽きて来るが、体力や時間・環境などがあり、思うようにならないのが常。人生とはそのようなものだ。その合間を潜って、何かを成し遂げるのが面白いところである。まだまだ名山歩きをしてみたい。地元の名峰にも登り続けたい。そのためにも元気でいなければ・・・。



11/10 今日は、山を眺める機会がなかったが真っ白だったようだ。何処まで(何百メートルまで)雪が下がって来ているのか気になるところだ。また、高所にある登山口までの道路状況(林道)も心配になって来る。もう冬タイヤに換えなければなるまい。

 雪が降らないのも困ったものだが、降ったら降ったで登山道は歩き難い。広く刈り込んであるところなら、それなりに歩けるのであるが、普通の登山道は、かなりの量が降って固まらなければ、藪こぎを強いられるようなものである。尚且、着衣もベタベタに濡れてしまう。

 相手は自然であり、その年その年で、また一回一回違うのであるから厄介である。難なく山頂に立つ事もあれば、悪戦苦闘をしても、山頂に届かぬ事が何回もある。また、11月下旬であっても、カンジキやスノーシューの出番もあったし、放射冷却が厳しく、アイゼンが欲しい事もあった。今シーズンはどうなるのだろう? 降雪を見れば、何となくワクワクする。



11/9 今日は、1/4以来の極楽坂山(通算7回目)。800mくらいまで紅葉が楽しめました。1,000mでは、ちょっとでしたが小雪が舞いました。そんな極楽坂山の晩秋を、大辻山や、ちょっと隠れていたけれど、北ア(立山方面)を眺めながら、寒い寒いと言いながら、ちっちゃな贅沢をした思いです。

 富山の百山には載っていないですが、越中の百山に載っています。晩秋も好きなのですが、積雪期の晴れた時が意外といいのです。今の時期、何処へ行こうかと迷うのですが、探せばいろいろとあるものです。「自分だけの山」があると、結構楽しいものですよ。

 余談ですが、今朝は、ネットの繋がりが悪く、UPしたのですが反映されず悄気げていました。また、何度も同じ作業をしたからでしょうか?、画像がチグハグになっていました。そして、いつ繋がったのか分からなかったです。家に戻ったらUPされていたのでホッとしています。



11/8 午後からの降水確率が高く、夜には寒気が入って来るという予報。お天気の悪い時は、八乙女山か小佐波御前山に行く事が多いが、誰かと約束をしている時は良いが、何となく飽きて来る。速く歩けば人形山も何とかなるの思いで決めたが、後は「山ノ神」の動向次第であった。

 午前中は陽が出るかもの予報通り雨具を着る事はなかった。歩くのに問題がある「山ノ神」なのに、ナメコがないかとキョロキョロするから、益々遅くなる。 2パーティー5人にも軽く追い抜かれる始末。でも、遅いというと、すぐに怒ってしまうから困ってしまう。

 今日は、時間制限がないから、山頂まで連れて行けると思っていたが、本人は、宮屋敷跡までで充分と思っているから、本来の山行とはならない。「人形山と三ヶ辻山の分岐までは、1時間も掛からない。ここまで来たのだから・・・」 の説得が奏功した感じだった。しかし、宮屋敷跡からその分岐までが、結構泥濘んでいる。グチャグチャであった。

 そこまで来たら占めたもの。山頂への導きである。人形山へ歩き掛けた時、三ヶ辻山の山頂を踏んだ事がないという事を知る。私は、今日の行程で、最低でも三ヶ辻山にはとの思いがあったので、先に三ヶ辻山を目指した。何の変哲もない山頂だし、雨の不安があったので、すぐに分岐に戻る事にした。

 1時過ぎの昼食となったが、私は、その時間をもらって人形山に向かった。荷を少なくすれば、今の私だって、片道15分は掛からない。戻って、カップ麺とコーヒーをもらった。後は雨に降られない事と、日が暮れない事だったが、どちらもダメだった。



11/7 今日の雨はどうだったんだろう? 同じ山にばかり登っているのも飽きて来る。久しぶりに、明日は、人形山に行こうかと思っているが、泥濘は覚悟しなければならないかもしれない。そして、「山ノ神」は、また途中でリタイヤするかもしれない。「ビールをもう1本担ぐから・・」 とごまかすのはどうだろう。三ヶ辻山もご無沙汰している。



11/6 私は、高校入学と同時に野球部に入ったが、2ヶ月も立たずして骨折をしてしまった。その高1の夏休みにアルバイトをし、8月末に上高地という所を知り、その軍資金を元に出掛けたのが山への始まりかもしれない。昭和38年の事である。それより先、中2と中3の時、2泊3日の立山登山に応募したのも影響があったかもしれない。

 9月に山岳部に入部するのであるが、その先に医王山に一人で出掛けた。もちろん乗物を乗り継いでである。何も分からないまま金沢の湯涌温泉に降り、金沢駅へ歩いて行こうとしていたのだから、若いというのか、無謀というのか、今となってはよく分からない。

 決定的だったのは、高2の夏の剱沢合宿(7泊8日)であったのは間違いない。そして、高3の夏・剱山荘でのアルバイトは人生を変えたように思う。その後は、いろいろな無謀な事をやっていたように思うが、若さがそれを上回っていたのかもしれない。でも、全て良い思い出であり悔いなど無い。



11/5 同業有志の会がある。ほぼ同年代である。コロナ渦の中でも、定例会と称し毎月集っている。でも、「あと何年仕事が出来るか?」 とか、「あと何年生きられるか?」 などと、あまり元気な話題がない。あとは、精々ゴルフの話がある程度である。一週間、一ヶ月、いや一年を通じての運動量は、私が一番と口にはしないが、こっそり満足している。

 「ゴルフをして疲れる。」 と言う。では、「何キロくらい歩くの?」 と尋ねると、「5~6キロ!」 「何時間で?」 となる。私はゴルフの事は知らない。でも、アップダウンがあるにしても、それほどのものでなかろうし、1時間で5~6キロ歩く事もないと思っている。人それぞれの楽しみ方があって、何も批評出来るものではないが、私は山とめぐりあい、そして、親しむ事が出来とてもハッピーだと思っている。



11/4 「今年、何回登った。」 「あと何回登るの?」 「順調に登っているの?」 との励ましとも取れるメッセージを複数もらった。 今年から日曜日を定休日としたため格段と山行機会が増えた。そのお陰で現在112回である。

 当面は、一年の1/3に当たる122回を目標としたい。この先の休日が17回あるので、余程のアクシデントが無い限り可能ではないかと思っている。でも、私は、特別の山歩きをしているわけではないので、自慢出来る程ものではない。あえて言わせてもらうとしたら、休日に出掛けるわけだから、「雨でも行く。」 くらいであろう。

 雨でも雪でも、可能なら台風が来ると言ってもである。もちろん、近間の低山であるから誰でも行ける山であるが、それを続けている自分は、やっぱり可笑しいのだろう。もう一つ、元気を失いかけている相方が、何処へでもないが、大方の所へ着いてくるという事も、あまり無いことだろう。

 私は、「山ノ神」に言っているのは、速く歩けなくても、また怖くて撤退しても、一年を通じて、こんなに山歩きをしている夫婦は、そんなに多くはない。もう少し続けられたら、ちょっとは自慢しようとである。まだ二人合わせて140歳である。当面の目標は150歳にしたい。



11/3 5/5以来の鋲岳・烏帽子山に行く事になる。昨夜は雨、今日も午後から雨の予報であったが、少し外れて、山中は、ほぼ晴れ。(帰宅中から雨が降り出したが・・) ナメコがないかと、キョロキョロしながらの歩きであったが全く無い。 (過去には、この山域でたくさん採った事もあったのに・・)

 しかし、後立山の山々は、くっきり見え、時には、青空が間違いではないかと思うほど広がった。今日の「山ノ神」は、「途中でやめる。」などと言わず、まあまあ頑張った。そのうち、「何処へ行こうか?」と言っていた美和ちゃんがやって来た。

 山頂では、あの有名な荒木さんにお会いした。(エベレストに行った方である。) はじめは知らず、結構生意気な事を喋っていたのですが、後から恥ずかしくなってしまった。でも、間接的に名前を知っていてくださっており話は弾んだ。

 僧ヶ岳の烏帽子口(登山口)まで行って来るいう元気者の美和ちゃんより先に下山を開始したものの、ちゃんと追い付かれた。そして、ずっと、お喋りしながら降りた。



11/2 雨なら八乙女山と決めていた。100%の雨だったが、午前6時前頃までは降っていなかった。でも、家を出る頃は、ワイパーを動かさなくてはいけなくなっていた。しかし、歩きはじめは、傘も雨具もいらないくらいであった。しかし、予報通り雨になった。

 大平展望台からも何も見えないし、歩くだけになった。「山ノ神」は、東屋でストップ。三角点・最高点の周遊コースは私だけ。「歩きに来たのに・・・」であるが、我慢(忍の一字)する。歩かなければ損するだけなのに(山ノ神のお腹周りに肉が・・)



11/1 高頭山は、平成26年秋から7年連続となる。 (初登頂は平成8年11月) 心配した泥濘もなく、落葉を蹴散らして気持ちの良い歩きとなった。クマの心配は無いことも無いが、登山道での事故はあまり聞かない。大きな音楽を流しながら歩く事にしているが効き目があるかは分からない。

 そんな折、昨年赤祖父山でお会いしたsizuさんとお目にかかる事が出来、出足からハッピーだった。 (同行の福田氏・安川女史も感じの良い方だった。) 今年もナメコは見当たらなかった。早いのではとの意見もあったが、この後もあまり期待が出来ないようだ。

 それでも、標高1,000m辺りのブナ林は私の好きなところだ。色付きも良かったから、何度もシャッターを切った。例え落葉後であっても、神秘ともいえる小ぶりながらのブナ林は、ステキとかしか言いようがない。