4/27 今夕、長男が帰省したが、どうせ友人との飲み会で、明日の日中は寝ているのだろう。その先に、大熊山と大倉山を提案したら、「山ノ神」は、大熊山を選択した。 明後日の事は分からないが、明日は行きたいというのだから、以前言ったように、なるべく私が荷を担ぎ、早いスタートに心掛けるとしているが、どうなるかわからない。 明日は好天予想、たくさんの方々が登られるのは必死であろう。



4/26 時たま、昔行った事のある山を尋ねられる事がある。懐かしいが、あまり覚えていないし、データーそのものが不明瞭である。そんなのに、ああやこうやと言える事がないし、 「健闘を祈る。」しか言えない。でも、その機会を利用して、大昔?の事を思い出してみたり、アルバムを紐解く事が出来る。このような事でも、老若男女関係なく、一つの輪になるから面白い。

 まだ行き山がたくさんあった。あれもこれもである。もちろん、また行きたくなる山もある。でももう、「あった。」の域である。こうなったら方向転換というのか、自分なりの道を極めたいと思っている。 笑われるかもしれないが、同じ山に何回も登るのである。出来れば、誰にも負けない程である。ずっと、元気であれば、そのような事の可能性は、もっと広がるように思う。 そう考えれば楽しくなる。もっと楽しまなければ・・・



4/25 「元さん、元気だね!」と、いろいろな方々から言ってもらえ嬉しく思っている。たとえ世辞であっても、気にかけてもらっているのだから感謝しかない。 でも、体力の衰えを、日に日に感じざるを得ないのも事実である。これだけ歩いているのにと思っても、それは、仕方がないのかもしれない。

 でも頑張る。頑張るしかない。「老い」「衰え」に叶わないかもしれないが、抵抗し続けていきたい。幸いにも、今のところ、ずっと若い方々が付き合ってくれている。 面白くもないだろうに感謝しかない。でも、元気が無くなったら、声も掛からなくなるのは必死である。「そんなのに負けてたまるか?」その粋である。



4/24 「意欲があったら何処へでも行ける。」と言ったら、「山ノ神」が行くと言い出した。しかし、「大勢のグループや強者とは行けない。迷惑になるだけだから・・」とも言う。 最も、それには前の話があり、「行く気さえあれば、どれだけ時間が掛かっても付き合う。荷が重ければ私が担ぐ。時間が掛かるようなら、もっと早くスタートすればいい。 なるべく平日にすればいい・・」などと言った事が経緯がある。

 私だって、「山ノ神」と一緒のところは限られて来るし、思う存分とはいかない。しかし、自分勝手ばかりでは、益々亀裂が入る。お互いに言える事であるが、相方が病に倒れた事を思えば、 これくらいの事は、我慢出来るような気がする。 寝たきりや認知症になれば、今のような山行スタイルを、押し通す事など出来ないハズ。 実際、私の年齢で、歩き通している方は少ない。感謝しなければならないのだろう。



4/23 昨日の僧ヶ岳は疲れたとはいえ、あれだけ歩いたのであるから、達成感が漂い満足気にビールを飲みたかった。しかし、いつもの事であるが、私の一言が悪かったのか、 それとも「行きたくても行けなかった・・」「山ノ神」のストレスが機嫌を悪くしたのか、真意は分からないが、食事中には無言のテーブルとなってしまった。

 今朝も早く起きて記録の整理に精出していたが、「山ノ神」からのアクションは何もなかった。でも、時間の経過と共に、「山に行くのか行かないのか?」で我が家は決まりである。 「休日は、山にしか行かないのであるから・・・」満を持してか、それとも、渋々かは分からないが、大辻山に出掛ける事になった。もしかしたら、今年初めての大辻山だったかもしれない。 交わす言葉は少なかったが、それでも、歩調を合わせ、ゆっくりと歩いた。山頂からの展望はなかったが、それでも、ビールを飲んだ「山ノ神」のご機嫌が変わったように思えた。



4/22 片貝第2発電所から約2キロ先まで、車の乗り入れが出来たものの登山口までは長い歩きがある。それでも、先週から比べれば、30分ほど助かった事になる。 必ずしも、登山日和とはいかないお天気であったが、この東又からの僧ヶ岳に、美香子さんとNaoさんが一緒してくれた。

 登山口からは、急登が続く。ずっと、長い長いロープが施され、その急登が証明されているかのようにも思う。しかし、今年は、イワウチワの当たり年なのかは分からないが、 疲れた心を癒やしてくれ、ロープの長さに負けないくらいに、延々と咲き誇っていたのであるから、尚更ステキに思えたである。

 伊折山直下でアイゼンを装着し、成谷山に向かった。今までの経験上、標高差230mくらいであるから、それほど時間を要しないと思っていたが、知らず知らずの内に、 体力が衰えていた事を、あまり加味していなかった分、なかなかであった。いつもなら、大明神山から毛勝山を仰ぎながらの登高であったが、今回は、きっちりと線が出来ているように、 名峰の上部は見る事が出来なかった。

 成谷山に達した頃に、海側に雲海が現れた。そして、青空の期待をも覗かせたのであった。しかし、その期待はそれまでで、霧雨が小雨と変わっていった。 景色も何もないし、小さいながらも、アップダウンを繰り返し続けたのである。山頂に辿り着いた時は、特別な標識があるわけでもないし、広い雪原の中で、GPS機能を使って探し当てたのである。 天候が悪かったが、風がなかったのが幸いで、とにかくお腹が空いているのだからと、コンロ・ガスを使わず昼食とした。

 いつもと違って、快適な食事処ではなかったが、何を食べても美味しかった。何せ歩き始めから7時間強の時間を要しての食事であった。濡れた着衣を何処で着替えるかとなったが、 しばらく我慢と言いながら、下山の途に着いた。小雨と霧雨が交互であったのと、元気者の熱気が、着衣を乾かすには至らないまでも、寒さを感じさせなかった。

 昨年のように大展望の再現とはならなかったけれど、余計に歩いた林道、少人数だけに一言毎の励ましも効き、忘れられない山行となるのは間違いないであろう。何せ13時間なんだから・・・



4/21 何処かに行かなければ収まらない私(達)。時間的な事や予報を考えて牛岳となった。最も僧ヶ岳行きを、明日に順延した事が、最大の理由であった事は間違いない。 牛岳は、私が今まで登って来た中で、一番多く登っている山である。一年を通して、また過去は時間のない時など、もう好きとか、キライとかいう山ではない。 牛岳の最初に登ったのは、高1の冬2泊3日のキャップ山行であった。あれから60年である。
 今日は、「獲物がないか?」キョロキョロしながらある。タラの芽・コシアブラ・ゼンマイ・コゴミと、予想以上の収穫に「山ノ神」はご満悦であった。 少し、雨が落ちたが、雨具や傘を出すほどではなかった。



4/20 このところの予報に翻弄されている。日曜日に予定していた僧ヶ岳行きを、お天気を見越して月曜日にしたら、逆の方向になってしまった。自分一人や「山ノ神」と二人だけなら、 どのような場合でも、即座に対応出来るのであるが、どれだけした親しい仲間であろうが、その意思疎通には時間が掛かる。

 また、コロコロ変わる予報に惑わされる自分も悪いのであるが、予報官も、それなりに苦労されているのであろうと思うと、決め事を、はっきりさせておかなければならないのであろう。 しかし、やめると、後から晴れてくる事がよくある。本当に不思議である。でも、私はどのような形でも山に行く・・・



4/19 自分の山行を振り返るのも面白いものである。「あの時は・・」「もっと、行けたのに・・」「誘えば良かった・・」とか、楽しかった事、辛かった事、悔しかった事などが、 走馬灯のように思い出される。そして、その事が全部自分が主役になっているのだから尚更面白い。しかし、唯ピークを目指した時や、スピードだけを意識した時などは、単独行などと同じで、 写真や記述が少ないのである。若い時、いい男の時(笑)、もっと写真を撮っておけば良かったと思っても遅い。でも、これから、もっと元気で長生きしたいのであれば、 恥ずかしがらず、たくさん撮ってもらった方が良いに決まっている。「ステキに撮ってネ!」と言っては笑われている。

 我HPの「懐かしの一枚」で、2,008年の僧ヶ岳を載せている。福井の宮ちゃんと「山ノ神」との3人で出掛けたのであるが、その時も、片貝第2発電所から歩いている。駒ヶ岳まで行ったのではなかったかな? 重荷を担いでの成谷山1600m地点でキャンプをしたのであった。その翌年、「山ノ神」と二人で、再びキャンプ山行としたのであるが、その年は、異常なまでの残雪があり、デブリが酷く、 同じ片貝第2発電所からのスタートとなったのに、東又登山口に辿り着いただけで5時間を要してしまった。そんなので、成谷山ではなく、伊折山直下のキャンプとなった。2日目は、何もかもの予定が遅れ、 凄いデブリが覆い被さった林道を、ヘッドランプを灯して歩き通し、車に辿り着いたのは午後9時であった。あの頃は元気だった。私が、東又から僧ヶ岳に行った半分ほどは、「山ノ神」が付き合ってくれたのであるが、 今やその元気が無くなってしまった。家で私を蔑ろにする元気を、山に持って来れば、まだまだだと思うのであるが如何に・・・



4/18 私の好きな一座に僧ヶ岳がある。でも、まだ37回の記録しかない。そして、拘っているのが、片貝東又からのルートである。数えて見ると15回であった。全て残雪期である。 片貝第2発電所から歩いた事は何度もある。だから第4発電所まで車が入るとラッキーとなる。先日も第2発電所から偵察として歩いてみたが、林道歩きは、さほど苦にならない。

 その僧ヶ岳を年甲斐もなく、また狙っているのであるが、今度の日曜日の予報が良くない。しかし、翌日の月曜日がお天気なら、同行しても良いという仲間が現れた。 そしてまた、初めてだけれど、一緒したいという方まで出て来た。実に嬉しく楽しくなる。このような意気込みなのだから、お天気さん、味方してください。



4/17 「歳の割には元気」だからであろうか、山に入れば、結構声を掛けてもらえる。嬉しい事である。今年の8月で喜寿(77歳)を迎えるが、「気持ちは、まだ青年(成年)」 80歳(傘寿)を過ぎたら中年。そうでなければ、140歳へのスケジュールを描き切れない。まずは、「歩ける事、歩き続けれる事が大事。」

 頭はこれ以上鍛えれないから、新しい事に、ちょっとだけ付いていければ良し。後は、忘れる事は仕方がないにしても、何が何だかわからないようになって、 他人様に極度な迷惑を掛けないければ良いのだが・・・ そして、前向きと言うのか、希望(夢)をもって臨んでおれば・・・  また笑われそうである。



4/16 山から帰って、入浴や食事をする。これが、早朝に出発したり、帰宅時間が遅い場合、ましてや、飲酒をすると、YAMAPやFB、HPの更新が遅れてしまう。 それを、強硬なまでにやってしまうと、起きてから、びっくりする事がある。誤字脱字だけなら良いが、全く見当違いな書き込みをしている場合があるから・・・

 今朝は、雨模様でお昼から晴れるとあったから、夜明けから起きてHPの書き込み、そして、コゴミ配送の準備に時間を費やした。そして、もう一つ所用をこなし、 千石城山に向かった。疲れていようが、雨が降っておろうが、「休日は山に・・」を押し通すのが私のステータス。良かろうが悪かろうが、これがなくなるようでは、 私もオシマイになってしまう。その所用場所に近いのが千石城山であった。土井女史と会えた喜びが加わって、低山であろうが、ステキな一日なった。「山が好き。人も恋しい。」



4/15 4月中旬から下旬に掛けて毎年のように僧ヶ岳に出掛けている。その前に、その東又に通じる片貝川沿いの林道を偵察がてら、山菜採りに興じている。 今日も、片貝第2発電所からの歩きを強いられたが、残雪・川の流れ・芽吹・早春の花などの非日常に接する事が出来、日頃、山と戯れている自分であっても、 違った一面に喜びを感じるのです。山に登るのが好きだけれど、林道歩きはイヤという方々を多く知っているが、山に対するイメージはそれぞれなのだろう。

 次の日曜日は、今のところ、あまり良くない予報であるが、それでも、僧ヶ岳への憧憬は衰えず、最後まで、どうにかならないものかと希望を持ち続けたい。 本当は、その日に拘らなくても良いのであるが、後々の計画に支障がないように思うからである。ザックいっぱいのコゴミを背負いながら、ニコニコしながら帰ったが、 その後の仕事があるのには結構疲れるのである。



4/14 直前にNaoさんの参加となり、4名の女性の手厚い看護・介護の体制が整った。元々、まりさん・美香子さんは健脚だし楽しい。 そして、これ以上ないというお天気に恵まれて最高の日となった。登るに連れて、「僧ヶ岳行きを、烏帽子山に変更したのは正解だったね!」と皆口々に言い始めた。 でも、我々の東又からの僧ヶ岳も、大明神山や毛勝山を眺めながら歩くのだから乙な味がある。(笑)

 前烏帽子山辺りで、突然「やぁ~」と一人の男性がやって来た。「あれ~ツ」と皆が驚いた。安さんであった。でも、俄然楽しくなった。そして、この計画段階で、 山頂まで行けるかと懸念を持っていた「山ノ神」も、皆の激励が奏功したのか、山頂に立てたのであった。山頂に立てば、いつもの通り美味しい物がたくさん出て来て、 それはそれで楽しいのである。
 私から見れば、ずっと若い女性達に、イザとなったら助けてもらえる特典があるのだが、これを「花の中で・・」と言ってくれる方もある。 「楽しいよ!」「今度来られ・・」  帰りは、牧場で桜のお花見を兼ねたソフトクリームを美味しく頂いた。「私は幸せ者です。」



4/13 昨夜は会合があったが、その前のⅠ時間半程、古城公園に夜桜見物に行ってきた。毎年何らかの方法で出掛けているが、今年は、二人で、ベンチに腰掛けて、 その雰囲気を楽しんで来ました。明日は、僧ヶ岳行きを、ちょっと下方修正?で、烏帽子山に出掛けます。それならばと、自信があまりないという「山ノ神」も参加の意向。



4/12 自分では、まだまだと思っていても、寄る年波に勝てるはずがない。でも、山に入ると、「元さ~ん」と、声を掛けてもらえるから嬉しいし元気が出る。 一緒してくれる方々も、私の衰えを加味して歩いてくれているのだと思うと感謝しかない。行く山に限りが付いて回るかもしれないが、 「元気でさえおれば、まだまだ付き合ってもらえるのではと思っているが、甘い考えかもしれない。
 しかし、世辞かもしれないが、「一緒してみたい。」とか、「誘って欲しい。」などと、言ってもらえるのだから、山は本当に有り難い。 そしてではないが、軽い山かもしれないが、全休日山に出掛けている。



4/11 雪解けが進む。行きたい山がたくさんある。リスクのない山などないが、長い間歩き続けたい私は、安全第一で臨まなくてはならない。 残雪期は、積雪期と違い、高い山・遠い山が、その範囲に入り、「山ノ神」と、一戦を課さなければならなくなる。でも、「行ける(登れる) 事は素晴らしい事」を全面に出し、納得してもらうよう頑張るつもり。その代わり、「山ノ神」の希望を、幾つか取り入れるようにしたい。

 他人様からみたら、信じてもらえないかもしれないが、二人の会話は非常に少ない。24時間・365日、休日も一緒の事が多いのにである。 実に不可解である。思考・主張が違う事もあるが、私は、これも「老害」と思っている。長い間生活をして来たのだから、今更邪険(じゃけん)に扱うわけにもいかないし、 私も困る事の方が多いと思う。あと、どれだけは分からないけど、仲良くは難しいかもしれないが、出来れば温和に、そして、楽しく有りたい思っているのですが・・・ なかなか



4/10 何だか疲れている。そうは思いたくないのであるが、座ると、ついついウトウトする。もちろん、睡眠時間の短いのが影響しているのは間違いないが、 認めるのがイヤと、可笑しな理屈である。「長く歩いたから・・」「3日間も歩くから・・」と、「山ノ神」は、「歳を考えろ」と言わんばかりである。

 今日は、快晴に近いお天気で、県内の桜の名所から満開の便りが届いて来ている。我が家から高岡古城公園が近い。夜桜見物も良いのだが、やっぱり、今夜は、ちょっと寒い気がする。 先日までの高温であれば良いのであろうが、なかなか上手くいかない。しかし、この陽気は週末まで続きそうである。まだまだチャンスがあると思っている。



4/9 雨でも雪でも、モチベーションさえ下がらなければ、私は可能な限り出掛ける事にしている。「出掛けたくても、出掛けられないようになるまで・・」
 「四季を問わず、どんな時でも、歩いておらなければ、本当の山は分からない。」など、そのような高慢な言い方は出来ないが、只々、歩ける事に感謝である。
 「歩かなければ衰える。」「その速度は早い。」「山に通う習慣化を大事にしたい。」それは、自分の体力に自信がないに他ならない。でも、ずっと、歩き続けたい気持ちを大事にしたい。



4/8 「今日は何処へ行く?」となった。「山ノ神」から、烏帽子山の名が出たので、これは好都合と思った。例年・僧ヶ岳へは、片貝(東又)からとなっているのであるが、 林道工事のため、車両通行止だとの情報があり(正確か、どうか分からないが・・)、「烏帽子山経由かな?」と思っていたからである。

 その旨を伝えると、「山ノ神」の態度が一変した。「私は行けないから・・」である。大理石のテーブルから100m程進んだところで、積雪のため車はそこまで。 あと一週間で溶ける状態ではないと思ったが如何に・・。嘉例沢公園まで40分程掛かった。なので、今日は、鋲岳までとした。「山ノ神」は、盛んに私を烏帽子山方面へ行く事を勧めたが、 今日はここまでとして、林道歩きをしながら、フキノトウ採りに興じた。

 時間は、まだあった。「もう一座登ろう。」と、大鷲山・南保富士・城ヶ平山を提案、「もし嫌なら、君が4重奏辺りで待機していても良いよ!」も付け加えた。「山ノ神」は、南保富士を選んだ。 時間が経ち、「山ノ神」の機嫌は直っていたが、足が付いていかないようであった。暑さもあったかもしれない。結局、山頂から戻って「山ノ神」の荷を私が担ぎ上げる形になった。 山頂からの展望は良かった。でも、「山が近くに見える。」雨の前兆でもある。車に戻る頃から降り出した。



4/7 今日は「山ノ神」抜きの山行。(しかし、「山ノ神」に車も、コンロも渡しての山行)元気なまりさんと美香子さんに引っ張られての山行。少し荷が重いものの、 やっとかっと、付いて行ったようなもの。でも、ステキで楽しかった。ステキは、疲れを上回ります。衰えを辞書から外したいです。そして、自分の目標に邁進します。



4/6 「元気な今の内に・・」などと、言われたり聞き及ぶ事があるが、私は、特別な事をする(出来る)わけもないので、少しでも長く歩ける(山と関わる)事に専念したい。 現在の私は、山と切り離した生活など考えられない。かと言って、毎日も出掛けられないのであるが、そのために仕事をしているようなものだ。

 連続3日間は、どうなのか分からないが、週3日で充分である。そして、出来れば、年に1~2回程で良いが、一週間から10日程、ゆっくりと出掛けられれば、それはそれは最高である。 なかなか、そうはいかないが、そのような思い(夢)をもって毎日を送っていたい。そのために、トレーニンを欠かせないのであるが、「言うは易く行うは難し」

 明日は、「きこりさん」の言葉をお借りすれば、ピチピチのお姉さん方の介護を受けながら、大長谷方面の山を歩きます。元気であれば、誘ってもらえます。  「山ノ神」、その後の2日間、あなたのために使いますから、宜しくお願いします。(笑)



4/5 私は難しい事は分からないが、何事も、正解は一つではないような気がする。仕事も遊びも、そして、人生そのものもである。知恵がないからもあるだろうが、 これまで、「これが正しい。」と言い切れない事がたくさんあった。それが現在でも続いている。まあ~、好き嫌いもあり、尚更、答えが難しく出せなかったのかもしれない。

 歳を取ると「我」が出て、どうしようもなくなるし、若い方々とは、考えどころか、言葉や雰囲気と言えば良いのか分からないが、なかなか通じ合え無い。しかし、 その中に充分な考えや生き方もあり、ゆっくり聞けば、なかなかと思うことがある。自分が否定されているとの考えさえ押し殺せば、上手く行く事が多い。

 「疲れる。」「眠たくなる。」は、権利を放棄するようなもの。何事も聞く耳を持つ事のようである。それがイヤなら、慕われるよう人間を磨くしか無いように思う。 それは、難しい。やっぱり、いろいろ意見を聞いたりして、仲良くするしか無いであろう。楽しくなるよ!元気も貰える。そして、元気になる。何事も前向きに・・・



4/4 HP「元さんの山歩き」YAMAP「元さん」FB「本間元三」拙いながら、毎日綴っている。(毎日はHPだけ) だけれど、泊があったり、遅い時間に帰宅したり、 また、飲み過ぎたり、などなどで、翌日に繰り越す事もある。でも、長い期間やって来ていると、何も頭に浮かばない事がある。ネタ(タネ)が無い事もあろうが、 やっぱり意欲である。探せば何でもあるのだから・・

 そんな事もあって、時には、私生活の事を記述してしまう事がある。他人様の事を記するわけでもないので、構わないのであるが、記した本人が忘れてしまうのであるから、 その事で、「どうして知っているの?」などと、逆に問う事がある。また、そんな事があって、私より私の事を知っている方があるので、 恥ずかしいような嬉しいような、複雑な気持ちでもあるから可笑しい。

 平成12年2月からであるから、満24年を超えた。だから、「元さん」ではなく、「元ちゃん」と呼んでくれる方がある。 その方々は、ずっと、以前からのお付き合いしている事になるから、実に有り難い方々である。(勝手に私の応援団の方々と思っている。)

 「山は仕事。仕事は趣味。」と言って、動いているが、出来るなら、ずっと続けられればと思っている。良いか悪いか表現の仕方が分からないが、 若い方々との行動が多くなって来ている。頑張れば、そのような方々と、お付き合い出来るのであるが、たまたま休日の違いもあり息抜きも出来る。(笑)

 もちろん、私より年上の方々がある。お付き合いで来て嬉しい。そして、また私の目標でもある。ずっとずっと、一緒に歩ける事は、私の目標も高くなるので喜ばしいと思っている。 また、ちょっと身体を痛めた同輩の方々でも、意欲さえあれば、どれだけでも一緒する気構えでいる。私の人生(青春)そのものであるから大事にしたい。 年齢・性別関係なく、楽しくお付き合いしていきたいです。



4/3 「ちょうど、ピッタリですね! 赤祖父も羨ましかったです。」 「山行火曜会」で、出掛けた八乙女山雪割草山行でのコメントを、Y女史から頂いた。 実は、そのY女史を、今回の山行機会に、ゲストとしてお誘いをしておきながら、すっかり忘れていて、そのコメントに驚いた。最も、お仕事で、平日には参加出来ないとの お断りの返事を頂いていたから、尚更だったのかもしれない。

 そのY女史とは一度も一緒した事もないながら、YAMAPのメッセージを通じて、少なからず、やりとりをしている。水上からの登高中、ハゲ山と峠山の分岐付近で数秒にも 満たない時間ながら、すれ違った経緯があっただけなのであるが、それも縁なのである。名前も年齢もお住まいも分からないながら、「天使のような・・」方と、「昔はジャニーズ並」の男が 他愛もないやり取りなのであるが、新鮮で楽しいのである。

 「いつか何処かの山で・・」と言いながら、ずっと、お目に掛かる事が出来ないかもしれない。もし、そうだとしても、それはそれでいい。時々であるが、激励してもらったり、褒めてもらったりするだけで、 日頃、お会い出来る山友と、また違った味がある。願わくば、お互いずっと元気で、このようなお付き合いが出来ればと思いつつ、そして、もっともっと歳を重ねた頃に、 「あの時は・・」とのお話が出来ればと淡い気持ちでいる。



4/2 また八乙女山感はあるものの、今回は「山行火曜会」として出掛けました。集合も、のんびりの午前9時40分。スタート時点で、コーヒブレイクなどの贅沢な雰囲気。 月1的な集いの感があったが、何だか楽しいのか、それよりも、集う回数が多くなっているような気もします。(笑)

 今回は、雪割草がメイン。「山頂はどうでも良い。」と、展望の効かない山頂よりも、散居村を眺められる東屋での食事が楽しみの一つだった。 仲間最年長の池田氏は、あの急登を、ドンドン先頭を行かれるのだから魂消てしまった。すれ違う方々に、「あの方はお幾つ?」と聞かれ「84歳」と答えると、 またまたびっくりされていた。「あの方のように、私もずっと元気でいたい。」と思われたに違いない。

 それにしても、雪割草は最盛期のような気がした。可愛くて何度もシャッターを切った。このような状態で、たくさんの方々に楽しんで頂きたいものである。 もちろん、「採らないで・・」そして、「踏まないで・・」をお願いしたい。
 東屋では、いつもの通り食べきれない程のご馳走が出て来る。「山に来て 太るとは何ぞや!」となる。ちょうどシュンちゃんの誕生日が近いとの事で、お祝いのケーキまで準備されていたのにもびっくり!

 途中、福井の熟女御三方にお会いした。声を掛けて頂いたのである。その時に、「シモニイ?の訃報」を聞かされてびっくり。あの元気な方である。 皆さん目標としていた方である。池田氏とよく似た年齢だったと記憶している。御冥福をお祈り致します。



4/1 「山ノ神」のいう事を時々聞いておかないと、私の行きたい時に、快く出してもらえないような気がする。今回は、「黒菱山」であった。 当の「山ノ神」にしてみれば、以前は行けたかもしれないが、自信がないのである。そうなれば、「何時間掛かっても良い。」と言ってやらないと、スムーズに事が進まない。

 今回は、展望は良くなかったが、それでも行けたのである。前回の11時間から、1時間半程短縮出来たのであるから、自信に繋げれば良いのだが・・・。  夫婦というのは、厄介である。いなければ困るのであるが、いると鬱陶しい。最も、お互い様であるが・・・。

 寝た切りになったり、認知症になったりした事を思えばば、何だって我慢できる。これもお互い様なのであるが、すぐに忘れてしまって諍いになる。  まあ~、そうなるのは、私達だけではないと思うが、そんなに理屈通りにはいかない。ポイントを押さえて、乗り越すしかあるまい。