7/31 8/5~8/6は、「木曽駒ヶ岳・空木岳」行きを計画している。昨年も、先月も天気に恵まれず、計画を変更した経緯がある。近づいて来る山行計画に、確認の為、地図を広げているうちに、移り気で欲張りな私は、またまた夢が膨らんで行き、「山ノ神」に計画変更を打診している。「木曽駒ヶ岳」は、何時でも、幾つになっても登れると思うから、今回は思い切って「空木岳・南駒ヶ岳・越百山」行きにバージョンアップしないかと言うものである。当然登山基地は、「駒ヶ根」から「木曽福島附近の伊奈川ダム」となる。荷物は、私が担ぐからと、粘り強く交渉しなければいけない。それにしても、お天気予報が良くなければ、またしても水の泡になる。 p.m.5:00



7/30 長く患っている母は、昨年末から寝たきり状態になっている。その母を病院や長期の介護施設に預けず、基本的には我家で、「山ノ神」中心に介護をしている。しかし、休日だけは、(最近は休日の前後も)ショートステーで介護施設で預かってもらっていて、携帯電話を気にしながらも、帰宅時間を気にしないで山行を楽しんでいる。以前は、朝預け夕方帰って来るまでの時間と、競走の山行でもあったし、休前日から預けたとしても、帰宅時刻に間に合うかと何時もハラハラの車の運転だった。そんな事を思えば、今は天国なのだが、今回、二ヶ月先の9月分の予約が取れなかったのである。7回ある休日の中に、3回の日曜祝日があり、日頃ご無沙汰している方との山行や、新潟県の名山に行く事も、「山ノ神」所属の山姥グループの山行にも差し支えが出て来た。しかし、ただじっとしているわけもなく、二人で出掛ける午前10時発の山行や、どちらかが介護のため留守を引き受けなければならなくなる。「私が面倒見ているから!」と、優しい声がかかる事を、少しは期待しているのだが・・・・ p.m.3:45



7/29 目が覚めたら「あら あら」と言う時刻になってしまっていたため、あえなく「金山・天狗原山」行きを断念! 最近、夏バテなのか身体の調子が良くない。ずーっと、続いている山行の疲れが蓄積されているのか、また、食の不摂生などが祟っているのかわからないが、身体が重く、胃腸にすぐ手が行ってしまう。 でも何処かの、てっぺんに登りたい我々は、「僧ヶ岳、駒ヶ岳」を目指したが、宇奈月側「平和観音像」からの林道に、通行止の標識があり、これでは、烏帽子口からの登行は難しいと判断、またゲートは開けてあったあったものの、平日にトラブルなんて軟弱な私は想像しただけで、ゴメンだとまたしても、「僧ヶ岳」を断念!(午前9時過ぎ) さて、次は何処へと、朝日町で高価?なガソリンを給油し、高速に飛び乗った。目指すは、「明星山」。長い林道歩きもあるが、「山ノ神」未踏の山だしと思い決断したが、昨日、純子女史御一行に夏の「大辻山」は辛いよ! などとメールを打ったばかりなのに、大辻山より低く、炎天下の登行(午前10時40分過ぎ)なのであるから、蒸し風呂のような山行となってしまった。おまけに草木が伸び放題、またガスが掛って何も見えないおまけつき・・・・・・・結構知名度のある「明星山」なのだが、こんな時期のこんな状態の時に、誰も来るはずがなく、心の修行には持って来いの山歩きなのだが、家に戻って、浴びるようにビールを飲んでは修行には程遠い。



7/28 梅雨明け最初の土曜日曜とあって、山は大盛況のようである。私の友人知人の多くも北アに出掛けているようである。その事もあって、昨日から、アクセスカウンターの動きが悪いような気がするが、それだけ、下山後の山行報告が楽しみである。さて、我々は、予定通り「金山・天狗原山」に出掛ける事が出来るだろうか? また何処か目移りして、変更してしまう事もあるから!  p.m.4:55



7/27 先日の「立山・剱岳」山行の折、立山一の越で、上市中央小学校の生徒さん達から、総合学習「剱岳」のCD-ROMを託された事を述べましたが、その16コーナーの中に、「剣とつく歌」と言うコーナーがあり、4つの歌が載っていました。おなじみ日本海味噌のコマーシャルソング「雪ちゃんの歌」そして、「上市音頭」「上市賛歌」。私が懐かしく思ったのが「剣の歌」と題してもので、作詞作曲不詳ながら、高校時代恩師から口伝えで教わったものでした。しかし、私が教わったものと、チョット歌詞が違い下記のようなものでした。

♪♪ 「 剣(ツルギ)の尾根の 麓の白萩(シラハギ)の流れ 岩魚が踊る 一度お出でよ 我が馬場島へ   おハイヨー おハイヨーおおハイヨー 鳴るはライライヨー ライライヨー 」

♪♯ 「 穂高の尾根の 麓の 梓の流れ 山魚(ヤマメ)が踊る  一度お出でよ 我が涸沢へ  おハイヨーおハイヨー おおハイヨー 鳴るはライライヨー ライライヨー 」

♯♭ 「 清流の流れ  娘一人何が悲しゅうて 泣くのやら  踊れ踊れ  淡酒飲んで  おハイヨーおハイヨー おおハイヨー 鳴るはライライヨー ライライヨー 」

 私がこの歌を覚えた頃は、未だカラオケのない時代で、 音痴だったかもしれませんが、山仲間と大きな声で、また時には、一人寂しく小さな声で、歌っていたものでした。上記の歌詞の「尾根」の部分が、「山」だったように記憶しています。また、薬師も登場し、♪ 一度お出でよ我「平たいら」♪ と歌ったものでした。また、「剣の唄」には「夢に描いた剣の山によ、意気と力でね ぶち当たる ヨカネ!」 と、ダンチョネ節のメローディーで歌うものが有名です。
 また、私が、高1~高2への春休み中に、山岳部門の国体予選とインターハイ予選を兼ねた大会に出た時の夜、未だ未熟な私は、キャンプファイヤーで聞いた歌に、感動とショックを受けたものでした。「いつか或る日」「新人哀歌」などは、山男達には多く歌われていたらしく、山の歌と言えば「雪山賛歌」「山男の歌」「山小屋のともしび」などくらいしか知らなかった私は、、技術や装備に、雲泥の差を感じていた事と共に、他校の山の知識にも、劣等感を持たざるを得なかった事を、今も強く覚えています。でも、あれもこれも、今は私の美しくて楽しい想い出になっています。



7/26 頚城の「金山」から「焼山」に届かなかったが、その奮闘記とお花が咲き乱れるの状況が、大平氏から届いた。また、牧野氏から「白山」のリベンジの報告をもらった。市ノ瀬発着のチブリ尾根経由で別山へ、南竜室堂(泊)大汝峰~七倉山~釈迦岳を、室堂小屋の混雑を除けば、選ばれたルートは出会う人も少なく、絶景に満開の高山植物と戯れたと結んであった。このような思うままの単独行を報告されれば、弱まった私の足と言えども、ウズウズして仕方がない。「山ノ神」所用の日(8/18~8/19)ブナタテ尾根を経由して「烏帽子岳」、「野口五郎岳」の計画を立てている。問題は、寝ずの登行(眠る時間があればいいが!)と高瀬ダム堰堤上までのタクシー代である。相乗りが出来なければ、2時間余計に歩かなければならないし、相乗り出来るような状態でも、帰路はきっと歩かなければいけないだろう! 貧乏人は辛いのである。どちらにしても、折角許された単独行だが、お天気でなければ意味がない。 p.m.1:50 



7/25 この一週間は「剱岳」尽くめである。登山当日をはじめ、行けるか行けないか! 準備! 報告! などなど・・・・・・・・・・。 「剱岳尽くめ」の連想から、金沢の早川さんの事が浮かんで来る。アドレスはもちろんturu 法人名にも剣があったように思う。極めつけは四男に「剣」の名を付いている。
 その剣君、HP(YASUHIROのマウンテンワールド)によると、今夏、口三方岳、大笠岳 白山を踏破し、しかも並みの速さではないのである。天狗のような Dr.早川は、今度は剱岳早月尾根日帰りに挑戦させ、名実と共に「天狗の子」にしてしまうようである。また、兄弟仲良く写っている画像が載っているが、どれが早川さんか、わからないくらい彼は若い。



7/24 先日の「立山・剱岳山行」の途中、「一の越」で、富山県上市中央小学校6年1組の可愛い女の子3人から総合学習なるCD-ROMを渡された。“ 7/21の立山登山を記念として、同じ立山を訪れた人に、自分達が調べた剱岳や立山また上市町の事を知ってもらおうと配っているので、もらってもらえますか!” と言われ “ 私も剱岳が大好きです。剱岳周辺の山にもよく出掛けます。必ずお返事します。 ” と受け取ってリックの奥に大切にしまいこんだ。日曜日の大賑わいの立山で、私を見込んでくださったわけだから、子供達の期待を裏切らないように、その返事(感想)に熟慮している。 「剱岳」のタイトルが付いているCD-ROMは、剱岳ずくめで、シンボルマーク、剱岳に関係する川、山菜、高山植物、剱の唄、山岳警備隊、登山ルートなど16コーナーからなっているもので、小学生らしくあどけなさもあるが、初々しい着眼点も楽しく、また上市町が好きになっていく。



7/23 今年の2月に「大高山」でお会いした大平さんが、私の登山計画に合わせるように、“早月尾根から剱岳に登ったが、残念ながら到着時間(10:15)が遅かったのか、会えなくて残念だった。”と言うメールが届いた。劇的な再会を企画した彼には申し訳なかったが、体力不足とクレパスに悩まされていた私は、その頃「長次郎のコル」で写真を撮っていた事になる。彼の山頂滞在はどれくらいだったのかわからないが、私の本峰到着時間(10:55)まで、留まっていてくれたら、それこそドラマチェックな再会になったのだが・・・・・・・。しかし、そうなれば「山ノ神」の待つ剱沢到着が遅れて、最終バスには乗れなかったかもしれない。大平さん今度は、どのような形でお会い出来るか楽しみにしています。 p.m.5:35



7/22 剱沢 長次郎谷出合の土石流跡は、凄まじいものであった。次の崩落が、何時起きるか分からない危険を感じながらの登行である。しかし、20~30分歩き続けると、以前の長次郎谷に戻った。でも、八ツ峰と源次郎尾根に挟まれた長くて急な雪渓を登るに連れ、自分の年齢を感じていった。「熊の岩」下部で、岩登りを終えて下って来た若き女性クライマー二人と出会い、上部の雪渓の状態を尋ねると、岩峰から見下ろした限り、右俣(池谷乗越へ)左俣(長次郎のコルへ)に行くにしても、クレパスでズタズタだと言う。下から見上げる限り、亀裂が見えない、しかも本峰に近い左俣ルートを選んだ。「熊の岩」の横を通過する時にも、ヒヤヒヤだったが、「熊の岩」上部に来て、もう後退り出来ない状態になってしまった。ピッケルも5~10㌢程しか刺さらないし、アイゼンもデバ部分を使うが、靴底が薄く安定感がない。下から上を見上げて、フラットに見える所は、辿り着くと、そこはことごとく、クレパスなのである。テラスのように、移動出来る時は、束の間のホットする時なのだが、崩壊寸前のクレパスを二度、目を瞑って渡り、もう一度は、落ちる時の脱出スタイルを考えて渡った。また雨にもあった。急斜面で、カメラ保護のためにリックカバーを掛ける作業と、雨具の上を着けるのが、やっとだった。「長次郎のコル」に着いて、ホッとしたが、本峰まで30分の濡れた稜線歩きが待っていた。向かいの八ツ峰から「落石・・・・・」の声があがった後、「ガラガラ」何もなかったのかな~。と思った途端、私が不覚にも浮石を、落としてしまった。池ノ谷側へ雪崩れるように落ちていった。もちろん誰もいないよな!と自分に言い聞かせた。剱岳頂上に10時、剱沢キャンプサイトに12時まで戻ると、「山ノ神」と約束していたのに、大幅なタイムオーバーとなってしまった。行った所が、普通の所でないし、待つ心中は、嫌なものだったろう!それから荷を纏めて、剱御前、雷鳥沢を経由し、喉をカラカラにして、また足もヨタヨタになりながら、室堂最終バスに間に合った。



7/21 「富士の折立」付近で、「花じい」が所属する立山会の西田女史に声を掛けられた。「花じいのHP」からリンクして、我「元ちゃんの山歩き」を毎日のように見ていてくれるそうだ。でも、よく私がわかったものだと考えてみたが、何時も飽きもせず同じ格好をしているからではないかと思ってみた。その立山会5名のメンバーと記念の写真を撮る事が出来た。西田女史、あらちゃんのお友達のカノちゃん、土肥先生、ステキなお姉様二人。 剱沢キャンプサイトに着く頃から雨になった。
 山岳警備隊の詰所で北山氏にお会い出来た。山小屋アルバイト時代の同僚で、賀状のやり取りはしているが、もしかしたら、10年も20年もお会いしていなかったかもしれない。若かりし頃、夏山の剱沢に入る時、何時も「おーっ岳友会」などと声を掛けてくれた人だ。同氏に明日の長次郎谷の情報を尋ねると、土石流で出合が荒れていると言う。若者の隊員に登山計画書を求められていたが、同氏の一言で割愛されてしまった。早駆け登山も良いが、旧友との再会、新しき人との出会いなど、ゆっくりした山もいい。さて、明日の行動は、どう見てもゆっくりではないが、帰宅時間をきにしなくていい、キャンプサイトの夜はステキだ。この強風が、剱のてっぺんに次から次にガスを吹き飛ばし、星が輝く満天の夜空にしてくれる事を願いながら、思う存分担ぎ上げたビールを飲んだ。



7/20 依然と天気予報が悪い。しかし、青空が広がって来ている。もう悩まないで、剱岳へ出掛ける事する。計画通りに行かないかもしれないが、人生に置き換えれば、思い通りになんかなった事が無い。それなりに、山に接して来れれば、良いような気持で出掛ける。お天気が悪ければ、写真も撮れないのだが、新しいデジカメの練習をしていない。一夜漬けで覚えれるでしょうか?  p.m.6:30



7/19 今度の剱沢キャンプは、平成10年の「仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳」行きで北沢峠、「高妻山」行きの戸隠以来となる。二人用でダンロップのドーム型テントを使用しているが、昭和52年に白出沢から「穂高岳」に登った以前から使用しているから、25年以上経っている事になる。今春に、このテントの外張り(冬用)を購入するに付け、蒸せていた支柱のゴムを取り替えた。
 ようやく雨が上がった今日の午後、久し振りのテント使用のため点検を行えば、フライの脇のゴムが張りがなく、ブスブスであった。今回は間に合わないが、我「山人生」を共にしてきたこのテントを、早々と引退させるのは偲び難く、出来るものは自分の手で、出来ないものは山の用具店に出掛けて、修理して使っていきたいと思っている。 p.m.3:35



7/18 あまり高額のものではないがデジカメを買った。しかし、いざとなると、付属品が必要になり物入りになってしまった。 また、3日後の迫った剱岳山行に合わせて、機能をマスターしなければならず、こちらの方も大変である。5年程続いている剱岳早月尾根日帰りと違って、剱岳の山懐にあたる剱沢に入るわけだから、青春時代を回想しながら、北アの重鎮らしい山容を思い切り撮って来るつもりだ。そして、日程、体力、天候を考慮しながら、八ツ峰と源次郎尾根の間にある長次郎谷の長い雪渓を登りつめ剱岳本峰に達したいと思っている。しかし、その日の内に、帰宅出来るの体力があるのであろうか?
 最近、“私を綺麗に撮って!” と「山ノ神」の要求が強くなっている。カメラは正直だからと言い返しているのだが、よくわかってもらえないらしい。不幸にも私は、修正や調整の技量を持ち合わせていないのである。新しいカメラになって、その要望が強くなったら、今後の山行が、益々辛いものになっていくような気がしてならない。 a.m.10:55



7/17 明け方の雷鳴を伴った凄い雨で、梅雨が明けるのではないかと思ったが、日中、日は差したものの、不安定なお天気は解消されず、週末以降に連れ込みそうだ。今度の21日~22日の剱岳行きは、剱沢で久し振りのキャンプとなるためいろいろと戸惑っている。まずは、「山ノ神」が、剱岳行きなのに今回も怖いから山頂を目指さないという。岩が怖いという者と、長年同行しているからその苦労が大変なものである。また、私が久し振りに、長次郎雪渓を登ると言うと、昔と違い本当に登れるのかとチャチャを入れる。荷物となると雷鳥坂を、音を上げている山ノ神の分も加えて2往復した事もある。コンロを二台持っていこうかというと、重たいから一台で良いと言うくせに、ビールとなると缶ビール1ダースを、減らせとは言わないのである。山の頂も目指さない山行に、私の計画までサイドブレーキを掛けられているようで、信念が揺らぎそうになる。とは言っても、昨年出来た事が、今年は出来ないという年齢に差し掛かって来たことは、紛れも無い事実であり、10年20年前の事が参考にならないのに、果たして重荷を背負って、雷鳥坂を登りきる事が出来るのであろうか? p.m.11:00



7/16 昨日、牛岳三段の滝経由で車に戻り、着替えて座席にある物を片付けている時に、不用意にもデジカメを落としてしまった。昨年末、俵さんから譲り受けた大切な物だけに、思わず「あーっ」と声を上げてしまった。心や行動にスキがあったから、こんな事になったんだろうが、「恋しい人」に接するように、もっと大切に扱わなければいけないと、今更ながら思ってしまったのですが、今朝、その痛々しいデジカメを、そーっと作動してみたら、撮る事は出来るのですが、他の作業がことごとく出来ないのです。ならば画像だけでも、PCに取り入れておかなければと接続したのですが、これもダメ。また、コンパクトフラッシューまでもが、本体から取り出せないのです。どちらにしても、今夜にも電気店に駆け込まなくてはいけないようです。HPを続ける限り、デジカメのない山行など考えられなくなってしまった今日この頃なのですが、「ケチではなく、貧乏な元ちゃん」は、財政的苦難に、また頭を痛めているところです。 p.m.0.05



7/15 当初の計画では、特別割引を利用して、立山に行く予定だったのですが、計画前日になって、娘の友人達が浄土山に行くのに利用するという事になり、その割引証なるものが手元からなくなってしまった。その時点でいっぺんで熱が冷めたのと、台風の影響で天気予報も良くなく、また来週は、剱沢(剱岳)に、入るわけだからと我心を慰めていたところに、親戚の不幸の連絡もあり、またまた、牛岳になってしまった。毎月行っているのかと聞かれると、1月に2回、3月と6月に各1回、そして今回と、今年5回目になる。牛岳が嫌いなわけではないのですが、他の山に行けたらもっとハッピーです。 p.m.6:00



7/14 深田久弥の日本百名山が有名である。それに、100座を選んで加えた深田クラブの日本二百名山がある。それにまた100座を加えた日本山岳会編の日本三百名山がある。何故か日本山岳会編は、二百名山の中から、荒沢岳(新潟)を除き、新たに山上ヶ岳(奈良)を加えいるため、301名山になるらしい。最初は日本百名山に、それ程興味もなかったのであるが、最近では、出来れば登ってみたいに変わって来た。そして、日本三百名山にも、登れないものかと思うようになって来た。これを踏破するには、技術よりも、エネルギーがいる。時間と経済力また体力がいるのである。時間がなく、経済力もイマイチな私は、一生を掛けて登れないものかと思っている。山旅気分や、お札参りのような感じならと思うのであるが、やっぱり大変である。何が何でも百名山や三百名山なら、他の事をさて置いて、目標に向かえるであろうが、地元富山の良い山や、好きな山にも登りたいし、毎年また何回でも登りたい山もあるのである。残された時間に、全国に点在している山々を登るシュミレーションをして見るにつけ、完踏された方は、凄いエネルギーの持ち主と言わざるを得ない。しかし、私は私なりのやり方で、年間10座位を目標に、楽しみながら、私の知らない山に登ろうと思っている。現在私は、三百名山中91座しか登っていないが、100座を超えたら、我HPの中に、新しいコーナーを設けたいと思っている。 a.m.11:00



7/13 今晩までお天気がもつとの予報に、明後日は、また雨かと空を眺めいたら、「山ノ神」の“「牛岳」ですね!”の言葉がイヤミに聞こえた。純子祐子女史一行の「僧ヶ岳」行きが気になって、届かないかもしれないが、と思いながらお昼前に、携帯へメールを送ってみた。心配する事もなく、頂上で乾杯をしているの返信がきたが、その直後、高岡は雨になった。“「駒ヶ岳」まで行ったのだろうか!”と思いながら、どちらにしても、豪雨と遭遇したのではないかと心配になっている。
 スイスから帰ったばかりの池田氏から、今日の立山(剱御前山方面)の情報をもらったが、やはりお天気が急変したらしい。 p.m.6:30



7/12 最近、やたらに牛岳の話題が私に伝わって来る。中高年登山ブームで、手頃な「牛岳」に注目が集まったのか、HPの検索で、私のHPに行き当たったのか分からないが、「毎月牛岳に登っているのですね!」 「牛岳に何かあるのですか?」など、直接コールを受けたり、知人を通じて私の耳に入ってくる。 “「元ちゃん」が、そんなに通っている牛岳に私も登ってみたい。” などと、私を喜ばせる言葉まで出て来る。「牛岳の元ちゃん」になっても困るのだが、どの山にも良さがあり、何度も通うと愛着が出て来るものである。オールシーズン山歩きをするのなら、3月の残雪期が一番ステキであろう。そして、10月下旬の紅葉時、また、その後の落ち葉を踏締めて歩く時、雪が溶けて新緑の時、雪がちらつく初冬の時、雪深くラッセルが必要な積雪時、また、ショウジョバカマやイワウチワが咲く頃、コゴミやゼンマイの山菜時期、ササユリが咲く頃、山頂まで林道が延びている牛岳でも、このようにいろいろな楽しみ方がある。そして、好天に恵まれるに越した事はないが、雨の日でもチョット歩きたくなる時には、手頃で本当にいい山なのである。でも、真夏は草木も伸び、最適なシーズンでないかもしれないが、汗をタラタラ流し、自分を鍛えにいくには、丁度いいかもしれない。砺波の散居村を下に見て、遠くに立山連峰を望めれば、それこそラッキーである。 p.m.6:10

 

7/11 久し振りに当欄(コラム)を読み返してみた。その日の山に関する思いを綴っているのだが、苦笑したり、恥ずかしく冷や汗が出るものもあった。しかし、よくも1年半以上続いているものだと自分ながら関心している。始めの頃は、本当に短いコメントだったが、最近は、「紀行文」と重複してしまいそうなものもある。山への憧れが、報告、想い出、信条、苦難などの形で表されているものが多いが、気になるお天気の事も多く扱っていた。友人知人からの情報やその友人知人の紹介もある。山の用具なども扱ってみたいが、私の知識で充分なのか未だ自信がない。でも、このコーナーを通じて、多くの方々との交流や情報を得る事が出来た。「楽しみにしている。」「情報源にしている。」「チョット赤裸々過ぎるのでは?」などの叱咤激励が、長続きの源なのかもしれない。近頃のアクセスカウンターの進みを見てか、「忙し過ぎるから!」「迷惑だから!」などとメールを控え目にして下さる方もあるようですが、そんな事はなく、喜んでお受け致します。「山の話」が好きだから・・・・・

  ―  今日、私達を可愛がって下さるK氏から、ステキなメールが届いた。  ―

 「想い出造り」の話を読んで思い出しました。4~50年ほど前になりますが 深夜受験勉強をしていると、ラジオから今日から明日への曲がり角・・・のナ レーションから始まって「生きとし生けるものみなすべて、想い出の彼方から歩 み来る、いま想い出をつくり、やがて想い出の彼方に歩み去る・・・」の言葉が 耳に残っております。これからもいろいろな出会いをたくさん造ってください。

今月末に、旧友と穂高方面に出掛けると綴られていた文面と共に、私はとても感激してしまい、K氏に断わり無く当欄にその一部を載せてしまった。 p.m.6:00



7/10 7/8の「鉢盛山」でも、飲みたいビールを我慢した。泊り掛けの山行や、代わりに運転してくれる人がいない限り、喉をカラカラにしてでも、自宅に戻って楽しむ事にしている。当日の夜は、当町成年会の月例会が設定されており、風呂上り直後タイミングよく冷たいビールを頂く事になった。私の「山好き」が、今では認知されており、必ず御愛想で話題にしてくれる。でも、その日ばかりは、過日新聞紙上で「白木峰」のニッコウキスゲが載った事もあり、その話題で盛り上がった。中でも、「強さん夫妻」が、何気なしに「白木峰」登ってしまった事を聞き、こちらも興奮してしまった。雨具は持参したが、コンビニで、食料を買う機会を失ってしまい、山頂で美味しそうに食事をしている人達が羨ましかった事や、素晴らしい風衝草原と言えども大勢の人出にビックリした事などなど・・・・・・。 “今度はどんな山に登ろうか?”“どんな山に登ったらいい!” こんな言葉に山ヤは、すぐ酔ってしまう。G氏を交えて段取りさえつけば、新鮮な山の友と、違った山の楽しみ方をしてみたいと思っている。 友人知人と何処かへ出掛ける事は、「想い出」作りだと思っている。そんな想い出をたくさん作れるよう心掛けたい。 p.m.0:40



7/9 私の親友の「よっちん君」の言葉を借りると、「お前はケチなのではない。貧乏なだけなのである。」と言う。その貧乏な私は、昨日の「鉢盛山」の帰路は、安房峠越えをしてた。しかし、その安房トンネルの手前の標識は、一寸紛らわしく、先月の「甲武信岳、浅間山」また「茅ヶ岳、国師ヶ岳」の帰路も、この「冬期閉鎖」の標識に断念し、安房トンネル経由で戻っている。「中ノ湯」へは導かれているのだが、安房峠へは「×」で一寸見た目では、通行止めだと勘違いしてしまう。30分程余計に時間を要するが、片道750円の通行料、或いは峠からの展望などを考慮して、その時々で選択すればいいのである。ガスの中から時々顔を出す山並に、確実な山座同定を出来なく、「山ノ神」を喜ばす事が出来なかったが、行楽時は、万年渋滞、また一年の半分程は、雪の為、通行不能となっていたこの安房峠を、飛騨側からの上高地、松本方面への要所となっていた事を懐かしんでみた。 a.m.10:40



7/8 長野県「中信」に位置する「鉢盛山」に行って来た。日本三百名山に、名を連ねている事もさることながら、12キロに渡る林道の鍵を役場から借りて、自分の手で開けて登って行く山なんて、そうそう何処にもないという興味も手伝った。朝日村にある「鉢盛山」は、地図を見れば、上高地公園線「奈川渡ダム」のすぐ隣(南東)に位置する。標高2446㍍の高さの割には、登山口が高い所に位置し、コースタイムが比較的短く、時間的余裕があったため、少し仮眠してから出掛けようと思った。しかし、目覚しが故障していて、時間が気になり20~30分毎に目が覚め、寝たのか、寝ないのかわからない状態だった。午前2時の夜空には、満遍なく星が輝いていたとはいかなかったが、まずまずの空模様であった。快調に飛ばした41号線だったが、県境を過ぎた「杉山トンネル」の交通事故のため、1時間半以上も待機させられてしまった。また、その間、瞬いていた星が隠れ、ポツリポツリと雨が落ちてくるではないか! 規制解除後、峠の向うには、きっと明るさが戻って来ると信じ、アクセルを踏んだ。



7/7 目まぐるしく変わる天気予報にほんろうされている。日中お天気で、明日も期待しているのだが、どうなるかわからない。でも。長野県の「鉢盛山」に出掛ける予定にした。鉢盛林道のゲートの鍵を借りる段取りも、村役場にしておいた。本当は、秋の紅葉時に行けば、さぞかしきれいな山なのだろうが、秋には、出掛けたい山がそれこそ沢山あり、ここは、三百百名山の一角を潰すつもりの山行である。 p.m.8:20



7/6 裏銀座の「烏帽子岳 2,628㍍」「野口五郎岳 2,924㍍」、読売新道の「赤牛岳 2,864㍍」も行って見たい。「立山」から「薬師岳」の縦走もやってみたい。次から次へと、今まで暖めていた企画が、取りとめなく湧き出てくる。しかし、私にはそんな日程的な余裕がない。でも何時か行けると信じているが、そうなると、日程的短縮が課題になって来て、「山ノ神」とぶつかる。盆休を上手く利用して、「東北の山」にの思いもあるが、北アルプスのど真ん中に、入れないものかと、思案のしどころである。 p.m.6:50



7/5 夏山シーズンの到来である。全国にいろいろな山があるけれど、年に一度や二度は、北アルプスに足を入れなければいけない。立山、剱岳、薬師岳や白馬岳、鹿島槍ヶ岳などの山々を、どれだけ日帰りで登っても、本当の「北ア」の味などはわかるはずがない。夕暮れや夜明けを迎え、地に足をつけて始めてわかるような気がする。近年早月尾根日帰りで剱岳を目指していたが、今年は剱沢にテントを張って、剱岳を目の当たりにしてゆっくり楽しみたいと思っている。でも、欲張りの私は、計画倒になるかもしれないが、翌日長次郎雪渓を登って本峰に出、別山尾根から剱沢に戻りテントを撤収し、室堂に出ようと考えている。テントキーパーに「山ノ神」を残すにしても、重荷を背負ってバス時間に間に合うものかと、行けるかどうかわからないのに、頭をひねっている。若かりし頃、その山域が好きで、毎年のように出掛けたものだが、アルバムを覗いてみたら、20年以上も辿っていない。剱沢キャンプにしても、つい最近出掛けたような気がしていたが、10年近く前の事になるらしい。 p.m.10:35



7/4 NHK富山の番組の中に、「わたしと立山」というコーナーがある。自分と立山の関りを、写真と原稿で綴るものであるが、そのバックミュージュックとアナウンスの響きがとてもいい。結構長く続いているコーナーなのだが、それだけ立山への思いが、県民に染み渡っているのだと思う。もういない私の父も、立山にはそれなりの思いと歴史があったらしく、昭和2年に千垣で電車を降りて、千寿ヶ原から材木坂を登り、弘法で泊まったらしい。翌日立山に登り、その日は立山温泉に泊まったと言っていた。ここまではよくある話で、父の長兄は、南富山から、また、父よりもう一寸と年下の人は粟巣野から歩いたとよく聞く。我家のアルバムに、父が同年輩の若者10名ぐらいと、室堂で昔ながらのスタイルで撮った記念写真がある。その写真を手に入れるのに、2年間の時間が掛ったという。昔風のその写真は、まず撮ってくれた人を見つけるのに1年、自分の手に入るのにまた1年の歳月を要したらしい。その貴重な写真は、今は無き父への哀愁も手伝って、我家の宝物になったような気がする。 p.m.11:55



7/3 昨日の「中山」登山口で、登山靴の紐を結んでいる時に、どうしたわけか、ぷつんと紐が切れてしまった。難事を想定してリックには、幾多の物を忍ばせているのだが、不覚にも昨日の登山靴(シリオ)に、該当する靴紐を持ち合わせていなかったのである。そして、予備と称していたものは、別靴の物で役にはたたなかったのである。諦めるわけにもいかず、分断された靴紐を上と下に分けながら、緩まないように固定して使用した次第であった。私のリックの中には、何時の間にか、ライター、鋏、ナイフ、シリング、目印テープ、細引、ティッシュ、トイレットペーパー、日焼止めクリーム、フイルム、傷判、バンダナ、ホイッスル、防虫ネット、富山県地図、ボールペン、メモ帳、コンパスなどの小物が常時詰め込まれている。それから、未だ頭の中に思い浮かばないものもがあるかもしれない。ガムテープ、針金、裁縫セットなどが加われば、もっと良いと思っている。軍手や雨具を入れれば、すぐに出発出来るのであるが、だんだんと体力が落ちていくからには、重複する物を、いかにカットしていくかも課題の一つである。 p.m.11:55



7/2 今日も雨で、山行選定に苦慮した。山歴はないが、近頃写真に凝っているS氏を誘って、もう一度白木峰へと思ったが、誰に誘われたか知らないが、同氏はもう既に、今夏二度も白木峰に出向いていると言う。ならば、やっぱり牛岳かと思ったが、今日は、馬場島の「中山」行きとなった。気温が低かったのか、早月の川面には靄が立ち込め、墨絵を思わせる幻想的な表情を漂わせたが、山に登り始めると様相が一変し、遅れてくる「山ノ神」がわからなくなるくらいに、ガスが視界を遮ってしまった。登り始めから小さな雨が降ったりやんだりの状況であったが、山頂に着いてしばらくしてから、風と共に大雨になってしまった。山頂着くと、「山ノ神」恒例のビール飲みを、楽しむのもわかるが、じーっと座ってこの大雨にうたれる事もなかろうにと、傘を差して待ち受ける私もいささかあきれてしまった。近頃の私は、車の運転の事もあって、家に戻ってから、頂く事にしているから尚更である。「ビール無くて何の山登りかな!」と言う「山ノ神」と一線を画し、前回から、飲まないビールは担がない事にした。 p.m.10:40



7/1 降る!降る!と言いながら降らなかった雨が降り出した。降ったら困ったのだが、降ったら白木峰と決めていたから何のためらいもなく、大長谷に車を走らせた。「21世紀の森」管理棟前で、待機していたパーティーも、私達の車が行くのを見てか、後を追って来た。標高1300㍍の駐車場を経つ時に、大粒の雨が降り出し、後続の人達は、車の中に逃げ込んだが、私達は、予定通りニッコウキスゲに会いに出掛けた。前日に牧野氏から、見頃の情報を得ていただけに、風衝草原に咲く黄色のユリは、雨に濡れ生き生きした感じで迎えてくれたように思えた。言い方によっては、五分咲きと言う表現もあるが、この一週間先に、蕾が見頃を迎えるが、先の花は終焉を迎え、それこそ五分咲きの状態になるだろう。すなわち、これより先一週間が、最大の見頃と言えるのではなかろうか? 今日は、雨のせいなのかどうかわからないが、登山道がヘリポートに駆け上がる周辺や、その先、頂上と小白木峰の分岐地点、白木小屋周辺、また浮島への遊歩道あたりは、ニッコウキスゲづくめで、何十枚の写真を撮ったであろうか! 雨の日は、それにしても良い登山日和であった。 p.m11:50