3/31 昨夜、校下のバトミントンクラブの記録を見ていると、入部してから19年である事がわかった。諸先輩方々の名がなく、もう私が最古参になっていた。ヘタッピーで、お荷物がちの自分の身の降り方を、考えなければ思っているのですが、山歩きやスキーの体力作りに、貢献してくれた事の思いに離れがたいし、まだまだと言ってくれる後輩達のオベンチャラに、気を良くして毎週土曜の夜に、小学校の体育館に通っている。やはり、山歩きが続く限り、体育館のお世話にならなければなるまい。 p.m.5:30



3/30 雪がなくなってくると、遠くの山々に目が向けられていく。あの山にも行きたいこの山にも行きたいと贅沢な思いが募る。日本百名山は何処にしようか? そんなに欲張らなくて、山旅気分で3~4座に行けたらいいくらいに思っている。 (木曽駒ヶ岳2,956㍍、空木岳2,864㍍、鳳凰山2,840㍍、赤城山1,828㍍、浅間山2,568㍍、武尊山2,156㍍、吾妻山2,035㍍、男体山2,484㍍、日光白根山2,578㍍、皇海山2,144㍍、甲武信ヶ岳2,475㍍の中から。)
二百、三百名山は? 長野、山梨、新潟を中心に候補が目白押しである。
( 「守門岳1,537㍍ 新潟」、「茅ヶ岳1,785㍍ 山梨」、能郷白山1,617㍍ 福井」「経ヶ岳2,296㍍ 長野」「二王子岳1,212㍍ 新潟」「烏帽子岳2,628㍍ 赤牛岳2,864㍍ 北ア」「猿ヶ馬場山1,875㍍ 岐阜」などなど。)



3/29 夜から雨のようだが、長続きせず、明日の後半から晴れで、私の「池ノ山」行きの予定日もまずまずのお天気模様らしい。「池ノ山」と「高幡山」が、一発で決めれたら、「笈ヶ岳」と「滝倉山」へ、心が動いてします。二つの山とも「大笠山」「駒ヶ岳」までの経験しかないが、その先は、お天気に恵まれて、残雪の状態さえ良ければ、問題なく行けるような気がしている。しかし、日帰りでは、登れない年齢のような気もしているし、「泊まり」を許してもらえるかに掛っている。 p.m.3:50



3/28 我HPのメーンページの画像がネタ切れになってしまい、先月「赤谷ノ頭」に、ご一緒してもらった、「黒部のシュンちゃん」こと、飯田氏の画像を借りてしまった。同氏とは、未だ一度しか山行機会がないながらも、私の問い合せの応答や、適切な山の情報を知らせて下さる「ヤマ友」でもある。過日に届いたメールの添付画像である同氏の大切な作品を、勝手に画質を落として載せるには、とても勇気がいった。でも、喜んでくれた「シュンちゃん」からのメッセージに、私も心が和み、なお一層の親交を期待している。
所用があって仕方がないにしても、山に行けないと言う事は、とても辛く、ライフスタイルが乱れる事であって、身体も心も変調をきたしている。このような事が、二週も三週も続けば、「死んだように!」なり、それこそ重体である。



3/27 当初の予定より少し早くなったが、来週に今年度のメインエベントである「池ノ山」に挑戦してみようと思っている。本来なら、茂住峠から長棟峠に出て、少しばかり藪を漕いで山頂に行くのが、常道らしいが、あえて跡津川方面から残雪期に挑戦してみたいと思っている。「佐古」から長棟峠に直接行く事が出来るか、「大多和」から「高幡山」を越えて行く事が出来るか、未だ未知の世界である。どちらにしても、跡津川の林道に車が乗り入れ出来るかさえ確認していないし、一度の山行機会で、山頂に立てるとは思っていない。「とやま山歩き」118座最後の山は、慎重に登ってみたい。 p.m.11:55



3/26 今朝8時過ぎに埼玉から帰って来た。二晩殆ど寝ていないから、眠くて眠くてしょうがない。義兄の胃の摘出手術の経過は順調であったが、私の出掛けた前日の早朝に、軽い脳梗塞を併発したらしい。でも、運が良かったのか、素早く行われた処置が功を奏したのか、意外と元気だった事に胸を撫で下ろした。大宮駅から氷川神社を経由して、自治医大医療センターまで、歩いてお見舞いに行ったのだが、その田舎ぶりというのか、それ程まで歩きたいのかと飽きれられたが、異質の訪問者をとても喜んでくれた。夜の11時に出発した埼玉行きは、糸魚川、白馬、松本、上田、小諸まで、下道を通り小諸から東松山まで高速を利用したが、親不知から佐野坂付近までは、降雪に見舞われた。たまたま横浜まで、来ていた長女がやってくるのを待って、同じルートで、帰路についたが、両夜行の疲れで、とうとう睡魔に負けてしまい途中ダウンしてしまった。そのため、糸魚川~小杉間を高速に頼ってしまったが、その先の19号、148号線では、夜明けと共に、後立山などの素適な山々を、車中からと言えども眺める事が出来、山と切れる事がなく心が和んだ。



3/24 明日は天気が回復して山行日和になるらしい。残念な事に、これから埼玉の義兄のお見舞いに出掛けなければいけない。さて、どの道を通って行こうかな?26日の未明か早朝までに帰宅の予定です。 p.m.9:50



3/23 桜の開花が、二週間も早いとか、気象台始まって以来の高温とかの陽気が続いていますが、我々は、雪が無くなってしまうなどと言って嘆いています。でも、今日は、一転、霰やミゾレ混じりの雨が降り、おそらく山沿いでは、雪になったことでしょう。こんな日に、山に出掛ける人も少ないだろうが、気が早くタイヤ交換をしてしまっていたら、難儀した事だろう。私は、毎年4月の第三日曜日まで、冬タイヤのままで通している。山深くまで、車を入れるし、季節はずれの雪が怖いからである。また、夏、冬どちらのタイヤでも減るし、安全を考えると、どうしても遅くまでタイヤを交換出来ない。でも、さすがに、このところの陽気は、その私でさえ、タイヤを交換しようかと思うほどであったが、今日の荒れ模様である。今まで、何度か怖い目にあった私は、何時もチェーンを携行している事を付け加えておきます。 p.m.6:00



3/22 私の山好きが周知されて来た。友人、親戚、近所の方などに長い間一方的に、山が好きだと言い続けてきたから、その効果が表れてきたに違いない。「山ヤ」や「山キチガイ」と言われてみたいと思っていたが、山の知らない方の思い込みも甚だしい。「ヒマラヤへ行って来たのか?」「日本中の山に、或いは富山の山は全部登ったのか?」「アルプスの隅から隅まで知っているのか?」と問われるようになってくる。私には、そんな技量もなければ、時間もない。ただ、山が好きで、出来る事なら、休日は全部山に入りたいだけ!欲を言えばきりがないが、出来ればもう一日の休日、もう一回の山行機会を望むくらいで、そんなに大それたものではない。低き名もなき山も、有名な山も、そして、どの季節に行くにも、大差はない。低山でも冬に登れば冬山だし、雪のある時に登れば雪山である。ポリシーさえしっかりしておれば、どんな有名な登山家に出くわそうが、引け目を感ずる事はない。現に剱岳や槍穂高の事に詳しくても、剱岳の大展望台の「大猫山」「細蔵山」「大倉山」などの山々を登った事がなければ、何処にあるのかも知らない登山家もいる。巷の「山ヤ」を自認しながら、「越中の百山」完全踏破まで、あと○座などと、目標を掲げるのも悪くはないが、山を良く知る、山を守るなどのもっとバージョンをアップする事も考えなければなるまい。 p.m.11:50



3/21 我家の目の前には、10階建てのビルが建っている。今日のようなフェーン現象の日は、まともに南風が吹き付け、台風のようにミシミシと我家を揺らし、とても心臓に悪い。こんな風の強い日に、大平君一行は予定通り「大平山」に出掛けたのだろうか?また、予報があまり良くないのですが、23~24日にかけて、「早乙女岳」に行かれる松任のbunchan女史、本当に気を付けて行って来てください。お土産に「山の話」を届けて下さい。 p.m.11:30



3/20 私が初雪山に出掛けた日は、「山ノ神」一行は、「尖山」行きになっていた。その前日、nakamura女史から、「私達も尖山に出掛ける事になったので、もしかしたら、山ノ神様に会えるかもしれない。」のメールが届いていた。 しかし、未だお会いした事がなく、特徴など全くわからないうえ、どのようなパーティーなのかも確認していなかった。冬の時期人気のある日曜日の尖山は、やはり大勢の登山者で賑わったらしく、特定出来ないままにその山行が終ったらしい。家に戻ってから、あの人かな、この人かなと思い悩んだらしく、またしても、私の「山の友いやメル友」に対する越権行為で、シャイと自認するnakamura女史に、メールを認めたらしい。同女史からは、“今度は目印を付けて、何処かの山で、お会い出来れば素晴らしい”との優しい返信が届いた。



3/19 昨日の「黒菱山」は、「山ノ神」にしては、登れない山の一つであったらしく、その余韻は、今日も続いた。私を出し抜いて、「ターさん」にその感激をメールに認めたり、「越中の百山」の踏破数が、59座になったと言ってはしゃいでいた。また、疲れを尋ねても、“快い痛み”などと、私のお株を奪うような言葉を返して来た。それに引換、私の感激などは、殆ど「山ノ神」に吸い取られた感じで、稜線漫歩を除けば、大きくなった「杉」のため、一日中「花粉症」の症状が出ていて、辛い山行となった。大きなクシャミをすれば、「雪崩が起きたらどうするの!」「鳥が逃げるじゃない!」などと言われっ放しで、目がショボショボ、鼻をグズグズさせながら、「誰でも来れない、こんな良い所に連れて来てやったのに!何故!」・・・・・・・・
ああっ思い出した。痩せ尾根を越えた次のピークに着いた所で、「山ノ神」曰く、「ここが、頂上かと思っていた。騙された。」には、こちらも流石に頭に来て、「それならここで待っていろ!・・・・遠くに見えても頂上はすぐだよ。後悔するよ!」と何時もの通り。 誰もいない、奥深い雪の山で、しかも、やがて雨になるかも知れない静まりかえった山頂間近の話。・・・帰路は足早に、杉林を突っ走り大きなダムの前に直接出ることが出来、雨も、車に戻る10分程前からポツリときただけで、事無きを得た。



3/18 昨日は、もう少しのところで、「初雪山」の登頂が出来なかったのが、とても悔しくなかなか寝付かれなかったが、未だ余力はあった。「大地山」から見る初雪山も良いが、「黒菱山」から仰ぐ初雪山もなかなかいいのである。昨日、ターさんと、シュンさんが「黒菱山」に出掛けたと言うニュースもあったし、今日は、午後から雨の予報で、昨日の満たされなかった気持を、半日に圧縮した「黒菱山」行きにぶっつけたかったが、幾らなんでも、自分一人で二日間も初雪山方面へ出掛けるとなると、「山ノ神」の頭から出る角が脳裏を掠め、「あんたも行くけ!」「私が行ける山け!」・・・・・などで、またまた出発が遅れてしまった。4年前の3月2日に知人と出掛けた時よりは、雪量が少なく、また大斜面の杉が大きくなっているなどの違いがあったが、焼山から黒菱山への稜線漫歩は、今日の日のような、雨前の薄っすらとしか見えない山々の展望と言えども、魅力的な山行には変わらなかった。恐々と登る「山ノ神」であったが、往路4時間半、復路2時間半のタイムは、トレースはあったにしても、良く頑張ったと誉めてやらなければならず、山でのビールはもとより、帰宅後のビールの量が、思いやられたのであります。 p.m.11:30



3/17 4時半発の「初雪山」行きだったはずが、「山ノ神」に「行かなくていいの!」と起こされたのが、6時40分頃だった。不覚にも前夜1時半の就寝が響いてか、目覚しに気づかなかったらしい。本来なら諦めるところだが、「初雪山」だけは、行くと決めたからには、途中まででもいいから、行きたかった。標高差1500㍍、高温、強風に遅い出発の悪条件と、怖いのは林道のデブリの通過である。8時半には歩き始める事が出来、飲むのも、食べるのももちろん写真を撮るのも惜しんで歩いた。12時過ぎに出会った先行パーティーも強風のため引き返してきたと言う。それより先と自分を奮い立たせ意気込んで臨んだが、大斜面の下部付近からは、雪煙が起こるくらいの強風と、斜面もかなりクラストしていたし、タイム的にも厳しかったので、登頂を諦めてしまった。結果的には、往復7時間休まず歩きっぱなしの山行になってしまった。 p.m.11:55



3/16 スキー今は、山歩きの体力作りとして続けている校下のバトミントンクラブの総会から帰ったら、何時になく多くのメールが届いていた。明日は、「初雪山」行きのため早立ちなので、帰ってからゆっくりお返事します。



3/15 よっちん君の妻君(由美子女史)が「山と渓谷 4月号」の“第4回山のマ・ダンナ候補にノミネート”されている。アルプスの少女ハイジなどと称して、いささか出来上がりが良すぎるのだが、これは愛の証がそうさせたのであろう。自宅にあるカラー写真は、もっと素適なのですが、ここは、②に清き一票を投じ、グランプリーを獲得した暁には、“ハイジ”と山で「宴会」が出来る企画を設けたいと思っている。叱られるかな!



3/14 17日(日)の「山ノ神」を含む“山姥御一行”(私が勝手に言っているだけで、当人達の認識はない。)の山行は「尖山」行きになったようだ。「牛岳」や「千石城山」を薦めたが、雪山が初めての方もいるらしく、なおも薦めると、ガイド役しなければいけなくなったりしたら困るので止めた。
「山ノ神」の山行計画で、当初、危ぶまれいた車の問題も解決したし、お天気と義兄の問題がなければ、久し振りに、大好きな「初雪山」に出掛けようと思っている。過去二度の初雪山行きは、誰とも出会わない「静かな山」だったが、今度は日曜日なので、山好きな方と出会うかもしれない楽しみもある。林道のデブリが、大きくなければ助かるのだが・・・・・ p.m.11:59



3/13 好天は真に良いのであるが、あまりにも高温続きで、雪の状態が気になるところだ。予定している山行の取付きに、苦労しなければならなくなり、展望の目線も低くなるのである。かと言って降られても困るのであるが・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の山行は、母の容態に左右され事が多いが、このところは、悪いなりに安定していて、計画が順調に消化されており、結構満足していたのであるが、しかし、今日埼玉にいる義兄が腫瘍摘出の大手術をした。その手術が成功したと連絡が入ったが、今後の動向が気になるところである。「兄貴よ!私の山登りのためにも、早く元気になって下さい。」お見舞いの帰りに、何処かの名山に登ってこようかと言えるくらいのムードに早くなって欲しい。



3/12 紀行文作成に苦慮している。なかなか文章が組み立てられず、頭ではなく、「マイドキュメント」の中にばかり、ファイルやフォルダーが溜まって行く。どうもお決まりのパターンからの脱却を目指したのが、大きな間違いだったらしく、力み過ぎだったのかもしれない。山登りは人生の縮図などと、言っているが、HP作りも山あり谷ありで、順風満帆とはいかないらしい。最近、「西新山登行記」なる嬉しいメールが2件届いている。双方とも若手で、いとも簡単に制覇したものであるが、自分の登行時の想いと重ね合わせ、苦笑いをしながら頭を掻いた。 p.m.11:59



3/11 福光町刀利ダムから金沢市横谷までは、冬期期間通行止のため、「順尾山」行きは、頭から林道歩きを強いられたが、、チンタラ歩きとは言え、私の山歴の中で一番の長い林道歩きとなった。(往路3時間半、復路2時間)しかし、その林道上から見る山々は、馴染みがないと言うよりは、とても新鮮な山容を見せてくれ、何度も足を止めさせた。また、ブナオ峠より、奥の山々の山座同定は、困難を極めHPを見て下さる方々の情報を頼りにするくらいである。 「順尾山」の頂上を極めるにも結構苦労をしたのだが、「大倉山」には、時間切れで、引き返す羽目になってしまった。次ぎ行く機会には、「赤堂山 1,059㍍」「月ヶ原山 1,169.8㍍」「多子津山 1,311㍍」の小矢部水系の山々を、テントと担いでまでも、登ってみたいと私の心をかきたてたのである。 p.m.11:59



3/10 予報通り雨が上がるのなら、明日は、小矢部水系の山々の偵察に、金沢方面から入ってみようと思っている。そして、あわよくば、「順尾山 883㍍」「大倉山 1,006.6㍍」の頂きを狙っているが、この山域の事はよくわかっていないから、難しいのではと思っている。残された「越中の百山」は、そう簡単ではなく、何度も足を運ばなくてはと思っている。
昨日、「負釣山」で、「赤谷ノ頭」を、ご一緒した黒部のシュンさんと、我親友のよっちん君夫妻が、ひょんな事から知り合いになり大宴会となった模様が、これまた双方から、ほぼ同じ頃にメールとして届いた。山の知り合いが、だんだんグルグルになっていくようだ。 p.m.11:55



3/9 雲ひとつないお天気。山に行けないこんな日は、本当に精神衛生上よくない。過日、知人のコメントとして、同じ事を載せた事があるが、やがて来る自分の休日が雨の予報となると、正しく心中穏やかでない。その上、「花粉症 (自己診断)」なのか、鼻がムズムズ、目がショボショボで、情けないくらいにイライラしどうしである。これが山となると話は別で、冬から早春にかけての山行には、杉林がつきものであるが、でも、その杉林の中を通り過ぎても、どうって事がなく、クシャミもでないのである。しかし、山から降りて、車に乗る頃には、またまたクシャミの連続なのである。かと言って山の上で暮らすわけにもいかず、しばらくは、花粉症の同士?と辛い時期を送らなければいけない。 p.m.3:50





3/8 3~5月は最高のシーズンであり、実に楽しいのである。登山道がなくても自由に歩けるし、雪が固まってくると、次第に高度を上げる事が出来る。尾根に雪がなくなる頃は、谷筋を歩けばよい。しかし、その山行計画作成に悩んでいる。何度でも行きたい山があり、未だ登れずにいる山もある。この時期を逸すれば、なかなか「越中の百山」に、到達出来ないのである。天候次第でもあるが、最大の難題は、「山ノ神」の動向である。「山ノ神」同行となると、おのずと限定されてしまい私にとっては、今時の「抵抗勢力」なのである。 p.m.9:40



3/7 このところ、ずーっと睡眠時間が2~4時間ぐらいの日が続いている。PCの前に座る頃には、目がショボショボになり、とても「紀行文」や「メール」の気分になれない。でも、ライフワークとしての「山歩き」だけは、どんなな事があっても、どんな形でもいいから諦めないつもりです。しかし、この頃は、山行機会の帰路の運転が危なくなってきた。眠くなって、コンビニや道端に停車する事が多くなって来た。以前述べた事に重複するが、「山」そのものより、「車」で“遭難”するのではないかと友人達が心配してくれる。 この間でも、多くの方々から、メールを頂いている。もうチョット待って、「メール」も「紀行文」も倍にして返すから・・・・・・ p.m.1:55



3/6 私の今年の最大イベント「池ノ山」行きが、一ヶ月後に迫って来た。もちろん雪の状態で、それよりも早くなったり、遅くなったりするのも仕方がないのは言うまでもない。どちらにしても、適期は短いのである。跡津川林道の事や、佐古から登ろうか、それとも「横岳」へ行ったように大多和からにしようか、この悩みは、私にとって楽しく贅沢な悩みなのである。 同じ行くなら、「高幡山」にもと欲張りに掛っている。「とやま山歩き 118座の完踏」は、さほど自慢にはならないが、私の“山登り人生”の大きな節目になることだけは間違いない。 p.m.9:50



3/5 昨日の余韻が未ださめぬまま、二日連続の山行である。雨の降らないうちにの牛岳行きは、余韻どころか疲れが抜けぬ「山ノ神」の足の運びが遅く、息もすぐ上がってしまった。昨日ほどではないが、適当に湿っていて、カンジキを使用しないままに山頂まで行けた。昨日または一昨日の足跡は、カンジキ、スノーシュー、中には12本爪のアイゼンと多彩であったが、その足跡を辿らなくとも、自由奔放に稜線へ、駆け上がっても沈む事はなかった。山頂での雪は、平野部に降りてから雨となった。 p.m.6:00



3/4 「奥ノ山」は、名の通り本当に奥深い山だった。朝方冷え込んだお陰で、桧峠までの黒川沿いは、快適な登行が出来た。問題は、急斜面の登行であった。「山ノ神」は、岩と凍った斜面は、事の他ダメなのである。四苦八苦する姿に、また、「来なければいいのに!」を言ってしまい、「励ましてくれればいいのに。」と言い返され、恵まれたお天気と違い重苦しい空気に包まれてしまった。念のため持参した、ピッケルで足場を作り、滑落を受け止める体制を取りながらだったため、かなり時間を要してしまった。なだらかなブナ林のいい雰囲気になると、「山ノ神」に俄然元気が出て来てホットした。また、広い尾根、広い斜面に、広い平原は、地形図を見ながらも頂上を見極めるのに、悩んでしまった。しかし、「反射板の山」への痩せた尾根の手前のピーク(1,100㍍)付近で、2時間半の宴会となり、無風、好天も手伝い、この奥深い山を充分に堪能させてくれた。でも、折角望遠レンズを担いでいったのに、「剱岳」だけが、顔を見せてくれず、少し寂しい思いもした。
下山時に、地形図とニラメッコしながら、広い平原が、「奥ノ山」の頂上で、最初に頂上と思った所が、1,020㍍のピークであると確信し、小さな標識を吊るして来たのですが、もし、「奥ノ山」に登行機会のある方が、間違っていたら直して来て下さい。 p.m.11:55



3/3 大平氏から「大辻林道のXスキー」「西新山」、高田氏から「大鷲山」、石澤氏から「赤谷ノ頭 西尾根ルート」、福井の松尾氏から「雪山デビューアルミ輪カン試乗」の山行報告を受けた。皆楽しんでいるようだ。明日の予報は、朝方冷え込んで、絶好のコンディションとなるが、日中の高温が気にかかるところだ。「奥ノ山」から「剱岳」が見えるだろうか?。



3/2 4日は、「奥ノ山 1,067.5㍍」を予定しているが、未だ地形図もよく見ていない。桧峠から登る「越中の百山」だが、今のところ幸運にもお天気に恵まれそうである。5日の「マルツンボリ山 1,236.8㍍」は、不勉強の他、天候も悪くなるらしいので、二ヶ月ぶりに「牛岳」へ、変更を考えている。 



3/1 昨夜、「ウィルス スキャン」をUpdateした後、再起動したのだが、どのようなトラブルが起きたかわからないが、立ち上がらなくなってしまった。したがって、当「コラム」を更新出来なくなってしまい、暗い気持のまま夜が明けた。日頃から「山」と「海」の趣向が違うし、時折、私に対して小姑のようにもなる「娘」に、それこそ拝み倒して、PCの診断を頼んだ。車の運転教授が、夫婦間や親子間は、誰の話を聞いてもギクシャクしてしまうように、PCもどうも親切に教えてもらえない。しかし、私の未知の空間を、あたかもあざ笑うように作業を進め、彼女の貴重な時間を、費やさせてしまった事に申し訳ないと思いながら、買い換え費用が要らなかった事や、またすぐPCの前に座る事が出来嬉しく思っている。毎日更新を「馬鹿でないの?」などと、私にイヤミを言いながら、学校か何処かで、私のHPをこっそり覗いているようにも感じ、何時の日にかまた、幼かった頃のように、山の頂きに一緒に立てたらと思うのは、やはり親ばかなのだろうか! p.m.0:30