4/30 明日の予報を何度見ても雨である。しかも、明日は高岡の祭礼(御車山祭)なのに、市中曳き回される日中が、雨予想なのであるからたまらない。 私の連休の初日でもあるのに、本当に困ったもんだ。雨なら小佐波御前山かな? 明後日は、ちょっとだけ遠出も考えられる。明後日は、大熊山に行きたいが、 「山ノ神」が聞き入れてくれるかである。



4/29 今日は寒い。高所では降雪があるかもしれない。その後、パーッと晴れれば文句はないのだが、私の連休(5/1~5/3)は、まだ不確か! その内の5/1~5/2は、「山ノ神」が、友達と旅行なので単独行が許される。しかし5/1は、あまり良くない予報?でどうしようか迷っている。 例年の事を振り返ってみると、GWとか盆休は、やはりお天気が悪いのか、それとも所用があったのか、これといったところへは行っていない。



4/28 今日も、二上山に出掛けた。週一は、「二上山に出掛けたい。」を実行するためにである。今日は、「山ノ神」も一緒である。最も私よりは、 「山ノ神」の脚力や持久力の増強が目的で始めたのである。二上山頂だけや、二上山と城山であったが、今日は、鉢伏山(仏舎利塔)に、しようかとなったが、 途中から、大師ケ岳に変更してしまった。

 ところが、当然距離が長くなるので、午前7時まで家に帰れなくなる可能性が出てきた。そうなると、「山ノ神」は、引き返し、私だけが、大師ケ岳に行く事になった。 汗を流しながらの歩きになってしまったから、準備していたコーヒーも飲めなくなってしまった。でも、今日も元気になった気がする。



4/27 「富山の百山」や「新越中の百山」を、黙々と登っておられる方々が多い。指針にするというのか教科書のようにというのか、目標になって良いような気がする。 私の知らない山もあるが、今更などというのは僻みとしか取られないだろう。全山踏破は満足感が漂うだろうし、次行く山への活力が湧くというもの。

 願わくは、一回切りでなく、何度も登って欲しいと思うのである。一回では、その山の事が分からないだろうから、春夏秋冬とはいかないまでも、何度でもである。 お花の時期も違うだろうし、必ずしも展望が良いとは限らないと思うからである。そうすれば、自ずから好きな山が出来て来るのである。

 行ってみなければ、登ってみなければ分からない。良いも悪いも分からない。その点からも、上記のような、ガイドブックに意義があるような気がする。 私事であるが、同じ山に何度も登っている。登れない山もあるが、登れば登るほど愛着が生まれて来る。何もかもを分かるハズはないが、それでも何故か登りたくなる。 それが、近間の低山であってもである。

 深々と降る雪の山で、身が縮まる思いをした事がある。残雪期に、ピッケルを両手持って駆け上がった事もある。夏と言えでも、ガスに惑わされた事もある。 素晴らしい紅葉に思わず涙を零した事もあった。どれもこれも、若気の至りで片付けられない。今も思いは一緒。唯、身体が付いていけないだけ。 でも、スーパージイになりたい夢はある。



4/26 雪中キャンプをしないままにシーズンが終わりそうである。簡単なところでもとの考えもあったが、それにも覚束なかった。重荷を担ぐ体力や気力が必要だが、 誰もいない雪山での食事は寂しいものである。何か目的・目標があれば、それを耐え忍ぶ事が出来るのであろうが、山と親しむだけでは、軟弱さが露見してしまう。

 「周りにそのような人がいなくなってしまった。」が、最大の理由である事は間違いない。大地キャンプを離れて3年、一昨年は、金剛堂山でキャンプ。 昨年は、同じ金剛堂山で雪洞泊、いずれも単独行であった。今季は、その機会を失ってしまった。最も、その気さえあれば、まだまだ可能性はあるのだが、 難度が高くなっていく。 まあ、そんなに焦らなくても良いし、今後タイミングを図りたい。



4/25 僧ヶ岳行きの時から、次の日(月曜日)は、私に付き合えと言っていた「山ノ神」。またまた片貝のコゴミ採りである。先週も、僧ヶ岳の帰りもであるが、 そこは「山ノ神」に従うしかないと思っていた。8号線を走っている最中に、「山ノ神」が、「先週に比べて、車が少しだけでも奥に入るのなら、 ちょっと何処かの山を歩きたい。」と言ったのである。何処の山という希望がなくてである。

 結果的に城ヶ平山になったのであるが、時間設定をして登った。何故かというと、都会の親戚に採ったコゴミを送る算段をしていたからであった。 2時間半以内に戻ろう。であったが、山頂の展望が物凄く良く、ずっといたいくらいであった。それなのに、「山ノ神」は、山頂に生えたワラビを採りだしたのである。 コヒータイムなのになのである。

 それは、コーヒーを飲みながら、劔岳や大日岳・毛勝三山を眺めるのも良し、ワラビを採るのも良しだったのかもしれない。ともあれ、時間以内に戻る事が出来、 片貝に車を走らせた。「コゴミは少しだけで良いよ。」だったハズが、かなりの収穫になってしまった。そして、今日も、たくさん歩いた。 だから、家に帰ってからのビールが美味しかった。



4/24 一緒に行こうと言っていた直近の三銃士達が所用のため不参加となり、またまた今年も単独行となった。でも、誘われもしなかったし、誘いもしなかった 「カズミンさん」と「星さん」が、1100m付近で一緒になり、そのままパーティーとなった。元々、猛者達と一緒出来ると思っていなかったし、 自転車と歩きでは合わないと思っていた事もあった。後は、あんうんと言うんだろうか、自然的に仲間にしてもらった。

 どれだけ続いていたのか分からないほどのイワウチワのプロムナード、大明神山と毛勝山、そして、駒ヶ岳を、ずっと眺めながら、来年も来れるのだろうかと思いながら、 イヤというほどシャッターを切り続けた。ケガさえしなければ、まだまだ来れるだろうと思うのであるが、以前の記録と比べてみれば、大違いである事は明らかである。

 ヨタヨタであろうが、暗くならない内に戻れるのなら、まだまだ大丈夫なのであるが、ずっと、残雪が連なる時期に来たければ、やっぱり長い林道歩きが伴ってしまう。 今回は、一週間前と比べれば、少々奥まで車の乗り入れが出来たのであるが、白い山の中を歩くとなれば、やっぱり黄砂がやって来ない内にとなり、 もっと歩かなければならない。東又からに拘り続けるのなら致し方のない事なのである。そして、その欲望は持ち続けたいのである。

 山頂近くになって、亀裂があったりしたが、ちょっとしたアクセントとなり、雪の山に来たという雰囲気を醸し出してくれた。  山頂では、烏帽子山方面から来られた方々、延べ5人を確認したが、その中に、カズミンさんの知り合いのミチコ女史がおられた。楽しい方であった。

 今日も休憩を入れて、12時間、34、000歩であった。それでも、コゴミを採ったりもした。疲れたが、遊んだという気がする。  私より、ずっと若い人達が遊んでくれる事に感謝しなければならない。本当にありがとう。



4/23 明日は、予定通り東又から僧ヶ岳に行ってきます。否応なしに衰える身体だけれど。毎年登っていると、自分の今の位置が分かるというもの。 お天気も良さそうだし、ゆっくりと歩いて、私の好きな山々を眺めながら、コーヒーでも飲んで戯れて来たい。

 毛勝山・大明神山や駒ヶ岳を、イヤというくらい撮っているのだが、きっと、明日もまた同じような物を撮ってしまうのだろう。  林道歩きは、トレーニングと思えば良いし、帰りは、山菜が採れると思えば実に楽しい。



4/22 積雪期から残雪期に移ると、登る山の標高が、だんだんと上がって行く。当然「山ノ神」とギャップが生じる。「好きなところへ行かせてあげるから、 次の日は付き合え!」と言われる。山菜採りである。「採るのが楽しいらしい。」「他人様に配るのも楽しんでいる。」 私も嫌いではないが、山菜採りだけでは寂しい。



4/21 僧ヶ岳行きは、曇り・晴れ・一時雨など、予報がくるくる変わるから、どうなるかわからない。(今のところ、信頼度は、Cである。)雪がキレイな内に行きたいと思っていても、 お天気や林道の状況によって、なかなか思うようにならない。ずっと行き続けたいと思っているだけに、一年でも空けると(行かないと)、自信を失う恐れが出て来る。

 ずっと、同じように登れるハズがないと思っていても、何とかならないかと思ってしまう。それは、鍛錬や精進という事だけでダメなようだ。” はがやしい。 ” でも、頑張って行きたい。 もう、「連れてって・・」という歳なのだ。でも、まだ大丈夫!



4/20 昨夜は、食事中にムコ殿がやって来たので、飲酒の追加となり飲み過ぎた感あり。それを消化(消費)するために、今朝は、単独で二上山を歩いて来ました。 荷はなかったので、いつもより、ちょっぴり早足になった。最も、「山ノ神」がいなかった事もあるが・・・ 歩き始めは、そうでもないが、朝の歩きは気持ちがいい。



そして、何処も痛くもない。身体を使った後の飲酒は、実に美味しいし後に残らない。こんな時だけは、「俺は、長生き出来るんじゃない!」などと強気になれるのである。

 しかし、夜が明けると、弱気になり「若い人はいいな!」とか、「もう10年若かったらな~。」になってしまっていた。 でも、最近は、70代になったけれど、「結構いいんじゃない。」に変わりつつある。それもこれも、元気であっての事である。



4/18 次週の僧ヶ岳行きのために、片貝川沿いを今年も歩いた。偵察である。予想通り片貝第2発電所にゲートが設けられtいた。係員に尋ねてみた。 「いつまで・・」 片貝の守キャンプ場が、4/20がオープンするので、もうちょっと、上の方まで行けるとの事であったが、歩いて10~20分ほどであったら、 やっぱり登山口まで2時間ほど掛かる事になる。お天気の事もあり、行きたいと言っている方々が、本当に行くのか気になるところ。

今日は、もう一つの偵察があった。フキノトウだらけであったが、ココミはどうかな? で、あったが、もう4~5日くらいが良いのかなという状況であった。 他に、嬉しい事があった。昨年の同時期に、フキノトウ採りをしておられた女性に、今日もお会いしたのである。お顔はよくわからなかったが、何となく雰囲気が似ていた。 でも、その女性は、「元さん」と名を覚えていて下さった。嬉しかったなぁ。

休日は、何処かのピークに登らなければ気が収まらない私は、その後千石城山に出向いた。タラの芽があった。お花もいろいろあった。さかなさんグループにも遭遇した。 ちょっと、剱岳の上にガスがかかっていたが、最後には素敵な姿を見れた。早乙女湖畔の桜がキレイであった。昨日は、35,000歩、今日は、25,000歩よく歩いた。



4/17 人形山に行って来ました。先週、届かなかった人形山への再チャレンジとなったのですが、私には、50回以上登る山を、10座という目標があり、 9番目に白山46回、10番目に人形山45回で、ここ1~2年の間に、それを達成したい思いがあった。今日で、白山の46回にならんだ。 それが、達成すれば、50回を100回にレベルアップ?したいと大いなる野望がある。

 この一週間には、寒い日もあったが、確実に雪解けが進んでいた。しかし、今朝は、放射冷却で、林道の至る所が凍っていた。注意していたが、雪に取り付く直前に転んでしまい、 肘・尻・掌を傷付けてしまった。でも、私の意欲は止まらなかった。雪に取り付いてしまえば、スノーシューの威力を発揮する事が出来る。 順調に推移し、宮屋敷跡には午前10時前に着く事が出来た。

 宮屋敷からは、広い雪原を歩く感じであるが、先方から男性が一人降りて来られた。引き返されたのかと尋ねると、早朝4時にスタートされたという水戸ナンバーの鈴木氏であった。 お互い凄いと褒めあって別れた。梯子坂から雪壁を登れば、一気に三ヶ辻山との分岐に着く。

ここまでは、スノーシューが正解であったが、この先に不安が生じた。登ってしまえばそうでもなかったが、形としては、ナイフエッジになっていて、 スリップすれば、深い谷へ落ちるというものである。ここだけは、アイゼンの方が良かったかなと思わずにはおれなかった。

 山頂からの展望は素晴らしかった。五箇山の山々の奥に白山が君臨している。北アの山々も、はっきりと望む事が出来た。静かな山は良いものだが、一人の食事は味気ない。 再び細尾根を辿るのであるが、へっぴり腰の自分を思うと可笑しくなる。また梯子坂の急斜面を降りるのに、ちょっとたじろいだ。

 下山中に、もう二人の男性とすれ違ったが、その内の一人は、山頂に辿り着けたのだろうかと思ったが仕方がない。今日は、余力があったので、先週も行った春木山にも寄ってきた。 長い林道歩きはあるものの、氷が溶けて割りとスムーズに歩く事が出来たが、新たにデブリが発生していた。

  

4/16 明日は、お天気が良さそうだ。そして、私はフリー。何処に出掛けようか悩んだ結果、人形山に再チャレンジする事にした。雪上は、断然スノーシューが良いのだが、 一週間前より余計に担がなければならないだろう。少しでも、荷を担がない方が速く歩けるのは間違いないが、体力の事もあり、スタート時点で決める事にしよう。



4/15 このところ、元気を失って来ている「山ノ神」の事を、ボロクソに記しているが、過去の記録を振り返ってみると、意外にも、いろんな所に登っていたのだと 思ってしまった。私の大好きな大地山頂でのキャンプにも何度となく、また初雪山にも日帰りを含めれば4回は登っている。
 僧ヶ岳にも、片貝第二発電所から歩いて2回もキャンプしている。また、2月の大辻山や金剛堂山でも、重荷を背負って行っていた。

 今では覚束ないが、残雪期の白山や北ノ俣岳・犬ヶ岳も、日帰りで行く事が出来た。薬師岳や白馬岳・北岳もだから、かなり頑張っていた事になる。これからは、無理は言わないにしても、  もうちょっとだけ頑張って欲しい。二人で150歳まで。



4/14 年毎に身体が衰えていくのは仕方がない。でも、何とかしたい。少しでも少なく、ちょっとでも遅らせたいのは、私だけでもあるまい。 私と「山ノ神」にも歪みが生じている。私以上に衰えが著しいからである。それもそのハズ、「山ノ神」は、どちらかというと、運動が嫌い。 トレーニングなどの努力をしないから、尚更、衰えが激しく悪い方へいく。

 だから、元気者からの誘いがあっても自信がないから行けない。 でも、悔しいらしい。そんなわけで、充分の利く私とだけの山行を望む。本心は誰とでも一緒したいのだろうが、不甲斐ない自分が迷惑をかけると思い、 余程でない限りその気になれないらしい。それでは、私は困るのである。(好きな所へ行けないのである。)

 しかし、「山ノ神」にしてみれば、休日になれば好きな所へ飛んで行ってしまう亭主では、ましてや、我が家には車が一台しかないのであるから、  置いてきぼりにされてしまうという言い分ある。
 4月は、「山ノ神」自体、用事を作り私に好きな所へ行かせてくれたりしたが、それでも、二日の休みの内、一日は「私に付き合え!」という。 それはそれで、良いのであるが、今のままでは、行く所が限られてしまい、あまり面白くもないし、元気者達との交流にも支障が出来かねない。

 自分で、トレーニングの出来ない「山ノ神」に、私は昨夜一週間に一回二上山に行こう。(登ろう。) それを積み重ね、後々負荷をかけ体力を付けようと提案をした。 八乙女山や小佐波御前山、千石城山ばかりではイヤになるだろう? 他の人達共一緒に行きたいだろう。またキャンプもしたいだろう? などとも付け加えた。

 まあ、当面の間は、余程の事がない限り、日月のどちらかは、「山ノ神」同行となりそうである。そんな二人に付き合ってやろうと思ってくれる人があれば、 その限りではなのですが・・・

 昨夜の今日ですが、早速二上山に出向きました。出足から霧雨だったのですが、ここで怯んでは、この先の事が覚束きません。でも、仕事前に出掛けるのですから、 所定の時間まで戻らなくてはなりません。したがって。休憩やコーヒータイムなどが欲しかったら、もっと、速く歩くか、早起きしなければなりません。 でも、歩いてしまえば、低山であっても早朝の空気は気持ちが良いものです。



4/13 「休業!」



4/12 「休業!」



4/11 昨日(大倉山)の今日、普通の人なら出掛けないよね。でも、私は、「休日は山に・・」の看板を掲げているだけに、やっぱり出掛けなければならない。(笑)  今や、「山が仕事。仕事は趣味。」になってしまったようなもの。でも、今朝は、目覚ましが鳴っても、なかなか起きれなかった。昨夜の就寝は、0時を過ぎていなのだから・・

 人形山を目指した。三ヶ辻山も登れると思っていた。しかし、大きなヘアピンカーブまで、車を乗り入れる事が出来ると思っていたアテが外れた。 忘れ物を取りに戻った事もあったが、登山口まで2時間以上掛かってしまった。登山口午前9時半頃ではなかったろうか? 

 私の体力では、ちょっと無理かなと思ったが、それでも先を急いだ。宮屋敷跡着が正午頃だったので、潔く人形山を諦め、春木山に矛先を替えた。頗る展望の良い山なのであるが、 今日は、北アの山々は、霞んで見えた。30分ほどだけ食事に宛てた。初めての休憩のようなものであった。

 宮屋敷跡に戻ったのは、午後1時半頃、今日のハイライトはここからであった。宮屋敷跡から登山口まで、1時間で降りる事が出来た。  滑り降りるように歩いた。これまでで一番速かったと思う。その後に、またまた林道歩きがあった。でも、午後4時半までに車に戻れた。



4/10 金剛堂山に次いで大倉山にも、どれだけ時間が掛かっても、「山ノ神」を山頂に連れて行きたくての決行。それにヨウヘイ氏が、途中から協力してくれて、5時間半掛かりながらも、 何とか山頂に辿り着く事が出来た。山頂には素晴らしい絶景が待っていたので、「山ノ神」に、一番の感想を求めたら、「来て良かった。」ではなく、「疲れたであった。」

 それでも、この光景(絶景)は、何度見ても、これで良いとは思えないはず。出来れば来年も連れて来てやりたい。ずっと前の2月上旬に、雪中キャンプをしているし、 何度となく山頂にやって来ているのである、でも、日頃の鍛錬が足りないというのか、意欲の低下というのか、山への憧れが小さいのかもしれない。

 今日は、ガリ君との遭遇があった。思い付いてやって来たと言っていたが、時間制限があったらしく、超スピードで駆け上がって行った。我々は、「山ノ神」だけでなく、 少々負け惜しみの感があるが、ゆっくり歩くのは、それだけ山と接する時間が長いのだと思う事にしている。今日も、たっぷり大倉山に時間を掛けた。



4/9 寒暖の差があるものの、日中は暖かく(暑く)なってきた。雪解けが一気に進むのだろう。明日は、大倉山としたが、「山ノ神」は、林道歩きは良いが、 1053mの稜線に出るまに難色を示している。それよりも、登山口の急登をイヤがっている。「イヤなら来るな!」で決まった。



4/8 山関係のHPが無くなった。私の知人達の多くも休止している。山関係ではYAMAPが主流だし、blogもあるから、面倒なHPに頼る事もないのかもしれない。 ここに来て、私もfacebookが、滞りがちである。同じような事を、あえて3つも記述する事もないのではが、今の私の考え。

 でも、イザ止めるとなると、些か寂しい思いがする。「やりたい時に、またやればいいのでは・・」が、結論であるが、一旦止めると、なかなか入っていけないのが実情である。



4/7 同級生が来店してくれた。最近ちょっと患った事のある彼は、私の動きに「元気だね!」と言った。山の話(休日は全て山に・・)を聞いて尚更びっくりしていた。 元気が当たり前の年齢を過ぎたのだろうか? 大概の方が元気だと思っていたが、元気でない人もたくさんいるのだと思った。

 でも、私は欲深い。もっと元気でなければと思っている。と言っても、山に登られる程の元気さ。例え、ヨタヨタ歩きでも良いから山に登りたいからである。  身近な山仲間が、だんだんと山から遠ざかって行く故に、必然的に、ずっと若い人達との交流が増えている。精進だけでは付いていけず、活力や知恵もいる。

 ずっと、生きたかったら、また、ずっと山に行きたかったら、何事にも努力を惜しんではならない。鍛錬・訓練の他に、新しい事にも興味を持ち、習得まではいかないにしても、  チャレンジ精神を旺盛にしていなければならないような気がする。「終活」などは、まだまだ先の事。「若くはおれないにしても、全ての事に上向きでありたい。」



4/6 一昨日の八乙女山YAMAPに関して、「雪割草の場所、とくに、このルートは他の方に分からないように出来ないでしょうか?」というご指摘を受けた。 「雪割草そのモノや欄などの盗掘があるから・・」との悲痛な叫びのように受け取れた。ならばと、非公開や限定公開などを考えたが、そこまでしなくて良いとのアドバイスもあった。

 その場所を特定出来ないように、「場所を隠す」手法を教えてもらったが、そういう事に疎い私は、どうやっても分からないというのか、悩んでしまった。そんな時、(金剛堂山の下山時) ha-lina氏との再会があった。そして、分からない者用に詳しく教えてもらった。(分かる人から見れば簡単な事でも、分からない者には、チンプンカンプンなのですから・・)

 その事で、ご指摘を受けた方からはOKを頂いたのであるが、カメラマークは無くなっても、軌跡は載っているのですから、果たして充分なのだろうか? と、また悩んでしまう。 でも、投稿は他にもあるし、実際、「昨年の物もを見て行って来ました。」のメッセージを頂いている。後は、山に入る人達の良識に訴えるしかないのかもしれない。



4/5 3連休の一日目は、早乙女岳。二日目は、「山ノ神」と雪割草を見に八乙女山。三日目は、なかなか決まらなかった。私は、大倉山に行きたかったが、「山ノ神」は難色を示した。 結果的に金剛堂山になったのだが、「山ノ神」は、翻意ではなかったはず。今冬(2/28)にも一緒にやって来ているのであるが、「もうこれが最後。」という投げ掛けをしていた感はあった。 それでも、私としては、八乙女山や小佐波御前山・千石城山ばかり行っているわけにもいかない。

 今日は絶好の山行日和であった。時間経過と共に雪質は緩んできたものの、大展望が広がり、それはそれは素晴らしいの一言で済まされるほどであった。  しかし、肝心の「山ノ神」のピッチは、次第に萎んでいき、終いには、「この辺でシェルターを掘れ!」と催促するに至った。私は、心を鬼にして?  「もう少し頑張れ!」「ここで止めたら、何のために来たのか分からなくなる。」と突き放した。

 最後の最後に5時間の設定時間に合わせるため、私は山頂に急いだが、「山ノ神」ほんの少し遅れただけで、何とか山頂に辿り着けたのである。  口には出さなかったが、「やっぱり山頂まで来て良かった。」と思ったに違いない。北アの山々や御嶽山に、五箇山の山々と白山。  先頃登った小白木峰から仁王山も眩しいくらいに輝いていた。

 山頂には、昨日も八乙女山でお会いした高木氏との再会もあった。道宗道関係の紳士ともお話をした。シェルター中も快適であったが、飛び出して、あれやこれやと山座同定を楽しんだ。  珍しく下山時の「山ノ神」は好調であった。その余勢をかって脇道に逸れてみたが、付いて来たのである。
 奥座峰まで行って来たという最後の登山者に「元さん~」と声を掛けられた。 以前ハゲ山でお会いしたha-lina氏である。登山口で、インドネシアの美味しいコーヒーを御馳走になった。嬉しかった。

 

4/4 昨日は、早乙女岳に行った事もあり、今日は、「山ノ神」のいう事も聞かなければならず、八乙女山の雪割草を見に行く事になった。 それでも、いろいろあり、ちょっぴり出遅れてしまった。

 全くの1年ぶりであったが、所狭しとは言えないけれど、私からのメッセージとしては、至る所に咲いていると言う表現が良いのではないか思う。  平地にビッシリも良いが、やっぱり山で雪解けに咲く花である。(雪割草は、各地いろいろな説があり、固定概念に惑わされる事はない。)

 「山ノ神」は、満足そうであった。私は、どちらでもいいと言いながら、やっぱり、かなりの写真を撮っていたようである。  この時期にした咲かない花なのであろうが、小さいながら、可憐に咲く花に、何故か愛おしいというのであろうか、応援したくなるのである。
 

4/3 私としては、満を持してだったが、急遽、集った5人で早乙女岳に行って来ました。ゲートからの歩きだったのですが、小又川・コット谷とも雪量は豊富。 難なく登れるかに思ったのですが、長い行程と、思っていた以上の勾配に、そうともいかなかったような気がしました。

 それでも、曇りがちのお天気を予想していたのですから、青空が広がり、疲れとルンルンが交互に混じり、我々としては、結構早く山頂に届いたのでした。  しかし、お天気は意地悪く、山頂に着くや否や、ガスガスの上に風が吹き、その上、シェルターを造る事が出来ない程雪が固く、泣く泣く下部に降りなければならなくなってしまいました。

   それでも、風が収まった所を見計らい、ミニシェルターを掘り、食事にありつける事が出来たのです。ちょっぴり雪が舞ったり雨が落ちたのですが、大した事もなく、 大きな谷を駆け降りたのでした。今回は、I君や堀君の助っ人と共に、華を添えてくれたhitomiさん・美香子さんに感謝です。
 それにしても、ゲート前にたくさんの車が止まっていたのに、誰とも会わなかったのは不思議でなりませんでした。



4/2 今朝も二上山へハイキング。「山ノ神」も同行。城山でコーヒータイム。



4/1 昨日で今年の1/4終わってしまった。あっという間に時が過ぎてしまう。うかうかしていると、何にもしない内に、私の人生が終わってしまうような気がする。 一方で20~30年程前の事であったか、毎週のように山へ行き出した頃に、家人から、燃え尽きる前のように思えると言われた。

 今まさに、そのようである。「燃え尽き症候群」と言われようと、やりた事をやる。例え、高いハードルがあろうと、何らかの方法を見出せば良いだけの事。 今しかない。