10/31 昨日、「朱夏」云々を述べたら、近所で私のPCの先生でもあるS氏から、古代中国の根幹をなす哲学で、陰陽五行思想の森羅万象を、五つに分類したところから来たものであるとお教えを願った。その中の季節が春、色彩が青、順に夏が赤(朱)、秋が白(素)、冬が黒(玄)、土用が黄であるそうだ。時間的には、朝・昼・夕・夜・?、位置的には、東・南・西・北・中央、獣(動物)的には、龍(東龍)・雀(朱雀)・虎(白虎)・武(玄部=黒い亀)・?なのだそうだ。学のないところを、さらけ出した感じだが、また一つ利口になったような気がする。
 一昨日、Dr.早川から、「医学的にも最近は早期の離床を勧めています。癌の手術後でさえも体調が良ければ翌日からでも歩いてくださいと言うほどです。だから一般の人が考えるように大事にしすぎることはないです。体調が良ければ大いに山に入っても良いと思うわけです。」のメールを頂いた。そして、「そんなことより入院中ちゃんと胃や大腸の検査を事前にしっかり受けていたかと言うことが心配です。手術前には大抵他に余病がないかきちんと検査をするようにと僕は考えています。実際とんでもない隠れた病気が見つかることもありますので・・・」の忠告を頂いて、自己責任で、ドンドン山へ行かれてはと励まして下さった。世の中には、超人的な体力を持っている人ばかりでなく、いろんな知識を持っておられる方があるものだとつくずく思った。 p.m.11:59



10/30 “入院した。” “手術をした。” “病み上がりなのに山へ出掛けた。” などと大げさに書くものですから、皆様に大変ご心配を掛けた上に、ご迷惑を掛けたようです。毎日、山の事に関して書き綴りたい思いが、何時しか私生活丸出しになってしまったようです。元々融通が利かない性格故、馬鹿正直になったり、生々しくなってしまいました。“そんな事まで!” の思いで見て下さる方も多いと思います。そうなると、またまた、“もう止めてしまえ!” なってしまいます。時々、お言葉や文章を引用させてもらっているのですが、私としては、自分の励みになっているものを使わせてもらっているつもりで、非常に気に入っているものなのです。
 まだまだ燃えなくっちゃ~。 団塊の世代は、“夢を描ける時はまだ青春。” “一生青春。” “青春の名残!” など、「青春」という言葉が好きである。そして、つい最近までの熱くなった日々の事が蘇るのである。先日、何というドラマか忘れたが、その中である役者が、どんな役柄か分からなかったが、青春の次に「朱夏」が来る。そして、「白秋」・「黒冬」であると言っていた。理屈な言葉だと思ったが、どんな使い方をするのか知らないし、国語辞典で調べてみたが載っていなかった。広辞苑には載っているのだろうか? それとも単なる造語で、そんなに意味のない語句なのだろうか! 私も「青春」の語句が好きなだけに、とても気に掛かるところである。そして、「青春と山」は、切って離されない語句のような気がしてならない。 p.m.11:59



10/29 「元さんはやっぱり高山病ですね。山に登らないと生きていけないみたいですが、誰でもいつかは登れなくなる状況が来るのですから、今から考えておいた方がいいのではないでしょうか。」 山口の涼子女史からこんなメールが届き、強い衝撃を覚えた。日頃から私が言っている「元気なうちに!」 「 後どれだけ飛んだり跳ねたり出来る?」などと、同じ意味合いなのだが、人から言われると本当にそうであり、悲しくなっていく。自分の衰えを自覚しているのだけれど、認めたくないのと同じである。思考や環境が同じ類を呼び、その語らいは、とかく慰め合いになってしまう。それも良いのであるが、また違った星も見たいのである。私は高校時代に倫理社会の教師から、「学ぶとは、誠を胸に刻む事であり、教えるとは、共に希望を語る事である。」を教えられた。その教師は私の好きなタイプではなかったが、その教えは、とても理に適い私の好きな言葉となっている。 p.m.4:20



10/28 どうしょうもなく出掛けた昨日の山行は、「酸素吸入」の色合いが強かったのですが、予想通り「馬鹿は死ななきゃ治らない!」「馬鹿につける薬はない。」などの手厳しい批判が多かった。「大丈夫なの? 高山病から治さなくっちゃ!」・・・「山の空気」を吸い続けていなければ、山から見放されるような幻覚に襲われる。(ほんまに病気やちゃ!)術後一ヶ月程は激しい運動は控えなくてはと思い、その期間中に、昨年亡くなった母の法要を組み入れたのだが、逆にその法要のために、来週も山へは出掛けられないの思いが強く、強行突破となってしまった。2~3日前までは、気分が悪く長く立っておられなかった上に、100mも連続で歩いた事もなかった。また、運転で大きくハンドルを切る時や、急な切り替えしには、ウーッと声を上げなければならない程であったし、もちろん凹凸を乗り越える時の傷口への振動はもろに応えた。ならば「山ノ神」の運転で、歩行も見守られながら、一歩一歩牛のように歩いた。左腹部の傷口のため、左足を大きくあげる事が出来ず、右足でフォローしながら段差を凌いだ。破れるはずがないのに大事にかばいながら歩き通した。左程汗を掻く事もなかったが、帰宅して、術後はじめてのシャワーを浴びようとした時、その大きな傷口に、お湯が入っていくのではないかという錯覚に襲われ、思わずシャワーを止めてしまった。してはいけないダメな事をしたから、その罪悪感からなのかもしれない。その夜は2週間ぶりに、量にして5勺くらいのお酒を嗜んだが、動いたから欲しくなったのかもしれない。 p.m.6:10



10/27 皆の忠告に耳を貸さず、とうとう「山の空気」を吸いに行ってしまった。低山という事で高峰山や千石城山を外し、「城ヶ平山446m」を選んだのに、登山口の大岩に着いて愕然とした。案内板にコースタイム1時間半と記されていたからである。もっとも、城ヶ平山には、平成9年2月に、雪山を何となく登っただけの記憶しかなく、今回事前に調べた標高差300mくらいの知識しかなかった。ハイキング程度の山だが、荷は全部「山ノ神」に預け、私は、ストックとデジカメだけの出で立ちである。2~3倍の時間を掛けて登るつもりであったから、何とこのコースタイムはと思ってしまったのである。術後10日目だけに、焦らず、ゆっくり、そしてお腹に負担が掛からないように、足を引き摺りながら歩いた。幸い登山道は整備され、とても歩き易く、予想を大幅に短縮する事が出来た。広く360度見渡せる山頂は、剱岳や大日岳はもとより、毛勝三山・駒ヶ岳に僧ヶ岳を仰ぐ事が出来、大辻山や鍋冠山の身近な山々も出迎えてくれたような感じにさえ思えた。富山平野に日本海、あっという間に2時間が過ぎてしまった。帰路は浅生から大岩に戻り、3時間の行程に、2時間の山頂での滞在を含めた復帰の山行は誠に充実したものとなった。
   (私がやっとの事で登ったのに、1時間20分だったのだから、普通の方なら30分も掛からないので、登れるのではなかろうか? 剱岳をはじめ素晴らしい展望を得る事の出来る「城ヶ平山」は、身近で簡単に登れる山である。)   p.m.9:50



10/26 以前、山中でお会いした男性に、山歩きのきっかけを尋ねたところ、「今、ブームだから!」と聞いて、そんなのもあったのかと思ったけれど、きっかけがどうであろうと、好きで歩いているのだから、それも良いではないかと思った。会(グループ)に入ろうが、独りで歩こうが、自分のスタイルを作り上げていけばいい事で、自己満足大いに結構である。自己満足のうちは、それで良いのだが、自信が付くというか、それを強要したり、我こそはになると、迷惑になったり、嫌がられたりする。私のHPもその点では、もの凄い自己満足で、見て下さる方々に迷惑をお掛けしている。私は、元々面白い事を述べようと思っても、そのような才覚もなく、尚更面白くなくなっていく事を知っている。そして、只一つ、真面目に綴る事だけを心掛けている。山の友も、このHPを見て下さる方々も、そんな私と付き合って下さるわけで、私は頗る満足をしている。ところで、明日は私がどのように行動するのか、興味津々というところであろう・・・・・・p.m.11:59

10/25 一ヶ月くらい我慢しなさい。でも休日は山に!・・・・。仕事もしないで、山に行けるわけがない。それらしい事をしないと、全く山行ムードにならない。若い身体ではないが、半日単位で痛みが和らぎ、肉が上がってくるような気がして来る。山へ行きたい一念からであるが、入院中から考えていたのは、標高差の少ない千石城山と高峰山であった。もちろん10/27の事である。それでもダメなら、大岩から城ヶ平山である。「カラ荷でWストック、時間はどれだけ掛かってもいい。」などと。
 そこへ、Respirar坂本氏から「はい、バカは死ななきゃなおらない。と世間でいわれてますね、良いじゃあーりませんか、しかし暇ですか?暇と感じたらもうだいじょうび、一杯ひっかけて元気が満ちてきたらとりあえず、山は山でも太閤山へ、足慣らし、アホな事言ってるとあかん、天気は崩れます、今はゆっくりと養生の時、ストレスためちゃあきまへん、神様にナデナデシテもらって山の夢でも~」と私の心を踏みにじるように水を差して来た。彼は、そんな事より「快気の宴」が先であると言うのである。 p.m.11:05



10/24 8日ぶりの我家の布団は、薄くてもゆっくり休ませてくれた。元々、温泉のフカフカの布団より、テントの中のマットが似合う私の事だから、煎餅までいかなくても、薄く固めの布団が良い。麻酔の副作用は、午後になってからようやく和らいだ。しかし、傷口が痛く長い間立っておられないし、PCの前に座っていても、背中やお腹が可笑しくなって、イライラしていた所に、「黒部のシュンちゃん」が、尋ねて来てくれた。お母さんを亡くして、まだ日が浅い彼のはずだが、私のお見舞いとは恐縮してしまった。でも何よりの薬は「山の話」で、想い出から、これからの山行と、私には楽しくてしょうがなかった。昨年末、私が母を亡くして寂しい思いをしているだろうと、「復帰山行」と称して企画してくれた「シュンちゃん」を始め山仲間と共に、今年は彼が悲しみを乗り越えてくれるようにと、私の快気を兼ねての「復帰山行」を企画しようと約束した。実に待ち遠しい。 p.m.9:00



10/23 いよいよ退院だが、依然頭の中はすっきりしないし、身体の温度調節が可笑しい。医師は1ヶ月程慎重にと言ったが、看護婦(師)は、2~3ヶ月余無理をするなと言う。自分では、すぐにでもの思いがあるが、山とまだまだ長く付き合いたいし、チョット無理をして、後々パーになるのはもっとイヤである。でも、自分の事は自分が一番良くわかるわけで、慎重かつ柔軟に対処していきたいと思っている。 a.m.10:00

家に戻って、気分的に安堵したが、身体が思うようにならない。HP完全再開にはならず、ご迷惑を掛けてしまった。 p.m.9:30



10/22 福井の松尾さんから“「元ちゃんの山が逃げる!」と言う気持ちが、わかるような気がする。”と言うメールを頂いた。山行機会を大事にしているが、体力・技量の他に、天候やチームワークなど、いろいろな条件が揃わないと登頂を逃す事がある。またの機会が永遠に来ない事もあるように思う。難度の高い山、遠方の山、季節限定の山など、一年一年取り返しのつかないのが加速していくように思えてならない。年間数十回の山行機会があるものの、天候が伴わなく、雨の中の低山歩きなどの不本意なものも数多くあり、実際には完全燃焼していないのである。人一倍「山は逃げる!」などの表現をするが、やはり、ここぞという時は、撤退もするし諦めもする。それは、ずーっと山歩きを続けたいからである。そして、この先2~3年は、万難を排し「越中の百山」に挑戦したいと思っている。



10/21 麻酔の副作用が半減したものの軽い二日酔い状態が続いている。この分では、すぐに山行など出来るわけがない。お天気だったら、27日に何倍いや何時間かかってもいいから、何処かへ出掛けたいと思っていたが、とてもとても無理である。階段を登ってみたが息絶え絶えで、本当に一ヵ月後には完全復帰出来るか心配である。



10/20 昨日の午後から頭が痛くなり、胸が何となく気持ちが悪くなった。まるで「二日酔い」の時の症状に似ている。食事も細り、横になっても、寝ているような寝ていないような感じである。お腹の痛みがなくなったら、早々に退院を促されそうな感じだったが、麻酔の副作用のようで、それもオジャンである。「山ノ神」は元気で、負釣山の林道が運転出来るかどうかわからないと言っていたくせに、何と下道で、小遠見山(五竜岳遠見尾根の一角)へ、トレッキングに行って来たと言う。高岡発午前9時近くで、高岡に戻ったのが午後8時を回っていた。山行に喜んで送り出したのだが、以前は山道・高速・雪道・狭い道など運転出来なかったのに、どうしたわけか親不知の洞門も、スイスイ行けるようになったのであろう。ストレスを発散させたであろう「山ノ神」に、もうしばらく頑張ってもらわなくてはならず、私は「忍」の一文字である。



10/19 降水確率が低けれど、病室の窓から外を見ると雲が湧き出ている。この3日間、「山ノ神」に仕事や家事を任せっきりなっていたので、この連休(10/19~10/20)は、“ 看病など要らぬから、好きな所へ行って来い。” と言ってやった。遠慮がちで、車の運転技量などもあり、何処へでも行けないと言っていたが、結局は「天蓋山」へ行ったようであった。高岡発が遅かった事もあり、午後2時頃 “山頂は独り占め” の携帯メールが届いたが、その後に、“ビールが無いのはさみしいもの!”などと相変わらず戯けた事を付け加えて来た。独りで出掛けると運転しなければならず、飲めないとでも言いたかったのかもしれない。夕刻、最近ヒョンな事で知り合った福井のM女史からメールを頂いた。「この世の中で一番不幸な人は、病気の人、何もしない退屈な人、山に行けない人」から始まり、自身山行時の紅葉の事や、今日の山行の事が綴ってあり、最後に「悔しかったら早く良くなって下さい。」と付け加えてあった。山が命と言うオールラウンドのスーパーウーマンに、“山に行けなくなったら死んだようなもの” の私では、例え山行機会があっても、とても、たちうち出来ないであろうが、なんと頼もしい方と知人になれたものだと、山の縁を強く感じた。



10/18 手術して一日では、傷口が痛くて寝返りうつのも辛い。今まで、病人に頑張れとか、もう少しだとか言ってきたのが、果たして励ましになっていたのか疑問を持った。そして、病人になったら、自分の弱みを見せたくないから、友人・知人に知らせないでおこうと思っていたが、ベットの上の一日は、結構長く辛いし寂しいものである。予想もしない方の訪問に、顔をしかめながら、心中で手を合わせた思いであった。また、こんな傷ぐらいすぐ歩いて見せると思っていたが、そう上手くはいかない。そして、事前に持ち込んだ山やPCの書物に手が伸びない。



10/17 手術のうちに入らない手術だと聞いていたのに、麻酔・再発・感染などの医師の説明でチョット驚いてしまった。当たり前の事前説明なのかもしれないが、家族の同席を求められただけに、イヤ~な感じに滑車をかけた。日頃、その類の事には口を挟まぬ「山ノ神」も、流石に心配だったのか、矢継ぎ早に幾つかの質問をしていた表情にも緊張の様子が伺えた。しかし、少し時間を置くと「まな板の鯉」の如く、運を天に任せようと思った。その中に、どうしても、山への復帰の事があり、一日も早く元通りになる事だけが、頭の中に・・・・・。 一ヶ月間の安静とは、普通の生活という事で、ハードな運動は厳禁いう事なのだろうが、どのくらいの“歩き”がハードなのだろうか? しかし、癒着や後々辛い思いをするのなら、一ヶ月間は山歩きを我慢しなければならないだろう。まあ~、その時になってみなければ。



10/16 “山に行けなければ死んだようなものだ!” と言っていた事が現実化してしまった。6月に下腹が僅かに膨らんでいるのを発見したが、医師も触診しなければわからないものであった。手術するほどのものでもなく、もっと悪くなってから考えればよいとの事であった。山歩きも、仕事も日常生活には何の影響もないのだが、少し大きくなった腫れを気にして、再び病院を訪れたら、それでは手術しましょうとなってしまった。鼠形ヘルニア(隙間から腸が下がる)手術のうちに入らないほどの簡単な手術と担当医は言っていたが、当人にしてみれば、切られるわけであり、山にも行けないのである。入院期間が僅か一週間程とは言うものの、若くはないのであるから回復まで時間が必要であろう。“ああ言っているが、あいつの事だから、すぐ出掛けるであろう!” と思われがちであるが、今だけではなく、長い山人生を送りたいから、無理は禁物である。後の「癒着」が心配だからである。しかし、昨年、母を亡くしながら、涙も乾かぬうちに、山に行ってしまった経緯もあるし、何処まで、自制出来るか自信がない。そして、一週間程の入院期間に、今までの山歩きを回想してみるのもいいものだが、果たしてそんな知的な時間を、送る事が出来るであろうか? a.m.10:30



10/15 昨夜、「黒部のシュンちゃん」のお母様が、交通事故に遭われお亡くなりになられたの訃報が、同じ黒部の堀君(今年2月森石山に、御一緒した。)から届いた。「シュンちゃん」のお母さんのご冥福を祈りながら、私も昨年亡くした母の事を思い出した。親は幾つになっても親であり、親から見れば幾つになった子も、子には変わりがない。したがって、年老いてしまった親であっても、限りない悲しみにふけるのである。山の友とは不思議なものである。「シュンちゃん」と山行機会を共にしてから、まだ1年8ヶ月しか経っていないながら、ずーっと以前からの友人のような気がしてならない。それは、汗を流しながら長い行程を共にするからであろうか! また、酒を酌み交わしたからであろうか! それとも非日常の別世界で、見も心も共有するからであろうか! そして、ネットが距離も年齢差も超越させてくれているのかもしれない。男気があり、山の実力を備えた「シュンちゃん」のファンが、最近やたらと増えたらしく、なかなか私などは付き合ってもらえないが、一人の山の友として、彼が愛したお母様の弔いに行きたいと思っている。 a.m.10:00



10/14 昨日は雨のため、思うような山行が出来ずチョット悔しかったが、ゆっくりと「牛岳」を歩いた。先月の朝日岳山行に、ご一緒して頂いた「このきなんのきの所長」の教えを思い出し、樹木を今一度観察したり、落ち葉を手にしたりして、試行錯誤を繰り返したが、そう簡単に事を運ぶには至らなかった。また、長く使って汚れてしまったゴアテックスの雨具の再生を試みた。泥まみれになってしまった雨具を、洗濯して防水スプレーをしたものが、果たして元のようになるのかを試すものである。高所の長時間を試すには、聊か躊躇ったが、逃げ場のある3時間程度なら、丁度良いのではと思っていた。雨が小降りになったこともあって、充分な成果を検証出来なかったが、思いの他良好のようであった。充分防水スプレーの届いていない裾・袖口などは雨が少し透ったような気がした。実際防水スプレーをかけるのは、そう簡単ではないのである。吊るす場所もいるし、風があっては上手くいかない。また何処までかけたかも、乾いてしまってなかなかわからないのである。そして、洗濯の後の脱水も厳禁であるし、なかなか手間の要るものである。もう元を取ってしまったかのように思われる以前使用していた雨具なれど、私には高価のものであったし、なかなか捨て難い。これからは、登山靴のように、使い分けをしながら、まだ付き合ってもらいたいと思っている。こんな雨の中に誰もやってくるはずもなかったが、日頃見逃しているかもしれない、道標や構築物また水の流れや大木などを、カメラに収めたりしながら、我ホームグランドの隅々までを検証して楽しんだ。 p.m.11:15



10/13 午前4時半、携帯のアラームが鳴り、外に出てみると予報どおり雨が降っていた。その後も強弱を繰り返しながら、一向に止む気配ないので、行きたかった山を諦める事にした。6時半過ぎ、小旅行に出掛ける「山ノ神」を集合場所まで送り届ける車中で、「あんたが、山に行かないわけないやろ!」慰めなのか激励なのかわからぬ言葉を発していたが、私は私で、“それはその通りなのだが・・・・”と苦笑いをした。彼女の怨念が、今日の雨を呼んだのかもしれないが、当の本人も、主体が上高地だけに、良い思いも出来ないであろう。こんな日に、やらなければならない事がたくさんあるのだから、そちらに目を向ければいいものを、もはや身体が許さない。しかし、出掛ける前に、チョットでも用事をこなしておかなければ・・・・・・ a.m.8:00



10/12 今日は、予報を覆して、まずまずのお天気であった。そして、今も頭上には雲がなく、月や星が輝いている。しかし、明日の予報は降水確率が高く、大雨注意報まで出ていて、雷雨もあるかもしれないとの事である。したがって、どうしても高所や行程の長い企画は外したくなる。また、確実でない限り、遠出も気勢をそがれてしまう。でも、何度も予報に裏切られて陽を眺めながら、悔しい思いをした事がある。行かなければ晴れるし、行くと降るのである。これも私に対しての巡り合わせなのだと諦めるしかないのであるが、陽は、また、こちらを向いてくれる時もあろうし、きっと帳尻が合うものである。明朝降っていなければ、馬場島へ、降り続いておれば、近くの「牛岳」に出掛けるかもしれない。 p.m.9:50



10/11 明後日の降水確率が70%になってしまった。いささか参っている。猫又山や餓鬼岳そして八海山もダメであろうな! p.m.11:55



10/10 13日の予定が単独行になっているのは、元々「山ノ神」が所属している有志の会の小旅行に参加する事から始まっている。「一日自由にしてあげる。」などと調子の良き事を言っていたのだが、ここに来て、私の翼が蘇る事に危機を感じるのか、言葉の端々に、何か引っかかるような事ばかり言って、私を牽制しているかのようである。「山ノ神」も平湯や上高地などの自然を楽しむツアーなのに、「いいよな~。」などと、自分の事は棚に上げて、“13日は雨になれ!” とでも言いたいような呪いが感じてくる。その思いが乗り移って行くかのように、お天気は下り坂である。



10/9 このところ、お天気が続いている。明日も、お天気間違いなしであるが、13日の私の休日が少し気がかりなのである。最近は、雨具を着けた写真が多く、また降らなくても視界が悪く、絶景を楽しむ機会が少ないのである。雨の日でも出掛けるけれど、近間の山にしか行けず、不完全燃焼がぬぐい切れない。13日(月)は、体育の日で国民的休日であるから、“誰かを誘うかな!” などと思う事もあるのだが、当日になって、お天気が悪くなったりすると、行く行かないと悩むのも結構辛いのである。また、来週から“ 山の長期休暇 ”が待っているため、高所へ出掛ける今年最後の機会かもしれないので、お天気が何とかならないかと思うのであるが・・・・・・増してや、単独行を許された日でもあるから。 p.m.11:59



10/8 群馬県沼田市から120号線に入ったのは、「武尊山」、「日光白根山」についで、今回の「皇海山・男体山」と今年だけで3回目になった。所要時間も短く体力や技術を考えても、中高年の山歩きにちょうど良いくらいの山々であった。時間と経済的に問題がなければ、山里の温泉も数多くあり、それこそ山旅を充分に味わえる所でもあろう。昨夜の帰路も日光街道を沼田に出て、何時もなら高速の関越トンネルを利用して湯沢に出るのであるが、今回はまだ通った事のなかった三国峠(17号線の猿ヶ京・苗場方面)を越えた。そして今回の特筆は、新潟県中里村(117号線)から魚津まで「山ノ神」が夜道を運転した事であった。 p.m.11:59



10/7 男体山を登るのに、ニ荒山神社で入山料なるものを払うのに何となく抵抗があって、裏男体林道の志津から北側ルートを選んだ。志津の標高が中禅寺湖畔より500m高いと「山ノ神」を納得させて臨んだのは、出来れば向かい側の「太郎山」にも登れないかとの思いもあったからであった。しかし、登るうちに、連なる山でもないし、せっかく遠い山に来たのだから、一日一座のつもりでゆっくり楽しみたい気持ちに変わっていった。昨日の皇海山より340mくらい高いだけあって、上部では霜柱が土を持ち上げ、樹木の葉を落としていた。山頂からの展望は、中禅寺湖側が、ガスに覆われて殆ど楽しむ事が出来なかったが、北側の太郎山、太真名子山そして女峰山は、ガスの切れ間から山並みをはっきりと眺める事が出来、次の機会の登頂意欲を湧き立たせてくれた。地図上の裏男体林道は、奥深く荒れたように感じるが、取付きに戸惑う事を除けば、チョット狭い所もあるが、きれいに舗装されて何の問題もなかった。



10/6 栗原川林道が開通してから、このコースなら「山ノ神」同行でも問題ないと、心に温めていた「皇海山」行きであった。また、よく通行止になる林道だけに、今のうちにの気持ちも強かった。登山口の「皇海橋」まで入れば、もう半分ほど山に登った感じである。崖、落石、自己責任などの文字が、目に焼け付く程の各HPの書きようであったし、実際林道を走っていても、その標識が多かった。でも、予想よりも遥かに整備されていたし、登山口のトイレなどを見ると、利根村の力の入れようが感じられた。沢沿いの登山道であるが、百名山らしくこれでもかと思うほど、道標はしっかりしていて迷う事はない。しかし、雨の時は林道を含めて、あまり入りたいとは思わない山である。4パーティー6人の登山者と出会ったが、この時期の百名山からして、ウィークデーと言え少ない方なのかもしれない。ガスに覆われて寒い山頂をあとにして、鋸山を目指したが、大きな岩からさがるロープを見て、「山ノ神」はリタイヤで、私だけが山頂に立つ事になる。かなり余裕を見た計画だあったが、120号線に出た頃には薄暗くなり、事前に予約しておいた丸沼の民宿にお世話になったが、当初は、「男体山・太郎山」のために、裏男体林道から、志津避難小屋宿泊の計画であったが、暗くてわからない林道を走らなくて正解であった。



10/5 紀行文がもうチョットで出来上がるのに、すぐまた次の山行が来る。また延びるが、何て贅沢な事か! 今月の中旬から、しばらく山行がお休みになるので、この際時間の許す限り、いろんな所へ出掛けたくなるのが自然なのかもしれない。明日からの予定も首都圏の方のお天気が悪いし、その近くの山に出掛けるのに躊躇したが、どうせ一度は行かなければの思いで「皇海山・男体山」に決定した。「太郎山」もと欲を出しそうになったが、ここは山旅気分で、ゆっくりその山を味わう事にしたい。貧乏など言いながら、チョット可笑しいのではないかと言われたし、身体が心配などと言ってくれる人もあり、私は何と幸せなのであろう。 p.m.11:25



10/4 8/25に白山でお会いした埼玉のM夫妻から、有名洋菓子店の生チョコが届いた。あの時の貴重な体験のお礼の意味がこもっているらしいが、我々こそ若い奥様とご一緒出来、新鮮な山行となったのに恐縮してしまった。そのM夫妻が、今度は箱根の山に、その翌週には尾瀬に出掛けられるという。ご主人は、それなりの山の経験者なのでしょうが、奥様は、二回目・三回目の山歩きとなるようで、真新しい登山靴やストックを使うのが楽しみらしい。何とか好天に恵まれ、山の魅力を充分に満喫される事を願っている。そうなれば、山の友達として長くお付き合い出来るのにと思っている。 p.m.11:59



10/3 今度の連休は(10/6~10/7)、今年最後の遠出を企画している。「両神山と乾徳山」「皇海山と男体山」「二王子岳と浅草岳」「木曾駒ヶ岳と南木曾岳」のどれかになりそうであるが、お天気が条件である。今のところ、「木曾駒ヶ岳と南木曽岳」が有力であるが、立山一泊二日も捨て難い。どちらにしても、金欠に悩んでいる我らであるから、泊はどうしてもキャンプになるであろう。このところ、予報に裏切られ続けているだけに、てるてる坊主に縋る思いがある。また、長くて寒い夜は、どのように過ごすものかと思案しなければならないが、せめて晴れていて欲しいものである。 p.m.10:30



10/2 「このきなんのき http://www.ne.jp/asahi/blue/woods/」なる植物鑑定サイトをリンクした。樹木の事なら、この所長なる若き青年とそのファン達が、事細かに教えてくれる。わからない樹木を遠くから撮るのではなく、枝や葉などを撮って問い合わせれば、殆どのものがわかるらしい。私のように、ブナ、ナラ、クヌギなど区別がつかぬような素人でも大歓迎だと言っておられた。所長と朝日岳に登れた事を縁に、少しは樹木を知る大人の山歩きを考えなくてはと思っている。花の大御所「花じい」と、樹木の「このきなんき」のHPを活用されれば、あなたもいつか植物の大家になれるかもしれない。 p.m.11:30



10/1 大猫山の下りで霰に見舞われたが、高所ではそれが雪になったらしく、新聞やテレビなどで立山の「初冠雪」を報じていた。この時期の降った後の三段紅葉(空の青、雪の白、紅葉の赤や黄)と呼ばれるものは、あ~っと声を上げてしまう程の素晴らしいものである。しかし、巡り合わせと言うものがあり、私もそう多くは見ていない。また、やはりこの時期の事であるが、何年前であったろうか、10月上旬に京都の中高年グループの立山稜線上での大量遭難があったように、装備と気象判断を誤っては、取り返しのつかない事態も起りうるから、充分に気を付けなければいけない。奥深い山に入られる時や初めての山に行かれる時は、ツエルトやヘッドランプに非常食、或いはそれに替わる物、例えごみ袋一枚、また薄手のセーター一枚で、命を繋ぐ事になるらしい。非常用の物は使わないので良いわけで、面倒とか重いとか言わないで、何時も携行する事によって、イザという時に備えたいものである。