12/31 あっという間に一年が終わった。一年がドンドン速くなっていく。20歳の時の一年は1/20、50歳の時の一年は1/50、 75歳の一年は1/75なんだから、速く思えるのは当たり前か。かと言って、この先の10年や20年は、 過ぎてしまえば速いのであるが、なかなかのようである。

 山三昧の一年を、どう評価するかは別にして、好きな事をやれるという幸せは何事にも代え難い。 何をおいても山なのであるが、やる事がない人と比べれば、少々辛くても、後の達成感がブラボーとなる。

 明日の元日も、予定通り山に行く。しかし、お天気が良くない。でも、歩ける所に行く。私の山登りはその積み重ねである。 明日の元日山行は、2年連続に八乙女山になる。それでも、子供のようにワクワクしている。この調子で一年を通していきたい。



12/30 来年から日・月・火を定休日とする関係上、全休日山への目標を、「なるべく山へ・・」にと修正する事にした。 それでも、今年並みに山へは出掛けたいと思っている。山に行かない日は、どうするのだと問われそうであるが、 お山のてっぺんに行かないでも、キャンプをするとか、遠出の山行のついでに観光なども入れたいと思っている。

 しかし、休みが多くなると、経済的に窮屈になる恐れがあるが、そこは、メリハリを付けなければならないだろう。 そして、「山ノ神」との山行機会を、どのように保つかも、大きな課題である。また、1/3くらいは、自由にさせて欲しいも本当のところ。 来月は、お正月5日間の休日とするため、1ヶ月の休日が17日になる。(笑)



12/29 道端の雪は随分と少なくなったのですが、駐車場などに積み上げた雪山は、なかなか溶けないでいます。 高岡だけが雪量が多かったのですが、山の雪はどうなんだろうと心配になって来るのですが、ある程度の高さからでは、 心配はないようです。

 平場では降らないで欲しいと言いながら、自分が遊ぶ山には、それ相当の雪量が欲しいのですから、 我がままと言うしかありません。でも、汚れた俗世界を真っ白な雪が覆ってしまうのですから、それはそれは魅力です。

 何もそのようなところで、訓練とかチャレンジとかをしなくても良いのですが、相性というのでしょうか、嵌ってしまっています。 今は、用具や情報アイテムなどが、とても便利なので、体力があれば、誰ででも行けそうな気がします。でも、ちょっとだけ落とし穴があるようです。

 私のお正月は、お天気さえ良ければ、また、体力・気力失わなければ、1/1~1/5、1/8~1/10は、山三昧となるつもりでいます。 来年も、いろいろな方々とお目に掛かれる事を楽しみにしています。



12/28 今年八乙女山に16回も登った。通算89回になった。千石城山には7回登り85回である。意外と少なかったのは、金剛堂山5回で82回に留まっている。 後は、大辻山78回、大地山63回、白木峰62回と続く。

 100回超えは、牛岳の168回、小佐波御前山の102回である。八乙女山と共にその2座は、シーズンを選び時間さえあれば、誰でも登れる。 私は、ある程度の高さがある金剛堂山100回を一番の目標にしている。一年中登れるし、春夏秋冬を味わう事が出来るからである。

 それを成し遂げられれば、大地山の100回も不可能ではないような気がする。しかし、如何せん大地山は良さは、残雪・積雪期であるから、 金剛堂山に挑むのと訳が違う。でも、その意欲を持ってすれば、道のりは遠くても、張り合いがある。元気でいなければ・・・



12/27 最後の休日は、妙高にいたけれど山には登れなかった。「全休日を山に・・」は、逃したけれど、それ以外の日を休んで九州へ行ったのだから、 等しいくらいに山へ出掛けたのである。130回を数えたが、中味はそれ程自慢出来るものではない。 しかし、その意欲は自分ながらバカなくらい出掛けたと思っている。

 私の体力の衰えと「山ノ神」の意欲の低下があり、今のスタイルを変えなければならない時期に来ているのかもしれない。 山の楽しみ方は、いろいろでなので、速く歩けないからと、卑下する事もあるまい。これからはゆっくりスタイルである。 うさぎからカメに変われば良いだけの事である。唯、荷も吟味しなければならなくなるのは辛い。

 今年は、特別な事をしていないと言いながら、九州遠征を実現させる事が出来た。東北遠征も継続している。 もしかしたら、大地100回もあるかもしれないと、淡い希望を持たせてくれる。 その影に八乙女山や小佐波御前山など、雨でも雪でも出掛けて、体力・気力の維持に努めているのが奏功しているのかもしれない。 来年は、その近間の低山の100回超えを、3座目4座目を実現させたい目標もある。ずっと元気でいたい。山と関わっていたい。



12/26 関温泉付近は、昨夜来の降雪で車が埋まるくらいになった。雪のない東京・千葉方面からやって来られた方などは、 除雪に、また脱出に難儀しておられた。私の車も、雪量でドアが開かなかったし、スライドドアが凍って長い間開かなかった。

 それでも、国道18号に出ると雪量が極端に少なくなり、新井を過ぎ直江津に来ると全くなくなるのだから、 今年の雪の降り方は、ちょっと可笑しいような気がする。  二日目の山行は、きっぱり諦め、「山ノ神」の買物に付き合った感じである。でも、最後の最後に立山町のモンベルにちょっとだけ寄った。 家に戻ってから、積み上がった雪の山を、明日からの営業のために修繕しなければならなかった。



12/25 妙高に向かう前に、念のためというのか、後々山に登れなかったら後悔すると思い、城ヶ平山に登ることにした。 その行程が、2~3時間程度なら、妙高の宿(休暇村妙高)に着けると踏んだからである。

 しかし、「山ノ神」は、「私が登ると時間が掛かるから・・」と登る事を拒否。大岩の駐車場に待機を決め込んでしまったのである。 それはそれで良いのであるが、やっぱり味気ない気がしながら歩いた。山頂で雪が一時的に強く降ったし、 独りでコーヒーを飲む事もないだろうとしたところに、女性2人が現れた。取り敢えず証拠写真なのでと、シャッターを切ってもらった。 お話すると、いろいろな所に登っておられる方々であったが、お名前を聞いたのに、やっぱり忘れてしまった。

 その後の下山時に、「もしかしたら、元さんでは?」と声を掛けて頂いた。ゆきちゃんグループであった。 思わず握手をしたり、喜んでもらえたりして、私は随分得したような気がした。(笑)

 魚津で買物、朝日で給油したりして8号線を走ったが、県東部・親不知・糸魚川・直江津には雪が無かった。 それどころか新井でもないのには驚いた。妙高に入ってからは、流石に道沿いには雪が現れ、関温泉に入ってからは、 積雪を観測したのである。(スキーが出来る状態であった。)

 今回は、「山ノ神」の白内障手術もあり、先延ばしにしていた結婚45年を祝う事にし、明日の山はナシでもよいと思った。 温泉に浸かるだけでも良いのかもしれない。着いてから、ずっと雪が降り続いている。今晩は飲んでも良いだろう。



12/24 今日も、水気を含んだ重たい雪と悪戦苦闘であった。何せ、前も横も後もであるから大変なのである。 それを積み上げなければならないから尚更である。

 ここで歳だからと言ってしまえば、そのように扱われそうだから、必死に頑張っている。蔑ろにするより頑張っておれば、 何かに返って来ると信じている。体力かも知れないし、根性なのかもしれない。

 2~3日前から、PCの音が何か変だと思ってはいたが、ディスプレーがいかれた。こんな年末にと思ったが、 今は使っていないDELLのディスプレーをあてがえてみた。何とかなるのだから「神に佛」とはこの事かと思った。



12/23 朝起きてびっくり。シャッターに雪が吹き付けて、その重みで開かなかった。予想以上の積雪は、重い雪で除雪が大変であった。 そして、ずっと降り続いていたので、除雪のタイミングが合わなかった。

 除雪も仕事も完全に諦め、年賀状作成にあてた。この雪は、県西部に多く、特に何故か高岡が多いのには参った。 まだ降り続くようである。でも、最終的には、必ずと言っていい程、県東部が多くなるは間違いない。



12/22 今夜から風雪が強まるという。これが、25日(日)の朝方まで続き、山沿いを中心に、かなりの積雪が予想されている。 「不要不急の外出を控えよ。」「新潟から石川に掛けて、21箇所の交通遮断を計画している。」とまで促されている。

 「弱った!」「実に弱った!」 25(日)~26日(月)妙高行きを計画していたのである。「山ノ神」の白内障手術で延びた 結婚45年のイベントとして企画であったが、まともに寒波襲来となってしまった。

 この時期であるから、高い山にも登れないし、条件さえ良ければ、戸倉山と米山を考えていた。それがダメなら、県内の低山に登ってから出掛けるとか、 帰って来てから登るとかも考えていたが、まるきしダメになってしまいそうな状況である。

 宿にキャンセルの事を尋ねてみたら、交通止めになったら、キャンセル料は発生しないと言われたが、ノロノロでも車が動いていたらどうなるのだろう。 気持的には、申し込んだのだから行きたい。例え温泉に浸かるだけでもいいではないかと思うのであるが、車が動かなかったらしようがない。 もうしばらく様子を見よう。



12/21 いつも、DOMO(いいね!)してくださるkuwaさんのページに入ったら、何と「佐和山」が載っていた。 そのコメントのやり取りに思わず、私も余計な事を書き込んでしまった。

 YAMAPに私の好きな石田三成が登場していたからである。「石田三成に過ぎたるものが二つあり、島左近と佐和山の城」とあった。 近江では、三成が去ってから(亡くなってから)井伊様の領地になり、家康が嫌った三成の物を悉く 無くした(壊した)からあまり残っていない。龍潭寺には何かありそうだが、私は寄れなかった。城址は遊園地になっていたように思う。

長く語っても仕方がないが、いろいろな思いから、長女に佐和山から佐和子と名付けた。 長男には、三成の盟友兼続から兼継とした。今年は米沢にも行ってきた。

 会った事のないKUWAさんと思っていたが、昨春、小佐波御前山でRyoさん達と一緒にお目に掛かっていたようである。  メッセージのやり取りも1・2回交わしていたのだ。しかし、全く記憶になく、「物忘れも、ここまで来たか!」であるが、 ちょっとだけの会話や挨拶だけでは、全員の名や顔は覚えきれないのです。どうか、どうか宜しくお願いします。



12/20 昨日は、二上山から戻り、駐車場の除雪を試みたのですが、あの重たい雪と広範囲(前も横も後もあり)の除雪に、途中で投げ出してしまったのでした。 その分、今日は、早起きしてやらなければならず、山登りより疲れてしまいました。

 でも、中5日で、また山に行けると思うと、何がなんでもやらなければならないと思うから不思議です。来年から、週に3日間休むのですから、 中4日で山に行ける事になるのですが、体力が保つかちょっと心配になって来ました。今度の休日は、妙高泊なのですが、 山歩きどころか、目的地に行けるのだろうかと、これまた心配になって来ました。



12/19「山ノ神」術後の診察に付き合ったため、何処へも行けなくなってしまった。それでも、月曜日に集中していた送迎も、これで最後のようだ。 いやいや、1ヶ月に1回とか、何ヶ月に1回とかあるのかもしれないが。(やっぱり、1月16日(月)に診察があった。)

 正午までに閑乗寺公園に行けたら、八乙女山に行こうと思っていたが、全然ダメ。家に戻ってカップ麺を食べ、二上山スタートが午後1時半過ぎ。 それでも歩けた事に感謝である。30cm前後の積雪、上部では30~50cm程だったか、今シーズン初めてスノーシューを履いてみた。

 重たい雪だったせいか、スイスイとはいかなかった。山頂まで意外と時間を要してしまったが、城山まで行ってみた。木々が垂れているところも あったが、気持ちよく歩けた事に変わりはない。家に戻って除雪となったが、重い雪に疲れてしまい風呂に飛び込んだ。



12/18 あんなお天気なのに、私の記憶では、3パーティー17~8人が、小佐波御前山にやって来られた。 その先陣を行かれた「とーけんさんグループ6人」に、ご一緒させてもらった。

 とはいえ、殆どが、私よりも2回りも若い方々で、しかも、大方がトレランをやられる方々では、私が着いていけるわけがない。 しかし、今回の降雪・積雪で木々が垂れ下がり、行く手を塞いだりしている所が多く、難儀されているところに追い付くという構図であった。

 6人のメンバーの中に、お一人だけが何度か行動を共にした事があるが、後の方々は、名は存じていても、お茶を飲んだ事もなかった。 その方々のお名前を教えてもらったつもりであったが、聞き漏れか忘れたかで、お一人の名が分からず、公平感のために、今回は名を出さない事にした。(笑)

 私は、それこそ、ふらっと出掛けたつもりであったから、食材など持ち合わせておらず、同グループの方々のご厚意に甘んじ大変ご馳走になった。 どれもこれも美味しかった。お話も楽しかった。そして、同じ話を何度も繰り返していたかもしれないのに、飽きもせず聞いて頂いた事にも感謝しなければいけない。

 また、同避難小屋では、声を掛けて頂いたり、差し入れをしてもらったりした。投げキスまで頂いた。(笑)  もしかしたら、気象条件が悪いのに登って来る老人が、珍しいのかもしれないね。



12/17 寒かったけど雪にならなかった。明日にならないと雪にならないのかもしれない。その明日は、一日中ミゾレまたは雪だという。 そうなると、小佐波御前山しかなくなって来る。そんな日に誰も来ないかもしれないが、私は歩いて来ようと思っている。



12/16 週末からの寒波に期待したいが、降り続く中での登高は辛いものです。それが横殴りの風雪となる時は、何のために来たのだろうと思うのですが、 その状態は、一日中続くという事は殆どなく、一時的にも止んだり弱まったりするものです。

 そして、一息つくと同時に、大自然の中にいるとの実感が湧く時でもある。それが近場の里山であろうと感じる気がします。  踏まれていない所を歩く所以かもしれません。素晴らしい景色を堪能するのもいいけれど、相手が分からぬ脅威と向き合うのも、  存在感の高揚に繋がるような気がしてしまうのです。



12/15 「山ノ神」の2度目手術が終わったとの連絡があった。明日は退院だから迎えに行かなくてはならず、次の月曜日も診察がある。 その後は、来月になるから、ようやく終わったとなる予定である。

 今月2回あったが、やっぱりいる人がいないと、何もかもが狂ってしまう。 ”ありがたみ” かどうかわからないが、  一人でやれる事の限界を感じる事になった。この先、いつかは、どちらか欠く事になるが、これは大変だとなる事請け合いである。

 「家にいるから・・」「いずれ帰って来るから・・」は、我慢すれば良いのだが、誰もいない家や部屋は寒くていけない。やはり明るい家・部屋がいい。 そのためにも「我慢」「忍耐」という文言が寛容である。



12/14 高岡の平地では、まだ積雪は見ないが、今日は、アラレやミゾレが雨に混じった。これから山沿いに、どれだけ降るのかと興味津々である。 しかし、寒い冬になるとの予報であったが、今のところ、平年より、また昨年より初雪が遅れた感じである。

 でも、焦る事など無い。これから、いくらでも、雪中を駆け回る事が出来るからである。雪を待つ人達でも、平地では、あまり降って欲しくないが、 本当のところ。そういいながら、もう心は雪上にある。今年最後の日・月に、妙高に宿を取った。



12/13 「山ノ神」の手術(白内障)の事を心配頂いていたが、私の高血圧に関するアドバイスも頂いている。 不調でないかと問われれば、ちょっと可笑しいと言わざるをえない。8年間も血圧降下剤を拒否続けていたが、 この先の山行を考えれば、やっぱり、リスク回避に舵を取らざるえない。

 笑われながらも、「140歳まで生きる。」と言っているから尚更である。そして、声援をしてくれる方々に応えなければならないからもある。 出来れば、「這ってでも行く。」ではなく、シャキッと歩き続けたい願望がある。

 今日は、予約してあったコロナワクチン5回目接種の日だった。その予約先は、薬を拒否続けていたクリニックだったが、  看護師さん達が、診察を受けるのか、薬を飲むのか、興味深げに私の顔を見入っていた。「飲む。」と言ってしまって、心電図もとった。 心臓はどうもなかったが、レントゲンは今日はいらない。と断った。

 薬を飲むから、これで良いというわけでもないが、直近の不安解消になったのかもしれない。食事の節制も考えなければならないし、 アルコールもイベント以外飲まないようにしようか? 今は止めているけど、そんな事が出来るわけがないか・・・



12/12 「山ノ神」のPCR検査(12/15の手術のため)を待って、ハゲ山・城ヶ平山に向かった。「北ちゃん」が、ハゲ山にいるとの情報があり、 急いで駆け登った。久しぶりであった。あれもこれも話したかったが、なかなか全部というわけにはいかない。

 以前は、毎週のように一緒に歩いていたが、このところの「北ちゃん」は自重気味である。でも、会えるだけで嬉しいのである。 今まで歩いていた頃は、運命共同体と言っていたのであるから、そう簡単に忘れられるもんではない。

 ハゲ山から城ヶ平山へは足が向かないらしく、西種分岐で別れる事になったが、「山ノ神」も、城ヶ平山へは行かず、 「北ちゃん」と下山すると言う。その代わり、車を大岩まで回すと言うが、運転の方が、もっと心配させられるような気がしたが仕方がなかった。

 峠山・城ヶ平山を経由して、大岩に降りるのであるが、前日の雨の影響か、全体の1/3くらいは泥濘んでいた。 ロートルは転んではいけないので、慎重に歩いた事もあって、西種への分岐から70分ほど掛かってしまった。

 驚いたのは、家に帰っていると思っていた「北ちゃん」が、「山ノ神」と共に、駐車場で待機していてくれたのである。 そしてまた、お茶を飲みながら話したのである。頗る充実した一日を送る事が出来たのである。



12/11 今日は完全な雨だった。少しミゾレっぽくなったが、雨は雨。そして、我々の行った所までは積雪はなかった。 祖谷からの歩きは、久しぶりだっただけに新鮮であった。55年・60年経過では、全く浦島太郎である。

 この医王山へは、一番多い時で1ヶ月で3回行った記憶がある。しかも、土曜の授業が終わってから、テントを担ぎ、 汽車(電車)バスを乗り継いで、無い時は歩きで出掛けたのであるから、今では考えられない。

 今回は、さちこさんと浅野さんの企画で出掛けたのであるが、今夏・白山、今秋・金剛堂山で集った仲間8名の参加であった。  各々が、いっぱいの食材を担いでやって来たのであるから、それを攻略するのは、山登りより大変であった。

 もしかしたら、歩く時間より、食べる時間の方が長かったかもしれない。熱々のストーブの前で、 このような山の楽しみ方もあるのかと思ったが、雪上を歩けば、もっと楽しくなるのは請け合いである。

 今回、参加出来なかった仲間にも、今回の楽しかった様子が伝わったようで、次なる企画が楽しみになる。 山は、どうしてこんなに楽しいのであろうか? 皆こうであれば、諍いなど起こらないのに・・・  いやいや、皆何処かで我慢しているのだと思う。我慢して山に来るのかもしれない。

 

12/10 明日は、さちこさんと浅野氏のお誘い(企画)で、医王山界隈へ行く事になった。今秋、久しぶりに鳶岩~奥医王山間を歩いたが、 明日は祖谷から歩くらしい。祖谷からだと、もしかしたら、55年ぶりかもしれないから、初めてと同じである。

 予報は雨であるが、大勢の仲間が集まるから、熱気で寒さも吹っ飛ぶだろう。今の私には、ホスピタルになるかどうかは分からないが、 たくさんの食材が出て来たら、これまた難儀しなければならなくなる。でも、たくさん歩けば帳消しになるかもしれない。



12/9 数値に一喜一憂する事もないのかもしれないが、午前中140を切ったと思っていたら、夕方には180・170という数値になった。 しょっぱい物を食べたからなのだろうか不安がいっぱい。

 そして、やるせない気持ちから、ちょっと外を歩いて夕食を済ませ、PCの前に座る時、今一度血圧を測定した。今度は何と139-83,139-88だ。 ホットしたものの、凄く落ち込んでいる。でも、以前、まりさんに、「140まで生きるのでしょう。何言ってんの・・」と言われ、我に返った事があった。 そうだ! 何でも前向きにいかなくてはならない。気持ちが一番である。年が明けたら、たくさんの方々との約束を果たせなければならないのだ。弱い事を言っておれない。



12/8 改善かどうかわからないが、血圧の数値が上が140台、下が90台に下がった。しかし、この3~4日間体重が2キロ減った。 好ましい体重なので、その値には納得している。数年前、肺炎球菌に侵された時は、一週間に6キロも体重を落とした事を思えば大したことはない。

 昨年12月も、喉痛で忘年会をキャンセルせざる羽目になってしまったりしたが、今年も、この12月危機をなんとか乗り越えなければと思っている。 日曜日には、約束した山行が控えている。何としても行かなくてはと思っている。山は私のホスピタルだから・・・但し迷惑を掛けないようにである。



12/7 月曜日、歯に違和感があり、デンタルクリニックを訪れた。予想外に歯はボロボロで、2本を失いそうである。それよりも驚いたのは、血圧測定で機器がエラーを表示した。 2度も200超えでエラーとしたらしい。寒い外から暖かい室内に入ったからではと、上着を脱いでの測定でも170後半の数値が出た。

 内科に行くよう勧められたが、7~8年前から、勝手に血圧降下剤を飲むのを止めている。近くのクリニックの看護師さんが、「なぜ来ないのか?」と、  何度も助言をしてくれたが、終いには、「毎週お山に行っているのだから・・」などと諦めてしまっていた。  その近くの薬局の方も、「薬を飲んでいない。」と言ってくれたが、毎日我が家の前を通られる医師の歩き方をみておれば、私の方が断然元気と言い放っていた。

 そんな事で、今更クリニックに行けないばかりではないが、私は、薬を飲み続ける事に違和感を感じているからでもある。 そして、自力で治せないかと、自分の免疫力に期待しているバカモノである。それでダメなら、それまでと思うところもあるから・・・

 今やれる事は何か? 医学的な事は殆ど分からず、気力(精神力)に頼るだけである。毎日暴飲暴食に近い食事をしていたが、それを少し改善しようと思った。  アルコール類は、一日目は2/3,二日目は1/2にし、今日は飲まなかった。この3日間10時過ぎには床に入った。一日二回の入浴も一回にした。

 何処か可笑しくないかと探してみたら、頭が何となく可笑しい。目がゴミが入ったような感じもする。左肩から腕が何となく違うような気がする。 でも、食事改善?なのかどうか分からないが、上の血圧が、160・150と下がって来た。でも、下の数値がまだ100以上ある。 安静なのかもしれないが、手足を含め動かし続けている。素人の知恵であるが血栓が飛ぶのを一番恐れている。



12/6 雨だから、しかも術後6日目の「山ノ神」であったから、当然、山に行くとは言わないと思っていたら、 「歩かないと歩けなくなるから・・」と言う。一週間はシャンプーが禁止というのであるから、 目に雨や汗が入ったらどうなるのかと心配であったが、本人が決める事である。
 私も、以前、鼠径ヘルニアや静脈瘤の手術をした時、術後一週間や10日で、山に行っていたのであるから、  あれやこれやと言っても仕方があるまい。

 156号線走行中も雨、駐車場に着いた時などは、車外に出るのも躊躇した時もあった。東屋でコーヒーを沸かして小降りになるのを待ったくらいであった。 スローペースであったから、汗を掻く事もなかったが、「山ノ神」は、盛んに防護メガネを吹いていた。汗ばかりでなく、眼鏡が曇ったのかもしれない。

 雨は強弱を繰り返しながら、ずっと降り続いていた。時折、あられやミゾレが混じった。フードがなければ、顔や首が冷え込み、いたたまれなかった。 雪こそ溶けて、かすかに、その名残があったが、それでも、寒い日が続けば、すぐに積雪を見るであろう。

 三角点や最高点は、いつもの通り私だけで駆け上がって来たが、その留守の間(東屋)で、「山ノ神」が飲んでいたかどうかは分からない。 (ビール缶がなかったから・・) この3日間、同じような山ばかり歩いていたが、それはそれで、私は納得しているのである。

 

12/5 時間がなければ、暗い内に出掛けるしかない。目安は、自宅から登山口まで、歩き始めの準備や車に乗り込むまでの所要時間を入れて2時間。 駐車場から、三角点や最高点までの往復に2時間。合計4時間である。歩く時間より車の運転が長いのでは、些か問題があるのだが、それは自分だけの事。

 遠い昔?母の介護で、ディーサービスから戻るまでの時間や、母を一人ぽっちにして、鍵を掛けての牛岳通いがあった。  家から登山口まで何分。登山口から6合目まで何分など計算をしての山行であった。だから、登山口から山頂まで50分を切るに挑戦出来たのである。 その時も、空荷ではなく、拘りの荷を担いだものであった。

 時間のない時、お天気の悪い時は、牛岳としていたのであるが、今では、落ちた体力に合わせたかのように、庄川を挟んだ反対側の 八乙女山になってしまったのである。

 今日の予報は、一日中雨であったが、私が歩いていた頃は、雨に遭う事はなかった。しかし、牛岳も見えない程のガスに覆われ、唯、歩いているだけなのである。 自分でも、何もかもほっぱらかして、何の意義があるのかと思うのであるが、「やっぱり山が好き」としか言いようがない。 もちろん、この時間だからか、雨になるからであろうか、誰も登って来なかった。



12/4 やっぱり雨。独りでゆっくり歩くと、夏目漱石・草枕の序文が脳裏に現れる。「山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

 から始まる。私は文学的才能は全く無いが、この始まりが好きなのである。そして、良からぬ事を考えながら、 まるで哲学者のように装うのであるが、その智たる物が出て来ない。積んでは崩し、崩しては、また積んでみたりである。

 事のつまりは、世を丸く収め、皆仲良くである。欲深くすれば、何処かで綻び、いつか手痛いしっぺ返しがやって来る。 出しゃばらず、うんうんと相槌を打ち、人の話を聞いてあげれば、万々歳なのである。

 しかし、とかく反対の事をやっている事が多い。自慢すれば気持ちが良いし、人様を貶すのは面白い。 でも、それは一時で、すぐに跳ね返って来る。反対に自慢するような事は言わないで、人様の良いところを持ち上げてあげれば、 ずっと仲良くいくのだが、なかなかそうはいかない。そうなる頃は、仏様に近付いている頃かもしれない。

 今日、雨の中を歩いた。人様から見れば、つまらない山行かもしれない。山しか行かないバカモノかもしれないが、こうやって歩ける事に感謝している。 どちらかが具合悪ければ、当然、山にもやって来れない。そして、意欲が有り健康でなければでもある。

 滑らないように、転ばないようにであるから、若い時のような事は、当然の如く出来ない。でも、自分の出来る範囲で頑張れば良いと思っている。 岩や沢は行かなくても良い。強者達のように速くも歩けない。私には私なりの夢がある。大地・初雪山にずっと行き続けていたい。 そして、高度を下げようが、雪中キャンプをやり続けたいのである。



12/3 今朝方は冷え込んだが、日中は好天に恵まれ、ステキな山行日和になり、大いに楽しまれた事と思います。 明日は、以前からの予報より雨量が少ない予想であるが、雨は間違いないようである。

 そんな私、ちょっぴり高目に未練はあるものの、後々の事も考え、明日は小佐波御前山へ行く事にする。 もしかしたら、避難小屋が混み合う事も考えられ、単独の私の居場所がなくなるかもしれない事も考え、 ちょっぴりだけ、早めに出掛けようと思っている。しかし、あまり早く行くのも、どうかと思うし、結局は程々にとなりそう。



12/2 「山ノ神」の手術は何事もなかったように帰宅した。片方だけだが良く見えるようになったらしい。 しかし、どんなに簡単であろうが、術後だけに少しの間安静にしていた方が良いと思う。

 したがって、次の3連休(12/4~12/6)は、私だけの山行であるが、その真中の月曜日は、診察が有り送迎が付いて回る。 そこに、私の歯の詰め物が取れてしまい、その日の予約となってしまった。でも、何とかして、八乙女山でも良いから、出掛けなくてはと思っている。



12/1 予報通り師走に入って寒くなった。山では大丈夫なんだけど、家中では本当にダメなんです。震えています。 「山ノ神」は、午後から手術だったハズなんだが、何にも言って来ない。思わしく無いのだろうか、ちょっぴり心配である。

 今朝はパン食、お昼は丼に麺を入れて、お湯を注ぐラーメン。この後の夕食は、どうしようかなと考えている。 刺し身や揚物でも買って来ようか、それとも家にあるカップ焼きそばでいこうか、夜は米がなくても良いのであるから・・・

 特別仲良くはないのであるが、いつもいる人がいないと、何だか落ち着かないものだ。今までの人生の半分以上、一緒なんだから仕方がないところである。 それでいて、帰って来たら来たで、結構鬱陶しいのであるから、これまた困ったものだ。