9/30 明日(今晩)から東北遠征と決め込んでいたが、あまり予報が良くない。そして、今も雨になっている。ここ15年程は、盆休を中心にして、北アの山に行かなければ、 東北の山々に出掛けていた。「山ノ神」は、青森までと言うが、実に遠い。4~5日間休むのならと良いけれど、今回は東北でも南部にして欲しいと言い続けてきた。

 お天気次第では、山に登らなくて観光でも良いと思うくらいである。だんだんと夜の運転、また雨の中の運転がイヤになって来ている。「まあ~行ってみてから・・」になるが、 磐梯山(4回目)だけでも良いのではと思っているくらい。さてどうなるか行ってみます。



9/29 私が山に登り始めたのは、16歳(高1)の秋分の日だったと記憶している。それから、満60年になる。野球を挫折した事もあり、夏休みにアルバイトをして、そのお金で友達と上高地に出掛けた。 河童橋付近の西糸屋に泊まった。(昭和38年8月)その印象がステキで、中学時代に立山縦走時(2泊3日を2回経験)を思い出したのか、山岳部の門を叩いた。 (上高地に4人で出掛けたが、私以外他界してしまっている。)

 高校時代は、多い時は一ヶ月に3回くらいテントを担いで医王山に出掛けたものであった。クラブでは、今では考えられない合宿があった。剱沢での合宿である。 八ツ峰縦走をはじめ、源次郎尾根・平蔵谷・長次郎谷に出掛けた。ハーネスや8環・下降器などはなかった時代だ。そして、二股・池の平・阿曽原と優雅な?キャンプを繰り返し 宇奈月に出た。

 社会に出てからの2年ほどは、夏に1週間程度の山行を許してもらっていたが、だんだんと遊んでおられなくなり、年に数回しか山に出掛けなかったような気がする。 多くて10回くらいだったろうか? 30歳くらいにスキーを始めるまで、雪の山には縁がなかったくらいであった。その10年くらい経ったくらいか、ゲレンデ遊びから、 雪の山を歩くようになった気がする。(その頃の記録はない。)

 HPをはじめて23年半が経つ。その前から雪山に出掛けるようになっているのは確か。年間の山行回数が50回を超えるようになったのは、HPをやり始めた頃からのようである。 60~70回くらいで推移していたが、100回を超えるようになったのは、令和に入ってからである。休日を増やしたからである。ずっと、山と関わって来たことも有り 山ナシの生活は考えられない。しかし、老いていかなければならず、困ったもんだと嘆いている。でも頑張るしか無い。



9/28 白山の時からスマホの調子が悪かった。家に帰ったらPCがどうも可笑しい。そして私もであった。故障・劣化・老化などイヤな文言が浮かんで来る。 それでも、意欲は衰えない。(意欲が衰えたら終わりだと思っているから・・) 口では、「あそこへは行けない。」「あんなところは怖くて行けない。」 などと、言っていても、それでも頑張れば行けるのではないかと、そのタイミングを狙っているのも確か。

 山用具も劣化し綻びが生じる。「備えあれば憂いなし」なのであるが、直前でなければ分からない時が多い。点検を先延ばしにするからであろう。 山行中痛い目に遭ったら辛いのは自分である。かと言って、予備品を、また予備の予備を持ち歩くのも如何なものかになってしまう。

 しかし、誰もいない雪山で、そのような目に遭うのは、死に直面しなくても、面白くないのは事実である。あの絶景を眺めるには、それなりの準備と 何度となく足を運ばなくてはなかなかお目にかかれない。幸運にも、そのようなラッキーとなった場合、それよりも上を望む事もあろうし、 危機意識の欠落に陥る事があるから注意をせねばなるまい。



9/27 何だか疲れた。こんな事あまりなかったのですが、先の3日間は、ちょっとキツ過ぎたのかもしれない。白山・負釣山・八乙女山と、宴会を含め夜遅くまで飲んだからと、 理由がはっきりしておれば、それがなくなれば、また元に戻るハズである。しかし、日にちが過ぎても元に戻らなければ、何処かが悪いのか、それとも一番イヤな言い方になるが、 歳を取ったからになる。

 10/1から、恒例の東北山旅を約束(3日間)をしているのであるが、士気が上がらない。最も行き先も定めていないし、本当に行けるのかと思ってしまう。 「山ノ神」にしてみれば、何処でも良いらしく、登山ナシなら尚更良いと言うに決まっている。でも、運転が付いてまわるから、夜行運転になると尚更疲れる。

 私は、3日間あれば、何処でもいいからテン泊が良い。雷鳥沢なら尚更いいになる。「ダメだろうな!」きっと、尻を叩かれ「行くよ!行くよ」と言われるに決まっている。 そして、行き先も私任せ。だけなら良いのであるが、文句は言うのであるからたまらない。安上げるために車中泊だよね・・・トホトホ



9/26 今日は、何もかも「山ノ神」にお任せだった。午前8時に「道の駅庄川」で、一休さんと待ち合わせで「牛岳」と言う。その待ち合わせ場所に着いた頃は、 小雨模様であった。「やっぱり屋根のある所が良いね!」となり、八乙女山に変更となった。我々は、おかしなもので、いつもの通り展望駐車場でコーヒタイムは欠かせない。

 一休さんとは、そんな長いお付き合いではないが、このところ、かなりの確率で八乙女山でお目に掛かるようになっている。何処か違った山にとの思いはあってもなかなかである。 でも、これだけ頻繁に出会うと(今回は話し合いらしい。)、だんだんと楽しくなって来る。今日は、「山ノ神」は、東屋まで。私と一休さんは山頂周回コースに・・・

 途中、金沢から来られたという川崎夫妻に出会う。「八乙女が良い!」との情報でやって来られたらしいが、私から見ると、植物の学者のような方であった。 虫眼鏡のようなもので、葉や茎を覗き込んでおられる姿に、「今は、ないけれど・・」と天池行きを勧めた。下山時の駐車場で再びお会いした時は大いに喜ばれていた。  東屋前の白い菊は、「ユウガぎく」ではないか?と言われたが、「そうですか・・」としか答えられなかった。



9/25 今日は、昨日、白山に一緒して頂いたまりちゃんと、「山ノ神」とで負釣山に出掛けました。昨日の休業(休養)が、奏功したのか、「山ノ神」は元気でした。 それに引き換え、私は昨日の疲れが残り、ヒーヒー状態でした。でも、山頂では、負釣山22回目の中で、一番ではないかと思う程の好天・絶景に恵まれました。ステキでした。

 まりちゃんには、2日間も遊んで頂き感謝です。遊び足らないわけでもないのに、今夕は、飲み会(鮎を食べる会?)のスケジュールとなっており、またまた出掛けました。 2日感、早朝から夜遅くまで本当によく遊びました。(明日も休日)「働いて遊ぶ。」これが元気の源のような気がします。また、2日間スマホの調子が悪く、投稿や連絡、 そして、写真の送付など遅れてしまいました。でも、何とか持ち堪えられる程に回復して来ました。



9/24 まりちゃんとなみさんと3人で白山に行ってきました。元気な女性の中に、私が入って良いのかと思ったのですが、 それなりに歩けたし、楽しい思いをさせて頂きました。山頂を踏んだ後、お池巡りをしたのですが、福井から来られているベテランさんに、 今しかないと翠ケ池湖畔まで誘導して頂き、ステキな光景を目の当たりにする幸運にめぐり会いました。

 その湖畔で昼食となり、合鴨料理に舌鼓となりました。また、日頃食べられないシャインマスカット頂き、あっという間の1時間でした。 その時気付いたのですが、室堂でのコーヒタイム中に、バーナー・ガス・受皿を忘れて来たのでした。室堂センターに問い合わせると、 そのままの状態で保管されているという、これまた幸運に恵まれました。世の中、悪い人達などいない気がしました。 そして、下山中、ナオさんとあけきちさんにお会いする ” おまけ ” が付きました。メチャメチャ賑やかになった。たくさん喋った。楽しかった!



9/23 明日の予報は晴れだというのに、朝からお天気が良くなく、曇りがちで小雨が降り、大丈夫なのかとヤキモキしている。 夕方前から、ようやく、雲間から陽がこぼれ出して、ホッとしているが、なってみなければ分からない。その明日は、白山に行く事になっている。 6月7月に次いで、今年3回目になるが、今度は違ったメンバーとなる。

 今日は、びっくりするほどの客人の来訪があった。文夫さんとさちさんである。暫しの間だったけど、楽しい山の話が出来た。 お土産として、たくさんの舞茸を頂いた。素晴らしいプレゼントである。そして、今秋、人形山へ行こうと盛り上がった。



9/22 暑かった夏が、ようやく終わろうとしている。「寒くなるのだろうか?」と思ったくらいだったのに、やっぱり時期がくれば、少々遅いかもしれないが、 秋の気配を感じるようになって来ている。今朝の我が店先の朝顔の咲き具合は10輪。数が少なくなり、何処となく元気がなくなってきている。

この事からも秋を伺えるのである。「秋の山は何処へ行こうか?」「紅葉は何処がいいかな?」などと、幾つになっても踊る心を抑えきれないでいる。 「だから元気なんだ!」なんだと、勝手に思っているが、意欲を失わないのは大事なことなのである。元気でいると、 若い人達も遊んでくれるという ” おまけ ” が付いて来る。



9/21 何処からとなく山の便りがやって来る。私が山の話題だと喜ぶだろうと、思うのもあると思うし、山の事故が報道される毎に、心配してくださるのもある。 もちろん、YAMAP繋がりや、HPを通じてのメッセージやコメントもある。技量がある無いに関わらず、山一辺倒の生活をしているような自分だけに、それはそれは嬉しいのである。

 今年も、週3日間の休日を全て山に入り浸っている。それが良いか悪いかでなく、好きか嫌いなだけで、思った通りにしているだけである。そうなれば、「山ノ神」も、 仕方がないという事もあろうが、自分の行ける所には(「山ノ神」の行けるところ)、付き合ってもらえるのだから有り難い。私の力量が落ちていくだけだから、 「山ノ神」が、今の力に留まっていてくれたら、かなりの機会を一緒出来るように思うのだが・・・  果たして!

 山には凄い方がたくさんおられる。足元にも及ばない人達がである。でも、私は、高1から60年である。(その先、中2・中3の間に、2泊3日の立山登山を2回行っている。  それらは、弥陀ヶ原までしか、バスが行っていなかったように思う。) この先ずっと、元気に低山であろうが、歩き続けたいと思っているから、ひとりでに楽しくなってくる。 幸いな事に仕事も出来ている。でも、何もかもが山中心なのであるから、他の人達からみれば、おかしなヤツ、おかしな夫婦にしか見えないだろう。



9/20 最近知り合った山友達は、剱岳や槍・穂高にご執心。そして、その活動が凄い。今となっては、指を加えて、眺める・聞くしかないのであるが、 何故か自分が登っているかのように思えて、羨ましいとは思っても悔しいとは思わない。それは歳取った証拠なのであろうが、それはそれで良い。

 私は、低山歩きに徹しても良いと思っているし、岩や沢には、もう怖さが先に出て執着はない。でも、時折は、背伸びして高山に足を運びたいと思っている。 まだ大丈夫なのであるが、それを貫けば、「山ノ神」との山行機会をかなり失い、きっとギクシャクした毎日を送らなければならなくなるのが必死と思っている。

 山登りは、自己満足の世界である。「この山に登った。」「それがどうした!」なのである。やはり共通の思い出や山友が必要となってくる。 いつまでも語り継がれるのであるから・・・ 長く登る。何回も登る。いろいろな方と登る。そして、相手方の話を聞く。これが財産になる事は間違いない。



9/19 夜明け前から起きて、砺波平野を眺めながらコーヒーを入れた。展望駐車場の小さな東屋のベンチに2時間も座っていたような気がする。 空は少し赤くなったが、期待する程のものではなかった。遅々に起きてきた「山ノ神」と朝食を済ませ、さて、どうするかになったが、 二人共ハードな歩きをしようとは思わなかったので、またまた大好きなブナの高落場山へと向かった。

 高落場山は一年中登れる山だし、ブナ林が大好きである。何だか癒やされるからでもある。今ひとつ、49回の人形山を追い抜こうとして48回目となった。 最も、城端で所用をこなしたい思いもあったのであるが、今春、前歯3本いっぺんに失い入歯となっているのであるが、それが食事中に折れてしまったのである。 これは大変である。所用も大事であるが、今日中に修理出来ないと、明日の仕事中に出掛けなければならなくなり、そそくさと下山になってしまった。



9/18 朝方の高岡はスコールのような強い雨が降った。「雨でも行く。」がスタイルであるから、行かない事はないにしても、出足をくじかれた感があった。 明日のお天気もわからないし、「降ったら降ったでまた考えればいい。」くらいのつもりで八乙女山に出掛けた。スタートはお昼を回っていたが、「南砺は降らなかったのか?」 と泥濘んだ所もなかった。

 昨日の今日でもあるし、ゆっくり歩るいても、山は山なのである。唯、山の空気を吸えばそれでいい。「妙薬は山の空気」なのである。そんなのに、何年かぶりに、山中でビールを飲んだ。 「山ノ神」は、当たり前の行為なのであるが、1本も飲むとフワフワとしてしまった。やっぱり泊まる泊まらないにしても、行動終了してから飲むのが私には良いようである。

 最も、「今日は泊まろうか!」と布団など、一応の準備はしてきていた。もちろんアルコールもである。降っても降らなくとも泊まるつもりであった。トイレと水があれば問題なし。 でも、持参して来たものを全部やつけてしまう悪いクセがある。不意の客人の物まで準備するから、どうしても食材やアルコール類は多くなる。陣中見舞いに、マダオ氏がやって来てくださった。 一緒に飲めなかったが嬉しかった。車中泊であったが随分と涼しかった。



9/17 20歳も若い強者のI君に、猫又山には、この状態では迷惑を掛けるからと、恐縮しながらしかも、残念な気持ちを伝えてキャンセルの連絡をした。 そして、歩けるところで、慣らし運転をしてみたいとも伝えておいた。行く先は大辻山。「山ノ神」が選んでくれたのは、いつもの鳥越峠ではなく、⑨番の林道から。

 やっぱり始めは調子が上がらなかった。「山ノ神」がスイスイ行くのだから・・・。でも、30分も歩くと、自分のペースで行けるような感じになった。 私を労るかのように思えた「山ノ神」ではあるが、「例の山ノ神の荷」に、「山ノ神も椅子」、そして、3Lの水を担がせるのであるから、 本当の労りなのか疑わしいものであった。しかし、歩けたのであるから、何を置いても喜ばなくてはいけなかった。

 山頂では、僅かな時間であったが、剱岳を含む素晴らしい展望を楽しめた。また、ステキな富山のファミリー、そして、数年前、 中山でお目に掛かったというT父娘さんとお友達パーティーと楽しい会話が出来た。山は実に楽しい。明日は、猫又山を逃したが、まだまだ山はたくさんあるし、 元気ならば時間もある。



9/16 起床後、何だか気持ちが悪かった。朝食も食べれなかった。二日酔いでもないし熱もない。だけど何もやる気が起こらない状態であった。 別にお腹を壊しているわけでもなかったが、お昼にお粥を作ってもらった。それは美味しく食べる事が出来、復活したように思うが、好きなコーヒーには手が伸びなかった。

 明後日に、ブナクラの話があり、乗っからせてもらうつもりであるが、この体力・気力で、大丈夫なのだろうか、まだ自信が湧いてこない。 とりあえず、明日は試運転のような感じで、どれだけ歩けるのか試す事になる。何処へ行こうか?



9/15 今夕のローカルニュースで、立山・室堂平の紅葉が見頃だと報じた。「えぇ~、」と思ったが、例年の事を思えば、もう9月も中旬、 高所では、色付くのは当然なのかもしれない。どのような事でも、早い・遅いは、終わってみれば、一週間程度である。

 今夏の暑さが異常だっただけに、この先、急激に冷えれば、見事な紅葉が期待出来るかもしれないが、葉が色付く前に枯れてしまえば、 残念な結果になるかもしれない。しかし、山登る者として、高山に限らず低山にも期待を持って臨んでみたいと思っている。



9/14 当欄は、山のHPで有り、情報を発信するのが目的であった。しかし、歳月が流れ私も歳を取り、必ずしも、その意図を成し遂げる事が出来なくなっている。 でも、私の日記であり、欠落した日々の事を蘇らせる効果がある。そのような日記を、公開するのは如何なものかとなるのであろうが、それでも、オールドファンが存在していて、 私を勇気付けてくれるのである。

 人様のイヤな事をしたり言ったりしなければ、大概、世を渡っていける、そして、人様を褒めて自分が自慢さえしなければ、尚更OKなのであるが、 出来そうで出来ないのである。人様の話を聴き、聞き上手になれば完璧であろうが、なかなか出来ない。だから、何事においても修行が続く。 そんなわけで、なかなか逝く事は出来ない。「忍耐は苦い、しかし、その実は甘い。」何処かで聞いたような気がする。



9/13 不都合不具合という事がある。そして、なかなか自分の思い通りにならないものである。そんな中、体調や家庭環境、経済的に、まあまあの時がある。 人によって違うのだろうが、僅かな時間・年数がある。過ぎてしまってから気付く事が殆どで後悔する事が多い。

 体調でも個人差が有り、必ずしも絶好調ともいかない。それよりも家族が健康かどうかになる。それによって、なかなか時間が作れないから。 経済的も大事であるが、身体さえ元気であれば何とかなるような気がする。しかし、精神的にどうかとなる。何を言いたいのか分からない酔っ払いであるが、 モチベーションの高低しかない。そして、前向きは、意欲を落とさない事に尽きるような気がする。



9/12 また八乙女山。山中では降らなかったけど、予報が怪しかったから仕方がないところ。駐車場で、一休さんと高木氏と一緒になった。 まずは、閑乗寺公園と砺波平野を眺めながらコーヒータイム。のち歩き始めたのであるが、高木氏のお花の講義を受けながらになった。

 それも八乙女山に来る一つの楽しみ?である。その高木氏と山頂(最高点)でお別れし、後は、一休さんと楽しんだ。「山ノ神」の指導?の元に、 もう一つの東屋で食事、前八乙女山に行ったり、最後は長い林道歩きまで。でも、降らなかった。降ったのは、下山後の所用をしている時のスコールのような雨。



9/11 今日も金剛堂山に出向いた。雨の心配もあったが、月2回ペースで行かないと、来年2月まで100回は難しいのである。 このあと雨が降る機会が多くなると思われるし、12月が一番の難関である。陽が短い上に中途半端な雪が予想されるから。 今のうちなのであるが、毎週行くのも結構つらいのです。

 今日も先週も、いつも泥濘んでいるところが、カラカラ状態だった。南砺の山も降っていないのだと改めて思った。 今日は、「山ノ神」が所用があったし、お天気具合の心配もあったから、単独で行ってきたのですが、本当は修行でなく楽しく行きたいのが本当のところなのです。



9/10 結果的に「山ノ神」と一緒に僧ヶ岳に出掛けた。烏帽子口からである。僧ヶ岳や駒ヶ岳に近距離だからであろか、結構車が止まっていた。 心配した登山道も歩き難い事もなく、「山ノ神」としては、まずまずの歩きが出来たように思えた。山頂に達した頃から視界がなくなってしまったものの、 その後、降った雨も大した事なく、満足のいく山行となったと思っている。

 今日は、「ちびっこ」さんとすれ違い様に声を掛けてもらったが分からなかった。昨年11月千石城山でお会いしたと言われたが、名も名乗られなかった。 山頂で、我がHPとYAMAPで調べたら、「ちびっこ」さんであった。 ” たくさん喋った。 ” とあった。大変失礼な事をしてしまった。 歩きはまだまだと思っていても、お顔をなかなか思い出せないのは、やっぱりボケの始まりかもしれないネ!



9/9 明日は何処へ行こうか?誰かと約束しない限り、直前まで悩むし決まらない。僧ヶ岳はどうかと思っているが、明朝になってみなければ分からない。 (駒ヶ岳など、とんでもない話である。)我が家で一番偉い人は「山ノ神」である。それを蔑ろにするわけにはいかない。しかし、自由にならないなどと、 嘆く事は慎まなければいけない。もし、「山ノ神」が、臥せっていたならば、自由になりそうで、そうはいかないものである。

 そんな私に、「◯◯山に行く時は誘ってください。」とか、「連絡してください。」を、何人かの人から伺っているのであるが、 直前に行き先が決まるようでは、お知らせする間がない。本当に申し訳ないと思っています。でも、こんな高齢者と一緒しようとは、社交辞令なのかもしれないが、 でも、嬉しい話である。元気なら、まだまだ一緒する機会があると、勝手に思っている。



9/8 この2日間、BSで「劔の大滝」を見た。唯凄いと思った。同スタッフ達は、昨秋も登っていたように思うが(撮影していたように思うが・・) 過去に、この領域に入った人は28人しかいないそうだ。あの技術・装備など、全く届かぬ人達だと思うしかない。しかし、映像で楽しませてくれる勇者達なのである。

 私は、この方達のレベルと全く違う(この方達から見ればハイカーかもしれない。)八ツ峰のフェイスを攀じ登ったわけでもないし、その稜線を歩いただけである。 しかし、山に入って、まだ時間が経たないのに、5・6コルからどうして登るかとか、8峰から池谷乗越にどうして降りるかと悩んだものだ。 また、源次郎尾根の懸垂箇所では、ハーネスもカナビラもなく、ザイルだけを身体に巻いて降りたのである。(時代を感じます。)

 そんな時代だったから(60年前)、登山口は何処にあるのかから始まっている。装備も重い・大きい・長いなどと、今の物と比べれば雲泥の差を感じる。 でも楽しかった。お金がなくとも、交通手段がなくとも人情があった。いろいろな方に助けてもらった。元気でいて、たくさん恩返しをしたいものである。



9/7 体力維持に必死。今の私の現状である。今夏の暑さに負けたのか、それとも重ねる年齢に仕方がないのか分からないが、 短時間(5~10分)のトレーニングをサボり続けた感じである。ここ2~3日の涼しさに誘われて、 自分の棲家(2階)に戻りつつ、ちょっぴりであるが、トレーニングを開始に及んだ。しかし、なかなか元には戻らない。 でも、ここでくじけたら、何にもならない。頑張るだけである。

 歳の差の一つ二つなど、若い人達からみれば、同じようなもので、同級生などと、数ヶ月違う(若いとか老けているとか・・)と言い合っていたのも可笑しいと思っていた。 ところが、この先の2年3年、あるいは数ヶ月先を思うと、必ずしも自信がなくなって来る。「何を言っているんだ!」と言い切れる体力・気力がなければ始まらない。 いつも言い続けている意欲であろう。低下は避けられないかもしれないが、何とか上向き思考でいかないと面白くもない。何せ140歳までなのだから・・・



9/6 昨日も今日もスコールのような雨。少し気温が下がったようですが、これが、この先続くのでしょうかね? 「疲れが取れない内に、また休日がやって来る。」は、「山ノ神」の本当の気持ちかもしれない。低山であったけれど、 3日間歩いたのだから、また、あの足取りからして、相当の疲れが溜まっていても可笑しくないはず。

 次週3連休は、後々の事も考え、「山ノ神」の希望を叶えてやろうかと思っていたのに、真ん中の日(月曜の午後)に、歯医者の予約を入れてしまったようだ。 そうなると、その月曜日に、月2回計画の「金剛堂山に行って来たら・・」と「山ノ神」が言う。午後2時半くらいまで戻ればいいのだが、 そうなると、楽しみでなく仕事のようになってしまう。しかし、日頃から仕事は趣味。山は仕事と言って来ているから、そのようになってしまうのかも。



9/5 予報は、県内、何処も大なり小なりの雨の予報であった。僧ヶ岳も候補の一座であったが、無理する事はないと小佐波御前山にした。 「山ノ神」階段では全くピッチが上がらない。それでも山頂小屋までやって来られた。今でも降るのではないかの予報であったが、 下山時に小雨に見舞われたくらいで大して濡れなかった。車に乗ってからの方が大雨となった。



9/4 ハゲ山でキノコの信ちゃんと会った。昨年の中山以来2度目であるが、何年来の友人のようにお話出来た。 ハゲ山山頂から、大岩駐車場まで、ずっと喋り通しだった。その間「山ノ神」も喋りに加わり、楽しい一日となったのです。



9/3 92回目の金剛堂山は「山ノ神」も一緒。なかなかピッチは上がらなかったけれど、少しだけ、はみ出た雑草や小枝の除去に 精出した。素人だから、上手い具合にならなかったと思うが、そして、それもほんの少しだけだった。だけど皆が少しずつでも、 そのような行為(作業)をやれば、きっとステキな山が、もっとステキになると思うのであるが、如何に?



9/2 この3日間で、どうしても金剛堂山に登っておきたい。そして、出来るなら、この9月に、もう一度登りたいという願望を持っている。 自分で来年の2月で100回という目標を立てただけに、何としてもという気持ちがある。

 明日でも明後日でも良いのだが、金剛堂山に登りたいと言ったら、「山ノ神」が素直に応じてくれた。 「山ノ神」と一緒なら、どれだけ時間が掛かっても良いのだからゆっくり歩ける。最近は午後からお天気が崩れるケースが多い。 「早く行こう。」と言うと、「山ノ神」の返事が鈍い。でも、確約をえたのであるから、今晩は、ゆっくり休む事が出来る。



9/1 今日は、防災の日。そして、八尾おわらの初日。なのに映画鑑賞に連れ出された。行きたくないと言っていたのだけれど、 チケットまで用意されていては、行かないわけにいかなかった。その先に食事なんて私の苦手な事ばかり。 きっと、サユリストの私を知っての事だったのだろうが、「こんにちは、母さん」であった。