3/31 昨年の5月下旬に九州行を計画していた。未だ出掛けていない九州か北海道にの思いからの企画であったが、あの時期もコロナ禍でオジャンになってしまった。それでも、ギリギリまで模索したのは、北海道はフェリーを予約しなければいけないが、九州は陸続きだからと前日近くまで粘ってみたが、行く雰囲気でないと諦めた。

 そんな遠出の機会は、年齢と共に、だんだんと少なくなっていくのだから、今年こそはと意気込んでいた。それなのに、最近の感染状況はあまり思わしくない。しかし、決行までまだ2ヶ月近くあるからと、僅かな可能性に夢を膨らませたり萎んだりさせている。

 定休と定休日の間の4~5日間休めば、9日間もしくは10日間の予定が組める。もちろん山中心であるが、観光や温泉も取り入れたい。車中泊やキャンプ泊になると思うが、安価でもいいから宿にも泊まりたいものだ。行けるか行けないかは分からないが、計画をたてるのは結構面白い。仮に断念する事になっても、私には山があるからそんなに痛手とはならない。でも、「山ノ神」は怒るであろうな~。



3/30 3月までの山行が終わった。(3/12) 大雪で車が出なかった2日間を除いて、全ての休日は山に出掛けた。雨に祟られて思うようにならなかった事も多かったが、2月中旬から3月中旬は悉くお天気に恵まれた。大地山には予定より1回ばかり少なかったが(予定は5回)、素晴らしい初雪山行もあったので帳消しと思っている。

 その大地山キャンプは、今年もその機会を失い2年連続涙をのまなくてはならなくなった。その反面、金剛堂山では、2年連続単独キャンプを行えた。(今年は雪洞泊) また、ここまで4回も出掛けている。他は、小白木峰を除いて低山歩きに徹している。それは、天候に恵まれず、それでも出掛けているからでもある。

 そして、昨年から日曜日山行が加わった事もあり、多くの方々と顔見知りになり、楽しさが倍増した感じである。しかし、「静かな山」もいいものであり、またマイナーな山にと思うのであるが、「山ノ神」と共に、身体の衰えも考え危険回避に努めている、そして、一日も長く山と親しんでいたいのである。



3/29 「途中で止めたら、もう雪山に誘わない。」 そんなつもりで臨んだ金剛堂山。設定は5時間。そして、「頑張ったら、ビールもう一本」 の懸賞付き。それから、彼女用にカンジキやアイゼンも担いだ。もちろんビールもである。

 好天に恵まれた事もあったが、私の殺気にも感じていた筈。遅れ気味であったが、「イヤ」 とか、「もう止める」 とは言わなかった。こんな素晴らしい光景を目の当たりにして止められるもんか・・・ であろう。

 今年4回目、通算72回となった金剛堂山。最近は、手頃な山となって来ている。現在、だんだんと雪が減って来ているものの、まだ雪山として充分楽しめる。この好天なのに、登山者は私達の他、男性一人だけ(県東部の大田氏) シェルターにお招きした事もあったが、ずっと一緒してしまった。



3/28 大降りはしないだろうが、お昼前後 雨になる予報であった。ちょっと高い所や長い行程は、「山ノ神」が嫌がるだろうと思い「城ヶ平山・ハゲ山」へ行く事にした。道中も風が強く、速度を上げていると高架では横揺れが心配であった。

 日曜でも、強風と雨予報では訪れる方が少なかった。トレラン一人、登山者一人だけであった。時々、ポツポツの雨であったが、風が強く何でも飛んで来るので、注意しながらの歩きとなった。城ヶ平山では、風が強く、コーヒータイムも覚束なかった。ハゲ山では、雨が大粒になり、食事もあったもんじゃなかった。

 途中から浅生に降りて自動車道を歩いた。この辺は全て「山ノ神」の希望を取り入れた。そうでないと、これからの山行に支障が出ないかとの配慮である。何も食べていなかったので、「外食」の話も出たが、山の中で何かを食べたいとの私の希望で、伊折橋まで行ったが、雨が止まず、すぐに折り返し、結果的には家に戻ってしまった。家には日頃やっていない事がたくさんあり、どれから手をつけようか迷ってしまう。



3/27 このところ、ちょっと飲み過ぎかもしれない。と言っても何処が可笑しいというものではない。そして、大酒飲みの部類には、とてもじゃないが入らない。だから、ここまでと決めてしまうと尻窄みになる。楽しいのは大好きだけど、やっぱり先の事を考えるといい加減にしていないとダメなのかもしれない。

「山ノ神」がストップをかけるわけでもなく、自粛なのであるが、どうせすぐにその枠は崩れるであろう。そんな事もあり、早々に食卓を離れてしまった事もあり、明日は何処へなど話す事がなかった。



3/26 コロナ禍で友人知人との会食がない。そんな中、親友の春ちゃんからオファーがあった。早めに店を閉め自宅近くのバス停から氷見行(18:02)に乗り込んだ。彼宅へは、昨秋から半年ぶりのように思ったが定かでない。若い頃は、それこそ毎月、そして、2ヶ月に一回、近年は、春夏秋冬(シーズン毎に)に行っていたが、もうひとりの友人清志君が亡くなってから、途切れがちになっていた。

 3時間ほどの会食であったが、すぐに時間が経ってしまった。でも、50数年の付き合いであるから、甘いも辛いもわかっている。言わずともわかってくれる事もある。以前は一緒に山に出掛けていたのに、彼は、現在パークゴルフに執心。ちょっと不満だが、そんな事まで干渉する事はない。(20:08)の氷見線に乗り僅かな時間であったけれど、いくつかのドラマを振り返り感傷に耽った。



3/25 毎日毎日何を綴っているのか、もしかしたらバカだと思われているかもしれない。まあ~、それでもいいんだけれど。もちろん、山への憧憬を綴っていたつもりであったが、時としては自分の鬱憤晴らしもあったろう。しかし、この頃は、自分への励ましの意味合いが多くなっているような気がして仕方がない。

 友人知人の衰えた姿を見るにつけ、自分自身が鏡を見ているように感じる事が多くなって来ている。平均年齢や親の生きた歳を意識するようになると、何事も萎んでいってしまう。人生の折返しとして140歳を掲げたり、80歳になってもとかを言っておらなければ、何事も後退していってしまう。

 私にも病がないわけでもない。でも、そんな事を気にしていては前向きになれない。いつかは死に直面するのであるが、それは遠い先の事に置き換えれば人生は開ける。「80歳になっても山を駆け回れる。雪中キャンプも楽しめる。」  「90歳・100歳でマスターズに出て表彰台に立つ。」 などなど。  そのためには・・・・。



3/24 山が好きだと言いながらも、心の中ではいつも格闘が続いている。展望もない雨の中を歩いて何になる。他にやる事があるだろう。それは毎日続けているトレーニングにも言える。僅かな時間内で行う事だけに、筋力がつくわけでもなかろう。「今日は時間がないから止めようか?」 「大した事でもないし・・」 などと、楽な方に我が心を誘導しようとしている。 (でも、細々と続けている。)

 「這ってでも山に行く」 が、「ずっと元気でいたいから・・」 に、トーンダウンしているかもしれないが、「休日は山に・・」 は、堅持している。否応なしに体力は衰えていくのであるが、何もかもがなし崩しになっていけば、それこそ病魔の思う壺であろう。 時々、80歳を過ぎた人で、スーパーマンのような方がいる聞かされる事がある。そのような方のようになれるかどうか分からないが、目標になる事は確か。

 若い人のような事は出来ないが、ずっと歩いていると、「まだまだ・・」 だと錯覚かもしれないが元気が出て来る。そのライフスタイルを崩さない限り、もう少し大丈夫であろう。でも、目標は高く大きくがいい。140歳まで生きるつもりであるから、100歳くらいでは、自分の身の回りの事くらいなどではなく、低山でもいいから山に登れるようでなければいけないであろう。

 出来る事を継続しなければ、やがてダメになる事は必然。身体が錆びる劣化すると私は思っている。 (ルーの法則=使わぬ筋肉は衰える。) 今年も、23キロの荷を担いで雪洞を掘って泊まった。(単独行) しかし、天候がイマイチと言えども中止にしてしまった2回は、モチベーションの欠落であったのは間違いない。元気でいたいなら動け、何にでも参加せよ。目標は高く。しかし、ケガをしない事である。



3/23 山菜を採っても、その晩に「山ノ神」は料理をしてくれない。それでも、今日は、大皿いっぱいにフキノトウの天ぷらを載せてくれた。揚げ物の好きな私は、殆ど一人で食べてしまった。こんな日は、お酒も美味しく頂き気分がいい。山菜採りだけの山行はイヤだが、頂きを極めた後の山菜採りは、どれだけ担いでも文句は言わない。

 今日は、何がどうなったのか分からないが、ドコモメール・LINE、そして、PayPayまでが可笑しくなってしまった。主要なものが不都合になると、生活がダメになるとは言わないが、情報が入って来ないというのか、一日中イライラしていた。私に落ち度がなかったようだが、それが分かるまで、本当にどうした事かと思い悩んだ。(どうもなかった人達もあったようだが・・)



3/22 40%の雨予報が30%になり、午後からはもっと良くなるような感じの予報。でも、テレビでは50%30%の雨・曇り。同じ八乙女山でも、大寺山・赤祖父山へと心は動いた。展望はなくとも、休日に身体を動かさなくてはいけないからである。

 なのに、雪が舞った。時折強く降った。7合目下まで全く雪がなかった。7合目から8合目までは半部程雪はなかったが、9合目からはびっしりあった。東屋に寄らず、すぐ三角点そのまま大寺山へ向かった。しかし、視界が悪くなり強く雪が降り出した。

「山ノ神」が怯んでしまった。もっともあの歩きでは、赤祖父山どころか大寺山でも届かないと思った。仕方なく栃原峠で引き返した。最高点を通過し東屋で簡単な食事とコーヒーを頂いた。そして、少しでも長く歩きたかったから、林道歩きに切り替えた。目算通り雪下からフキノトウ大量にゲット。



3/21 起きたら地面は濡れていたが、雨は降っていなかった。でも、また降るだろうと思って小佐波御前山に行く事にした。一番乗りであったが風が強かった。でも、雨が降るより良いに決まっている。御前山まで殆ど雪がなかった。

 小佐波御前山までは、2~3箇所雪が切れていた所があったものの、それなりに雪上を歩く事が出来た。今まで雪の着いた樹木を見ていただけに、その光景がないのは仕方がないが、山頂付近のブナ林は、それはそれで見応えがあるものだ。

 朝方は、立山連峰がくっきり伺え、それもずっと近くに見えたのであるが、やはりそのような場合は、必ずと言っていいほど雨になる。それでも、霧雨のような感じの雨も避難小屋に着くまでは我慢していてくれたようだ。

 今日は、ミニカップ麺にコーヒーと簡単なメニュー。 (山ノ神はアルコールに、つまみが加わるが・・) 大きなパーティーが2組もやって来られたので、早々に退散することにした。2組とも大掛かりの食事の準備をして来られたようであった。

 避難小屋を離れた頃から、ガスが出て視界が悪くなった。それでも、まだ傘を差さなくても良かったが、次第に大きくなってしまった。行程は5時間程であったが、避難小屋以外すれ違う方も殆どなく静かな山を満喫してきた。登りがけに「のんさん」に声を掛けてもらった。彼はトレーニング中であったらしい。だから強いんだ!



3/20 明日明後日は雨予報。太平洋側は大雨でも、こちらはそんなに降らないように思う。降ったら定番の山行となるだろうが、明朝起きてから行き先の決定となる。ゆっくり休む方法もあるのだろうが、それでは身体が錆びてしまう。一日、一回でもサボるとその代償は大きい。「休日は山に・・」 そのような身体になってしまっているのもその通りであるが、ずっと元気でいたいから・・・。



3/19 明日は、お彼岸の中日(春分の日)である。陽が短いと言っていた冬が終わり、いよいよ春である。夜明けや日没が、日毎に伸びて行き、何だか得意したように思うこの頃である。大地(初雪山を含む)4回、金剛堂山3回、そして小白木峰など結構好天に恵まれた。現在コロナ禍で旅する事が芳しくない時世であるから、大健闘だと言えるかもしれない。

 でも、強者達は、距離にしても高さにしても、私の及ばぬ事をしている。それは当たり前の事で悔しがる事もない。それでも私は、雨が降っても、雪が舞っても山に出掛けているし、それも、休日にしか出掛けないのが私のポリシーである。それが、例え低山であっても、同じ山に何度も登っていてもである。その都度何かを感じる時があり、心の修行・身体の鍛錬と思う事もある。登れたら得したように思うバカ者でもある。



3/18 今度の休日(3/21~3/22)のお天気は良くないようだ。1月の休日は、あまり良くなかったが、2月中旬から、3月上旬にかけては、結構好天に恵まれた。そんな事を思えば、仕方がない巡り合わせとしか言えない。ずっと、お天気とはならないが、またいつか幸運が訪れるのであろう。私はいつも言うように、晴ればかりではない。雨ばかりでもなく、帳尻が合うようになっているのだと思う。

 お天気に恵まれた山行は素晴らしい。でも、お天気の時ばかりの山行機会はありえないし、あったとしても極僅かな人達であろう。限られた機会・時間での山行は、少々の雨や風・雪でも出掛けなければ、その機会をかなり失ってしまう。雨中の山行はイヤなものである。ましてや雪山の雨なんて辛いだけである。しかし、雨や雪は、ずっと降っている事など殆どない。必ず止むとか弱まるなどのアクションがある。

 その中にも、「静かな山がある。」 通常では感じない何かがある。木々の濡れ具合や雲の濃淡・切れ具合など、それは様々である。何かに遭遇する事もある。雨は自然の一部でもあり、それを如何に楽しみに置き換えるかが、楽しさや充実感になるような気がする。

 始めから雨なら、傘を持参する。行きなれた低山なら通常の傘を持つ。(大きいから濡れない。) 避難小屋がある山に出掛けるのも一つ。食事時に都合が良い。始めからタープを張るつもりで出掛けるのもありかもしれない。それこそ非日常を如何に楽しむかであろう。



3/17 今のところ、スノーシューが絶好調である。雪が少なかった時以外、ずっと履き続けている。どんなカチカチでも、イヤなトラバースでも抜かないでいる。直登は最適、ヤブ中も適応する。ずっと履き続けていると馴染んで来るから不思議である。

 スノーシューの利点は脱着が楽である。欠点は、担がなければならない時である。しかし、アイゼンやカンジキと比べて、リフターが有り(踵が上がる。) 随分とアキレス腱や脹脛の張りを和らげる。今のスノーシューは4台目。まだしばらくはお世話になる。



3/16 福井のゲストは、小白木峰を満喫したらしく、「素晴らしい」 の連発でした。おまけに 「やっぱりお二人と行くのは楽しいは・・・」 とのLINEのメッセージには、ちょっぴりこちょがしかった。でも、頼りにして朝早くから高速を飛ばしてやって来てくれるのですから、やっぱり嬉しいものである。

 最近、いろいろな方々と知り合いになる。昨年から日曜日に出掛けるようになってから尚更である。すれ違いざまに、お声を掛けてもらう事もあるが、カタカナやローマ字、それをもじったような名前はなかなか覚えにくい。だから、かなり失礼をしているような気がする。

 家では「山ノ神」にかなり無視されているのが、山に入れば、結構な方々にお声を掛けてもらうのだから、平地より全然楽しい。「tosinagakun」 と呼ばれて、あっ、私の事かと思ったりする事がある。YAMAPをやり始めた頃に、要領が分からず、皆さんの名前が面白いものばかりであったもので、私も思わずtosinagakunにしてしまった経緯がある。 聞くところによると、改名も出来るようであるから、近々に 「元さん」 と改めようかなと思ったりもしている。そして、タイミングを模索中である。



3/15 今日は、福井からゲスト2人を迎え小白木峰でした。「何処でもいい。」 と特別リクエストはなかったのですが、「山ノ神」と相談して小白木峰を選んだのです。林道歩きから始まって取付きは急登です。そして、杉林が続きます。2日前までは、ピーカンの予報でしたが、今朝の予報は、お昼前から晴れに変わっていました。

 視界が良いとは言えぬお天気に只々辛抱の歩きでした。終いには小雪が舞い始めました。でも、杉林が切れる頃から、僅かにスキーのトレースがあるものの、風当たりの強いところでは、消えて無くなっており、青空が広がって行くようになってからは、ノントレースの雪原を歩くようになったのです。

 金剛堂山の山容が凄いとは言っていたのですが、白に覆われた白木峰の山容も、今まで見た事がないくらいにステキでした。山頂へ最後の登りでは、樹氷が風に揺られてパタパタと落ちる音が、何となく心地良いものでした。平らな広い山頂で相変わらず風が当たらないようにシェルターを造りました。雪壁越しに、金剛堂山、反対に白木峰を眺めながらの食事は何物にも代え難いものでした。その内北アの山並みが見えて来るのですから堪りません。

 時間はたっぷりあったので、「白木峰方面に少し歩きたい。」 の要望を取り入れ歩き回ったのですが、その踏み跡(トレース)で、「地上絵を書けば良かったね。」 と高台に登ってからなので後の祭りでした。我々の最終地点では、「野球やサッカーが出来るね。」 と言いながら、「寝転んでずっといたい。」 との思いは皆共通だったようです。

 

3/14 起床して外に出たら小雨が降っていた。怯んでは行けないと利賀に車を走らせた。雨はいつの間にか止んで、お天気の回復がいつになるかだけであった。準備をしていると、tosinagakunですよね。と言われた。その後に「元さ~ん」 と言われたが、疑心暗鬼で「ミーさん?」 と問うてみた。

 「みーさん」 と言っても小佐波御前山の避難小屋でお喋りしたのと、駒ヶ岳の途中に再会したものの、一緒に歩いたわけでもないのに、よく私の事を覚えていてくださったものだ。お友達のちかこさんと共に、ご一緒させてもらう事になる。この辺が難しいところで、同行させてもらって良いものなのか、本当はそうでないのかである。

 それがそのお二人は健脚で私はタジタジでした。それでも食いついて歩いたからでしょうか、山頂(前金剛)で引き返す予定であったのが、「行こうよ!」 だったのか?、 「一緒に来てよ!」 だったのか分からないが、奥金剛まで行ってしまいました。もちろん楽しかったのですが、絶景に(だんだんと良くなる光景に) 引き摺られた感もあったような気がしています。

 どうしようかと悩んでいた石川の青年(下出君)まで奥金剛へ導いたのですから・・・凄い! そして、応急的なベンチ・テーブルを造り、帰る帰ると行っていたその青年(成年)にコーヒーを振る舞ってしまったのですから、女性の力は強い。「雲上の人」 にはなれませんでしたが、素晴らしい光景には何度も足を止めてシャッターを押しまくりました。なんやかんや言ってでも本当は楽しかったのです。



3/13 初雪山日帰りを一週間前倒しにした関係上、予定が一日空いた。「山ノ神」は、初雪山に行けないという事で先に予定を作っている。したがって好きな所へ出掛けられるのであるが、明日は必ずしも予報は良くない。大地は何回行っても良いのであるが、予報での回復は遅い。それよりも県西部の山の方が昼前から晴れそうである。

 また行くのかと言われそうだが金剛堂山しかない。明後日の好天予想も、「山ノ神」に、大地を阻まれてしまった。でも、もう一つ行きたい所があるので、それで茶を濁そう。というものの福井から山仲間がやって来る。



3/12 最近の情報に接すると、山行の中味が凄まじい。「積雪期・厳冬期に、こんな所へ行けるの?」 と思うくらいである。その中には、あまり経験がない方も結構おられるようである。でも、意欲と体力があるから、スイスイと行けるのかもしれないが、リスクに対する備えがあるのかと心配にもなる。

 ネットで知り合って、名前も住まいも知らない。連絡先も知らないのもあると聞く。そんな方達がパーティーを組んで出掛けるのであるから、有事の時は、どうするのかと思ってしまう。また、誘ったからにはフォローが出来るかも重要な事である。

 自己責任というけれど、何かあったら、そんなに割り切れるものではないらしい。実際、友人・知人の中で、ヘリに救助された方々が何人もいるし、亡くなった方も2人おられる。そんな目に会いたくない。だから私は安全第一なのである。またケガをしたら、もう山に行けないと思っているから・・・・



3/11 あっちゃ~、日曜日が雨になった。そして、月曜日が晴れである。今度の日曜日は、初雪山日帰りの予定であったが、一週間前倒しにして先日敢行した。(キャンプを中止にして) 初雪山に行けないと思った「山ノ神」は、自分の用事を作って、フリーにしてくれているのである。その折角のチャンスを活かせなくなる。一日中雨となれば、出掛けるところが決まってしまう。

 月曜日は、「山ノ神」を蔑ろにするわけにはいかないだろう。(自由になればいいのだが・・) こうして出掛ける山が狭められていく。こうなれば、日曜日のお天気を神頼みするしかない。もう一つは、可能性は低いが、「山ノ神」に頑張ってもらうしかないであろう。 今夜は、町内会の会計監査に出向き、その後同業の有志の集いに出席して来た。人間関係を合わせなければならないから、山歩きより疲れた。



3/10 記憶とは曖昧なもので、結構自分よりに見てしまう。年始めはお天気が悪く(自分の休日) ここに来て結構お天気に恵まれている。雨でも雪でも出掛けるのであるが、やはりお天気の悪い時は、決まった所になってしまう。そして、その歩きも短くなってしまう。

 今のところ、いつも言う「帳尻」が合っている。逆に、そろそろお天気にそっぽを向かれる頃合いである。私は、3~5月の山が好きであった。いわゆる残雪期の山である。陽が長くなるから行動時間が長くなる、そして固く締まった雪上を歩く事が出来る。尾根に雪がなくなれば谷筋を歩くのである。

 しかし、最近の強者達は、今まで行けなかった所に行けなかった時期に行ってしまう記事を目にする。装備が良くなっただけではないようである。「憧れと試練」を、そのまま遂行しているのには唖然とする他ない。「次ゆく山」にもモチベーションの高さが伺える。

 羨ましい若さ・体力に嫉妬しても仕方がないから、拍手を送るしかない。でも、「くれぐれも気を付けて・・」 も一緒に付け加えたい。「若いっていいな~。」 の連発を放っているが、「老け」 や 「衰え」 を、少しでも遅く、また小さくする方はあるのかないのか分からないが、まずは気力に頼ろうか?



3/9 スマホの調子がイマイチだった事もあり、初雪山の投稿が遅れた。あの素晴らしい光景を目の当たりしたが、これを伝えなければならないと変な使命感が起きてしまった。FBやYAMAPでも伝えた。その余韻は伝わったのかもしれないほどメセージが届いた。

 さほど上手く撮れていない画像であっても、その雰囲気は届くのかもしれないと思った。「私も行ってみたい。」 というのが多かったが、私だって、またそのような光景に遭遇するのなら、毎週だって行きたいものだ、私は1/19だと述べた。やはり数多く通わなければという事だろう。

 シーズン5回は行きたいと思っているだけに、後一回は大地に出掛けてみたい。天候もあり何とも言えないが、私は大地・初雪山の山域が好きなのである。とはいえ、他の山の素晴らしいところも知っている。その山の賞味期限もある。何と悩ましい事なのであろう。私は、冒険を出来る歳ではないだけに、行き先に拘らなくてはならない



3/8 今日も次行く山に関して行く気満々であった。しかし、「山ノ神」の方が、あまり乗り気でなかったようである。最近は、前夜まで行くなんて漏らしていて、翌朝になってキャンセルが多くなって来ている。それなら始めから言っておいてよとなる

 その内、高岡は雨になった。私のスマホは、昨日からダメになってしまっていた。何も(FBもYAMAPも)出来ずにいた。「山ノ神」に、「北ちゃんは何処へ行く」 と尋ねてもらい小佐波御前山に行く事になった。先日来の孫娘の件(剥離骨折)で、総合病院に送ってからのため、彼らのスタートを遅らせてしまった。 でも、マキちゃんも含め、好山病4人の山行となる。

 小佐波御前山はまだ雪がある。今日はカンジキであった。低山であっても降雪があったようで、樹氷があった。その立ち止まっているところに、「まゆさん」達が降りてこられた。面識はなかったが、声掛けの後、4人全員が写る写真のシャッターをお願いした。

 マキちゃんが用意してくれたご馳走をたくさん頂いた。最近の好山病の集いは、雨の時しかないようになってきた。もう一度何処へでもとの思いはあるが、それでも、何処ででも集えたら良いに変わってきたような気がする。波長が合いホッとする仲間をもっと大事にしたい。



3/7 ガリ君と美香子さんの3人で初雪山を目指すことになる。朝日小川第一発電所6時スタート。順調に9時に大地山頂に着いた。しかし、大地はガスの中。初雪山の姿さえ見えない。でもね。「もしかしたら雲の上に出るかもしれないよ。」 初めて初雪山を目指すお二人にはそう励ますしかなかった。でも、既に昨夜来の降雪で樹氷がキレイであった。

 いつものな緊張が走る1,222.9mも難なく通過しても、ずっとガスの中。「少し空に青みがあるのでは・・」 とか、「少し陽が差したのでは・・」 などと、お互い励ましとも、また紛らわしかもの会話をしながらの登高が続いた。標高1,300mを過ぎた頃からであろうか、皆が感嘆とも取れる奇声をを発してしまうほどの光景が現れた。

 「あれが初雪山?」 「わ~、剱岳が凄い。」 「白馬まで見える」 など、シャッターを切り捲っていた。山頂まで2時間ぐらいと言っていたのが、前に進まないのであるから、当然余計な時間が掛かる。でも、こんな光景はそんなに見れるもんではないから、ゆっくり楽しむ事に徹した。

山頂は、珍しく風が弱かった、でも、大概の方々は、早々に退散されてしまった。でも、私達は、この光景をもっと楽しみたいといつも通りベンチ・テーブルを掘った。いつまでいても飽きない光景であってもやはり帰らなくてはいけない。 yamanekoさん・労山の尾田氏にも出会えた。高山からこられた垣崎氏とも知り合いになった。

 いざ下山に掛かっても、今朝歩いて来た稜線が雲上に浮かび上がった。これは堪らない。「5分・10分余計に時間が掛かってもいいではないか?」 「もうこんな初雪山は見られないかもしれないから・・」 実際19回目の初雪山であったが、今回の雲上に浮かぶ主稜線、そして、最後までくっきり拝めた剱岳、その周辺の山々は、強く心に残るであろう。

 そしてまた、雲の中に吸い込まれていった。今回は、最後まで大地から初雪山を眺める事が出来なかった。真っ白な大地からの初雪山である。それはそれでまた来れば良いだけのかとだよね。あと2回大地に出掛ければ60回になるがでうかわからない。そして、疲れた足で大地山頂から強者達の後を追った。



3/6 一旦大地・初雪山を諦めたが、予報を見ながら日帰りで行く事にした。その予報から低温で風が有りそうである。でも、樹氷・霧氷が見られる可能性があり、きれいな初雪山が拝めるやもしれない。山好きな者は、僅かな可能性を求めて出掛ける事がある。しかし、いつも裏切られ、今度またを繰り返す。そして、愛着が生まれる。

 当然、初雪山を目指すつもりであるが、途中で息切れるかもしれないし、大地止まりになるやもしれない。でも、私は大地が大好きだから、その山域にいるだけで満足である。固まった雪に新たな雪が積もっているのが、ちょっと危ない事がある。気を付けて行ってきます。



3/5 今度の連休(3/7~3/8)は、大地・初雪山(大地キャンプ)予定であったが、クルクル変わる予報に、なかなか決断がつかなかった。また、「山ノ神」は、不参加で車が欲しいという。朝日町小川まで私を送って、また迎えに来るというところに落ち着きそうであった。

 しかし、上手いこと事は運ばないものだ。ガリ君から、「どうするの?」 のLINEが入った時は、孫娘に付き合って整形クリニックにいた。 (昨日、体育の時間に突き指をしたらしく、娘からクリニックで見てもらうよう託されていた。)  診断の末、剥離骨折との事、「幼い孫娘の指が曲がってしまうのも可愛そうだから、週明けに厚生連高岡病院の形成外科に行きなさい。」 と医師言われてしまった。

 そうなると、一台しかない車だけに、山中で泊まるという事が罪悪に思えて来る。 (山は、その日にしか行けない事はないから) 娘夫婦は仕事だから私が孫を病院に連れて行かなければならないと思ってしまったのである。 「ガリ君に日帰りではダメか?」 と問もしたが、一週間延ばす事にしてもらった。

 しかし、娘は娘で、「私は車を使わなくてもいいから、キャンプに行って来てもいい。」 と言ってくれたが、もうすでに私のモチベーションは下がってしまっていた。登れない(行きたくない)「山ノ神」と、今一つ体調が思わしくない周さんが不参加となった今回の大地・初雪山行、私も違った意味でキャンセルしてしまった事になる。



3/4 最近物忘れが顕著な私、いつのもなのか誰のものか分からないが、ディスクトップに「感じた事」 としてフォルダーがあった。

 開いてみると、「室井さんの人生のモットーは 『やりたいことは全部やる!』 その言葉どおり、俳優も、歌も、絵本作家も、読み聞かせライブも、旅も食事も、何でも楽しんでやっちゃう室井さんの生き方にほれぼれしました」 と感激した様子。「室井さんが心がけている 『つまずいたら厄落としをしたと思え』 という教訓も、今年本厄の私は心のメモに刻みました(笑) つまずきもハプニングも、何でも笑い話に昇華できる室井さん、さすがです!!」 と絶賛していた。

 これは多分、ネットだったのではなかろうか? 自分の感じた事として、一部を切り取ったものだと思う。無断使用になるかもしれないが、悪い記事でもないし、その時心に感じたものを改めて読み返している。特別なものでもないが、チャレンジとか、クヨクヨしないなどが心に止まったのかもしれない。



3/3 金剛堂山の爆風は凄まじかった。そして、寒くて眠れなかったが、全般的には、今年も独りであったものの好天に恵まれ、細々のバーナーであっても何とかなったし、本格的な雪洞造りにも満足であった。瀬尾氏・さかなさん・「星・・さん」達に、違った形ではあったが、お目に掛かれた事も喜びの一つであった。

 しかし、スノーモビルには参った。昨年も遠い所での動きを知っていたが、まさか金剛堂山の山頂まで来るとは思ってもみなかった。それも10台くらい徒党を組んでであるから目を疑ってしまった。「歩道に車が走っている。」 感じにとれた。その様は、小白木峰までに及んでいるようである。「本当に、これで良いのか?」 「どうしようもないのか?」 である。

 新たに届いたバーナーは快適そのもの。スマホの画像の取り組みに関して、お二方からその手解きを頂いた。感謝である。しかし、受け入れ側の私本人が、まだ良く分かっていないが、歳のせいにしたくないから頑張らなくてはと思っている。

   金剛堂山の状況に付いての問い合わせもあったが、「雪洞」に関してのコメントが多く寄せられた。物珍しいのもあるのだろうが、やっぱり雪中キャンプ自体やる方が少ないのだからでしょう。強者達は、強靭な脚力に物を言わせて何処へでも行く。本当に「えぇ~」 と思うほどである。それに対抗するわけでもないが、雪山の朝夕を味わえる方達はまだ少ない。重荷も担がなくてはいけないし。



3/2 昨夜はYAMAPが上手くいかなかった事もあり、早々に床へ入った。と言っても11時ちょっと前。雪洞であまり眠れなかった事もあったが、布団の安心感と安らぎを覚えた。午前6時前に起床したが、雨はまだ降っていなかった。今のうちにとの思いはないではなかったが、2日間勝手気ままな行動をしていたのだから、まずは「山ノ神」にお伺いを建てなければと思った。

 「二上山に行きたい。」 と言う。独りではイヤだとも言う。「付き合ってくれないの?」 まで言われてしまった。八乙女山に行こうかと思っていたが、とりあえずお供する事にした。まなび交流館から二上山頂、そして城山。そしてまた「山ノ神」お気に入りのコースへ。雪割草が雨で縮んでいたが可愛らしかった。

 100円ショップへ行って来た。プリムスのバーナーが届いた。お風呂掃除をした等など。自撮り棒兼三脚(スマホ用)を、NTT西日本のポイント景品でもらった。しかし、上手く繋がらない。娘の応援を頼んだが、Bluetoothのバージョンが違うんだという。そんなと言ったら、私(娘)のスマホは繋がると言う。「そんなんだろうか?」 メカに弱い私。デジカメで撮った写真をYAMAPに載せたいと思っているが、PCの同期が上手くいかない。それから、YAMAPを起動させていない時の写真が取り込めない。(スマホで撮ったのでも) イヤになってきた。HPとfacebookだけでもいいのだから・・・。



3/1 寒くて全然眠れなかった。他人様には 「1日や2日間ぐらい寝れなかったとしても死なないよ。」 などと言っているくせに、夜明けまであと7時間・6時間・5時間と時計ばかりを眺めていた。それでも、僅かであっても、5分とか30分とか眠っているのである。だって、短編でも夢なんか見ているのですから・・・

 起きていると困ったのはトイレ。雪壁がある3mくらいはいいのであるが、その先は凄い風に身体ごと持っていかれそうな所謂爆風であった。我慢ならず、おしっこをしても、霧吹き状になって、何処へ行ったのかもわからない。跡形もないのであるから・・・。雪洞に戻って、お酒を、またコーヒーを、そんなに飲めるわけもない。

 バッテリー付きのランタンは、雪上ながら、ずっと持ち堪えてくれて、この先の仕様にOKである。ソーラーも効くらしいが、どの程度なのか臨床がまたれる。それにしても、持ち込んだ物を全部着込んだわけでもないが やっぱり寒かった。夜明け前になると、怪しげな雲が出て来て、これは降るのではないかと思ってしまうが、片方では青空なんである。

 午前6時、中金剛・奥金剛に向けて出発したが、稜線に出ると、風に負けてしまい雪洞に戻ってしまった。それから、ややこしいコンロを使い軽めの食事とした。そう言えば、「星・・さん」が、日帰りでやって来るはずであった。雪洞では、むさ苦しいので、別場所で食事処(迎賓館)を造った。深く掘ったので、風だけは大丈夫なはずであった。 (その間に中金剛までと、雪洞の下のピークと斜面を歩いていた。)

 しかし、彼は訪れなかった。食材はあまりなかったし、コンロ事情があったから、午前11時頃、下山する事にした。ところがである。その「星・・さん」と、夏道なら栃谷から3キロ地点辺りでお会いする事が出来た。LINEのやり取りであったが、お互いに思い込みがあり、何処にいるのかが掌握できていなかったようであった。しかし、その後は、今後の山行などを語りながら一緒に歩けたのである。