11/30 真新しい画像が、とうとう底をついてしまった。正式にはあと5回の休日を我慢しなければいけない。(12/16まで)明日からは、「今年度を振り返ってシリーズ」で、濁さなければいけないが、でも想い出深いものも多いのである。さて、公式(正式)があれば、非公式もあり、不心得者が山里に現れるかもしれない。



11/29 母の法要(12/16の予定)を終える “ 12/23から山行を再開したい。” と述べたら、“ 私も同日が休日です。”と花じいからメールが届いた。どの山に出掛けるか分からないが、気のあった多くの方と、一年を振り返りながら、今年最後の楽しい一日を、山中で過ごせないかと思っている。まだ、一ヶ月があり、人によっては、多くの山行機会があるのだが、私はその機会を、ほぼ失ったも同然である。しかし、友人達からの山行報告は、指をくわえながらも、楽しいし、活力源になる。母の事は、しっかり胸に認め、あと何日と指を折りながら、公言出来ないが、他に秘策がないものかと、余計な頭をひねっている不心得者である。 a.m10:40



11/28 母が亡くなった日に、名古屋のI氏から「剱の唄」の事で問い合せがあった。初めてメールを頂いた方であったが、如何せん、母の亡くなったばかりで、お返事が遅れてしまった。私へのメールは、我子達からを除けば、殆どが「山」に関するものである。I氏のメールは、70歳を超えて、なおも山行を続けておられる友人がよく耳にする「剱の唄」を、ネット検索の依頼を受けて、私のHPに出くわされたらしい内容であった。70歳を超えて元気に数多くの山行を楽しんでおられる方も凄いが、その依頼を受けてPCを思うがままに操られるI氏が凄い。私よりも一回り以上も年上で、英語に関わる話題研究からハーモニカ演奏そしてボランティア。I氏の経歴を記してプライバシーを損なってはいけないから述べないが、私が知らない型のスーパーマンのような方である。友人の山好きを述べてあったが、I氏自身は山の達人なのかどうかはわからない。でもどんな方でも、誠意をもって接すれば、おのずと返事も嬉しいものが返ってくる。 p.m.11:59



11/27 日頃から、どちらかと言えば信仰心の薄い私だが、初七日にお参り頂いた住職に、私の山行の思いを聞いてもらった。〇〇山△△寺の表現があるように、山行は決して悪い事でなく、大いに行かれてもいいのではないかと、おっしゃって下さり、何故か山行のお墨付きを頂いたような気持になりホ~ッとした。私の山行への思いは、もはや生活の一部で、また修行のようなものである。時折、目指すものは何なのかと、思わず事もないが、只、重荷を背負って歩く事、或いは、悪天をついて歩く事が、日頃の情けない自分を払拭したり、一瞬の光を追い求めたりしているようである。また、新しい出会いが、自分の心を動かしたり、変えたりする事があり、大自然の偉大さを感じずにはいられない。



11/26 母が、昨年12月に脳梗塞を再発した経緯もあって、年初めには、30回の山行機会もあるのだろうかと思っていた。行ける時にの思いで、僅かな時間も惜しんで山を歩いた。雨の日も雪の日も、時には台風の日も出掛けた。私にとっては、天候よりも、母の容態の方が怖かった。山中で携帯が鳴る毎に、胸がどきりとした。山梨や長野の山で日帰りで行った事もあったが、幸運に恵まれて、今までにない4回の宿泊が出来た。人間は欲なもので、30回の山行機会があれば、満足しなければいけないのに、いつしか昨年の69回を上回れないかと思うようになってしまった。一年は52~53週であるが、月に6回の山行を重ねれば72回であり、母に異常がなかった頃は、残りの休日を使い果たせば73回になると、密かに狙っていたのであったのだが・・・・・・・世の中とは、決して思い通りにならない事は、当たり前なのである。自己満足の自分の記録など、どうでもいいことなのであるが、歩かなければ、次に歩けなくなるような気になってしまうから不思議である。 p.m.11:10



11/25 やっぱり疲れたのであろうか足と背筋が寒い! 母の通夜、葬儀そして昨日と素晴らしいお天気であったが、今日は、私に山に行くなと言っているようにお天気が崩れた。一ヶ月前のスケジュールでは、今日が「雨飾山」を予定していたが、何故か「雨」になってしまった。母の法要は、正式にいくと年を跨いでしまうし、年末の忙しい時も外したいし、そうすると山行の解禁はそう遠くない。世の歳時に対して、否定しているわけでもないが、(ヨ)は「心」だと思っている。しかし、世間の風当たりを、まともに受けないながらも、しっかりしたポリシーがなければ、押し潰されるのが落ちである。 p.m.8:55



11/24 “ 風習はどうか分からないが、お母さんは、すぐ山に出掛けても怒らないよ!” と親戚の女性達が言ってくれたが、“ 49日もしくは、35日の法要までは、山に出掛けないよと言っているけれど、あいつは、それまで行かないわけがない。” などと、葬儀を手伝いながら友人達の間では、その事がしきりに言われていたようであった。 そして、私が死んだわけではないが、葬儀では、私の新しき「山の友」石澤君(花じい)・飯田君(シュンちゃん)・高田君(ターさん)から届いた弔電が、数多き中から、一番最初に読み上げられた。また斎場から遺骨を抱いて戻る時、建物の合間から、真っ青な空に真白な立山連峰が悠然とした山容を見せ、何時もより神秘的に感じた。私の挨拶にも山が入り、ここでも山ずくめであった。でも、私と母の山の思いを語る事が出来ず、チョッピリ心残りあったので、いずれ機会があったら記してみたいと思っています。 p.m.8:35



11/23 今日は、いよいよ母とお別れです。 a.m.6:30



11/22 年をとってもやっぱり母。寂しい!涙が出て止まらない。家で看とってやれたのが、せめてもの慰め!  大勢の方々からのお悔やみのメッセージ有難うございます。お返事は待って下さい・・・・a.m.5:55



11/21 残念ながら、母が亡くなった。・・・・・・・a.m.6:00



11/20 この時期にでも、立山に登るくらい山好きな富山の池田氏から、一昨日メールを頂いた。

今日も雨(雪)にもめげず、牛岳か何処かに登ったのでしょうか?宮沢賢治を地で行くような(?)スタイルには本当に感心します。私などは、天気が悪ければすぐに気力喪失です。むしろ、朝起きて天気が悪いと「あ、これで行かなくても済む」と変に安心(?)することすらあるような状態です。

何故か、誉められているような気がして嬉しく感じてしまう私は、やっぱり何処か可笑しいのであろうか!呆れられているだけなのに、何か勲章を、もう一つ貰った気でいる。この私に文句を言いながら、付いて来る「山ノ神」も可笑しいのであろう。過日も述べたように、我々の山行は、生活の一部になってしまったようだ。

  私事ながら、今日は25回目の結婚記念日です。先程気付いたのですが、忘れていたら、またしばらく「山ノ神」に口を利いてもらえないところでした。 p.m.0:00



11/19 母の容態の事もあるが、雪が降り始めるなどの不安定な空模様もあって、「おしらせ」欄の中の山行予定表が埋まらない。先日の私の連休は、母の体調が頗る悪く、県外遠征をやめて県内の低山にしたが、その時山の名を書き入れた事が、悲劇を起こしてしまった。過日の「池ノ山」でも、擦れ違いになった富山の北川氏がお連れの方と “ 3時間もお酒を温めながら「千石城山」で待っててくれたのに!” と昨夕メールが届いた。千石城山の近くまで出掛けた事に間違いないのだが、まさか私を待っていて下さったとは知らず、高峰山に変更した旨と、お詫びのメールを送っておいたが、あの冷たい雨の中、ツエルトを使用していたとあったが、本当に申し訳なかったと思い、今度は、私がお酒を担ぎ、何処かで待っていなければと恐縮している。 p.m.1:10



11/18 雨の中、昨日は大勢の方々が訪れた「千石城山」に向かったが、早乙女湖から剱親自然公園に入るや否や、大型の建設機械が道路を塞いで閉まっていた。平日は、林道の除雪の面では助かる事があるが、工事が行われていて、諦めなければいけない時もしばしばある。工事関係者とのやり取りも嫌だったし、一番下から舗装道路を歩くのも何だか気乗りせず、目的地を変更し「高峰山」に向かうにつけ、骨原から立派な杉林の急な林道に車を入れた。ため池から、2.4㌔進んだ作業道との分岐付近から雪が現れたので車をデボ。高峰山登山口の標識がある所では、40㌢以上の積雪だった。昨日の「負釣山」と同じくらいの標高だが、積雪がこんなにも違うものなのかと、今更ながら感じてしまった。昨日の好天に高温、そして今日の雨のため、雪は重くカンジキではなく、壷足の選択は間違いなかった。風が吹き抜ける所は、左程積雪がないのであるが、斜面や吹き溜まりでは、膝を潜らしてしまうほどの雪量があった。視界70~80㍍の山頂は、何も見えないばかりか、しとしと降っていた雨が、大粒になり、午後から雪が混じるのではないかと思うほどの冷たい雨になり、この中でも、雨具を着てビールを飲む「山ノ神」を待っていなければならず、身震いするほどの寒さを感じてしまった。何時ものように下りは、どれだけ重い雪であろうと、ルンルン気分で降りる事が出来、“ あれっ~。もう着いてしまったの!” と思うくらいであった。 p.m.5:15



11/17 夜遅くまでPCの前に座っていた事もあるが、「負釣山」は、低山だという気の緩みがあってか、チョット寝坊をしてしまった。何も出来ない母の万全の処置など、出発には1時間半を要し、我家発が8時過ぎ、オコ谷の登山口発も10時を回ってしまった。3~4週間も早い雪の訪れに、県東部の「負釣山」の積雪状態がつかめなかったが、ここ数日の降雪がないのと、高温も手伝い、思ったより雪が無く拍子抜けした感があった。しかし、日曜日の久々の晴れ間とあって、積雪40㌢の狭い頂上は、入れ替わり立ち替わり20~30人の登山者があり、剱岳・毛勝山・駒ヶ岳・僧ヶ岳また、朝日岳・白金の頭・初雪山そして、後立山の白馬岳・鹿島槍ヶ岳の絶景に、誰もが歓声を挙げ、とても賑やかであった。4年前のお正月に、「千石城山」の雪上宴会でお会いした入善町の佐伯氏に再会出来た事や、私のHPを見て下さっていると言われた宇奈月のT氏との出会いも楽しいものであった。 p.m.6:50



11/16 山に行けそうである。母の容態が好転した。一時的なものかもしれないが、ひと安心である。山に行けると言っても、病身の母を独りほったらかしにして、いかなければいけないのであるが、私達の山歩きは特別な趣味ではなく、もう生活の一部のようなもので、母にも、馬鹿な息子を持ったものだと、諦めてもらわなければ仕方がないのである。このライフスタイルを否定すれば、私の人生そのものの否定になるかもしれない。朝方は、日も差すようなお天気で、本当に明日は晴れるのだと思っていたら、午後から雨になってしまった。でも、夜から月や星も出るくらいで、間違いなく晴れそうだが、さて、どの山に行こうか! 明日も起きてから目的地が決まりそうである。 p.m.11:59



11/15 素人目には、母の容態が好転したように思えるのですが、主治医はとんでもないと言う。あえなくその指示通り、予定していた介護施設に、ショートステーのキャンセルをし、我家で看る事にした。初冬の富山県の雪降る山を外して、群馬県の「赤城山」「榛名山」「妙義山」や、山梨県の「三ツ峠山」「御正体山」などの名山稼ぎに出掛けるつもりでしたが、中止も仕方がないところです。でも、もっと好転すれば、簡単な山歩きは出来るような気がする。しかし、無雪期と違い時間を多く使わなければならず、その妙案を考えている。そのためにも、雨や雪が降らなければいいのですが・・・・・・ p.m.10:25



11/14 今度の私の連休(17~18日)に、比較的雪の少ない群馬県か、山梨県の山を計画していたが、また母の様子が可笑しくなって来た。日頃から、私達の山行に理解のある近所の主治医から、禁足令とまでも行かないが、遠出は、まかりならぬのお達しを告げられた。長い間、母を看ていてくれる「山ノ神」のガス抜き(ストレス解消策)の山行が、二週も中止になると、家の中が、そのために、ギクシャクするのであるが、特にこれからの雪山は、「山ノ神」だけで出掛ける事も難しいし、母の世話を私だけでは出来ないのである。何も出来ない私だけが、山に行こうものなら、それこそ、何日も口を利いてもらえなくなるのである。最も、決断しなければならない時などは、私がいないと困るであろうし、また、“ あなたの親でしょ!” の言葉には、頭が上がらないのである。昨年の山行回数を、上回る勢いだったのが、もしかしたら、今年はこれで終わりになるかもしれない。でも、そんな事を述べても、“ お前なら、その内また行くよ!” などと、誰も信じないであろうが・・・・・・・・・・・・・p.m.7:40



11/13 もうすぐ(あと2~3日)で、アクセスカウンターが50,000ポイントを超えそうである。なかなかカウンターが動かなかった事を思えば夢のようである。こんな可笑しなHPなのだがと思いながら、結構嬉しいのである。赤裸々なところもあるが、毎日真面目(?)に綴っているからか、今まで冷やかしや、嫌がらせのメールが届いた事がない。そして、寄せられるメールの意見感想には、出来るだけ誠実にお返事を認めている。さて、50,000ポイント達成を機会に、何か新企画と思っているのだが、私の能力・体力にも限界があり、時間をかけて少しずつ、内容を充実していきたいと思っているが、既存のコーナーも、まだ思い半ばなのである。 a.m.11:35



11/12 例年なら落葉した後に、雪が積もるのだが、今年は降雪が早く、積雪があってから落葉した光景が多く見られる。昨日の大辻山では、高温の上、場所によっては、台風並みの強風に見舞われ、その風のため珍現象をみた。大きく沈んだカンジキの跡に、落ち葉が吹き込んで溜まっているのである。下山時、上から下を眺めるにつけ、私の付けてきたトレースが、雪が溶けて土が現れているように見えるのである。また雪面を、落ち葉がサラサラと舞う様や、雪景色に、まだ残された色付き途中の木々を、白と山吹色のコントラストが絶景と見るか、痛ましいと見るか、その人の感じ方によって違うであろうが・・・・・・・・・・・・また、テレビニュースによると、九州から北陸の日本海側では、春先に中国大陸から飛んでくる黄砂を観測したようで、ここでも異常な気象現象が起きているようである。



11/11 本当に晴れるのかと思いながら、行く先を「雨飾山」と決め、夜半になってから、タイヤ交換を始めた。雨飾山だからでもないのに、雨がパラついたと思ったら途端に、どうしたわけか、ナットを外そうとしたらボルトが折れてしまった。そんなに力を入れたわけでもないのにと、いっぺんで意気消沈してしまい時間も遅いので風呂に入って寝てしまった。夜が明けてから、こんな日に山に行かない手は無いと思い直し、一対のボルト、ナットを無視して、冬タイヤを装着し直し、遅まきながら「大辻山」に向かった。「立山国立少年の家」から先の除雪したばかりの林道を恐る恐る進入し、尚も、城前峠から1.4㌔の所まで車を入れた。結果的には長尾峠まで入れたのであるが、待機場所がないので、対向車が来たら泣かなくてならず、私のデボした事は結果的に成功だった。除雪車がUターンして来たのと、工事現場に給油して来た車が降りて来たからである。駐車スペースをつくるのに、30分もの時間を要し、違った意味で時間を費やしたが、帰りの事を思うと良かったのであろう。林道を歩き⑨の標識のある大辻山登山口の取付きが正午となり、ルートがしっかりしているとは言え、標高1361㍍の初冬の雪山には不適な時間であった。前日登られたEASさんのトレースが、奥長尾山までついていたが、その先は、今雪の最初のトレースである。今日のような気温の高い日は、“ごぼったり”、急斜面では、足掛かりがなく、雪そのものが崩れてしまい結構難儀なのである。暗くなるまで車に戻りたかったし、登頂時間を2時間に設定したが、今朝のタイヤ交換が災いしたのか、雪の質がピッチをあげてくれなかったのか、それとも考えたくないのだが、歳なのか? 予定より30分もタイムオーバーしてしまい、また、チョットだけの山頂滞在時間も、期待していなかった「剱岳」が、すっきりとはいかないまでも、白く堂々とした「大日岳」の左奥に、勇壮な姿を見せてくれ、はしゃいでしまった。山頂発が3時になってしまったが、登って来た雪山を、半分以下の時間で下ってしまえば予定に近いものになるし、そして、その雪の感触は、何故かとても気分のいいものなのである。足を引き摺りながら歩く林道に、夕日が来拝山の左に沈む様と、靄に包まれながらも素晴らしい山容を見せてくれた「鍬崎山」に、ついうっとりして、足を止めてしまうほどで、その黄昏時に、この山域にいた私は、ラッキーで幸せ者だった。 p.m.11:00

11/10 昨夜からの冷たい雨が雪になり、平野部でも3㌢位の積雪があるかもしれないとの予報が外れた。朝方の細かい雨も、お昼前に上がり、時々日が差すというお天気になった。この時期あまり当てにならないが、明日は、久しぶりに「晴れのち曇りで、夜から雨」の予報が出ている。一時的であろうが、お天気の回復、また久しぶりの単独行で、何故か徐々に燃えて来る。どの山にするか、未だ決めていないが、山の奥深く入るためにも、また安全のためにも、今夜冬タイヤに換えようと思っている。 p.m.1:20



11/9 先日の「小佐波御前山」の帰路、新装なった富山の山用具専門店を覗いて見た。小物が欲しいからと出掛けたのだが、本当はあれもこれも欲しい物だらけなのである。しかし、その日は、「山ノ神」の登山靴を、買うか買わないかに終始してしまった。彼女は、「ザンバランフジヤマ」をオールシーズン履いているのであるが、二足目の「ザンバラン」の消耗も激しく、ついに新調したくなったらしい。無雪期と積雪・残雪期を履き分けるか、それとも、オールシーズンを履き通すのかなのだが、なかなか決断がつかなかったようだった。もちろん金銭的な事もあるが、何度も足を運ばなければ納得いかないようでもある。決断の鈍さに、私は決して買物には付き合わないのであるが、山用具にはだけは仕方がないかとも思っている。アイゼンやピッケルのいる山は行かないとか、岩や鎖のある山は行かないと言いながら、最初からダメだと言わない限り、ついて来るから厄介なのである。また雪山を何と心得ているなどと言っても、急斜面や雪庇を見ない限り、無雪期より膝が痛くないなどの思いが強く、楽だと思っているから尚更だ。当分登山靴選びに付き合わされそうである。 p.m.8:15



11/8 雨の日も雪の日も出掛ける私だが、流石の私も、もううんざりである。瞬時に青空を見た事があるが、もう二ヶ月も山行でのお日様を見ていない。一生ものだと思っていたゴアテックスの雨具も大分くたびれてきた。この時期の冷たい雨は、身体を濡らし辛いものである。真白な雪原に、小動物の足跡を見付けるにつけ、“ 何だろう! ” と分からぬものでも、想像を多くして結構楽しいものであるが、風雪が強かったり、ミゾレ混じりの雨では、彼らも歩き回らないのであろうか? 例年より3~4週間ほど早い雪だが、一方では、エルニーニョ現象のため、今年も暖冬だと言われている。さてさて、「ターさん」や「シュンちゃん」が、雪中キャンプの話題を出していたが、少々の暖冬でも、我「牛岳」なら、豪雪地帯だから大丈夫です。 p.m.3:10



11/7 年頭に4つの目標を掲げたが、もう一つ達成していない事がある。百、二百、三百名山を合わせて100座にする事である。あと4座なのだが、このところの雨で、悉くその機会を逃してしまった。八海山、浅草岳、粟ヶ岳の新潟県の山や、長野県の経ヶ岳、そして、群馬県の武尊山などである。しかし、この名山巡りは、長い時間をかけて、自分のポリシーを損なわないように、歩きたいと思っているので、そんなに滅入ってもいない。でも、未だ今年10回くらいの休日があるので、母の容態や天候などの条件があるが、その望みは捨てていない。赤城山、榛名山、妙義山、三つ峠山、御正体山など行けそうな山は、未だ沢山ある。そんな事を考えていると、毎日が楽しくてならない。 p.m.11:59



11/6 昨日は、1/28・8/18以来の「小佐波御前山」行きだったが、一つ気にかかる事があった。展望レストランから猿倉山の「風の城」に登り、(最も、右側のバーベキュー広場や、左側の管理棟横からも通じるが・・・)舗装された道を4~5分程下って、遊歩道に取付くわけだが、登り始めてすぐ唖然とした。4~5分も歩いたであろうか? 70~80㍍位にかけて、樹木が伐採されているのである。「何のために?」と思った。整備されている遊歩道を、これ以上整備するとは考えにくいし、樹木を伐採して展望を良くしたとも思えない! 真下を通っている林道に危険を感じるようにも到底思えなかった。その樹木が「杉」なら、未だ納得したが、雑木を切られるのは何故か悲しかった。8月中旬に歩いた時は、未だそんな事がなかったのに! その8月中旬に登った時は、御前山から小佐波御前山に向かう林道の終点からチョット神通川よりに、大きな反射板が建てられていた。 私達の生活を豊かにする為に、至る所に反射板や鉄塔が、また、奥深くまで林道が述べているのだろうが、中には必ずしもと、素人の私でも思うものもある。自然をこよなく愛す自分は、このような事に、どう関っていけばよいのだろう。只、黙って見過ごすのは簡単でいいのだが・・・・・・



11/5 私の休日が雨ばかりなどと言うより、このところずーっと雨。その雨も寒いから、山では雪である。もう慣れてしまったかのように、“ 登山口で身支度をする時だけでも、降らないでくれ! ” などと思うようになってしまった。標高の低い「猿倉山」では、周りの木々が白くなっていたが、積雪は0㌢。御前山に着く5分程前から、遊歩道が白くなり、山頂では、15~20㌢の積雪となった。御前山からの林道は、少し重たい雪ながら、気持よく歩く事が出来る。またまた遊歩道に入ってからは、昨日の「高落場山」のように、雪の重みで、遊歩道に垂れ下がった枝木を払い除けながら、また、その木々との間を掻い潜りながら、降り積もった雪の中を、猛進しなければならなかった。“ お前は一体全体何をしているのか? ” と自問自答を繰り返しながらの二日間だったが、「好きだから!」「休みの日くらい!」「こんなに楽しい事がやめられるか!」などと、自分の世界に酔いながら、「誰も来ないね!」との「山ノ神」の問いに、“ この楽しさは、多くの人達に分かってもらわなくてもいい!” でも、、“ そんな人と語り合いたいね! ” と、本音が出たが、只一つの共通点で、友好の輪が広がって行くのも、実に楽しいものである。 p.m.11:45



11/4 砺波IC付近に行くと山は白かった。縄ヶ池への林道途中にある高落場山登山口「若杉」付近では、雨に雪が混じった。未だ11月上旬なので、どれくらいの雪量なのか想像も出来なかったので、万全を期して夏靴をやめた。高度を上げるにつけ、木々が雪の重さに耐え切れず登山道を塞いでいる。上にあがればあがるほど、ヤブ漕ぎのようになる。全部雪で埋まってしまえば、尾根の一番高い所を伝って行けばいいのだが、降り始めのこの時期は、雪も水分を多く含んでおり、身に纏うものと共に結構厄介なのである。大荒れの予報に反して、一部に青空が見え、「名残の紅葉に雪景色」をカメラに収めたが、それも長続きせず、雷鳴を伴って風雪が強まり、イソップ童話の「旅人と風」ように、自然の強さを、まざまざと感じらされた時でもあった。「奥つくばね山」との分岐から、木々にも妨げられた壮絶なラッセルになったが、今日は、「黒部のシュンちゃん」という強い見方があったので、無雪期なら5分で行く所を30分も要しながらも、何とか1122㍍の高落場山の頂上に辿り着く事が出来た。1㍍を超える積雪の中で、シュンちゃんの持参のツエルトを、タープ代わりに使ったが、低温、強風は、楽しい会話をも妨げ、身体や手を “かじかんで” しまわせた。しかし、お互い「今年初めての雪中行軍」を11月上旬に、味わえた事に感動しながら、雪道を戻った。   あの寒さの中で、今日も「山ノ神」は、ビールを飲んでいた。・・・・・・・・・・・・p.m.7:05



11/3 昨日の鶴平新道(三方岩岳・野谷荘司山)の帰りに我家を寄ってくれた松任の中垣氏や、今日のHPによるところのDr.早川氏の天蓋山など、雨や雪の中を歩いている人がいる。やはり余程の事がない限り、一週間は我慢出来ても、後は、いてもたってもおられないようになるのだろう。“ 明日、一緒に歩きましょう!” と「黒部のシュンちゃん」からメッセージをもらったが、「シュンちゃん」も上記の人達の仲間入りをするのかもしれない。明日の天気予報は最悪だが、起きてから、目的地を決めたいと思っている。 p.m11:59



11/2 日本海側は未だ暫く時雨らしい。メーンページの画像ストックが、とうとう底をついてしまった。「想い出シリーズ」と題して、大昔の写真を引っ張り出して見たが、芸術作品ならともかく、ニュース性がなく、自分でもあまり面白いものでもなかった。今夏から今秋に撮ったもので、私や「山ノ神」が大写しになったもので、未発表のものがあるのだが、いかに自己満足のHPと言えども、苦情が寄せられては、身も蓋もない。でも、たった一日で、画像を差し替えているのだから、リクエストという感じで、今年の山行画像が再び登場するかもしれない。 p.m.2:20



11/1 今日は予報通り雨になったが、昨日だけは晴れ上がり、雪を被った立山連峰が鮮やかだったらしい。そのお天気に、山行回数がきわめて多いから名付けられたのだろうが、「60回男」とか「70回男」とか言われている大平氏から、僧ヶ岳のレポートが届いた。冬タイヤに換えて出掛けたが、未だ片貝川ルートはその必要はなかったらしい。伊折山頂上の標柱が、雪にすっかり隠れており、成谷山から僧ヶ岳頂上までは、なかなか前に進まず苦労したように綴られていた。帰路は、この時期特有の雪が、カンジキに纏わり付いて、鉄の下駄を履いているようだったようで、また、ごぼったりして(不意に足が雪の中にもぐリこむ。)、決して楽ではなかったらしい。でも、快晴の中、早くも雪山を楽しんだ彼が羨ましかったが、雨か雪か分からないこの時期は、奥深く入る山行は結構難しいので、注意しなければならないのである。 p.m.6:00