1/31 地震もあったし、負傷もしたけれど、今月は、昨年同様17回の山行機会があった。もちろん、二上山などの近間の低山も含んでである。 そして、歩ける事に幸せを感じている。山に行けるから、大勢の方々と、知り合いになれる喜びが生まれている。

 時には、頼られる事もある。 仕事だけ、いや、仕事も終わっている人達と比べれば、それはそれは、楽しい人生を送っていると思っている。普通なら、若い方々との接点など生まれはしないのに、 嬉しいかな、どんどん広がって来る。「飲み会だってある。」「一緒に行きたい。」とも言われる。

 雨の日であろうが、休日は、全て山に掛けている私を認めていてくれる人達がいるという事なのだろうか?  自惚れにしか過ぎないかもしれないが、もっと、そして、「ずっと元気でいたい。」が本当の気持ち。出来れば、皆で、このまま年齢を重ねて行きたい。



1/30 金剛堂山に行く前から、「山行火曜会」より、今日の千石城山行きの連絡を受けていた。しかし、金剛堂山での負傷から、迷惑を掛けてはいけないし、 自信もあまりなかった。物の考え方は逆かもしれないが、簡単な城ヶ平山に登ってから、玉ちゃん先生に診てもらう事にした。先に診てもらって、「山はダメだね!」と 言われては、自分が可哀想と思ったのだろう。足を引き摺りながらでも、城ヶ平山に登れたし、降りでも注意さえすれば大丈夫だったのである。

 そして、玉ちゃん先生に診てもらったが、「ダメ」だとは言われなかったし、(勝手な思い込み) 今日の山行に臨んだ。 湿布薬を貼って、サポーターをしてである。メンバーに、どう思われたかは分からないが、それなりに歩いていたように思う。あの絶景を見て、美味しい物をたくさん食べて、 気の合う仲間と語り会えたのであるから、痛さなんか、何処かへ飛んでいってしまったような気がしている。

 金剛堂山から帰った夜や、翌日の朝方などは、寝たら立ち上がるのもままならず、ちょっとでも角度が内側に入ると、悲鳴をあげなければならなかった事を思えば、 2日間歩けた事が、ウソのような感じである。「山はホスピタル」なのかもしれない。そんな事も含め、私は山から離れられない。山に登れなくなったら、いつも述べているように 「死んだも同然」かもしれない。完治して、大地・初雪山に行きたい。「雪よ、もう少し降ってください。」



1/29 昨夜は辛かった。トイレに行こうと思っても、水を飲もうと思っても、起き上がる事が出来なかった。左膝が、ちょっとでも、何処かに触ると痛いのである。 そしてである。年甲斐もなく、トレースの無い所を歩いた(走った)からであろうか?太腿が痙攣を起こして、ニッチモサッチモいかなかったのである。 横にも、うつ伏せにもなれなかったのであるから辛かった。

 「休日は山に・・」だが、どうしても医者に診てもらわなくてはの状況であった。そこで、「山ノ神」へ切り出した。始めから山だというと、拒否されるのは分かっていたから、 玉ちゃん先生に診てもらうが、その先に簡単な山に登って、どれだけ不都合か調べてみたい。「山は、ホスピタル」とか、「山は妙薬」とかは、とても言えないからである。 しかし、意外と、「山ノ神」は、その事を理解してくれたかのようだった。

 その山を城ヶ平山とした。「たまの整形外科クリニック」にも近い?からである。大岩の駐車場に着いたら、北ちゃんの車が停まっていた。 山頂で会えるかもとなり、気は急いだが、転ばないように滑らないように、ゆっくり歩いた。足(膝)の角度さえ狂わなかったら、普通に歩けたかのようで、内側に曲がると痛みが出ていた。

 しかし、山頂で北ちゃん夫妻と出会うと、そんな事は忘れてしまった。そこへまた、Naoさんがやって来たから、またまた面白くなった。 晴れ間に、時々見え隠れしたものの、立山・剱岳・大日岳は凛として聳えていた。毛勝の山々も、ちょっぴり低いけれど、その雄姿は負けん気を感じさせていた。 その間、我々の後ろにおられたステキな女性と、食べ物を交換しながら大いに喋った。(片方の方だけの名は覚えているが・・) Fullさん・qoo氏・ちびぱんださんらにもお会いして写真に収まった。

 恐る恐る玉ちゃん先生に診てもらった。可笑しなもので、お医者様に診てもらうとなると、痛いのが何処かへ飛んで行っちゃったような気がするものだ。しかし、玉ちゃん先生は、明解(私に分かるよう)に、 そして、分からない事を丁寧に教えてくださった。そして、サポーターの使用を勧めて頂いた。テーピングのやり方も教えてもらった。

 でも、山を歩いてからクリニックに来る患者を、どう思われたのだろうか? ある程度私の事を知っていてくださるのだから安心ではあるが・・玉ちゃん先生も山好きなのです!



1/28 金剛堂山100回目という事で、いろいろな方に気を使ってもらいながら、結果的には単独行となった。それでも、スタート地点では、らんもも氏・ひさじろう氏など、 4人のスキーチームと顔を合わせる事が出来ました。樹氷がキレイだったのですが、私のカメラでは美しく撮れませんでした。

 片折岳過ぎてからは、前日のトレースがなく、 今朝早くから出掛けられたと思われる女性単独スキーヤーと、それに沿ってカンジキ(始めはアイゼン)の踏み跡があっただけ。そのトレースが突然消えたから、 ここで止められたのかと思いきや、いつもより右側(樹林帯)を通られたようであった。4キロ地点を過ぎ、いつもなら、雪庇を眺めるブナ林の手前で先行の男性と一緒になった。(砺波の島氏)

 山頂に近付くに連れ、ガスのため視界が悪くなってしまった。食事処は、山頂から降りたいつものところとはいかなかった。シェルターとはいかない程の穴を掘り、、一緒になった島氏と、その囲いに収まった。 そこへ、スキーチームが到着。スタート地点でお会いしたばかりであったが、頂きでお会い出来るのは、また別の味がする。マダオ氏からの差し入れを賞味して頂いたらとても喜んでもらった。

 下山時は、その島氏と一緒だったが、意外と速く登山口に到達したのでした。ところが、大きなブナの穴に、膝上まで落ちてしまい、その時ギクという音がした。いやな音である。その後その事もあり、足を攣らしたのであるが、 そこは、それなりの歩きが出来るというもの。しかし、家に帰って、左足を上げたり、内側に曲げようとすると痛い。弱った!「山で治せるか?」



1/27 明日の予報は良くない。午後から雨もあるかもしれない。南砺市の平地と違いミゾレや雪になる公算が高い。しかし、雪の状況はは分からない。重い雪や、膝まで沈むラッセルを強いられれば、 ロートルの域に達している私には、到底山頂まで届く体力がない。それでも、私はチャレンジしてみたい。いつも述べるように、「老いへの抵抗」である。

 例え山頂まで届かなくとも、片折岳(一服金剛)まで行かれればと思っている。登頂100回に拘っているわけでもないし、その山に100回なのである。 そして、途中で止めたにしても、翌日改めて、チャレンジする事も出来るのである。より多く、その山に行く事も目的の一つである事は間違いないが、出来れば、その山への最高齢を目指したいものである。

 以前から、1月か2月に金剛堂山100回を目指したいと述べていたが、お天気や今後の予定、また能登地震など、ハードルが上がってしまった。直接、また積極的にお誘いをしていないが、今日の正午までに 15名の方々から、「いろいろなじ事情があり、残念だが一緒出来ない。」とのメッセージを頂いている。
 一々私の行動に、アクションして頂けるのであるから、 こんなに嬉しいことはない。でも、私を心配して、勇敢な輩が現れるやもしれない。まあ~、単独行になっても、それはそれである。昭和54年10月からの100回目である。



1/26 日曜日までの日数を一日間違えていました。雪でも気温が低ければ良いのですが、だんだんと予報気温が、僅かでありながら上がっています。 でも、余程の事がない限り金剛堂山に行きます。もし、一緒してくれる方があったらですが、私は、そんなに速く歩けません。それをご理解頂いてなら宜しくお願いします。 マダオ氏からお祝いのプレゼントを頂いております。一緒に食して頂ければ幸いです。



1/25 予報は必ずしも良くないが、今度の日曜日(1/28)に金剛堂山に行こうと思っている。雨やミゾレは辛いものがあるが、風が伴なったら、もっと厳しい。 翌日の月曜日や、翌々日の火曜日には、晴れマークがあるのだが、たくさんの方々から、「記念になる山行なら・・」と言われて来た事もあり、やはり日曜日は外せないだろう。

 しかし、降雪後だし、そして、好天が望めない山には、こちらからお誘いは出来ない気持ちです。これが本当の冬山・雪山の様相を呈する事になるのですが、 晴れ上がった光景を期待するには、あまりにも違い過ぎるような気がします。私は、シャベルやタープを持参しますが、大人数を収容する事が出来ないので、こちらからお誘いをいたしません。

 また仮に、条件が悪く、山頂に届かない事もあります。その時は、翌日でも、そのトレースを利用して、再び金剛堂山に行く事が出来ます。どちらにしても、明日の予報を見極めてからでも遅くは無いでしょう。 予報から小さな傘マークが消えて欲しい。



1/24 思っていたほどではなかったが雪が降った。山では、どのくらい降ったのか気にかかるところである。雪量が少ないと、木々が倒れており厄介である。 しかし、大量に降ってしまえば、ラッセルを強いられ、それが膝上になると、余程の人数が揃っていないと、なかなか頂きに到達は難しくなる。

 金剛堂山へも、前日まで降り続けば、なかなか厄介である。冬至から1ヶ月経ったけれど、まだまだ陽は短い。一週間延ばすかどうか、明晩くらいまで考えてみたい。 「金剛堂山に一緒したい。」と言ってくれている人達がいたが、このようなお天気周りでは、気が進まないように思うし、私もお誘いするのに気が引ける。



1/23 雪が少ない。先週はダメだった展望レストラン駐車場まで、今日は楽々乗り入れが出来た。大雪の予報が、どうなったかと思うほど、時折、チラチラするものの、積もる程の雪ではなかった。 しかし、朝方は結構凍っており、滑るのを注意しながら歩いた。今日は、「山ノ神」とまりさんが、山行の約束をしていたらしく、 それでも、降ってでも、タープを張れる山は厳しいとなり、小佐波御前山となったのである。
 そこに颯爽と現れたのがマダオ氏で、俄然楽しくなった。そして、今日は食材が多く、ゆっくり楽しめた。この環境下では、誰もやって来ず、 4人で楽しい時間を過ごす事が出来た。雪は帰宅時に、ようやく降り出した。



1/22 なかなか起きて来ない「山ノ神」が、「今日は行かない。」と言って来た。ムーっとなった私は「そんなのなら、もうちょっと早く言ってくれ!」と、 年甲斐もなく、ダメだと思いながら言ってしまったのである。それが午前7時過ぎであったから、分かっておれば、行き先の選択肢が、いろいろと広がっていたと言うもの。

 結果的には、「山ノ神」も一緒する事になったのであるが、同じ山ばかりも、イヤだろうと来拝山にしたが、「山ノ神」にしたら、あまり好きでない山であったとか・・・ でも、あの時間では、大辻山へはとても行けなかった。それどころか、来拝山でも雪量が少なく、雪質も腐っていて歩きにくかったのである。しかし、登ってしまえば、また違った気持ちがあり、 「登って良かった。」「来てよかった。」になる。身体を動かせば、一日寿命が伸びると私は言っている。しかし、アルコールを飲めば、二日寿命が縮まるとも。 140歳までの勘定からすると、どの様になるのだろうか分からない。(笑)



1/21 昨夜は遅くまでたくさん飲んだ。そして、今日また雨の中、岩崩山・岩崩小屋を目指した。文夫さん・さちさんにお世話になった。そして、マダオ氏にも、美味しいものをたくさん頂いた。 「山ノ神」も、急遽参加して楽しかったようだった。小屋では、Ryoさんパーティと一緒になり、これまたご馳走になってしまった。山は本当に楽しい。もっと雪量が多ければ、もっと楽しいのだが・・・



1/20 予報通り雨になった。明日も雨のようである。その後は雪になるようだ。新年会翌日の行き先を模索中である。皆で行くのに雨なのだから・・ 覚悟してもらっても、冷たい風が吹いたら、企画者として申し訳なくなる。来週行けないかと思っている金剛堂山も同じである。晴れれば何の問題も無いのであるが、 私のタープには、4人しか入れない。詰めても6人が限度である。悩むのも山行の一つのカテゴリーである。



1/19 明日は、初めて山友との新年会がある。集まって飲むのは初めてである。皆 私より、20歳も30歳も、もしかしたら、40歳?くらい若い人達である。 呼んでもらえる事に、また、一緒して頂ける事に感謝しなければならない。余計な事を喋らず(喋り過ぎず)、若い方々の話を聞きたいと思っている。



1/18 工務店に依頼していた瓦屋さんが、ようやく来てくれたが、雨漏りがしない程度の応急処置と、現状把握程度のようであった。もっと酷いところがあり、 修繕どころか、見積りもなかなか出せないような事を言っておられたが、こちらにも準備があるので、大まかな金額を教えて欲しいと言ったら、 私の思いと相当違っており、ショボンとしてしまった。(軽自動車が買えるくらいだった。)

 すぐに、そのような金額が出せないし、出来るだけ費用の掛からない方法をお願いするしかないであろう。10~20年くらい持てば良いなんて言おうとしているが、 「あんた、140歳まで生きるのでしょう!」と、またまたそんな声が聞こえて来そう。でも、仕方がない。それに、お墓の修理や、給湯器の修理など、次から次とあるから、 この先が不安である。「山に行かなければ・・」の選択肢があるかもしれないが、それでは、「私は死んでしまうよ!」



1/17 昨日の山行は、今年11回目となったが、震災の後遺症や、お天気との兼ね合いもあって、思うように行かないでいる。その証拠に、八乙女山4回、二上山3回もある。 今年も、全休日山に足を運ぶつもりであるから、その点では、幸先の良いスター切ったことになるが、もうちょっと高いところへ行きたかったが正直なところ。 でも、雪量は必ずしも多くなく、これからが本番と思えば良いのかもしれない。

 金剛堂山の記念山行は、1/28(日)を考えているが、どうなるかわからない。お天気の事もあるだろうし、一緒してくれる方があるかもしれない。どのようなスタイルにしようかも考えどころ。 祝ってもらうのも良いが、そっと出掛けるのも良いのかもしれないと思ったりしている。無いもの強請りの感が強くなる。



1/16 予報もイマイチだったので迷わず八乙女山とした。しかし3日連続となった「山ノ神」のピッチが上がらない。雪量は多くないが、以前と比べればかなり増えた。 そして、スノーシューの履き心地も随分と良くなった。もこりんさんとすれ違った。お名前は、よく拝見しているのだが、なかなかお目に掛かれないでいた。(ハッピー) でも、2~3年前、来拝山でお会いしていたそうだ。

 そのもこりんさんから、「山頂までトレースを付けてあるから・・」と、ご丁寧なメッセージを頂いたが、我々は、お腹を空かしていたのと、夕刻からの所用もあり、 いやいや、疲れがそうさせたのかもしれないが、東屋でお腹を満たす方を選んでしまったのである。



1/15 「こんな日に、山にやって来る人なかいるもんか?」などと言いながら、低山であろうが、やって来る(登る)自分達が可笑しい。「休日は山に・・」でなければと、 そう思い込んでいるし、「歩けなければ半分死んだようなもの・・」と大袈裟に言うのだから、こりゃまた、どうしたもんだ!

 「昨日(高落場山)は、疲れた。」と言っていた「山ノ神」も始めから行くと言っていたが、足取りは重かった。御前山に着いた時、「以前、ここで穴を掘って、ヤメタ事があった。」 と変な風を吹かせたが、私は完全に無視をして先に進んだ。昨夜来の重たい雪が、木々に覆い被さって、登山道を塞いでいるところの連続となる。それを払い除けてであるから、 時折、被爆?となった。

 高所に来ると、階段が雪に覆われ、何となく気持ち的に楽になるから助かる。(下山時は、走り終える事が出来てラッキー)今日は、いつもの駐車場より下から歩かなければならなかったが、 ロートル二人の歩きとしては、3時間余で避難小屋に着いたのだから良しとしなければなるまい。「山ノ神」は、第3のビールであるが500ml、私はコーヒーで、いつもと変わらないパターン。 でも、山頂に届いた事で私は満足。

 こんな馬鹿者にエールを送ってくれる人がいた。登り始める頃に「山ノ神」が連絡していたのかもしれないが、「ちょっとだけ・・」との気持ちであったらしいが、Naoさんが迎えに来てくれた。  20分程であったか時間的にはよくわからないが、天使が現れた気分になった。「山ノ神」は、「寒いでしょう!」などと、ザックを背負わせるのであるから、正に救世主だったであろう。



1/14 予想以上の冷え込みで、ドアが開かない、ワイパーが動かないなどに時間を要し、高落場山冬の登山口の五箇山トンネル駐車場に着いた頃は、何だか知っている方が多くおられ、 これは賑やかになると思った。これまた不思議な出会いであるが、年末、また、年始に知り合った女性軍と、知らず知らずの内にパーティーを組んだ形になった。

 高落場山の雪量は、何処の山も同じであろうが、取り付きが少なく、先行者は、登りやすい所を選ばれた苦労が分かる。高度を上げても、ヤブヤブは歪めなかった。 しかし、好天に恵まれ、ちょっと高度を上げれば、、砺波平野を見渡せるし、五箇山の山々の凛とした山容を眺められるのであるから、山行日和に浸らずにはおれまい。

 大好きなブナ林は、もう少し雪量が増え、もっと風雪に堪えたところでなければ、高落場山のブナ林の味は分かるまい。俄パーティーは、バラバラになっても、 山頂では、自分の居場所が分かるという可笑しなパーティーである。もう少し、もてなしをしてあげれば、もっと山が好きになったであろうと思ったが、単純に二人の食するものしかなく、 申し訳なく思ってしまった。

 隣のテーブルでは、また、あちこちの集いでは、各自大いに盛り上がっておられたに感じたが、真冬の山中で、このように楽しんでいる我々を、平場にいる方々は想像も出来ないに違いない。 今日は、大勢の友人・知人とお会いした。お一人お一人のお名前は割愛するが、強者ばかりであった。でも、やっと辿り着いた山頂であっても、私に暖かく声を掛けて頂けるのであるから、 こんなに嬉しい事はない。「もっと、ずっと元気でおられれば・・」などと思うのは淡い思い(夢)なのかもしれない。
 今日は、kurepanさん・an-coさん・かのりんさん お付き合い頂いてありがとうございました。



1/13 午後から雨が雪に変わった。さほど風がないが、雪が降るとやっぱり寒い。昨年も、そうであったが、今までと比べれば、まだまだ雪量は少ない。 そのせいなのか、震災の後遺症なのか、それとも、餅をたくさん食べた(歳を取った)からであろうか、士気が上がらない。でも、何処か歩かなければならないと思っているのは確か。

 明日の積雪を見ての判断になると思うが、高落場山が一番の候補。五箇山トンネル側からになるか、スキー場側になるかも雪の状態を考慮してとなる。 「山ノ神」も一緒の予定だけに、他人様の事を気にせず、ゆっくり、それこそ、途中でもコーヒータイムを交えながら、そんな山行になると思う。予報通りのお天気ならばであるが・・・



1/12 やんわりと金剛堂山のお誘いを受けた。しかし、即答が出来なかった。それから、予報を覗くとお天気ではないか? 震災の後片付けがないわけではないが、 その日だけがお天気で、後の休日(日月)は、お天気が悪いのでは、「山ノ神」との調整が心苦しいのもある。(やんわりと交渉せねばならないから・・)
 それよりも心苦しいのは、「100回目には是非一緒に・・」の声があるのですから、元気者の女性と出し抜くわけにもいかないのではと思ったりしている。 最も、その強者とは、一緒しても着いていけないほどの方だけに、躊躇するのは当たり前。したがって、もう少し雪量が増えて、歩きやすくなるまで待った方が、ロートルには良いような気がするが・・・



1/11 昨年の今頃、何処へ行っていたのだろうと当欄を振り返っていたら、降雪後の高落場山へ行っていたのだった。 山だけが降った感じだっただけに、誰もいずノントーレス、また雪が降り頻る中を歩いていたようだ。それでも、穴を掘ってターフを張り食事をしていたのだ。

 今年も、このような元気があるだろうか? ちょっと疑わしいが、やっぱり行くしかないだろう。日曜日なら、同行してくれる方もあろうが、降り頻る平日(月・火)には、そのような輩が 現れるだろうか? 単独はそれなりの「味・雰囲気」があるのだが、何と言っても、食事やコーヒータイムが、ちょっと寂しい。
 ここ (昨年の1/10)

1/10 元日の震災から10日目になった。たくさんの温まるメッセージを頂いた。我が家まで訪れてくた友もあった。また、お見舞いの品まで送ってくださる方まであった。 有り難い事である。いつまた災が降り掛かって来るか分からないが、こんなに激励を頂いたからには、元気で生き長らえなければなるまい。

 それにしても、雪が降らないし積もらない。寒気が長続きしないからかもしれない。そのような事を言っていると、逆に「もういらない・」という程まで降る事があっても困る。 程々が良いのであるが、自分の都合の良いことばかりにはならないのが常。きっと、行きたい山に行ける程の雪量が必ず降ると私は思っている。

 特別の山には行けないのであるが、高落場山・金剛堂山・小白木峰・大倉山・土倉山・大鷲山・大地山・初雪山などと、止めようもなく山名が出て来る。 「あんたは、のんきだね!」とか、「山しかないのか?」などと言われても、これが私のステータス。震災の事も頭にあるが、これを境に萎むのだけは避けたいのである。



1/9 今年のお正月は、最初から叩きのめされているような感じである。その証拠に、二上山3回になってしまった。依然屋根瓦はそのまま、2台の温水器も 心持たない。そして、墓石のズレを指摘されてしまった。費用も時間も掛かるが、ここを乗り終えてこそ、山歩きの真髄の見せどころ。(関係ないけど・・)

 これから、新年会や諸会合が増えて来る。いろいろな方々と会えるのだから、辛いと思わず楽しみとすれば、毎日がワクワクする。何もかもを削るばかりでは、 この先が寂しくなる。幾つになっても、「前向き」「意欲」をもってすれば、まだまだと思うような気がしてならない。仲間も元気でいて欲しい。



1/8 今日は、「山ノ神」が不調!「いい加減に戻るから・・」で、我が家は通る。「山に行かなければ、死んじゃうかもしれないから・・」(笑)  そんなところに、嬉しいかな、こしちゃんから、「何処へ行くの?」 ズッチーさんから「ブラボー」のコメントを頂いていた。

 今日の八乙女山は、3番手のようだった。しかし、誰とも遭わず、ゆっくりと歩いた。こんな時は、夏目漱石の草枕である。「山路を歩きながら・・」 でも、私の場合は、無心と言うより、何もかもが頭の中に渦巻く。あれもこれもであるし、余計な事も考えてしまう。全く修行が足らないのである。

 mune夫妻にお会いした。グルート氏にyukarinさん、syounenk親娘さん・カスミンさん、こしちゃんと山仲間のmasaさん・kazuさんにも・・、Kurepanさんも。 何だか喋って通り過ぎて行ってしまった。(寒いからが逃げ言葉・・) でも、たくさん喋って楽しかった。ズッチーさんとは、お顔が分からず残念なニアミス状態!

 約束の時間に戻って、イザ諦めのガレキ(思い出もあるが・)を、処分場に運ぶつもりであったが、今日は祝日でお休みであった事を忘れていたのである。  それでも、明日一番に運ぶために残りの作業に精出した。 少し雪が降った。一息着いたが、まだまだ山には雪が欲しい。 でも、「登れるのだろうか?」 不安が付き纏うのだから面白い。鍛錬・精進などを、心しなければならないのだろう。



1/7 雪が降った。しかし、どれだけ降ったかは分からない。そんな時は、いろんな想定をして車に装備を乗せる。 でも、やっぱり地震関係の事が頭から離れず、近間の山になってしまう。(修理・保険・片付けなどいろいろ・・)

 でも、私は、歩ける範囲で「休日は山に・・」に行く。何もかもが大事であるが、身体が錆びてしまっては何もならない。 そんな考えでも、他人様からみれば、可笑しな人だと思われるかもしれない。しかし、長い間やっているし、歳も取っている事もあってか、 「仕方がない。」と思われているのだろう。

 それを知ってか知らないでか「山ノ神」は、そんなもんだとおもっているに違いない。それはそれでいい。 どうであれ、今日も、八乙女山であったが歩けたのである。ずっと、元気でおれば、なにか違った「良き出来事」がやって来るというものだ! そんな自分勝手な思いでも、たまには良い方に出る事がある。嬉しい。

1/6 お天気の事もあったが、屋根瓦修理依頼の事もあり、お正月休みの山行は思い通りにはなかった。今日は仕事日。そして、明日からまた3連休であるが、 お正月休みと同じで、近間の山になってしまう可能性が高い。と言いながら、少しでも歩ける事に喜ばなくてはいけないのかもしれない。

 早く修理が終わって、雪が積もり、金剛堂山を片付けてしまいたい。大地に行きたくて、ウズウズしているのである。でも、身体の至る所に亀裂(不都合)が生じ、 果たしてとなるが、私の山人生を掛けているのであるから、何としてもである。「もう、そのような事はしない。」「大人しく・・」などは無く、常に前を向いて行くのは変わらない。



1/5 屋根修理の事が気に掛かっていたのですが、何時来てもらえるか分からないし、こんな良いに(快晴)山に行かないなんて辞書?にはない。 予想外に管理棟どころか、通常の登山口周辺まで車が入った。しかし、その登山口までの林道がツルツルで、チェーアイゼンを履いた。 装着後小気味良かったが、その後に雪がなかった。杉林なんかゼロなんですから・・・

 急がず ゆっくり歩いた。暑くなって上着を脱いたり、ベンチに座ってミカンを食べたり、景色が良いと言っては、途中でも立ち止まりシャッターを切っていた。 山頂に着いてしまえば、大絶景が待っていたのだからたまらない。独占であるから・・・

 しばらくしてから、池田氏・シュンちゃん・土井女史がやって来られた。打ち合わせはなかったのであるが、会えて嬉しかった。たくさん話した。 たくさん食べた。もちろんドイコーヒーもである。良い日だっただけに、たくさんの方々がやって来られた。



1/4 いろいろあって、時間がなかったけれど、「休日は山に・・」の如く、「山ノ神」の帰宅を待って、二上山に出掛けた。 ステキな山の知り合いと出会うのも楽しみの一つ。たくさん喋れなかったけれど、短時間で自分をアピールするのも「技」なのかもしれない。

 屋根カワラの損傷を「山ノ神」が指摘した。離れた駐車場から、眺めてみれば歴然とするが、そこだけではないし、仕事は趣味。山登りは仕事。 と言っても、財源には限りがある。上手い具合に事が進み、長生きの妨げにならなければ良いのであるが・・・・



1/3 もう緊急地震速報以外、外に出ない事にした。(疲れ果ててしまったから・・)そして、片付けは、いっぺんにしない事にした。2階の片付けは、徐々にすればいいのだ! 今日、帰阪する長男が行動を起こさない内に、城ヶ平山・ハゲ山に行って来た。「山ノ神」は、箱根駅伝に執着しているから単独行である。

 足取りは軽やかではなかったが、ハゲ山まで誰も遭わなかった。(帰りは3人に遭ったが・・)城ヶ平山頂に戻って来ると「北ちゃん」夫妻がいた。 相変わらず誰からともなく、可笑しな話(滑稽な話)になり、たくさん笑った。 2日間苦しんだのが、何処となく飛んで行ったような気がする。



1/2 ようやく少し揺れが収まりかけたので、2階の後片付けに精出した。上にあったものは何もかも落ちたが、一番大きな物は、結婚記念に頂いた書棚である。 ひっくり返り、ガラスが全部割れた。どうなったのか分からないが、そこへテントが紛れ込んでいるから弱った。ガラス片で傷ついていなければ良いのだが・・・ また、瓦がズレた。べっ甲亀も落ちた。

 ずっとやっていると、腰も弱っている膝も悲鳴を上げて来た。午後3時頃から時間をもらって、二上山に出掛けた。でも歩けた。1時間程の歩きであったが、「やっぱり山がいい。」 今、何もかもが狂っている。早く平常に戻って欲しい。



1/1 軽く元日登山のつもりで、3年連続八乙女山とした。棚田夫妻に同行して頂き、途中から、あずささんと、お友達の金沢から来られた女性の6人で山頂に立った。 下山途中に、kazu氏となかみち氏とも挨拶を交わした。それまでは、順調に推移したのであるが、帰宅して間もない頃に、大地震が起きた。

 緊急地震速報が鳴りっぱなしで、家と外の往復が続いた。終いには震えが止まらなかった。そして、揺れているのか揺れていないのか分からないくらになってしまったのである。 トイレにも緊張して入らなくてはならないし、風呂など入る気になれなかった。東京や大阪の親戚・友人に、山友からも相次いで電話やラインが届き、まともな応答が出来ないくらいとなってしまった。 最後は開き直って、店で食事をした。アルコールも飲んでしまった。(どうにでもなれであるである。)

 シャッターを開け、いつでも脱出出来るようにし、店中でマットを引いてシュラフの中に入った。でも、地べたは尚更揺れを感じ、なかなか眠れなかった。何もかもが倒れた物を、そのままにして、 収まってからにする。