5/31 このところ、当欄やメールのお返事に、“疲れてきた。”とか、“いつ止めようかと考えている。” “ストレスがたまってしまう。”などと、HPの事に関して述べると、“止めるな!” “もうチョット頑張れ!” “楽しみにしている。”中には、“レベルが高くないのがいい。” “「山ノ神シリーズ」がいい。” “毎日更新がいい。”と激励が返ってくる。当初は誰か見てくれないかなの思いが強く、あれもこれもと考えた。最近は、ダラダラ綴るこんなHPが、本当に喜ばれているのかと思う毎日が続いているのです。「元ちゃん」と友達になれた。なれて良かったも、嬉しい反面本当なのだろうかと・・・・・以前私のHPから「ターさんの山行」をリンクしていた。しかし、彼は、各HPからリンクを外し、またカウンターもなくし、自分の山行記録としてマイペースで綴っていて、彼のアドレスを知っている(また、お気に入りに残していた人だけが知っている)人達だけが見ている。私達は「幻のHP」と呼んでいて、それも一つの考え方だと思っている。



5/30 今日もやっぱり起きれなかった。目が覚めたのは4時半だった。何時もの山行は、目覚まし(最近は携帯を利用)をセットしても、その前に目が覚めてしまう。1~2時間の睡眠時間しかなくても、気になって眠りきれないのだろうか、ベルが鳴る前に目が覚める。それは、私だけでなく、大方の人がそのようである。しかし、我家の「山の神」だけにはそれは通用しない話である。きっと「大物」なのかもしれない。今回は行ければ行くというもので、自力での起床は出来なかった。明日もう一日あるのだが、仕事に支障をきたす事はしたくないし、台風の影響で雨のようである。 p.m.10:15



5/29 今月はお天気が良かったせいもあるが、まだ「牛岳」に出掛けていない。私としては、積雪期以外、牛岳に行かない時の方がハッピーなのである。しかし、行かないと何となく “今はどんな状態なのだろうか?”と思ってしまう。今年は1~4月に牛岳の山頂を極めているが、何だか5月が切れてしまうのが惜しい気持である。今朝仕事前に一登りして来ようかと思ったのだが、目が覚めたのが遅かった。家に戻って来る事を考えると、遅くとも午前4時前に家を出なくてはならない。起きたなりの早駆けが、身体に良いわけがないし、時間帯によっては、通勤ラッシュも心しておかなければならない。そんなにしてまで何の得があるのかと思うのであるが、連続15ヶ月に挑戦もしてみたい。人生にどんな小さな拘りであろうと、プライドと同じで自分しか分からない。それに共鳴してくれたり、励ましてくれたりすると、“煽てられれば木にも登る。”の心境になる。私に残された時間は明朝しかない。 p.m.3:25



5/28 テレビのニュースやワイドショーで、ハイキングに出掛けて遭難し5日ぶりに救助された群馬の父娘(45歳と15歳)が盛んに報じられていた。結果的に携帯電話が役立ったらしいが、その範囲も「圏外」らしく、ラッキーとしか言いようがない。私も、何でもない時が殆どなのであるが、万が一のために、ザックの中にいろいろと忍ばせている。“チョコレート一枚、セーター一枚で生死を分ける。”と良く聞かされていたが、近年は、身体に纏う軽量・少量の物があるから、好きな山行には惜しみなく準備されたいものである。ある遭難報告書からこんな教訓を得た事がある。年間数十回の山行を続けていた方の遭難は、過去に危険な事や怖い事に遭った事がなく、順風満帆であったが、たった一度の危険を回避出来なく命を落としてしまったというものである。おそらく、その方の行動は、大勢の方々との山行や、他人トレースを辿っての行動が多く、時を重ねるに従って、自分は山を熟知しているとの錯覚を起こしたものと推測している。私もまだ未熟者で、山は好きだけれど、やはり怖い。



5/27 私が「毛勝山」に出掛けている間に、「山ノ神」はN女史と「大辻山と高峰山」に出掛けた。5/12に同じN女史と「牛岳と縄ヶ池」へ、5/18は県東部の女性達と袴腰山に出掛けていて、今月6回の私の山行の中では、「早乙女岳」と「天蓋山」だけが同行した事になる。その早乙女岳(5/6)に出掛けた時も、「山ノ神」に所要のせいもあったが、一ヶ月振りだと言われた時は、“ あーっそうか!” などと思ってしまった。残雪期は、どうしても袂を別つが多く、我慢してもらわなくてはいけないのだが、来月からは思うようになるまい。 p.m.7:15



5/26 ようやく「北ちゃん」との山行が毛勝山で実現し、しかも「シュンちゃん」加わり、じっくり楽しく歩いた。曇りがちのお天気は、車に乗るまで降らず、我々だけの毛勝谷は修験場でなく、デブリやクレパスも、雪渓上に漂ったガスも何もかもが新鮮で、緊張もしたけれど、笑いが絶えないくらいに楽しかった。絵葉書のようにはいかなかったが、剱岳や後立山連峰、サンナビキから僧ヶ岳までが、我々の山行を待ち望んでいたかのように、素晴らしい展望を見せてくれた。来年は、猫又谷から、猫又山と釜谷山に登ろうと言う話まで飛び出した。それが実現するかは別にして、たった一日の山行で、少年のように夢が広がり、その友情の輪も広がったような気がしてならない。 p.m.8:50



5/25 明日は急遽、毛勝山行きになった。今年3回目の企画でようやく実現出来そうである。しかも、シュンちゃんや北ちゃんの同行で楽しいものになる事を期待している。私自身4回目の毛勝山になるが、もっとも遅い日になる。 p.m.10:20



5/24 「よっちん君」が、4月末○○山頂で、中高年の「山の会」らしい男女7~8名が、杉の枝を折って敷物替わりにしていたと言う。そのメンバーが下山中、マンサクの枝を1~2本ではなく、目に余る程の量の枝を折り、ザックに縛り付けていたのを見て、さすがに一言かましてしまったと言っていた。私が実際見た事でなし、また全員がそのような、あるまじき行為をしていたのではないのであろうが、ちょっと悲しい話である。その「よっちん君」の話として、ホットなものがあったので、皆様にお伝えしたい。彼は最近、麺類の残り汁を冷ましてから、ペットボトルに入れて持ち帰るようにしたと言う。そう言えば、インスタントの焼ソバの捨て汁や、鍋などの残り汁などもその部類である。土に染み込むと言えども、やはり自然を壊しているであろうから、次回からすぐ実行したいと思っている。それこそ漏斗があれば便利この上ない。少量の汁なら各種ペーパーで、拭き取ってもいい。昨年、サクランボの種なら、いずれ自然に返ると思って、口からフーット出した時、“ それでも自然形態を変える。”と「花じい」に注意され、ハッとした事が思い出される。 p.m.6:00



5/23 三浦雄一郎さんがエベレストに登った。問題外に素晴らしい!その親の敬三さんも素晴らしい。今年、モンブランの大氷河バレーブラシュの滑降に成功している。70歳と99歳で生きているだけでも凄いのに、人間業とは思えない事をしている。一種のアーチストなのかもしれない。あれだけの事を成し遂げたり、あの年まで元気に生きるという事は、かなりの我ままな方々ではないかと推測しているが、違った所で人間味を如何なく発揮され、周りの方々を大事にしておられるのではないかと思っている。偽りのアルピニストやコラムニストにもなれない私だが、「山」を介して得た多くの友人と、人として、同胞として、かなえられない夢を持ち共に語らい続けていきたいと思っている。 p.m.11:00



5/22 夜中の1時ぐらいまでは何ともなかったのに、最近はPCの前で、居眠りが続く。アルコールのせいもあるのだろうが、早寝早起きの年寄り型になりつつあるのかもしれない。私は、同じ時間であっても、朝は後の仕事が控えており、何となく落ち着かず、夜の方がゆっくり考える事が出来る。一日の区切りとして、アルコールは飲みたいし、飲んだら眠たくなるの繰り返しで、最近はその酔いに負けてしまっているのである。そして、“「紀行文」はどうしたの? ”などの自問にストレスが増して行く。楽しみであったはずのHP作りも、苦しみであっては何にもならない。中途半端になったファイルが、「マイドキュメント」の中にどれだけあるのだろうか・・・・・ 完成・削除のどちらかを選択して私の頭を整理しなくては、目覚めが悪く、次ぎ行く山も、ストレスを担いで戻ってくる事になる。



5/21 前回「天蓋山」に登ったのは何時かと調べてみたら10年前の6月であった。その時は晴れていたが、視界がイマイチで、山頂のきれいに咲いていたツツジの印象が強かった。そして、1時間余りで登り詰めた気がしていた。今回は、シラカバやブナなどの広葉樹や、私を悩ませたムラサキヤシオ(ミツバツツジ)・タムシバ(コブシ)の赤や白の花、またワラビなどの山菜にも目が移り、10年の歳月が、私の山との接し方を、少しづつ変化させているように思わせた。行った事のない山にはもちろん出掛けてみたいが、日頃から常々述べているように、1~2回ぐらいで、その山の事などわかる事がなく、何回ともなく、出来れば違った季節に登ってみたいものである。しかし、そんなに時間もなく許される範囲内で、富山とその近郊の山に複数回のチャレンジをと思っているのだが・・・・・・・



5/20 昨日で、今春の「雪の山」行きが終ったと思っていたが、「山ノ神」は今月末までかと思っていた言う。喜ぶべきかと思うが、もう力が抜けてしまった感があり、違った形の山行をと思っている。過日当欄で「花じい」から、ユキワリソウの間違いを指摘されたと述べた事があるが、(まだ訂正していない)最近は、益々「花の名」に自信がなくなって来た。ムラサキヤシオとミツバツツジ、コブシとタムシバなど頭の中がこんがらかって来た。花を撮る機会が増えて来たのに、「山の花」に載せる事に躊躇してしまう。間違いは間違いで、いろんな方々から教えて頂ければいいのかもしれない。思いきって、“ これは何て花?” と投げ掛けてみようか? p.m.11:55



5/19 昨日は、水なしの山行の上、沢山の汗をかいだせいか、家に戻って、浴びるほど、水やビールを飲んだが、意外なほどに用を足さなかった。干上がって、カラカラになっていたのかもしれない。毛勝山行を中止にしたし、チョッピリ疲れていた事もあり、「山ノ神」お気に入りの天蓋山に出掛けた。私は2回目だが、「山ノ神」は6回目である。私に放り出された時の一つとして、天蓋山が彼女の行き所であるらしい。お天気こそイマイチだったが、シラカバやブナの芽が吹き出し、実に感じがいい。「山ノ神」曰く、“ 晩秋がもっといい!” そうである。雀平から後30分の標識を見て、“ そんなにもかからない。” と豪語した「山ノ神」が上がって来ないのである。心配して迎えに行くと“一度も休まなかった。”とか“ 一回も水分を取っていない。” とかで、完全に私を無視し、どっかり腰を降ろして大休憩をしていた。、しかし、山頂に着くと、心臓がバクバクしたと言っていたあの「山ノ神」が、缶ビールを取り出し、缶チューハイまで飲み始めるではないか! 最近は山頂で、出来るだけ飲まないようにして、家に戻ってから飲もうという「内規」を無視し、始めから私の独りに運転をさせる魂胆があったようである。さて、今宵も何本の缶ビール(発泡酒)が開けられる事か! p.m.8:05



5/18 午前4時、そうっと出かけるつもりだったが、「山ノ神」が車を発進させる時に見送りに来てくれた。当人は何とも思っていないのだが、危険を感じる時は、見送りに来てくれるのかもしれない。有り難い事である。その「山ノ神」一行(県東部の女性達と)は(自分が勝手に付けた名称=山姥グループは顰蹙を買ったので以後使いません。)シャクナゲの咲く袴腰山へ出掛けるようであった。片貝川南又谷の猫又谷は、釜谷の出合のチョット上あたりからビッシリと雪が付いていたが、そこまでは渡渉がイヤで高巻した。毛勝谷ほどでもないが、岩雪の崩落が頻繁に起きている。予定のルートを変更して、直接大猫山に出る谷(沢)を選んだ。登り始めてしばらくすると、猫又・釜谷山に向かう登山者が、立ち止まって私を見つめている。蟻のように見える7名が気になり、退却どころか年甲斐もなく、ピッチを上げなければならない。疲れ果てた最後の急斜面で、凛の音が聞こえた。何処にいるともわからないのに、「ターさん」と声を発した。馬場島から登って来たターさんが、ちょうど大猫山に到着した時だったらしい。“ 元ちゃん、大明神山より酷いぜ!” などと私を労ってくれたが、大明神の方が凄いに決まっている。その後、二人の目的地である「鬼場倉ノ頭」に向かった。残雪期は大猫山から簡単に行けるピークである。雪の斜面を登っている時、ターさんと一緒に馬場島に下ろうかと思っていたのだが、大猫平直下以外は夏道と変わらないと聞き、あの下りは足のつま先が痛くなるので、行動を共にしなかった。もちろん、ターさんを、猫又谷に誘ったのだが、ムード的に合わなかったようである。当初登るのに使おうと思っていたルートの稜線上に立ったのだが、どうも足が竦んで動かず、猫又・釜谷山に使われるルートが無難であろうと足は向いたのであるが、雪庇やかなりのアップダウンに、その方がイヤになってしまい、先ほどの斜面を下る事にし、また時間をかけて戻った。ピッケルやアイゼンを使っていても、下まで見えぬ景色ではどうしても慎重になり、始めはジグザグ下降したが、なかなか高度を稼げない。しかし、可笑しなもので慣れてきたら、急斜面をまっすぐに下る事が出来た。10㍍程の滑落もあったが事無きを得た。今回の山行で、ビールを持っていかなかったのはいいのであるが、車の中にお茶や水を忘れていってしまったのである。たまたま、芦見尾根稜線でターさんと会えて、貴重な水を分けて頂いたのだが、初歩の初歩の間違いを犯してしまった。午前5時50分に歩き始めて、車に戻ったのが、午後4時10分だったが、すかさずコンロを出してコーヒーを飲んだ。 p.m.10:25



5/17 心配していたお天気も回復し、明日は3年来の「鬼場倉ノ頭」にチャレンジする事が出来るが、簡単に猫又谷の雪渓に飛び移る事が出来れば、そう難しくないであろう。近年は、ブナクラから夏道が出来「大猫山」に多くの人が登るようになったが、以前は、猫又山・釜谷山と共に、東芦見尾根へは猫又谷経由が多かったようだ。久しぶりの猫又谷の雪渓を楽しんで歩いて来たい。 p.m.8:10



5/16 「山と渓谷6月号」に、“山岳保険の落とし穴”という記事が載っている。昨年7月テレビや新聞で報道された愛知県の女性4人パーティーが、大雪山を縦走時に台風に遭遇し、一人が死亡するいう事故に対しての保険の扱いについてである。リーダーが足を滑らして転倒し、両膝を打撲し、台風下の激しい風雨と気温低下による行動不能に陥り、二人が救助を求めて下山、一人がケガをしているリーダーとビバークしたが、夜中に息を引き取ったそうだ。翌日、自衛隊ヘリで搬送され、検死の結果「死因は低体温による脳梗塞」。後日、自衛隊のヘリの救助費用は掛かっていないが、現地の町役場から16万円、遭難対策協議会から39万円の請求があった。遺族の現地への交通費や、もし、民間へりだったら数十万円の請求が加算されたに違いない。遭難した本人は、死亡・後遺障害81万円、救援者費用1,000万円などなどの「ハイキング保険」に入っていて、その救援費用とは、同保険のパンフレッドによると、「事故によって緊急の捜索・救助活動を要する状態になった事が警察などの公的機関により確認された場合、捜索・救助活動・救援者の現地への交通費・宿泊費などをお支払します。」とあったが、「低体温症による脳梗塞」と判断され、「被保険者の脳疾患、疾病または心神喪失」に該当する項目に触れ保険金が支払われなかったそうである。行動の是非がどうであれ、どうみても遭難事故であるのに、何のための山岳保険なのかという事になる。我々が山岳保険と呼んでいるものは、あくまでも、登山中の不慮の事故に対応するもので、病気はこれに含まないと思った方がいいと付け加えている。したがって、病気で倒れ民間ヘリで搬送されても救助費用は保険でカバーされないようである。高山病や熱中症、凍傷もダメなようである。今ある保険でそれをカバーしているのは、労山の労山遭対基金のようだが、残念な事に労山会員でないと加入出来ないそうである。(山渓6月号から抜粋) p.m.6:15



5/15 長い間“ヤブのまっちゃん”の「低き山なれど」が全面改装のため休業中となっている。元気ですか?と久し振りに短いメールを送ってみた。

実は全面改装の看板を出したとたん、パソコンがお亡くなりになりまして 至急、自作で組み立てたパソコンを導入したのですが、壊れたパソコンのハードディスクを取り出して合体させたら全く認識しない(^^;アセアセ システムをwinxpにアップしたのが間違いだったようで、結局はすべてフォーマ ットし、なんもかもパーになりました。 てなわけで、ホームページは最初から作り直してます。

などと、ヒョウキンとも真面目とも取れる返事が来たのだが、“今度の日曜日に、大猫山に行くのかね!私も付いて行ける所までお供しようかな?”の付録のメールが付いていた。面白い“まっちゃん”が、ブナクラの取付きに現れるかもしれないよ!(ターさん、シュンちゃんへ) p.m.6:55



5/14 「山ノ神」に、我まま言って出来る今春の山行が、後2休日になった。今度の日・月の休日がそうである。猫又谷から大猫山と鬼場倉ノ頭、そして毛勝山である。未踏の鬼場倉ノ頭を登って、今年の越中の百山を終えたいと思っていたが、またしても天気予報が良くない。でも、それはそれでいい。「山は逃げる。」と言うけれど、じゅっくり私の技量で登れる時期を待てばいい事である。でも、欲深い私は、もう登れない、元気がなくなったなどと言いながら、もしかしたら、黒部の奥の1座を・・・・・イケルカモ・・・などと思い込んでしまう。しかし、この歳になっての単独行は、歩いてしまえば何でもないのだが、どうしても、家にいる時は悪い事も考えてしまうのである。 p.m.10:45



5/13 今春、東京で就職した娘が初給料を割いて、私に登山シャツとロングスパッツを送って来た。あまりの嬉しさに、値札や商品説明書が付いたままの登山シャツを着て、一晩中はしゃいでいた姿を見て「山ノ神」がくすくす笑っていたが、これを着て寝ると言い出したら、さすがに飽きれていた。3人の子供達にスキーを教え、山歩きもさせた。仕事や所帯をもって、離れ離れになっても、一年に一度や二度ぐらいスキーロッジや、山小屋で集まる夢を持って接したが、今や何をか言わんである。娘を背負って薬師岳に登った事や、眠たい眠たいと言いながら日帰りで息子と出掛けた百名山も、もうアルバムで楽しむ事しか出来ない。そんな事を思えば、娘からの贈物は、私の山歩きを認知してくれた事になるのだろうか? p.m.7:10



5/12 北ちゃんとの山行をキャンセルした事もあり、お酒を飲んだので今朝の目覚めは悪かった。屋根や道路が濡れているが、徐々に青空が顔を出して来た。“ 北ちゃん予想が甘かった。悪い事をしたね。ゴメン!” と携帯に電話したら、彼はもう鍬崎山に向かっていた。帰宅時間に制約があると言っていた彼だったが、もう“猛者”になりかけている。「山ノ神」は、N女史の計らいで、新しい山行に臨んだ。私は、「山ノ神」を送り出してから、久々に「大倉山」に足を向けた。イワウチワ、コイワカガミ、ショウジョウバカマ、タムシバなどのお花が迎えてくれが、雪の感触とまた違って、土の上を歩くのもまた悪くないと半年振りの夏靴の軽さを感じた。山頂は未だ雪に覆われていて、樹木が展望を邪魔させなかったが、剱や毛勝の山々の頭を黒い雲が覆っていた。“ 毛勝山に登っても展望に恵まれなかった。” と勝手に自分の胸を撫で下ろし、予定通り早々に下山して、来週の山行予定の片貝川南又谷の偵察に出かけた。 p.m.7:50



5/11 明日は予想降水量は少ないが、降水確率は50~60%で、こんな状態の中、無理して毛勝山に行く事もないと思い、楽しみにしていた北ちゃんとの山行を順延にした。展望の期待もないし、危険を回避するのが順当のようがする。“ 山は逃げるかもしれない。” でも、わずかでも次の可能性に期待した方が、ずーっといい。 p.m.11:40



5/10 もうしばらくお天気が続くと思っていたが、どうやら明日明後日が怪しい。明後日は、北ちゃんと毛勝山へ行く約束しているが、決行か否かはギリギリまで待つしかないところである。今日は、シュンちゃんとターさんコンビが、宗次郎谷から大明神山に出掛け、見事登頂を果たした報告が飛び込んで来た。ヤブあり、落石あり、急斜面有り他の山とは凄さが違うらしい。登頂後携帯メールで、その感動を伝えてくれた。普段なら何となくストレスが溜まり、精神衛生に必ずしもよくないのであるが、今回は私の若い友人達の栄光を素直に受け入れ万歳!をしてしまった。この猛者達は、近年中に必ず「越中の百山」に届くであろうが、私は何の妬みも持たず声援してあげたい。それは私が元気がなくなって来た事かもしれない。 p.m.10:40



5/9 先日「花じい」から、我HPの「山の花」コーナーに載っている「ユキワリソウ」の事で指摘を受けた。そのユキワリソウは、地方名であって、ミスミソウの変種の「スハマソウ」だと言う。=「キンポウゲ科ミスミソウ属」= サクラソウ科にもユキワリソウがあるので、間違いやすいとも付け加えてくれた。すぐ図鑑を繰ったが未だによくわからない。でも、大先生の「花じい」が間違うはずがなくその指摘を嬉しく受けた。実は、「花じい」のHPを見ているにつけ、そのユキワリソウは、“何だか怪しいぞ!”とは密かに思っていて、彼から忠告のメッセージが来る予感がしていた。この「花じい」名こそ“爺”であるが、私より10歳位若く、山の事はもとより、「花」に関しては、その道の学者ではないかと思うくらいである。まだ花じいのHPを覗いた事のない方は、私のHPの「リンク集」から辿って見て下さい。



5/8 いい加減に塗った日焼止めの後遺症が縞模様になっている。昔は山から戻って真っ黒な顔をしていたのが、結構好きで自慢でもあった。そんなバンカラの時代も遠い昔の話となってしまった。老若関係なく今はスマートでなくてはいけないようである。今回は久し振りの靴擦れにも参ったが、「雪目」には相当こたえている。二日間も長い間雪上を歩いていたから、疲れていた目にはきつかったのであろう。辛くて右目を開けておれなかった。少し良くなったが、まだ目の中がコロコロして可笑しな感じである。私の目を見た人は皆どうしたのかと尋ねるが、真っ黒な顔に目が兎のように赤く、歯だけが白いのは、想像するだけでも可笑しいものである。今日は少し良くなったような気がするが、サングラスやゴーグルなどをしない罰だったのかもしれない。髪の毛が薄くなったとは言え、大きな目がトレードマークだっただけに、目が見えなくなったらそれこそ大変である。長い年月使い続けて来ただけに、もっと大切にしなければ、山歩きどころか、生きる事にも支障が来るかもしれない。 p.m.11:59

 

5/7 一昨日の小口川水系の山々へは、平成元年の資料(とやま山紀行)によると、小口川第二発電所まで車が入ったようであったが、その頃と時代が変わったのか、水須連絡所のゲートがしっかりと施錠されていた。思わぬ林道歩きを余儀なくされ、登山靴の選択に悩まされた。何処から雪が現れるか分からない上に、舗装の林道を片道40分以上歩かなければならなかったのである。何となくプラブーツを敬遠し、そのプラブーツ購入時に修理を依頼してあった直ったばかりのローバーのチベッタを選択したのが誤りの始まりであった。両方の内側、外側計8ヶ所の穴を繕ってもらって、まだ試し履きをしていなかったのである。何だか小さくなったような気がしたその靴の踵あたりに違和感を覚え、20分もしないうちに、靴擦れの始まりとなったのである。チベッタは、おおよそ靴擦れとは縁がなく、まさかこの日に、こんな事になるとは思っても見 なかったのである。この靴に出会うまでは、スキー靴を始めとする山の靴のため、一年中足の爪が真っ黒か、常に靴擦れを繰り返していたのである。歩き始めて間もないうちの靴擦れも、過去の経験からして、諦める事など頭には毛頭なかった。しかし、悪い事は重なるものです。日本有数の落差を誇る小口川第三発電所の送水管横の階段を登っている時、突然苦手な蛇のカマ首が、私の行く手を阻んだ。それだけなら良かったがビックリして、後退りした時、階段を踏み外し、右足が攣ってしまったのである。急階段から転落しなくて良かったと言えばそれまでであるが、辛い行程の始まりでもあった。凄い好天、高温続きのため、1410㍍のピークでは、ヤブが進路を阻もうとした。先程の蛇もそうであったように、ここで引き返したら、何のために今日ここまで来たのだろうと言う事になり、必死にルートを模索した時、今度は左足が雪を踏み抜き、攣らしてしまったのである。事無きを得て再び雪上の人となったが、なだらかな山並も辛い辛い歩行となった。後は執念だけ!熊尾山・東笠山そして西笠山山頂に立てたのは、午後1時とまたまた奥深い山としては遅い到着であった。帰路は、あの苦手な蛇とは遭遇はしなかったのだが、違った斜面でコゴミ採りをしていたら、また長いものが目の前を通り過ぎて行き、ビックリして斜面からずり落ちてしまった。沢に架かったスノーブリッジ通過も結構勇気がいったし、ニューなお山は、そう簡単に登らせてくれなかった。 p.m.11:59



5/6 私は、そうは思っていなかったが、4/8の「牛岳」以来一ヶ月ぶりだと言う「山ノ神」と「早乙女岳」に行った。昨日の熊尾山~西笠山で10年ぶりに、500円玉と100円玉ほどの大きさの靴擦れを両踵につくり、「山ノ神」は約束をホゴにされるかと思ったらしいが、どんなに痛くても靴さえ履けば何ともない。只、二日連続2~3時間ほどの睡眠しかとっていなかったので、運転だけは頼んだ。昨日までの連休には、多くの登山者で賑わったのであろうに、平日の今日は、3年前の5/22の早乙女岳もそうであったように、(その時も「山ノ神」との二人パティー)人影もなくまた誰も上がって来なかった。 コット谷鞍部から頂上までは殊の外時間を要し、午前7時前に歩き始めたのに、頂上到着が午後2時になってしまった。“ 途中で止めてもいいよ!” “ どれだけ時間が掛かってもいいよ!” などと、何時でもない優しい言葉をかけながら、また行動中コンロなど使った事が無いのに、コーヒーを沸かしたりして励まし続けた。しかし、その甲斐あって、頂上からの展望は素晴らしく、目の前の大日岳を始め、剱岳や薬師岳を誰にも邪魔されることなく、眺め続ける事が出来た。頂上3時を大幅に回った出発となったが、今度は「大日岳」に登ってみたいなどと、途方もない事を言い出す「山ノ神」には聊か飽きれながら、足早に雪の斜面を下った。



5/5 山を愛するに各人いろいろな思いがある。それはそれで良いし、毛頭否定するものでない。私も何時か読んだ「越中の百山」が頭から離れず、いつかは百山の思いがある。多分123座全て登れるとは思っていないが、出来たら登ってみたいと思っている。ネットの時代になって、いろいろな情報を得る事が出来るし、それを通じて実に楽しいのである。何が何でもまでいかないが、出来る事ならである。年頭に“ 残り20座を切る” の目標を掲げた。あの山もこの山も行けなかったのであるが、目標から見るとあと1座なのである。こうやって拘りがあると、人生結構楽しいのである。今日は、熊尾山・東笠山・西笠山の内、熊尾・西笠がおニューであった。何度も述べるように、同じ山を何度も登って見なければ、その山の味など分かるわけがないのであるが、どんな事でも必ず最初があるのである。今日の山行はいずれ紀行文で紹介したいと思っているが、長~い行程に、幾つものアクシデントがあった。だから山歩きは楽しいのである。 p.m.11:59



5/4 今夕になって、「山ノ神」が、明日の山行に一緒したいと言い出した。今更、一泊の山行に切り替えるのは、ムードがついていかない。明日は、私が小口川へ、「山ノ神」が友人と筍堀、明後日は一緒に早乙女岳と約束したのに・・・・・・・・・・もう振り切って行くしかない。そして、明日は何処まで行けるか分からないが、頑張るしかない。でも明日は、降水確率も0で、晴れるという予報なのだが、午後9時半現在薄いモヤがかかているのか、星も月も出ていない。 p.m.9:45



5/3 ようやく私の連休の予定(5日・6日)が決まった。小口川から熊尾山・東笠山・西笠山を一晩泊まりで提案したが、「山ノ神」が自信がないとの事で、6日の早乙女岳を同行するという条件で、5日は私の単独行となった。3月末に、シュンちゃん・ターさんが、高杉山経由の一泊で西笠山まで行っているが、結構きつかったと聞いている。雪が固まったとは言え、誰もいない山域に独りで、それも日帰りで出掛けるのは、心持たないところもあるが、林道のデブリや水平道のブッシュさえなければ案ずる事もないと思っているのだが・・・・・熊尾山の「熊」が少し気にかかる。話は変わるが、「越中の百山」の大熊山で、テントを張っていたら、夜中に熊が顔をなめていったと言う話まであるので、奥深い山の「熊」は、出ないといいながら何となく気にかかるのである。 p.m.11:55



5/2 最近100回の山行記録を分析してみた。単独行が20%、数少ない友人との山行が15%、「山ノ神」との山行が65%であった。友人とパーティーを組んでの山行が意外と少ないのにビックリしたが、ネットで情報のやり取りをしているから、いつも会っているような錯覚に陥っていたのかもしれない。その新しい友人達に鋭気をもらうなどして、チャレンジ精神が旺盛になったような気がするが、調子に乗って迷惑を掛けていたかもしれない。時々とは言え、10~15歳も歳の離れた彼らに、与えれるものがなくては申し訳なく、もう少し自分を磨かなければ、お付き合い願えないかもしれない。また、逆に私より人生経験豊な年上の方々との交流を通じて、お互いに何か得るものがあれば素晴らしい。 p.m.11:00



5/1 昨日はちょっとお天気が崩れたが、大型連休に入ってから好天が続いている。まだしばらくは続きそうで私の5・6日の連休も期待出来そうである。「山ノ神」には、“ 5月いっぱい私の好きなようにさせてくれ!” と言ってあるが、二日間共となると、お伺いを立てなければならないであろう。①小口川から西笠山まで、②③片貝南又谷から鬼場倉ノ頭または、毛勝谷から毛勝山と翌日の早乙女岳、④立山雪中キャンプの4つの案を持っているのだが、天候や顔色を見ながら消去法でいくしかあるまい。 p.m.7:30