11/30 今日は、叩きつけるようなアラレが随分長く降った。すぐに、山は、どうなんだろうと思ってしまう。 冬の大方の準備は出来ているつもりなんだけれど、この頃は、ちょっと抜けているところがあり、念には念を入れなければならない。 それよりも、「果たしてと・・・」体力の事が心配になって来る。

 だから、元気な人・速過ぎる人には、「一緒出来ないかもしれないから・・」と釘を指しておかなければならない。 それでも、私の行きたい山はいっしょ。私のペースで登りたい。美味しい物を食べて、コーヒーを飲みながらである。 「意欲はある。」まだまだ頑張り通したい。



11/29 今年も残すところ、あと一ヶ月となった。例年の事であるが、「この一年、何をしていたのだろうか?」となる。 私の好きな山の事になると、行けなかった山があるものの、大方思い通りに行けたのではなかろうか?蝶ヶ岳に、 また燕岳にも行けなかったなどと言うのは欲の他ないね!

 近間の低山行きが多いけれど、今月で、その回数は145回を数えている。このままで推移すれば、今年中に157回になる。 それは、相変わらず「休日は山に・・」を、貫いているからに違いないが、今年から火曜日を全休にしたのが功を奏している。 最も、まだ歩けるからであるが、多くの山仲間に気合を入れてもらっているのは見逃せない。

 世の中には凄い方がたくさんおられる。そんな方々を、目標にするなんておこがましいが、元気でさえおれば(元気で歩き通せれば)、 いつの間にか記録となっていくと思っている。危ない(難しい)事は、出来ないでも、山にはいろいろな楽しみ方があるというものです。



11/28 日曜日は、金剛堂山。月曜日は、鋲岳・烏帽子山と、両日ともお天気に恵まれた。3日目の今日は、一日中雨の予報で、八乙女山と決めていた。 雨でも山に行くのが、私達の習慣をなしている。しかし、近間の山だけに、そんなにも時間が掛からないので、良きタイミングを見計らっていた。 もちろん、下山後の予定も織り込んでの算段である。

 雨であっても、八乙女山に限らず、今年のどの山も、「泥濘んだところがない。」と言っても過言ではない。今日の八乙女山も、その限りではなかった。 それどころか、雨は降っても少雨。叩きつけるようなアラレがあったものの、身体を濡らす事はなかった。しかし、風は強かった。雷鳴も轟いていた。

 連日の疲れがあったかもしれないが、ゆっくり歩いた。もうこんな事が115回(八乙女山115回)も続いているのだから不思議である。東屋に着いてから、 私は、三角点と最高点まで歩いて来るのであるが、「山ノ神」は、余程でない限り歩かない。その間、泡のある冷たい物を頂いているのである。



11/27 鋲岳・烏帽子山。「山ノ神」の希望通り行く事にした。嘉例沢のPに着く前から雪が現れた。今日は、今シーズン初めてのスノーシューとしたが、 始めから履くのならいいのですが、担ぐとなると、カンジキの方が軽くて軍配が上がります。だから、早々に装着してしまいました。

 お天気が良く、僧ヶ岳・駒ヶ岳はもちろん、後立山連峰の鹿島槍ヶ岳から、地元朝日岳までスッキリと見えるのですから、本当に素晴らしかったです。 おまけに、私の大好きな初雪山が、その一番左端に小さく見えるのだからハッピーそのものでした。反対の富山湾や黒部の扇状地はもちろんです。

 つぼ足と思えるトレースはあるものの、ピッチは、なかなか上がりませんでした。もしかしたら、前衛峰(ニセ烏帽子)で終わりかもと勘ぐったのですが、 「山頂まで行く。」と言ってくれた「山ノ神」に今日は感謝でした。最も、「山ノ神」が言い出したのですから、止めるとは言えなかったのかもしれません。

 山頂到着が遅れた事もあったのですが、あまりにも目にする光景が素晴らしく長居してしまいました。「暗くならない内に車まで戻ろう。」を合言葉にしながらでしたが、 富山湾に沈む夕陽は素晴らしいものです。しかし、木々が邪魔して良いアングルの写真は撮る事が出来ません。大地の帰りに、「何度か鍋倉山で眺めたあの光景は良かったね!」と言いながら 何とか車に戻る事が出来たのでした。帰路の車中からの夜景は、おまけだったのかもしれません。



11/26 やっぱり、今月中に、もう一回金剛堂山に登っておきたいという気持ちが勝ってしまい「山ノ神」と決別。そして、単独行となってしまった。 溶けたかに思えた雪量であったが、直前の寒波の影響だろうが5日前より増えていた。そして、日曜日であり、お天気が良く結構の登山者があった。

 速い人には遠慮なく抜いてもらい自分の歩きに徹していた。それでも、何となく普通の歩きが出来るものである。山頂に着いた頃は、 風があり食事するには適しているとは思えなかった。大概の方々は、中金剛(最高点)を目指しておられたが、前金剛が山頂であり、中金剛への執着はなかった。

 それでも、簡単な食事をしたいし、コーヒーも飲みたかったので、大方の登山道から離れ、私の食事処としている場所でしばらく過ごした。今は雪庇が発達していないが、 テン泊の時も、雪洞を掘ったのもその場所である。

 「いい加減に帰る。」と言って家を出たからには、1時間余の休息は長かったかもしれなかったが、稜線に出た所で、またまた奇遇というのだろうか、澤田女史とバッタリ。 せっかくなのだからと、その場所に戻り、甘い物とコーヒーを頂いた。その後一緒に下山したのであるが、私の喋り過ぎであったようにも思われ反省している。 登山口で、再びコーヒータイムとしていたら、伝説の人「サブちゃん」が、アキちゃんと共に現れた。どうして、会わなかったのだろう?きっと隠れておられたのであろう?



11/25 朝方は、思ったより気温が高かったせいか、雪が舞う事もなかったが、逆に夜になってから冷え込んで来たように思う。 明日、八乙女山では、RYOさんとかずみさんの「富山百山」踏破のパーティーが模様される。たくさんの方々が、お祝いに駆け付けるようである。

 部外者(もしかしたら準会員なのかもしれない。)の私が、出向く程の事もなかろうから、何処か違った所で、違った雰囲気でお目に掛かれる事があれば、 質素かもしれないが、お祝いの言葉を贈れたらと思っている。

 明日。明後日の晴間を利用して、金剛堂山に行きたいと思っている。どちらの日になるか分からないが、あとは「山ノ神」次第である。 行く行かないであっても、おにぎりを作ってくれと頼んである。先週より雪量が多いかもしれないが、まだまだ歩き難い日が続きそうである。



11/24 スノーシューを買った。山には関係ないが冷凍庫を買った。だから、まだまだ働く。欲しいものは買う。行きたい所(山)へ行く。「意欲だけは失いたくない。」 意欲(やる気)が私の原動力。こんな私にも弱点がある。前歯(部分入歯)が2本脱落した。応急処置を受けてなんともないようになったが、、これから、ずっと悩まなければならないだろう。



11/23 このところ、「金剛堂山の100回目は一緒したい。」というメッセージを、LINEやYAMAPを通じてもらっている。私としては、多いと思っているから有り難い事である。 日本百名山や富山の百山などと比べるにも値しないのに、「勝手に私のファンだから・・」だと自惚れている。 それは、「休日は山に行く。」「歳を重ねている。」「雨でも山に行く。」「長い間山に関わっている。」のだから、労りや情けが、そのように思って頂いているのかもしれない。

 今年中に、あと2回行ければ、そのチャンスの可能性が増す。来週にも行かれれば、あとが楽になる。「山ノ神」は何と言うだろう。「このバカが・・」だろうか、「一人で行って来い。」か、 これからの行程に、ドラマが生まれるような気がしている。



11/22 昨日の金剛堂山での諍いは、いつもの事なので、何が何だか分からない内に終息の域に達している。「犬も食わない。」なのだろうが、 その状態では、家の中が上手く回らないし、損するだけと、お互い分かっているからかもしれない。

 今日もいい天気であった。この先が危ない。昨日の金剛堂山は、97回目となった。今年中に、あと2回登りたいと思っているが、 なかなかである。昨日は、お天気に恵まれたが、木々が倒れており、潜る・迂回などあった。また上部になると、雪量が増えて、カンジキやスノーシューがないと、かなり消耗してしまった。

 100回目の日にち(予定)を問われる事があるが、歳を重ねているからなりつつあるだけで、そんなに大した事ではないように思うようになった。 そのような回数は、目標としての励みになるだけで、大勢で祝ってもらう程の価値があるのだろうか?である。 でも、ずっと、歩くための希望の一区切りとしての見方があるかもしれない。 そっと少人数で、こっそり友情を温め合うで充分な気がする。



11/21 昨日のYAMAP(千石城山)でとLINEで、たくさんのお祝いのメッセージを頂いたのに、今日の金剛堂山半ばで、「山ノ神」が爆発してしまった。 途中で「ヤメタ!」であるから困ったもんだ!「そんなのなら始めから来るな!」と言ってしまったから、どうにもならなくなった。その伏線は起床時からあった可能性はあったのかもしれない。

 下山してからの所要、そして、起床時に敦賀の荻野氏からのメッセンジャーに、「金剛堂山にやって来る。」とあったからも作用していたのかもしれないし、 そして、行くのか、行かないんか分からない「山ノ神」の態度があったから。そんな事から、スタートがかなり遅れたのであるから・・

 利賀村百瀬の気温は-2℃。周りの樹木・落葉は真っ白であった。それでも、泥濘に比べたら、ちょっと滑りを気を付ければ歩きやすかった。「山ノ神」は、キョロキョロキノコがないかとか? 写真を撮り始めたのは、疲れて来ている事は分かっていた。時折、タイムの事を口にする私の発言が頭に来てしまったようであった。私は励ましを言っているのに、あちら様は嫌味に取るのだから どうしようもない。

 片折岳付近で突然ヤメタと言うのであるから、こちらも頭に来てしまった。「そんなのなら始めから来るな!」である。これを言ったらオシマイである事は分かっていたのであるが 出てしまった。それからは単独行になる。4キロ付近から、脛から膝まで沈んだ。スノーシューが欲しいくらいであったが、温かい日が2日も続けば、またかなり溶ける事だろう。

 山頂付近で、敦賀の荻野氏に追い付いた。久しぶりの再会であった。所用や「山ノ神」の事もあり、長居出来なかったが、短い時間であっても、その思いは充分に伝わったと思っている。 そして、あの大展望を見れたのであるから、何よりのプレゼントであったに違いない。下山時に、これまたびっくり佐渡氏にお会いしたのであった。



11/20 雨が上がるのを待っていたのですが、なかなか待てず(修行が足りない。)、歩き始めてしまいました。少しは待ったので、大降りではなく、 雨が降ったり止んだりを繰り返していました。10/10山仲間に、千石城山100回を祝ってもらってからであるから、やがて40日ぶりだった。

 特別冒険をする山でもなく、淡々と歩くのであるから、つまらないと思われがちであるが、歩ける喜びを噛み締めながら歩く境地に、だんだんと入り込んでいるようである。 100回登っても、全ての事を知り尽くしているわけでもないので、また新たな発見もある。展望が良くないにしても、「あの辺が・・」となるし、 時折、姿を現す山並みに、お~っ、と声が出てしまう。葉が落ちてしまい、雪も、まだなのであるが、誰も知らない自分だけの山路を歩いている心境になるのもいいものだ!



11/19 ひょんな事から、何年ぶりなるのだろうか?堀シェフと一緒する山行が企画された。そして、シェフの弟子のような若い3人(奈々さん・makoto君・kaiya君)が一緒するのだから興味深々。 そんなところに、「日曜日は何処に行くの?」と美香子さん。「こんな雨なのに・・」と言う「山ノ神」を合わせた総勢7人の南保富士山行となったのである。

 若い3人は、まだ登り始めて何ヶ月も経たないらしいが、堀シェフの料理に魅了されたのか、それとも本当に山の魔力に引き込まれたのか定かではないが、 若い人達が自然と関わってくれるのは実に嬉しい。美香子さんも、足の故障から脱出されたような雰囲気だったし、何よりも堀シェフの凄い料理に翻弄されたに違いない。

 おでん・ラザニア・ティラミスは、相変わらず美味しかった。「また一緒に・・」などと、言いたくなるくらいであった。若い人達は燃えていた。 雪山にも興味があるようだった。「行きたい・・」ちょと、色を付け世辞であったかもしれないが、胸にキュンと来たのである。(笑)



11/18 今日は寒かった。アラレかミゾレかワイパーに溜まっていた。風も強く身体が縮こまってしまった。まだこの先荒れるという。 明日のイベントは、旧友にお任せなのだが、この天気でも歩くようである。エネルギーが、あり余っているのかもしれない。

 しかし、夜が明けてから、雨は上がるようにも思える。まあ~、何もかもお任せなのだから、行ってみなければ分からない。 幸い、昨日の身体の変調も収まった気がするし、全て良い方に考えて、今度の3連休を楽しみたい。



11/17 今日の午後、友人の妻君から「何処か評判の良い整形外科を知らないか?」とのLINEをもらった。私は、高校時代にその種の病院へ行った事があるが、 それ以来無いに等しい。(遠くに山関係の知人がいるが遠すぎる。)何でと問うと、膝の半月板損傷らしい。日頃運動したとかを聞いた事がないのに、そんな事になるのかと思ってしまった。

 それとは全く関係がないのに、その頃から、私の首の周りが可笑しくなってきた。曲げると、ハリというのか違和感がある。縦にも横にもである。そして、背中の上部が何だか可笑しく感じる。 気持ち悪くもないし食欲もある。どうしたもんだ。今晩から寒波がやってくるのを感じての兆候なのだろうか?(笑) 弱った!



11/16 週末のお天気が悪い。特に明後日が問題である。冷え込んで雨だから、山沿いは白い物が混じるのだろう。そして、日曜日も、あまり良くない予報である。 しかし、楽しいイベントが出来たので、寒さなんか、吹っ飛んでしまうのではないかと思っているが、冷たい雨は苦手!

 問題は、金剛堂山である。今月に2回登りたいという皮算用があったが、後2週間(日にちにして、6日間だけになった。)これから年末にかけてが一番歩き難い。 多くの降雪があるか、カラカラなら良いのであるが、中途半端が一番困る。木々や笹などが倒れ気味で着衣を濡らす。そして、どんどん陽が短くなるから・・・ まあ~、今年中に、あと3回登れれば良いのであるが、物事はとかく思惑通りいかないのである。



11/15 3日間遊びコケていた事もあるが、やる事が多く忙しい。この歳になっても、忙しいという事は、楽しいしステキな事だと思っている。 そして、次から次へと夢が出て来るから、こんなので良いのかと思ってしまう。「もう そろそろと・・」片付けに専念している方から見られると、 可笑しな男だと思われるに違いない。

 だって、「まだ道半ばなのであるから仕方がない。」そんなつもりで、これからもやっていく。周りに結構悄げている人が多い。 そんな人に「喝」を入れてやろうと思っている。悪行の数々をやって来た私であるが、これも一種の社会貢献になるのではないかと思ってる。(笑) ちっちゃな事であるが、毎日それなりの身体を解す運動を重ねている。



11/14 甘利山に向かった「道の駅信州蔦木宿」から、1時間程で1,650mくらいにある駐車場に着いた。甘利山だけを周遊すると小一時間である。 その先に千頭星山があり、眺めると行きたくなる。今日は、あまり風もなく、コーヒーを沸かして、ゆっくり富士山を眺めた。こんな山旅も良いものだ。
 そして、安房トンネル以外有料道路は通らず、忍耐一途で下道を通した。



11/13 山梨遠征2日目。三ツ峠山も寒く山頂では雪が舞った。富士山どころか全く展望がなかった。林道歩きが長い三ツ峠山であるが、雪の時に来れば、また違った味わいがある。 三ツ峠山の後は、黒岳に登る予定であったが、急遽変更して、明日の予定だった大菩薩嶺に行ってしまった。疲れ切っていたかのように感じた「山ノ神」であったが、 日没前に何とか登りきったのである。その代わり休憩はなし。

 黒岳は登れなかったが、しかし、まともとは言えないかもしれないが、何とか富士山を眺められた事もあり、一日早めに予定を終えようと、泊まりは、「道の駅信州蔦木宿」まで戻ってしまった。 私は、「帰路中に小さな山を登ればいい。」のつもりであったが、「山ノ神」は、何処かで甘利山の情報を掴んで来た。「富士山を望める」「あまり歩かなくても良い。」なのである。



11/12 ケチケチの山梨遠征スタート。平湯トンネルは仕方なく通るが、高速は、松本から南諏訪まで。その後、高速は使わず。入笠山は、ガスに覆われて富士山の裾野しか見えなかった。 そして、風が強く。食事も出来ない程であった。しかしながら、今回で7回目。お花も何もない事は分かっていたが、それでも、山頂で富士山を見るのが目的。「山ノ神」は、ちょっと、がっかりであったが、 それでも、私は、山頂に立てた事に喜びを感じている。いろいろな季節にやって来ているが、後は、真冬だけはまだである。

 車は沢入までしか入れなかったが、明日(11/13)からは、上まで入れるとの事。 白州・韮崎辺りの道の駅で泊まるつもりであったが、なんやかんやで、河口湖畔の道の駅泊まりになった。椅子もテーブルも準備していたが、寒くて外の出れなかった。 お酒を燗したが、暗くてその量が分からず、結構飲んでしまったようだった。



11/11 今までのお天気と違って、今日は冷え込んだ。この先も、しばらく寒い日が続くようである。それでも、明日から3日間山梨方面に出掛ける事にする。 今回は、焦らず欲張らず、ゆっくりで行く予定。だから、今夜から出掛けず、明日夜明け前に、スタートしようと思っている。

 ゆるゆるの山岳ドライブと思えば良いだけの事。それでも、幾つかのお山のてっぺんは踏んで来るつもり。このサービス?で、私の今後の山行を了解してもらえるのなら、 踏ん張って運転も出来るというもの。「もうそろそろ・・いい加減にしなさい。」との声が聞こえて来そうだが、140歳まで生きるのなら、今からそんな事では成り立たなくなる。 これからも、前向きに行きたい。(生きたい。)



11/10 お客様が、富士山登頂2230回を達成(沼津市実川さん80歳)という新聞記事の切り抜きを持って来てくださった。。 「富士山は人生そのもの いろいろな人との出会いがある。」とし、富士山の初登頂は42歳、60代後半には、年に200回以上のハイペースで登られたとか。

今後も「命が果てるまで登りたい。」そうで、狙いはエベレスト登頂。夢がデカイのに魂消てしまう。でも、過去に雪崩などで3回断念されたそうで、 凍傷で指を3本失っているらしく、来年5月に再挑戦するというから凄い方のようである。100キロマラソンにも意欲を示しておられるようで、どんな人と思ってしまう。

 「目標をいっぱい持つ事は生きる糧になる。」とは、「いやはや」と思ってしまう。私などは、こんな方と比べようはないが、「とりあえず元気でいる事。」 そうすれば、何かの数字が残ると思っている。私は、そんなバカ者である。そして、いつも山が好きと言っていると、興味のない方まで、「あいつが喜ぶのでは・・」と、 山のいろいろな話を持って来てくださるのである。嬉しい話です。



11/9 今度の私達の休日は、雨・雨・雨の予報だ。「山ノ神」は、「山を越えれば晴れるようだ。」と言う。 どの山に登りたいのかと問うと、富士山が眺められて、歩く距離(時間)が短いのがイイという。 そして、毛無山・大菩薩嶺・黒岳・三ッ峠山などを上げた。どれも1~2回登っている山であるが、雨の中、そして、夜の運転がきつくなって来ているのに、 こんな時だけ、「まだ大丈夫だよ!」と持ち上げて来る。

 「今月中に、2回金剛堂山に登りたいので、その後の休日は、それを優先させてくれるか?」と言ってみたけれど、お天気が悪ければ、それも敵わない。 「休日は山に・・」なのだから、それはそれで構わないのであっても、車中泊や地理不案内は疲れてしまう。 安上げて遠くへ行きたい「山ノ神」の思惑に嵌っても敵わないところもないではないが、歩く時間より、車の運転が長いのは頂けない。さて、どうなるか・・



11/8 仕事前にタイヤ交換をした。週末から気温が下がるのもあるが、例年この時期に行う事としているから違和感はない。 降るまで我慢する人、降らないと思ったら、また交換してしまう人もあるが、年数経過と共に劣化する事を思えば、 冬期間、ずっと冬タイヤでいた方が良いのではないかと思っている一人である。

 しかし、あの大きな重いタイヤの交換であるから、一発で収める事が出来ないと、本当に疲れてしまう。 自分でやるのは、これでオシマイかと思ったりするのであるが、” まだまだ ” と、ついつい行ってしまっている。 しかし、これで、いつ白い物が降って来ても、また高所にある峠越えも安心になる。そんな事を思えば、ヒヤヒヤしないで済むのであるから、 早めのタイヤ交換をした方が良いのでは・・・



11/7 昨夜は、思ったより降らなかったが、朝方は、歯切れの悪い降り方をしていた。それでも、必ず止むと信じて出掛けたのです。 林道は、昨日の荒れで、落葉や小枝が散乱していたが、車が通れない事はなかった。しかし、登山道となると、ちょっと様子が違っていた。

 凹んだ所はでは、まるでラッセルをするような(落葉のラッセル)感じで、小枝だけでなく、折れた木々が登山道を覆っていた。完全とはいかないまでも、 フチに寄せて、歩きやすいようにして来たつもり。今年は、少々の雨が降っても、泥濘が少ないように感じてしまうのは、暑い日(高温)が、続いたからかもしれない。

 昨日、そして、今日のお天気では、誰もやって来ないと思っていたが、やはりその通りであった。だから、高落場山頂を我が物のように使わせてもらった。 ちょっぴり重たかったけれど、「山ノ神」を喜ばすために、椅子を2つ背負ってやって来た。「山ノ神」の分だけを用意した事があったが、 私の分は始めて担いで来たのですが、座れば、やっぱり楽ちんでした。



11/6 「山ノ神」は、あまり乗り気でなかったかもしれないが、お天気が大崩れしない内に、「大辻山と高峰山に登ろう」を理解していたと思っていた。 しかし、約束の時間になっても起きて来ないし、ならば、「私一人で行って良いか?」と言うと渋々起きて来た。8号線神通川を渡る頃から風が強くなってきた。

 大辻林道に入ると、落葉や風に飛ばされた木々が、路面に散乱していて、それを避けるように走った。でも、車は強風にかなり煽られた感じであった。 鳥越峠に着いても。「山ノ神」のテンションは上がらず、それどころか怯んでいた感じであった。ならばと高峰山だけにした。私達の身体まで持っていきそうな、 この強風(爆風)だけに、コンロやバーナーをザックから外し、ターンして戻ると言い聞かせてのスタートした次第。

 何度も飛ばされそうになって、前傾姿勢を強いられた程であったが、展望はよく、剱岳や毛勝の山々、そして、僧ヶ岳・駒ヶ岳まで見通す事が出来た。 2時間弱の山行となったが、それも価値ある山行なのであった。

 山から降りたものの、何だか物足りない私は、4年半ぶりではなかろうかと思う尖山に登ろうと思った。(帰り道に登山口があるし・・)   しかし、「山ノ神」は、「あんただけ行って来られ・・」であった。久しぶりだけに、村内を通過するにしてもウロウロ、夏椿ルートに入っても、 こんなに時間が掛かるとは思ってみなかった。相変わらずの爆風に、その内雨になると思いながら山頂に辿り着いた。ちょうどお二人がおられ、 「証拠写真が欲しいので・・」と笑いながら、シャッター切りをお願いした。そんなところに、単独の澤田女史が現れた。「へぇ~」と言いながら、お喋りしながら一緒に下山した。



11/5 今日は、娘と同い年の "なみさん" を誘って戸倉山に出掛けました。今日は、結果的に何もかもがステキで楽しい一日になりました。 待ち合わせの朝日町役場で、黒菱山に行くという瀧本氏とお会い出来たという事から始まりました。瀧本氏との初対面は、初雪山であった事もありますが、 恒例の片貝散策でお会いした事もあったりしたのですが、それ以来の再会で、私のテンションは上がってしまっていました。

 紅葉は、今一つのところもあったのですが、晴れたのが、何よりも良かったのです。そして、今年2月末、来拝山でお目に掛かった長津女史との再会、 また、耳雪さんパーティーの美人揃いにもお会いし、雨飾山を眺めながら最高潮になりました。(笑)

 白池に降りれば、朝日町有志によるイベント開催準備中の藤井氏がおられた。私達も、白池で食事をと思って頂けに、嬉しい声掛けをして頂いたのである。 素晴らしい料理が、次から次と出て来るのですから、街中と間違ってしまうくらいでした。遠慮なく頂き、お腹が満腹になってしまったところで、 食い逃げしてしまい本当に申し訳なかったんですが、いつかお返しをしなければいけないと心に刻みました。(笑)  今日は、筏井夫妻とも、途中から一緒になり、大宴会も含め楽しく過ごす事が出来ました。戸倉山でお目に掛かった皆様 本当に有難うございました。



11/4 ころころ変わる予報に翻弄されている。でも、実際行って見なければ分からないが本当のところ。一日中雨であっても、強弱があったり、 降ったり止んだりもある。傘を差せる風雨もあれば、とてもじゃないが、傘を差せない時もある。もっと困るのは、約束していて、 自宅では雨だったが、現地では降っていなかったというのもある。

 さて、明日はどうであろう。そして、明後日も、次の日もとなる。雨でも出掛ける私(達)であるが、雨は好きではない。静かな山という一面はあるが、 その強弱を見極めて行き先を決めている。でも、傘を差さないのが良いに決まっている。



11/3 今日は、晴れになる特異日と言われるように、素晴らしいお天気であった。おまけに夏日にまでなった。さぞかし、行楽地は賑わったものと思われる。 以前から、「中山・馬場島は、文化の日がいい。」と言われているから、大勢の方々が出掛けられたのではなかろうか?

 今日が休日でない私(達)は、日曜日(11/5)に、中山より、ちょっぴり低い戸倉山に出掛けようと思っているが、お天気だったら、大勢の登山者が訪れるに違いない。 その日は、富山マラソンの日であるから、そんなんでもないという考え方もあろうが、必ずしも思うようにはならないのが常! でも、賑やかなのがイヤなら別であるが、 気持ちよく挨拶をし合うのは楽しくいものです。食事場所は、山頂に拘らなければ、何処にでもあるような気がします。

 このところの山行は、割とお天気に恵まれていたように思う。しかし、何事も思い通りにはいかないもの。そして、人生と同じように、ちゃんと帳尻があうような気がしている。 雨になると、金剛堂山は登り難くなる。11月に2回。12月に1回登る事が出来たら、予定通り99回になり、1月下旬から2月上旬の良い日に、100回を祝ってもらえるよう頑張らなくては・・・



11/2 政治の事はよく分からないが、刻々と変化している。その政治であろうと、小さな町内会の決め事であろうと、またまた有志の会であろうと、 どんなに正しいと思っても、多くの賛同がないと、思うように事は運ばない。1対1の我が家では、多数派工作が出来ないし、大きな声を上げても、思い通りにはいかない。 仮に自分の思いを通しても、後々面白くない日が続く。

 気ままに山に行くのは楽で楽しい。気の会った仲間と行くのも実に楽しい。それは、目的が一つになっているからかもしれない。そして、心が通じ合っておれば、何の隔たりも感じない。 だから、独り善がりなどは長続きしない。話をしたいし、認めてもらいたいし。聞いてもらいのである。若い時は、慰め合いなんてダメだし、前向きでなといけないと言っていた頃が懐かしい。



11/1 長い間やっていると、いろいろな方々と知り合いになる。強烈な印象があるとか、頻繁にお会いしていなと、全く失礼な事ですが、なかなかお名前を覚え切れないでいる。 でも、「元さん」と、声を掛けて頂くと嬉しくて堪らない。歳を取っても元気でいると、このような、ご褒美があるから止められない。時には、一緒してもらえるのだから、 山冥利に尽きる。

 そのくせ、自分の体力の落ちているのを、忘れてしまっているのだから困ってしまう。だから、「ゆっくり歩いてくれるのなら・・」を確実に伝えないと、 相手様も面食らってしまうかもしれない。しかし、世の中は、上手く出来ているようで、私が心配しなくても、年齢を加味してくれているようである。

 最大の敵である「意欲の低下」さえ克服出来ておれば、まだまだのつもりである。怖い所、難しい所以外は、まだ何とかなる。 そして、雪の山になると、まだ少し頼りにされているような気がする。雪中キャンプも、低山であろうが、まだ未知の世界観がある。それが拠り所でもある。