4/30 今年も4/12というのか1/3が終わった。本当に日が経つのは早い。年々加速しているように感じる。20歳の一年は1/20、40歳の一年は1/40、60歳の一年は1/60なのだから、歳取る毎に感じる速さは反比例するようだ。イヤだイヤだと思っていた60歳も、それからの10年はあっという間だった。それから3年半も光陰矢の如しそのものである。この調子で行けば80歳もすぐである。悩んでいる場合ではない。ケンカしている場合ではない。皆仲良く楽しく過ごさなければ後悔するに決まっている。140歳を目標としている私にはあと、66年余りしかないのだから。(笑)



4/29 私(達)の今度の連休は、5/2~5/4になる。GWの真っ最中であるが、予報はイマイチである。その上「山ノ神」が、予想もしない企画を述べて来た。一年一年「山ノ神」の体力の衰えは甚だしい。それは、元々運動がキライな上に、仕方なく山歩きをしている感じで、鍛錬・訓練などは頭にもない。

 山優先のライフスタイルであっても、年齢と共に衰えていくのであるから、緩和・譲歩と文言が適切かどうかわからないが、徐々に、そのスタイルを変えていかなければと思っている。それは、「山ノ神」に合わせる山行とするか、その都度一緒するかなどを模索する事になるかもしれない。それとも、一層の事、山から離れるかである。

 どちらにしても、我が家の車は一台。「何をおいても山優先」 としてきたが、これも崩さなければいけないのだろうか? 「そんなのなら、元さん迎えに行くよ!」 と言ってくれていた山仲間も、だんだんと山から離れていく現状では、それも敵わない。もっとも、我々の山行回数には手当もないだろう。

 

4/28 長い山歩きをすると元気が出るはずなのに、何だか様子が変だ。太腿は痛くないし、食欲もあるなのに頭が回らない。当ページもお留守になる。かといって、他の事はちゃんとこなしている。このような状態なのに、次に訪れる休日の山行に頭が巡る。

 ボーッとしているようでも、山の事になるとワクワクする。先に述べた事と話が合わなくなるが、やっぱり山を止めたら何もなくなる。おだててもらって、いい気になって過ごす事が一番なのかもしれない。面倒な事は、だんだんとダメになるかもしれないが、それなりの鍛錬なら、まだ出来るかもしれない。



4/27 昨日の僧ヶ岳山行12時間で、一度も腰掛けたり座ったりする事がなかった。食事する時のバーナーの点火時に屈んだり、写真を撮る時にポーズとして腰をおろしたりする以外、全く座ったりしなかった事もあったのか、山頂に着いた時は「疲れた。」 であった。

 山頂から、「やっとかっとでした。もしかしたら、最後かもしれません。」 と、山仲間にLINEを送ってしまった。山頂に辿り着いた時の実感として素直な気持ちを伝えたのであるが、「そしたら、私は行けないじゃないの?」 らしき返事が来た。足が攣った訳でもでもなかったが、目標としていた時間に到底及ばなかったからかもしれない。

 もう一人の山仲間には、「やっとかっと僧ヶ岳」 と送ったら、「元さん凄い!90歳まで登れるね。80歳の目標が90歳にレベルアップだよ。」 と返って来た。 でも、これでは、誘ってでもフォローが出来ない。もしかしたら、私の方が足手まといになるかもしれない。山行内容を変えなくてはいけないのかもしれない。

 山行日の前日に、夜遅くまでテレビを見ていて寝不足もあったかもしれないが、「こんなはずがない。」 の思いは、「それが当たり前なのか?」 と思い始めている。仕方がないのかもしれない。でも悲しいのである。鍛錬しても限界があると思うし。「山ノ神」に歩調を合わせて歩くしかないのだろうか?



4/26 4/12と4/19、そして、昨日に続いて、今日で4回目となる片貝の林道を歩く事になる。しかし、今日の歩きは、僧ヶ岳山行のためなので、ある程度の荷を担がなければならず少々勝手が違う。成谷堰堤付近から、数箇所に渡ってデブリが林道を塞いでおり、倒木や大きな石も散乱していた。折からの放射冷却で、デブリも含め濡れた所はカチカチであった。

 それでも、一番危惧していた片貝山荘から登山口までのデブリは小さく、最後の所を除けば、アイゼン・ピッケルの出番がなかった。いつもなら登山口にある残雪も全くなかった。それから1時間雪のない急登となるが、至る所にロープが張り巡らせてあり、手入れがされていると思った。その証拠に、今までは煩い木々に、ザックに付けられているピッケルやストックが絡んだものだが、そんな事も全くなかった。

 1,300m付近で雪が現れたので、斜面であったがアイゼンを装着となった。もうちょっと上でと思ったが、カチカチでツボ足では登れなかったからである。この辺りが下山時に迷うところの一つである。もう少し上の支尾根も迷いやすいところで、ガスが掛かったら怖い所である。

 伊折山辺りに来ると、対岸の主役は大明神山から毛勝山に変わっている。駒ヶ岳も存在感を表すが、僧ヶ岳山頂は山容の関係だろうか、それとも角度的なものなのだろうか、美的なものはあまり感じない。それよりも成谷山の方が、私には何か響くものを感じる。伊折山から成谷山へは、標高差150m程なのであるが、何故か遠くに感じる。でも、雪山だからであろうか意外と早く着くのである。

 伊折山でもそうであったが、成谷山でも、ミニ三脚を立てて写真を撮った。陽に当たって液晶画面がよく分からず、当てずっぽうでのシャッター切りであった。ここまで来ると、富山湾が眺められる。大明神山・毛勝山・駒ヶ岳をずっと眺めていただけに、海や平野は新鮮である。遠くに白山も見え、ずっと左に目を移せば、鉢伏山や鍬崎山が、そして、大日岳や立山の一部が見えて来る。

 高度を上げる毎に、後立山連峰の山々の姿が大きくなって来る。毛勝山や駒ヶ岳と共に、鹿島槍ヶ岳や五竜岳などと。かっては、ここまで大きなザックを担いで来て、テントを張った事を思い出す。また、林道のデブリが凄く、登山口まで5時間近く掛かってしまい、目的地の成谷山まで達せず、仕方なく伊折山周辺でテントを張った事もあった。

 黄砂を感じた。ちょっぴりだけど夏道が出ている。しかし、切れたった細くカチカチのところもあり、ルンルンとばかりも言っておれない。しかし、案じていたよりも楽に稜線歩きが出来た。最後に10m程降りる所がある。滑ったらイヤなところだけにピッケルを出した。後は気力との戦いだけ、でも、予定より1時間ほど余計に時間が掛かってしまった。

 山頂に辿り着いても、じっとしておれず写真撮りに精出した。後立山がいい。駒ヶ岳まで4時間ほどで行った事もあったが、遠い昔の話。今はこの僧ヶ岳だけでもヒーヒーとなっている。それにしても、仏ヶ平に雪がない。座ってもいないのに午後1時になってしまった。

 雪上の降りは好きである。でも、もしかしたら、今度で最後かもしれないと思うと、またデジカメやスマホに手が動く。同じもののように思うが、ちょっとばかり違うのである。家に帰れば、あんなに撮ったのにそんなにない。「山ノ神」にすれば、同じものばかりと言うに決まっている。

 今日は最後まで素晴らしいお天気に恵まれた。月曜日だからであろうか、誰一人登って来なかった。もっとも、今まで残雪期に登っても、あまり他人様に会わない。精々一人か二人であった。そう思いながら、登ってきた時に注意が必要だという所に差し掛かった。やっぱり一時足が止まってしまった。そうなればGPSで確認となる。(ガスが掛かる時は要注意である。)

 後は登山口までの降りであるが、疲れて来ると、躓いたりよろけたりしてしまう。ゆっくり歩くしか無い。ロープを頼ったりしても仕方がない。登山口に着いたのは午後4時になってしまった。お腹が空いた。まだ2時間の歩きがあるから、どうしても何かを食べなければいけなかった。立派なコゴミもパスしていたが、その内また採ってしまった。ヘロヘロになって6時頃車に戻った。



4/25 またしてもお天気が良くない。僧ヶ岳行きを明日に延ばす代わりに、「山ノ神」の山菜採りを採用?する事にした。飽きもせず片貝林道である。(片貝散策)今年3回目、片貝第2発電所より、1・5~2キロくらい中に入れるものの、第4発電所までは、約1時間は歩かなくてはいけない。

 3週間も入ると、必然的に目が肥えて来るというのか、貧弱なコゴミは採らなくなる。それでも、大きなザックがいっぱいになる。最近は、食するというより、採るのが楽しく、友人・知人に配るのが楽しくなっている。林道歩き・コゴミ採り・簡単な食事で5時間以上になった。

 寒いしお天気があまり良くないが、私は何処かのてっぺんに登らなければ気がすまない。朝日町の南保富士に出掛けたのが午後2時半頃。今にも降って来そうであったが、最後まで降らなかった。でも寒かった。山頂で、カップ麺を半分ずつ、そしてコーヒー(あの方は冷たい物)を食して、すぐに下山とした。休日は、家を出て戻って来るまでは、大概12時間を超える。コゴミ(山菜)を採って来るのは良いが後始末が大変!



4/24 予報はだんだんと良くなって来ているが、僧ヶ岳行きは、明後日に順延する事にした。と言っても、軟弱になりつつある私の事であるから、どうなるか分からない。明日は、簡単な所で茶を濁す事になる。



4/23 もしかしたらの話であるが、これからは単独行が増えるかもしれない。まず「山ノ神」の山への意欲が無くなってきている。そして、今まで行動を共にしてくれていた山仲間が諸事情で、その機会を失って来ているからである。もちろん私の体力も怪しくなってきているが、まだ気力だけは衰えていない。

 最も「80歳になっても雪山でキャンプをする。」 という目標があるから、早々と白旗をあげるわけにはいかない。簡単に80歳と言っても、私には、まだ6年半も先の話で、まだまだ感がある。パーティーを組む煩わしさはあるが、単独行は寂しい事がある。単独行をしていると、仲間と一緒するのに思いを重ねるし、一緒していると自由の自分も良いと思う。無いもの強請りかもしれないが、その繰り返しであり、人生と同じもののようにも思うのである。



4/22 あまりいい画像がない事もあるが、昨日に続いて今日も、2年前・3年前の僧ヶ岳を載せている。その2回とも単独行であった。昨年は、その機会を逸している。もっと先は、結構キャンプを楽しんでいたが、それに付き合ってくれる人がいなくなって来た。

 無理は出来ないが、今年は、その機会を狙っていたが、先日は悪天でやむなく中止となってしまった。今月あと2回休日があるし、” 自由 ” が許されれば挑んでみたいと思っている。かっては、駒ヶ岳どころか、その先を狙った事もあったが、遠い昔になってしまった。



4/21 この4~5月の間に、僧ヶ岳・北ノ俣岳・大日岳に行かれればハッピーと思っている。目標(夢)は、年々小さくなっていくが、仕方がないと思っている。目標であるから、お天気や体調如何では、その目標も怪しくなっていく。そしてまた、私の場合は、「山ノ神」との折衝を乗り越えなければならないから尚更である。

 出来れば「山ノ神」と共に、山頂い立てれば良いのだが、近年は、なかなか思い通りにはいかない。時間を掛けてでも行けないものは行けないのでる。でも、山菜採りだと目の色が変わるのであるから、上手く誘導しながら、少しでも一緒出来たらなどと思っている。



4/20 今年は何だか小佐波御前山と八乙女山ばかりに登っている印象がある。それだけ休日がお天気に恵まれなかったという事になる。この調子でいくと、金剛堂山や千石城山と共に100回が視野に入って来る。

 50回以上10座が目標の一つであったが、簡単な山ばかりではあまり自慢にもならない。白山や剱岳が、ランクインすれば、それなりの意義があるのだろうが、そんなに事は上手くいかない。それよりも、10回以上100座の方が、もっと困難である。



4/19 前週に続いて2週連続の片貝散策。そして、今回も片貝第2発電所ゲートは閉まったままであった。昨年も同じ第2週第3週とやって来ていたのだが、第3週にはゲートが開いていたのに。もっとも、昨年は少雪だったからかもしれない。

 林道歩きはある程度覚悟していた事もあり、また、斜度もあまりない事や、片道2~3時間ほどの歩きなら何ともない。今までは、雨具を着てでもやって来ていた事を思えば、それこそ屁の河童である。

 前週は、フキノトウを山ほど採ったが、今回は一週間経っているので、かなり伸びているのと、今回の目的はコゴミであったから、ずっと我慢をしての歩きであった。前週は、この林道にかなりの残雪が覆っていたが溶けて少なくなったのと、第3発電所辺りでは、重機が雪を払い除けた跡があった。

 第4発電所辺りまでは、車の走行は可能と思ったが。後は当局の判断だけの問題かとみた。コゴミは出掛けと、丁度いいのとの二極化であったが、今度の週末には周りの草が生えて来る。その上は、これからであろう。僧ヶ岳の下山時が良いのでは・・・



4/18 僧ヶ岳行きを雨で流したが、何処かに登らなくてはならない私は小佐波御前山にした。そんな折、シュンちゃんが付き合ってくれると言ってくれた。久しぶりに、ゆっくり歩き、たくさん話をしようという企画?であった。自分達が知り合った頃の話から、今途切れている昔の仲間の話にまで及んだ。

 雪中長時間宴会(4時間)の話や、大地・初雪山のキャンプの事などなど。道中、雨が降り風もあった。時折陽が差したと思ったりしたが、あられやミゾレの時もあった。しかし、そのような事は、非日常ではなく日常的なもので、良いアクセントとなったような気がしている。

 準備中に、トレランの「のんさん」が声を掛けてくれた。そしてまた、同じ小佐波御前山に向かうRyoさん、nomatさん、かずみさんにも声を掛けてもらった。若い方々を見ていると何もかもが羨ましい。私にも、そんな事があったのだろうか?となってしまうが、やっぱりこの先の事を考えよう。ささやかでも良いから声を掛けてもらえるように・・・



4/17 今日のお天気、そして、明日の予報からして、ずっと雨である。そんな事から、明日の僧ヶ岳行きは、中止または延期にした。明日しか行けない方には本当に申し訳ないと思う。だからといって、この後、お天気と休日が必ずしも合致するとは言い切れないのであるから、そう落胆する事もないであろう。

 そうして、雪解けや黄砂の飛来など、「白い山」 が遠のいていく。只、登れば良いというものでもあるまい。しかし、私もそうであったように、何が何でも登りたいという事もある。燃えている時は、そんなものかもしれない。若い時は経験が少なくても元気(体力)がある。それは何事にも代え難い。

 明日は、雨だから小佐波御前山のつもりであるが、こんな時ほど、お天気が急激に回復し、地団駄を踏む事になりかねない。しかし、ものは考えようで、思っていた山ではないかもしれないが、雨よりは降らない方が良いのに決まっている。



4/16 ああ情けなや・・ 「眠たかった。」 「お酒を飲んでいた。」 などの言い訳など言っておれない。直近の誤字だけでも、「逝く→行く」  「以前→依然」 など、翌日、改めて眺めてみると顔から火が出るほどである。 ” 恥ずかしい。”  も、最近では、「皆さんは分かっているだろう。」 などと勝手な解釈をしている。一つ一つ気にしているとやってられないか? 見てくださる方も忍耐かもしれない。

 明日明後日の予報は良くない。全くダメだ。一日中雨である。また、片貝の林道も、今日現在、通行止のままであるとの情報をもらった。このままだと、高所への山行であるし、長い林道歩きが伴う事から、僧ヶ岳行きは中止・延期にならざるを得ない。でも、何処かの山に行く事には変わりはない。



4/15 コロナ環境は、日に日に悪くなっている。富山でも、以前と比べると随分悪い。この調子だと遠出(九州遠征)もダメになりそうである。「でも、私(達)には山がある。」 とでも言っていないと、何もかもが面白くなく非常に寂しい。

 今度の日曜日に予定している僧ヶ岳は雨予報である。ちょっとだけ上向いたかのように思えるが依然雨予報である。でも、まだ中2日ある。そして、第4発電所まで車が入るかどうかもわからない。(現在第2発電所まで) 何もかも思い通りにはいかないものだが運に任すしかない。



4/14 yamap友達が、どんな所でも簡単に登ってしまうので、その評価として 「へのかっぱだね! (屁の河童)」 と投稿したら、「何の事?」 だった。 「ありゃ! こんな言葉は、もう使わないのか!」 と、こちらが恐縮してしまった。

 方言や慣用句、言い伝え(伝承)など、あってもいいものがたくさんある。意識して使わないと忘れされてしまう。そして反対に、横文字・カタカナ・造語など、理解するのに時間が掛かってしまう。「若い人」 「年寄」 だけで区別されてしまいそうだが、必死に食らいついていこう。でも、すぐ忘れてしまう。困った!



4/13 4/11と4/12の休日は、内容は別にしてよく歩いた。疲れたと言うより充実感が漂っている。休日は、トレーニングジムに通っているようなものであるから、自分なりに生き生きしているように感じている。「休日は山に・・」 としているから、当たり前なのであるが、時折、山だけしか知らない人生って本当にいいのかと思う事もある。

 趣味がない人と比べれば確かにそれなりの喜びがあり目標・目的がある。それより飽きもせず長い間一つの事を続けているのが、他の人から見ればきっと可笑しく感じるのではないかと思う。しかし、レッテルを貼られるのは、それなりに認めてもらっているのであるから、喜ばなくてはならないのではと思う。

 今度の日曜日は、僧ヶ岳を計画しているが、クルクル変わりながら、現在の予報は全くの雨である。雨でも山に行き続けているが、今度の山の内容が違う。雨だったら中止・延期となると思うが、「白い山」が遠のく。そして、雪が減る。私よりずっと若い人達との山行は、辛いところもあるが、いろいろな利点もある。最近の予報は確実性を帯びているが、パッと晴れてくれないかと願うのである。



4/12 この時期になると片貝川林道が気になる。僧ヶ岳・毛勝三山へのアクセスと共に山菜である。案の定、片貝第2発電所で通行止めとなっていた。しかし、いつもの事なので歩くつもりであった。歩いてすぐの所にキャンプ場がある。まだ開いていないが、そこのテーブルで朝食と大好きなコーヒーである。

 残雪はないかと思ったけれど結構あった。北電の車が追い越していったが、すぐに戻って来たくらいである。でも、毛勝山へ行かれたのだろうか、その残雪を乗り越えてのトレースがあったが、やがて限界を感じたのか、樹木やポールに縛り付けてあった。第4発電所からは、デブリがあり重機が入らなければ通行出来ないであろう。例年は、その第4発電所辺りまで車が入るのは、第3週くらいなのだが、今年はどうなんだろう。

 成谷堰堤まで歩いたが、そこから引き返した。今日の偵察は、来週僧ヶ岳山行のためであったが、出来たら何か山菜と思ったが、フキノトウだけであった。他は蕾が硬かった。昨日の春木山は約37,000歩であった。今日の歩きは、5~6時間を要したが、まだその域に達していなかった。それではと千石城山に向かった。

 林道を歩いただけだったので、お山のてっぺんに立っていない。そんな事もあって、千石城山を選んだのであるが、登り始めは午後3時半くらいになった。お天気が良く剱岳の展望台であるのも選んだ一つの理由であったが、それよりも、まりさんとお目にかかったのが、もっと嬉しく感じた。すれ違いだったので、立ち話だけだったが、それでもお互い山好き同士で、ハッピーハッピーであった。誰もいない山頂で、剱岳を眺めながら、一つのカップ麺を2人でわけ、コーヒーとなった。



4/11 車は予想通り大きなヘアピンカーブまでであったが、その雪量は、今までにないくらい多く、その先のデブリも凄かった。でも、田向の林道入口が通行止めになってなくて胸を撫で下ろした。大倉山の桑首林道や稜線までの雪量の事を思えば、流石に五箇山は豪雪地帯であると思った。

 それでも私達のヨタヨタ歩きでは、登山口まで2時間近く掛かってしまった。どうかと思ったが、登山口でアイゼンを装着した。所々残雪が途切れていたが、今朝は気温が低く、アイゼンの食い込みが気持ちよかった。第一休憩所辺りから、べったりの雪量となり、急斜面の何処を歩いても良いようになった。

 しかし、アイゼンは、スノーシューと違い踵が上がらないだけ、足に辛く当たるかもしれない。第2休憩所辺りまで来るのに、私は、2度も「山ノ神」の荷を戻って担ぎ上げている。そんな事もあってなのか分からないが、「山ノ神」は、私だけなら山頂に行けるのではと言い出した。「山ノ神」は、ここで戻って来るまで待っていると言うのである。こんなのは、最近多くなって来ており、一緒に来るのであれば、最後まで一緒でないと、何かあったら後悔しなければならなくなったら大変である。

 私は、何としても宮屋敷跡まで連れて行かなくてはと思った。遅いとか、何しているとかを言わないようにして、もう少し頑張ろうである。宮屋敷跡まで来れば、その展望を頼りに春木山なら行けるからである。しかし、宮屋敷跡に着いたのは、午後1時近くになっていた。でも、北アの山々はもちろん、乗鞍岳や御嶽山が望め大パノラマなのである。

 突然、男女2人が現れた。尋ねると、マルツンボリ山から来られたと言うのである。「元気な方々はいいな!」 と思っても仕方がない。「山ノ神」を外すのは、ある意味では、「元さんの山歩き」が成り立たなくなるような気がする。時折、自由にさせてもらえれば、後は珍道中でもいいのである。一日も長く一緒に歩けるのが最大の喜びであるから・・・ <ウソ>  (とりあえず2人で150歳である。)

 北アもそうだが、三ヶ辻山も立派である。その山容を眺めるため、また「山ノ神」の疲れを取るために、いつものようにシェルターを造ろうとしたが、雪が固くてシャベルの刃が立たなかった。私の愛用のシャベルでもである。苦肉の策として、足元だけを掘った。風が吹くと寒いのであるが、あの方は、それこそ何としてもビールであるから、見ている方が可笑しくなる。

 宮屋敷跡に戻って来たのは、午後2時半近くであった。雪斜面を駆け降りられるのだったら、そんなに時間を要しないと思われるが、何せ「山ノ神」は、それが出来ない。登山口に着いてから林道歩きも待っているのであるから、明るい内に車に戻れるだろうかと、ちょっと心配であったが、やはり下りは早いもので、悠々日没が前に車に戻る事が出来た。44回目の人形山はカウント出来なかったが、春木山に11回を記する事が出来た。

 

4/10 黒部のシュンちゃんがやって来てくれた。それもバイク(自転車)である。本当の目的は図りしれないが、何ら昔と変わらない付き合い方をしてくれるのは嬉しくて堪らない。暫しの時間であったけれど、いろんな話が出来て良かった。コロナが終息した折には、1杯やろうという約束も取り付けた。いやいや状況次第では、それまで我慢が出来ないかもしれないが・・・

 今日も寒いが晴れていた。明日も晴れる予報である。ふとしたことから、「山ノ神」が、人形山を口にした。私は逃さなかった。どうであれ人形山へ行く事にした。林道歩きが着いてまわるから、「山ノ神」の力量では、おそらく山頂には届かないような気がする。

 登った。登れなかったよりも、今となっては、そのプロセスが大事な気がする。意欲である。チャレンジ精神である。お山のてっぺんを目指すのであるが、届かなかったら仕方がない。でも、時間の許す限り山頂に拘りたい。「まあ~、いいや!」 になるのが怖いから。



4/9 射水市に次いで砺波市のPayPay狂想曲が終わった。私も少しの恩恵を受けたが、必ずしも満足するものではなかった。メカ(IT)が苦手、あるいは、キライとすれば、この先何年も生きるとして結構損する事になる。キライでもやった方が(知ってた方が)便利だし得するからである。

 yamapを使い始めてもうすぐ1年になるが、これまた不勉強のため、いろいろな事が出来ないでいる。しかし、やっていると、「へぇ~、そんな事出来るの?」 と新しい知識を得る事がある。最近、「検索の仕方」 「他の軌跡のダウンロード」 などが出来るようになった。(知らなかったのが本当) 出来ると楽しい。

 「歩けなくなる。」 「歩けなくなった。」 の体力と共に、「忘れるようになった。」 「考えるのがイヤになった。」 も気を付けないといけない。忘れた分何かを覚えればいいのではも一つの考え。何事も前向きに、そして、それがチャレンジなのかもしれない。一つ歳を取る毎に体力も気力も加速度的に衰えて行く。寂しいが意識を持って頑張るしかない。



4/8 今日は寒かった。平地が雨だったら、山もしくは山沿いでは雪だったのではなかろうか? 明日はもっと冷え込むようだ。でも、今度の日曜・月曜日は晴れるようである。まだフキノトウしか採っていないが、だんだんと山菜採りモードになりつつある。山菜採りだけの山行はあまり好きではない。山に登ってからでないと気分が良くない。以前は、山中で採りたての山菜を、天ぷらにして食べていた事があったが、そのようなメンバーもいなくなってしまった。これからの山行は「山ノ神」との駆け引きになる。



4/7 月一回の3連休が終わった。小佐波御前山と八乙女山は、お天気に恵まれなかったが、3日目にして、ようやくピーカンとなった。小佐波御前山と八乙女山では、誰とも遭遇しないという珍事?となった。月曜日は別にして、日曜日に誰とも会わないのも珍しいと感じていた。3日目の大倉山でも、もしかしたら、誰とも会わないのかと思ったりしていたが、快速のお二人とお会いした。その方達も、お天気が良いから、かなりの登山者を想定しておられたようであった。

 周期的には、もうそろそろお天気に恵まれるのではとの希望的観測をしている。あの山もこの山もと、思いは募るのであるが、「果たして・・」 となる。「山ノ神」を始め、まわりの山仲間が、だんだんと離脱?していくのであるから、そのムードは良くない。もちろん、奇声を発している私も落ち目である事は重々承知している。

 でも、そんなのでは寂しすぎる。ずっと、希望に満ちて生きていきたい。「何としても・・」 「這ってでも・・」 を、言い続けてきたが、その言葉を共に贈りたい。そんな私も、いつダメになるかわからないが、そのようになった時、反対に励まして欲しいと思っている。幸いかどうか分からないが、私より、ずっと若い方々が、「一緒に行こうよ。」 と言って下さる事に感謝をしている。ちょっと謙って、精進・鍛錬を続けなければと思っている。

4/6  やっぱり桑首林道に車は乗入れ出来なかった。通行止めになっていなくても重機が入らなければ難しい。特に林道交差点から登山口には、大きな石が遮っていて、もしかしたら、通年車が入れないかもしれない。そんな林道を、予定より早く通過する事が出来た。

 例によって、登り始めは急登。しかし、イワウチワのプロムナードが迎えて来れた。林道では霜が降りていて寒かったが、急登とあっては汗が滲んで来る。稜線まで(1,053mの登高点)、全く雪がなかった。900mの標柱がある所で、凄い勢いで登って来られた男女ペアに抜かれた。

 アイゼンを装着して歩きだしたが、稜線でも所々雪が切れている。でも、気温が低いだけ雪に食い付くのは気持ちが良い。先のペアに抜かれたものの、また写真を撮りまくっていた割には、意外と早い時間に大倉山頂に着いた。(午前10時前)先のペアは、口数が少ない方々であったが、お願いしてシャッターを切ってもらった。

 今日は、自由の身になったが、「山ノ神」からは、「歳なんだから気を付けて・・」 と言われ、「無理はしません。」 と、言い放って来た。でも、この時間で土倉山に行かない選択肢はないと思ってしまった。猫又谷は隠れてしまうが、剱岳が、だんだんと近付いて来るのは堪らない。

 しかし、どんどん降って行くのであるが、地図上では、半分ほど行った所の雪壁が、私をストップさせてしまった。ズタズタになっており、今にも崩落しそうな状態になっていた。それを回り込もうと、ヤブに入ろうとしたが、樹木が太く掻き分けて入り込む事は出来なかった。ましてや、やや大きめのザックでは、とても通過出来ないと諦める事にした。

 ちょっと戻った所に食事処を造った。独り占めの剱岳展望台である。土倉山には及ばないが、大倉山よりは近いのである。カップ焼きそばを食べた。もちろんコーヒーもである。写真はたくさん撮ったが(同じもの)、イザ私もをと思っても、その手立てがない。スマホでは、バージョンが違うという事でダメ。仕方なく3秒の自撮りとするが、戯れた画像しかない。

 大倉山への登り返しは、分かっていたから、そんなに苦痛とは思わなかった。また剱岳を眺められるとの思いで気持ちを繋いだ。最近行っていない猫又谷も、何故か眩しく感じた。「行けばいいのに・・」 である。後はルンルンであった。朝方のイワウチワは、顔を持ち上げていた。「ご苦労さま。」 と言いたげであった。後は、伸びたフキノトウを見ながら(結構採ったが・・)林道を歩き長い一日が終わった。



4/5 今日は、T女史から手解きを受けていた八乙女山の道宗道に挑んだ。八乙女山に何回も登っているが、それこそメジャーな本コースのみ。それもその筈、お天気の悪い時や時間のない時が殆どなので、それも致し方なかった。

 あの有名な不動滝さえ行った事がなかったし、どうして行ったらいいのかさえ知らなかった。ちょっと違うが、布滝の林道は2回ほど歩いた事があった。今回は、雪割草にお目に掛かれるというので、私の3連休の中で、スケジュールを如何にするかであった。昨日は雨予報だったので外したが、結果的には日中は降らなかった。今日は、朝方には雨が止み、お昼前から晴れ予報であったのに、登り始めから小雨状態であった。明日は晴れ予報で、ちょっと高いお山に出掛ける予定である。(臼越山から大倉山に変更)

 その取付きが分かるか不安であったが、道宗道の標柱があった。問題は何処に車を停めるかであったが、当初は、兎に角取付きを見付けてから決めようであった。閑乗寺公園に戻ってから歩く、こちらに降りて来るなどの案があったが、車を待機できる所まで下がって、こちらから登る事にした。

 急登であったが、すぐに雪割草に出会えた。ちっちゃなちっちゃな顔して出迎えてくれたのであるが、今日は昨日と比べてかなり気温が低く、しかも小雨が降り続いているので、そのちっちゃな顔・頭がお辞儀している様では、こちらが恐縮してしまう。

 もっと華やかな、もっと可憐な雪割草を連想していただけに、ちょっぴり寂しかった。でも、至る所に咲いているのには、「ここにも、あそこにも」 であった。そして、昨夜来の雨で、地べたが濡れていて滑りやすくなっているのであるが、それを嘲笑うかのように、水っ気をたっぷり含んで下を向いている様は、静かに見守っているかのようにも感じるのは自分勝手の解釈かもしれない。

 祠を過ぎた頃から、色鮮やかな雪割草になったが、私達のカメラ、またテクニックでは上手に撮れない。でも、雨が止んで来て、こちらも気分が良くなってくる。林道に出たら、残雪に覆われていた。欲な私は、その合間から顔を出しているフキノトウを採らないではおれない。東屋で簡単な食事をしたが、「山ノ神」は、同じ所を降りたくないという。(滑るから怖いという。)

 二手に分かれる方法もあったが、やはり不徳の事態がないとも限らないし、いつものルートを降る事にした。閑乗寺公園に近づくに従って、曇り空に青空が少しばかり覗くようになってくる。そして、その後も不動滝方面への林道を歩いた。



4/4予報からして雨は避けられないと思い、今年7度目の小佐波御前山としたが、パラパラとしか降らなかった。その代わりではないが強風が吹き荒れていた。そんな日であったからであろうか、登山者は、我々の他には誰もいなかった。小佐波御前山では本当に珍しい。

 何故同じ山に何回もと思われるかもしれないが、「休日は山に・・」 が、ライフスタイルだけに、雨になると登る山が限られて来る。そりゃ、お天気で景色が良いのに決まっているのですが、雨になると、歩く事が優先としている。険しい山や長い行程の山は、それこそ危険だし面白くもない。この程度の山が、私としてちょうどいいのである。

 車に戻って、スタート時点で眺めたカタクリよりも、キャンプ場より物を見入れば真っ盛りであった。その頃から雨が少し強く降り出した。斜面にあったタラの芽を今夜の ”つまみ ” と思って採ったが、果たして天ぷらにしてもらえるだろうか?



4/3 T女史に雪割草の情報を頂いた。でも明日は雨。そして、私の知らない山域。迷っている。私はお花に詳しくない。でも、きれいなものはキレイ。降らなかったら行こうか? 降ったら小佐波御前山かもしれない。



4/2 明後日からの3日間(4/4~4/6)の予報は全く良くない。休日なのにである。このところ、あまり良くなかったので、もうそろそろと思っていたのだが、上手くいかないものである。昨年のこの3日間は、天蓋山・金剛堂山・白鳥山に出掛けている。記録を見ると、3日間とも「山ノ神」が同行している。昨年は、まだ元気だったという事なんだろう。

 天蓋山は、ガリ君が一緒だった。降雪があり神秘な天蓋山を堪能してきた思いがある。金剛堂山は、「山ノ神」途中リタイヤで、シェルターを造って私だけが山頂に向かった。白鳥山では、「星さん」と出会った。歩けばいろいろな方と知り合いになる。波長が合えば長続きする。そして、それが財産になる。



4/1 エイプリルフールと全く関係がないのですが、4/1今日から、YAMAPの名前(あだな)を元さんに変更しました。当初は何が何だか分からないままtosinagakunにしてしまったのですが、紛らわしいし、自分の名を出しても何の問題もないと思い交わしました。プロフィールなのに、名前も画像も分からないのでは意味がないような気がしていました。