9/30 今年も10月頭の3連休に東北に出掛ける事になっていた。コロナと台風でイマイチ盛り上がらず、計画がなっていない。「山ノ神」が、相変わらず栗駒山に行きたいと言っているだけ。宿に泊まるのか、キャンプなのか、車中泊なのかも決まっていない。

 私としては、一座でも名山(二百名山・3百名山)を組み入れたいと思っているが、「山ばっかし・・」 と「山ノ神」が言うので、なかなか纏まらない。同じ山に何度登っても良いのであるが、時間(距離)が短いのでないと、「山ノ神」の雰囲気が悪い。



9/29 私もヨレヨレだけど、PCもスマホもヨレヨレだ! 撮り方も悪いのだろうが、デジカメも良い画像にならない。他人様のスマホを覗いてみると、「こんなにスッキリ」 なのかと、自分のスマホがイヤになってしまう。

 大日ヶ岳で紛失してしまったデジカメの事もあり、今は、もっと古いデジカメを無理やり使用している感じ。PCもスマホもデジカメも欲しいが、そんなわけにはいかない。それから、デジカメはさておいて、他の機器は、データーの移行が付いて回る。メカに弱い私は難儀な事になる。先の車のトラブルにも費用が掛かる。どないしたもんだ!



9/28 昨日の白山山行の折、室堂センター間近で、南竜ヶ馬場に向かう3人パーティーとすれ違った。しばらくして、その内のお一人が振り返えられ 「もしかしたら、元さん?」 と声を掛けて下さった。こちらはどなたか分からないまま、「そうです。」 と答えた。「福井県坂井市の紙屋です。」 には、「えぇ・・」 としか言えなかった。

 そうなれば、僅かな時間(数分もなかったかも)に、いっぱい喋った。紙屋さんこと、「みっちゃん」とは、長年の交流がありながら、今回が初対面であった。HPを介して、何度かメールのやり取りをした事があるが、PCのクラシュや、スマホデーター移行の失敗などから途絶えていたのである。でも、ずっと賀状のやり取りは続いていた。白山の写真集も頂いていた。

 「よく分かったね。」 から始まり、矢継早に、いろいろとお話した。ガンを患われた事、私より4つも年上である事、そして、白山は350回だと言われるのであるから、46回目の私などは、足元にも及ばないと思った。市瀬から(もしかしたら、別当出合)で、南竜ヶ馬場経由で戻られるとの事であった。お顔を忘れてはいけないので写真を撮らせてもらった。

 4つ上のお姉さんが頑張っておられるのであるから、私もまだまだ負けるわけにはいかない。「山ノ神」にも、「あんたの10歳も上だよ!」 と言ってみたものの、その意味が伝わったかどうかわからない。


 一昨日の小佐波御前山で ”むかご” が、少しばかり採れた。その事を当HPでは、間違いなく ”むかご” としていたのであるが、facebookやyamapでは、”めかぶ” と間違った記述をしてしまった。でも、有り難い事に、「優しくご指摘を受けた。」 海の物と山の物で全然違うはずなのに、どうも私は、ごっちゃになってしまっているようである。これから、尚更のように可笑しくなっていきそう。皆さんいろいろ教えてね!



9/27 また寝不足のまま出掛けてしまった。白山は、私として今年3回目。通算46回目である。50回を目指す者として、この一回は登っておきたかった。でも、それは、特別の事をするわけでもないから、只数字の積み重ねでしかない。今となっては、そういう楽しみしかないのである。(半分は、苦しみ?修行?)

 今回の白山行きに際し、「山ノ神」に、大倉山まで3時間、室堂まで6時間掛かっても良いから・・・ その気になれないなら、室堂まででもいいから・・と口説いた。「山ノ神」にしてみれば、あまり行きたくない。行かなかったら行かなかったで、また後悔するとの気持ちであったに違いない。

 それでも行った。予定の時間より、ちょっぴりだけ早く着けた感はあり、少し満足だったかもしれない、期待していたお天気と紅葉はイマイチであった。室堂より上はガスガスで、紅葉はこれからであった。「山ノ神」が、室堂で待機する間、私は、やっぱり山頂へ行かねばなるまい。そのためにやって来たのであるから・・・。

 午前5時20分頃にスタートしたのに、登山口に戻って来たのは、やっぱり午後5時20分頃。山中に12時間いて、ヘッデンこそ点けなかったが、またまた最後の登山者となってしまった。疲れました。それに往復5時間ほどの運転があるのだから・・・。 でも、私達は、「一日中遊べた。」 と満足感に酔うのである。



9/26 予報は午前9時頃から午後3時頃まで雨でしたが、前倒しだったのか、朝方まで降っていた雨が、登り始める頃には止んでいました。猿倉山まで登る人達がままあったのですが、今日は、小佐波御前山までの人達はいなかったみたいです。

 何か拍子抜けみたいな感じでした。それより、このような日に登るのが可笑しいのかもしれません。降り際に ”むかご” を少々ゲット。榊も頂きました。
 この頃、車のトラブル続き、昨日は、娘達が使っていて右前タイヤがバーストしてしまったとか。またまた費用が嵩むし、時間がなかったので、弱ってしまい、冬タイヤに取り替えてしまった。



9/25 明日は雨のようである。明後日は晴れ。でも、最近はかなり騙されているので半分程しか信じられない。自分の好きなところへは行けそうにないが、「山ノ神」に、翌週の3連休をチラつかせて、明後日は白山に行けないか交渉中である。

 体調は決して良くない。でも、じっとしていると気分まで可笑しくなる。ならば歩いた方が良いのではと思ってしまう。でも、速くは歩けない。それでも、充分に山は楽しめる。そして、明日の行き先は、起きてからになる。



9/24 ここ2日間、調整という事で、仕事前に、二上山へ行こうと思っていたが、目が覚めても身体がついていけず不履行になった。夜明けが、だんだん遅くなっていくのも要因の一つであるが、気力の無さがダメにしてしまったのだろう。悲しく残念でならない。

 たかが、山なのであるが、「這ってでも行く。」 とか、「行けなくなったら死んだようなもの。」 だと言って来ているのだから、山と縁が切れたら、もうお終いである。何とかしなければ・・・。

 「大地山に行けなくなったら山は止める。」  と言って来ている。でも、本当は、「大地山に行けなくなったら、山は止めるかもしれない。」 になって来ているような気がする。そんなに簡単に山は止められないから・・・ それほど山は好きなのである。



9/23 当HPのメーンページに載せる画像に困ったら、古い物をきっぱり出して来るが、我がPCには2,002年からの物しかない。しかも、バックアップを怠った2,013年1月から、2,017年12月までの5年分がない。思い込みというものは、実に怪しいもので、クラッシュした時に泣きを見た。

 いくら悔やんでも仕方がないのだが、「大事な時のものだけに・・・」 の思いは大きい。でも、新しい想い出を作ればと思っている。それにしても、一年先の物を見ても若く感じるが、10年も前の物を見ると、これが本当に私なのかと思ってしまう。今日は、昨日よりも年取ったけれど、明日より若い。一日一日大事にしていきたいと思うのであるが・・・・。



9/22 最近、ちょっと頭が重い、そして、首が痛い。大猫山から戻った時、結構な時間動いたから、解消したように思えたが、疲れていて分からなかったのかもしれない。 「今は、何となく、イ~ヤな予感がしている。」 そんなのを気力だけで払拭されるわけもない。 そうして、徐々にダメになっていくのだろう。



9/21 危ない所や怖い所へは、もう行かないし行けない。腕力・脚力などの衰えを、日を追う毎に感じているからである。転んだらケガをしたらアウトだと思っているから尚更である。でも、持久力や忍耐力は、まだ少し頑張れる範囲内だと思っているが怪しい。

 今回の大猫山でも、疲れて来ると、飛び出た木々や岩などに、ぶつけたり擦ったりしてしまった。木の根に乗っかりズルっともなった。笹や樹木に繋がって降りたり登ったりしていると、今度は手が攣り始めた。歳を取るという事は、これほど厄介なもんだと改めて認識せざるを得なかった。

 まだまだと思っていても、その範囲は否応なしに狭まっていく。悲しいし寂しいが仕方がない。だから先輩の姿を追いたくなる。「あの人は、まだ頑張っている。」 「あの歳でもあの山に登れるんだ!」 などと、発奮する材料になる。



9/20 昨日の大辻山・高峰山の帰宅中の車中で、突然、「私、明日約束があるの?あんた好きな所へ行って来られ・・」 と言われた。それなら、「もっと先から行ってくれよ!」 と言いたかったが、久しぶりに自由の身になれるのだから、文句も言えまい。

 大猫山に行く事にした。久しぶりである。50回くらい楽に行けると思っていたのに、このところ、ブナクラ周辺に足を運んでいない。それは、手前にゲートが出来た事もあるが、「山ノ神」を含め、山仲間との山行機会がなくなって来ているからでもある。

 4年ぶりであったが、ブナクラ谷取水口周辺の変わりように驚いた。そして、登山口の赤ペンキで書かれた大きな石がなかった。修復グループの手が回らくなって来ているからであろうか、1750m辺りから、登山道が笹に覆われていた。そして、山頂とされていた2070mには、お地蔵さん以外、目印となるものが全く無かった。そして、YAMPの山頂とされている所が、猫又山寄りに記されているのである。

 元々は(越中の百山)、三角点のある所が頂上とされていたようである。登山道が開設され、「とやま山紀行」が発刊された機会に、どうもお地蔵さんのある所が頂上とされ、後に手作りの山名板や、ペナントが括り作られ頂上と認知されるようになった気がする。

 最も、一番高い所でもないし、何故の思いはあったが、頂上というものは、歴史が伴うもので、皆がそう思えばそうなると思っていた。実際に頂上は、三角点や最高点と、必ずしも一致していないからである。今回YMAP上の頂上とする所を訪ねてみた。

 何の変哲もなく、何の目印もなかった。生憎視界も良くなく、周りの雰囲気が分からなかったが、誰かがYAMPに申請したのかもしれない。依然、大猫山と記された山名板が、地べたに置かれていた事があったが、その場所であったかは良く覚えていない。

 20年以上、頂上としていたのであるから、お地蔵様が置かれている所が似合うような気がする。私は、三角点には2度しか行っていないが、そこを頂上とするには相応しくないような気がする。

 そのYAMPに、私は2時間以上休憩しているようになっているが、その場所を往復していたのと、疲れ果てていたので、実際には20~30分ほどしか休んでいない。  兎に角、今回は疲れた。年寄りが行くところではないような気がした。(笑)  それでも、まだ39回である。ちょっと心残りである。鍛え直して、もう一度行くかもしれない。(希望的)



9/19 お天気が約束されたかの予報であったが、昨夜にどうも可笑しいぞ!と思ったのが的中してしまった。鳥越峠から大辻山に登ったのですが、半袖では寒いくらいでした。でも歩けば丁度良いくらいでした。晴れ予報の大辻山だったからでしょうか、山頂はいっぱい。次から次へと登山者が押し寄せていました。私が数えたのは60~70人くらいだったでしょうか?

 1時間の予定であった山頂滞在を、ちょっとばかし早く切り上げ、降り始めた20~30分程のところで、池田氏とマキちゃんと遭遇。「えぇ、」 「ありゃ!」 となり、再度大辻山山頂へと誘われたのですが、私達が、「高峰山」へお誘いする事になった。「山ノ神」は、予定外と言いたげだったが、空荷で良いからとナダメ、2つ目の山頂に行く事になった。

 今日の高峰山へは、お二人が加わってもらった事もあり、いつもより速く山頂に辿り着いた気がした。しかし、大辻山でもそうであったが、全く視界がなく、真っ白なのは変わらなかった。時間が経っただけ、高峰山の方が、ちょっとだけ良かったのかもしれない。

 山頂では、池田氏とマキちゃんとの久しぶりの会話を楽しんだ。と言っても、さほど真新しいものではないが、何だか落ち着くのである。西種の方から、成田氏が登って来られたので、またまた余計な事を喋ってしまったかもしれない。



9/18 明日から3日間晴れマークであるし、今宵から徐々に晴れてくるらしいが、今のお天気では信じがたい。ちょっとだけ遠出を考えていたが、とりあえず、明日は、県内の山にする事にした。でも、晴れるとしたら、何処へ行っても、たくさんの方々が登って来られるような気がする。

 静かな山も良いが、賑やかな山も良いのかもしれない。知り合いに会えるかもしれないし、新たな知り合いが出来るかもしれない。それがイヤなら、早い時間に登るのも一つの手段。でも、ゆっくり登れば、すぐに追い付かれるかもしれない。それはそれで、山の面白みの一つと思えば良いと思う。



9/17 「カンパンもらって・・」 と記したら、有り難い事に、お二人が手を上げてくださった。(8個消化となる。) その内のH女史と、暫し山談義が出来た。と言っても、私の一方的なものになったかもしれないが、訪ねて来て頂いた事に感謝であった。

 車が退院した。ガソリンスタンド側と最終的な詰めにはなっていないが、軽油に水が混じっていた事に関しての修理は、全面的に相手方から保証して頂けると思っている。それにしても、まさか正規のスタンドで、そのような目に遭うとは思ってもいなかった。そして、クレームを言わなければ、相手様も、どのお客かも分からないのだから、良かったと胸を撫で下ろしている。



9/16   私が山登りを始めた頃、非常食は、カンパンが定番だった。そのカンパンを、大量に手に入れた。但し、災害用の非常食として貯め置かれていたもので、賞味期限が202108なのである。早速試食してみたがどうもない。缶詰であるし。この種の物は、まだまだ大丈夫なのだが、押し付ける事は出来ない。

 誰かもらってくれる人はいないだろうか? 2~3個、あるいは、4~5個を、登山口でお渡しするのが、一番良いのではないかと思うのだが・・・  手を上げてもらえる人はいないだろうか?



9/15 パソコンが欲しい。スマホも替えたい。カメラも・・・ 本当に欲張りであるは百も承知。しかし、山用具の消耗する物以外、もう高価な物は買わないだろう。しかし、ずっと生きるつもり(山に登るのだから)であるから、いつかは車を買い替えるであろう。

 後は、山旅にどれだけの費用が掛かるかであるが、そんな事は分からない。我々二人は国民年金であるが故、そんなに贅沢は出来ない。蓄えなどは、すぐに吹っ飛んでしまう程の額。もう少し何処かにあるはずなのだが、何処に隠したのか忘れてしまった。何処を探してもない。使ってしまったのだろう。(笑)

 そんな状況なので、別れる事も出来ない。一人の年金では、とてもじゃないが生活出来ないのである。否応なしに、二人の生活は続く。そうなると、自分勝手な事ばかり出来ないので我慢するしかない。コロッといけば、何とかなるのだろうが、ずっと、生きるとなると費用が嵩む。まだまだ仕事をしなければならない。



9/14 「山ノ神」とばかり歩いていると、そのような歩きになってしまい速く歩けなくなっている。たくさん餅を食べた(歳を取った)事も、大いに影響しているのは間違いないのであるが、まだまだの気持ちが、未だに強く残っている。

 それとは裏腹に、若い人達に付いて行くのが辛くなっているのも事実、そして、「山ノ神」を、相棒として残しておきたいのも事実である。周りの仲間達が、だんだんと山から遠ざかっていくのだから、「山ノ神」に付き合わせなくてはとなってしまう。当面、二人で150歳まで頑張ってくれと言っている。

 私とて、まだまだ行きたい山がたくさんある。特別の事をしようとは思わないが、まだまだやり残している事がある。しかし、私の思うようになるわけがない。一人で何処へでも行くという気持ちは衰えてしまった。キャンプ(山小屋に泊まったとしても)などして、一人での食事は味気ないようになってしまった。それは、どうしてもという事がなくなってしまったからであろう。

 でも、今も一つだけ拘りがある。雪中キャンプである。例え高度を下げようが、山登れる間は続けたいと思っている。しかし、キャンプ場と違い全く一人である。だんだんと寂しくなってきた。それは、修行かもれないというしかない。80歳を過ぎたら自慢したいその思いである。



9/13 今日も、代車故遠出を控えた。そしたら、尚更行き先に揉めた。結局は、ラッシュを過ぎてからの自宅を、午前8時半発の城ヶ平山・ハゲ山になった。昨日と同じで、曇りがちであった。そして、8号線の車中では望めた剱岳が姿を隠してしまった。

 今日もゆっくりであった。(ゆっくりしかならない。) あまり時間に拘らないようにして、煽てて歩かせるしかない。怒らせると、ずっとだんまりになってしまうし全然面白くなくなる。我慢である。「山ノ神」のビールも担いで我慢である。

 途中、直美さんとお友達にすれ違いざまに、ちょっぴり話し込んだ。「山ノ神」は、何処へでも行かれるし強いね!」 と褒められてしまい、お世辞であっても、とても気分が良かったらしい。ちょっぴり足早になった感があった。

 ハゲ山頂上では、物静かな紳士とお話する機会があった。話し始めは、とても控え目であったが、有名な山岳会に所属されているとの事で、こちらが、ちょっとたじろいでしまった。堀田氏とお伺いしたが、また何処かの山頂でお会いしたいものである。

 今日も代車であったが、一昨日の車の不都合は、ガソリンスタンド側に問題があったような連絡が来たらしい。まだ確認していないが、水(雨水)が混入していたらしい。給油した娘(達)が、スタンド側の問い合わせた事で、今後の交渉になるが、少々助かるかもしれない。でも、まだ分からない。



9/12 今年6回目。通算74回目の金剛堂山。午前8時半頃の栃谷駐車場には30台近くの車が押し寄せていた。バッチリ晴れマークが付いていた予報であったが曇りがち。しかし、見通しも良く涼しかった。(山頂では寒いくらい。)

 今日も焦らず、ゆっくり歩き正午まで着けば良いとした。(ケンカもせずに・・) それが奏功し、ピッタリ山頂に着いたのである。(前金剛) 「山ノ神」は、お決まりのビールタイム。私は、20~30分の時間をもらい、中金剛まで足を延ばした。そこには、草紅葉が始まっていた。久しぶりに走ってみた。まだ走れる(笑)

 山頂に戻った所に、沢から上がってきたという富大生に、コーヒーを振る舞って山頂を後にした。我々二人では、下山に2時間は切れない。それでも、4ヶ月ぶりの金剛堂山と親しんだ。



9/11 先日の燕岳山行の帰り、安房トンネルを抜けての下り坂で、突然エンジン警告灯と横滑りのランプ、そしてABSの点検表示が灯された。びっくりして停止し、識者の言われる通りエンジンを切り、再度エンジンを掛けたら表示は消えたが、エンジン警告灯はそのままであった。平湯から自宅へは、おおよそ100キロあったが、そのまま慎重に運転して帰った。

 翌朝、恐る恐るエンジンを掛けてみると、警告灯は点かなかった。ホッとしたが、識者にディラー行きを勧められたのでそれに従った。センサーに、ススでも溜まったのかもしれないとの事で、再度なったら交換する事にし、事なきを得たと思っていた。

 ところが、今日、娘家族に車を貸したのであるが、帰り道で給油(軽油)をして、しばらくしたら、水抜きをしなさいとの表示と共に、エンジンが停まってしまったと連絡があった。私が駆け付けて再びディラーに車を運んだ。かなりの時間を掛けて水抜きなるものをしてもらい、ディラーを出て1分もしない内に、再度不具合の表示が点灯し入院となった。

 明日・明後日は、何処へ行こうかと模索していたが、このようなわけで(代車はあるが)遠出を控えなければならなくなった。いや、代車だから、安全なのであろうが、気分的に落ち込んでしまった。それこそ、近間の簡単な山で濁すしかあるまい。



9/10 昨夜は、有志の月例会があった。コロナ禍の状況で延期の連絡を受けていたのに、急遽、少ないけど鮎を食べようというものであった。マスク宴会で、一時間の枠を設けての内容であったが、アルコールも準備するとの事であった。

 「山ノ神」に送ってもらう手もあったが、私は40分の歩きを選択した。行ってみれば、鮎が各2匹ずつは良かったのであるが、宿を準備してくれたK君と私以外、ノンアルコールであった。特別の話もなかったが、月一の顔合わせであった感が強い。

 帰りは、メンバーが車で送ってくれた事もあり、一時間の会合(宴会)とはいえ、お腹がいっぱい。これではいけないと思い、今日は、仕事前に二上山へ出掛けた。朝は気持ちが良い。荷も小さく快適に歩ける。城山まで足を延ばしても、余裕をもって帰宅出来る。地元の山であるし、もっと活用しなければと改めて思った。



9/9 先日の燕岳山行の折、一日目の計画が雨でオシャカになり、ちょっとだけ、ミニ観光となった。(穂高の街) 穂高神社で、東京行きのバス待ちの山ガールに、「山ノ神」が声を掛けたようである。一人で中房温泉から燕山荘泊、常念岳(常念小屋泊で一ノ沢に降りて来られたらしい。この時期、「東京から来た。」 というのは、ちょっと気が引けたと言っておられた。何故か、この「まくまくさん」と私とでLINE交換が行われていた。富山に来るかな?

 yamapの私の投稿に、「ぽんた」さんという方から、私が載せている写真の中に、ぽんたさんが載っているというコメントが寄せられた。いろいろ探してみたが分からない。小さくて誰が誰だか分からないようなものは、2枚ほどあったが、全く分からない。

 ぽんたさんは、それがダメとかというコメントでなく、好天に恵まれ同じ山を歩いたねとの好感するものであった。私の投稿(活動日記)には、42名の方とすれ違った(公開・容認している方) と記されている。その中から、探し当ててもらえたのであるから、喜ばなくてはならないだろう。



9/8 私を愛してくれている多くのファンから(笑)、ご心配をして頂いた。車中泊をして、当欄に穴を空けたからかもしれない。また、コロナ禍に隣県と言えども、「大丈夫なのか?」 だったかもしれない。それよりも、高血圧による事故の事を一番心配して頂いたのだと思う。

 数値は依然高めだし、お酒も3日目から飲んでしまった。場所が変わったら寝られないタイプだけに、自分としても不安があった。でも、最大の敵は、ストレスである事には間違いなく、身体を動かすのだからと、「悪と良で帳消し」 と自己納得させたのである。

 今朝、恐る恐る計測してみると160ー102であった。自分の寝床で、ぐっすり4時間寝たのであるが、それでも寝不足が祟っていたのかもしれない。そうなると、食事の量を少しだけ減らし、コーヒーも一杯にした。アルコールもナシにした。先の公約通りにすると、教科書みたいに数値が改善した。血圧計が壊れたのかもしれないが、120台ー70台後半 (今晩の計測)

 脳梗塞は一番なりたくない病気である。「食べ過ぎない飲み過ぎない食事と、適度の運動をしておれば、そんなに怖がる事はない。」 と自分に言い聞かせている。敵は血栓なんだけれど、薬は飲みたくない。



9/7 体調不良でも、「山ノ神」の荷まで担ぐし速くも歩ける。それでも、ゆっくり歩こうとした今回の燕岳山行は、それなりに意義があった。コロナ禍であっても、いろいろな方と、お喋りをしたし励まし合いもした。殆どの方々に抜かれたし、帰りは、またまた最終登山者に近い方になった。

 今年2回目(5/9)、通算7回目となった燕岳。一回一回違うのである。日頃から述べているように、やっぱり10回ほど登らないと、その山の事など分からないのは本当の事だと思った。前回は、ミゾレ混じりの天候だったので、残念ながら合戦小屋で引き返したが、今回は、何が何でも、「山ノ神」を、山頂まで連れて行かなくてはと思っていた。

 しかし、「山ノ神」は山頂に行かないと言った。「何回も登っているから・・」と言ったが、疲れていたのであろう。今回、「山ノ神」のビールは持参しなかった。それは、私に万が一の事があれば運転をしなければならないとの心積もりであったからであるが、「私は大丈夫!」と、燕山荘で生ビールを買いにやった。

 山頂までは、私一人だったので空荷となった。荷を担がないのは、こんなに楽なんだと思い、これなら、私だって、まだまだ若いもんには負けないと、良からぬ思いが宿りかけた。燕山荘前で、2時間を過ごした感じの「山ノ神」はご満悦であった。しかし、「また来たいか?」 の問には即答がなかった。

 前日と前々日とも眠れなかったけど、往路は、8号線・148号線、復路は、上高地公園線・156号線を一人で運転をした。家に戻って片付けや入浴を終えるとバタンキューとなった。



9/6 3連休なのに、また近間の山に終わってしまうのも、ちょっと残念。予報が上向いたので、思い切って燕岳へと舵切る事にした。でも、燕岳は人気の山で駐車するのに難儀する。おまけに第2駐車場が工事をしている情報があった。ならば前日に中房温泉に入ろうとした。

 しかし、今までの一日一座(笑)が頭から離れず、ならばと、朝日町の南保富士・二王山に登ってから、148号線を走ればとなった。もちろん下道である。しかし、南保富士に近付くに連れ、雨がポツリとなり、おまけに工事車両がいっぱい。いっぺんに嫌気を感じ退散。

 お天気は所によって分からないから、糸魚川周辺の山に登ればと、安易な考えで車を走らせたのであるが、親不知から姫川間は、土砂降りの雨となり、前が分からない程で一時立ち止まってしまった。小谷や白馬辺りから、小雨が降ったり止んだりになったが、その時点で完全に今日の一座は諦めざるを得なかった。

 昼食の事もあったが、山ばかりの私の人生に付き合ってくれている「山ノ神」への罪滅ぼしではないが、穂高の街のミニ観光とする。そして、早めに中房温泉駐車場に行ったのであるが、平野から眺めた山のあの黒い雲は、こころなしか薄らいでいったような気がした。



9/5 折角のお誘いがあったのに、返事が遅く私の方がホゴにしてしまった感じ。本当に申し訳なかった。お天気や体調の事もあったが、それは自分だけの事であり、人として、もうちょっと、しっかりしなければならない。そんな私は、身も心も癒やしというのか、試しというのか、まままたリハビリとした方が良いのか八乙女山としました。

 八乙女山は、時間のない時や、お天気の悪い時に行く山として、牛岳に変わって近年重宝している。それが今日は、このところの体調不良が、何処までかを、試しにやって来たのであった。トントンと行かないが、それでも「山ノ神」よりはよっぽど元気であった。 (これは感想です。)

 ちょっと歩けば良いの気持ちであったから、大平展望台では、いつもの通りコーヒータイムとしてゆっくり構えた。それでも、時間があったので三角点と最高点を回って来ました。今日は、グルートさん・高木氏・浜口さん・アダチ氏・harumamaさんらと、お目にかかる事が出来ました。



9/4 少しは症状が和らいだ。数値も少し下がった。しかし、従来の数値ではない。この際、食事の仕方を変えようと思った。ご飯(米)は、2膳から1膳に、コーヒーは一日1杯、アルコールは1週間我慢する。

 頭が痛くて医院に行ったのは7年前でなく10年前であった。2年半ほど血圧降下剤を服用したが、飲まなくなって7年余経つのであった。血栓が飛んで梗塞を起こすのは嫌である。でも、薬を飲むのが嫌だったら、食事を含めた生活様式を変えるしかない。明日は、そっと山に行って来る。



9/3 2~3日前から、何となく体調が可笑しいと思っていた。瞼の痙攣に首筋も何だか変、そして、眠たくもある。7年前を思い出してしまう。あの時は目を開けておれなかった。それで血圧を測ってみた。案の定上が160~170、下も100を超えていた。

 「薬を飲まなくても大丈夫。」 だとか、「飲みたくない。」 を盛んに言っていたが、ちょっとびっくり。それは精進あっての事なのである。そうなると、関係あるかどうかはわからないが、好きなコーヒーも一杯だけ。酒やビールも控えた。ここ2~3日ちょっと食べ過ぎ飲み過ぎだったかなと思っていただけに、この症状は頂けない。



9/2 今度の休日(日~火)は、辛うじて晴れマークが付いている。しかし、降水確率は低くないし、今度出掛けようとしていた候補地の予報はさっぱり。(傘マーク) まだコロナが収まっていないし、お天気を見ながら、県内の山に出掛ける事になる可能性が増して来ている。

 しかし、焦る事など全然ない。元気なら、いつまででも出掛ける事が出来るし、何もそれだけに拘る事はない。「自分の思い通りになる事などそんなにない。」 それは山行でも同じである。



9/1 仕事前に、雨降る前に、二上山へ行って来ようと思っていたが、起きれなかった。まだ疲れているのかもしれない。でも、太腿の痛みが、ようやく収まってきた。これで休んでしまったら、だんだんとダメになって行くような気がしてならない。

 若い時と違い怠けると、あっという間に落ちていくのだから、ここが踏ん張りどころなんだが上手くいかない。そして、気力だけではどうしようもない。有名な運動選手だって、時期が来れば引退に追い込まれている。あと出来る事は、食事での栄養の取り方かもしれない。それよりも、毎日の食べ方や飲み方を改めなければいけないのかもしれない