12/31 昨日も、新穂高から夜中に歩き出し、“ 槍のてっぺん ” から3時間で戻ってくる超人Dr.早川から、(YASUHIROのマウンテンワールド) “ 最近、あなたのコラム欄に、年のことがよく出てきますが、人間年なんて関係ありませんし、ようは精神力です。肉体的な衰えは、気力と鍛錬で十分補えると考えています。・・・・・一度しかない人生ですから、僕はやりたいこと欲しい物はすぐ実行,即購入という短絡主義を通しています。” 年の区切りに嬉しい叱咤激励を受けた。もちろん同氏の山スキー情報への感激を伝えたリターンなのだが、繊細な心遣いに、同氏の人柄が滲み出ているような気がした。
我HP上では、この機会をお借りして、来年から歳を重ねないように努力する事と共に、思う存分飛び回る事をお誓い申し上げます。そして、皆様との友好の輪が広がる事を願っております。
どうぞ、良いお年をお迎えください。   a.m.10:55



12/30 小さくてもいいから、夢を持ち続けたいと言いながら、私は、この一年何をしてきたのだろう! と反省しきりである。山に登るためなどと、大きい事は言えないまでも、好きな事をするために働いているのだと自分に言い聞かせている。(同じような事だけど。) そうなるとお前はそのために、充分働いているのかとの問答になってしまうから厄介である。
だから、私の経済的環境からして老後はない。(楽しい老後は待っていない。)「元ちゃんの山歩き」の“元ちゃん”も最近は気恥ずかしくなってきており、山友の「花じい」にあやかって、何時かは「元じい」にでもと考えもしているが、まだまだ、鞭打ってでも“爺”を名乗るわけにはいかないのである。ところで、その「花じい」を、HPでしか知らない人が、“おやまのてっぺん”で、お顔を見たら若いのにビックリ!ですよ。私より10歳程お若いのですから・・・・・・・ P.m.11:59



12/29 今朝の朝刊の雑誌広告が目に止まった。「見果てぬ夢から等身大の夢まで、〇〇流、夢を形にする方法論。老いていようと若かろうとそんなことは関係ない。人である限り夢を見ていたいもの、夢を見て、追って、形にする、達人たちが自らの夢について語る」その内容はともかく、『人である限り夢を見たいもの』の一節が気に入った。人間とは何ぞや! 生きるとは! などと、語った若き日のエネルギーは細ったけれど、たとえ等身大の夢であろうと、もてるとはなんと幸せな事だろうか! 子や孫の成長や仕事の充実感も良いが、それと全く違った趣味の夢も面白い。それは自分の心の中にずーっと暖められるものであって、必ずしも夫婦や友人と共有しなくても良いと思っている。積んだり崩したり、何時も揺れ動く私の心も、小さな山行に助けられながら、夢を繋いでいる。HP作りも、そうなのかもしれない。 p.m.5:55



12/28 毎日のように会える友もあれば、一ヶ月に一度の友もいる。また、一年に一度どころか何年も会えない友もいる。よく会う友が親友で、なかなか会えない友が、親友でないとも言い切れない。逆に親友なら、もうチョット会う努力をしてもいいのではないかなどと、思わないわけもないのだが・・・・・・よく会っていると、情も湧き普通なら、“ないがしろ”などにもしないであろう。男と言う者は可笑しな者で、異性間では、なかなか生じない事かもしれないが、(女性同士でもあるかもしれないが・・・・)一度惚れ込んだら、なかなか切れないものである。今年は、大勢の方々と知り合いになれたが、私の宝として、大事にしていきたいと思っている。自己満足やわがままついでが、HPそのものであるが、チョット自分の気持を控え目にすれば、大概の方々と仲良く出来るものと感じる。 山行時は、大胆かつ積極的に行かなければ、命に関わる事も有り、ケースbyケースなのだが、人を束ねたり、他の人の心を動かすなどとは、それは実に大変な事である。 p.m.11:40



12/27 昨日は3通、今日は2通の迷惑メールかウィルスか知らないけれど、送信者に見覚えがなく、件名も英文である。本文は英語かまたは、なにもなく必ず添付ファイルが付いている。申し訳ないが削除しかない。過去にも幾多の可笑しなメールが届いた事があるが、こんなに頻繁に来るようになったのは始めてである。私も少しは有名になったのかな? などと思ってみてもしょうがない事だ。年明けにメールチェックをプロバイダーにお願いしようか! p.m.10:50



12/26 “ 初日の出は? ”と聞かれる事がある。私は、未だ一度も元日に山歩きをした事がないのである。そして、日の出なるものも、元日に仰いだ事がないのである。毎年元日には、恒例の高校時代からの有志で作っている会の新年会があり、そんな気にもなれなかった。しかし、今年は、その新年総会の開始時間が少し遅れる予定で、元日登山の絶好のチャンスなのである。今宵も、しんしんと降っている雪を思うと、その可能性は低いかもしれないが、初日の出までとはいかなくても、高岡郊外にある二上山でも良いから、登ってみたいと思っているのだが、果たしてどうなることやら・・・・・ p.m.11:59



12/25 年頭に母の体調の事もあり、30回の山行機会があれば、よしとしなければいけないと思っていたのだが、10月下旬~11月上旬頃には、もしかしたら、昨年の山行回数を上回るかもしれないとも思ったが、母が逝ってしまった事で、それは来年へ持ち越しになった。でも、昨年と同数の69回を数えた。その内訳は、やはり牛岳が9回と一番多く、千石城山、大辻山や白木峰の4回が続き、高峰山、小佐波御前山や中山は3回だった。あまり遠くに行けなかった事もあるが、北陸の雪や雨も大いに影響した事も間違いない。自分の知らない所へも、もちろん行きたいのだが、同じ山に、何回登っても、あきないようになったのは何故だろう! 今年の山行はもう終わったが、もう一週間もすれば、また新しい年の山行が始まる。 p.m.11:55



12/24 今日は、またまた嬉しい便りが届いた。一昨年の夏に、白馬岳頂上小屋で相部屋になった新潟県の戸田さんから、小屋の前で撮った6人の写真が送られて来たのである。当日は、戸田さんと友人のご夫婦二組とで、大いに盛り上がり、翌日の山行に支障が出るくらいに飲んでしまったのである。そして、お互いに、便りする事を誓いながら、所を記した紙切れを交換したのだが、どうしたわけか、紛失してしまったのである。ところが、昨年の暮れに、その紙切れが見つかり、お詫び方々年賀状を出したのに、その後、何の連絡もなくチョット淋しい思いが続いていたが、今日の便りで、この事が一変に払拭され、あの時交わしたお互いに「立山」と「八海山」を送ろうという約束を思い出してしまった。 p.m.9:05



12/23 臼越山に出掛けた「ターさん」と、ご一緒出来なかったのは淋しかったけれど、「花じい」「黒部のシュンちゃん」と「山ノ神」に、我HPに、リンクを張らさせてもらっている「EASの山歩き」のW氏が飛び入り参加してくれて、始めから最後まで、ワイワイガヤガヤの楽しい大辻山行となった。「国立少年の家」からの歩きとなったが、雪は程よくしまっており、快適な登行に、山頂では、僅か5~10分程とは言え、大パノラマを見る事が出来た。後は、雲中の人になってしまったが、「少し色の褪せかけた赤いチャンチャンコ」名で、情報提供や励ましのお言葉を頂いている池田氏夫妻と初顔合わせの “ おまけ ” まで付いた。しかし、「山ノ神」特製のしゃぶしゃぶと、刺身の昆布締め料理タイムまでに、間に合わなかったのが少し残念であった。また、今日は、W氏の計らいで、山スキーなるものの手ほどきを受けたが、何時も経済的な事ばかりで、機会を逃していたが、相当の訓練をしなければいけない事がわかり、益々山スキーとの距離が出来そうである。 p.m.7:00



12/22 明日の大辻山行きに備えて、「山ノ神」が、いろいろ準備し始めた。“ おいおい、これは誰が担ぐの? ピクニックでないのだぜ!” つい小言が出てしまった。やはり他のメンバーと行くのがとても楽しいようだ。夫婦だと車の中を含めて、行程の半分以上が喧嘩しているようなものだから!!
当初は、母を亡くした私の正式な山行復帰の集いの色彩が強かったのだが、もう山に出掛けてしまっている私や、チョットお酒を控えなければいけない「花じい」の事もあり、今年最後の山行、また、知り合いになれた感謝の意味での集いなど、いろいろタイトルを探ったが、結局山が好きで好きでならないメンバーが集う会の様相となった。果たして、また新しき山の友が出来るのであろうか!

今年は、山田君と柴田氏、「まっちゃん」、「ターさん」、「花じい」、「黒部のシュンちゃん」、「はるちゃん」、「あらちゃん」、「スーさん」、福井の松尾氏と友人達、松任の中垣氏などと同行の機会があり、また、1月の大辻山では岩田氏と、大高山では大平氏と、初雪山では高岡ハイキングクラブの方々と、毛勝山では黒部の能登氏と、立山では西田女史と、位山では笠間氏とそのお仲間と、茂住峠では北川氏などと新たな知り合いになれた。  p.m.11:59



12/21 私の今年最後の山行は、ようやく「大辻山」に決まった。単独や夫婦だけの時は、その決定をギリギリまで延ばす事があるが、やはり友人と言えどもそれなりの節度があり、平生ズボラな事をやっていると、なかなか難しいものである。「花じい」と「シュンちゃん」に、誰かその知り合いの方が同行の予定だと聞く。また新しい知り合いが出来るかもしれない。 p.m.11:59



12/20 平成10年9月に、「越後駒ヶ岳」を日帰りした時に、お会いした見附市の皆川氏からメールが届いた。何かの拍子で、私のHPに巡り合ったと言うのである。彼は、春から一定期間毎週のように、「越後駒ヶ岳」に登っているようで、小屋番の米氏と旧知の仲らしい。また彼は、スノーシューの大家らしく、以前にも何十枚のレポートを頂いた事がある。今回も、「スノーシューと駒ヶ岳」などの大きな文書ファイルが添付されて来た。その「越後駒ヶ岳」は、2002.6㍍の標高で、日本百名山であるが、「越中駒ヶ岳」のように、今年に多く登られたのだろうか、それとも、四捨五入の2003㍍となって、来年多くの登山者の目に留まるのであろうか、いや日本百名山の一座だから、もう毎年賑わっているかもしれない。「八海山」と「中ノ岳」と共に、越後三山を登れば愉快なのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・ p.m.11:59



12/19 佐伯郁夫写真集 立山・剱「四季彩」タイトルの2003年カレンダーを頂いた。「夕日に輝く新雪の剱岳」 「曙光剱岳」 「山桜と剱岳」 「浄土沢と立山」 「剱沢逆さ剱」 「池の平秋 たけなわ」 「冬を迎える立山」 からなるもので、どれも私の好きなものばかりである。佐伯氏は、「富山県の山」やアルペンガイド「立山・剱・白馬」などの著書で有名な他、魚津岳友会創設に尽力されたと聞き及んでいる。私よりちょうど一回り年上の佐伯氏とは面識はないが、「チロル」のお店で、少しばかりお話をした事や、早月尾根の2500㍍付近を、単独で歩いておられるのを拝見した事がある。元日を、剱岳山頂で迎えられた事があると聞いているが、今もそれが続いているのであろうか? p.m.11:59



12/18 年賀状を書けない事は、とても淋しい事である。もらえない事は、もっと淋しい。近況報告や一年の総括であったり、翌年への抱負を述べたりし、自己主張の場でもある。また、人によっては、作品発表の場でもあろう。男女平等が叫ばれて久しいが、私は、近年「山ノ神」にも、友人・知人・親戚に、元ちゃんの妻として出なく、自分自身の名で、個性を出すよう勧めている。それが、私の友人の奥様方にでもである。また、山行に対しても、独立を勧めているが、こちらの方はとんと進まない。しかし、山姥グループ(私が勝手に付けている名)で、年数回の山行が行われるようになったり、私が「山ノ神」の力量に及ばない所に出掛ける場合は、彼女が単独で、簡単な所に出掛けるようになった。どちらにしても、一台しかない車の使用で、ギクシャクしてしまい、その後遺症に悩まされる事が多い。来春、娘が就職のために上京するが、果たして、その軽自動車を、我々が維持する事が出来るかが、単独行の数が増えるかどうかに関わって来る。 p.m.2:25



12/17 雪が降り、ボーナスやクリスマスなどの話題になる頃、山スキーとプラ靴・山岳保険が、何時も頭の中を過ぎる。この不況下で山スキーは、とても手が届かず、インナーの欠落の他に、最近は外部の亀裂が気にかかるブーツ(チベッタ)を、何とかもう1シーズン持ち応えれないかと願ったりしているが、それだけ山が好きなら、それに、つぎ込むお金に、何を躊躇する事があると言った母の言葉も思い出される。また、その内に入ると言いながら、捜索費用付きの保険を未だ掛けていない。ちょっと嵩張るからと言って、これも躊躇してはいけない事なのだが・・・・・・・ p.m.11:55



12/16 日頃から信仰心の薄い私だが、今日、母の法要を終えてホッとした。親戚のうるさ型に、後で小言を聞かなければいけないかもしれないが、ほんの内輪で済ませてしまった。実姉が、体調の悪い義兄の後押しを得て、夜行列車で駆けつけてくれた事や、娘が、調査で宝島(奄美大島の近く)に出かけていた身ながら、鹿児島から陸路を飛ばして来て法要に間に合った。また、何が何でもと言って、大阪から時間を削って来てくれた息子と共に、お経以上のものを得たような気がした。今日も立山連峰は、昨日に負けず劣らずの姿を、大きくくっきりと見せたが、明日は雨だよと言いたげだった。次は23日の山行に心が移り、「花じい」、「シュンちゃん」などとの他に、多くの山好きが集まるかもしれない。 p.m.11:59



12/15 チョット早いが、年末年始の忙しいのと、お寺の都合もあって、明日に母の法要を行う事になっている。そして、納骨も済ませる段取りである。そのためのお墓の掃除と、雪状況確認の為に、二上霊園へ出掛けて見た。やっぱり少し高台にあるため、墓地周辺には雪が残っていた。墓石を拭き、周辺の雪を除いていると、立山連峰が輝いて見えた。“ 皆、山に出掛けているのだろうな~。” と思いながら、明日の法要を終えれば、来週から大手を振って山に出掛けられるのだからと、いう気になってきた。
 そして、今日は、嬉しい事があった。本当に久し振りに、順治氏から、メールが届いたのである。公私共に忙しくしている彼が、山に行っているのだろうかと心配していたのだが、何の事はない。私のような、つましい山行と違って、リッチな楽しい報告と、これまた素晴らしい画像付きのメールが送られて来たのである。このメールを頂いて、羨ましいと思う先に、旧友が帰って来たような不思議な感じだった。彼ら夫婦に、牛岳の山頂で、たった一言交わしただけの間柄なのに!・・・・・ p.m.4:00



12/14 このところ、私へのメールの数が随分減ってきた。雪が降りだし山行機会が少なくなったからだろうか! それとも私への配慮からか、わからないがやっぱり何だか淋しい。もちろん私からのアクセスが少なくなっている事も影響しているのであろう。また、山の事に拘っているから面白くないのかもしれない。しかし、自己満足のこのHPは、わが道を行くしかない。もうやめちゃおうか! などと思わなかった事もないではないが、そうすると、我山行人生も終ってしまうような気がしてなかなか止められない。「継続は力なり」の如く、山歩きも、HP作りも地道にいきたいものである。人生と同じで、日の当たる時ばかりではないであろう。



12/13 過去のお正月休みに、伊豆の「天城山」に、登れるかという事が話題になった事がある。元日の37~38年も続いている高校時代からの有志で作っている管鮑会の新年会を、終えてからの一泊二日の行程である。当然アルコールが入っているので、翌朝の出発となるから、山に登るのは3日目になり、帰高する時間や降雪の事を思うと、考える事自体が嫌になってしまった。そこまで行くのなら、ちょっと離れている「天城峠」まで、出掛けたいのも人情であろうし・・・・・・「天城山」は、同じ中部圏にありながら、結構遠いのである。今どうしても、登らなければいけないという山ではなく、後年に残しておけばいいのだが、ただ一番心配しているのは、今年よりは数年後、数年後よりは、十数年後の感性が衰えるのは必死で、チョットでも、感じえる時に登ってみたいし、また行って見たいと思っている。未だ少しの無理が利くからかもしれない。  p.m.11:59

 

12/12 来年1月の山行計画に苦慮している。本来なら、1月は雪が多く、また日帰り登山となると、そう高い山に出掛けられないのである。増してや単独行や夫婦だけの山行となると、余程の条件が揃わないとその目的を達成出来ない。たまたま、今年の1月第3週は、好天、雪質などその条件がピッタリと合い、「大辻山」の山頂で遊んだ。今までは、長尾峠や奥長尾山で、時間切れになり退却しなければならない事の方が多かったのである。その時期、私が目指す山には行けないが、「山ノ神」未踏の山に、連れて行ってやれないものかと思っている。私も一度しか登った事のない山に、「複数回」の思いもあり、今思案中である。



12/11 山行スタイルを、時々尋ねられる事がある。“ おじさん・おばさんの山行ですよ!” などと答える事が最近多くなった。数年前までは、嫌な言葉の響きだったが、歳を重ねて丸くなったからだろうか、いや、体力の衰えからかもしれない。また、「山ノ神」同行が、そのスタイルを作り上げているような気もする。しかし、どのようなスタイルであれ、山行を楽しんでいる事には間違いがない。山頂で賑やかなパーティーを見かけたり、長い行列のパーティーと出会うにつけ、多くの仲間との交流に、羨ましさを感じるこの頃であるが、どの山も、自分(自分達)だけで登ったという自負心だけが励みである。特に誰にも会わない雪山は、例え低山であろうが、初めての山は取付きから大変なのである。今は、その1座1座が懐かしく思える。でも、もう少し、私には登って見たい山がある。 p.m.7:45



12/10 予報が一日ずれたのか、とうとう雪になった。山沿いでは、かなりの雪になりそうである。昨日の「千石城山」では、登山口に至る10分程が、林道工事が行われているため、ぬかるんでいて、工事関係者には悪いが、もう少し雪があれば、こんな目に遭わなくてもいいのになどと、思ってみたが、今日のように雪が吹き付けて、しかも雪量が多くなると、“ にっちも、さっちも ” 行かなくなってしまうのである。降った後のお天気の良い時に、遭遇すれば最適だが、それでも、深雪だったら思うが侭に足が進まない。でも、転ぼうが、じゃれようがそういう時は、低山であっても、頗る快適である。最近は、スノーシューという新兵器もあり、新雪には効果抜群のようである。しかし、私は未だその味を知らない。 p.m.7:35



12/9 予想に反して、平野部では雪が降らなかったどころか、時々日が差したりした。そして、ここ数日の心の格闘に踏ん切りがつき、もう躊躇う事なく、好きな山に出掛ける事にした。さすが、上市町の「種」集落に近付くと、一面真白になっていた。「千石城山」に、カンジキを履くような雪量を期待したのだが、残念ながら多い所で30㌢くらいであったろうか! しかし、昨夜から降り積もったと思われるフワフワの真新しい雪上を歩くのは、何と表現したらいいのかわからないが、とても気分の良いものである。今、剱親公園上部で林道工事が行われており、その地点に車をデボして歩けば、往復2時間前後とチョット行って来る山には最適ある。しかし、雪量が増えればその限りではない。 p.m.6:10



12/8 昨夜は3週間ぶりに、校下のバトミントンクラブへ出掛けたら、40歳代のS君に、“ 本間さん、もういいがけ!(もういいのですか?)” と意外な声を掛けられた。彼から見ると、不幸から未だ2週間あまりで、私が喪に服する期間ではないかと言うものらしいが、当の私は、日常的な物事だから何の拘りもなかったのである。また、2~3日前に、親友で良き山の理解者でもある「春ちゃん」に、“ 少し早めになるが法要を終えたら、正式に山行を再開したい。” と告げると、“ 法要を早めに終えようが、本当の49日を過ぎるまで、自重した方がいい。” と、2年半前の高田女史遭難死の事を引き合いに出して、忠告をしてくれた。彼女の山行も母の法要前であったそうで、冷たい雪の中に散ったものである。その「春ちゃん」に、“ もう山に出掛けてしまった。” などとは言えなくなってしまった。同欄を見て頂いている方々にも、すぐ山行報告が出来なかったのも、自分の心が弱いからであって、強く反省しています。しかし、報告しないのは、また、ウソをついているような感じで、とても辛いものであった。何もかも、私自身の事であって、重荷を背負って、ヒタヒタと長い山道を、汗を流しながら、故人の事を思い出して歩く事は、名僧が唱えるお経よりも、余程供養になるような気がするのだが、いかがなものだろうか? 風習は、時として、同じテーブルでの論議を拒み、増してや、ラベルの違う人達の意見は、レベルの違いより厄介である。“ 自分の意志を貫く事は良いが、あえて人の世の常に逆らう事なかれ!” と言っていた父の言葉が思い出されてならない。 p.m.1:45



12/7 天気予報に雪だるまマークが並び出した。例年はこの時期必ずと言っていいくらいに雪が降り積もる。エルニーニョ現象で、今年も暖冬だと言われているが、先月上旬の寒波は、どのように理解すればいいのだろう。私は4週間前に、冬タイヤに換えているから何の心配もないのだが、降らないでも困るし、降っても困り、山にだけ降れば最高なのだがそうもいかない。そして、たくさん降って、山行日に、晴れれば言う事なしなのだが・・・・・・私の登山靴も買い替えの時が来ているようだ、一昨年は、ソールを張り替え、昨年は、インナーに穴があいた。今年は、外側が破損してきた。登山靴の寿命は一般的に、5年100回、ハードな山行なら60回と言われている。私は、初冬から残雪期の半年しか履かないが、ローバーのチベッタも寿命なのかもしれない。登山靴も欲しいし、4年間使っているPCもこの頃は、ちょっと可笑しいのである。優先順位を付ければ、当然命に関わる登山靴なのだが、PCも捨て難い。 p.m.11:59



12/6 「マルツンボリ山」に行ってしまった。我慢出来ずに行ってしまった。「母さんも許してくれるよ!」 の言葉を背に受けて行ってしまった。それらしきニュアンスのコメントを、また、他欄でも記しているから、大方やっぱりと思っていらっしゃったでしょうが、開き直って堂々と公開する事にしました。山に出掛けてHPに載せているのか、HPのために山に出掛けているのか、分からないくらいになってしまいましたが、何も悪い事などしているわけでもないし、母の事は、自分が一番愛しているのだから・・・・・・・・・でも、もう23日まで出掛けられないようです。 p.m.11:59



12/5 ピッケルやアイゼンを必要とする山や、岩場や急斜面、痩せた尾根など恐ろしいから行かないと言いながら、「山ノ神」は、私のおおよその山行に同行するのである。何処が怖いのか行って見なければ分からないとの言い分なのだが、私としては、とても困るのである。上から引っ張りあげたり、横に寄り添ったりしなければならない事もあり、それは大変なのである。そして、行ける山か行かない山かの選定段階から我家では揉めるのである。単独行が続くと、しばらくはお互い口を利かないにが続く。私が休日に、山しか行かないようになってから、引っ付き虫の「山ノ神」も、山の良さを認識してきたには違いないのだが、スキーの時のように、子供達にスキーを教えたら、自分ひとり取り残されたように感じてしまったのか、追随してきたようなものだ。その「山ノ神」は、雪山をとても甘く思っているようなので心配している。ただ後について行くだけで、無雪期より、膝が痛くないし、持久力さえあれば、ピクニック気分。お天気さえ良ければ、一年で一番良い季節だと思っている。実際その通りで、樹木も何もかも雪下で遮るものがなく、その展望は素晴らしい事間違いなし! そして「山ノ神」、今度はあの嫌がっていたアイゼンを、来春にでも買おうかと言い出した。“ 待ってくれ! ” 私の聖域を、これ以上狭められてはかなわないし、それをまた私に担げと言うのか!



12/4 山行には地図が必需品である。特に積雪・残雪期にしか登れない山行には必須である。その1/25000 地形図が、たまりにたまって75枚もあった。山行から帰って、すぐ片付けておけばいいのに、“ ちょい置き ” などで、大事な時に見当たらず苦い経験をした事もある。高1~高2にかけての春休みに鍬崎山に出掛けた時に、軌跡を印した地形図も出て来た。この地形図を整理して必要な時に、すぐ取り出せるようにするには、どうしたらいいか悩んでいたが、とりあえず、PCに必要事項打ち込んで、分類してみようとその作業を始めたところである。名山の「山と高原」の地図もあるし、命に関わるかもしれない大切な地図や、想い出深い地図を、場所を多く取らずに、便利な保管方法を考えてみたい。ルートを正確に見極めるには、1/25000の地形図が便利だが、山座同定には、1/50000 の地形図や、県内一円を見る事が出来る道路地図などを、リックの中に入れて置くと結構便利なのである。JPSやカシミールなどの新たな神器も、何時かは使ってみたいが、何時の事やら・・・・・・・ p.m.6:10



12/3 昨日は、お天気に欺かれたが、今日はそのお返しのように、晴れ上がった。五箇山へ連なる304号線の温度標示板が0℃だったように、朝方は冷え込み “ そーらに、乗れるくらいだった。”(富山では、「すんずら」と呼ぶ所もあるらしく、前日に雨や、高温で緩んだ雪が、放射冷却により凍り、その雪の上を、沈まずに渡れる状態を言う。)この陽気に誘われて、チョットだけ「山」を見に行った。人形山、三ヶ辻山、大滝山が凄く大きく見えた。高坪山も、袴腰山、三方山、猿ヶ山もそれぞれの山容がとても新鮮だった。来春に期待をかけている笈ヶ岳も、その山々の間から小さく鋭く見え、心をときめかせた。金剛堂山もどっしり、利賀のスキー場の後方には、大好きな剱岳が見えるという「おまけ」まで付いた。何処から、そんな山並が見えるの? <<<<<< p.m.7:20



12/2 「晴れ」のお天気予報が、不心得者の心を山行企画に及ばせた。世の中とは不思議なもので、設定していた目覚しが間違っていたり、どうしようかとと迷っていたら、雨になってしまい私にストップを掛けた。私は、世の常に逆らいつつも、逆らい切れない自分のもどかしさを、同欄に投げ掛けているが、その反響たるや、意外なほどの多いのビックリしている。“ 仕来たりに拘る事なかれ!” “ 自分に正直であれ!” などの助言が多かったが、自分自身は、強くいけるか分からないとの注釈付きのものもあった。何も他の人達に、迷惑を掛けるわけでもないから、自分の思うが侭に行動すればいいのだが、心の底に、“ たった一日や二日を、我慢が出来ないのか?” “ 一回や二回、余計に山に出掛けて、どうだというのだ!” と言う風に! 山道を歩くのが修行かもしれないが、家にいて、我慢をするのも修行かもしれない。その先に、山の事だけでも、整理しなければならないものが、山ほどあるではないか・・・・・・・・・・ p.m.7:25



12/1 今日から師走。その風情は年毎になくなっていくが、やはり気ぜわしくなる時期である。山好きな人達は、今日の好天に誘われて、思うがままに行動された事と思う。でも、足腰を痛めた人や、所用に負われて行けぬ人もあり、世は様々であるが、私のように、ただ、うずうずしている者もいる。電車で、「尖山」出掛けた「笠間さんとそのお仲間」御一行の酒盛りは、大いに盛り上がったのだろうか? その報告が楽しみである。 p.m.11:59