9/30 大猫山での「山ノ神」の後遺症は、階段の登り下りの大腿部の痛さだけでなく、朝食や昼食にまで及び、その主食は、昨日山行での残り物となった。それはそれで一向に構わない。最近は、何だか食べ過ぎで、お腹のあたりの弛みが気にかかるところであったから、ちょうどいいくらいだったかもしれない。山の帰り道に、山の店によって、軽登山靴を買った。二年チョット前に買ったものと同じ物だったから、その感触を確かめるだけであったので、一分間も掛からなかった。「山ノ神」は、オールシーズン履いている靴のため、何を買うか迷ったが、今使っている靴の底を張り替える事にし、無雪期用として軽登山靴にした。「山ノ神」は凄くご満悦で、鬼のような顔が、何時しか幼き少女のような笑顔に変わっていた。



9/29 今回も晴れを信じていたのに、またしても裏切られた。早朝、富山に入ると何時しか星もなくなり、暗くなって雨である。上市市街地を抜けると雨はやんだが、とても「剱岳」が楽しめるという空模様ではなかった。「山ノ神」の登れない山の一つ、「大猫山」を援護する事になったが、1500mから、無常にも雨。雨具を着込まなければならなくなった。剱岳どころか、猫又山も釜谷山も何も見えない。寒い山頂で3時間粘ったが同じであった。救いは当初6時間の行程を見込んでいたが、雨具をつけて4時間半とは「山ノ神」も意外と頑張ったものである。(もちろん、標準タイムより遅いのだが・・・・)また、下山時に、一瞬のガスの切れ間から、大猫平の全容を見る事が出来も良かったようである。何とか登れた大猫山へ、ハクサンコザクラが咲く頃に、もう一度来て見たいと言ったが、私はもちろん即答を避けた。雨に濡れた登山道は滑り易く、登りに要した時間とあまり変わらず、1500mからは益々雨が強くなり、最後には霰まで混じり薄暗い登山口に着いたのは、出発から11時間後の午後5時20分頃であった。「山ノ神」の大猫山の感想は、“ まるで大根っこ山だ!” であった。 山は不思議なもので、偶然お会いした福井の遊山行5人パーティーが、山の友人松尾氏の知人であったのもラッキーで、昼食時には大変なもてなしを受ける事が出来、とてもハッピーだった。



9/28 “上ばかり見ないで下を見よ!” これが持論で、“今が最高と思えば”、この世の中捨てたものではない。羨ましがってばかりいては、らちがあかないし、やる気もなくなり、衝突も起きて来る。「山ノ神」との摩擦(?)も、結局は、欲望ばかりが一人歩きし、体力の劣る「山ノ神」への思いやりが足りなかった事になる。“だんまり”は辛いと、音をあげ出した「山ノ神」と、暗黙の和解が出来たようなものだが、明日の山行の時間と、目的地だけを行ったが、「山ノ神」不得意とする山だけに、行くの反応は未だない。 p.m.9:45



9/27 お天気がしばらく続くようである。しかし、明後日だけ(私の休日だけ)お天気が悪い事は何度もあるし、山の上は行ってみなければ何とも言えないのである。先日の朝日岳の上部では、紅葉が始まっていた事だし、ここ数日の気温からして、お天気が良ければ、高所での紅葉を楽しむ事が出来るのではないか! 我家ではお互い“だんまり”になってから4日目、「山ノ神」からの譲歩の兆しが伺えるが、ここはじっと我慢である。2週間(3休日)別行動だっただけに、今度の休日も別行動になると、「山ノ神」にしてみれば、既成事実になる不安と、単独行するレパートリーが底をついて、車があっても、山中には行きにくくなるのであろう。私も長引かせるつもりはないが、たった一語の言葉尻を掴まれて、不幸な期間を作ってはお互い不幸である。夫婦だから何もかもが許されるとは思わないが、もうチョット優しさというか余裕が欲しいものである。事ある毎に、私は常々「独立の勧め」をしているが、自立とはとらず、邪魔者扱いととられては、私の思いが届かないようである。 p.m.3:20



9/26 先日、帰省した娘が、Internet Explorer(インターネット エクスプローラー)より、Netscape(ネットスケープ)の方が、セキュリティーや利便性も良いと、我PCを両方とも使えるようにセットしていった。Netscapeで、我HPを見たら、メーンページのロゴが不揃い、しかし、「とやま山歩き」や「リンク集」などの、タイトルと諸表の間の空き過ぎが解消されている。「タグ」を打って、書き続けているHPの良い所と悪い所が、同時に表れた事になる。Netscapeの娘は、ガタガタのメーンページしか見た事がないと言う。やっぱりHP支援ソフトを使った方がいいのだろうか? では、マックの方はどうなのであろう。見られているPCの解像度によっても、映りが違う事は知っていたのだが、この度は愕然としてしまった。さて、今度の休日は、このまま成就すれば、大猫山か猫又山に、和解が成立すれば、ランクを下げなければいけなくなる。本当は、病院に行って今後の段取りを付けなければいけないのだが、未だ歩く事に支障がないから、もう少し秋を楽しもうかと欲張りな考えでいる。 p.m.3:40

9/25 山行報告(山紀行)を綴らないせいか、最近は当欄に目が向くらしい。当欄では「山ノ神」が、時の人なのであるが、直近では私の宿敵である。今度新たに立ち上げる時は、「山に関する毎日のコメント」から、「山ノ神との闘争」とか「山ノ神との戦い」にタイトルを換えた方がいいかもしれない。相手のダンマリが、このまま続けば、次の休日は思いのままで、タイミングよく「晴れマーク」が輝いて見える。ならば、長く縛られていた「翼」の修復にかからなければいけない。別居の語句にビックリの方もあるかもしれないが、同じ家に住んでおり、食事も出してもらっているのである。只、会話がなく、意思の疎通が不完全なため、ギクシャクしている事には変わりはない。当欄で手の内を明かすと、相手のPCからHPの情報を探られ、逆襲のカウンターを食らう事を、覚悟しなければいけなくなる。ところで、こんな犬も食わぬ話をいい加減にやめて、本来のHPのメーンであった山行報告なるものを充実させなければ、それこそ皆様に愛想をつかされるかもしれない。また、この結末が良き方向に傾き、山中で肴にされるようなら、ある意味で私は幸せなのかもしれない。 p.m.11:00



9/24 恥ずかしながら、「山ノ神」と別居生活に入った。言葉足らず、いや、今回は一言多かったらしいが、どちらにしても些細な事なのに、相手にしては我慢しきれないようである。爆発すれば短期間で終結するのであるが、だんまりの長期戦になりそうである。2年ほど前であろうか、「山ノ神」が身を隠した事があるが、自分の兄弟や友人の所でなく、選りによって我親友の所であった。例え兵糧攻めにあっても、私は絶対に白旗を揚げないが、相手は山行日に必ず帰って来るのである。過去のサラリーマン川柳に、「プロポーズ あの日のかえって ことわりたい」とあったが、お互いその気持ちを持っているようであるが、どちらがプロポーズをしたか、今では風化されて定かでない。こんな事を当欄に載せるから近所の知人からお見舞があったり、偵察を受ける事がある。私は山に登って、“ 蟻のように見える人の姿を見て、あんなちっぽけな人間の悩みなんて大した事がない。” などと思うようにしている。悩みも何時しか汗になって流れるように思っているのだが、怨念だけはダメなのだろうか・・・・・傷口を更に広げそうである。



9/23 私の体調を気遣い連休を利用し帰省してくれた娘。なれどオヤジは雨の中を山に行く。“東京に来ないか?” “娘がどんな所に住んでいるのか、気にならないか!” と言う娘に、“山に行く時間がなくなる。”“ そのうちに!” などと言うオヤジに愛想を尽かしているだろうが、往復3時間以上掛かる小川温泉までの迎えに一役買ってくれた。そんな私が、蓮華温泉から戻ってから、焼肉屋に招待してくれたが、多くも語らないで、飲んでばかりいるオヤジに、彼女は束の間の安らぎを得る事が出来たのであろうか? そして、今夕再び東京へ発って行ったが、見送りも出来なかった私である。さて、「花じい」は、客人を連れ、県内の里山や名所を、午前6時半から案内してくれたようである。また皆様が覚えていておられるかどうかわかりませんが、以前、「花じいのHP」小話大賞の企画で大賞を得たのが、今回、遠~い山口からおいでになった涼子女史である。その副賞にラーメン券が付いていて、その「ラーメンを食べに来る」の大義名分が、今回の朝日岳山行と繋がっているのである。そして、その企画に携わっておられた笠間氏とも昼食時にお会いになられ、また太いパイプが繋がったようである。夜は私の仕事を考慮されて、高岡で朝日岳山行の打ち上げをする事になり、「山ノ神」も加わって、久しぶりに街の居酒屋で大いに盛り上がった。山は、年齢も経験も性別も関係なく、心を分かち合える不思議な所である。



9/22 気温は1℃。外に出ると飛ばされるような強風。未練はあれど、雪倉岳稜線歩きを諦め、一番安全な小川温泉へ下る事にする。そうなると、北又から小川温泉までタクシーに乗るとしても、蓮華温泉まで車を取りに行く手段がない。いやはや、またまた「山ノ神」の登場である。「申し訳ないが、小川温泉まで迎えに来てくれないか?」今回の山行から外した故、余計に頭を下げなければならない。それを察してかどうかわからないが、ゆかりさんが、“ 「山ノ神さん」とお会いしたかった。来年は「山ノ神さん」と是非一緒に来て下さい。” と「山ノ神」がヤッホーと飛び上がるようなメッセージと共に、朝日小屋の名入りバンタナのプレゼントがあった。寒くて強い風の中、快く記念写真撮影に応じて下され、姿が見えなくなるまで見送って下さったゆかりさんは、人気に驕る事なく接して下され、また行きたくなる山小屋となった。時が経つに連れ、相変わらず強風が吹き荒れど、昨日と打って変わった良きお天気に、行くはずの稜線を眺めながら、何時しか無念から、夕日ヶ原に入った頃には、ホットな気分に変わっていた。樹木を観察しながら、適所ではコーヒータイムなど、昨日の冷たい雨の中の食事タイムとは、天と地の差を感じずにはいられなかった。小川温泉まで、帰省中の娘と共に2台の車で来てくれた「山ノ神」に一台の車をもらい、再び蓮華温泉まで4人が乗り込み車を走らせた。車中で昨日雨天で見えなかった、大きく迫る「雪倉岳」右奥に「朝日岳」を望みながら、思案した白高地沢は何処だろうと目で追っていた。帰路は、高速を使わず、栂海新道の基点「親不知」に行き、日本海のしぶきと戯れたが、日本海が二度目だと言う所長の目には、黄昏の荒波はどのように映ったのであろうか?



9/21 「朝日岳」行きは最初から雨。蓮華温泉から雨具着用の山行となる。台風が東に逸れる事を願いつつ、橋が流されている白高地沢の渡渉が心配であった。「シュンちゃん」からの情報が奏効し、100mくらい上流の大きな石の所を回り込む事に成功し、ザイルを出す事もなかった。山口からお越しになった涼子女史と、樹木の専門家「このきなんのき」所長が母と息子、その所長と「花じい」が、知人であるという不思議な取り合わせのパーティーは、2時間歩いても登山口の蓮華温泉の標高より低い白高地沢から、カモシカ坂・五輪尾根に取り付いた。花の事なら何でも知っている「花じい」と、専門家の所長、そして、その母であるから、新たな樹木や花が目に入ると、当然足が止まりその「勉強」となる。しかし、その費やした時間を、足早にすぐ取り戻してしまう健脚揃いであった。今年の冷夏の影響は、この時期でも多くの花を残していてくれ、遠方からの友人の目を、大いに楽しませてくれたようであった。雨中の勉強と積もる話の熱気も、風が吹き抜ける山頂では、濡れた身体の体温を急激に奪っていった。やや遅い午後4時の朝日小屋到着だったが、笑顔の「ゆかりさん」が、勢いよく燃えるストーブと共に、我々を暖かく迎えて下さった。アットホームの様相の朝日小屋は、美味しい夕食とシュンちゃんからの差し入れで、疲れがいっぺんに吹き飛んでしまった。また、「元ちゃんの山歩き、見てるよ!」などとお世辞だと思っていても、シャイな私は、頭を掻きながら舞い上がってしまった。



9/20 “もっと東に進んで、日本列島から離れてくれ!” 東北東から何時北東に、台風の進路が変わるかヒヤヒヤものである。北の高気圧が負けなければ、少しは私達に味方してくれたようになるのだが、果たして・・・・・。折角の連休、久しぶりにパーティーを組めるのに、お流れになっては困るのである。蓮華温泉から五輪尾根経由で朝日小屋で泊、鉱山道で蓮華温泉に戻る予定だが、明朝空を見ながら、小川温泉・北又経由に変更になるかもしれない。「山ノ神」一行も明日の五竜岳(小遠見山トレッキング)を決行するようである。何時の間にか、あの人まで、雨の中を歩かせるようにさせてしまったのでは・・・ p.m.11:45



9/19 また嫌な時に台風が発生したものだ。予報がクルッと変わって、朝日岳行きを不安にしてしまった。蓮華温泉からの白高地沢の橋が、豪雨で流されてしまっていて、渡渉をしなくてはいけないのに、雨では、まるっきり予定を変更せざるをえなくなる事態も出て来た。未だ明かすわけにはいけないが、東京と山口のお客さんに、地元の有名ガイドが付く。私にはこの上ない楽しみの山行で、少々の雨でも出掛けないわけにはいかない。有名な「ゆかりさん」にも、お会い出来るのではないかと心が弾んでいる。 p.m.11:59



9/18 PCを始めて4年半、HPを開設して3年半余、皆様に可愛がってもらっているお陰で、アクセスカウンターが100,000件を超える事が出来ました。1,000件を超えるのに、7ヶ月掛かった事を思えば夢のようである。「山」に拘り続けている事の評価は嬉しいし、行き詰まった時の励ましも元気の出るところである。しかし、「ネタ切れ」は辛いし、過大評価は苦しい限りである。見たくも、知りたくもないであろう「山ノ神」との格闘?に、辛抱して読んでもらっているのは、自分で書いていながら苦笑せざるをえない。でも、当欄を通じて多くの友人を得た事は間違いない。たった一度だけと思われる方もあるかもしれないが、山ある限り永遠の友であり、そのメッセージは忘れない。10ヶ月前に母を亡くしながら、黙々と山に出掛けているのも、あの時の多くの激励があったからかもしれない。しかし、母の療養中も他界してからも、「山」、「山」と言っている私に愛想を尽かし離れていった友人もいる。でも、もう少し、私なりの小さな夢を追ってみたい!・・・・予想を遥かに早回る100,000Hitであったが、9/21~22の朝日岳方面の企画は、まるで、そのご褒美になるようなものになった。 p.m.11:15



9/17 一昨日に赤谷山頂で出会った男性の一言が悲しかった。「この山の何処がいいの?」それは、剱岳を始め、後立山連峰の展望を期待してからの言葉だったのかもしれない。何時間もかけて来て、何にも見えないなんての思いが強かったのであろう。“ だから何度も足を運ぶのではないか?” “だから値があるのではないか!” と言葉を返してあげたかったが、さっさと下って行く人に強要する事もなく、静かな高台で私だけの頂きにした。一度や二度登ったくらいで、その山がわかるものでもないし、何度も登ってみたいものである。目的を達成された時の感動は素晴らしいものであり、きっとその山の虜になる事であろう。私は、「富山にある山」を複数回登る事が夢であるが、しかし、まだ他に登っていない山や、登れそうにない山が多くあり偉そうな事も言えない。そして、日本中の山にも登ってみたいという欲望もあり、富山の山や富山近郊の山と全国の山との格闘が心の中である。積雪・残雪期は富山の山で、無雪期はアルプス行きの合間を縫って、全国の山巡りが最高なのだが・・・・



9/16 疲れた昨夜は早く寝てしまった。と言っても11時過ぎであったろうか! 今日は、あのヤブで、木々にぶら下がったりしたせいであろうか、二の腕や手の握力が可笑しい。また、足の裏に変な違和感がある。同じ昨日「山ノ神」は、友人と柏原新道から「爺ヶ岳」に登ったが、久し振りにコースタイムより、かなり速かったと有頂天であった。“あの辺はコースタイムが甘いのだよ!”などと言おうものなら・・・(怖いから)・・・そのまま聞き入ったが、その後が酷い。爺山頂を始め、下山後の道中、白馬、糸魚川、親不知そして友人宅に着いてからも、メールや電話が通じず、何かあったんじゃないかと思ったと言う。そして、友人と登山口の馬場島まで行こうと思っていたとまで言う。あの一帯は、電波の届かぬ「圏外」で、上市に近付かないと通じないのである。“崖から落ちたのではなかろうか?” “ 道に迷ったのではなかろうか?” また、“日頃から予定通り帰って来なくても、すぐ警察に通報するなと言っているし” などと次から次へと・・・しかし、当初の計画は、魚津に帰るのが、8時頃のなるかもしれないと言っていたし、こちらは、迎えに行くまでの時間を、どう潰そうかと考えていた事など忘れてしまっているようであった。それでも、心配してもらえるなんて、まだ有りがたい事なもかもしれない。そのうち“ 早、帰って来たがけ!” などと言われるのが落ちだ! p.m.5:00



9/15 あれだけ「晴れ」を確信していたのに、明け方の薄暗い道路に水溜りが出来ており、そして、フロントガラスに雨が落ちて来た。“ そのうち晴れるよ!” と思っていたがブナクラの駐車場に来ても、剱岳方面だけが黒い雲に覆われていた。レンズとコンロ類を外して臨んだはずなのに、寝不足やお腹の調子が悪いからか、いやにリックが重く感じられた。9時過ぎ標高2000m超した稜線上で、前泊の辰口氏が降りて来られたのと遭遇し、“ 今日は剱がダメだ! 昨夜は寒くてビールも欲しくなかった。”(彼は、赤谷山100回登頂を目指している。もう70~80回になっているはずだ。)などの立ち話をしばらくしてわかれた。赤谷山頂に立っても、後立山が、かすかに見えるくらいで、剱岳方面は、次から次へとガスが流れ込んで来る。山頂の「お地蔵さん」と、どうしたものかと、向き合って相談したり、記念写真を撮ったりして戯れていた。一瞬「白萩山」が見えたと思ったら、すぐ隠れてしまう。その繰り返しであるが、登山道があるわけでもないから不安である。コピーしたはずの「ターさん」からの情報を、PCの前に忘れて来たが、1~2度目を通していたからその概要はわかっていたつもりであったが、そんなに上手くいかなかった。やっぱり違った藪に突入してしまい、リックに付随する紐や三脚が絡み合って、ニッチモサッチモいかなくなる。戻って右手の踏跡らしきものを辿ったが、虫が多く目の中に入り難儀する。60m位下るのに30分以上かかってしまった。その後も、踏跡らしき草地をトラバースするのだが、“つる~っ”といくのである。山頂一つ手前のピークで、ガスの切れるのを待ったりした時間を含めて、「ターさん」が10~15分と言っていたタイムと程遠い1時間半を要してしまった。帰路も3ヶ所付けたマーキングが功を奏し、迷いも少なく赤谷山に一時間を要し戻る事が出来た。視界が悪かった事や、大き目のリックを担いでいたり、残雪がないなどの条件が重なったが、元々ヤブが苦手な私は、本当に疲労困憊してしまった。赤谷山に戻った午後1時に一人の男性がいたが、思いもよらぬ違った所から、変な者が上がって来たからか、さっさと帰って行ってしまった。別行動の「山ノ神」が、「ゆっくり行程」を考慮して多くの食料を用意してくれたが、ほとんど手付かずのままであったため、決して早い時間ではなかったが、一息つける事にした。冷たいビールも11時間を経過しているから、それほどのものでもなかったが、私の疲れ切った喉を潤すには充分であった。しかし、このビールは、飲んでも飲んでも、次から次と不思議なくらいに湧き出て来るのである。本当は、少し休憩してから歩き始めればいいのだが、時間的にそうもしておれず、歩き始めたのであるが、雲中をフワフワしているようであった。ブナクラ峠からようやく調子が出て車に戻ったが、何と11時間半も山中にいた事になってしまった。



9/14 明日は「山ノ神」が午前3時発、私は4時発の別行動であったが、買い物に出掛ける時に、「山ノ神」が乗る予定の軽自動車の前輪がパンクである。スペアタイヤに取り替えたが、どうも覚束ない様子なので、私が相棒が待つ魚津まで、送り届けなければならない。そうなると私はまたしても、2時台に起きなければならなくなった。それはそれで良いが、帰りも魚津まで、迎えに行かなければならなくなる。山の滞在時間はよく似たものとしても、あちらは長野県大町市で、こちらは北方稜線と言っても県内である。山中いるにしても限度があるし、お風呂か、山の店で時間を潰すしかないか! ・・・・・ 残雪期しか行った事のない赤谷山、そしてその先の白萩山は、どんな剱岳を仰がせてくれるのであろうか? p.m.10:55



9/13 台風の影響で、予想通り今日はとても暑かった。何と高岡は37.4度と日本一高温になった。その後一時的にお天気が崩れたが、明日・明後日は大丈夫のようである。明後日は、「ターさん」の情報を担いで、剱岳・北方稜線上にある私の未踏の1座を目指してみたい。しかし、如何に「越中の百山」であっても、お天気が崩れれば潔く諦めるつもりである。その日の「山ノ神」は、有志と柏原新道の「爺ヶ岳」へ行く事にしたらしい。 p.m.11:59



9/12 最近の週間予報は、まるでオセロのように、クルクルひっくり返る。強い台風14号も半島を通って日本海に抜けそうである。フェーン現象のため、乾燥・高温をもたらすであろうが、大きなお天気の崩れはないようである。また、多くの方々が意中の山に出掛けられるのであろうが、何事もなく平穏に過ぎてほしいものである。私の周りでは、今春大地・初雪山に、今夏は烏帽子岳方面に、最近は、剱岳早月尾根に集中している様子である。最近は、ガイドブックも良いが、HPを頼りにされるケースが多いようであるが、これも個人差が大きく、くれぐれも気を付けて選ばなければならない。さて、私が15日に出掛ける予定にしている山は、尋ねると幾つもあるのであるが、欲しい情報がない。では私が・・・・・p.m.11:59



9/11 最近私にメールを下さった徹ちゃんに、高岡の三千防山の事を尋ねた。彼は三千坊保勝会のメンバーで、会の名も山の名も「防」でなく、「坊」を使っていたからである。私の愛読書「とやま山歩き」には「防」、また、1/25000の地形図にも三千防山と記載されている。私自身当欄の誤字脱字に恥ずかしい思いをしているので、決して揚げ足を取るなどの狭義的でなく、何か謂れが含まれているのではないかと、疑問からの問い合わせのつもりであった。徹ちゃんからは、保勝会の会長さんの話を交え、最近発行された「富山山名録」には、三千坊山として載っており、高岡市の立て看板にも三千坊山と記してあると回答してくださった。また、保勝会発足時の名称にも迷われたそうだが、一般的に「坊」が通っているので三千坊保勝会にしたとも付け加えてあった。高岡市の西、氷見市と接する264mの低山に、私はずーっと以前一度足を運んだ事があるが、万葉集にも詠まれたこの地域、機会があったらもう一度行ってみなくては! p.m.11:55



9/10 「山ノ神」が早川氏と石坂氏のHPを見たらしく、富山湾から馬場島までマウンテンバイク、のち早月尾根を経由して剱岳日帰りを敢行、また富山湾まで戻られた話題を振って来た。それこそ0mから3000mまでの往復である。早月尾根をやっと日帰りする私などと違って、彼らのやっている事は、鉄人レースではなく、超人レースである。これにロマンがあるのかどうかは、彼らにしかわからない事である。ロマンと言えば、最近の私の山行も、車の走行距離だけが伸び、新たな山に登る事が出来るが、中味は決して濃いものではない。そこで「翼」の話であるが、今は亡き母の介護を長きに渡り、してくれた「山ノ神」の手前「翼」を返上したようなものであった。最近は盛んに “ 翼を下さい。” “翼がない。” などと「聖域」復活を目論んでいるのだが、なかなか思うようには事は進まない。山に行けなくなったら死んだようなものなどと言って、小さなロマンに憧れているのだが、山だけの人生ではない。山にいるより家にいる機会の方が断然多いのである。「山ノ神」に、そっぽを向かれたら、それこそ私は死んでしまう。 p.m.0:25



9/9 今度の休日(9/15)を、お天気が良ければ単独行にさせてくれないかと「山ノ神」に願い出た。何だかんだ言っても、今や一番の山行同行者である「山ノ神」を蔑ろにする事は出来ないので、お天気が良ければの条件を付けての嘆願である。しかし、「山ノ神」にしてみれば、自分も何処かへ出掛けたいの思いも強く、一筋縄ではいかない。“ 雨が降ったら牛岳か!” などの言葉まで出て来る。でも、自分の行けない所だから、お天気でなければならないのだろうと、最近の遠出の努力が奏効しているようである。また、幸いな事に娘が残してくれた軽自動車があり、「独立の勧め」の如く、行きたい所があれば、それが出来るのである。しかし、その翌週も、私の希望通りの山行計画があり、私の「翼」の回復に警戒をしているようでもある。 p.m.6:20



9/8 ネットで「経ヶ岳」を検索すると、大概「八経ヶ岳(大峰山)」か福井の「経ヶ岳」が出て来て、伊那の「経ヶ岳」は、二百名山であるけれど数は少ない。木曾の奈良井から権兵衛峠を越えようかと思ったが、地図を開くと(特に1/25000)何だかいやらしかった。(帰路に通ったが何ともなかった。)仲仙寺を基点とする登山道より、まだ奥の林道を模索してわからない事もあったが、何度も来れるわけもなく、ガイドに忠実に従った。曇天の鬱蒼とした登山道は、所々がクマザサに覆われていて、通年多くの登山者がいない事を印象付けたが、それなりにのんびりした山だった。誰も来ない山だと思っていたら、大阪から来たと言うご夫婦が下山して来たところに遭遇した。前夜仲仙寺の駐車場にテントを張ったとの事。でも、体調が悪く八合目で引き返して来たと言うのである。始め調子の良かった「山ノ神」も、その八合目に到達するのに4時間を費やしてしまった。本来なら小さなお花畑で展望も良い所らしいが、今日は御嶽山を始め中央アルプスの山々も全く見えないのである。頂上は展望の効かない所らしいので、ピークを踏んだ後、この八合目で昼食タイムとする事にして先に進んだ。しかし、疲れ切った「山ノ神」の足取りは重く50分を要してしまった。大した急登もないのに、5時間弱のタイムである。少しお腹に物を入れ、八合目に向かったが、いつもは遅い下りが意外に速いのである。今日は、コンロもコーヒーもなく、何故かおにぎりもパンも残り少なくなっていた昼食に、またビールが出て来たのである。“ 頂上でビールを飲まなくて、何の山登りかな!” と言い続けている「山ノ神」が飲まないなんて、少し可笑しいとは思っていたのだが、やっぱりであった。先が長いから、なめるような感じで、少しだけ私も相伴に預かったが、そこからが可笑しい! 次から次へとビールが出て来るのである。それが活力となってか、登りの半分の時間で登山口に辿り着く事が出来た。でも、そのせいで、またも、権兵衛峠、境峠、安房峠(もちろんトンネルを通らず)を、私がずーっと運転しなくてはいけなくなった。



9/7 下界は予想以上のお天気だった。多くの方々が思い思いの山に出掛けられた事であろうが、私もこの余勢をかって、明日は信州の「経ヶ岳」に挑戦する。雨に遭うか遭わないかは、時の運にでもして行くしかない。取り留めて「経ヶ岳」に登らなくてはならない理由はないのであるが、1座でも違った山への思いはある。明日はそういう意味では一つの区切りであるし、今月も一応の区切りである。その後も、それ以上の山歩きが出来れば、とてもラッキーというしかないが、何時までも欲張りな私は、それを追い求めていきたい。 p.m.10:00



9/6 明後日は、アルペンルートの割引を利用して、立山三山の縦走を企画していた。しかし、ここに来て、お天気にもよるが、今年行きそびれた「経ケ岳(長野)・二王子岳(新潟)・皇海山(栃木・群馬)」に心が動かされている。行った事がなく知らない山に興味が注がれるのも事実だし、元日に立てた淡い目標の達成のためでもある。その目標の一つは、「越中の百山」を8座以上登り、残り20座を切る事であった。幸運に恵まれ、森石山・大倉山(小矢部)・赤堂山・前大日ヶ岳・笈ヶ岳・熊尾山・西笠山・鬼場倉ノ頭の8座に登る事が出来た。二つ目は、日本百名山を4座登る事であったが、これも大台ケ原・大峰山・武尊山・鳥海山・月山・日光白根山の6座と予想以上に登る事が出来た。三つ目は、百・二百を合わせた三百名山に14座登り、合計110座にする事であったが、あと1座足りないのである。数を意識する事など!の意見も重々承知しているのだが、またそれなりに楽しいものである。四つ目の北アで、じっくり楽しむの目標だけは、どうも満足の行くものではないが、先日の裏銀座の一部を歩いた事や、今月下旬の計画が実行されれば、何とかつじつまが合うような気がしている。10月からは体調の事もあり全く見通しが立たないから、尚更、今のうちにの気持ちが働くのかもしれない。 p.m.10:35



9/5 過日、知人に“「花じい」の花の画像がきれいだ。それに引き替え、お前のは!” と言われた事がある。当方のリンクから「花じいのHP]を見たようなのだが、“ あっちは花の専門家なのだ!” と言いたかったが我慢をした。「山の花」のコーナーを設けたものの、実はその知識のなさに閉口している。その上安いデジカメに、撮影技術も伴わなく、多くのピンボケ画像にも頭を痛めている。また、我HP全体の容量にも響いて来ている。きれいな花の写真は、図鑑を見て頂く事にして、如何に自己満足のHPと言えども、個性ある撮り方や文章でなければいけないのである。 p.m.10:35



9/4 私には、昭和41年3月2日の高校卒業式の当日以来、毎月集う有志の会がある。42歳の厄年からは、なるべく夫婦の出席を求めているものの近年はお茶会でその例会(管鮑会)は行われている。先月の例会は、私が「烏帽子岳・野口五郎岳」に行くため無理を言って欠席してしまったが、その後遺症が(鬼のいぬ間)昨夜の宴会の設定になったようである。遠慮もなく何事も言える間柄なので楽しくてならない。しかし、「山の話」は、まだ何人か相槌を打ってくれるが、「PCの話」になると白けてしまうのである。(みなこのカフェテラスの金ちゃんの奥様以外=彼女は10歳も若いからか!)宴会後、そのまた有志で二次会を我家で行ったのだが、そのもう一杯が、眠気の形で今も残っているようである。私はよく夢を見るが、いつもチンプンカンで、よく覚えていないが変な内容のものが多い。山の夢はあまり見ないが、見ると先に行けなくなったり、落ちそうになってしまうものばかりである。夢を見る時は、熟睡出来ていない時が多いというのは本当なのであろうか?



9/3 昨夜、帰宅したのが午後11時だった。後片付けをし、お風呂に入ってから、何時もの如く「反省会」と称してビールを飲んだ。前夜も1時間半程しか眠っていないし、“ 眠いから少しだけにしよう。”と言いながら、二人で4本の缶ビールを飲んでしまった。何時もなら発泡酒なのに、貰い物のビールがあったのでそれを飲んだが、何故か余計に効いてしまったようだった。(プレゼントしてくれる人があったら、発泡酒を余計目に下さい。ワッハハ・・・ 今日も眠いが、こんな事で参るようでは、「山」にはいけない。連休後の次の山行は、5日後であるから、すぐやって来る。本当に山行の合間に仕事をしているようであるが、山に行けなくなったら、仕事をしなくてもいいのかもしれない。そうなると、「山ノ神」に、家を追い出されてしまうかもしれないから、やっぱり永遠に働なければいけないであろう。さて、8日は、秋の割引の利く「立山」を予定しているが、場合によっては、ハイウェーカードの節約が奏効しているから、また「遠い山」へと鞭打たれるかもしれない。 p.m.6:10



9/2 執念が「晴れ」にさせたように思えてしまった。道中、霧雨が降り先行きを暗くさせていたが、120号線の群馬県片品村に入った頃から、「うそっー」の言葉が出るくらい急激にお天気が回復してくれた。日光白根山(奥白根山)登山口発が少々遅かったものの、百名山であるこの辺の山々を、その気になれば、さーっと登りきり、あわよくば、ついでにもう一座を稼いでしまおうかと、高をくくって登り始めたが、寝不足もあるのか、「山ノ神」が遅れ始めてしまった。「弥陀ヶ池」から上は、火山の様相を呈し、火口湖なのであろうか、幾つもの池や沼が山頂から眺める事が出来た。北に燧ヶ岳、東に男女山・女峰山や太郎山、西に武尊山と遠くに噴煙を上げている浅間山、南東に赤城山などが見渡せ、火山だけど緑に覆われた日光白根山の良さが、思いの他素晴らしい事に気が付き、じっくりこの山を味あう事にした。只、山頂を目指すだけもいいが、偶然お会いした千葉の川久保夫妻に誘われ五色沼方面に足を運び、静寂で神秘的な、もう一つの日光白根山を見た。この日光白根山行きにあたり、群馬県沼田を目指すわけだが、過日の「武尊岳」行きで、関越の長岡経由で臨んだが、どういうわけか上信越の藤岡から関越の沼田にバックするのが、速いという情報がもたらされていた。高所を走り、しかも片側一車線の所が数多くあり、どうも腑に落ちなかったが、まだ全線を走破していなかった事もあり、その情報に乗った。しかし、濃霧の発生や眠気に襲われたりしたが、何と滑川~沼田間に3時間50分(6600円)も費やしてしまった。帰路は、またまた悪いクセが出てしまい、高速料金の節約に出た。沼田~湯沢間(1600円)は、関越トンネルを通るため利用し、117号線で十日町、253号線で上越へ後は8号線で富山に走ったが、沼田~滑川間は4時間15分であった。早朝だったら、このルートは もっと速く走れ、行動範囲も、もっと膨らんだかもしれない。では、あの上信越道はなんだったのかと思った が、事故がないから、そんな欲張りな事が言えるのであろう。・・・・・・・・



9/1 昨夜来の雨に山行の士気が完全にダウン。しかし、私が何もないのに山に行かないわけがない。「雨の山」のレパートリーは、白木峰・中山・小佐波御前山・負釣山などがあるが、今日は早めに帰宅していろいろ整理したい事もあり牛岳とした。1mでも遠く、1秒でも遅く帰宅したい「山ノ神」には、この決定が気に入らないらしく、“今日は家中の掃除をする。”などと、一見しおらしく感じる言葉を発し、辞退する事になった。そうなると当然、昼食のおにぎりはおろか、朝食もないのである。しかし、メロンパンと水だけは用意してくれた。それでも、何だかご飯物が欲しくなり砺波で280円の牛丼を食べてしまった。始めから雨、カメラ二台、三脚、水500mlとバトミントンの時に買ったコーラの残り、先のメロンパンなど、無いに等しい荷に、下着上下にそのまま雨具を着けた。僅か5~10分の身支度の間に、一昨日届いた2通のメールの事を思い出した。1通は、長栂行きに際し、私のHPのタイムを非常に意識してあるものであり、もう1通は、私が日頃登る牛岳を54分で登ったと言うものであった。そして寄せて下さったお二人の名が偶然にも「西川さん」だったのである。今日は、雨で滑りやすい上に、草木が伸びているのが予想出来、増してや雨具の着用など、タイムトライアルの条件には相応しくないのであるが、最近は、なかなかその機会を得る事が出来ないから、「挑戦」が頭中を渦巻いてしまった。また、毎年衰える体力に、ブレーキをかける意味でも燃え上がってしまったのである。自己記録50分(H.12,10.3)を切るには、6合目まで24分以内に登れなければ、到底無理なのであるが、ハーハー息が切れるほど、また雨具の中の下着が、ずぶ濡れになって登ったが、6合目到達が27分を過ぎており、一変に力が抜けてしまった。しかし、頂上まで56分で行けた事を思えば、もう少し頑張ればなどと思ったが、一度転んだ事がまず致命傷になったのに間違いない。汗も拭かず、靴紐が解けてもそのままにして登るこの私の牛岳耐久レースは、私だけの「元気を計るものさし」なのかもしれない。(※注=金沢の知人・Dr早川は、超人でありますから、彼と比べないで下さい。) p.m.6:35