6/30 一通の封書が届いた。10年程前、早月尾根日帰り登山をした折、知り合った愛知の柴田氏からである。それ以来、年賀状だけのお付き合いであるが、 私などと比べ物にならないくらいの誠実な方である。その同氏から、7月の中旬に、またまた、早月尾根から剱岳に登るという内容であった。

 それに付いての計画書や、山への憧憬が綴られていた。多分私より4~5歳年上の方だったと思う。農作業をしながら、ジョキングを楽しんでおられる様子で、 その仲間のお一人と、一緒されるようである。

 軟弱な私は、剱岳に登りたいと思っても、早月尾根には行かないと思っている。剱沢からの別山尾根で充分であり、  出来れば剱沢で2泊くらいする山行を考えてしまう。それも、後何回出来るか、いや、登らないで終わるかもしれない。早速返事を出さなくては・・・。



6/29 お天気にもよるが、7月は何処へでも行こうと思っている。遠出も北アも、そして、キャンプもである。「山ノ神」のご機嫌を取るばかりでなく、 行きたい所に行けるようにしたい。絶好調とは言えないにしても、まだまだの気持ちがある。それにしても、私と遊んでくれる人は本当に少なくなった。



6/28 「山は、涼しくていいでしょう?」と言われる事があるが、行くまでが大変、長期にいるのなら良いが、戻って来れば元の木阿弥である。 我家(私の部屋)は、就寝時30℃、起床時29℃であるが、まだまだ大丈夫である。でも、30℃を大幅に超えれば1階に避難するかもしれない。

 先日の甲信の車中泊は、何も纏わなかったからか寒かった。(途中から、シュラフに入った。) でも、これからは分からない。 でも、高度を上げれば、我家よりは涼しいに決まっている。しかし、自分の登りたい山と合致するとは限らない。



6/27 韮崎に泊まったのは、茅ヶ岳に行くためである。茅ヶ岳山頂からの展望は良いが、特別な魅力はない。しかし、この辺の山に来ると、何故か寄らなくてはと思うのである。 それは、深田久弥終焉の地であるからかもしれない。そしてまた、深田クラブが200名山に選んでいるからかもしれない。

 山への憧憬は、人それぞれで、何が良いとか正しいとかがない。私は、高3の時、奈良の従姉妹が立山に来たのでガイドをした。(当時、劔山荘でアルバイトをしていた。) その御礼にと、深田久弥の日本百名山の書籍が贈られてきた。その頃は、まだ無知で山名が読めないものがたくさんあった。 しかし、ガイドブックと違った魅力を少しだけ感じ取っていたような気がする。

 今は、登山ブーム。百名山も人気。老若男女問わず山にやって来る。良いことだと思う。後は、いろいろな事に惑わされず、信念を如何に通すかであろう。 人生と同じで、目標・目的があれば、少々の事で挫けない気がする。



6/26 夜明けと共に高岡を出れば、入笠山沢入駐車場には、3時間半~4時間もあれば着く。今日は日曜日とあって、その駐車場には、ギリギリセーフであった。 後、4~5台遅ければ、戻って何処かに止めなければならなくなっていたでしょう。

 5回目の今回は、スズランにはちょっと遅く、クリンソウは最盛期であった。アツモリソウは、お店(宿)横の庭みたいな所に咲いていたが、自然のものなのだろうか?   ゴンドラリフト利用の登山者が多く、軽装の方々が目についた。1,955mの標高だけに、 山頂からの展望が良い。沢入駐車場から、湿原やお花畑で時間を費やさなければ、 2時間もあれば山頂に辿り着ける。晩年には、このような山に通うかもしれない。(笑 しかし、運転出来なければダメだね。)

 今回は、今まで行った事のなかった大阿原湿原にも行ってみた。周回してみたが、お花はなく、木道を歩いただけになってしまった。もしかしたら、コケが魅力の湿原なのかもしれない。 早い時間に下山出来たので、20号線沿いの道の駅に寄ったりして韮崎まで行った。その道の駅の横にある河原で、富士山を見ながら寛いだ。



6/25 ずっと萎んでいた。PCがないと、これほどまで、つまらないのかと思ってしまった。今は、スマホがあるだけ、まだやる事が出来き、その場を凌げる。 さて、明日明後日はどうしようか?「お花が見たい。」という「山ノ神」の希望を叶えると、あまり歩かなくても良いところとなり、遠出になりかねない。 何故か今晩は眠たい。これから調整である。



6/24 酔っ払っていたのか寝ぼけていたのか、パスワードを間違えて、それも何度も繰り返していたらしく、PCを使えなくなってしまった。 「パスワードを忘れた場合」をクリックしたのであるが、またまた可笑しな事をしてしまったのか、アウト状態。寝るしかなかった。



6/23 今年の夏は猛暑だと聞く。いや、酷暑だという表現もある。と言っても2ヶ月間ほどである。私の部屋は熱帯に近い。そして、相変わらず空調設備がない。 エアコンも、ファンヒーターもない。ずっと耐え忍んでいる。でも、昨年は、扇風機を、3~4日使ったような気がする。

 外壁はトタン張り、周りは全部駐車場。2階に上がったなり、汗が滴り落ちる。窓はない事もないが、網戸が壊れてから、ずっと開けていない。 鍛錬などという年齢を超えているだろうと言われるが、生活リズムを変える方が恐ろしい。

 涼しい山に出掛けても、また戻って来れば同じ事。汗を掻き、冷たい物を食べたり飲んだりしている方が、メリハリがあっていいのかもしれない。 暑い寒いと言っている内に、すぐ時が過ぎ否応なしに歳を取る。そして、元気が失われていく。イヤだな~。やっぱり、動き続けているしかないのだろうか?



6/22 これから行く山を模索する。特別な事も出来ない故に、その範囲内で、他人様の出来ない楽しみ方をしたいものだと思っている。 昨夏、八方尾根・黒菱平で、ビアガーデンまがいをした。暑いから1,500mでビールを飲もう。そして、泊まればいい。翌日リフトの動かない内に唐松岳を目指したのである。 黒菱平に向かう前に、大渚山に立ち寄った。

 金山・天狗原山も北小谷で泊まった。そう言えば、燕岳へも掘金で泊まったような気がする。 ヒメサユリを見に浅草岳に行った。その前は粟ヶ岳まで出掛けている。  特別な事は出来ないけれど、面白い山歩きを考えるのは楽しい。遠征もそれなりに楽しいが、近間では、雷鳥沢(剱沢)や薬師峠でキャンプも楽しい。 涼をするのだけでもいいのである。



6/21 このところの生活リズムが可笑しい。起床は4:30~5:00くらい。就寝は23:00~24:00くらい。 何が可笑しいかというと、夕食中に、こっくりする事が多くなった事だ。夕食は20時くらいが多いが、我家の夕食には米(ご飯)がない。 「山ノ神」の算段では、昼食時に全て終わる事を前提としている。

 だから、孫達が親の都合で夕食一緒する時は、その他の物で済ます事が多い。 私は、もちろんアルコールを頂くが、山からの帰還後は別にして、他人様と比べても、そんなに量が多いとは思えない。ビールなら350mlを、2~3本、 日本酒なら2合ちょっとくらいである。

 ところが、この頃飲み終わった頃から、居眠りをする事が多くなっている。その位置にてである。 以前は、「もう寝たら・・」などと言われると、「考え事をしているのだ。」と反論していたものだが、今は、お互い何も言わずになってしまっている。

 それでいて、起きたら何かしようと思っても、チンプンカンプンの事になってしまう。この点でも体力がなくなってきている。実に悲しい。



6/20 雨飾山から帰った夜は一人暮らしで、就寝したのは、日を跨いでいた。行き先は起きてから決めれば良いと思っていたが、当然遠出はなかった。 4時間ほど眠ってだから、頭はボーッとしていた。ニッコウキスゲには早いかもしれないが、タイミングが良ければ、可愛いワタスゲが見られるかもしれないと 白木峰に決めた。他に白木峰を100回登るとしたら、こんな時に登っておかなくてはの気持ちが働いたのも正直なところ。(61回目となった。)

 問題は何処から登るかであった。小白木峰側からでも、取水口からと万波からがある。とりあえず、キャンプ場上の管理棟に向かった。  林道の車両の通行止めは何年も前からで、歩くのは大丈夫と思っていた。しかも、工事前の時間帯であるから。

 スタートしようとした時に、小さな貼り紙を見た。  ” 徒歩も禁止。 ” であった。困った。でも歩いた。貼り紙の写真では、2箇所の災害写真があったが、登山道を利用する際は1箇所だけであった。  工事が行われていなければ、難なく渡れるのであるが、工事が行われていれば、登山者は、煩い(迷惑)と思われるのは必死であろう。ならば、帰りは小白木峰側に降り、 林道歩きで戻る決意をして白木峰に向かった。

 山頂まで2時間半近く掛かっている事を考えれば、次は、やっぱり、取水口か、万波側から登らなければと思った。こんな状態だから、誰もいない静かな山を連想していたのに、 意外にも、数多くとは言えないが、何人もの知り合いにお目に掛かる事が出来た。” ブヨ(虫) ” も殆どいなく、それこそ快適な山を楽しむ事が出来た。

 浮島でお目に掛かったシンさんには、ずっと(後半)お付き合い頂いた。おまけに私の車のある所(管理棟の上)まで送って頂いた。YAMAPで名前は知っていたのだが、 お顔を思い出せなく失礼をしてしまった。それなのに、この度の高待遇に感謝しきりでした。



6/19 雨飾山に、まりちゃんが一緒してくれた。まりちゃんは、足が速いし花に詳しい。そして、気配りが効くのだから、同行者としては文句の付けようがない。 私は、この時期シラネアオイを見に行く一点であったが、知らないお花の名を何回となく言われると、一つ2つは覚えられるというもの。

 終焉を迎えそうなシラネアオイを充分に鑑賞したし、美味しい物も食べられたし、29回目の雨飾山は満足のいく山行となった。コーヒータイムも3回だったし。



6/18 今朝は、2週間ぶりに仕事前の二上山へ行って来た。簡単に言えるけど、仕事前は、それなりのプレッシャーがある。しかし、早朝は気持ちが良い。 もちろん、明日は、休日だから山に出掛ける。お花が咲き始めるから、当然のように虫が纏わり付く。世と一緒で、自分の思う通りにはいかない。



6/17 なかなか九州遠征の報告が終わらない。ズボラな事もあるが、何かと用事が出来て停滞している。まあ~、これまでは、晩酌をしようが、平気でPCの前に座れたが、 この頃は、余程の決意がないと、ヨナヨナと眠りに着いてしまう。これも体力が伴わない歳のせいか! 当たり前かもしれないが悲しい!

 明後日は、何処へ行こうか? 行きたい所がいっぱいある。雨飾山や金山・天狗原山、薬師岳もいい。泊まれば黒部五郎岳まで行ける。白山もある。どうしよう?  一人だと心が揺れる。しかし、変更が容易なところもある。



6/16 私の今度連休 (6/1~96/20) の予報が上向いた。前日まで、曇りと雨だっただけに、思わずバンザイと手を上げた。しかし、あくまで予報で、 いつもの事ながら、行くとなると悪くなり、行かないと良い方に転ぶ事が多い。その連休に、「山ノ神」は、友人と何処かへ出掛けるらしい。

 県民割のチケットを準備していたから、近間なのであろう。「何処に行くのか聞かない。」 と言って、諍いになる事が多い。” 聞いてもしょうがないじゃない。好きな事したら・・ ”  であるが、私が出掛ける時は、尋ねられれば詳細まで述べるが、大まかにしか言わない。

 さて、「私は、何処へ行こうか? もちろん山しか行かないし、行くところがない。」 まだ2日ある。お天気さん私の味方をして下さい



6/15 行って見なければ(登ってみなければ)、分からないのだから語る事も出来ない。そして、一回や二回で分るはずがないし、多くを語れないが私の持論。 しかし、なかなか行けない地の山だけに、”さわり ” だけでもの思いがある。行ってみれば、その違いが大きいだけに、違った山容やスケールに驚かされる。

 遠方では、情報を得れる名山(百・二百・三百名山)しか登れないが、それでも意義がある。「山ノ神」と一緒で、速くは登れないし、ハードな山には手が届かない。 それでも、一緒出来る喜びがある。この先の事を思うと、「後何年?」 となるが、逆に無限とでも言って可能性を持ち続けたい。



6/14 開聞岳・霧島山(韓国岳)・高千穂峰・阿蘇山・九重山(久住山)に登りました。未練がましく登れたらいいのにと思っていたのは、 祖母山・涌蓋山・鶴見岳でした。しかし、お天気と「山ノ神」の体力を考慮すると、上手くはいきませんでした。

 それでも、知覧の特攻会館・たまて箱温泉・長崎鼻、そして、雨で流した鶴見岳で踏ん切れて、昭和21年4月両親と姉が引揚船で着いた地・山口県の仙崎に行く事が出来ました。 また、「山ノ神」の要望で青海島・元乃隅神社(龍宮の潮吹)・角島などへも行けました。

 

6/13 九州遠征から戻りました。3,000キロは流石に疲れました。雨も有りましたし、「山ノ神」の執念の欠如も伴い、結果的には5座(百名山4座 二百名山1座)しか登れませんでした。でも、帰路は、鹿児島から島根県浜田市辺りまでの移動を下道で通し、観光?を楽しみました。9日間のケチケチ旅は、 全部車中泊だったので、その疲労は計り知れません。しかし、馬鹿者の私は、次行く旅を模索するのです。



6/4 明日から、先週行きそびれた九州遠征に出掛けます。雨予想で大きな懸念もあるのですが、「行って見なければ分からない。」と運を天に任せます。 どちらにしても、九州の地は初めてなので、それだけでも意義があると思っています。当初は、10座が目標だったのですが5座に縮めました。



6/3 週1と言いながら、今朝は2週間ぶりの二上山に行って来ました。もちろん、仕事前の早朝です。私の体調は、イマイチだったのですが、 朝寝坊の「山ノ神」は意欲満々だったので、決行したのでした。その意欲を見せたのは、前夜であって、やっぱり起こさなければいけなかったです。

 気分が優れなくても、歩き出せば、いつの間にか爽快さを感じ、生き返った魚のようになります。(ウソ) 今日は、城山までだったのですが、 ササユリを何本か見る事が出来ました。それから、「山ノ神」に、栗の花を教えてもらいました。栗の花が開く頃は、梅雨入り間近とか?



6/2 佐伯克美さんが、女性クロスカントリー世界最高齢として褒め称えられている。それもそのはずで、87歳スキーヤーでギネスに認定された。 スキーだけでなく、山の経歴も素晴らしく、尊敬するしか無い。

 そんな折、北日本新聞に「70歳越しの再スタート」との見出しに、同じ87歳の桶谷美雪さんとう方が、陸上の富山マスターズトラック競技会で、  85歳~89歳クラスで新記録で優勝されたという記事を見た。世の中には、凄い方々がおられるものだと思い、私もと思ってしまった。

 凄い山には登れないにしても、長い間、そして、頻繁に登れれば、そんなに偉い事にはならないにしても、楽しい人生になる事は疑いない。  出来れば、多くの仲間達と、ずっと歩き続けたいものだ。まあまだ上が有り、遠いが目標がある。



6/1 岩城君から、浜ちゃんと堀君が同時に、「越中の百山123座」を登りきったと知らされた。奥鐘山である。 その模様は、「浜ちゃん流」で見る事がで来た。素晴らしいの一言に尽きる。富山の山登る者として憧れの山々である。 二人共「奥鐘山」が最後の一座であったのは、示し合わせたのかどうかは分からないが、到達までには数々の苦難があったと思う。 改めて、「おめでとう。」を送りたい。