5/31 今度の休日は、「甲武信岳」行きの予定である。前回の「茅ヶ岳」は雨で流したが、今度はお天気が良さそうである。その「甲武信岳」へは、国師岳近くの大弛峠から、また塩山市経由の西沢渓谷や雁坂峠、また埼玉県境の十文字峠などのコースがあるが、地図上で最短距離だと思える長野県川上村の千曲川源流からのコースを辿ろうと思っている。さて、そこまで行くのが大変で、糸魚川~白馬村~中条村~更埴市~佐久~川上村なのだろうか? それとも、平湯~松本~長坂(須玉)~清里~野辺山~川上村なのだろうか? どちらにしても、全行程下道とはいかず、かなり高速に乗らなければいけないようである。 p.m.4:00



5/30 先日(27日)の「大辻山、高峰山」行きで、今年の山行回数が30回を超えた。中身は別にして、私の環境下では、よく行かせてもらったと思っている。この間の私の休日は35回で、その内の30回であるから、家人には迷惑を掛けているとチョッピリ反省をしている。出掛けられなかった5回の休日の内訳も、2回は新年会、そして、埼玉の義兄のお見舞などと、やっぱり何処かへ出掛けているのである。最近では、その義兄のお見舞以降13休日連続「お山」へ、出掛けている事になる。そして、当欄に何時も登場する「山ノ神」との同行は、その内18回。(山の神は、その他に4回の山行がある。)また最初からパーティーを組んで出掛けたのが5回。許された単独行は9回。昨年の同時期のペースと比べてみると4回多いが、昨年は後半の山行機会が充実していたので、このまま、昨年の69回を上回るかどうかは微妙である。どちらにしても、こんなに好きな事が毎週出来るとは、私はやっぱり幸せである。

5/29 このところ「能郷白山」「大辻山」と雨に見舞われています。雨にもいろいろあって、雷雨、豪雨、にわか雨などなど・・・・でも辛い思いをしても、事故がなければ一過性のものである。問題はその後である。家に帰って、泥んこになった雨具を、どう処理すれば良いかである。最近は、ゴアテックスのとても高価な雨具を使用している方が多い。私が使用しているものも、平生着る上着よりも価格が高い。購入した最初は、タウン着にしようかと思ったくらいであった。その雨具が汚れたとなると一大事である。最初の頃は、その様な泥んこになる山には行かなかったし、纏わなかった。でも、長い間山をやっていると、そうばかりはいかないのである。ぬかるんでいる所でも、風雨が強い時や衣類を濡らして、体温を奪われたくない時などである。さて、その泥んこの雨具を、皆様はどのように?  良い方法があれば教えて下さい。・・・・・・・・
私は、汚れた所だけを洗い流して干していたのですが、近頃は年季が入ってきたせいか、張りもなくなってきたように思える事も手伝って、先日のようにズボン全体が汚れた場合は、普通の洗濯のように、全体を水につけ、泥を洗い流してしまう方法にしている。(何時か何処かのHPで、汚れているよりは、洗濯機で洗った方が、よっぽどいいなどと記載してあった事を覚えている。)問題は、乾いた後の防水スプレーの掛け方なのですが、雨具に30~50㌢の距離を保って掛けるから、均等に掛っているかどうか分からないのです。また、同じ所にどれくらいの量(時間)を掛ければいいのかと言う事にもなります。次の雨の時に、冷たい思いをしなければならないのは辛い事ですから・・・・
最近シリコンウォーターガード防水スプレー(シリコン13% 普通は2~5%らしい)を使ってみた。リックにも、ゴアテックスの登山靴にも使ってみた。確かに雨を弾くのである。後の悩みは均等に掛ける技術のマスターであろう。 その雨具の事であるが、毎週出掛ける私でも、年間何回着るだろうか?お天気の時しか出掛けない方になると、そうそう着る機会もない事でしょう。着なくても劣化していきます。コンパクトな雨具収納袋に入れたままだと、折り目が劣化し染透ってくるようです。出来れば、羽毛のシュラフのように、使用する時(山に出掛ける時)だけコンパクトにし、日頃は、日の当たらぬ所に吊るしておくのがいいらしい。この事で結構悩んでいる方が多いと思うし、良い知恵があれば教えて欲しいです。



5/28 昨日は「茅ヶ岳」行きを断念したが、来週は「甲武信ヶ岳」や「浅間山」を計画している。計画をしているがその通りになった事はあまりない。県外の名山に、そんなに魅力を感じるのかと問われると返事に困る。登ってみなければわからないからである。有名な山にも、知られていない山にも、機会があればドンドン登ってみたい。そして、富山の山の良さを、改めて感じ取りたいのである。今のところ、富山の山は、海に山が迫って、一般的に急登であり、他県の山に登れば楽なものである。県東部の河川が、「滝」のようだと言われただけでも実感がある。栂海新道の起点の親不知が、海抜0㍍のように、また、境川流域の山々は、海抜50~100㍍位から、登り始める山々が多いように・・・・・。開発された「立山」があれば、岩峰の「剱岳」, 自然がいっぱい残っている「薬師岳」、その奥には、神秘的な「黒部」の秘境がある。しかし、名のある山だけでなく、富山には、数多くの素晴らしい山々があるが、それは雪国故、何時までも大量の雪を、蓄えているからではなかろうか? p.m.6:40



5/27 “やっぱり晴れたじゃない!”と言っても後の祭りで、「大辻山」に向かった。“何処でも、剱岳の写真が撮れるかもしれない。”とまずは、鳥越峠へ行ったが、ガスに阻まれて、何も見えなかった。ならばと鳥越峠から「北尾根ルート」で、大辻山に向かったが、まるで雷雲の中に、入っていったようなもので、3時間余ゴロゴロ、ピカドンの鳴りっ放しであった。「白岩ルート」の分岐で出会った30~40名の小学生の団体は、頂上を断念し、雨降る雷鳴の中、食事をしながら待機をしていた。雨が降っても山歩きをしている我々だが、登り始めから、下るまで、雷が鳴り止まないのは、近年では記憶がない。頂上に着いたら雨が降っていても、「まずはビール」の山ノ神も、流石に天地が割れるような稲妻の前では、“今日は止めます。”と頂上を後にした。でも、まだ歩き足らずしてか、鳥越峠の反対側の「高峰山」にも登る羽目になってしまった。それも、その反対側の登山口付近まで、下っての山菜採りの思惑があっての事だったらしい。 p.m.11:55



5/26 このところ、皆さんから羨ましがられるほど、ずーっと月曜日はお天気続きだった。明日もお天気の予報であったが、日本海に低気圧が発生して、雷雲を運んでくるようで、全国的に雨模様らしい。おまけに雷雨注意報が出てしまった。夕方先週に続き「能郷白山」に、リベンジした福井の松尾氏からの電話の時、福井はどしゃ降りだという。しかし、一時間後に雨があがったとの再度の電話をもらった時は、何故か安心したが、夜になっても予報は雨。そのうちに、雨も落ちて来た。「茅ヶ岳」は、未明発の計画だったので、食事時のビールの栓を抜くか抜かないかに思案したが、自宅発から“雨は好むところではない”となり、「中止」を決定した。明日は、雨の中、近間の山歩きを予想しているが、意外に、こんな時は晴れるものである。



5/25 「大山へ行って来ました。元ちゃんは、能郷白山へ登られたのですか?」と久し振りに、愛知の加藤氏からメールが届いた。昨年末「藤原岳、御在所岳」行きに関して、幾多の情報を教えて頂きながら、その紀行文も中途半端になっているせいもあり、随分ご無沙汰してしまった。でも、添付されてきた山行記録を拝見していると、彼の山への愛着が、その山行回数を、窺うだけでも感じられ、恐れ入っている次第である。その加藤氏との出会いは、昨年の5月に、岐阜県の「川上岳=カオレダケ」だけに、3週間後に計画している「花じい」の復帰記念山行を重ね合わせ因縁のように思えて仕方がなかった。



5/24 「愛山記 (桂書房)」という書物を、持っている方や知っている方はいませんか? 執筆者も知らないのですが、もう、絶版されているらしく、「富山の山」を記述してあるようです。「越中の百山」のように、ガイドブックというよりは、文学的要素の強い書物なら、私も読んで見たい。
来週から、晴れるようなら、甲信越地方に出掛ける予定にしている。名山巡りになりそうだが、自分で登って見なければ、寸評も出来ない。遠近、高低、難度などは、さておいて、山旅気分で出掛けてみたいと思っている。深田久弥終焉の地の「茅ヶ岳」、三国に跨る「甲武信ヶ岳」、前掛山まで解禁の「浅間山」などなど・・・・でも、夜行または、未明発の山行は、山旅気分とは言えないかも・・・・ p.m.7:30



5/23 メールを出せば、返事が来る。出せばまた来る。実に楽しい! たくさん来れば、返事も大変だが、苦労とは思わない。積雪期や残雪期の平日に、マイナーな山を登っておれば、誰とも会うはずがない。逆に、月に一度の日曜日や、時々祝日に出掛ける機会があるが、その時は、多くの登山者と出くわす事もある。でも、誰とでも親しくなるとは限らない。だから、「縁」のあった人は、運命の出会いとして、大切にしたいと思っている。また、HPを覗いて下さって、メールのやり取りをしていると、何年も、前からのお付き合いのように錯覚する事もある。でも、「山の事」に拘ってお付き合いしているから、中身は濃い。 p.m.11:55



5/22 雨の「能郷白山」山頂で、若きカップルのカメラのシャッターを切ったのがきっかけで、里山保全活動のHP「遊林会」を紹介してもらった。( http://www.bcap.co.jp/ikimono/yurin/ ) 学業を休んでまでも、その活動にのめり込ませるものは、何なのか私には未だ分からないが、自然に親しみ、それを愛する心はそう違うものではないであろう。“今時の若い者”などと言わず、若者からいろいろと教わらなくてはいけないものも、多いような気もする。その若者、明日の「元ちゃんの山歩き」のメーンページに登場させようと思っている。 p.m.11:45



5/21 ターさんから、花じいの復帰記念山行の誘いを受けた。シュンさんはもちろん、あらちゃんにも声を掛け「赤谷ノ頭」行きのメンバーが、揃うかもしれないと言う。今冬、知り合いになれた私の大切な山友だけに、万難を排して参加させてもらおう思っている。只、あの健脚の揃いのメンバーに、付いて行けるわけがないと、「山ノ神」が、心を痛めている。雪山は、ラッセルしてもらえるその後に付いて行くだけだから、少しは気持も楽らしいが、今度は、そうはいかないようだと悟っている。目の前に、大好きな冷たいビールをぶらさげて、志気を上げる他ないかもしれないが、さてさて、どうするのだろう!でも、私にとっては、待ち遠しい6月に中旬である。 p.m.0:30



5/20 前日はお互いに遠出の山行だったし、今夕は、親友との久し振りの飲み会が設定されていた事もあり、近間という事で、一年ぶりに「袴腰山」に出掛けた。牧野さんや純子さんからの情報もあり、林道歩きを覚悟しての山行となった。林道歩きと登山道がちょうど半分ずつの手軽な山だが、ススダケ採りに御執心の「山ノ神」と、歩くだけの私と、またぶつかってしまった。
また、「小瀬峠」への道を辿った往路は、地形の読みの悪さ故、林道歩きの「山ノ神」に随分心配をかけてしまった。



5/19 お天気のはずだった「能郷白山」は、登山口から雨になった。雨のブナもなかなか良いとは言っていたが、次第に登山道はぬかるんできた。日曜日で福井の名山だから、人出もまずまずであったが、如何せん、ガスに覆われた展望、車座になって楽しむ食事も思うがままにはならなかった。しかし、一度はここの頂きに、立ってみたかった願いが叶い充分満足している。松尾氏の計らいで、この山行が計画どおり行われた事と、小林氏親子や川端氏と知り合いになれた事も、私には充分過ぎるくらいである。また、下山途中、たった一言しか交わさなかったが、滋賀の井上氏とその彼女また、三重の和田夫妻ともネットを通じて、山では語れなかった事を、年の差を越えて、述べあえる友になれば嬉しいと思っている。今日も「百の山頂に百の喜びあり」の心境である。 p.m.10:15



5/18 明日は以前からの予想より、はるかに良いお天気に恵まれそうである。もしかしたら、山中にいる時間より、車の中にいる時間の方が多いかもしれないが、一度は行って見たかった、福井岐阜県境の「能郷白山」であるから、順調にいけばハッピーである。
 私のHPから、リンクしているあらちゃんの「北アルプスへ行こうよ!」が、少しお休みに加えて、まっちゃんの「低き山なれど」が突然何処かへ飛んでしまったそうだ。また、体力が付くまでチョッピリ自重している「花じいHP」もあり、我HPからのリンクが少し寂しくなった。 p.m.11:45

 

5/17 毎日のように週末から週始めの天気予報が変わる。明後日(日曜日)の山行は、「山ノ神」が、二週間前に下調べに行って来た新潟県の「大渚山」へ、私は、福井岐阜県境の「能郷白山」へ出掛ける事になっているから、心中穏やかでない。出発前から雨ならば中止になるが、登山口に着いてからの雨も困ったものである。福井の松尾さんに、段取りをお任せしているのだが、新たな彼の友人も同行されるようで、その交流も楽しみである p.m.8:00



5/16 「ヤマケイ」などの雑誌に、長短期の従業員や、アルバイトの求人広告が載っている。それは、北ア、南ア、尾瀬、八ヶ岳、秩父など多彩である。時代が違うかもしれないが、私も高校時代に、一ヶ月間北アの山小屋で、アルバイトをしていた事がある。居候でも何でもいいから、只、山におられればいいと思った時代である。報酬など、二の次であったように思っている。
   もう少し若かったら、山小屋で働きたいと思う方もあるかもしれないが、山好きが、目の前から、多くの人達を山に送り出して、自分が小屋の雑務に追われて、好きな山行が出来ない時ほど、辛い事はないと言っていた友人を思い出す。また、スキー狂が、白馬のペンションを購入して、経営にあたった話だが、スキー場のオープンとクローズの時位しか、スキーを楽しめないと、こぼしていたことを知っている。でも、短期間なら、人里離れた小さな山小屋で、思いのまま暮らしてみたいと、一度ならずとも思うのは、私や貴方だけではないと思います。



5/15 今は、雪が溶けた周辺のブナがいい。芽吹く新緑が、何とも言えないくらいに綺麗だ。そして、あ~っと言う間に伸びる。ブナが切り倒され、杉林にばかりになったような気がするが、太い細いに拘らなければ、チョット登れば何処にでもある。でも、杉林を越えなければいけないようだ。花のように派手で賑やかではないが、樹木は自然のバロメーターのようで、質素だが、なかなか味があるものだ。そう言うものの、樹木の名前となるとなかなか覚えられない。でも、覚えると何故か楽しい。ブナ、ミズナラ、クヌギ、コナラのブナ科。シラカバ、ダケカンバのカバノキ科などと。また、この時期、残雪がある谷筋に、オオシラビソのなぎ倒された枝の一部を持ち帰ることがある。この枝を家の中に持ち込むと、森林浴と同じ効果があり、虫も寄り付かないと知人に教えられてから、雪渓を下る時に、探すのを楽しみとしている。臭いもグリーンシャワーを吸っている様で、とても気分がいいものだ。しかし、まともな立木の枝を、折るような事だけはないようにお願いします。 p.m.8:40

 

5/14 足を痛めてしまったと私の恥を当欄の載せたのがいけなかったのか、「山は逃げない。」などの叱咤激励メールを多く頂いた。それには、とても感謝し嬉しく思った。でも、私は「山は逃げる。」と思っている。掴まえておかないと、ドンドン逃げて行くのである。若い時に、山と親しんでいて、何十年ぶりに戻ってきた方々を多く知っているが、所用、天候、家事など「抵抗」の前に、やむを得ず機会を失いそして、そのまま遠ざかっていったのではないかと思っている。  私も一週、二週と諸事情で、山に入れない時がある。でも、それをきっかけとなり、山から遠ざかる事を一番懸念している。高炉ではないが、一度止まると、次はなかなか動かないような気がしてならない。他の人は、惰性だと思うかもしれないが、私は「継続」だと思っている。そんな事はどちらでもいい。自分のために登っているのである。最早健康の為などではない。友人に一番嫌がれる言い方だが、あと20年元気だとして、毎日登って7,000回、一週間に一度で1,000回しか登れない。10年だとその半分である。もうそろそろ体力的に登れない山も出てきそうである。私は、山を逃がさない為にも、時間がなくても、雨が降っても、可能な限り山へ行き続けたいと思っている。鏡の前に立って眺める痛々しいキズも、私だけの勲章なのである。



5/13 痛めた足は何だったのかと言われそうですが、自己判断で、小谷コースからの「雨飾山」行きを決行した。家族には、天候が悪かったり、足に変調を覚えたら止めたり、引き返す条件付きである。しかし、イザ歩き出すと、快調で、他の登山者と比べても遜色はなかった。思ったより快調さが祟ってか、ルートから外れて、頂上直下の岩峰付近に行ってしまった。西にずれているといる事は、分かっていたが、視界も良いし、地形図とコンパスも持参していたから、途中で修正すれば良いくらいの気持で歩いていたが、結果的には、大斜面をトラバースしなければならず、また小さいが藪を乗り越えて、最後の岩菅沢へは、急斜面を下らなければいけなくなってしまった。そこまでは、良いのだが、私のトレースを辿ってきた二人組みがあったらしく、藪付近で退去し、頂上に辿り着いた時には、大幅に予定よりも時間を要したらしい。その事をたまたま山頂に居合わせた登山者に、こぼしていたが、私のせいなのだろうか?
 私は、もう一つ初歩的な失敗をしてしまった。ビールを冷やすため、笹平から雪を入れたナイロン袋を、片手でもって最後の斜面を駆け上がる時に、うかつにも、浮石を掴んでしまった。頭大の浮石を、下へ落としてはいけないと、咄嗟に足で受け止めてしまったのである。僅か50㌢程の高さから落下した岩だが、膝を強打した。不幸中の幸いで、膝でなく膝上だったので歩く事には支障がなかったが、打撲した足からは薄っすらとズボンに血が滲み、恐る恐る見た膝の周辺が、紫色に変わっていた。(でも、心配いりません。)結果的に下には人もいず、石を落としてもよかったのかもしれないが、反射的に受け止めてしまった。皆に心配をさせながらの登山に対しての「罰」だったのではないかと自分を戒めています。
 雪山で、しかも平日の雨飾山は、やはり百名山なのであろうか、私以外に7名の登山者と出会った。樹木に赤ペンキの目印を多くつけてあるが、晴天の日でも、迷いやすいルートだと思いながら下って来た。



5/12 “ 山に登れなくなったら、半分死んだようなものだ!” などと日頃から言っている私だが、毎土曜日出掛けているバトミントンクラブで、“やってしまった。”と一瞬思ってしまった。前に落とされたシャトルを取りにいこうと思った時、右足のアキレス腱に違和感を覚えて倒れた。“あ~っ” と思う時、“山が・・・・” 脳裏を掠めた。アキレス腱が切れたかも! 一部が切れたかも! 肉離れかも!などと脅かされ、救急病院へ行け!一晩様子を見て病院に行け! 運転するな! などなど。痛みはないのだが、足を引き摺ってしまう。“ 本間さん、山は暫くお休みだよ!” などと心配してくれる仲間だが、私には脅しにしか聞こえない。山やスキーに行くために始めたバトミントンなのに、バトミントンのために山登りが出来なくなるなんて、とんでもない話である。過激な運動を必要とするバトミントンは、もうダメなのだろうか? いや、準備運動(ストレッチ)が足りないのは歪めないような気がする。20年近く続けて来ているこのクラブも去りがたい。家に戻っても、風呂はダメ。シャワーぐらいにしたら、アルコールも控えたら! でも、少し飲んで、ぐっすり寝て起きたら、少し引き摺る足だが、大丈夫のような気がする。そう簡単に、黄金の足を返上するわけにはいかない。明日も晴れたら、チョッピリ控え目でも、山には行かなくっちゃ。 a.m9:25



5/11 19日の「大日岳 2,051㍍」行きを、福井.岐阜県境の能郷白山(1,617㍍)に、変更するかもしれない。福井の松尾氏に越前大野から温見峠までの道路状況を尋ねたところ、OKの返事が届いた。また、登山道の残雪も殆ど消えているという情報を得る事が出来た。昨秋「経ヶ岳」でお会いした松尾氏が、同行してくださるのなら、是非とも出掛けたいと思っている。 p.m.0:30




5/10 休日毎に「おやまのてっぺん」に出掛けて、好きな事ばかりやっているお前は、何か世の中のためになる事をしているのか? と自問自答したくなる。そういえば、気の向くままに、一人気分のいい事を、味わっているだけのような気がする。(最近は、夫婦共々のような気もするが!) 山中でも、下界でも、誉められる事など、何一つしていないかもしれない。これからは、何か他の人にも喜ばれる事を、積極的にやらなければいけないような気持になってきた。(いや、すこしだけでも)山は、これだけ私を堪能させてくれているのだから、「山を汚さない。山を壊さない。」から、「山を綺麗にしよう!」にバージョンアップしようか・・・・・・・



5/9 高落場山行きで夏靴を履いた。久し振りの感触に、なんと軽いのだ思わずにはいられなかった。でも、ソールの減りが大で、ぬかるんだ山道に悪戦苦闘だった。登山靴の寿命は5年、100回で、ハードな山行は60回が限度と聞く。また、山行回数が少なくとも、5年くらい経つと劣化の危険性が増すらしい。近年無雪期用として、ゴアテックスのものを使用しているが、長い距離を歩くせいもあろうが、2年でソールが減ってしまう。長期間金欠病で悩まされている私は、ソールが減ってしまった靴を、行程の長短や天候などによって、使い分けをし、少しでも長く使用出来るよう努力している。 p.m.11:55



5/8 先日の「毛勝山」行きで、幾多の出会いがあった。山が好きで、5年前に、鳥取から富山に、移り住んだと言う40代の下田氏は、もの凄い勢いでボーサマ谷を駆け上がって行った。所帯を持つのも煩わしいと言う彼は、明朝まで、家に戻ればいいし、下ってビールでも飲んでフラフラしているとも言う。孤独そうに見える彼だったが、意外と気が合い、山頂から車までずーっと一緒だった。また、昨年9月末に、剱岳山頂でお会いした黒部の初老紳士と、またまた出会ったのである。これは奇遇と言う事で、お互いに名乗り合って知った、能登氏は、ボーサマ谷の中程からグリセードで滑り降りるのである。その剱岳山頂で、今は親しい「ターさん」との出会いが有り、と能登氏との三人で撮った写真がある。年齢不詳の地元のスキーヤーやの勇ましさや、70歳位で単独行の男性が、倍の時間を掛けて、慎重に行動していたのも印象的だった。また、東京から来たと言う中年男性二人組の山頂滞在時間の短さに、もっと楽しんでいったらと余計な事を言ってしまったが、下山時の雪の状態を、非常に気にしていたらしく、何時の間にかいなくなってしまった。「二百名山」だけで、とんぼ返りなのかと思いつつ、他人の事も言っておれない自分に気が付いた。



5/7 雨降る時や時間のない時は、「牛岳」が定着している通り、今日も少し遅くなったが出掛けてしまった。しかし、牛岳林道の入口で工事をしていて、進入する事が出来なく、係員に尋ねてみたが、半日くらいダメだと言う。ならばと「八乙女山」や「大寺山」へと、閑乗寺に出向いたが、今日からの日付で、通行止の標識があるではないか! 泣く泣く縄ヶ池の水芭蕉でも見てくるかになったが、只、それだけでは終らなかった。雨降る中、登山口の「若杉」を、正午少し前の出発となる。休日はどうしても、“おやまのてっぺん” に登らなければいけないようになってしまったらしい。「病気!病気!」と言う人達もいるが、それ程でもないのである。一日中、雨が強く降りしきる事など稀だし、登山道のぬかるみさえ我慢すれば、今は、ブナやミズナラの芽吹きが、雨に洗われてなお一層綺麗だし、樹木を伝わる雨の雫は、大自然の中にいる自分を思い出させてくれる。また、真赤な椿も充分に、我々の目を楽しませてくれたし、なごり雪と、やがて消え去るイワウチワ、コイワカガミ、ショウジョバカマも、最後とばかりに咲き誇っていてくれて、ハッピーな雨中の山行となった。 p.m.7:45



5/6 板菱の雪渓の亀裂や崩落が、私の予想より小さく渡渉などもすることなく、取水口付近まで車が入れるおまけ付きで、絶好の登山日和が重なって、最高の毛勝山を味わう事が出来た。程よいほどにピッケル、アイゼンが心地よく食込み、この日の為に、青空があったのではないかと思うほどのお天気に、大汗を掻きながらも山頂では、何か羽織らなければいけないほどの山の風が吹いた。先週「僧ヶ岳」や「駒ヶ岳」から見た壁のようなボーサマ谷(毛勝谷)に、取付いているのだから人間は凄い。大きな悩みを担いているように思っている人間も、あの壁にまるでイモムシのようにくっついでいるのだから、大した事がないというべきなのか、それとも凄いと言うべきなのか・・・・・ その毛勝山で、落石事故があったと、心配してくれる友人達に、私は感謝をし、その案じてくれた心を忘れてはいけないと思った。 p.m.8:25



5/5 大型連休も明日が最終日だが、私は明日、明後日が連休である。今日の後半は少し時雨れたが、お天気の予報を信じて「毛勝山」へ出掛けるつもりである。知人にも声を掛けなかったが、掛っても来ず、明日は、じゅっくり慌てず急でスリリングな大雪渓を踏締めたいと思っている。また、あまり気温も上がらないようなので、心地よく刺さるアイゼンの感触を楽しみむ事が出来るかもしれない。只、大渚山行きの「山ノ神」を魚津まで送るのはいいが、果たして地形図も持て余しているのに、雪山を偵察とは言え、安全に行く事が出来るのであろうかと、何時もと反対の心配をしている。

  【 ニ ュ ー ス 】
迫る5月6日「KLEZ」対策お忘れなく
送り主を詐称した電子メールで感染を広げているコンピューターウイルス「KLEZ」の悪質な改良型が大流行していることがわかった。今度はパソコン内の文書を流出させる機能を獲得、旧型のようにパソコン内のデータを消す性質はないが、秘密文書などを外部に漏らす恐れがある。決まった日にデータを破壊する旧型が活動を始めるのも6日と目前に迫っており、ウイルス対策会社は、対策用のホームページを開設、連休前に対策を施しておくよう注意を促している。
YAHOO!ニュースより

p.m.11:10



5/4 交渉中だった「毛勝山」行きがようやく許可された。「山ノ神」が、当日、山姥グループ(私が勝手に付けている名称)のリーダーと、第三日曜日(19日)の山行の下調べに、大渚山(1,566㍍)へ出掛ける事になったからである。と言う事でこの日も単独行が許されそうで「大日岳」行きを計画する事にした。そして、来週の13日(月)も、「山ノ神」は所用があり、4月中旬からこの一ヶ月間は、私の希望通りの山行となるようであり、あとは、お天気を待つだけである。



5/3 大型連休の後半の初日は、お天気に恵まれて多くの方々が、思い思いの山行となったことだろう。純子女史から早々と「牛岳」から槍ヶ岳が見えたと絶景の報告が届いている。シュンさん御一行は、「駒ヶ岳」山頂で大宴会をやったかな? 今日は仕事で、明日は、お天気が悪かろうと「天蓋山」に出掛けると言う山田氏。日中は、あれほど精神衛生上良くないと言って、うろうろしていた私だが、日が陰ってからは、これからも届く山行報告を待ち侘びている。 p.m.5:00



5/2 昨年6月の「恵那山」行きの時、坂本氏の知人で名古屋に在住しているH氏と同行のチャンスがあった。メールで情報などを交換してその時を待ったが、H氏の体調が優れない事など、諸条件が折り合わず、我々だけの山行となった。そのH氏が高岡に来るから、一杯やろうと坂本氏宅からお誘いを受け、H氏と会う事が出来た。初対面のH氏と飲むほどに酔うほどに、話が弾み、坂本氏を交えた山行を企画する事になった。調子の良い話は、兎角実らないものだが、こう言う機会を持ってくれた坂本氏に感謝したい。



5/1 「花じい」の事もあって、「山の友」から遭難には至らなかったが、「あわや!」と思うほどの怖い経験を、幾人もの方々からお知らせ頂いた。幸いにも、その苦境を突破した方々ばかりであったが、知恵や経験だけで苦難を乗り越えきれない場合もあり、運を天に任せなければいけない時もあるようである。「天国と地獄」が紙一重などとの語句があるようにである。
 しかし、万が一の時、セーター1枚、チョコレート1枚で生死を分けるように、備えあれば憂いなしの如く、ザックの底に、何が自分を守るかを考えながら、そっと忍ばして置く事を忘れてはいけない。例え、ずーっと使わなくてもである。 p.m.3:45