7/31 天候は今一つであっても、夏山の最盛期である事は間違いない。今度の週末には多くの方々が、思い思いの山に出掛けられるようである。私も二日遅れの連休を、計画通り「烏帽子岳・野口五郎岳」か、それとも前週登れなかった「鳳凰三山」にリベンジかで迷っている。キャンプか小屋泊りか、また「山ノ神」が同行するのかどうかによって荷が大いに違うが、より遠くか、ゆっくり地を踏み締めて歩くかと、「大人!」への心の格闘もしている。しかし、より多くの「山の味」の誘惑に、心が動くのも正直なところである。したがって、早月尾根からの剱岳日帰りを外して、一年に一度の剱沢(剱岳)のスケジュールは、とても覚束ない。どちらにしても、お天気であれば、気分も良いし、スケジュールの消化も確実である。 p.m.11:10



7/30 「花じい」を介して一度だけお会いした事のあるKa氏が、私の当欄のコメントに対して、時々ながら楽しい反応をして下さる事がある。毎日の事もあれば、時には、忘れた頃に長年培われた山に対しての思いを教えて頂いているような気がする。そのKa氏が、“ ハードな山行などいい加減に見切りをつけ、里山を歩きをしないか?” などと助言とも忠告とも取れるコメントを寄せて下さった事ある。でも、私には、未だ行っていない所や行きたい所があり過ぎて、修行が足りないと言うか、雑念が多くて、山を極めた方々の仲間入りなど到底出来ないとの思いが強い。また、酒豪のKa氏との宴は、「花じい」が元通りになるまでお預けだが、大好きな剱岳や初雪山を仰ぎながら、車の事も気にせず、「山の話」を肴にして語り合えればと淡い希望を持っている。 p.m.3:05



7/29 口では、歳だ!などと言っていながら、強行日帰りや長い距離の車の運転など、それを認めたくないような、ささやかな抵抗のギャップが疲れとなって表れるようになってきている。場所が変わるとなかなか寝れないくせに、PCの前や新聞・本を読むために椅子に座ったりすると、5分も経たない内にコックリとする。そして、その疲れは次の山行まで取れていないのではないかと思うようになった。でも、不思議な事に、その疲れは、山行で消えてしまうのである。本当に「山の空気」は、何かのエネルギーになっているのかもしれない。 p.m.8:25



7/28 山梨の「鳳凰三山」に出掛けたつもりだったが、一つ手間のICで降りた料金徴収係りのおじさんに尋ねた青木鉱泉への道が、眠さでボーっとしていた頭も手伝って、全く違った道に行ってしまったのであった。たまたまドンドコ沢にある「南精進ヶ滝」とよく似た「精進ノ滝」の看板に誘導されてしまったのである。登山口でもある青木鉱泉の標識が一つもなく、霧雨で視界が全く不良の中を、これでもかこれでもかと車を走らせたが、普通の車では走行困難な所で、地図とJPSで位置を確認すると、私の作成してきた地図から、はみ出た所にいる事に気付き、退却する事になってしまった。一度間違ってしまうと、方向感覚が可笑しくなってしまうのか、青木鉱泉への道も、北方向から来る者にしてみれば、分かりずらい標識故に右往左往してしまい、到着したのは午前7時近い時刻になってしまった。二人の力量からして、夜明けから歩いても三山縦走がきついと踏んでいただけに、それからでは、到底登れないと判断し、登山口の確認するだけに終わった。それではと、腹案の「櫛形山」に向かったが、それにも手間取り登山口に着いたのは9時を回ってしまっていた。前回計画したアヤメのシーズンから、二週間も過ぎているし、平日のお天気の良くない日だから、我々だけの山になるかと思っていたら、予想以上の人出だった。アヤメも全盛期ではないにしても、未だ多くが咲き乱れていて、展望は利かなかったが思いもよらぬお花畑に、「山ノ神」は頗るご満悦だった。山中で知り合った、静岡のIさんとMさんのコンビに、未だ目にした事のない「アツモリソウ」を探してもらったが、時期すでに遅かったらしく、残念であったが、図鑑のような、お二方と知り合いになれそうなのが嬉しかった。強行行軍を予定していた事から比べれば、櫛形山は花の山らしく穏やかな山であったので、帰路は、「山ノ神」の要望を取り入れ、山梨からの全行程を「下道」に挑戦(安房トンネルも通らず峠)したが、運転を交代したと言えども疲れ果ててしまい、自宅到着が遅かった事もあったが、大好きなビールもさほど飲めなかった。



7/27 「北陸も梅雨が明けた模様である。」と気象台からの発表は、今日の富山の空模様のように、すっきりしたものではなかった。大日岳に出掛けた純子女史からも、「まるで雲の中!何も見えない。」の返信だった。でも、このままお天気が崩れなかったら、夜半発で、「鳳凰三山」に出掛けるつもりである。また、両夜行になるのだが、「北岳」のように上手くいくだろうか?コースはチョット長いし、荷は全部私が担ぐからと言っても、「山ノ神」は不安のようである。雨さえ降らなければ何とかなるのだが・・・・・・ p.m.5:30



7/26 当欄を書き綴り始めて2年半以上になる。自分の山への思いを、日記のように他愛のない事をダラダラと飽きもせずに書き綴っているだけなのである。「山の話」に拘っているから、すぐネタ切れになり、僅かな行数も埋め尽くせなくなる。自分で述べるのも可笑しいが、あまり面白い男でもないし、文学的センスも持ち合わせていない中で、アクセスカウンターが、これほどまでにヒットするはどういうことなのだろうか? 技量も体力も衰える中、山好きの熱意だけが伝わっているのではないかと、小さな自己満足に浸っている。文章上の誤り、誤字脱字を探せばキリがないだろうが、世の名不思議なもので叱咤より激励が多い。しかし、自己満足のHPも、知らず知らずのうちに、他人の心を傷付けている事もあるらしい。自分勝手に主張しているのだけでななく、この機会に少し自分を戒めなければいけないのかもしれない。そして、「継続は力なり」と思い続けて来たが、アクセスカウンターが、100,000件の大台を超えたら、ご褒美にチョッピリ休んでみたい。 p.m.11:50



7/25 人生、大なり小なり悩みがある。世界中の悩みを一手に背負っている人もあれば、何の悩みもないように見える人もある。私は、あまり上の人を見ず、自分より辛い人もあるのだと思うようにしている。9年前に亡くなった私の父は、経済的に恵まれなくても、“今が一番いい。今が最高!”が口癖だった。これは、簡単なようでなかなか難しいのである。人の良い所を言い、自分の悪い所を言っておればまず間違いないのだが、それでは面白くなく、どうしても、他人の悪口を言い、自分を誉めてしまう。ま~あ、他人の悪口、陰口を叩いておれば実に面白いのである。でも、後味が悪く、必ず自分に戻って来るから不思議である。私も修行が足りず、並みの人間以下のようである。しかし、山に入れば、本当に心を豊かにしてくれる。大自然の中の自分を思うと、点にもならぬあの小さな人間が、どんなに大きな悩みを持っているのだろうかと思うのである。また、どんなに偉そうに思っていても、自然の脅威には何の手立てもなく恐れ入るのである。山行も逃避でなく、アタック(攻撃)なら言う事がないが、心を豊かにしたり、心を和ましてくれるなら、逃避であろうと何でもいいじゃないか! p.m.11:59



7/24 昨夏に逃した北アの「烏帽子岳 2628m・野口五郎岳 2924m」と、南アの「鳳凰山 2840m」は、今夏に是非とも登りたいと思っている。柏原新道の「爺ヶ岳 2670m」や読売新道の「赤牛岳 2864m」にも興味がある。東北の山や日光の山にも足を延ばしたいが、一年に1~2回くらいは北アで泊まりたいと言っているくらいだから、立山・剱岳・黒部を中心にした所へも出掛けたいと欲張りである。どちらにしても、盆休と8月、9月の連休をどう効率よく出掛けられるか問題である。そして、お天気も味方してくれないと、とても満足出来るような山行は出来ない。 p.m.11:59



7/23 ジメジメした日が続き鬱陶しい。数日前までの朝方は布団を宛がっていないと寒い日もあった。過去に梅雨が明けたがどうか分からない年があったが、それは10年前(平成5年)だったそうだ。それはどうあれ、梅雨明けが待ちどうしく、夏山に心が動く。山行計画に地図やガイドブックなどが欠かせなく、そのコースタイムを参考にするが、「富山の山」を登っていると、他県の山は意外と簡単である。足が速くなったのかと錯覚する時があるくらいである。それから見れば、「とやま山歩き」などをはじめとする記述に携われた面々は、どのような足の持ち主なのだろうと思ってしまう。実際「山ノ神」と一緒に登ると、4時間コースに休息を入れると1.5倍要し。4.5時間~5時間を記しているものになると、真っ暗になって下山したり、翌日は足が上がらなくなってしまう。最近は、各HPでいろいろな情報を得る事が出来るが、どう取り入れるかは各自の判断であろう。



7/22 今度の連休は立山・剱岳で滑落事故が相次いだ。中でも昨日の小学校の立山登山での滑落事故は痛ましかった。雄山神社付近から黒部側へ、650mも滑落をし瀕死の重傷と聞くが、奇跡が起こって何とか一命を取り留めれないかと願うだけである。今日のテレビのインタビューで、有名な山岳会の代表が、大パーティーの引率の難しさを語っておられたが、私も中高年グループの大パーティーに遭遇する時があるが、指揮系統が行き渡っていないような場面を見る事がある。その辛さや難しさは経験した事がないから分からない。単独や夫婦だけで出掛ける事の多い私は、友人・知人とパーティーを組むと楽しくてならないが、それは辛い目にあった事がないからであろう。日頃から、グループを率いて行動されるリーダーなどの大変さがうかがい知れる。以前某会でこんな話を聞いた事がある。そのリーダーは、カンジキのバンドをどうして占めるのかと聞かれ、分からないような人は来る資格がない。またアイゼンのバンドの占め方を聞かれ、同じような事を言ったと聞く。その通りかもしれない。誰でも初めての事はあるが、事前に勉強しておけと言う事であろう。 p.m.9:40



7/21 昨日の「あらちゃん」の元気さに付いて行ったのが祟ってか、今日は疲れてしまっていたし、帰京する娘の事を思うと、さすがの私も山行を取り止めて、苦手なショッピングセンターの付き合いやら、空港での見送りをした。今日は普通の父親らしい日を送ったのかな! と苦笑いをしながら・・・・しかし、休日はやっぱり「お山のてっぺん」に行かなければ気が済まず、空港からすぐ千石城山に向かった。登山口午後5時半発だったが、標高差280mを空身とはいえ、「山ノ神」が30分(正味25分)で登り切った。夕刻の一時に、ガスが切れる淡い期待をもったが、やはり最後まで山並みの上部は姿を見せてくれなかった。日没を気にしながらの下山は、中年の悲しさか、登りも下りもタイムに大した変わりなかった。当欄を娘が見たら何と思うだろうか・・・いや、すでに荷台に忍ばせておいたザックや登山靴に気付いていたかもしれない。 p.m.9:30



7/20 国道8号線「北馬場」まで、「大猫山」にしようか「大日岳」にしようか迷ったが、剱岳の展望が期待出来ないのならと、距離は長いが比較的穏やかな「大日岳」を選択した。称名駐車場で準備をしていると、何と「あらちゃん」と出会うではないか!「あらちゃん」との久し振りの再会を喜こび一緒に登り事になったが、休憩を含めた登り下りの9時間をお互い喋り捲っていた。急登場面でも、ひるまず喋り続けるあらちゃんの体力に参ってしまった。柄に似合わず二人の男が花を楽しんだり、お喋りに時間を費やしながら、まずまずのタイムで山頂に着いた。このところ、大日岳山頂からの剱岳を仰ぐ事に恵まれないのは、まだよしとしても、山頂から降り出した豪雨が、登山道にある小沢を濁流として行く手を阻んだ。(3ヶ所)折りしも連休の真っ只中、多くの登山者が足止めを食ってしまった。水位の下がるのを待ったり、ロープを渡したりして、高齢者や女性・子供を確保しながら渡らせたのだが、中には溺れそうになった子供さんもあり泣きべそを掻いていた。下りの大日平までの登山道はまるで川で、遠く関東・関西方面から来られた方々は、辛かったかもしれないが、貴重な経験をされたに違いない。山はやはり侮ってはいけない。 p.m.9:55



7/19 起きて見なければ分からないが、明日もお天気がパーッとしない。せっかく単独行を許されている日だが、思うようにならないものである。 25:25(7/20a.m.1:25)

7/18 80歳半ばの男性に、“お元気で良いですね!”と声をかけたら、“自分ひとり元気でも面白くもない。女房も、友達も、近所の人も皆元気でなければ、面白くも可笑しくもない。”と言う返事が返って来た。良いにつけ、悪いにつけ、自分を認めてくれる人が、回りにいなくなったら、生きている値がないとも付け加えられた。単独行であっても、その結果を誰かに認めて欲しいという気持ちが働く。どんなに宝物を持っていても、評価してくれる人がなければ、その値などあるわけがない。必然と自分を評価してくれる人の方へ、心がなびいて行くが、将来の事を考えると少々意見が違う人とも、何らかな方法でコンタクトを絶やさない方がいいのかもしれない。本当に自分ひとりでは生きられない。私も山、山・・・・と、“山に行かれないようだと死んだようなものだ!”と言い続けているが、山に入れば人恋しいのである。 p.m.11:50



7/17 このところ、スカッとしたお天気ではない。少なくても私の山行は、6/9から「晴れ」の文字が消えている。20~21日も娘の動向に左右されるが、今のところ予報は良くない。雨や時間がないの理由で、牛岳行きが続いてもらっては困る。せっかく、三ヶ月間も気になるくらいに牛岳から離れたのに・・・・・7/28に親戚の“立山登山のガイドをせよ!” の仰せに屈していたが、今日になって解除の通達があり、夏山の最盛期だけに一日儲かったような気になっている。暑い時期だけに少しでも高い所か、いやお花を求めて金山・天狗原山などに・・・・など。北アに限って今年は残雪が多く、花の時期は少し遅れているようである。しかし、雪解けが始まれば、遅いも早いもなく、いっぺんに咲いてしまうから、自然は面白いし楽しくてならない。 p.m.11:55



7/16 今春、就職した娘が9連休(13日~21日)だと言って今朝帰省した。友人と、すぐまた出掛けるという合間に、先日来のPCの悩みを相談すると、あっ~という間に片付けてしまった。感心する事より、この数日間の私のやっていた事は、一体なんだったのかと虚脱感に陥った。しかし、後は、この眠ささえ取れれば、また元通りHP作りに、邁進出来るかもしれないと安堵の心境になる。娘の帰省の目的は、友人の結婚式(20日)に出席する事であるが、少しは親の顔を見に来てくれたのかもしれない。20~21日は、今の所予報も芳しくないが、山行の心が揺らいでいる。20日は山に出掛けたとしても、日頃親らしい事を何一つしてやっていない私は、“お父さん山に行っても良いよ!”の言葉には、今回だけは空港か駅か良く知らないが送ってやらなくてはなるまい。初任給で山の道具を買って送ってくれた娘だから・・・・・ p.m.11:20



7/15 PCが思うように動かないので、このところのお天気のようにイライラする事が多い。HPの更新も思うようにいかず沈みがちなのだが、人生も山も思うようにならぬのが常で、それを「修行」だと思えばいい。などと自己流の哲学で自分に言い聞かせている。私も少し大人になったかと、えらぶってしまう事もあるが、なかなか道は険しいのである。今日は、かねてからの懸案であった、35mのランケーブルを張った。新旧のPC共ネットを使えるようにするためである。今回のように緊急避難的要素もあるが、「山ノ神」の自立をPCにも求めるためでもある。 p.m.11:59



7/14 アヤメの櫛形山には行きたかったが、午前4時頃そうっと床に入った。無理して出掛けて事故にあったら、それこそ不名誉な“遭難”である。雨でごまかし、久しぶりに家で取った休日の朝食は、私にしてみれば新鮮な一時であった。そして、午前11時に、雨の中4/8以来の「牛岳」に向かった。この雨で、小沢も日頃の涸れ沢も勢いよく、流れを運んでいた。静かな山に何時もと違う水の音がゴーゴーと響いていた。終焉のササユリは、一輪しか見当たらなかったが、雨に映るアジサイと黄色の小さな「ホトトギス」だけが、ずーっと目を楽しませてくれた。

7/13 PCのトラブルの修理に時間を費やし、「櫛形山」行きの出発予定時刻が過ぎて行く。外に出て見ると大粒ではないが、雨が降り続いている。幸い「山ノ神」も起きて来ないし、このまま時を過ごし、三ヶ月ぶりに「牛岳」にでも出掛ければいい。しかし、少々の雨でも出掛けると言っていただけに、目が醒めた「山ノ神」の顔を見るのが怖い。でも、音さえ立てなければ絶対に起きない・・・・・ 27:25(7/14.a.m.3:25)



7/12 昨日は、ネットの凄さを改めて感じさせるような、下記のメールが新潟県のIさんから届いた。
元ちゃんさんのホームページを拝見して、大変に助かったので、その御礼を申し上げたくて、メールさせていただきました。 私たちは新潟の滝をめぐって、ホームページで紹介している夫婦です。このたび、ヨシオ滝を見てみようと、色々な情報を集めたのですが、滝関連では全く情報がなく、登山方面でようやく元ちゃんさんのページに行き当たりました。写真も載っていたので、それを印刷して現地に赴きました。 ところが、小滝川には滝とみまごう沢がたくさん流れ込んでいて、どれがヨシオ滝か、元ちゃんさんの写真がなかったら分からなかったと思います。現にそこにいた釣り人に尋ねたら、別の沢をヨシオ滝と教えてくれました。・・・・・(略)
・・・喜んでもらえて何故かホットする。最近HPに対するエネルギーが欠如しがちなのだが、もう少し頑張らなくてはなどと励ましになる。世の中とは不思議なもので、どれだけラブコールを送っても、振り向いてもらえない事もあるし、さほど気にとめなかった方と、ずーっと仲良く出来る事もある。本当に「縁」である。その縁を大事にするためにも、真面目なお返事に努めているが、これが私の「面白くない男」の由縁であが、それでも、そんな男にも興味を注いで下さる方もあり、世の中捨てたものではありません。 p.m.11:00



7/11 今度の休日(14日)は、大雨でない限り、山梨県の「櫛形山 2052m」に出掛ける予定にしている。「アヤメ」で有名な櫛形山には、平日でも多くの登山者が訪れると思われる。そんな山に何故出掛けるのなどと、冷たい視線も感じるが、知らない山には、とかく登ってみたいものである。素敵かどうかは、その後の話であろう! 過日登った武尊山や浅間隠山にも、少しのアヤメが咲いていたが、その種のものは、湿地に咲いているものだと思っていたがそうではなかった。アヤメ、ショウブ、カキツバタの区別もつかない私だが、どれだけの花が、どんな所に、どのように咲いているのか楽しみである。 そして、バックに南アルプスの名峰が望めればこの上ない。p.m.10:40



7/10 最近、東海地方に縁があるらしい。先日も百名山を完登し、現在「東海の百山」も83座を踏破していると言う愛知のA氏から、「越中の百山」の登山口の表示催促を受けた。A氏は、富山に縁のある方で、昭和初期12歳で立山に登っておられ、昨年10月からインターネットを始めたという仙人・鉄人に分類されるような方のようだ。私も「越中の百山」の完踏を夢見ているのだが、私の技量では難しいような山々の紹介など、とてもとても・・・・・文献としては、「とやま山歩き」や「とやま山紀行」また「とやま山ガイド」など他にもたくさんあるし、私も及ばずながら、「山の情報」や「紀行文」で紹介しているし、後はわかる範囲内の問い合わせに答えるからなどと、目一杯である我がHPの実情を訴えた。ならば、「近畿の百山」と、せめて越中縁の「佐々成政の針ノ木越え」をしてみたいというA氏は何とした熟年なのだろう。奥様もご一緒だと知り、日本には凄い人達が大勢おられるものだと感心ばかりである。まだ若輩の私などは、もっと頑張らなければいけないのであるが、目標がある方は、やっぱり活きがいいようである。 p.m.11:55



7/9 昨日の目的地「浅間隠山」は、二転三転して前夜に決まった。しかし、地形図もなく新しいPCには、カシミールもインストールされておらず、旧PCからはプリンターが外されてしまっていた。当初、群馬県長野原町406号線の「清水」を登山口としていたが、ネットで調べると「二度上峠」からが最短コースである事がわかった。迷う事がないくらい標識がしっかりしているとの情報は、地形図もないものにとっては、良い悪いは別にして、心を動かされるものであった。今度は、二度上峠に行く拠点の北軽井沢にどのようにして行くかに絞られた。上信越道「須坂・長野東IC」で降りて、四阿山へ行くように大笹街道を菅平・鳥居峠に向かい、鳥居峠からは長野街道を走り、田代を右に折れ、鹿沢から広域農道を北軽井沢に向かうものであった。カーナビを持たず、道路地図だけが頼りの我々には、その「鹿沢」がキーワードであった。数あるHPの中で、倉渕村の兄弟の家に行く時、湯の丸を経由し、この「鹿沢」から入るという語句が、とても印象的に頭の中に残っていた。交差点でもないし、普通に車を走らせておれば、当然見落としてしまうような、あるかないかわからないほどの標識に我々も特定する事が出来なかった。道路地図上では、色もなく不安いっぱいの道であったが、走ってみれば結構いい道であり、確認しながらであったが、意外と早く北軽井沢に着いた。標高の高い所を走る道のため、ガスが発生し、何処が二度上峠かわからないくらいであったが、そこに車を止め、3~4分程下った所に登山口があった。標高1350m位であった。 p.m.11:15



7/8 またまた、束の間の「晴れ」を求めて、目を擦りながら上州に出掛けた。しかし、思ったほどのお天気の回復はなく、“梯子の山行”には、只、山頂を踏むだけの味気ないものになったが、半分ドライブや観光のつもりで出掛けているから、つまらない「二百名山歩き」とはならなかった。最短コースを選んだ「浅間隠山」は、晴れておれば奥丸山や茅ヶ岳のように、周囲の山々を堪能出来る山であろうし、掃部岳と榛名富士の榛名山は、榛名湖と切っても切れない関係であろう事が、何も見えない山頂から感じ取る事が出来た。しかし、展望も視界も期待できなく、時間の事も気になり始めた3座目の榛名富士には、時計を見ながらの私の単独行になってしまった。先々週の武尊山行もそうであったように、次のより遠くへ行くためにの節約に、またしても下道の帰路となった。榛名湖から長野原→草津→志賀高原→飯山→上越を経由するにしても何故お天気の悪い時に、山岳道路を行かなければならないのかと、ハンドルを持つ手に、いささか不満もあったのだが、草津白根付近では、僅かな一時であったが、素晴らしい展望を我々に与えてくれた大自然の面白さや凄さに、今更ながら驚かされた。今日も長~い660キロであった。



7/7 ワイパーをフル回転しながら白木峰1300mの駐車場に着いたら雨が止んだ。ニッコウキスゲの最盛期なのに雨のためか訪れたのは我々だけ。しかし、稜線に出たら霧雨のため視界が利かない。その上、今年は「不作」なのか、お目当てのニッコウキスゲが少なく、ギボウシだけが異様に目立った感じだった。でも、ササユリが例年より多く見られたのは何故だろうか?風衝草原から、車に戻ってお天気の好転の兆しを感じ取るや否や、もう数台の車がやって来た。このままで、お天気が続けば明日の予定を、「遠出」に変更するかもしれない。 p.m.6:50



7/6 6月は第三週を除いて、未明・早朝発の山行が多かったため、その前夜も何となく慌しかった。明日も山に出掛けないわけがないが、何となく余裕のある前夜である。こんな時こそ、たまりにたまった「紀行文」を始めHP関連の事を、少しでも片付けなければならないのに、少しお酒を飲んだ事もあったが、メールチェックで、あーっという間に、時間が過ぎてしまった感じである。昨年7/1に、雨の中を「白木峰」に足を運んで、びしょ濡れとなったが、雨の中のお花も結構“イケル”ものであった。明日も多分「白木峰」になると思うが、大降りさえしなければ、シャッターチャンスもあり、それなりの楽しみもある。そして、早々に引き上げ、山の資料の整理の時間を作り、明後日のお天気の回復を待ちたいが、この梅雨空に「晴れマーク」はとても期待出来ないのであろう。 p.m.11:50

7/5 当てにならぬ予報と言いながら、良い方に外れたのなら・・・・・まだ ? と思っても「中止」を決めての好天は、やはり気分が良くないものであろう。そんな場合の私は、何であろうが必ず何処へ行ってしまう。雨の日でも行ってしまうのだから・・・・(勝手にプレッシャーをかけている可笑しな私です。) 新聞に載せられた人気の「白木峰」には、恐らく大勢のハイカーが訪れたに違いない。そして明日からも・・・・また、当てにならぬ空模様だが、やはり信じてか明日の山行予定が多く届いている。「曇り」と聞いている明日のお天気なのだが、バトミントンを終えた帰路には雨が降り出してしまった。さて、明日は・・・・皆のために晴れなくても、雨が落ちないで欲しいのだが・・・・



7/4 この一週間は睡眠時間が4時間ぐらいで寝不足が続いている。山行の疲れがないわけではないが、新しいPCで悩む事があり、ボーっとした日が続いている。クタクタになるまで歩いた疲れは、気持ちのよいもので精神衛生上まことに良いものである。仕事を一生懸命(?)して、休日は山に出掛けるのが私(私達)のパターン。しかし、週間天気予報を見ても、あまりよくない。6月は、「大台ケ原・大峰山」と「武尊山」の遠出と、「犬ヶ岳」と「黒岩山」のハードな山行が続いたから、今度は遠出を避けた方がいいのかもしれないが、せっかくの連休なのに、夏山の初っ端から思い通りにならないのは残念である。例年7月上旬の降水確率は高いのが常で、また雨具を着て近くの山に出掛ける事になるのであろうか? でも、予報が覆る事もあるので、準備だけはしておきたい。p.m.6:10



7/3 花に興味のない人がいるかもしれないが、恐らく嫌いな人はいないであろう。これが山の花ともなると、小さく可憐に咲くのがたまらない。人の入らぬ山中で、その群落に遭遇すると正しく楽園である。でも、花の名となると難しくて、なかなか覚えられない。知っていたつもりでも、結構間違っているもので、多くの花を知っているのは楽しいのに決まっているが、そう悲観することもない。欲張らず好きなものだけ覚えるのもいいかもしれない。「コバイケイソウ」をコバイケソウと覚えていたが、間違いを指摘されてから、もう忘れない。「コ・バイケイソウ」と呼ぶ事も先日の黒岩山で、N女史に教えてもらった。また、「イワウチワ」と思っていたのが「トクワカソウ」と言われた事がきっかけで、トクワカンソウと誤ってを覚え込んでしまっていたが、イワウチワとトクワカソウは親戚で、イコールではないそうである。そして、雪解けと共に我々の目を楽しませてくれるのは、どうもイワウチワのようである。 今回の黒岩山では、歩く図鑑のようなN女史に、数多く花の名を教えてもらったが、私より花が好きな「山ノ神」はどうかわからないが、「ツクバネソウ」と間違った「クルマバハグマ」と「モミジハグマ」を覚えるのがやっとであった。 p.m.11:59



7/2 昨夜の続きが、近所の大家の手によって行われ、CPU2・2GB、メモリー512MB、ハードデスク100GB、ディスプレー17インチの真新しいPCが、私の手に入るものと思っていたが、最後にカシーミールのCDをインストールの段階で、メモリーに支障が出てしまった。私も残念であったが、それ以上に、骨身を削って私のために一生懸命難しい作業をやって下さった大家に申し訳なかった。昨夜は新しいPCで、HPに少しばかり手を加えたが、今夜は旧型のPCで作業を行わなくてはいけなくなった。サーバーに送ったものは何処でも見る事が出来るが、手を加えたものは、別のPCには残っていないと言う事が改めてわかった。もう2~3日すれば、何もかも完了となるであろうが、もともとメカに弱い私は、またまた新しいシステムに翻弄され続けるであろう。 p.m.11:59



7/1 近所の大家にお願いした自作PCが二日後にやって来た。あまりの速さに嬉しいやら戸惑うやら・・・・しかし、イザとなると設定や引越しの作業が大変である。と言うものの私はうしろで、只傍観しているだけなのだが・・・・最後まで、てこずったのは、アドレス帳の移動とHPのパスワードであった。しかし、大家の時間を惜しまぬ延々の努力において、200近いアドレスが見事新規のPCに移った。でも、二つからなるHPの片方のパスワードの入力が違うらしく、データーをサーバーに送る事が出来ず、現在片肺飛行中である。