8/31 日中降ったり止んだりの雨も、夜になってから本格的に降り出し、雷も私をあざ笑うかのように鳴り出した。これではたまらず、2日間の日光方面の山行は中止にならざるをえない。例えお天気が回復するとしても、夜半・未明・早朝発の雨降る中の運転はもうゴメンである。しかし、明日になって回復が約束されれば、翌日の日帰り遠出もやぶさかではない。でも明日はどうしよう?もう雨の山行は飽きた。しかし、一日中PCの前に座っていたら、「山ノ神」は違った意味で、また角を生やしそうである。 p.m.11:00



8/30 三つ年上の先輩から、7月の連休に立山~薬師岳の縦走を果たした話を聞いた。山好きの先輩は、心臓病に股関節痛などの病のため近年山から随分遠ざかっていたようだったが、この機会を逃したらもう行けないような気持ちに刈られ、一念発起したものらしい。縦走当時は雨に祟られ、視界も悪く決してコンディションが良くなかったようだったが、その完歩に充実感が滲み出ていた。五色山荘と薬師岳山荘泊の2泊3日の行程の内容を聞き、未だこのルートを踏破していない私は、来年スゴ小屋泊の1泊2日で挑戦して見ようと思ってしまい、(山ノ神同行では実現不可能)早速その内容を「山ノ神」に告げ協力を要請(折立登山口の迎え)したら、“では、私は薬師岳を1泊2日で出掛けよう!”  などと言い出し、何とも楽しい話となったが、来年の事になると、やはり鬼が笑うであろうか?その先輩は今秋、何泊してもいいから何としても剱岳早月尾根を登りたいのだと言う。そうすると若い時からの通算で、馬場島から上高地まで繋がるのだと、目を輝かせて語る先輩の山に対するロマンに敬意を称した。



8/29 何時もにも増して今週末は気分が浮かない。もしかしたら、今年最後になるかもしれない遠出が、また雨で流れるかもしれないからだ。日光方面の山々4座(皇海山・男体山・日光白根山・太郎山)のうち、2座を山旅気分で出掛ける予定にしていたのに、どうもお天気の巡り合わせが悪くてならないが、冷夏と言われるくらいの天候不順なのだから仕方がないのかもしれない。明日も予報とニラメッコになるが、出掛けるとしたら、夜更かしを止めて睡眠を多くしなければ、長い距離の運転に身体が持つわけがない。また今日も、新旧多くの方々から激励や山行報告を頂いていると、アクセスカウンター100,000Hitを機会に、チョット一休みは、もったいなくて出来ないかもしれない。 p.m.11:45



8/28 先日、白山でお会いした埼玉のMさんから嬉しいメールが届いた。反省と喜びが綴られており、今後の抱負も付け加えてあった。下山後のお二人を心配していたが、気まずくもならず、無事を喜び合われたようであった。只、山頂での寒さや疲労でご主人が発熱された事から、その後のスケジュールを変更し、彼女がハンドルを握って帰宅されたようであるが、疲れもあったろうに、あの細い身体で何処にそんなパワーがあるのかと思いつつ、苦い初登山の経験を生かして、また山に戻って来られれば、また何処かでお会い出来るかもしれないと、「山ノ神」と顔を見合わせた。見も心も、ヘトヘトになった時に遭遇した淡い紫の「マツムシソウ」を、彼女はきっと忘れないであろう。これから彼女を「マツムシさん」と呼ぼうか!



8/27 我HPのリンク切れに呆然としてしまった。「ソース」を触っていて、適切な修正しないままになっていたようである。只でさえ誤字脱字、また情報記載が遅れているのに、今度は大量のリンク切れとなったいた事に、気付かなかったとは恥ずかしい限りである。一日掛かって見苦しい所から直しているが、まだ修復半ばである。何枚かの画像が壊れているのを発見したが、ウィルスでないとなると、何故そうなるのかわからない。“ お前は一つ凝ると、それにのめり込んで行く。” などと言う友人もいるが、本来こんな作業は苦手なのである。汗を流しクタクタになるまで歩くのがいい。でも、山歩きとHPは、もはや、切り離せない関係になってしまっている。



8/26 白山での「山ノ神」は、お世辞にも早いとは言えないが、小休憩を入れてもコースタイムに沿うようなペースで歩いていたが、3時間を過ぎた「黒コボ岩」あたりから、急激にペースダウンしてしまった。“ 日帰りなのに、何故そんなに大きな荷を担いでいるの?” と擦れ違った登山者に問われていたが、我々は特別な時意外、緊急用品(ツエルト・ヘッドランプ・細引き・医療品など。)や嗜好品(ラーメンやコーヒーを楽しむためのコンロ・燃料・コッフェル・水など。)をザックの中に入れている。「山ノ神」のザックの中には、通常量があっても重くないラーメンやパン・コーヒーにコッフェルなどが入れられ、私には、ツエルトや水類コンロ燃料など重いものが回ってくる。室堂では、下から上がって来るのを待ち、頂上までは、高度計が上がるのを励みに、尻を叩いたが、自分の思いと違う体力に、いささか戸惑っていたかのようであった。冷たい霧雨の中、ラーメン作りをしながら、「山ノ神」の方を見ると、またしてもビールを持参しているではないか! “ ビールの無い山頂はありえない。” などという「山ノ神」の気持ちもわからないではないが、こっそり担いで来るには、荷への心配りが薄らいでしまうではないか! でも、“ ビールを担いで行ってくれ!” とは申し訳ないと思ったのか、それとも、私をびっくりさせてやろうと思ったのかもしれない。 p.m.9:00



8/25 「白山行き」は午前中が勝負だと思って、早立ちのつもりが、目覚し(携帯のアラーム)のセットを間違え、気付いた時は予定より1時間遅れであった。別当出合発が7時半で、観光新道を辿って室堂に向かったが、始めのうちは順調だった「山ノ神」も、次第に喘ぎ喘ぎになってしまった。お花畑を期待していたが、マツムシソウ・ハクサンフウロ・トリカブトだけが目立ち、この夏の異常とも言える低温や日照不足がここにも、もろに表れているような気がした。今年も何も見えない山頂で、一時を過ごした後、室堂でクロユリを探したが、姿も形もなかった。帰路は、黒ボコ岩から砂防新道を下る予定であったが、工事中だとかで通行止の標識が立ててあり、往路と同じ観光新道を下り始めてしばらくすると、我々の付けていた凛の音を聞いてか、“ 誰かいますか!”若い女性の悲鳴とも取れる叫び声が聞こえた。ご主人より先に室堂を出発したが、始めのうちは何人かの人達と会ったが、その後誰もいなくなった上、道がだんだん険しくなり、往路と違う事に気が付いたという。また何度も登ったり下ったりしたとも言っていた。30代前半の都会から来た女性は、急遽この登山に参加したもので、白山はもとより、登山は初めてらしい。ズックスタイルに、何が入っているかわからないが、小さなリックを担いでいた。視界が無く、彼女にしてみれば、どんな道筋でも険しいものに感じたに違いない。しかし、ここで出会ったのも何かに縁なので、小道具を貸し、3時間掛けて別当出合までエスコートする事になった。雨に打たれ、滑りやすい岩の上を歩き、また、最愛のご主人と別れ、見ず知らずの者に命を預けたこの体験は、彼女の人生観に影響があるかないかは、我々の感知するところではないが、また機会をつくって、楽しい山登りをして欲しいものだと願わずにはいられなかった。ところで、若き彼女のご主人は、別ルートで右往左往されたようで、1時間近く後から、疲れ果てて戻って来られたが、お互い何も無かった事を確かめて、我々は一足早く、夕暮れの凄い雨の中に車を走らせた。



8/24 意外なほどに今日はお天気がもった。明日も、雨へのシナリオが遅れそうである。そして、信州の方が晴れマークで降水確率も低く、何度も企画を断念している「経ヶ岳」に心が動いたが、道程が長いのと実況天気図や衛星画像では、必ず何処かで降雨に曝されるような気がしてならず、最初から雨を覚悟していた「白山」に決めた。私は高岡から登山口まで近い飛騨側から、「山ノ神」は、何となくなだらかなイメージがある加賀側からのルート望んでいるが、明朝の出発時まで決まらないであろう。来週も、日光の山々に出掛ける事にしているからか、明日の未明発の信州行きに乗れなかったのは、やはり疲れのせいか、遠出の意欲が衰えてきたのかもしれない。 p.m.10:25



8/23 今日は朝からとても良いお天気で、気温もうなぎのぼりである。今夏の悪天で、ウズウズしていた人達が、一斉に山に出掛けたと思われる。“ こんな日に山に行かないなんて・・・・・” “ あっ~余計なお世話か!” 反対に当方の精神衛生上は極めて悪い。明日からお天気が崩れ、明後日の我休日は雨なのである。またまた雨の山行になり、出掛ける範囲が狭められ、当然歩行距離が短くなる。
「山ノ神」“白山にしたら?”
「元ちゃん」“雨だぜ!”
「山ノ神」“何時も白山は雨じゃない! 去年は雷のおまけまであったよ! 雨でも、お花があるじゃない!”
だんだんと山にのめり込んでいく「山ノ神」に恐怖を感じている。ガケから突き落とされるとか、多額の保険を掛けられているとかの恐さではなく、「聖域」を狭められて行く無念さと、スローペースに同化されていく事である。しかし、お花を楽しんだり、人との新たな交流が生まれたりして、それなりのメリットがあるのだが、魔術に掛かり「山ノ神」指導の山行だけは避けたいと今から警戒している。 p.m.1:30



8/22 「山ノ神」が珍しく、“ 独りで何処か行きたい所があるか?” と問い掛けて来た。“ 日頃は何時も一緒で、行きたい所へも行けないだろう!” と付け加え、自由にしてやるというのである。また、労をねぎらい尚且つ、自分の行きたい所へもの考えであるようだが、日頃から「独立の勧め」を提案している私だから、一向に構わないのである。出来るものなら、毎月1~2回そうであって欲しいと願うものである。私の友人で、良き山の理解者でもある「春ちゃん」は、全く私と逆で、山に興味を注がない妻君を、あの手この手で、山に誘い込もうとしているのである。自分の事はあまりよく分からないが、他人の事は可笑しいくらいに良く分かるものである。 p.m.11:35



8/21 ハイウェーカードが発売中止になる最終日に5万円のカードを買った。前のカードの残りを含め7万円程で、来年2月までの遠方への山行に備えた。山梨2回、群馬2回、長野と新潟各1回、奈良・和歌山県境と秋田・山形県境にも出掛けたが、天候不順の事もあり当初計画通りに山行は行われておらず、まだ半分の未使用分がある。最も下道を利用するなどの「努力」が余力を残している事になる。しかし、日光や甲信越方面などに使用すれば、あっという間に消化してしまうであろうが、残るようだと元気でないと言う事になる。あそこへも、ここへも行きたいと、希望は果てしないのだが・・・・・



8/20 また誕生日がやって来てしまった。毎年その記念日の感激が薄らいで行くが、自分を見つめ直す良い日かもしれない。三人の子供達のうち東京の長女と、大阪の長男からお祝いのメッセージが届き、「山ノ神」は近所の回転寿司に招待してくれたが、嬉しさの反面、次々と訪れる家族の誕生日が重苦しく圧し掛かってくるような気がしてならない。何歳になったか分からない程のボケた頭と、過去は結構自慢であったその顔を、そーっと大きな鏡に映して見たが、これが我が容姿かと改めてがっかりした。風前の灯の髪の毛に、しわの寄った真っ黒な顔、そして何時の間にか背も丸くなったような気がする。一ヵ月後に800~900キロの遠方からやって来る涼子女史一行が、白馬にまたがる星の王子様を描いていてくれたら、山行のためとは故、それは大変な事になる。しかし、何時まで続くか分からないが、何年後かに「元ちゃんの山歩き」が「元じいの山歩き」になるかもしれないなどと話題にしているくらいだから余計な心配なのだろうか?? p.m.11:20



8/19 盆休の山行(鳥海山・月山)の走行距離は1062キロであった。暗い夜道で景色が見えなくても、新しい地名を見る度に、また違った征服感を感じてしまう。ここは、我々のバージンロードなどと、古い言葉を引用しながら心は弾むのであるが、帰路は寄る年波に勝てず、辛いハンドル裁きになってしまうのである。往路が「小杉~中条」高速区間を、復路は「新発田~朝日」にしたり、また雨の追い討ちもあったが、月山から降りた鶴岡市街地から、我家に戻るのに9時間を要してしまった。雨が降らず、計画どうり新潟の二王子岳に登る事が出来れば、スケジュールにも余裕が出来たのであろうが、“ お前は山では、遭難するとは思わないが、車で遭難するのではないかと心配だ。” と何時も気にしていてくれる友人の言葉が、今回は本当に身にしみた。



8/18 2時間程の睡眠時間が三日間も続くと、身体のあちこちに警告のシグナルが表れる。未明の午前3時に床に着いたが、HPの更新が気に掛かり6時頃には起き出した。しかし目が開かない。大好きなコーヒーを飲んだら胃がピリピリとする。健康に良いなどとは言えない山歩きになっているかもしれない。昨夜の雨で、第三の目的「二王子岳」を、諦め帰高したが、意外と悔しくはなかった。雨の合間に「鳥海山」と「月山」に登れた事がとても嬉しかったし、新潟の山を残した事は、今度の山行で知り合いになれた長岡の杉本夫妻に、また会える楽しみが出来たと言うものである。その「二王子岳」の替わりになったのが、またまた雨の白木峰。どんなに疲れておろうが、休日は山に行く!・・・私の持論「一日中、強い雨が降り続くわけがない。小降りになる事もあれば、一時でも止む事もある。」のように、着込んだ雨具を脱ぎ、風のない風衝草原の木道を歩いた。林道のソバナと、草原のリンドウが、我々を迎えてくれたようで、もう「小さな秋」があった。 p.m.9:30



8/17 スヤスヤ眠る「山ノ神」を横目に、私はなかなか眠れなかったが、少し横になっただけで山歩きには支障がない。杉本車に先導されながら、「月山高原ライン」に向かう途中、何処にでもあると思っていた食料調達のためのコンビニが意外となく、“ この辺にはねぇー ” “ 15分程街部に戻らなければ ” とハプニングに見舞われたが、八合目の登山口に着いた時には、昨日登った「鳥海山」が、富士山のような山容を雲海の中に頭を出していた。雨の心配も少しはあったが、昨日のお花の山の続編のような山歩きは、杉本夫妻との会話も弾み、我々だけの山行と違った楽しみを与えてもらった。ハクサンフウロやハクサンイチゲが多く、その群落に月山に登りながら、白山の名を呼ぶ不思議な現象に、南限である事に理解を示した。信仰の山だけに白装束の方々の多く出会うのではないかと思っていたが、私の予想範囲以内のもので、頂上の有料の神社を除けば宗教色を感じさせなかった。登山口に戻った頃から降り出した雨は、鶴岡の市街地に出た頃から本降りになってしまい、明日の目的地「ニ王子山」のある新発田市に着いた頃は、日が落ちた中の土砂降りでは、士気が下がってしまい眠い目を擦りながら高速の人となった。



8/16 「おけさおばこライン」と称されている国道7号線から直接「鳥海ブルーライン」に入れたのだが、十六羅漢岩の従来の基点(日本海)から、ブルーラインに入った事になったが、時間的にはそんなに問題になるようなものではなかった。最近まで有料道路だったらしく快適なほどに、一気に登山口である標高1160mの「鉾立」まで上げてくれた。そして、我々の願いを受け入れてくれたのか、「快晴」のおまけ付である。石畳が敷き詰められたように整備された登山道に、噂どおりの花の山、また百名山ブームも手伝って、多くの登山者が押し寄せていた。千蛇ヶ谷コースに外輪山コースと、今度何時来れるか分からない愛らしい山に、12時間とたっぷりの時間を掛けた山歩きになった。山中で知り合った新潟県長岡市の杉本夫妻に、酒田市内のホテルまで紹介して頂き、それこそ新婚旅行以来、山小屋かテントの中でしか泊まった事のない我々に、貴族になったような夢を与えて下さった事に感謝! その杉本夫妻に、明日も「月山」へ同行して頂く事になった。



8/15 盆休に入っても目的地を決めれなかったが、山形・秋田方面が、聊か他よりも好天の可能性が高く、秋田・山形県境の「鳥海山」と、山形の「月山」を目指す事にし、帰路に新潟・下越地方にある「ニ王子岳」にも希望をもたせたスケジュールになった。夕方発になったため近年には珍しく高速「小杉」が基点となる。北陸道に日本海・東北道が「中条」まで繋がりお金を出せば楽チンだったが、その先が長かった。高岡発午後4時半過ぎでも、国道7号線・道の駅「鳥海」に辿り着いたのは、午後11時を遥かに回っていた。コンビニで買った冷たいビールを飲んで、こっそりテント中で休むつもりであったが、車の出入りが多く、またバスのアイドリングの音が大きくて全く眠れず、またしても辛い山歩きが待っているようであった。



8/14 どうしようか? 頭が痛い!! p.m.11:55



8/13 盆休中(8/15~8/18)の予報が悪い方に変わって、“うーん!”と言いたくなった。こんな時にしか行けない東北の「鳥海山と月山」か「吾妻連峰」の山旅、または「北アのど真ん中」か「剱沢か雷鳥沢で、のんびりキャンプ」など、未だに候補を絞り切れずにいたが、そのムードは途切れそうである。そうなれば、日帰り登山のレンチャンになる可能性が出て来た。まだ一日の予備があるが、貧乏山行のクセはとれず、他人が羨むようなスケジュールにはなりそうもない。 p.m.11:30



8/12 昨日の午後4時半頃にガスで何も見えない「南保富士」の頂きに立ったが、「越中の百山」の橋本廣氏の記述による朝日町南保地区の人達が、二王山の山容が美しく南保富士と呼んでいると記憶していたので、何時の間にか二王山と南保富士は同じピークだと思っていた。帰宅して改めて地形図を広げてみると、南保富士のやや南に57m高いピークがあるのを確認しチョッピリ残念!広葉樹が多く紅葉時には、きれいな山を見る事出来るのではないか思って登っていたが、雪ある時に、また登り直さなければならなくなったかもしれない。 p.m.11:40



8/11 今日は体調が悪かった。疲労がたまったのかもしれないが、目がさめても身体がついて行かなかった。でも何処かへ行きたい気持ちは強く、午前10時発で僧ヶ岳に向かったが、1,403mの広場(第三登山口)で通行止の看板に(行けたかもしれないが・・・・)やめてしまった。正午を過ぎていて、烏帽子口まで行けないとなると「山ノ神」同行では登頂も覚束ない。たまたま、その広場に剱岳山行の訓練のために訪れていた、黒部の北山ご夫妻と話し込み、何と我が親友である「よっちん君」と知り合いであると聞き、びっくりしてしまう。その後、何としても「お山のてっぺん」に登りたい我々(「山ノ神」の気持ちは計り知れず!)は、13年の2月中旬に登った事がある「大鷲山」の林道沿いに登山道が出来たと聞き、境川流域の大平集落から林道烏帽子山線を辿ったが、それらしきものを見つける事が出来ず、今度は、そのまま「笹川」から南保富士を目指す事にした。三峯グリーンランドの駐車場を経ったのが午後3時で、登山口には3時25分と、午後からまたは、夕方から雨の予報のごとく、何も見えない樹林の中に入っていった。登山口では、「山ノ神」が、“ これは小熊の足跡だ。”と言い一瞬緊張させたが、“ 何が何でも登らなくっちゃ!” と蒸し暑い中、また露を払っての登高となった。イヤイヤ登ったように見えた「山の神」ではあったが、以前も途中でリタイヤの経験のある南保富士だけに、薄暗く何にもみえない山頂であったが、感慨深いものがあった事だろう。 p.m.9:50



8/10 稜線を歩き通すも良いし、お花畑にうずくまるのも良い。自分の気に入った所で長く腰を降ろすのも良いものであるし、吹っ飛ばして時間を争うのも面白いかもしれない。他人に迷惑を掛けなければ、どんなスタイルでも良いであろう。でも、不思議なもので、自分のやっている事を、何処かで認めて欲しいと思ってしまうから厄介なのである。 p.m.11:25



8/9 暴風圏に入っていながら、雨も降らず、風も吹かなかった。今度の台風は本当に何か変だ!台風一過という言葉が当てはまるのかどうかわからないが、明日のバンバンの晴れの予報も、本当にそうなのか当日になってみなければ信じられない今日この頃の予報である。でも、きっと明日は多くの方々が山に向かわれる事であろう。明後日の我々の山行は、予定表に「金山・天狗原山」になっているからであろうが、お花の開花などの詳細を4名の方々から情報として頂いた。過去は二度とも7月下旬ばかりで、8月に入ってからの金山・天狗原山は未経験であるから、心は傾くのであるが、他の山の魅力にも迷わされ、決定は明晩までずれ込みそうである。また、盆休(4日間)も、果たして4日間も家を空けてもいいのかとか、人込みの中が苦手な私だけに、なかなか候補を集約出来ないでいる。東北の山々や、黒部の奥もいいが、雷鳥沢や剱沢でのんびり過ごすのもいいと思っている。しかし、最悪の場合は全部日帰りになるが、山に出掛けない事は、動けない病気でない限りありえない。 p.m.11:45
br>

8/8 昨年二度も、「烏帽子岳・野口五郎岳」に登り損ねた「ターさん」に、日帰り挑戦を提案した。今度の我々の経験から、黙々と歩く彼ならば、ブナ立尾根往復5時間、烏帽子小屋から烏帽子岳往復1時間強、烏帽子小屋から野口五郎岳の往復5時間、高瀬ダムから登山口まで往復40~50分の計12時間であるが、七倉の始発タクシーが午前6時半、最終の高瀬ダム発のタクシーが午後7時である事を考えれば問題ない。時間内に休息、写真撮影を充分とは言えなくても、速く歩けさえすれば取る事が出来るし、最終のタクシーに乗れなくても、1時間余自動車道を歩けば七倉に着く。雨を敬遠し、アルコールも飲まなく、只管ピークを目指す彼には打って付けの企画であると思うが、どんな返事が来るか楽しみである。(私達は2倍近い時間を要しているが・・・・荷を軽くして単独行ならの思いである。)私達が七倉に到着した早朝に、中房温泉から槍ヶ岳を経由して、七倉まで一日で到達したという若者に出会った。表銀座・裏銀座を一日で歩き通した事になるが、七倉に泊まった彼は、なおも大町まで歩くと言っていた。ナップサック一つの軽装で、高山植物などは眼中になかったようであったが、その稜線を歩いたタイムが彼の勲章なのだろう。また、5年前の10月中旬に白馬岳の三国境で、山登りを始めたばかりの青年に会った。何処から来たのかと尋ねると、昨日蓮華温泉に着いて今日扇沢に帰るのだと言う。どうも納得のいかない私は、車で蓮華温泉で来たのかと聞き返すと、扇沢から鹿島槍ヶ岳・五竜岳・唐松岳・白馬岳を経由して蓮華温泉に泊まり、今日はその帰りだと言うのである。もちろん夜中から歩いているのだが、この時期に本格的な雨具も持たず、若さだけで踏破する勢いは羨ましかったが、何もなければと願ってしまった。甘いもすっぱいも知っている「ターさん」だからやって欲しいと願うのは、私より10歳も若いからである。 p.m.7:30



8/7 私の山仲間に、“ 表銀座と裏銀座は何処から何処までか?” と時々尋ねるのだが、なかなか明解に返答してくれる人がいなかった。最も、私もその類であった。先日、野口五郎小屋で宿泊した時に、その事を山小屋の管理者に尋ねてみた。表銀座は、燕岳(合戦尾根)から槍ヶ岳までで、裏銀座は、烏帽子岳(ブナ立尾根)から槍ヶ岳までであると言われた。針ノ木・蓮華・七倉・船窪などは入らないとも言われた。ならば、烏帽子小屋から南沢岳方面に延びている烏帽子岳のピークは入るのか入らないのか尋ねるのを忘れてしまっていた。それでは、三大急登とは何処かと尋ねたら、燕岳への合戦尾根と、烏帽子岳へのブナ立尾根で、昔は針ノ木岳の登り(大雪渓なのか?)を加えたものを言ったものだそうだ。それならば、剱岳の早月尾根や甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根など・・・羅列しようとしたら、それは北アの信州側を意識して呼ばれたものであるらしいとの事。この件に関して、ご存知の事があれば教えてください。 p.m.5:50



8/6 高瀬ダムから七倉まで歩いたのが余分だったのか「山ノ神」は、床に物を落としたのを拾うのに苦労している。私は、耳に日焼け止めを塗るのを怠ったためか、右耳が虫に刺されたかのように痛くて痒い。それくらいはよくある事で、心配したお天気も大崩れせず、まずまずの山行であった。何時もの事だが、世の中の重荷を一身に背負っているかのように、「山ノ神」の下から睨み付けるあの目は、もうこんなに辛い山になんか来るものかと言いたげなのに、それから解放されると、あの山にもこの山にもと欲が出てくるらしい。これは、誰もが一度通った道なのかもしれないが・・・・・・おそらく、近年まで烏帽子岳や野口五郎岳が、何処にあるのかも知らなかったであろうし、ブナ立尾根の名も知らなかったであろう。この「山ノ神」に解放(釈放!・・・)されたいのだが、“ 今度は何処へ行く?” などと、毎週どころか、毎日のように「山の話」になっているのは、ある意味では幸せなのかもしれない。



8/5 疲れ果てた身体でも、夜中のトタンに打ち付ける雨の音に何度も目がさめた。夜が明けて、雨が止んだものの小屋の外に出て見てもガスで何にも見えなかった。しかし、食事中に、予報を覆すように空が急に明るくなった。これは “儲け物” とばかりに野口五郎岳に登った。早朝の風は、少し強かったものの飲み過ぎた身体には丁度良いくらいで、二人で期待していなかった展望を楽しんだ。目の前に大きく水晶岳、その右に連なる憧れの読売新道(赤牛岳)、その後方の薬師岳は、白い雲に覆われて全容を現さなかった。しかし、ずーっと左に戻ると、独特のカールの黒部五郎岳の形も良かった。圧巻は、少し遠いが映画のスクリーンのようにガスが切れ始めると槍ヶ岳が現れ、暫く呆然と見入ってしまった。光の関係で餓鬼岳や燕岳などは、黒く映る稜線としてしか楽しまれなかったが、右奥におそらく大天井岳や常念岳、また黒部五郎の左奥に、笠ヶ岳が頭を浮かび上がらせた。水晶岳方面からにしても、烏帽子岳方面からにしても、この野口五郎岳まで辿り着くには、相当の時間が掛かり、我々だけの独占になってしまった。当初の予定では、竹村新道を下り湯俣から高瀬ダムに出るつもりであったが、同泊した登山者から脅かされた「山ノ神」は、同コースを嫌がり、雨も予想された事もあったが、昨日歩いた裏銀座の一部の稜線を、もう一度、時には花と戯れながら、またコーヒータイムと称してゆっくり山の味を楽しみながら歩いた。烏帽子小屋に辿り着いた頃から、雨になったが、昨日私独りが烏帽子岳の山頂に立っただけで、「山ノ神」が “オべりクス” と称する山容を見せてやりたく、雨具を着ながら、ニセ烏帽子でガスの切れるのを待った。不思議な事に、また岩肌の山容がガスの合間から見る事が出来、「山ノ神」はそれなりに感動していた。ブナ立尾根も難なく下る事が出来、その余勢と話題作りのため、高瀬ダムから車の待っている七倉へ歩いたが、タクシーで追い抜いて行った大型バスの観光客が、七倉で「速いのね!」などと、珍しさも手伝ったのか、私達を喜ばせる会話を持って近付いて来た。



8/4 午前2時過ぎに高岡を出発したが、何時もとは違い高速を利用したので、最終駐車場の七倉には3時間で着いてしまった。もっと早く来て、自動車道を(許可したタクシーと工事車両だけ)歩く事も考えたが、野口五郎小屋まで行くのには、リスクが大き過ぎるためタクシーを待った。ロックフィルのダム部分に自動車道が付けられているのにも驚いた。長いトンネルを抜け不動沢・濁沢を渡ると裏銀座の基点ブナ立尾根の始まりである。三大急登の噂高いブナ立尾根ではあるが、いろいろなHP上や諸先輩方々の情報では、“思うほどでもない。”の通り我々のチン道中でも、4時間強で登り切る事が出来た。烏帽子岳のピークへは、野口五郎小屋へのロングランに備えるため「山ノ神」が辞退し、私が独りで出掛ける事になったが、頂上へあと450mの地点で、雷鳥親子が砂浴びに興じていて、登山道を封鎖されてしまい、私もついカメラと共に戯れてしまった。荷を担ぎ首から2台のカメラをぶら下げていては最後の岩場のトラバースには都合が悪かった。“1時間半で戻る。” と口にして出掛けていたので、食事もビールも口にする時間がなくなり、最後はぬるいビールを飲みながら烏帽子小屋に戻った。一方、ビールをとっくに飲み干してしまっていた「山ノ神」は、戻るのがこんなに遅いのでは、野口五郎小屋へ行けるのだろうかと心配顔であった。いくつものアップダウンがあっても、高が標高差350~400mと思っていたが、結構厳しいものになってしまった。最後は案の定、「山ノ神」が座り込んでしまい、またしても、その荷を私が担ぎ上げなければならなくなってしまった。午後5時過ぎの遅い到着になってしまったが、小奇麗で小さな山小屋は、我々を暖かく迎えてくれ、ぐーっと飲み干した冷~たいビールはお腹の何処へ行ったのか分からないくらいだった。



8/3 私が行くと言ったら決まりである。“ 嫌ければ来なくていい!” とでも言えば、また一週間沈黙の日々が待っている。そこは我慢で、“ 重いものは私が担ぐから、なるべく降らないうちに、野口五郎まで行ってしまおう。” となってしまった。山好きの「山ノ神」ではあるが、蛇、岩場、ガラ場、急登の他に雷も苦手なのである。烏帽子小屋から野口五郎小屋までの稜線漫歩は良いにしても、ルートから外れる烏帽子岳付近の岩場はオミットし、待機中に「山ノ神」単独の宴が始まるかもしれない。そのような楽しみ方に酔ってくれればいいが、風雨に曝されれば、どんな言葉が返ってくるかわからない。始めから“君の行ける山ではない。”と言えたのが、遠い昔となってしまい私の「聖域」は益々狭められていく。 それにしても、満天の星の期待は、今の予報からして、とても無理のようである。 p.m.10:00



8/2 ようやく夏がやって来たような暑い日になって、今日など山に出掛けた方々は、強い日差しを受けて、それなりに満足だったのではなかろうか? しかし、我が家は大変である。午後7時のニュース前の天気予報で、明日はまだしも、月曜日は曇り、火曜日は曇りから雨で降水確率は高くなった。“尾根歩きに雨は禁物! 増してや、長いコースだけに傘マークが取れない限り中止” だと「山ノ神」は言う。山には雨は付き物だと言う私と意見が違ってしまった。もっとも、「山ノ神」にしてみれば、長い行程に、自分が付いて行けるかという疑念が複線としてあるからであろう。どちらにしても、明日の予報待ちになってしまった。 p.m.8:15



8/1 8/4~8/5は、裏銀座の「烏帽子岳・野口五郎岳」に出掛ける事にした。野口五郎小屋までは、烏帽子小屋から烏帽子岳の往復も加えると、ガイドブックにもよるが、コースタイムが10時間を超える。また七倉から高瀬ダムのタクシーの始発が、午前6時とも6時半とも言われている中、さすがに貧乏山行の我々だが、ロングコース故夜明け前から歩きだす気にもなれない。三大急登のブナ立尾根を一度は登ってみたかったし、裏銀座もあこがれのコースでもある。持久力が勝負だけに、「山ノ神」にも「行ける!」とハッパをかけているが、天候と同じに直前になって「止~めた!」もありそうである。 p.m.11:55