10/31 歯痛、喉痛で、ここ2、3日憂鬱な日が続き、お約束の「紀行文」も進まない。おまけに私の連休(11/5,11/6)前夜に、埼玉から姉夫婦がやって来るというので気分が乗らない。来高自体は、熱烈歓迎なのだが、タイミングが悪く、山行計画の見直しを迫られてしまった。
私の足に異変が起きている。足を組む事が出来ないのです。股関節に、なにやら違和感を覚えるようになってしまった。また反対の足に血管が浮き出るようになってきている。でも、現在歩く事に全く支障がない。何処へでも、連れて行ってくれるこの足がダメになったらと思うと、目の前が暗くなってしまう。もう若くないと言っても、過去に足の甲の疲労骨折、スキーで手の甲、肩の下と三度の骨折に耐えて来たんだから、こんなものに負けてなるものか! p.m.4:30



10/30 「ブナクラ修復グループ」の辰口氏に、今年出来た「駒ヶ岳」への登山道の事をお聞きした。同氏自身、雪解けの頃から、十数回も整備のために、僧ヶ岳へ足を運んだそうだ。その作業の様子と苦労が、記録的に撮られた写真から伺えた。写真を見る限り、私が残雪期に登った道は、いったい何だったろうと思うくらい立派な道に拝見した。もっとビックリした事を聞いた。駒ヶ岳の先の滝倉山を経由して、平杭乗越から毛勝山への登山道計画があるそうだ。実現するかどうかは別にして、平杭乗越から毛勝山へは、私が行った事がないから分からないが、「天国の坂道」はどうなるのだろう! またロマンが一つ消えそうで心配だ。
また別ルートの話題だが、池原等氏が、闘志を持って作り続けていた毛勝山への登山道(夏道)が、どうやら通じたらしい。しかし、この道は、一般の登山道とは言いにくく、かなりの時間と体力が必要らしいく、チョット怖い所もあるらしい。 p.m.2:40



10/29 未明の午前3時前に飛び起きて、外に出て見たが、西の空に、かすかな期待が残るものの、小さな雨が落ちていた。計画への未練と雨中の山行決断を頭の中に同居させながら、先日来のHPの補修作業を夜明け前の5時過ぎまで繋がってしまった。この時間まで来ると、もう近間の山になるので、また、床の中に潜り込んでしまった。結果的に沢山たまった所用をこなすためにも、簡単で、しかも今年は未だ出掛けていなかった「高峰山」行きとなり、誰もいない小雨の静かな大辻林道に車を走らせた。鳥越峠や高峰山頂は、ガスに覆われて、剱岳を始めとする山並みを見せてはくれなかったが、なだらかな山道を、大きな落ち葉を踏締めての登高と、ひんやりした山の空気を吸い込むだけで、今日の小さな山行は充分満足させてくれた。 p.m.4:30

10/28 私の今後の山行予定表を見て、愛知の加藤さんから「藤原岳」の、もの凄く詳しい地図が送られてきた。日頃あまり行く機会のない滋賀.三重県境付近の名山に、心が動かされそうだ。
明日の山行は、またまたお天気の推移に影響されそうだ。「能郷白山」行きは諦めたが、午後からお天気が旧回復したら、心痛むところだ。
昨日から、「元ちゃんの山歩き」は、画面上には殆ど影響がないのだが、二つのHPアドレスの上に成り立つ事になった。その設定と、移行にかなりの時間を要してしまい、新たな「紀行文」を書くのに遅れをなしてしまった。しかし、これからは、あまり容量を気にすることなく書き続ける事が出来る。



10/27 我HPのメーンページに、御夫婦で山をこよなく愛す、砺波市の蔦氏が撮られたとてもステキな写真「アヤメ平」をお借りしました。同氏自慢の作品なのですが、私は1/7程に画質を落として載せています。実際は、もっとアヤメ平の雰囲気が、伝わってきそうな素晴らしい画像なのですが、私はADSLを使用していますからいいものの、環境によっては、開くのに少し時間が掛る方もあるかもしれませんし、これが限度かなと思っています。暫くご辛抱の程お願い致します。その同氏は、今夏、朝日小屋から長栂山、アヤメ平、黒岩平、ヒスイ峡経由で大糸線小滝駅まで、御夫婦で歩かれたそうです。雲上の楽園「アヤメ平」は、そうした長く苦難な行程と共に、強烈な印象が想い出となっていると聞き及んでいます。
また、親不知から朝日岳の栂海新道を機会があったら歩んで見てください。 未だ別天地です。朝日小屋以外は、避難小屋利用(綺麗で整っています。)となりますが、、全行程2~3泊が必要です。 a.m.8:15



10/26 今日の北日本新聞に、事故の後遺症を克服して入善町の46歳の女性が、「日本百名山を制覇」の記事があった。昨夜、経ヶ岳で知り合った松尾さんから、先週「三の峰.別山」に登った時、47都道府県最高峰完踏、それから百名山、二百名山の完踏を終え、現在三百名山に挑戦中の中年夫婦に出会ったそうだ。ご主人には、耳の聞こえないハンディキャップあり、奥さんが通訳を兼ねての微笑ましいパーティーに感じたそうである。また過日「日本三百名山をこうして踏破した」の作者の”平ちゃん”は、人工肛門のハンディキップを跳ね除けての、これこそ凄いHPです。一読あれ!
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/index.htm   情熱さえあれば、限りなくその目標に近づけるようである。 p.m.2:10



10/25 金ちゃん夫婦から、「谷川岳」に登って、水上温泉で寛いでいるという携帯メールが届いた。メジャーな山行しかしない彼らは、雨のため何週間この山行を暖めていた事か! それにしても温泉泊は羨ましい。前週の順治さん夫婦の斑尾山からの、野沢温泉泊報告といい、中高年真っ只中の私も、「かめの会」を見習い、うさぎ?や カモシカ的山行を考え直さなければいけない年齢に、差し掛かっているのかもしれない。 a.m.9:15



10/24 先日の「白倉山」行きで、一昨年の山行回数58回に並んだ。自己新になる次回の山行は、福井.岐阜県境の「能郷白山」を予定しているが、今の段階での予報では、雨になっている。「能郷白山」に特別拘っているわけでないし、雨飾山を眺める山「大渚山」に、変更するかも知れないが、でも、節目の山行を「天」は、雨の「牛岳」行きを薦めてくれるかもしれない。 p.m.0:25

10/23 瑞牆山から帰った夜、福井の経ヶ岳でお世話になった、七尾の超美人グループの「おかめさん」から楽しいメールが届いた。ゆっくり歩こうという事で「かめの会」の名が付いているらしく、35人の大所帯との事。これからも、面白可笑しく書いてくれそうなメールが楽しみだ! また、瑞牆山下山中に、デジカメを撮っていた横浜の柴土氏に、ヒョンナ事からHPの話題になり、我「元ちゃんの山歩き」を恥ずかしながら紹介したのだが、早速メールが届いていた。「山の会」に所属している柴土氏に、同年代の誼で山の情報をたっぷり頂きたいと今から期待している。 p.m.7:20



10/22 昨夜は午前1時就寝だったが、今朝は午前6時半に「越中の百山」の一座「白倉山」に向かった。本来なら、カンジキを履いて登る山なのだが、夏道が出来たというニュースもあり、一度登ってみる事にした。この辺一帯は「熊の巣」だから、鈴とラジオを持っての登山となった。低い山なれど、作られて間もない山道は、結構きついのである。昨日の疲れもあってか、「山ノ神」のピッチが、なかなかあがらず、「執念」だけで登っていた感じであった。大日連山と毛勝三山の上部だけが、チョッピリ伺えたが、その後は残念ながら、雨になってしまい、滑って転んでの辛い下山路となってしまったようである。 p.m.8:20



10/21  昨年の7月に、金峰山と一緒に登る予定だった瑞牆山が、夜行日帰りの両山では、「山ノ神」にはきつく、リタイヤとなってしまった。今回はリベンジだったが、紅葉時の日曜日とあって、続々上がって来る登山者には、さすがに参ってしまった。岩だらけで、登れないと思っていた瑞牆山の登頂は「山ノ神」とって、頗る満足のようでした。ついでにと「入笠山」の山頂にたったら今度は、今登って来た奥秩父奥多摩の山並みが見えたとこれまた満足。そして、南ア、中央ア、北ア、八ヶ岳の大パノラマに酔いしれて、この山頂でも一人で乾杯と熱くなっていた。お陰で私は、帰路の道中を一人で、眼を擦りながらの運転となってしまった。



10/20 予定を変更して、瑞牆山に出掛けます。 p.m.10:45



10/19 最近「大猫山」の事ばかり話題にしたせいか、「大猫山は何処にあるの?」と直さんと俵さん、「来年は一緒に行けよ!」と春夫君、「綺麗な所なのでしょうね!」と美奈ちゃん、「私は行けないの?」と山ノ神。その中で、よっちん夫婦は、もう素晴らしい眺望を楽しんで来たようだ。また、順治さんは、機会を狙っているようです。
今年は、もう大猫山へは行かない。ハクサンコザクラの群落、絨毯のような紅葉、そして、勇壮な剱岳を仰ぎ充分堪能したからだ。来年は、是非とも猫又谷から雪渓を詰めてみたい。 p.m.5:55



10/18 このところHPで、マウンテンバイクを利用している山行を、何度となく見る事があった。車で登山口まで行くと、どうしても同じ所へ戻らなくてはいけないが、それを防ぐ為の利用で、下山予定地に、マウンテンバイクを置いてから、出発点に行く手法である。また、長い林道の往復に、利用しているしている方もあった。極めつけは、滑川(海)から、馬場島までマウンテンバイクで出掛け、それから3000㍍の剱岳に登った石坂氏のものであった。羨ましいが、私の車には、自転車が入らないし、キャリアもバイクも買える余裕もない。デジカメが欲しく、何度も店頭まで足を運ぶが、未だ買えない。



10/17 私の願いを聞き入れてくれた、愛知の加藤氏からの寄稿を、早速「エッセイ集」にと思ったのですが、これがまた、手の込んだ手法が施されいて、昨日から、すーっと頭を悩まさせた。無理やり重たい?画像を落としたために、同氏の思いどうりにならなかったかもしれない。でも、その思いと、当方の涙ぐましい努力の跡を見て頂きたものです。
今日は雨。水曜日が定休日の金ちゃん夫婦、このところお天気がよくない。”今年中に百名山をもう一座”と言っていたのに、またしても無情の雨!その金ちゃん夫婦に「意地悪メール」を送ったのだが?わかるかな・・・・・・・ p.m.4:25

10/16 一夜明けた今日も、昨日の「大猫山行」の興奮が覚めやらない。1800㍍以上は霜で白くなっており、もう紅葉は終焉。大猫平の地糖も薄氷が張っていた。そのかわり、剱岳の2700~2800㍍以上と思える所から上部は、真新しい雪を携えていて、真っ青な空とのコントラストが、我目にはこの上ないプレゼントをもらったような気がしてならなかった。双耳峰の鹿島槍ヶ岳と何処から見てもすぐ分かる特徴の山容をもつ五竜岳が、脇役を務めてくれ、直一層引き立たせてくれていた。1500㍍前後が紅葉真っ盛り、赤谷尾根、大ブナクラ谷と小ブナクラ谷の間の尾根が萌えていた。 a.m.9:30



10/15 「大猫山」は、今度こそ私を優しく迎えてくれたような気がした。いや「剱岳」が私を迎えてくれたのかもしれない。勝負は、朝の早い内だと意気込んだのに、剱岳周辺から日の出は、逆光となり、またしてもかと思った。山頂で我慢をした甲斐があり、頭の上にお日様が来た頃から、素晴らしい「剱岳」をこれでもか、これでもかとカメラに収めた。そして、大猫山の風衝草原を駆け回った。ビールを飲んで寝転んだ。誰もいない独り占めの山頂で、この上ない贅沢をした。山頂から、登山口近くまで、ずーっと剱岳を眺めながらゆっくり下った。今回は、四度目の正直となったが、この四回の山行で、私が出会った登山者は、今回の二人を含めて4人だけ。まだ「静かな山」なのだが、前回の山行時からみれば、登山道がかなりしっかりしてきていて、今は、情報の時代だから、そうでもないのかもしれない。



10/14 明日は悩んだあげく、「大猫山」行きにした。また「剱岳」を仰ぐ事が出来なかったらの不安がついてまわるが、時の運と割り切って出掛ける事にする。考えてみれば、7月から毎月行けると言うだけでも幸せなのだから・・・・・。「剱岳コーナー」に載せる写真が欲しい。”今度は4回目だものきっと撮れるよ”と自分に言い聞かせていかなければネ。紅葉にもあえればなおいい。 p.m.1130

 

10/13 山と渓谷11月号に「地震廃絶を訴え、英国人青年登山家たちの徒歩による日本縦断と日本百名山踏破進行中」が、今月の話題として載っている。三人の英国人青年は、今年の2月に来日し、鹿児島の宮之浦岳を出発、ゴールの北海道利尻山まで、徒歩による日本縦断と日本百名山完踏をめざして歩き続けている。彼らの目的の一つは、世界の紛争地で人々を傷つける対人地雷の廃絶キャンペーン。日本縦断の道中、地雷廃絶を訴え、その除去活動へ充てるチャリティを呼びかけている。チャリティは、日本のNGO「難民を助ける会」が窓口となり、カンボジアやアフガニスタンにおける地震除去活動に役立てられると言う。順調に進めば、11月に北海道に渡って、利尻山には12月上旬の登頂を目指すそうだ。
地震チャリティ窓口 特定非営利活動法人「難民を助ける会」http://www.aarjapan.gr.jp 募金は、郵便振替口座、加入者名、特定非営利活動法人難民を助ける会、口座番号:00110-6-96506、備考欄には「地震」と記入。トム、ポール、ベンの旅の日記は、http://www.japanesemountaintrek.org.uk/で随時更新との事。
良い悪い、好き嫌いは別にして、今時、日本にこんな若者が、そう多くはない。でも、自分の事も、他の人の事も考えられる若者達が、次から次と現れる事を期待したい。また、我々中年族も、青年達に負けてはおられない。「今時の若い者が・・・・・・・・」等と言う前に、身体に鞭打って頑張ろうではありませんか!



10/12 京都に出掛けている娘が、東京にも用事があるらしく、その出掛けた際に、「山ノ神」も上京することになり、10/15の私の休日は、久し振りに時間制限なしの単独行が許される。秋晴れで勇壮な剱岳が姿を見せてくれるのなら、またしても、因縁の「大猫山」へと、心を膨らませている。早立ちならば、どれだけ時間を費やしても余裕が出来そうなので、一度里に戻って、再び「剱岳」を撮りに「ハゲ山」にと思っている。でも、折角登っても、また私の心を裏切るようなお天気なら、(晴れても視界不良)山梨県まで足を延ばし、「瑞牆山」と簡単な「入笠山」行きに変更も考えている。、今後のお天気次第だが、私にとっては、贅沢な山行計画に思いを膨らませている。 p.m.5:40



10/11 日中、時間を割いて「蜃気楼写真展」を見に、高岡文化ホールに出向いた。高校時代の友人が、魚津蜃気楼研究会の一員で「見に来ないか!」と、声を掛けてくれたからである。海と山との違いがあるにせよ、自然が織り成す奇怪と言うかあの現象は、やはり生活環境のバロメーターのようなものだそうだ。自然が失われたら発生しないらしく、相次いだダム建設で、冷たい水が海に流れ込まなくなったよりも、光化学スモックを始めとする大気汚染の方が、影響が大きかったそうだ。山にもいろいろな環境問題が起きている。排気ガス、ゴミ、し尿など難しい問題ばかりである。山を愛する私達も少しで良いから、心せねばならない。 p.m.5:40



10/10 夜半から未明にかけて、2通のメールが届いた。「経ヶ岳」でお会いした福井の松尾氏と、これまたどうした訳か同じ福井のK氏からであった。K氏からは、リンクの依頼であったが、同氏のHPは、とても意欲的で新鮮なものであった。「登登(のぼのぼ)http://kore.mitene.or.jp/~nobozo 」



10/9 昨日の「経ヶ岳」で、私の山行史上初めて「熊」に出会った。「切窓」と言われる鞍部から、頂上に向かう尾根道で、クマザサが揺れた。風で揺れているものと、何か違う気配を感じたと思った瞬間、黒いものが横切った。「熊だ!」と言って顔を見合わせている間に、もう1頭が走り去った。ご一緒した福井の松尾氏がラジオを、私はホイッスルを出し恐る恐るその付近を通過した。長い山歴で、カモシカや猿は、目の前によく現れるのだが、20~30㍍とは言うものの流石に肝を冷やした。下山途中、少し距離を置いた「山ノ神」が、今度は斑点のあるヘビがとぐろを巻いていたと、「マムシ」の恐怖をストックが反対に突いたら云々と震え上がっていた。それにしても、「山ノ神」は、苦手なヘビを、毎回よく見つけるものだ。 p.m.3:10



10/8 福井の「経ヶ岳」行きは、石川の鶴来、白峰を経由して福井の勝山、大野へ出て高速代金を浮かし、尚且つ早い時間で行く事が出来た。心配された天候も、時間が経つに連れて回復し、快適な登行となった。紅葉の進行は、福井の山でこの高さでは、未だ「完全」ではなかったが、山の魅力は、充分に満喫出来、とても素適な山の一座になりそうである。人恋しい山行を続けている我々夫婦は、久し振りの祝日に、多くの登山者と声を掛け合う事が、何故か違った意味での新鮮味を感じ、また、福井の松尾氏、七尾の超美人の三人組とも知り合いになれ、山の魅力を増幅した感がある。



10/7 6日7日があんなに良いお天気が続いたのに、明日(8日)は、お天気が崩れる予報が出ている。最近の我休日は、一頃と違ってどうもいけない。悪運が我が身に乗り移った感がする。明日の「経ヶ岳」行きの降水確率はともあれ、降水量が少ない事を願って、福井の最高峰の頂きを踏みたいと思っている。さて、定刻通り出発が出来、高速代を浮かす事が出来るであろうか? p.m.10:30



10/6 北ア、立山、剱岳、黒部で遭難事故が相次いでいる。またまた中高年である。中高年の方々が多く入山しているのだから、確率的にもある程度の事故は仕方がないのかもしれないが、今回の剱岳の事故は、夕方まで山頂付近で何をしていたのだろうか!10月の剱岳を甘く見たに違いない!黒部川下の廊下のツアー客の転落事故は、どんな事故なのだろうか?



10/5 毎日のほほんとコラム欄(コメント)に書き綴っていた。自分の好きな事を、どんな形でも山を愛している人達が、そっと覗いてくれていると思っていた。思いつきを、時には赤裸々に、勝手な事を綴っていたが、毎日のカウントの進み方を見ていると、何処の誰がどうして、(大勢の人が)こんな物を見ているのかと思っていた。自分の友人にも、私のHPを毎日見ていてくれるのかと尋ねて見たりしたが、さほど訪れてはいないらしい!誠に不思議な現象だと思っていた。でも、最近毎日のようにみていると人が現れた。山の事はあまり述べられていなかった。それこそ、何処のどなたかわからないけれど、「山」を好きになって、「山」に出掛けてくれるようになると嬉しいのだがと返事を書いた。
余談ですが、疲れてきたのか!怠けているのか!  「紀行文」を、早く書いて下さい。との激励のメールも時々来るようになってしまった。 p.m.8:30



10/4 次ぎ行く山行に、頭を悩ませながら、胸を躍らせている。10/8予定の鉢盛山(2446㍍)は、入山禁止の「山」で、”許可証”なるものが必要で、セットで鍵を用意してくれるらしい。ガイドブックによると、返信用の切手を添えて申請するか、問い合せの電話をせよと記してあるが、「メールではダメですか!」と尋ねてみたが、未だ連絡がない。鉢盛山に、どうしてもと言う気持もないので、連絡がなければ、福井の「経ヶ岳」行きになる。10/15は、今年3回も出掛けておりながら、未だ、私に剱岳を仰がせてくれない「大猫山」に、どうしても登りたいと思っている。 p.m.4:30



10/3 雨の牛岳、強風の斑尾山と私の連休(10/1,10/2)は、良いお天気に恵まれなかったが、今回の山行は、それなりに満足している。どんな条件下の中でも、出掛けられたと言う事なのかもしれない。それにしても、昨日の”栗”の傷が痛い。生け花に使う剣山が、突き刺さった思いが今もする。



10/2 日本海側の北陸以北だけが、低気圧の影響で、お天気の回復が遅れると言う情報を気にしながら、「経ヶ岳」「斑尾山」どちらの山とも決めずして12時過ぎに就寝。午前2時過ぎにセットした目覚し時計に、飛び起きてみると、暗雲たち込める空からシトシトと雨が落ちていた。昨日の山行で濡れた山の用具(リック、雨具、ズボン、スパッツなど。)を、軒下に吊るしてあったとはいえ、びしょ濡れの様子を見て、戦意を喪失してしまい、布団の中に潜り込んでしまった。6時前、雨が止んだ様を見て、時間の事も考え一路「斑尾山」へ。早い時間に出発して、高速料金を節約するつもりだったのが、出来なくて無念であった。
「スキー場」の山のイメージが強く、三百名山の称号が付いていなかったら、見向きもしなかったかもしれない。一昨年も、黒姫山の帰りに挑戦しようと思ったが、登山道がわからず敗退。今回も、充分下調べをしていったつもりだったが、やはりバス停からの登山道また、私達が使用したい車が入る林道を見つけるのに時間を要してしまった。
「蟻の戸渡り」が、名ほどでもなかった以外は、野尻湖や北信五岳の山々見渡せ、事の他ブナ、ナラの林に満足した。またこの尾根コースは、栗拾いが出来るくらい沢山落ちていて、ハードな山行が苦手な「山ノ神」には、うってつけの山のようだった。
でも、思いも寄らない出来事があった。その栗拾い中、左腕関節に強烈な衝撃を受けたのであった。思わず日頃の遺恨を、「山ノ神」が私にぶつけての後からの殴打かと思ってしまったが、何とナラ巨木からの栗の落下であった。半袖姿の私の腕は、イガが突き刺さり、何ヶ所か青く打撲の痕が残っている。思わず「さるかに合戦」の”猿”に”栗”が襲いかかる様を想像してしまった。でも、もうチョット紅葉には早かったが、萌えるようになるであろう「斑尾山」は簡単だが良い山だった。 p.m.8:20



10/1 雨で百名山行きが、またも中止になった。でも、私には、雨になったら牛岳がある。今日も物好きなといわれる事を覚悟して牛岳に出向いた。記録によると59回目らしい。山頂に近づくと雨もやみ、雲と山の墨絵のような中から、砺波平野がカラーで浮かび上がった。こんな光景は初めてで、思わず歓声を上げてしまった。五箇山の山々は、ピークを隠していたがはっきりと見え、二上山と能登の山々は、雲上に頭だけを飛び出させ、富山湾は海岸線をはっきりと見せびらかせていた。しかし、立山連峰だけは、最後まで雄大な姿を見せてはくれなかった。
昨夜から、今夜にかけて嬉しいメールが届いた。愛知の鎌子さんから鳳凰三山の報告が、また、石崎氏からは立山雷鳥荘の勤務を終えて下界に戻り、改めて山への執念のようなものが伝わってきたものだった。そして、昨年、針ノ木大雪渓でお会いし蓮華岳まで、ご一緒いただいたジョナサン君から新たに「山のコーナー」のHPアドレスを知らせてくれた。実は自転車野郎のジョナサン君のHPが、突然接続出来なくなってしまっていたところだった。 p.m.11:25