1/31 一週間前に約束をしたような していなかったような、最近は、どうも記憶が曖昧になってきて、怪しい事態とも言える。 でも、火曜日に集まる強者達に会いたくて出掛ける事にした。今回は、千石城山に登らず、赤谷ノ頭寄りの706mピークを目指すのであったが、 今回の寒波で、それ相当の降雪・積雪があったものの、膝ラッセルを強いられた割には、例年程の積雪はなく、ブッシュに妨げられた感じとなった。

 中高年グループは、思い切りが良く(いや諦めが良く)、雑木林から抜けて林道に出た所で食事処設定となった。 折しも、今日は、一日遅れの土井女史のバースデーで、ちゃんとケーキや小物まで用意されていた。この先(約一週間後)池田氏のバースデーもやって来る。 お腹いっぱいになったところで、諦めが悪いというのだろうか、それとも執念なんだろうか、劔岳を眺められるところまで出掛けたのである。
 もしかしたら、高岡からやって来た私(達)のために、そのように仕向けてもらったような気がする。この山域が好きで、 それこそ、何十回も何百回も足を運んでおられる同士の方々に感謝である。ありがとうございました。時たまで良いですから、また一緒に歩きたいです。



1/30 雪は降り続いた。パタパタと時には強く。静まり返ったかのように弱く。テントに積もった雪が下に落ちる。 だから雪量が増えると押されるかのように、縁にある物が下敷きになる。テントが狭くなるのである。 テントの前を足が出しやすいように掘ってあるのだが、埋まってしまっている。用を足しに行くのも嫌になるが、寒いから、あるいは、眠れないからどうしても多くなる。 その沈み様は脛どころか膝まで来る。時間が過ぎていくと、段々と雪量多くなるので雪掻きをしなければならない。テント内から押しても動かないのだから・・・

 食事処(居酒屋)を偵察に行ったら、かろうじて屋根が雪の重さに耐えていた。入口を塞いでいたから、室内への雪の侵入はなかったし暖かかった。  でも、屋根が下がり立っては歩けなかった。屋根の雪を降ろそうとしても屋根を外さない限りダメだった。  なかなか時間は経たない。時計ばかりを見ている。「早く夜が明けろ!」だった。

 食事処は、入るには入れるのだが、身体を自由に動かす事が出来なかった。炊事用具や食材、スノーシューやストックなどを全部外に出し、  タープを外す事にしたが、折からの積雪、またしっかり止められていた張り綱の撤去に結構手こずった。  タープを外したからには、降雪の中で食事は出来ない。荷をまとめて下山する事になったが、荷をまとめるにも時間が掛かった。  スノーシューを履いても膝ラッセルであった。重い荷物だけに、バランスを取るのが難しく、転ぶ事もあった。転んだら、 だるまさんのようになかなか立ち上がれなかった。



1/29 156号線を走っている時、「元さん、本当に八乙女キャンプなの?」と正美さんからLINEが入った。「荷揚げ手伝ってくれる?」 の問に、「少し遅れても良いのなら・・」と24.5キロの私の荷が3キロから3.5キロ軽くなる。周さんの荷も担いでもらう事になり、 ロートルパーティが始動。二人合わせて150歳。

 正美ダンナとグルート氏が加わり5名になり、お喋りしながらゆっくりと歩いた。今日は周さんの復帰山行の意味合いもあり、彼なりに張り切っていた。  kumacさん親子・syounenk母娘さん・高木氏などに声を掛けてもらった、適地でテント用と居酒屋用の穴を掘り、正美さん夫婦とグルートさんを待ってテントとタープを張った。 そして、居酒屋が食事処に早変わりして、団欒となった。

 午前中の好天が何処へ行ったのかと思われるかのように、次第に降雪が強くなっていった。山頂へ行くのも明日に回し早めの宴会とした。 2人宴会は、独り宴会より良いものの、やっぱり話の種がなくなり、聞かなくても良いような事までになってしまいそう。 でも、寒いので何もかもが、すぐ冷たくなるどころか凍ってしまうのです。

 9時頃に飲むのを止めて床に着いたのであるが、やっぱり寒かった。標高にして700mない地点でも、やっぱり雪中は寒い。 私の部屋でさえ2~5℃くらいなのだから、その寒さは計り知れない。その分着込むため荷は多くなっているのだが、歳のせいもあるのかもしれない。  アルコールも食材も半分も消化しないのであるが、やっぱり寂しいとなりどうしても多くなる。  それは、ランタンや充電器にまで及び、省略出来なくなって来ている。深々と雪は降り続いた。



1/28 明日のお天気は決して良くないのですが。八乙女山キャンプを決行するつもりです。雪量が少なかったり、降雪が激しかったりした場合、 適地と思っていた所から、東屋の近くに移動するかもしれません。周さんとのキャンプは、何年か前の大地山以来になります。 お互い歳を重ねているだけに、何度も休みながらの歩きとなると思います。でも、やれる事は自信になるのです。頑張ります。



1/27 だんだんと往年の山仲間が萎んでいく中で、周さんが復活に向けて意気が上がっている。元日も八乙女山を一緒した。 雪中キャンプにも憧憬が強いだけに、低山での訓練・適応試行を約束していた。また、荷を担ぐに支障が出たら私が担ぐ、 また、車から2往復してもいいなど豪語していたが、予報では荒れるかもしれないという。

 困った! 約束は2日後に迫っている。「山ノ神」もキャンセルである。キャンプ予定地八乙女山は、私が求める雪量に、ちょっと足りない状況であったが、 今晩・明晩に、かなりの降雪が予想されている。降るだけなら良いのだが、強風が吹き荒れると何ともやり切れない。準備をしながら、もう一日待ってみよう。



1/26 今日は県西部の北側(平地)での降雪が多かったようである。寒気が西から来る事が影響しているようであるが、 冷え込みは、砺波・福光などの山手が強かったようであった。次の寒気が北側からやって来るようだと、山側や県東部の積雪が増えるようだ。

 我が家では、この低温で洗濯機への水の注入が停止している。また温水器も不調で入浴が出来ないでいる。 幸い店の洗濯機や温水器は大丈夫なので事なきを得ている。いつまで続くのか、この低温、そして、山での積雪が、平年並なっているのか両方とも心配である。



1/25 どれだけ降るのか積もるのかと思っていた大雪は意外と少なく高岡では10cm程であった。しかし、冷え込みは酷く、 -5℃-6℃の世界であった。私の寝ている部屋は3℃、朝方は2℃であった。そのせいか、なかなか寝付かれず睡眠不足に陥っている。

 昨日出掛けた八乙女山の下山時は、結構積もるんじゃないかと思ったが、その状況は分からない。キャンプをするには、もうひと降りして欲しいところだ。 そんな時でも出掛ける私(達)を心配してくれた人もいた。また、そんな時に出掛けてはダメという人もいた。山仲間には、「死ななきゃ治らない。」と 述べると、「元ちゃんは死なないから治らない。」と言われてしまった。この寒波の先行きはどうなんだろう。山には雪が欲しい。



1/24 「最近の雪山は、何か可笑しい。カンジキやスノーシューを履いて踏んでないところを歩いたのに、 まる冬山の登山道のように踏み固められ、チェーンアイゼンを使って登っている人達が多い。」 山に精通していない「山ノ神」が言うのだから、やっぱりある種の異変なのかもしれない。

 それだけ多くの方々が山に登られるようになったのだから、喜ばしいのかもしれない。それがイヤなら、降雪時に登ればいいだけの事。 今日は、正にそんな日だった。大荒れになる前に、「八乙女山に行って来るか?」となった。登山口の閑乗寺公園から、6合目の階段まで 殆ど雪が無かった。その上部は、冷え込んだせいだろうが、踏み固められた雪が凍っていた。気を付けないとスリップしそうであった。 しかし、寒波襲来で雪が舞ったと思ったら、すぐさま風を伴って強く降り出した。あっという間に積もっていったのである。

まだまだ足りないのであるが、気温も低いし、今度こそたくさん積もるような気がする。今日の予報が大荒れとされていただけに、 東屋で軽い食事をして戻る事にした。登る時に土が見えていた所も全部真っ白。白銀の世界到来である。



1/23 休日に歯科の予約を入れてしまう痛恨のミス。(笑)そしてまた、大事な歯を抜かなくてはならない非常事態。「一日でも長く・・」を上申?し 抜歯を回避に至る。午後から晴れるを信じ、千石城山に向かった。駐車場で下山して来られた土井コーヒーのオーナーに出会う。

 山頂には、池田氏とマキちゃんがおられると言われたが、我々二人のピッチが上がらない。  山頂で待っていてもらえるお二人に申し訳ないと思っても仕方がない。寒かったであろう。それでも、私達が到着してからでも、  食事をしている時間お付き合いしてもらったのだから有り難い事である。次は、一緒に何処かへ登ろうという話になった。



1/22 「今日は何処へ行くの・」だった正美女史を、長い林道歩きがあるし、あまり面白くない山行だけどと言いながら誘ってしまった。 スキー場のてっぺんまで行けば、それなりにスキーヤー(ボーダー)に会うかもしれないけれど、道中は静かな山を楽しむ事が出来る私としてはお気に入りの山なのである。

 林道歩きは面白くないのは分からないではないが、仲間と歩けば、それなりの話もあるし、独りであるけば、自分を見詰め直すに、うってつけの場所である。 人力で歩くのは私は好き。過去を振り返れば、これで山寿命が延びているようなものである。

 「疲れた!」と言ってくれた正美女史の優しい思いやりが、今日の山行を楽しくしてくれたのは間違いない。(あの歩きは只者ではない。笑) さほど良くない予報であったが、時間が経つに連れて良くなっていった。でっかく見える大辻山がメーンであるが、 大日岳や弥陀ヶ原・立山、そして、角度を変えれば鍬崎山が望めた。

 そんな中、極楽坂山頂で、テーブルを造った。雪量が少なかったが、そんな事はどうでも良かった。  3人での山行は初めてだっただけに、いろいろとステキな一面を知る事が出来た。そして、美味しい物をたくさん頂いた。 ボーダーの若い兄ちゃん達にも惜しみなく、その食材を提供される様に感動してしまった。

 昭和40年代に発行された「越中の百山123座」に記載されている極楽坂山は、私にしてみれば、一年中楽しめる静かな山なのである。 正美女史が、どのように感じられたかは分からないが、「渋い山」に、これからも興味を示されるのか楽しみなところである。

 

1/21 今日は一日中お天気だった。「いいな~。」と羨んでも仕方がない。明日は、自分に与えられた休日を雪を求めて歩いて来たい。 いつも自分の好きな事をしているのだから、妥協の山行といえるかもしれないが、山であればそれでいい。「山の空気」が吸えればそれでいい。 明日はもちろんタープ持参である。



1/20 私の山の知人が、だんだん若くなっていく。一回りくらい若い人達が主流だったのに、私から見れば子供世代の方が多くなって来た。 今度は孫のような方と一緒出来るようである。話が合うのだろうかと、悩まない事もないが、山だから山の話で良いのかもしれない。

 元気でなければ、そんな若い人達と一緒出来ないのだから、「励み」にならないわけはない。スーパー爺さんにはなれないだろうが、 目標にして鍛錬し続けたい。そんな中、復活を目指す男がいる。周さんである。元日に八乙女山を一緒出来た。その余勢を買って、 雪中キャンプの計画がある。欲張らないで低山で実現を目指す。何もかも担ぐからと、ハッパを掛けている。



1/19 私は元気。ヨレヨレでも意欲は衰えていない。若い時のようにはいかないけれど、「希望・憧憬の灯」は消さない。 そんな私でも、冬は結構人気があるんです。(自分でいうのは可笑しいか?)  唯、一緒してくれる人や一緒しようかとしている人達は、皆若い人達なのです。私は、誰とでも楽しいのですが、 同行してくれる人達は、年寄と一緒で本当に楽しいのかと思う時があるのです。

 素晴らしいお天気に恵まれる事もあれば、何でこんな時にと思う事もある。しかし、山登りは人生の縮図のようなもので 良い時ばかりはない。美味しいところも、酸っぱいところも知らなければ、どんなところへも行けないのです。
 パーティーを組む時、お天気が気になります。以前、「私達の仲間内では、変更はあっても中止はない。」でした。  それは、仕事を休んで、あるいは、予定を変更して参加してくれるのですから、行き先を変えても実行していたものでした。  「お天気なら行きたい。」誰でもでしょう。でも、企画者は、それだけでは辛いものがありますよね。

 話は変わりますが、最近、私を喜ばせるLINEや投稿があるんです。「シェルターを見てみたい。」「タープを張る時参加したい。」 「タープの中に入りたい。」等などです。タープやシャベルは、非常事態にも対応するために持参しているのですが、 何か楽しい方に向いているのです。でも、暖かいし、何故か楽しいのです。(笑)



1/18 今日は雨。そんな事を思えば、昨日は最高の巡り合わせであった事になる。ずっと天気が良くなかったけど、 「必ず帳尻が合う。」が、そのまま実現となったようであった。昨日の金剛堂山があまりにも良かったからか、 普段は、あまり私のYAMAP投稿にはコメントが寄せられないのに、11通のコメントがあった。

 私達は、金剛堂山頂一番乗り。後続は3パーティー6人であったが、その中の3人パーティーと年齢の話になって、私が75歳だと言ったら、 その中の女性が、びっくりしたように、「75歳でも来れるんだ!」と不思議に関心していた。私としては、まだこれからなのにと 思いながら、もっと、歳を重ねれば、もっと驚いてもらえると不思議な好感触を得た。(笑)



1/17 やはり金剛堂山も例年に比べれば、雪量が少なかった。しかし、昨日の降雪・積雪は、我々に素晴らしいプレゼントをしてくれた。 午前7時スタートは、他の登山者はなく、マダオ氏と二人でラッセルとなる。お天気は、どんどん良くなりほぼ快晴に近かった。

しかし、山頂周辺は、午後からブリザードのように少々荒れたが、私達が退散する頃からであったから、正に最高であった。 展望は良し、そして、何よりも樹氷が素晴らしかった。マダオ氏とブラボーの連発!



1/16 「今日は、どちらの山に行かれますか?」とのメッセージをマダオ氏からもらった。今日は、「山ノ神」術後の診察がある。 時間的な事もあり、その後八乙女山に行こうと思っていた。スタートが11時半頃になるけれどを、マダオ氏が飲んでくれ3人での山行となった。

 やはり雪は少ない。でも、上部に行くと、それなりの雪量となる。林道から東屋へ降りる事の出来る雪量である。 雪量次第であるが、雪中キャンプの話にも及んだ。また、その他の山への話でも盛り上がった。そして、時間制限があるものの、明日は金剛堂山へ行く事になった。



1/15 「やっぱり雪が良い。五箇山なら雪がある。」と高落場山にした。五箇山トンネル入口の駐車場までやって来たのに、「山ノ神」は雪の付き方が悪いと拒否反応。 雪を拾って歩けばと言っても、「うん」と言わなかった。それではと、小佐波御前山に行く事になったが、スタートが9時55分。

 こちらは尚更雪がない。御前山の下の鉄塔より、ちょっと下がった所まで雪がなかった。雪が出て来てからが、もっと歩き難かった。 雪が少ないから、担ぐ距離が長いというので、スノーシューを車の中に置いてきたからであった。それは、良いとして、高落場山行きの用具(シャベルにタープ類・水2Lなど)を そのまま担いでいたから余計に疲れちゃった。口では鍛錬・訓練と言っていたが、ゴボル毎に「疲れた!」の連発となった。

 こんな雨の中、やっぱり猛者達がいるものだ。2組3人とすれ違った。避難小屋で1時間余の休憩をして、ゴボリ覚悟で下山したが、「こんな事もあるさ!」 で流した。それにしても、今年、最早小佐波御前山3回目である。八乙女山や小佐波御前山ばかりなのは、私としては不幸なのである。お天気に恵まれないか、時間がない時だからである。 それでも、山を歩ける事には感謝である。



1/14 冬は雪のない山に行くのはイヤだな。でも、これだけ暖かい日が続いたのだから、低いところは(登山口辺りから、しばらくは・・)、雪がないと思われる。 ドロドロ・グチャグチャのような気がする。でも、そんなもんだと思えば、それはそれで納得しているようなもんだ。

 火曜日のお陽さまマークを期待して、明日明後日は屋根のあるところになるだろう。しかし、同じ山に行くのも忍耐が着いて回る。 正に修行の域である。でも、衰えるのが恐ろしくて、雨でも雪でも歩くのである。



1/13 140歳まで生きると言っている私であるが、テレビの字幕で著名人の訃報が報じられる度に、私との年齢差が縮まって来るように感じている。 今回友人の妻君が亡くなったが74歳である。このところ毎年のように仲良くしている友人や、その連れ合いが亡くなっていく。

 私の人生目標がだんだんと霞んでいくと共に、「やっぱりか!」というのか、余計友人たちにバカにされているかもしれない。 しかし、目標は大きい方が良い。高い方が良いと思っている。「こんな事ぐらいでクタバレるか?」になり、辛い事を乗り越える原動力になるように思う。

 「 歩けなくなったら終わり。」「登れなくなったら悲しい。」こんなつもりで山に登っている私は全天候である。もちろん悪天をついて高所に登る技量はないが、 その気持は同じである。一回サボればすぐに報いが来る。それほど体力・気力維持が難しい年齢なのである。



1/12 3月・4月並の気温だというのだから、あの大雪予報はどうなっているのであろう。絶対また降るのだと思っているが、 それは、まるで子供の頃の期待感と同じである。このお天気が崩れたら雨になる予報。私(達)の休日は、まともに雨になる予報である。

 山だけに降れば最高であるが、山だけというわけにはいかない。今年の計画では、低山を含め、雪中キャンプを2~3回予定しているが、 少雪では、意欲の低下が歪めなくなる。他にも欲張りなくらい願望がある。だから元気なのだと粋がっているのだ!



1/11 昨日は、あんなに降ったのに(山だけ)、今日は真っ快晴。仕事が馬鹿らしくなって来る。 しかし、昨日は、それなりに自分の思いを記したので、いつもとは違う感じであった。精神は至ってまともであった。(笑)

 「高落場山は、そんなに降ったの?」と思われるのも無理はない。平地では、僅かな降雪・積雪だったのだから・・・ 昨年は、雪中キャンプの機会を失った。今年が正念場である。2年もやらなければ、「意欲の低下」そのものである。 そして、「老い」との抵抗を続けなければ、最早、私の登山生命の終わりとなってしまうような気がする。

 このように、ちょっと怯みそうな時だっただけに、ぐっとタイミングで、マダオ氏が訪れて下さった。 もちろん、山の話である。私の話を、うんうんと聞いてくれるから嬉しい。初雪山や雪山のキャンプにも興味を示して頂いてる。 あの体力は、もしかしたら、私の荷を担いでもらえるのではと、甘い考えが浮かんで来るから仕方がない。

 今日は、他に「りかすけちゃん」からLINEをもらった。雪山初陣となるかもしれない。  でも、今日は訃報もあった。友人の妻君が亡くなったのだ。「元気なのは当たり前。」の牙城が崩れそうである。  一人では生きていけないのであるから、寂しい限りである。誰もいない山中で一人キャンプが出来るのも、 それを越えれば、また会える人がいるからである。



1/10 雪山を味わうのなら、こんな日が良い。五箇山・高落場山は、ずっと雪が降り続いていた。登り始めから20cm前後の新雪。 それでも、まだ積雪が足りない。どんどん高度を上げて行くと新雪が増えていき、膝ラッセルになってしまった。急斜面になると、 ジグを切らなければ登れなくなってしまった。

 辛いけど雪が吹き付けるブナ林が好き。このブナ林は絵になる。3時間余歩き放しで山頂に着いたが、シェルターを造らなくては、 食事も出来ない。背丈以上掘ったが風が伴えばタープ張りが覚束ない。きれいに張れなかったが、風雪を凌ぐには充分である。 シェルター回りを、スノーシューを外して歩くと腰まで沈んでしまった。

 雪が降った後に晴れてのラッセルは最高である。止められなくなる。しかし、降雪時は本当の雪山。今までは、日程を決めたら必ず出掛けたものである。 タープを張れば、また、いろいろな斜面を利用して横穴でも寒さを凌ぐ事が出来る。  1月2月は、カンジキやスノーシューを使うが、アイゼンを使う山など行けないものだった。カンジキ・スノーシューで浮力を求めるのであるが、 アイゼンは、完全な滑り止めである。(高い山へ行かないとその効果はないから)最も、カンジキ・スノーシューも、滑り止め機能が備わっているが、 この頃は、多くの方々が登られるからかもしれないが、チェーンアイゼンが必須アイテムのようである。だって、 踏み固められたトレースを歩くには、その方が良いからかもしれない。遊び方も変わっていくのかな?

 今一つ、高落場山を高落葉山と記する方が意外と多い。標柱にも一箇所ある。私達は、ずっと前から、高落場山と聞いている。でも、変わったのかな?



1/9 「今日は簡単なところ、そして、午前中が勝負。」と、言っていたのに、「山ノ神」は起きて来ない。 「疲れた!」である。それはそれで、良いのであるが、昨晩の内に言って欲しい。

 「剱岳を拝めるかもしれない。」「誰かに会えるかもしれない。」そんな思いを込めての千石城山であった。 管理棟のちょっと上まで車を入れ林道歩きとした。固まった雪と、その雪が切れている所があったが、スノーシューを担いでいるのが 重く感じ、早々に履く事にした。以後雪を拾っての登高となる。

 マキちゃん達がやって来るというLINEが入った。(土井夫妻と池田氏のパーティー)せっかくなので待つ事にした。 新年の挨拶をしなければならないからであった。それなのに、ぜんざいや工夫をこらしたお菓子に、極めつけは土井コーヒーである。 有り難い事である。hitomi女史も単独でやって来て俄然賑やかになった。

 土井ダンナは、風除けに大きなテントを設営して下さったのであるが、私は他の事が忙しく入る事が出来なかった。 山を知り尽くした熟女3人とも仲良くなった。(あっ、写真がない。あちら様のカメラだった。)  yacch氏とB氏とも顔を合わせた。山を降りてから雨となった。後続の方々は、冷たい雨に遭われたかもしれない。



1/8 娘を職場に送り届けてからのスタートとなったが、意外と早く国少の家に着く事が出来た。そして、お天気が予想以上に良くなる傾向に、 トレースがバッチリあり、今日は、「山ノ神」一緒でも山頂への期待が高まっていた。

 しかし、時間が経つに連れて、「山ノ神」の疲労が蓄積し、積雪の少ない分ブッシュにも体力が失われていった模様であった。  山頂へは無理と判断した⑥番の標識のあるブナ林で、簡単なシェルターを掘った。そこへ、今日初めて出会う山びと「かずのり氏」が通過。 残念そうな顔をしている私に、「山ノ神」が1時間の猶予を与えてくれた。

 先行していた「かずのり氏」に追い付けるはずもなかったが、ガスが掛かり何も見えない山頂で ” 記念写真 ”を撮ってもらった。 そして、「山ノ神」からもらった時間より早く⑥番に戻る事が出来、同氏と一緒にコーヒーを頂いた。

 今日は、日曜日なのに、出会ったのは、先の「かずのり氏」だけであった。彼が特急電車なら、私達は各駅停車の電車みたいなもの。 しかし、9時間を要したものの、私達独特の長い間山と親しんだ事になった。



1/7 雪が降らない。ちょっとでも高いところに行こうと思って、明日は大辻山。でも、その先に寄り道をしなければならず、唯でさえ、 山頂まで行けるか分からないのに、スタートが遅れては、またも奥長尾山で終了かもしれない。でも、その意欲と行程を大事にしたい。



1/6 私は今日から仕事。5日間低山ばかりであったけれど、充分過ぎるくらい遊んだ。お正月休みとは別に、週休3日を取り入れたため、 明日、仕事を熟せば、また3連休である。次からは少し高度を上げたい。特別な事をしなくても、山と親しむだけで良いのである。

 食べ過ぎるから、また飲み過ぎるから、どうしても休日は身体を動かさないと、可笑しくなるような気がするから尚更のように山に行きたい。 それにしても、平場に雪が積もらない。大雪の予報は、どうなってしまったのだろうか?



1/5 「山ノ神」は起きて来なかった。声を掛けたが起きて来なかった。2度目は、「疲れている。足が痛い!」であった。 「行かないのか?」と問うと、「行かない・」となった。「行かないのなら、初めから言ってくれよ!」愚痴が出てしまった。 いざ出発しようと思ったら、「やっぱり行くという。」「身体をイジメなくては・・」と、何処かで聞いたような台詞である。 遅くなってしまったから、またまた八乙女山になってしまったが、私は山であれば何処でもいい。

 相変わらず平場には雪がない。今朝も、車のフロントガラスと屋根を白くする程度であった。砺波平野にもないのであるから、 今年は、どうしたのだと言いたいくらいであったが、閑乗寺公園に行ったら雪量が違った。展望駐車場には30~40cmくらいの積雪があるのだから・・・

 初めからスノーシューを履いた。ちょっぴり少ない所もあるが快適に歩けた。八乙女山を庭のように歩いておられる 高木氏の後を追った形になったが、樹木の雪を落としたりして楽しみながら歩いた。大平展望台で同氏と出会い新年の挨拶をした。

 最近、「山ノ神」が高所でするキャンプがダメになって来ているので、八乙女山もその候補にあげている。荷を担げないなら、2往復すればいいからである。  それほど譲歩しているのに、三角点・最高点への周遊を拒否するのだから、最早そのような事に興味がなくなって来ているのかもしれない。

 今日は、富山からやって来ていた若い夫婦に、スノーシューを履いてもらったり余計な事をしたかもしれない。 いつも言うように、「若いって、素晴らしいと思う。」山をもっと好きになって欲しいとの思いもあった。またお会いしましょう。



1/4 結局、小佐波御前山になってしまった。平場では、雪が積もらない日々が続いているが、山(小佐波御前山)では、 一昨日に比べて、かなりの雪量となっていた。御前山を過ぎた頃には、70~80cm、ところによっては、100cmはあるのではと思われた。

 「山ノ神」と二人の時は、とにかくゆっくり、そして怒らせない事が全てである。「今日は頑張っているな!」とか、 「慌てないくともよい。」「好きな所で休んでよい。」なのである。来月で70歳になるのであるから、大事に扱わなくてはならない。 それこそ、壊れたら大変である。我が家が機能不全になるのがあきらかである。 それと、もう一つ、二人で150歳まで頑張ってもらいたいのである。

 小佐波御前小屋は寒かった。暖かい ”きしめん ”を食べても震えていた。コーヒーも、すぐ冷めてしまった。でも1時間半ほどいた事になる。 スノーシューの降りは大好きである。すぐに「山ノ神」と離れてしまう。もうしばらく大事に扱わなくては・・・(笑)

 

1/3 昨夜、「山ノ神」から、「今年から休みを増やすのだから、ちょっとくらい息子と付き合え。」と言われてしまった。 0時55分の電車である。何処か歩いて来なくては、死んでしまいそうなので、「8時半くらいまで戻れば良いだろう。」 と二上山を歩いて来ようと思った。

 今朝の雪質は硬く、歩きにくかった。時間に制限があるといっても、ゆっくり歩けばいい。ゆっくり歩くと、漱石の草枕の序文が脳裏に霞む。 今や、「とかくこの世は住みにくい。」などとは思わず、何も失うものはないとなってからは、意外と考えが楽になった。

 目標はあってもいい。叶わなければ、数値を下げるか、諦めればいいだけの事。私は、若い時の恋心と同じで、ずっと思い続けるタイプ。  そして、それはそれで、好き嫌いは仕方がないにしても、皆仲良くしておれば、世の中は俄然面白くなる。相手様を褒めて、自分の自慢をしなければ もうそれで上手くいく。しかし、夫婦だけはその通りにいかない。先の通りにやれば良いのだが、何回もやり直しが利くだけに、甘えるのかもしれない。

 いずれ二上山にお世話にならなくてはいけなくなるのは間違いないのであるが、それも、元気でなければ、それも叶うまい。 今日は、「山ノ神」のいう事を聞いて、正解だったかもしれない。多くも喋れなかったが、今までに無かった共通の時間をもった事が大きいかもしれない。 140歳までとホラを吹いているが、後何回しか会えなくなるのだから、大事な時間だったのかもしれない。



1/2 「山ノ神」は、恒例の箱根駅伝鑑賞でお休み。予報は良くないが、私は歩かなくてはいけない。(笑) 昨日は、八乙女山だったから、 今日は小佐波御前山しかない。八乙女山では、ちょっとルートを間違った事もあったが、結構な雪量があった。 そんな事もあり、昨夜来の雨は、高所では雪だったと私は思いスノーシューを担いだ。

 御前山を過ぎると雪量が増えた。スノーシューの出番であった。先行するつぼ足の成年に追い着いた。 あらちゃんを知っているという熟女も加わり即席3パーティとなる。木々に着いた雪を払いながらではあったが、 ペースは速かった。振り返ると、ピッタリなのだから何をか言わんやである。 小佐波御前小屋で、少々休憩をし、また3人一緒に下山した。



1/1 元日山行は今年も八乙女山。予報は良くなかったのですが、山中は降らなかった。車中の行き帰りは雨。 結果的には、ほどほど雪量があって快適な山行となった。

 今日は、久しぶりに周さんとの山行が実現。復帰となったと確信している。また、東屋で棚田夫妻と合流。 お正月から楽しい一日を送る事が出来てハッピーであった。

 夕方から、娘家族に大阪の長男を交えて歓談となり、楽しく飲む事が出来た。この調子で、この一年が過ごせたらと思うのであるが、 世の中は、そう上手くはいかないだろう。でも私は、自分の思いを貫きたい。「人生万歳!」