3/31 「シュンちゃんとターさん」に、労山のO氏、それから純子女史から「笹津山」、福井の松尾氏から「浄法寺山」、よっちん君から「鞍掛山」の報告があったのに、雨の予報に意気消沈していたが、雨の降らないうちに近間の山に出掛けて、お昼頃には帰ろうと思って出掛けた「赤祖父山」に、大いに時間を要してしまった。林道の雪もあったが、「福寿草」が咲くと思われる斜面の雪の付きが悪く難儀してしまった。また杉の中をイヤと言う程歩き、何と頂上まで5時間程要してしまったのである。あの斜面を下るのは、もうイヤだと言う「山ノ神」に、旧道らしきルートをとったが、これがまたヤブ漕ぎになってしまった。でも、福寿草に遭遇はしなかったが、可愛いい「雪割草」を見る事が出来、林道に降りる時に半べそ状態だった「山ノ神」も、頗る満足のようであった。 p.m.7:45



3/30 「シュンちゃん」と「ターさん」が、西笠山まで行ったようだ。どんな苦労があったか、未だ報告を受けていないが、よく頑張ったものだ。一気に「越中の百山」を4座を手に入れた「ターさん」の喜ぶ表情が目に浮かぶ。「シュンちゃん」は、たくさんアルコールを担いで行ったのかな?・・・・・労山のO氏も、「鳥ヶ尾山」から「鉢伏山」に行って来られたようだ。「薬師岳」は雲に覆われていたと、チョッピリ残念らしかったが、頂きに立てた喜びが、充分に伝わって来た。そんな嬉しいニュースをもらいながら、明日はまた雨の予報に、私は沈んでいる。 p.m.9:00



3/29 「シュンちゃん」と「ターさん」が小口川水系の山(高杉山・熊尾山・東笠山・西笠山)に出掛けた。快晴とまではいかなくとも、まずまずのお天気だし、あの猛者二人なら、きっと4座を仕留めて来るだろう。私は一週間後に計画をしていたが、お天気や「山ノ神」の許可が出るかどうかなど不透明である。でも、彼らの報告を楽しみにしている。



3/28 紀行文を書き綴れないうちに、また休日が来る。山に出掛けられるのだから、本当は嬉しいはずなのに何故かすっきり来ないのである。もし私が、完全週休二日制に祝日や有給休暇も有りだったら、逆にストレスが溜まってしまうかもしれない。誰のためでもなく、自分自身のためなのだからと、慰めているのだが・・・・・また、山行日(休日)が近づいて来ると、「山ノ神」との調整に苦慮する。“私(山ノ神)の行ける山” を選ばないとギクシャクするのである。 3/24現在19回の山行の内、「山ノ神」と同行したのは14回で、彼女自身が同好会で一度出掛けているから、実質私が自由に出掛けられたのは4回だけなのである。多くの山の友人達は、奥方が山に興味を持たれているケースは少なく、自由に飛び回っているのが、私から見たら羨ましい限りである。でも彼らから見ると、我家が羨ましいとも言う。明日、就職のため上京する娘の送別会をささやかにしたが、その娘が愛用していた軽自動車を「山ノ神」に宛がえば、自由の身になると思っていたが、そう甘くないようである。常々「翼が欲しい!」「翼を折られたようなものだ!」と言っていた私に何時になったら、そんな日(自由な日)が来るのだろう? 元気に飛び回れる時間はそんなに多くはないのだから・・・・・・ p.m.11:20



3/27 大地経由の初雪山登頂に数人から祝福を受けた。天候と雪質の条件が揃い気力と体力があればそう難しくはない。私の年齢と日帰りを称えてくれたのだと思っている。大した事がなくとも、ほめられれば嬉しいものである。大平川経由の初雪山と共に、大地そして初雪山に結構人が入るようになった。多くの方々に知られていない山なのだが、ネーミングの良さもあり、インターネットを通じて、わんさと押し掛けてもらっても困るのだが、良識ある登山者に、アルペン的な山容を楽しんでもらいたいものだと思っている。「愛する会」や「親しむ会」などが出来るに違いないが、私もこの山域を愛する仲間と、今度は泊ながら一杯やりたいものだと、適わぬ夢を持っている。悪天なら何をか言わんであるが、あの景色を肴にすれば、あとは酒さえあればいい。こんな事を話したり書いたりすると、「山ノ神」に、またイヤな顔をされるが、“ 泊れば君も初雪山に行けるよ!” とごまかすしかない。 p.m.7:05



3/26 私も少し花粉症の気がある。(あくまでも自己判断であるが!) 一昨日の大地の下りから可笑しくなってしまった。大きなクシャミは、雪こそ崩さなかったが、白兎がタイミングよく飛び出て来て、私の方がビックリしてしまった。その後は、悩んでいる方々と同じように、クシャミ鼻水が止まらず、就寝中は喉が渇き、イライラが続き何とも言えない状態になる。私のは、軽いアレルギーなのであろうが、チョットした事に敏感なのである。今までは、クシャミも山に行けば治るなどと思っていたから、大事に至らなかったが、“ 花粉が飛んでいる!”“ これが飛んでいったら!” などの言葉を耳にすると、一変にクシャミが出てしまう。また先日、花粉症のため耳鼻科へ行って来たという友人が立寄った後から、鼻や目が可笑しくなってしまった。目が痛かろうが、鼻がムズムズしようが、足が痛かろうが山に出掛けなければいけない。それが例え低く簡単な山であろうがである。私が一番好きなシーズン(3~5月)の最大の難題は、「山ノ神」を如何に説得させるかである。



3/25 昨日の初雪山行で少し霞んでいた「剱岳」を、きれいに撮れなかった事がチョッピリ悔いている。望遠レンズを持っていけば撮れたかもしれないが、それでは、何処にでもある“山頂付近だけしか撮れないではないか”などと慰めている。昨日はもう一つの試みをした。自分が補修したカンジキが、あのロングランに耐えれるだろうかという事であった。今年に入って2台のアルミカンジキのデバ部分を壊してしまった。当たり外れがあり、その外れの方が当たったのか、それとも、私の使用頻度の問題なのか、分からなまま困惑していたが、初代のカンジキの土台の布地(今富山で市販されているものより大きく、代替になる物が売っていない。)を手製で縫い合わせたものを、使用してみる事にした。高温が予想され破損してカンジキが使用出来なくなると、それこそ大変な事になるので、予備のカンジキをもう一組持参する事にした。その姿を見て、お会いした3人の友人達は、「どうして?」と尋ねられてしまった。しかし、心配したカンジキは最後まで履き通せる事が出来、見栄えは悪いが、我裁縫技術は大したものであった!!「シュンちゃん」・北川さんと夏道の分岐(標高800㍍付近)で分かれたのが、午後4時10分頃であった。午後7時の会合に間にあわないかもしれないと焦ったのがいけなかったのか、それとも体力の限界に近づいていたのかもしれないが、深みに嵌まり何度も何度も、すぐには立ち上がれない転び方を繰り返してしまった。また稜線からは早めに降りたため、最後は雪のない小沢を越える事が出来ず、車デボ地点の100~200㍍西側の崖の上から林道に出る有り様であった。高速を飛ばし、自宅に着いたのが7時1分前で、シャワーを浴びて、10分遅れで会合に出席出来た。 p.m.2:50



3/24 憧れであった大地山経由で初雪山に登った。Dr.早川の文章を引用すると、標高差1400㍍・往復20キロである。先週小矢部水系の山行で、ボロボロになった自分に、「体力の限界」の引導を、自分自身で渡すか渡さないかのテストでもあった。大好きな山「初雪山」。一年に一度は登りたい大地山・初雪山と綴り、「初雪山コーナー」まで設けながら、その更新がトント進んでいない事はさて置いて、他にも登りたい山が数多くあるのに、また初雪山の足を運ばせてしまった。山行予定表に「初雪山」を記載していて、当然の事のように出掛ける予定をしていた前夜、「山ノ神」と揉めてしまった。例の如くである。「あんた、ばっかり」「お前も来れば!」「行けない事を知っているくせに!」・・・あとの事は綴れない。・・・今度の山行で、嬉しい出会いがあった。初雪山に向かう途中、前日から風当たりの強い大地山頂で、テントを張っていた「黒部のシュンちゃん」が、先に初雪山を登り終えて来たのと出会った。初雪山頂では、なんと昨冬「大高山」でお会いして以来の大平氏が、大平川経由で登り詰め私を待っていてくれた。ロマンと体力を持ち合われる彼の人柄に感嘆し、初雪山に立てた喜び以上の敬意を表すのに、「日の丸」を出して記念写真を撮った。帰路では、高温を予想をしていたものの、不規則に抜ける雪面は、新雪のラッセルよりも辛く、まるで私をあざ笑っているかのようであった。この悪戦苦闘の様子を、独自に大地山に登って来た北川氏と、大地山に戻ったシュンちゃんが、双眼鏡で眺めながら、それを肴に祝杯をあげていたようであった。大地山に辿り着いた瞬間の二人の言葉は、「元ちゃん、ビールは全部飲んでしまった。」であったが、北川氏にまでお会い出来るとは、今日は何という日であろうか! お会い出来た3人の方とは、何の約束も交わしていなかったのだが、インターネットの凄さをまざまざと感じさせられた日でもあった。また、撮りも撮った144枚の画像と共に、思い出深い日になる事であろう。



3/23 文才もなく、どちらかというと語学が苦手な私である。山に興味のない方に、HPの事を尋ねられると、面白くないと思うから、誤字脱字を見つけて楽しむのも一つの方法かもしれないと言っている。ところで、私は、山の事に関しての文章には一つの拘りがある。「登行」という語句であるが、登り行くという意味で文中に使っている。しかし、高い所に登るという意味で「登高」があり、辞書にも載っており、山岳会などの名称にも使われている。「孤高の人=新田次郎の山岳小説」の「高」も、その意味からきているものかもしれない。しかし、文中の登り行くは、あえて「登行」を使い続けている。先に述べた○○登高会はそれで良いし、△△登行会も可笑しくないと思っている。増してや、その日に限ってのパーティーの名称として、3.24〇△山登行会などは、結構気に入っている。それにしても、日本語は難しく、「雪解け」に、助詞を付けると「雪が溶ける」になる。また、「わかる」「つける」は、何時もこれでいいのだろうかと悩んでいる。 p.m.6:25



3/22 「晴れ時々曇り」の予報が、現在「曇り」である。夕方から晴れると言うが疑心暗鬼である。24日の初雪山行きは「晴れ曇り」の予報であるが、翌日に「雨」が忍び寄っているから、最後まで信用出来ない。行かなければ晴れるし、行けば降る。 a.m.11:55

今度は労山のO氏から、大地山から初雪山を登頂した報告を頂いた。最近、山スキーの技術を磨かれ余裕の初雪山のように伺え、私への励ましも付け加えてくださった。24日の最高気温の予想が16℃である。今日の最高気温の2倍の高さであり、またも私を悩ませている。 p.m.11:45



3/21 今日は32年前に、深田久弥が「茅ヶ岳」で、急逝した日である。33回忌の法要が、加賀市の生家で営まれるようで、当欄に時々登場する「よっちん君」が招かれているようである。雑学の大家である彼は、人目をはばかる事なく、持ち前のユーモアと熱意で大方の人を圧倒する。経済的・人脈・芸など何をとっても私などは到底及ばない。何処へ行っても人気の彼に、私が上回るとしたら、山行回数と山中の滞在時間ぐらいかもしれない。「山が好き!」はお互い相譲らないが、山への思考が違い今は同行の機会がない。(最も休日が違うから) 「管鮑貧時の交わり=中国の故事に登場する管仲と鮑叔のように、それでも親友なのである。 p.m.1:50



3/20 24日の山行予定が「初雪山」になっている。このところ計画が予定通りこなされる事が少ない。如何に「山」中心の生活を送っていると言っても、いろいろと所用が出てくる。そして、気構えが軟弱になっている事も正直なところである。 今日の大平君からの報告によると、時間制限があり、やもなく途中撤退をしたが大地山から、初雪山を目指している。(1300㍍付近まで)  先般、超人Dr.早川のスキー山行による初雪山の報告も見ているし、このところ一寸意気消沈していただけに、目を覚めさせられたような気がしている。「大平川」から辿るルートを変更して、私も大地山から挑戦してみようと心が動いているが、これも天候に恵まれる事と「山ノ神」の了承を得なければ実行出来ない。忘れていたが、足は大丈夫なのだろうか・・・・・ p.m.7:45



3/19 福井の松尾氏から久し振りにメールを頂いた。週一のメールが、私の山への執着に呆れ果てて、滞ってしまったのかと思っていた。一昨年福井の「経ヶ岳」でお会いして、昨年は同じ福井の「能郷白山」をガイドしてもらった経緯がある。いつか富山の山にとお誘いしているのだが、なかなかタイミングが合わない。最も、残雪期の山となると、晴れておれば何ともなくとも、天候や雪質によっては苦労する事になる。アイゼンやピッケルを使わなくてもよい時もあれば、どうしても使わなくてはならぬ事もあり、それが凶器となる事もある。雪が多く残る春山の味を覚えれば、きっと富山通いが始まるに違いない。そこまでなったら、私は罪人になるのかもしれない。p.m.11:59



3/18 先程、町内会の総会から帰った。何もしなかったが、副会長の役も来週の引継ぎが済めば開放される。私の山行には左程支障がなかったが気分的に楽になる。また別の会の会計も任期満了で、監査と引継ぎが残っているだけである。母からも開放されて、思うがままに山行を楽しめると思っていたが、世の中は上手くいかないものである。今度は経済的な事で、勝手気ままにはいかないようである。最も私の今までの行動からは、そう問題はないのであるが、備品装備の買い換えや、より遠方への山行を望むのは辛いようである。それを越えれば、今度は体力の問題が浮かび上がって来るのは必死である。 p.m.11:30



3/17 休日は、やはり山に行かなければ休んだ気がしない。雪中キャンプを、日帰りに変更した理由に縁戚の不幸があった。通夜は「山ノ神」に託したが、葬儀は私が参列した。後、時間に制約もあった事から「千石城山」に出掛けた。痛い足を理由に「山ノ神」の運転で、1時間程の居眠り付きである。右足を引き摺りながらの登行には、「山ノ神」から見ても異常に感じたらしい。でも歩き始めてしばらくすると、違和感はあるものの平常に近い感覚で歩けるようになった。歩けなくなったら、または山に行けなくなったら死んだようなものなどと日頃から言っている私だが、本当にそうならないように、もう少し「足」を大事にしなければいけないようだ。 p.m.11:45



3/16 二日間の予定で小矢部水系の山を目指す予定であったが、所用が入り日帰りに変更した。予報も夕方から崩れるとの事で、仕方がない思いで出発した。さて5座中、幾つに届くかとワクワクして出かけたが、まずは横谷への道が工事中で思わぬ手間が掛った。順尾山までの長い雪の林道を、如何に早く歩けるかが問題であったが、高温の為雪が重く、昨年「山ノ神」と出掛けた時よりも30分ぐらいしか短縮出来なかった。「大倉山」までは、大した事がないだろうと高を括っていたが、到着が午後0時になってしまった。どうしてもの気持がいけなかったのか、もう1座を欲張り「赤堂山」まで行ったが、殆ど休憩らしいものを取らなかったので体力を消耗しきっていた。お昼前からあの晴天が、予想も出来ないくらいの速さで、雲に覆われてきたのは午前11時頃からであった。このコースに重いリックを、担いで来なくて良かったと思ったのはこの頃からである。「赤堂山」から下山し始めたのは、午後1時半、写真を撮って「大倉山」を経ったのが午後2時45分。その一寸前から雪が舞い出した。高度を下げるにつれて、雪が雨になり、モヤって来て、視界も50~100㍍位になり、トレースが消えてしまったのには閉口した。でもコンパスを頼りに南下が奏功し、念のため付けたマーキングを見つけた時は嬉しかった。(マーキングは全て撤収してきた。)でも大倉山から順尾山間は長く、かすかに残っているトレースを辿っていながら、同じ所を歩いているように思われて仕方なかった。林道に出たのが午後4時55分。少しでも明るい内に歩かなければと思ったのだが、カンジキに雪が纏わりつき、疲労しきった足が思うように動かなかった。雨で真っ暗になってしまった雪の林道は辛かった。でも肉眼で、かすかなトレースを確認出来るギリギリまでライトは使わなかった。ヘッドライトを点けたのは、午後6時20分。もうずぶ濡れになっていた。何度か「山ノ神」と携帯を通じて連絡していたが、「どんな事があっても俺を信じろ!」と笑って返事をしていたが、充分な食料があるというものの、ずぶ濡れのままで、ツエルトを使用してビバークは考えなかった。何としても帰るのだという気持が、足を前に出させた感じであった。上りで林道をショートカットした急斜面を、下りのルートでとるかどうかとなった。沢に滑落するのが最もイヤだったが、林道をこれ以上巻くのはイヤになっていたから、選んでしまったが、やはりズブリと股間まで沈んでしまった。引き上げるに足が攣ってしまうし散々であったが、少しは時間短縮になったと思わずにはいられなかった。もう少しもう少しの気持で、車に辿り着いたのが、午後7時40分であった。13時間半の行程で、休んだのは、写真を撮る時と、カンジキの紐を縛り直した時くらいのもので、もうこんな事はやらない。家に着いたのは、午後10時であった。車から降りてからも、思うように足が上がらなかった。



3/15 「山ノ神」は、自分の山行を棚に上げながら、私の明日かの山行を羨ましがっている。危険の心配よりは、私が二日間の休日を使ってしまうので、自分が後の一日を、持て余すかららしい。山行から戻って、第二山姥グループと飲み会なるものを設定していてもである。でも、そんな事はどうでもいい。今回の山行で何としても、念願の小矢部水系の山々を片付けておきたいのである。そうすれば、県西部では難関の「笈ヶ岳」を残すだけになる。yahoo!を検索しても、この小矢部水系の山5座は、私の「順尾山」1件だけである。「大倉山・赤堂山・月ヶ原山・多子津山」を踏破し、我HPに載せたなら、また物好きな輩が出掛けてくれるかもしれない。 p.m.4:25



3/14 お天気が良い方向に変わって来た。このままでいけば、久し振りの宿泊付きの単独行である。今年は3月10日現在、16回の山行の内「山ノ神」以外の同行機会を得たのは2回である。昨年は、多くの機会を得たと思ったが調べてみたら69回中、11回であった。でも一昨年の69回中、2回の事を思えば大幅な伸びであった。大勢での山行よりも、気のあった少人数での山行に憧れているのであるが、気ままな一人旅も、アクシデントさえなければ結構楽しいものである。怖い寂しい事を感じる時があるが、思い通りになった時の満足感は、言い知れない喜びがある。余計な事かもしれないが、団体の中で、しっぽについて行ってばかりいると、何時になってもいろいろな事が覚えられない。低い山でも、身近な山でも、独り歩きの山を覚えると、また違った味わいが出来る。 そう言いながら、私も「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」の心境である。 p.m.5:00



3/13 月初めに逃した石川県境の「小矢部水系の山々」行きが、3日後(16日、17日)に迫って来た。今度の機会を逸すると、また来春まで待たなければならない。コロコロ変わる予報だが、「雨マーク」さえ付かなければ出掛けたいと思っている。出来れば高温でない方がいい。“ 天よ! たまには私に味方して欲しい。”  ちょうどこの日は、「山ノ神」も山姥グループ(私が勝手に命名している。)との山行が予定されており、私の単独行となる。しかし、名前が山姥であろうが、お天気が悪いとすぐ中止になる恐れがあり、その時が私としては困るのである。総合的に晴れてくれなければ困るのである。4月~5月に掛けて、小口川水系の山・前大日岳・笈ヶ岳・毛勝山などに、とても「山ノ神」を同行させる事が出来ない上、先般「初雪山」を繰下げ計画に入れると、“ 私の行く山がない。” などと、またビールに手伸ばしていた。 p.m.4:40



3/12 アルコールとコタツとテレビの三者は、とても仲良くすぐ眠りに着かせてくれる。我家では、もう何年もコタツをした事がない。食後もテレビを見る機会は少なく(私だけだが)、ビデオなども縁がない。しかし、アルコールは、年々量はともかく休む事なく飲むようになってしまった。諸会合がなければ、午後10時頃から、随分旧型になった我愛するPCの前に座るのだが、すぐウトウトである。モニターからまるで魔法の眠り薬でも発せられるかのようにである。今日は “ 素晴らしい山の思い ” を綴る事が出来ると意気込んでいたが、その眠りに全部忘れてしまった。嗚呼なんと嘆かわしい事か・・・・・



3/11 何時も友人から、車での遭難(交通事故)の心配をしてもらっている。今回も700キロを走り、山を歩いての日帰りだから、忍び寄る「睡魔」には勝てない。両方雪道だと尚更である。あれやこれやと考えた「特効薬」も年々効かなくなってくる。もう少し余裕をと言われても、これが精一杯なのである。夜行日帰り「北岳」や、同じ夜行日帰りでも高速を使わない「平ヶ岳」「越後駒ヶ岳」「尾瀬」「恵那山」などのような事はもう出来ないかもしれない。同じ夜行でも、出発時刻が早ければ、身体は楽なのだが、夜半や未明などの用語を使わなくてはいけない日帰りは結構辛いのである。“ お前はもう若くはない!” のであるが、山へ行くと、どうもそれを忘れてしまうのである。 a.m.10:05



3/10 未明に高岡を出て、県東部に差しかかったら雪になった。白馬ではもの凄い雪になり、初雪山を中止にした事を勝手に納得していた。お天気になりそうな山梨県にある二百名山の「三ツ峠山 1785㍍」と三百名山の「黒岳 1793㍍」制覇?しようと狙って出掛けたものの、道中の雪と睡魔には勝てず、登山口到着が遅れてしまったのと、三ツ峠山からの富士山があまりにもステキで、ついつい長居をしてしまった事もあり、黒岳は、また何時かに回す事にしてしまった。今回登頂を果たした「三ツ峠山」は、2~3日前に40㌢前後の積雪をみたから未だ山らしく思ったが、あまりにも開発された山という感じがした。でも、真冬に、このくらいの高さの山には憧れる。 p.m.11:20



3/9 剱岳は一年に一度は行きたい山である。初雪山と初雪山がとてもステキに見える大地山も出来れば、毎年行きたい山である。その初雪山行を明日に予定をしていたが、お天気が悪い時に登る山ではないので止める事にした。そうなると、可笑しなもので晴れたら困るのである。(今は月も星も出ているのだ!) 明日は、このところのうっぷんを晴らすため、遠い所へ山岳ドライブに変更です。 p.m.11:59



3/8 このところ少し落ち込んでいる。休日は雨か雪で、連日諸会合が続きHP作りにも悩んでいる。そして体調もあまりよくない。パーッといきたいところです。



3/7 またお天気が良くない。このままだと「初雪山」行きがダメになる。今年は、よく雨に祟られる。思い切って山を越え、反対側(太平洋側)に出かけてみようか? 夜行日帰り(早朝日帰り)では、ドライブが主体になり、山行はおまけになってしまう。もう少し悩んでみよう! p.m.6:40



3/6 最近、目が変だ。右目がコロコロするし、左目が充血している。先日の雪山山行の時、とても眩しかった。前々から、サングラスかゴーグルをかけないといけないと思っていたのが、すぐ忘れてしまう。でも、“ 雪目 ” のようなものでなく、もしかしたら内臓からきたものかもしれない。以前からみると酒量が増えたし、バトミントンを二ヶ月もサボっている。如何に「週一の山歩き」をしていると言っても、食べる割には運動不足?なのかもしれない?



3/5 何度も登らなければ、その山の事はよくわからない等と言っているが、「とやま山歩き118座」で、一度しか登っていない山を数えたら55座もあった。過日、「とやま山歩き」完踏の際、複数回登ってみたい等と述べてしまったが、未踏の山が多過ぎて、そちらの方に足が向くかと心配になって来た。しかし、何度同じ山に登っても、その時々によって、感激の度合いも様々である。



3/4 何処に行くか決めずに寝てしまったので、朝の雪で行ける範囲が狭められ、とりあえず上市方面に向かったが、今年未だ出掛けていない山、そして「山ノ神」未踏の山という事で、展望を期待せず「鍋冠山」なった。骨原のため池付近では新雪20~30㌢、積雪が120~130㌢ぐらいであった。今日も長い雪の林道歩きとなったが、私が以前この林道を歩いた時よりは、下が締まっており快適に歩く事が出来た。高峰山登山口付近は、新雪が40センチ前後であったが、気持いいくらいにキュッキュッと鳴っていた。杉の山の鍋冠山なれど結構急斜面で、積雪期でお天気が良ければ「剱岳」の展望が最高なのであるが、今日は悪天を承知での山行となり、お山のてっぺんに立てた事が最高の喜びであった。 p.m.8:00



3/3 起床したら雨が降っていなかった。県西部はお昼前から雨だと言う。1月から3ヶ月間連続月初めの「牛岳」に登る事になってしまった。“ 雨が降らない!”“ 少し西の空が明るくなった。”“本当に降るのだろうか?” とブツブツ言いながら登っていた。午前10時牛岳六合目で、ポツリポツリ雨がやって来て、変に頷きながら足を進めるが、“ このくらいなら、視界も良いし大した雨でもない。” などと、未だ小矢部水系の山々への未練が抜け切っていなかった。しかし、稜線に出てからの強風や、山頂に届いてからの雨に、変な納得をしていた。そして、下山時の雨に、今後は参った! 参った!でしかなかった。 牛岳の山頂付近は未だ多くの積雪となっているが、ブナの周りが、抉られたようになっている事からもわかるように、もう積雪期から残雪期に移行しているようだ。牛岳を歩くにはこれからの時期が一番良いのである。  p.m.3:40



3/2 今日はあんなに良いお天気だったのに、明日から雨や雪の予報である。しかも明日は雨のうえ高温であり、明後日は雪の予報である。始めから濡れて雪中キャンプもイヤだし、それなりの危険も伴うので、2週間後に延期する事にした。でも、本当に降るのかと、今も疑っているのだが、遅かれ早かれきっと降るには違いないのであろう。悔しいが仕方がない。また近くの同じ山になってしまう。 p.m.9:00



3/1 雨である。心中は真っ暗である。明日は晴れるようであるが、明後日からまた雨や雪である。“ 行ってこいよ!” と励まして頂いているのに、行けなかったら悲しいし格好悪いよ。昨春の私の休日はことごとく晴れだったのに、今年はその反動なのだろうか、雪や雨の日が多い。石川県境の山々(小矢部水系の山々)は、少々歳を重ねても登る事が出来るであろうが、「越中の百山」の節目に当たる100座目を超えるので、何とかならないかと出発直前まで、望みを捨てないでおこうと思っている。 p.m.10:20