9/30 月曜日(10/3)までは、お天気のようである。しかし、東北行きは、まだ決まっていない。このような企画は、乗っていないと、なかなか行きづらい。 ましてや、言葉の行き違いがあっては、その機運が高まらない。

 遠くの山に行かなくとも、近くにいい山がたくさんある。また、何度出掛けてもいい山もある。実際一回や二回で、その山の事を批評など出来ない。(分かるはずがない。) そして、各々の頂きに立ってこそ、一回一回喜びを感じ、不思議な事に愛着が湧いて来る。また、その山に登ってみなければ、その評は出来ない。 そして、必ず一回目はあるのである。



9/29 機種変してからのスマホは、快適に思えたが、PayPayのコンビニATM使用がダメ。支払いも出来なかった。緊急時に電話の使用もダメだった。 LINEやYAMAPが使用出来ただけに、まさかこんな事になるとは思ってもみなかった。

 体調を壊していた娘に、LINEで不都合を連絡したら、ドコモに予約を入れて、対応してもらったらの返事だった。困った私は、自力でなんとかならないかと、 いろいろ触ってみると、何時も間にか功を奏し、いずれも繋がったのである。最近は取説などの細かい事から逃れていたのであるが、やれば出来るのだと再認識をした次第。 唯、歩いているだけでは、次第に機能は衰えていく心配ある。足も頭も使わなくてはいけないのだろう。



9/28 今度の連休(10/2~10/4)のお天気は、まずまずのようである。一年に一度の東北遠征を、今年も実行するかどうか悩んでいる。 必ずしも私の行きたい所に行けないからかもしれない。「山旅」と、はっきり割り切れればいいのであるが、そうとはならないから厄介なのである。

 「真っ赤な紅葉を見たいから・・」が、「山ノ神」の希望なのであるが、それなら、「遠くに行かなくても、いろんな所があるではないか?」と言いたくなる。 しかし、ある程度「山ノ神」に同調しておかないと、その後の行動に響いて来るような気もするので、ここが思案のしどころである。



9/27 このところ低山歩きが続いている。8月上旬の火打山と9月上旬薬師岳以外全てである。しかも、その山には「山ノ神」は、山頂に届いていない。 そう言えば、白山でも室堂まで、唐松岳では丸山までであるから、もう2人では、多くを望めなくなって来ている。

 それは仕方がない事なのかもしれないのであるが、もうちょっと頑張って欲しいのである。でないと、パーティーの中に入れなくなっていくし、 そのしわ寄せが私に掛かって来る。行きたい山に行けなくなるだけでなく、近間の低山しか行けなくなってしまう。

 たまには、自由にしてくれるが、その頻度が問題である。妥協点を見出す事はかなり難しい。かと言って、「山ノ神」が臥せってしまえば、 簡単な山へも難しくなるのは必死である。そうならないためにも、ある程度歩き続けなければいけないと思っているのも事実。

 自分に置き換えれば、強がっているけど、薄氷の上を歩いているのと同じである。でも、歩かなければ、すぐに落ちてしまう脚力・体力に、 しがみついてでもやらないと、唯の老人になってしまう。でも、「山ノ神」は、運動がキライ。鍛錬もキライではどうしようもない。



9/26 所用が出来、山行が危ぶまれたならば、その時間まで戻ればいいだけの話で、簡単な山行を考えた。八乙女山・千石城山・城ヶ平山・小佐波御前山辺りであった。 しかし、ラッシュを避けると、どうしても県西部の山となる。八乙女山は一番計算しやすかったが、出発時になって、最近あまり登っていない牛岳が浮かび上がった。

 母の介護で時間の無かった頃、牛岳によく通った。そして、時間の無い時やお天気の悪い時に、牛岳によく行ったものである。今年は、2/13と3/14以来3回目となった。 それでも、通算すると168回目になる。当時は、牛岳に行く時は、不幸な時で、時間が無いからか、お天気の悪い時だかと言っていた事を思い出す。

 今は、その牛岳も好きになり、時々であるが登っている。残雪期や紅葉時、また落葉した初冬に味わいを感じている。最も、16歳(高1)の時、初めての雪山が牛岳であった。 加越線庄川駅から、テントを担ぎ歩いたのである。しかも、当時は2泊3日の行程であった。

 前置きが長くなってしまったが、朝早くは足が重かった。3時間くらいしか寝ていないし、ソールの減った登山靴故に、何度もツルッと滑った。  でも、稜線に出たら、身体が目を覚ましたからか、気持ちのいい歩きになった。三角点からも権現様が祀られてる山頂からも、剱岳を含む立山連峰を眺める事が出来た。


 所用を終えたらまだ時間があった。朝駆けの牛岳は、私一人で出掛けたのであるから、「山ノ神」に、「まだ時間がある。山なら付き合ってもいい。但し、山なら・・・」 「山以外なら、車を自由に使っても良い。」とも続けた。「山ノ神」の返事は、千石城山であった。上市で少々買物をして登り始めたのは、午後2時半前。暑かった。
汗びっしょりになって山頂に着いたが、見えていた剱岳が雲に覆われてしまっていた。それでも、誰もいない山頂に1時間余居たのでるが、山の中にいるだけで私(達)は、 幸せなのかもしれない。



9/25 極楽坂山へは、「越中の百山」が登り初めのきっかけであった。そして、今回が12回目となった。紅葉時、そして、雪が降り始めた頃など、春夏秋冬一年中楽しめる。 白樺平までしか車が入れなかった事もあれば、有峰林道料金所前の駐車場から歩いた事もあった。

 いくところが無くなったからもあるが、林道登山口から極楽坂山までは、余程の事がない限り人様に遭う事はない。ましてや、林道歩きが伴えば皆無である  昨年は、10/31だったから、紅葉が素晴らしかった。大辻山が真ん前にある。遠いが毛勝の山々や弥陀ヶ原、大日岳はもちろん、立山の主稜線も見える。

 極楽坂ゲレンデの除草作業は真っ最中。それを横目にみて、旧ゴンドラ山頂駅も通り過ぎて瀬戸蔵山を目指す。ブナ林が良くなってくる。 瀬戸蔵山は百間滑から上がってくる要であり、展望が良いしベンチもある。「山ノ神」は、ここで良いという。まだ、11時半くらいだったし、大品山行きを諭した。

 「大品山まで行くと言っていたじゃないか?」「大品山は瀬戸蔵山の手前と思っていたから・・」などの押し問答になったが、行く事になった。 素敵なブナ林の中を、またまた「山ノ神」の荷を取りに行ったのは仕方がない。

 大品山頂では、5人ほどの方々とお話したが、最後に鍬崎山から降りてきたという「かっつん君」と一番馬が合った。経験は少ないようであったが、  岩登りもやるようで頼もしく思った。孫の歳具合であったが、よく話を聞いてくれ、足速い方なのに、瀬戸蔵山まで付き合って歩いてくれたのである。  またお会いできるかどうか分からないが、積雪時のラッセル要員なってくれたら助かるのだが・・・(笑)
 我々の歩きは、まだまだあったのであるが、いつものように、途中コーヒータイムを入れて淡々と歩いた。



9/24 なかなか思うようにならない。簡単な遠くの山と、ちょっとハードな山との折り合いが上手くいかない。それでも歩けるのだから良しとしなければならない。 来週お天気なら、東北遠征もある事だし、今回は、静かな山を堪能しようと思う。極楽坂山~大品山。



9/23 今日から新しいスマホになった。この2~3日、ネットで買って、データーの移行を全て娘にやってもらった。 今、娘は忙しい最中なのに、その間隙を縫ってやってくれたようだ。ダメオヤジのために尽くしてくれた事に感謝である。

 今までのトラブル(カメラが暗い。バッテリーの低下など)が、一気に解決するかどうかは分からないが、 心新たに写真を撮りたいと思っている。落とさないように、忘れないようにしなければ・・・



9/22 歳を重ねる毎に友達が少なくなっていく。なのに付き合いの整理なのか、グループを離れたり、年に一回の賀状もナシとする方々が増えて来た。 私からすれば、これからの人生を否定しているように伺える。気力・意欲の低下である。

 私の山歩きは、ヨレヨレなれど、意欲はかなりあると思っている。家では、「同じ事を何度も言う。」とか「忘れる事が多い。」などと、 あまり面白くない。しかし、山へ入れば、年寄への激励なのか、それとも珍しいのか、声を掛けてもらえる事がある。(とても嬉しい事である。)

 SMSの時代からかもしれないが、行動しない同輩をよそに、私の知り合いが増えていく。その方々が、友人と言えるのかどうかは分からないが、 自分次第で繋がり濃くなるかもしれない。例え、知人で終わったとしても、楽しくて仕方がない。しかし、最も元気でなければどうしようもない。

 そして、お荷物であるが「山ノ神」がいなければ、私への評価も薄いに決まっている。「低山であろうが、もうちょっと頑張れ!」 「せめて2人合わせて150歳まで頑張れ!」 「低山でも春夏秋冬一年中なら、それなりの値はある。」などと発破をかけている。



9/21 「あの時にしておけば……」と、取り戻せない時間を悔やむのは悲しい。 だからこそ、前向きに人生の “ 第二幕 ” を切り開いていきたいものだ。 「誰の事!」と言われそうだが、私は本当にそう思っているから、もっと、若い人達なら尚更である。

 私の周りでは、人生を閉まって行く事を念頭にしている方々が多い。「そんなの寂しいよ!」 「これからだよ!」  青い春のカケラを探すのは難しいかもしれないが、夏(朱)や秋の名残でもいい。それがダメなら、冬を長く持ち堪えたい。

 身体が動かなくなったら、それはそれで最善の道を歩みたい。私は、かって ” 這ってでも ” と言っていた事がある。それは、今でも持ち続けている。 「140歳まで」 とか、まだ 「人生の折り返しを過ぎた頃」 などと、言い続けているのは、その所以である。

 「見窄らしくなっていく。」 「友達が減っていく。」 「身体が動かなくなっていく。」 それは仕方ないにしても、今の時代、昔と違って、 如何ようにもなるような気がする。「今日は、明日より若い。」 「今年は来年より若い。」 嘆いているよりも、いつまでもロマンティックでありたい。



9/20 私より「山ノ神」の体力の衰えは急激である。でも、頑張っていると言わなければ、またまた不穏な空気が流れる事は必死。 前々から述べているが、だんだんと行きたい所が狭まれていく。来年から休日を増やそうと思っているが、どうなるのだろうかと不安が付き纏う。

 私だけの人生だけではないという事は分かっているが、やっぱり我が儘が出てしまう。「たまには・・」である。しかし、自分だけの山行、 いわゆる単独行は、ちょっとだけで良い。そして、元気者達とも、少しは行かせて欲しい。

 文句をいっぱい言っているが、いろいろ振り返ってみると、今が一番条件が揃っているのかもしれない。無いのは体力だけ・・・。 「遅い。」「もっと速く。」と言っているが、「山ノ神」が、元気でいる事に感謝しなければいけないのかもしれない。病に倒れてしまったら、 それこそ何処へも出掛けられなくなるのだから。



9/19 台風でも雨でも、山に行くのが決まっている私(達)であるが、昨日の疲れ(飲み疲れ)と、午後からの所用のため手軽に行ける八乙女山とした。 そして、早めに出掛けて、朝食を閑乗寺公園展望駐車場で取った。

 風はあまり強くなく、時折吹く風は、かえって気持ちの良いものであった。湿度がない分、さわやかだったのかもしれない。今日は、福野の内山氏と何処から現れたのかカズミン女史と遭遇。 私の今年の山行100回の節目を祝ってくださったゆな気持ちになった。



9/18 何処へ行くとも決まっていなかった山行。僧ヶ岳を提案したものの、何だか右肺が可笑しかった。痛いような辛いような、もしかしたらコロナかもと弱気にもなった。 でも熱は無いし咳もない。城ヶ平山でも良いとまでなったが、結局僧ヶ岳に行ってしまった。最も、「山ノ神」の起床が伴わなかった事がかなりあり、第3登山口駐車場発が、 午前9時過ぎとなってしまったのである。

 体力の衰えが著しい「山ノ神」ではあったが、私も決して楽ではなかった。そんな事もあり、烏帽子口からとの合流点にまで、2時間40分くらい掛かってしまった。 でも、その頃には胸痛は完全に治ってしまい「山ノ神」の尻を叩くに至った。でも、「まだ時間はある。」と優しい言葉?は忘れなかった。

 仏ケ平に着いたら、「私は、ここで良い。」との「山ノ神」の言い分。「山頂に拘らない。」は、それで良いのであるが、益々行く山が狭められていくのである。 私山頂までひとっ走りとなるが、休憩時(食事)を一人でさせるのも可哀想だし、最も、私だって食事もしたいし、大好きなコーヒーも飲みたいから必死であった。  (写真も撮って往復25分くらい。)まだまだ大丈夫だ!

 今日は、ととろさん・フミオさん・きこりさん・岳友会の山本氏ともお目に掛かった。



9/17 ちょっと身体の調子がおかしかった。酔いもあったのかもしれないが、3~4時間どうなったんか分からない時間を過ごしてしまった。 自由にならない時間とでも言った方が良いのだろうか、金縛りになっていたようなものだった。夢だったらいいのだが・・・ 弱ってきている証拠のような気がする。



9/16 また台風である。しかし、この週末、そして、私の連休(9/18~9/19)は、そんなに悪い予報ではない。しかし、オセロのように、突然ひっくり返るのだから 予断を許さない。そして、私が「山ノ神」に、行き先を告げると、また「え~っ」と言われてしまった。だんだんと範囲が狭められていく。



9/15 3年前にマイナンバーカードを作っていた。保険証と銀行通帳を絡めると、15,000ポイントをもらえるというので、早速アクセスしてみたが、 なかなか思うようにならず、役所に駆け込んで事なきを得た。「山ノ神」は、そんな事に無頓着。そんなんでも、欲張りな私は、損するのはイヤな性格なので 代行することにした。

 ところが、簡単だと思っていたスマホからの申請が思うようにならない。(3年前は簡単に行った筈)何度も何度も繰り返してみたが上手くいかなかった。  諦めかけていたが、今度はPCから試みてみた。こちらもなかなか思うようにいかなかったが、最後の最後に申請にこぎつけた。20,000ポイントは大きい。



9/14 強者のK女史にメッセージを送った。「お誕生日おめでとうございます。どれだけ経っても、若々しくお元気です。 実に羨ましい限りです。もう、ご一緒する事はないかもしれませんが、指を咥えながら応援しています。」

 その返信が、「元さん目指して頑張っております。また是非ご一緒しましょう!! 大先輩!!」 であった。歳を重ねた者への 配慮だったのかしれないが、ホットな気分にしてもらった。

 心の中では、もうちょっと、いや、 ず~っと頑張りたいと思っているが、いろいろなところに綻びがないわけがない。 ” 退化 ” イヤな文言であるが、退けられないでいる。” 同居 ” がイヤければ、やっぱり辛い目に遭っておかないといけないようだ。 それが訓練なのだろう。

 まだまだ歩きたい。バランスが悪くなっては怖いところへはいけなくなる。しかし、それだけが山では無いはず。紅葉がこれからだというのに、 大地(大地山)のことばかり考えてしまう。機会が増えるから(休日を増やすから・・)成就しなければ(笑)



9/13 昨日の金剛堂山は、81回目であった。1回目は、昭和54年10月21日であったから、43年前の事である。当時は、車を持っていなかったから、 春ちゃんと、労山の企画に乗っかって、バスで出掛けたのである。あれから、43年の歳月が流れた事になる。

 その春ちゃんと、初めての初雪山(平成10年寝入谷から、イマイチ女史も一緒)、翌年、大地山へ6時間掛かって登った想い出がある。 昨夜、春ちゃんに久しぶりに電話をしてみた。「来年か再来年に、金剛堂山100回になると思う。その時は一緒に登ってくれよ!」と笑いながら言うと、 後ろから細君が、「ダメダメ、立山に登った時も、私が荷物を持って上がったのだから・・」とチャチャを入れて来た。本人は、殆ど登っていなく、 最近はパークゴルフ専念しているようであった。

 このように、同輩は、どんどん山から離れていく。寂しい限りである。「80歳になっても、雪山でキャンプ」、また、「140歳まで生きる。」と言っても、 笑って答えてくれない。唯、飲んでいるだけでは寂しいではないか? やっぱり、低山であろうが、汗を流して登った事柄がないと盛り上がらない。 昔の想い出、それが共通の想い出であれば、楽しくてならないが、それに追加の想い出が欲しいのである。私は欲張りなのかもしれないが・・・。

 

9/12 行き先に思案したものの金剛堂山にした。「飽きる。」「辛い。」などの「山ノ神」の反論もあろうが、「イヤなら・・」の言葉を 聞きたくないためか分からないが、渋々の同意であった。コースタイムは3時間弱なのだから、そんなでもないのであろうが、 「山ノ神」にしてみれば、結構辛いようである。

 午前8時過ぎのスタートであったから、4時間の正午まで着けば良しとしたが、何度も何度も立ち止まった。そして、「山頂はガスで・・」 の言葉を発した。「登れないと、次も登れなよ!」と連れ(同行者)を、一人でも失いたくない私の言葉がけなのかもしれない。

 山しか行かないバカ亭主を持った宿命なのであろうが、てっぺんに辿り着いた時は、それを払拭するかのように、ニコニコしながら、 プシューとやるのであるから、そのギャップは計り知れないものを感じる。

 もしかしたら、山頂でなくても良いのかもしれないが、その都度の喜びを感じてもらいたいのが私の思い出ある。今年も雪山キャンプの機会を失った。 来年こそはと、重荷を担ぐ事に躊躇いを持たない。しかし、同行者のいない雪山キャンプは寂しい。

 この金剛堂山も大好きな大地山も、一人で出掛けなければいけないかもしれないが、せめて、もう少し低い山でのキャンプは、「山ノ神」さえ頑張れば、 一緒にキャンプをする事が出来るような気がする。私は、2往復しても良いからとまで思っている。だから、少々で、 へこたれない体力を付けて欲しいと願っているが、その思いは、なかなか伝わらないようである。

 そんな「山ノ神」であるが、「今度は、紅葉の時期だね。」と言った事を思えば、この金剛堂山に飽きてはいないのかもしれない。 ずっと前であるが、風雪が強い2月に、金剛堂山でキャンプをした事がある。一服金剛で、テントを張らなければならなかったが、山頂へも苦悩が 続いた想い出がある。苦労した時の想い出は、いつまでも忘れられない。



9/11 今日は、鳥越峠から大辻山と高峰山。特別な事もなく、非日常でなく日常的?な山行と言った方が良いのかもしれない。 北尾根を歩いていたのであるが、途中から、何と松田氏(マキちゃんの師匠)に出会った。(追い付いて来られた。)

 それまで、ゆったりの歩きだった「山ノ神」が、松田氏の早足に付いて行こうとするではないか? 初秋の珍事! それとも、「いい男に必死の猛追?」 でも、最後まで続かなかった。それでも、山頂では、暫しの間、我々に付き合ってくれた。その彼は、その後、白岩川コースを行かれたようである。

 鳥越峠に戻った我々であったが、「山ノ神」は、まるで高峰山には興味を示さず、またまた私の単独行となった。荷を少し降ろしてのスタートとなったが、 「何と軽い!」と思った。こんな私でも荷を軽くしたら、まだまだ若いもんに、太刀打ち出来るのではと思ったが・・・・

 だって、鳥越峠から高峰山まで20分そこそこ、で行っちゃうんだから・・・。 もちろん空身ではないのです。 「75歳の一時の馬鹿げた叫び!」だと思ってください。



9/10 満月・十五夜(中秋の名月)私にとって、天文の分野は未知の世界。でも、しっかり勉強すれば、ロマンを感じる分野なのかもしれない。 満月は、約1ヶ月に1回程あるらしいが、月齢など全く分からない。星座など、ちょっとでも分かれば、きっと楽しいに決まっている。

 さて明日の山行であるが、まだ決めていない。久々に大辻山でも良いのだが、高峰山と合わせるとなると、「山ノ神」が嫌がる事は目に見えている。 そうして、だんだんと行く範囲が狭まれて来る。当たり前の事であるが・・・



9/9 新しい山友さんに、恥ずかしながら、HPを紹介した。 ところが、イザ覗いて見ると(確認してみると)、ブラウザの変更を余儀なくされたり、 HTML形式に拘ったりしていたからであろうか、見にくい状態になっている所が多くみられた。放って置くわけにもいかず。修復に着手した。

 意外と時間を要する。それでも、「山ノ神コーナー」の2/5を修復する事が出来た。HPを止めない限り、監督(確認)・維持に努めなくてはいけない。 そのたに時間の配分が悪くなってしまった。「人生いろいろ」 自分の思い通りにはいかないのだ。

 お天気は相変わらず安定しないようだ。目先(今度の休日)の予定も決めかけている。今回も直前までダメであろう。しかし、今秋に行きたい所がたくさんある。 行けないかもしれないけど、そのような事を考えているだけで、ワクワクしているのである。その心は、少年や青年と何ら変わる事はない。



9/8 今度の土曜日を挟んで日曜日からずっと傘マークが並んでいる。しかし、新潟方面には、日曜日に晴れマークがある。一喜一憂しなくても良いのであるが、 晴れている事に越した事はない。今夏は、結構雨に悩まされたが、帳尻が合うを考えれば、今秋に期待したい気持ちである。

 と、嘆こうとしていたら、オセロのように、傘マークから、晴れ曇りに変わった。しかし、降水確率が30%くらいであるし、また新しい台風も出来たようなので、 何とも言えない。でも、休日は、雨より晴れの方が良いに決まっている。行く山が違って来る。

 「若いっていいね!」が、すぐ口から出るようになった。それだけ自分の衰えを感じるようになっているからであろう。 青春・朱夏・白秋・玄冬という語句があるが、今の時代、20年くらい延ばしても良いのではなかろうか? 100歳時代と叫ばれる時代でもあるから・・

 しかし、元気者同士で集っているから、皆が元気だと思ってしまうが、実際は、病気やケガで外に出られない人達が多くおられる。 健康を大事にし、勝手な言い方かも知れないが、その方達の分まで遊んであげよう。



9/7 3日間遊んだ。太腿を押さえれば、少しだけ痛いかなという程度で生活に支障はない。「山ノ神」にしてみれば、仕事日が休養としているが、たまには忙しい事もある。 今日は、そのたまの日に当たってしまった。疲れの話も出来ないでいたから、そんなのが一番いいのかもしれない。

 次の休日まで、中4日だから、すぐに休日(山行日)が来る。「山は仕事、仕事は趣味。」のフレーズは、「休日は山に・・」に、負けないくらいにインパクトがあるようだ。 来年から、休日を増やし(日・月・火)4日間だけの営業日(水・木・金・土)にするつもりだが、身体が保つかになって来るのは確実。

 山に登るために仕事をしているようなもので、休日を休養日にするつもりはない。近間の低山であろうが、登り続けなければその意義もない。 「大好きな大地山に登れなくなったら山は止める。」と言い続けているが、ちょっと、オマケしてもらって、「大地山に登れなくなったら山を止めるかもしれない。」 に変更したい気持ち。でもね、最近は、随分若い人達との交流が増え、タジタジになると思われる。少しでも体力維持・衰えのスローダウンに心がけなければ、 流石の私でもギブアップしなければならなくなりそう。



9/6 前夜も就寝は遅かったし、暑くてあまり眠れなかった。明るくなるに連れ、窓が赤くなった。「晴れる。」咄嗟に千石城山が脳裏に浮かんだ。 今から行けば、ラッシュに合わずスムーズに行ける。4~5時間もあれば、充分に帰れる。 一応、「山ノ神」に声を掛けてみたが「NO」であった。午前7時半過ぎから歩きはじめられた。もちろん誰もいない。少々、昨日の疲れはあったけれど、 記録では33分で登れた事になっていた。

 小一時間、コーヒーを飲みながら、劔岳と対峙するという贅沢な時間を過ごすに至った。それでも誰もやって来なかった。 あまりの日差しが強く、傘を出して日除けとした始末。急いで家に戻っても、「山ノ神」未だご就寝だった。



9/5 前夜泊は、「山ノ神」と、少しでも多く歩きたかったから。以前は一緒に山頂を踏んでいたのであるが、最近は一日では歩き通せなくなっている。 太郎小屋まで一緒では、今度は私の方が参ってしまうようになって来ている。近年は、折立から別行動(お互い単独行)となっていたが、 それでは、一緒に来ている価値がない。と思い、せめて三角点(1,970m)まで一緒しょうというものであった。

 三角点まで2時間を要したが想定以内であった。それまで担いで来た「山ノ神」の食材(いつもの物)を渡し、それからが単独行である。 五光岩を過ぎ、太郎小屋が近付いて来た頃、「元さ~ん」と声が掛かった。”さかなさん” であった。

 荷は大きくないにしても、ゲートの関係上、折立発の事を考えると、2時間位で登ってきた勘定になる。 私の知っている ”さかなさん” ではなくなっている。若いし意欲があるのだから、年々、力を増しているのであろう。

 それからというもの、ヨレヨレの私を山頂まで連れて行ってくれた感じである。話をしながら、薬師岳山荘で ”あんみつ” を食べたりしながらである。 山頂では、楽しく素晴らしい出会いがあった。今まで抜きつ抜かれていた若者(nissy730さんとnaruさん)に、魔法の食べ物をプレゼントしたのを、きっかけに  いっぺんに盛り上がった。また、口数少なく、ずっとマイペースで歩いておられた男性(ユキハナさん)から、「元さんでは・・」と声を掛けてもらい記念写真に収まった。

 下山中、「山ノ神」と、まりちゃんと3人で太郎山に登って来たとか、ラーメンやビールの話をしてくれた若い女性(年齢は私の1/3くらい。)何故か ”りかすけさん” とも仲良くなれそうだ。すれ違いの一時だったけれど、ホッとな気分にさせてもらった。所用のある ”さかなさん” は、先に消えたはずだったのに、何故か薬師峠の キャンプ場で、また一緒になった。

 太郎では、 約束の時間にちょっぴり遅れたからか、「山ノ神」のフォローにやって来てくれた”まりちゃん” と「山ノ神」自身の姿はなかった。 それでも、五光岩に行かない内に追い付いた。”さかなさん” はそれまでで、うさぎのように飛び跳ねて降りて行った。

 今度は、まりちゃんと3人での歩きになったが、2日続けてお付き合いして頂いた事に感謝であった。ユキハナさん、nissy730さん、naruさんとも、またまたお会いし 余計なお喋りをしてしまった。クタクタになって折立に着いたのは、6時10分くらいだったろうか・・・



9/4 「今度の休みは何処に?」と言ってくれていたまりちゃんに、” 降らなければ中山 ” と返事を出していた。そんなまりちゃんと私達の3人で中山となった。 降るどころかお天気ではないか?そんな事で皆さん思いは一緒なんだろうか、どの駐車場も満杯に近かった。もちろん剱岳や、クズバなどを目指された方々も多かったのかもしれない。

 本当はちょっと怪しい予報だっただけに、何処の山でも良いというわけにもいかなかったのだから、中山で晴れても喜ばなくてはいけないのです。(笑) 「山ノ神」と歩くとなると、御存知の通り ” ゆっくり ” でも、ゲストがあると、ちょっぴり早くなる。それでも、1,100m下の広まった所は、 「私達の休憩ポイント」 今日もコーヒーブレイクとなる。ブナクラの山々を眺めながら、剱岳もであるが、マッチ箱ピーク以外、ガスに覆われそうであった。

 まりちゃんは、それに合わせて、ゆっくり歩いてくれる。本当は歯痒いのかもしれないが、上手に歩いてくれる。山頂は、それなりに混んでいた。ちょと前に、 少しだけどお腹に入れていたし、あの方もお姿をお隠しになっていたので、スルーする事にした。その時に、高岡の男性とちょっと控えめの女性に声を掛けてもらった。 女性は、Sunさんであった。yamapのメッセージを取り交わした事があるのに、すっかり忘れてしまっていた。(本当にごめんなさい。)高岡の男性の名も忘れてしまった。(ごめん)

 東小糸谷にトリカブトが咲いているのに、「山ノ神」がニッコリ!(また不吉な予感!)3度沢を渡り立山川に架かる橋の手前で食事とした。風がありとても快適であった。 高田氏とまゆ女史とお話を交わしている時に、雨がポツリと来たが、その後は降らなかった。このところ、高岡HCの方々と、一緒になる事が結構あるのだが、お顔を覚え切れないでいる。

 高岡に戻って、やっぱり明日は薬師岳へ。「山ノ神」は、山頂に届かない。でも、少しだけでも一緒の事を考えると、今夜中に折立に入っておれば、スタートが早くなるので、  良いとなる。そして、飲む事が出来る。 



9/3 台風11号の直接の影響が、まだだと思って明日は「中山」 降れば小佐波御前山。明後日が確実に晴れるなら、薬師岳と思っているが、お天気の事は分からない。 起きてみてからの判断。如何ようになっても、焦る事など無い。「休日は山に・・」の如く、歩きに行くだけ・・・。



9/2 ムコ殿が、娘の誕生日に向かいの商工レストランへ我々を招待してくれた。生ビールを、これ以上飲めないという程飲んでしまった。 そのせいか、帰宅後の午後9時半頃から翌朝の午前5時半頃まで、一度も起きずに爆睡したようだ。別段変わった様子もない。元気でいたら、 このような宴に、まだまだ出る機会があるかもしえない。



9/1 今日のメーンページに、20年前の薬師岳を載せた。薬師岳へは、まだ18回であるが、何度となくキャンプもしている。(この年も、薬師峠でキャンプをしている。) お天気であれば、山容も穏やかだし展望も頗る良い。最近は、「山ノ神」の体力では日帰りで難しく、私だけが山頂に行くパターンが多くなってきている。

 それも、太郎小屋まで一緒に行ってでは、今度は、私の馬力が伴わなくなってきている。だから、折立から、” お互い単独行 ” になっている。 また、黒部五郎岳までの往復後、薬師峠まで降りて、テント撤収し折立に向かったが、ゲートが閉ざされて困った事もあった。(おまじないで難を逃れはしたが・・)

 雲ノ平経由で水晶岳・鷲羽岳・黒部五郎岳を周遊したり、スゴ・五色ヶ原を越え、室堂まで行った事もあったが、明日誕生日を迎える娘を背負って、 薬師岳に出掛けたのが一番の思いでかもしれない。 当時娘は、2歳9~10ヶ月 オーバーに言えば一歩も歩かなかった。それは、背負子に乗せての山行であった。41年前の事である。

 今年も、薬師岳への機会を伺っているが、なかなかお天気周りと合致しないでいる。キャンプも、なかなかのようだし、もし一緒に山頂に行けるとしたら、 折立泊で早朝発しか無いようである。でも、「山ノ神」は、太郎までで充分であるというのであるから、そのパターンはないかもしれない。