6/30 ずーっと「傘マーク」で、九州、四国は大雨。サッカーワールドカップ決勝戦が、行われる横浜でも雨と聞いていたが、高岡は、何と午前中に、日が差すくらいのお天気ではないか! 夕方から雨の予想だが、未だ信じられない。昨日から朝日岳の山開きに参加している黒部のシュンさん、今日から、一泊で白山に仲間と登るとメールをくれたbunchan、山のお天気はどうなのだろう? 今メールが届いた長野の豊城さんによると、予報が外れ軽井沢方面も降っていないようである。西から雨が移ってくるようであるが、私の心は、今日も揺れ動いている。 p.m.4:00



6/29 7月1日~2日に、日帰り、もしくは一泊で、中央アルプスの「木曽駒ヶ岳」「空木岳」方面行きを計画していたが、天気予報が良くなく、半ば諦めている。そして、雨が降ったら、「白木峰」のニッコウキスゲ観察に切り替えようと、思っているが、降水確率が高い予報に反して、一向に雨が降らない。昨年も7月の第一週に「木曽駒ヶ岳」行きを計画したのだが、お天気が良くなく計画を変更した経緯がある。さて、またしても、ギリギリまで空を見ながら、決断のタイミングがずれ込みそうである。



6/28 最近「白木峰」の話題が多い。雪解けが早かった事もあり、今年のニッコウキスゲの開花時期の情報を求めるものが多い。先の日曜日から、少し咲き始めているようである。私が登った黒岩山でも咲き始めて、一週間後が見頃ではないかと素人の予想をしていた。白木峰と黒岩山は、立地は違うが、おおよそ標高が同じくらいの風衝草原である。このところ、低温が続いた事が、さてどのくらい開花を遅らせたかわからないが、“咲いていなければ、また出掛ければいい。”くらいでなければ、本当に綺麗な花が見れないものだ。それにしても、この白木峰は、日本三百名山に数えられているとあって、県外からの登山者も見られる。特に石川県から訪れるケースが目立つようである。ニッコウキスゲやササユリが咲く夏も良いが、秋の紅葉も素晴らしい。もっと述べさせてもらえれば、残雪期に管理棟から歩くなら、白木峰をきっと独り占めに出来るのだ。 p.m.7:15



6/27 仲の良い姉夫妻が埼玉に住んでいる。しかし、今春あんなに元気だった義兄が、腫瘍の摘出手術をした。術後、血栓が飛んで、脳梗塞も患ってしまった。姉は食事の事やリハビリの事で、必死に自宅で頑張っているようである。10歳も年上の姉に、私が悟った事を言うのも可笑しいのだが、“世の中には、看病したくても、体力や時間がなく看病出来ない人や、経済的に苦しい人もいる看病出来る喜びを持ちなさい。”と言っている。そして、“苦しいとは思わず、これが普通だと思っていたら、辛さが半減するよ!”
 その事を思えば、正しく山登りは、人生の縮図のようである。重荷を背負って、汗を流しながら耐える苦しい時の方が殆どで、歓喜を上げる時は、ほんの僅かな時間なのである。しかし、この頃は、歓喜の方に重点がおかれ、始めから最後までルンルン気分で、何処が苦しかったのかわからなくなってきてしまっている。我々夫婦間でも、それが話題になり、よく衝突するのである。では、雨の日、風の日、雪の日に出掛ければ、試練の中に飛び込んで行くのかと思えばそうとも言えない。私は、未だ修行が足りず未熟なのである。 a.m.10:55



6/26 「梅雨寒」というのだろうか、このところ気温が低く、肌寒い日が続いています。あと僅かで、今年も半分が終ろうとしている。私は、結果的に36回の山行を重ねる事が出来、とても満足をしている。病で臥せっている母を抱え、山中で携帯電話が鳴らない事を願って歩いている事さえあるのだから、充分すぎるくらいだ。年頭では、概ね30回程の山行機会があればと願うのだが、ついついエスカレートしていってしまう。ここまで来れば、年間山行回数を週一で53回、昨年の69回、月6回の72回を狙ってみたい。山行回数が多いと言う事は、山の中にそれだけ多くいると言う事になるが、時間や回数だけでなく、中身の濃いものにしたいとも思っている。中身の濃い薄いは、各人によって意味合いが違って当たり前なのであるが、自分なりの強い意志も必要なのである。しかし、たまには時流や、人の考えに「流される」事も必要なのかもしれない。 a.m.10:30



6/25 今日の北陸中日新聞「ふるさと発リレー自慢」コーナーに、カラー写真と共に、私の山への思いが載っている。平凡な私などは、新聞に自分の名が出るのは、悪い事をするか、後は「お悔やみ」の欄以外に、載る事などないと思っていた。知人の紹介とは言え、何事かに打ち込んでいたからかもしれない。「継続は力なり」が、生かされたようにも感じている。山への「ロマン」が、数多くメールに託されてくる現在、それは何事にも替えがたく、まるで「山に登っている限り青春はなくならない。」などと、錯覚しそうである。誠意を尽くしておれば、ネットであろうが裏切らないの信念で、私の世界は広がって行くと確信している。 p.m.2:40



6/24 雨上がらずに「雲上の楽園」を、目の当たりに出来ない事が分かっておりながら、僅かな期待を胸にしまい込んで、ヒスイ峡から「黒岩山」に入った。しかし、寝不足の「山ノ神」を従えての登行は、思うようにならず、車デボ地点から山頂に辿り着くまで、5時間50分も費やしてしまった。おまけに、山頂や栂海の稜線は、ガスに覆われ視界が20㍍と、雲上でなく、雲中になってしまった。黒岩平は未だ雪がビッシリで、そのため視界が10㍍位で、なお悪く散策を止めてしまった。その視界の中でも、この先一週間が、花の見頃のような気がした。雪解けの黒岩平は、水芭蕉が見頃だが、雪に下には未だ予備軍が多く、リュウキンカは未だのようである。チングルマとハクサンコザクラはこれからで、ニッコウキスゲは、口火を切った感じ、シラネアオイは終焉を迎えようとしている。またコイワカガミが乱舞し、何故かリンドウの蕾が膨らんでいた。青空の黒岩平で遊ぶ事は出来なかったが、林道歩きでも、クルマユリ、ホタルブクロ、シモツケ、ギボウシなどの花と戯れた事もあってか、午前4時発午後9時半帰宅、登山口午前6時半発、午後6時半到着で疲れ切っていたはずの「山ノ神」だったが、「この山はもう来ない。」などとは言わなかった。 p.m.11:30



6/23 このところ雨量は少ないが、お天気の方があまりすぐれない。そして、この先一週間の予報もあまり良くない。明日の「黒岩山」行きも悩むところである。今降っている小雨を見ながら、今回も出発ギリギリまで、決断を持ち込まなくてはならないようである。我々「山バカ」は、雨が落ちなければ黒岩山、落ちてしまえば、また近間の何時もの山に出掛けるかもしれない。 p.m.5:10



6/22 我HPのメーンページに、自分自身が久々に登場である。何時も同じボロボロの服装で、変わり映えしないが、時々顔を見せておかないと、忘れられてしまう恐れがあるからである。最近、山の情報交換をするようになった、茨城の草野氏などは、「山ノ神」が写っている画像を見てか、「元ちゃん」を女性だと思ってメールを送ってくださったのが始まりである。人の事は言えなく私も、メールを下さった方の名が、てっきり女性だと思い込んでいたのに、何ヶ月も経ってから男性だった事がわかり、申し訳なく思った事もあった。しかし、相手は私より年上の方であり、失礼な言葉使いをしていたわけでもなく、それを知った私自身がショックだった。それ以来、紛らわしい方には、単刀直入に聞く事にしている。
 メールのやり取りするにあたって、「署名」を活用したいものである。アドレス帳を使ったり、「返信」を使わなくても、リンクして、すぐメッセージ作成画面が出るのですが・・・・・・・・・「署名」には、リンクするようアドレスや名前(愛称でもいい。)、キャッチフレーズなどを付け加えるのも楽しい。いろんなパターンを登録して使い分けると便利です。 また、リッチテキスト(HTML形式)でなく、テキスト形式でメールを送られた方が、どんな相手にも適応するのですが(文字化けしない。)PCの事は、未だ勉強不足のくせに生意気な事を記しましてもうしわけありません。山以外の事は、なるべく記述しないようにしているのですが、HP,メールの関連という事で・・・・・ a.m.7:50



6/21 平成7年6月30日に、相棒の中山君と、頭の中に、雲上の楽園を描きながら「黒岩山」に出掛けた。長い長い林道を歩いて、何の変哲もない中俣山を越えて、本当に楽園があるのかと、ブツブツ言いながら、登った事を、今も鮮明に覚えている。栂海新道の稜線に出た途端に、パーっと広がる楽園に、目を疑がいつつ、雪解けの中に、水芭蕉とリュウキンカのコントラストが素晴らしかった。何故か、この稜線上に、どっと湧き出る流れがあり、黒岩平を潤しているようであった。私の数少ない山のパートナーも、近頃はチョッピリ山から遠ざかっており、次の休日(6/24)は、「山ノ神」が代行するのだが、ビールを担いでの長い道程を、果たして耐えられるのであろうか、お天気と共に心配の種である。 p.m.1:40



6/20 深田久弥が、日本全国の山々から、百座を選んで、約半世紀にわたる登山歴を綴った「日本百名山」はあまりにも有名である。その深田久弥が昭和46年3月21日、親しい山仲間達と「茅ヶ岳」に向かった。女岩を経て、頂上まで十数分の稜線を歩いていた時、突然脳出血で倒れた。仲間の「この辺はイワカガミが咲いて、きれいです。」との言葉に、すっかり喜び「そうですか。」とうなずいたのが最後だったという。この「茅ヶ岳 1,704㍍ 山梨県」は、深田クラブが選んだ日本二百名山。深田人気と首都圏から便利さも手伝って、多くの登山者が訪れるらしい。頂上からの展望は、富士山や八ヶ岳、また、南アの山々を見渡せ、それなりに素晴らしいのだが、富山の山と比べると、荒々しさや、変化に乏しく物足りないかもしれない。でも、それこそ登って見なければわからないし、その山の良さを噛み締めて(踏締めて)登れば、この頂にも喜びが生れる。



6/19 北陸中日新聞の「ふるさと発リレー自慢」のコーナーに関して取材を受けた。知人が「山登り」に狂っていると言う事で推薦してくれたらしい。「山が好き!」 「休日毎に、山に浸かっている。」 には間違いないが、海外遠征をした事もないし、岩登りの達人でもないだけに、他人に自慢するには至らないのではないかと思ったのだが、ある意味で、普通を超えているらしく、それで充分だというのである。そうなると、勝手なもので、もう少しあんな事も言っておけば良かったとか、もう少し上手に言えば良かった、あの写真よりこの写真の方が良かった。などと欲が出てくる。富山版なのか北陸版なのかも聞かなかった。どちらにしても、あと何日か、どのように新聞に載るのか、ハラハラドキドキの日を、過ごさなければいけない。 p.m.11:55



6/18 昨日、牛岳山頂で「山ノ神」と簡単な食事をしている時に、同級生のG嬢から、「立山行き」の日程が決まったとの携帯メールが届いた。G嬢とは、年一回の賀状で近況を述べる程度の付き合いだが、昨年から携帯メールに嵌まっているようで、時々私にも近況を伝えてくれる。しかし、当の私は、山に関係した事しか書き込みしないので、長続きがしない。3ヶ月前に、「私を立山に連れてって!」とメールをもらった時は、「山行スタイルが違うから!」と断わってしまったが、何となく心の中に、引っ掛かったものを感じていた。思いっきり歩きたい私と、立山の山頂まで、行けるかどうかわからない体力のG嬢に、同行するのが煩わしかったのである。しかし、事故や病で必ずしも健康とは言えないG嬢が、高校時代に仲間と登った山の思い出を語ったり、富山平野から立山連峰を眺めながら、“山は素適だ。山が好きなのです。”と言う。そんなG嬢の山への思いは、どれだけ私と違うのだろうか! “連れて行ってあげたら!”と言ってくれた「山ノ神」の言葉を、鵜呑みに出来なかった事もあったが、G嬢に、優しい手を差し延べてくださった方に、感謝しながら、自分の人への思いやりの薄さを、反省してしまった。 p.m.7:00



6/17 昨日は、位山、川上岳山行を終え、午後9時前に帰宅したが、健脚揃いの“者達”と思いっきり歩いた事や、感謝を込めて?「山ノ神」のビールのお相手をしたり、HPの更新で、夜半まで起きていた事などで、朝方の目覚めも悪く、「大猫山」から「牛岳」に、変更する事となった。遅い出発となったが、3ヶ月ぶりの牛岳は、新緑も濃く新鮮な山行となった。昨日悩まされた「小さな虫」も、何故か牛岳にはいないのである。この時期、アルプスや北の高所を除いて、名山であろうが、なかろうが、何処でもあの虫に悩まされるのである。しかし、過去66回を数える牛岳山行では、今まで悩まされた記憶はないのである。その牛岳で、開花間近の愛らしい40本のササユリ確認した。でも、山頂近くでは、2本しか確認出来ず、今までの咲いていた事を思うと寂しくなってしまった。平日である今日の庄川ルートでは、相変わらず誰とも会わなかったが、7合目付近からは、2~3週間もすると草木に登山道が覆われてしまうような状態の所もあった。でも、この牛岳は、今や私のトレーニングの山ばかりでなく、心を和ませてくれる静かな山なのである。 p.m.8:50



6/16 「花じい」に会えた。少し痩せたような気もしたが、新たに「ヘリ3号」の愛称をもらったらしく、元気そうで嬉しかった。山中で、苦境にたたされる夢を今でも見たり、歯の治療、そして、腰や足に違和感が残り、まだ痺れが取れず、リハビリに通っているそうである。しかし、彼の弁舌にユーモアが混じり、その雰囲気は以前と変わらないものであった。コゴミと蟻はもう要らないと、同乗した車中も賑やかで、あっと言う間に登山口に着いてしまった。「花じい」復帰記念山行は、「赤谷ノ頭」山行の同窓会的要素もあったが、位山山頂から、遥か遠くに見える川上岳を、復帰記念山行に選択する仲間や、また、それを了承する「花じい」は、タダモノではなかった。長くてしかも、幾つものアップダウンを繰り返して着いた川上岳の山頂では、一寸控え目であった「花じい」も、勧められるアルコール類には、噛まなくてもよい事もあって、快く喉を潤してくれたようで嬉しかった。この山行に際して、企画をしながら運転も引き受けてくれ、また酔っ払いに、イヤな顔一つしないで付き合ってくれた、「ターさん」や、同日いろいろと活躍してくれ、今日の雰囲気作りにも寄与してくれた「シュンさん」、そして、私が飲むために、自宅までの運転を考慮し、大好きなビールを控えてくれた「山ノ神」に感謝しつつ、長くて短かった記念山行が終った。「笠間氏とそのお仲間計5名」も、「花じい」の事を気遣って、位山まで同行してくだれ、またそれを祝して、位山山頂で大宴会を模様されたようだが、我々が戻った時は、もう富山に帰っておられたようだった。



6/15 私に、よく山の情報を知らせてくれる大平さんが、先日大猫山の1500㍍付近で、登山道の整備をしていらしたブナクラ修復グループの宮村氏にお会いしたという。山好きな同氏なのだが、山頂を目指さず、もっぱら登山道の整備に、時間を割いておいでるようである。山スキー以外、藪を刈り続けておいでるような同氏と、どのような出会いが、あったのか知る余地もないが、彼は、まるで神様のように、同氏を慕っているようである。誠実で温厚な人柄が、そうさせるのかもしれないが、早乙女岳の帰りに寄った大熊山頂から、大熊谷を一緒に下った事のある私だが、大平さんの計らいで、また、ご一緒出来る機会が出来ると嬉しい!



6/14 山渓第4回「山のマ.ダンナ」の結果発表が、7月号P288~9に掛けて載っている。“我等のハイジ由美子さん”が、持ち前の器量に、絶大なる組織票に乗っかって「マ.ダンナ」に輝いた。推薦したダンナの「よっちん君」が、巧みに人脈を利用して、各方面に支援を要請したらしく、圧倒的な強さであったらしい! 山渓の担当者も、北陸地区の山渓5月号が、すぐ完売になってしまったと喜んでいたそうである。この目立ちたがり屋の夫婦を、もうすでに何処かの山頂で、見掛けられたかもしれないが、ユニークで楽しい、世話好きな夫婦である。 余談ですが、何処から引用されたか分からないのですが、私もチョッピリ、そのページの一角に載っているのである。 p.m.0:35



6/13 登ってみなければわからない!行ってみなければわからない!日本には多くの山がある。登っても登っても山はある。だから、休日は家の中にいるのがもったいなくてしょうがない。百名山に拘る人、地元の山に拘る人、気に入った山にだけに拘る人など、人それぞれの楽しみ方や、入り込みようがある。それをお互い素直に認め合えばいいものを、あ~でもない、こ~でもないと言い合っている。それが楽しいのであれば問題ないのだが、突っ突きあって大きな傷になっているような人も多いようだ。
逆に、 山が好きなのに行けない人もいる。時間がない人、経済的に行けない人、体力がない人などがそれである。裏山のような山、公園のような山、同じ山などに登っていたからと言って、卑屈になる事などない。高い山や厳冬期の山また、岩肌に取り付く山行だけが、決して山登りではないのである。煙のように、高い所に登りたがるのは同じにしても、各人が自然に対する思いを、しっかり持っていれば、どんな岳人にも負ける事はない。 p.m.11:55



6/12 「花じい 4/27の件」を、当欄を覗いて下さる方々に知らせたかったが、花じいの名誉もあるし、なかなか扱えなかった。しかし、匂わせる事は何度も記載したし、読んで欲しい数名の方々には、こっそり教えたりしていた。花じい自身堂々と、HP上で、遭難記録の事実を書き残し、自分自身の戒めと教訓に思うと認めているし、先日知人から“「花じい」は凄いね!”の言葉とイザと言う時の行動や生命力を、称えてくれた事に勇気を得、多くの方々に知って欲しいと思って扱ってみた。“迷ったら上へ登る事”を知っていながら、遭えてルートを捜し続けた気持もわかるし、その事態に、陥ってからの彼の沈着冷静な行動を、私は認めたい。来る16日の彼の復帰記念山行で再会が適うが、しょげていたら励ましてあげたいし、武勇伝を語るなら聞いてあげたい、また、この事にクレームをつけるなら甘んじて受けようと思っている。未だ多くを語り合っていなくても、“山が好き!”だけで充分である。 p.m.2:30



6/11 昨夜の11時半過ぎに帰宅し、就寝が未明の2時を回っていた事もあり、眠さに疲れが加わって、だるくてしょうがない。2週連続の遠出は、年を重ねつつある今では、じわっじわっとこたえるようになってきた。強行日帰り(夜行日帰り)も、そう長く続く事もないであろう。
一昨日に、「池ノ山」の思いを載せたら、これまた、最近貴重な山の情報や山への思いを伝えて下さる牧野氏から、4~5年前に苦労もしないで山頂の三角点に到達したけれど、眺望もなく登る山に与えしないような気がするが、それも登ってみての事・・・・・・・・「とやま山歩き」118座完踏の拘りに配慮して「未知への願望」の語句で結んで下さった。その牧野氏は、「池ノ山」より、「八海山」がはるかに面白いと勧めて下さる。登ってもしょうがない山より、面白い山に登ったらとの助言だと思っている。でも、それはそれ、これはこれであると、私の心は動かない。それにしても、今秋、「八海山」を含めた新潟の山に、幾つか挑戦しようと思っていた矢先だけにそのお勧めは、嬉しくもあり、“また次ぎ行く山”に一層燃えてきた。



6/10 「深田久弥終焉の地」として有名な「茅ヶ岳」にようやく登れた。登山口の標高も高く、登頂に要する時間もそれ程でもなく、また鬱蒼と繁った林の中を歩くが、それほど突出した雰囲気のもった山とも思えなかった。しかし、山頂からの展望は、“飛騨の奥丸山”ほどの絶景ではないにしても、富士山をはじめ、南アの名峰や八ヶ岳などの山々を充分に楽しませてくれた。また、近年人気の深田久弥の人物像を、もう一度勉強させてくれる機会を、与えてくれた事には間違いがない。この山行に際して、また寝ずに夜半の0時半出発となった。平湯~安房トンネル~松本に出て、尚も高速を使わず、岡谷まで行った。諏訪まで行きたかったが、後々のスケジュールの事もあり、岡谷から須玉まで高速利用になった。韮崎まで行けば、もっと便利だったかもしれないが、“ケチ精神”で一つ手前のIC下車である。道を尋ねる事において、煩わしいと言う人もいるかもしれないが、早朝から土地の人との交流をもったり、私は結構楽しんでいるのである。カーナビ持たずの我々は、“いつもこれでいいのか!”と不安を持ちながらのハンドルさばきなのだが、ダメならまた引き返せばいいのである。当世飲酒運転には、厳しい目を向けられ中、杯に一杯位のビールしか口にしなければ、冷たいビールを飲みたいが故に、山登りをしている流石の「山ノ神」も、自ずと規制されてしまうのが、一寸可愛そうではあった。
山に関して欲望が尽きない私は、遠く離れてはいるが、未だ時間の余裕があるし、比較的楽な「国師ヶ岳」を目指す事にした。「甲武信岳」行きで、千曲川源流コースを選択した事もあり、尾根沿いの三百名山でもある「国師ヶ岳」には、山梨へ出掛けた時に、ついでにでもとの思いはあったのである。しかし、茅ヶ岳からスタンダードな道を使わず、道路地図上では、薄っすらとしか載っていない山道を辿ったので、山歩き以上に、労力をすり減らしてしまった。深田公園~敷島ゴルフ場~福沢~金桜神社~御岳~黒平~荒川林道~焼山峠~金峰牧場~川上牧丘林道~大弛峠。国師ヶ岳や奥千丈ヶ岳までの所要時間が、一時間位と手頃なのと、今日は、未だ蕾で早かったが、シャクナゲで埋め尽くされるらしく、駐車場のない大弛峠は、林道の端にいっぱいにの車が止められていた。また、峠すぐ上のキャンプ場には、多くの大学生らしい若者達が、登山の余韻を楽しんでいて、中高年登山ブームのおり、何故かホッとしてしまった。帰路は、140号線~石和温泉~甲府市内で、勝沼、一宮御坂、甲府南、甲府昭和の4ヶ所のICをカットして、韮崎から松本まで高速に乗り、安房トンネル経由で、午後11時半過ぎの帰宅となった。



6/9 私が執着している「池ノ山」の情報を、最近知り合いになった池田氏からもらった。(と言っても未だお会いした事がない。)今春残雪期に機会を逃してしまったから、今秋か来春に持ち越しだと思っていたから、この情報は、私の心を揺さぶってしまった。あまり人の入らない山は、短いとは言え藪を漕ぐのはイヤだったし、何が出てくるか分からないからで、雪のある時にと思っていたのである。でも、池田氏の情報では、県境沿は刈り上げてあるらしいく、長棟峠あたりまで、車を入れれば、物足りないくらいの山歩きであるとも、付け加える下さった。さて、大雨で林道が決壊しないうちに、出掛けた方がいいのか、紅葉を楽しみながら、山頂を目指した方がいいのか、またまた今春辿った高幡山からの延長線を、雪道を行った方がいいのか、それとも佐古からのルートを粘り強く捜した方がいいのだろうか、悩むところであるが、これも山行計画の楽しみの一つでもあるのである。そして、118座目は、出来れば心知れた有志と共に、山頂を極めたいと思うのは、贅沢なことなのだろうか! p.m.0:20



6/8 ”浅間山は、思ったより素適な山でした。”“浅間山は、気になっている山です。”“浅間山に一度登って見たいです。”“若い頃は、その麓で生活していました。”などのメールが寄せられ意外と名山の中でも、反響の多いのに驚いた。「賽の河原」から上は、瓦礫で樹木はないが、それに至までのお花と樹木がいい。また川肌が赤(茶)で、火山である事を印象付けている。一年中、浅間山荘や車坂峠まで、車が入れると聞いたから、今度は、雪のあるお天気の良い時に登ってみたい! ようやく、「紀行文」に手を付けたのですが、明日夜半(明後日の未明)に新たな山への挑戦で、また遅れてしまうのであろうか!



6/7 “次ぎ行く山は何処?” と思う時に、“何故こんな思いまでして!” などと思う事もしばしばである。毎日でも行きたいくせに、生活がそれなりに平穏であると、マンネリのような気持になって、新しい事を求めたがるからであろうか? これも、「山登りは人生そのものである。」からであろうか? 私は、負け惜しみではないが、誰もいない山、誰とも出会わない山でも、一向に構わない。何故ならば、山の味を、独り占めしているという実感の方が強いからである。
このコラム欄に、時々登場する「よっちん君」と言う私の親友がいる。彼は、青春期には非常に山へのめり込んでいたが、最近は、愛する家族の為か、それとも疲れてしまったのか分からないが、メジャーな山、人の集まる山に、それこそ、彼の得意とするところのファンを引き連れて、楽しい山行を続けている。したがって、そのファンたる人達は、今や全国に跨り、人好きな彼らし山との接し方をしているが、ワインを担いで行って、それを振る舞ったり、写真を撮っては、送ってやったり、人一倍のサービス(努力)をしている。その彼と今度は久し振りに飲んで、山談議をしたいと思っている。 p.m.10:55



6/6 浅間山の不動滝で、フィルム交換をしようと思ったら、デジカメのコンパクトフラッシュの予備と共に、車の中にある、私がいつも使用しているもう一つのリックの中に、忘れてきた事に気が付いた。前日の「甲武信岳」に次いで初めての山だけに、思い切り写真を撮りたいと思っていたから、一瞬頭の中が真白になった。これから浅間山の核心部に入る矢先だけに、尚更であった。しかし、「山ノ神」がコンパクトカメラ(APS)を持参していて、記録写真に関しては難を免れた。また、不必要な画像を消す事が出来るデジカメの利点を利用する事が出来、ホッとした。この山行直前に、娘が「山ノ神」のリックを借用していった為、小さなDパックを使用する関係上、私がその分、宿泊用に使っている大型のリックを使用する事になった。しかし、いつも使っているリックには、いろいろなものが詰め込んであるのだが、その中の本当に大事な物を、移し忘れてしまっていたわけである。 p.m.11:55



6/5 昨夜は8時過ぎに帰宅したが、管鮑会月例会(毎月4日、36年間続いている高校時代から友人の会。)に出掛け、11時頃再び戻ってから食事となった。まるまる二日間留守にしてしまったので、メールの返事が遅れています。HPの更新も遅れています。その内追い付きますので、宜しくお願いします。
浅間山からの帰路をどのように取るかに迷ったのですが、小諸~東部~丸子~鹿教湯~三才山トンネル~松本トンネル~新村~上高地公園線~安房トンネル~平湯~神岡~笹津~八尾~高岡のコースを選んだ。(松本トンネルを抜けた後、平瀬橋を渡り梓川沿を通って「新村交差点」に出たのが、時間短縮に奏功したようだ。)帰路は、往路を違って三箇所の有料トンネル(合計1550円)を使ってしまったが、時間がなかったので仕方がなかった。本来なら高速を効率的に使えば、身体も楽くで、時間にも余裕が出来るのだが、経済的に問題のある我々には、もっと遠くに行く時のために、時間がない時のために、今は、出来るだけ高速代を節約しています。



6/4 私の持っていた「浅間山」のイメージが変わった。火山としてのスケールの大きさと、裾野へ広がる樹林帯の美しさがとても印象的で、よく見るとお花も結構咲いて、目を楽しませてくれた。
第一外輪山の黒斑山までしか登れなかったのが、昨年の7月23日から、第二外輪山の前掛山まで、登れるように規制緩和された。しかし、あくまでも自己責任を負っての緩和である事は言うまでもない。立入禁止の標識から、火口を覗く本来の山頂付近までは、近い事もあり、ロープを跨いで進入する登山者が多かった。それを見た私も、登山者に注意する事を、目的だと勝手に思い込ませながら、その後を追った。凄い噴煙を上げた火口の一部を見ただけで、すぐに引き返したが、火山ガスの臭いはきつく、4分で「山ノ神」が待っててくれた標識の外に駆け降りた。



6/3 下道に拘って「甲武信岳」に向かった。夜半の0時半発で、糸魚川~白馬~小川~中条~更埴~小諸~佐久~小海~川上村梓山のルートは、高速、有料トンネルを使わず6時間を要してしまった。千曲川源流の登山道を辿ったが、流石に疲れや眠気に負けて休憩時には、ウトウトしてしまった。十文字峠のシャクナゲに未練はあったものの、「多摩、秩父」の奥深い山の味を、充分に満喫する事が出来た。下山時の午後、また雷雨に逢ってしまった。眠気が漂い、また、喉が冷たい飲み物を要求しているし、このまま高岡へ帰る体力の自信もなくなってしまった。翌日も休日だし、予定通り「浅間山」に登る事にし、一面レタス畑が高原に広がる川上村で、民宿を探す事になったが、ひょんな事から、世界唯一の天然水晶洞がある湯沼鉱泉旅館に、低料金で泊めてもらう事になった。鹿や牛の肉、岩魚の刺身や塩焼き、山菜の天婦羅、焼ススダケ、珍味のイワタケなどなど・・・冷たいビールを飲みながら盛り上がった。テレビ番組の「探偵ナイトスクープ」にでも、出てきそうな凄い敷地と鉱脈や、展示してある大量「水晶」、また、天然記念物の「川上犬」が、おとなしいとはいえ、家の中を右往左往している様子。また、手作りのような温泉など、ビックリする事ばかりであった。



6/2 「能郷白山」「大辻山」と、このところの二週間は、雨に祟られ、写真が撮れなかった。でも、小止みになった時、撮った花や木を載せてみようという気になった。いざ載せるとなると、図鑑を引っ張り出して、調べなくてはならず勉強にもなった。しかし、よく似た花を誤って載せたのもあるらしい。これを機会に、山の名ばかりでなく、花や樹木また山菜等の事も、知らなければと思う次第である。また、能郷白山でお会いした、滋賀の井上さんや、三重の和田さんの、良くも撮れていないカップルの写真を載せさせてもらった。明日はよい天気に恵まれそうであり、初めての山でもあり、思う存分取り捲って来たい思っている。 p.m.10:00



6/1 「早駆け」と言うのはもう遠い昔の話で、もうそんな体力はない。しかし、そういう気持ちが、心の底のどこかにあるのか、時折“負けてたまるか!”となり、後悔する事しばしばである。ならば、直接脚力と関係のない車の運転なら、大丈夫かというとそうでもなく、すぐ眠くなってしまう。そんな身体に鞭打って出掛ける遠方の夏山に、“気を付けて!”と言ってくれる友人の言葉を大事にしたい。山旅気分と言いながら、露天風呂に浸かったり、お土産を買ったり、その近くの名所を巡ったりした事は殆どなく、ただ「山」だけなのである。毎週のように出掛ける事もあり、経済的負担を軽くしたいという気持や、家の事情で、なるべく早く帰るに越した事がないからでもある。私とて、時間があれば、“もっと・・・”という気持ちもあれば、焦らずゆっくり違った山の味わい方もしてみたいのである。今年の行ってみたい山の一座に「八海山」がある。どんな山なのか多くを知らないが、八海山に登って「八海山(清酒)」を飲もうが、今年の一つの楽しみなのである。白馬岳に登って「白馬錦」を、燕岳に登って「酔園」を飲むように!  嗚呼!!立山に登らなくても「立山」を飲んでしまっているが・・・・・・・・・・