11/30 この連休(12/1~12/2)は、どのようなスタイルで宿泊するかは別にして、山梨県の山の2座を、富士山を見ながらゆっくり登ってみたいと思っていた。でも、生憎の雨で、士気を削がれた感じになってしまい、とりあえず明日は地元の山を登る事にした。でも、登り始めから雨だったら、低山にし、雨が落ちなかったら、五箇山方面へ出掛けようと思っている。そして、明後日がお天気ならば、ドライブを兼ねて富士山を見に行く事になりそうである。私の残された今年の休日は、あと6日になってしまった。そして、あっという間に一年が終わろうとしている。でも、残された6日間を有意義に過ごしてこそ、来年の抱負を述べれると言うものである。東京で待っててくれる娘にも会いたいし、もちろん山にも行きたいし、贅沢な悩みの師走になりそうである。 p.m.11:05



11/29 雨飾復帰山行の画像を当日の同行者に送り続けている。迷惑であろうと思いながら、当方で選定出来ないもので、該当するものを殆ど送っている感じになっている。しかし、意外なところから、クレームが付いた。“ 私があまり写っていない。” と「山に神」が言うのである。そんな事はないと、113枚の画像を点検してみたが、集合画像には全部入っているし、単独の画像も何枚かある。小さいかもしれないが行軍中も写っているのである。何時もより大勢の方々との行動のため、割合が少なくなっているだけの事であった。このわがままおばちゃんの「山ノ神」、多く写せ、きれいに撮れ、引っ張りあげろ!確保しろ!無理難題を吹っかける・・・一言文句を言おうものなら、お得意のだんまり戦術に入って私を困らせる。最近は、私の単独行や自分(山ノ神)抜きの山行企画を警戒するあまり、アンテナを張って情報収集を盛んにし、私をがんじがらめにしようとする作戦のようである。 p.m.2:00



11/28 天候と所用の関係で、この先の山行予定の多くは決まっていないが、来年の正月は、2日が「牛岳」、3日が「千石城山」と載せてある。直近3年の正月は、このパターンが続いており、それ以前でも、登り初めは「牛岳」や「千石城山」が多く、私の正月は、これらの山々から始まるのである。「花じい」から、来年の正月は、“牛岳の頂上でお会いしましょう!” という嬉しいメールが届いた。風雪が厳しかった昨年こそ誰とも出会わなかったが、大概よく似た顔ぶれと出会うものである。来年は、「花じい」をもじって、「最初から花咲じい」は縁起が良い。「花じい」は何処から現れるのか未だ全容を明らかにしていないが、私(私達)は、どんなお天気でも出掛けるはずだが、もしかしたら、花咲じいにあやかって、牛岳詣が増えるかもしれない。ノンアルコール・ビールの「花じい」に、肉料理はいらないが、暖かい鍋を囲んで一杯やるには、花咲じいとだけでは盛り上がりに欠け、ある程度のギャラリーが必要かもしれない。 p.m.8:35



11/27 最近「高山病」と同音異語の「好山病」が中高年の間に流行っているようである。この病は、歳を重ねる事に厄介で、家族や友人・知人の忠告も耳を貸さず、只のめり込んで行く難病である。最近の事例では、ケガをして(そのケガも山でらしい。)大事な山行を断らなければならなくなったのに、当日の好天に誘われてか、皆が心配している事をよそに、別の山に(天使も同行か、チーズケーキを持って出掛けたかどうか分からないが・・)出掛けていたというから可笑しな話である。その情報を知った、仮称「山キチ・山バカ協議会」から近々難病の認定をする運びになると思われるが、世には、自称「山キチ」「山バカ」の輩が多く、連絡協議会の立ち上げを迫られても困るので、役員も会費もない小さな会にとどめ、認定はその都度の山行で行われる模様である。認定も手間ひまのいらぬ口頭で行われ、山頂パーティーも質素なものになるようである。その難病の源は、どうも県東部の方にあるとの憶測が囁かれているが、その流行は県西部に広がりつつあるとも言われている。皆様くれぐれもご注意を! p.m.4:20



11/26 昨朝の事、「山ノ神」が “風邪を引いたのでしばらく休ませて欲しい!” と床から起きて来ないのである。雨飾山から帰った夜も、PCやテレビを見て、遅くまで楽しんでいたばずなのに、可笑しいと思って再度起こしにいくと、“疲れて起き上がれない!” と言う。どうも、それを言うと次の山行に響くのではないかの憶測があったらしい・・・弱ったものである!・・・今度の山行で、自信が付いたのか、限界を感じたのか、その本意はわからない・・・・・・
 今春の3月中旬頃、東京の館沢氏と名乗る方から、「濁谷山」の状況を尋ねられた事があった。私は“富山に縁のある方なのか、それとも一等三角点を探しておられるのか?” と逆に尋ねたら、後者の方だと言われ、残雪期の経験しかない私は、知人から寄せられていた情報を告げた事があった。その事をすっかり忘れていたが、この程“10/6「濁谷山」に登頂しました。” と言う報告が届いた。またその前日に、新たなルートより「毛勝山」に4時間40分を費やして、登ったとも付け加えてあった。また10/16日には、「六谷山」の一等三角点にも届き、富山県関係では、あと「高坂山」だけであり、何か情報がないかと言うものであった。(「ヒ・ヤッー」この方は凄い方だし、こんな楽しみ方もあるのかと思ってしまった。)「高坂山」などという山名は聞いた事がなく、「突坂山」の間違いではないかなどと一瞬思ったが、一等三角点の山の中には、突坂山なるものがないと言う事も分かっていたから、残るは石川県境にある「蔵王山」かとネットで調べてみたら正しくその通りであった。点名が「高坂山」なのである。我親友氷見の春ちゃんに、その事を尋ねてみたら、彼も残雪期にしか登った事がなく、明確な登山道はないという。誰かこの情報をお持ちの方があれば教えて下さい。 p.m.11:59



11/25 雨飾山から帰ってから雨になった。このところ雨に悩まされていたから、早朝の冷え込みはあったものの、山中は頗る好天で、今までの「借り」を返してもらったような気がした。昨日雨飾山・笹平に着いて、山頂を眺めて瞬間、「山ノ神」の登頂はないものだと思った。4年前の同時期に、1mの雪を掻き分け笹平にやって来たが、山頂への最後の岩場でニッチモサッチモ行かなくなってしまったからである。その記憶は、我々二人には強く心に残っており、今回も同じような状態であれば、一人寂しく笹平で待機する暗黙の了承が出来ていた。しかし、同行の志に励まされ、フォローされての登頂は格別の喜びがあったに違いない。
 昨日のコメントと重複になるが、今回の山行のあたって、私と同じように大パーティーを組む機会の少ない「北ちゃん」は、子供の遠足のように指を折りながらその日を待っているなどと、コメントを寄せてくれていたが、当日は運転のためにお酒も飲まず、また皆に喜んでもらえる記録を撮りたいと、カメラマンに徹してくれた彼であったが、楽しかった山行に、またそんな機会があればよいのにと、帰路の車内でも、今日のメールでも喜びを述べていた。
 実力者の「花じい」は、役どころを感じてか、最後までパーティーの一員に徹してくれたようであった。しかし、流石に勘所では、きめ細かな心遣いや、育んだ多くの経験を見せ付けてくれた事に感謝であった。
 僧ヶ岳の下りで、ご一緒した経験しかなかったが、あの細い身体で、何処からあのエネルギーが生まれるのかと思うほどの馬力ある「茜ママ」に、走り過ぎないように手綱を締める「茜パパ」のコンビは、山への取り組み方もされど、新人生観の持ち主のような気がし、心を動かされるものもあった。
 当山行のメーンキャストであった「シュンちゃん」は、人を持ち上げても、決してけなす事がなく、全身で喜びを表現するなど気持ちよさに、そこが多くの人達を引き寄せる魅力となっているように改めて感じてしまった。
 新たな出会いは、ときめき共に活力が生まれて来る。自分の憧れとなっているものを、共に語れるという事の素晴らしさは何事にも変えがたい。山続ける限りこれからも多くの出会いがあると思うが、一つ一つ大切にし、自分の手から、それを失わないようにしなければならないと思っている。 p.m.2:20

 

11/24 シュンちゃんの復帰山行は好天に恵まれた。残念ながらケガのため「山の歌さん+天使」の参加が見送られたが、実に楽しく気持ちの良い山行であった。土日の天候が思ったより荒れなく、積雪は予想を大幅に下回ったが、カチカチ凍り付いた岩場の登高での緊張感や、チョット寒かったが頂上からの大展望には、皆大満足のようであった。先陣をきってくれた「茜ママ」、終始自分を殺しビデオ撮影に徹してくれた「北ちゃん」、アクロバット的な滑落停止の妙技を見せてくれた「茜パパ」、「山ノ神」岩場の歩行をフォローしてくれた「花じい」と「シュンちゃん」。茜ママ特性の「キムチ鍋」や北ちゃんの「チャーシュー・シナチク料理」にも歓声が上がり、初冬の雨飾山を充分に楽しむ事が出来た。一日中喋り通しだった我々の後に付いて来られた高岡の高田さんに、カメラのシャッターを切って頂いたりしたのも何かの縁である。 p.m.11:10



11/23 私の年齢は50代半ば。昨年から今年にかけて、10歳ほど若い山の友が何人も出来た。「もう10歳若ければ!」などの言葉を吐きたくなる。私より10歳年上の人も、きっと「もう10歳若ければ!」と思っているに違いないし、私が実際にもう10歳年を取れば、また「もう10歳若ければ!」と言うに違いない。これは永遠のテーマであって尽きる事がないであろう。明日より今日の方が、来年より今年の方が、若いし活力もある。明日・明後日と延ばさないで、自分のしたい事をやらなくっちゃ! 明日の「雨飾山」行き同行者の平均年齢は、私の年齢より5歳程度若い。その若さを吸収して今度は、私より年上の方にその若さをあげなければなるまい。 p.m.10:25



11/22 大荒れの予報がそれほどでもなく、少々肩透かしを食った感じであるが、しかし、北海道や東北北部では、平地でも降雪・積雪に見舞われたようである。と言っても富山は好天ではなく、我新しき山の友達は、またしても、白鳥の小屋で大宴会を敢行したんであろうか?冬用の手袋を出してみた。中には指先や手のひら部分がほころびているものもある。新調出来ればいう事がないのだが、何もかもそういうわけにはいかない。針を持ったり、接着剤を使用したりして、見かけは悪いが修理せざるをえない。そして、それがポイントのアクセサリーのように思えば結構楽しいのである。こまめに装備・備品を点検しておかないと命取りになる事もある。これからは、チョットした事にも気を配っていかなければならない。



11/21 「シュンちゃん」の復帰山行が明後日に迫って来た。このままで行けば、真新しい雪の上を歩く事になる。「花じい」のような超ベテランから、最近山歩きを始めたばかりの天使まで9名のパーティーになりそうだ。寄せ集めのパーティーとなるが、新たな交流が生まれるかもしれない。その雨飾山へ、勤労感謝の日前後の時期に、過去3度出掛けた事があるが、その内の2度まで夏タイヤのためチェーンを装着した事がある。そのために今回は、私自身のタイヤ交換を、例年より10日間早く行った事になった。装備も冬用を点検しなければなるまい。 p.m.4:00



11/20 今日は私達の結婚記念日で、明日は母の祥月命日である。一年前の当欄を読み返して見た。記念日当夜から母の逝くまでの事は流石に書いてなかったが、何時逝くか分からない母と山への思いの格闘を客観的に読み返す事が出来た。コラムニストでもなければ、小説家でもないから、その記述や内容はみすぼらしいかもしれないが、一年遡ればその分だけ若かったような気がする。でも、やりたい事が出来ない事ほど不幸な事はないし、やってもやってもその欲望にはキリがないが、子を持つ親としては、もっと甘えれば良かったと反省仕切りである。「山に関する毎日のコメント」と称しているが、山日記を公開しているようなものである。しかし、山日記にしては、その内容は紀行文に委ねているところもあるから、山への思いを綴る事の方が多いかもしれない。喜怒哀楽を表に出し、赤裸々に恥ずかしくもなく書き続けているが、只、真面目だけが取り得。それが功を奏し、今では輪が広がり、楽しくて楽しくてならない。そして、それは落ち込んだ時に、皆さんに励ましてもらえるからかもしれない。 p.m.2:15



11/19 メーンページに愛嬌で私の画像も載せるのだが、この所載せ過ぎた感はあったようだ。人気のないのは知っているが、でも私のHPである。チョット我慢もしてほしいものだが、福井のkyu女史からのメールはチョットきつい。来年はヒゲのない顔を見てみたいというのである。私の子供などは、私が生まれた時から、ヒゲが生えていたのではないかと、思い込んでいるくらいなのに、そうそう簡単に見せられない。「山ノ神」でさえ、もうヒゲのない顔など忘れてしまったであろう。髪の毛が無くなって来たから、ヒゲを伸ばしたのだろうと言う悪友達も多いのだが、実際は20歳くらいにも伸ばしていたのである。何度か剃り落とした事があるのだが、それこそ鼻の下が長く感じられ、自分ではないとすぐ伸ばしてしまった。そのヒゲにも、白いものが目立つようになり、決して見良いものではないが、今更止められまい。ヒゲを落とすのが早いか、山を止めるのが早いか分からないが、ヒゲがなかったら、山でバッタリであっても、「元ちゃん」だと、分からないではないかと、言ってくれる人もあるのである。 p.m.2:00



11/18 術後一ヶ月も過ぎ、もう大丈夫なのかもしれないが、傷口が痛かったり、その周りが「ギュッ・ギュッ」といったりすると、本当に跳んだり走ったりしても良いのだろうかと思ったりする。こんな事を思うと、“ もう絶対に手術なんかするものか!” となってしまう。医師と患者のギャップは甚だしいものがあり、我々は元通りになるのを治った言う。でも、医師側からみると、少しでも長生きしたり、少しでも以前より良くなるのを治ったと取るようである。私のように何日も山に出掛けられなかったり、いや、それよりずーっと長く、山に出掛けられなくなるようでは、とても手術など受ける気にはなれない。「それは、死んだようなもの!」などと言う私は、イザと言う時も、そんな強気のセリフを、発する事が出来るかどうかは分からないのであるが、先日教わった「朱夏」という大事な時期を掛けるわけにはいかない。「青春」が「朱夏」に変わったが、私は青春とは想い出作りだと思ってきた。そして、如何に多くの方と、共有の想い出をより多く持てるかという事であり、それを、今「朱夏」に置き換えている。24日の「シュンちゃん復帰山行」もそんな意味合いからしても、私にとって大事な行事であり、それを介してより多くの友人達と想い出を作りたいと思っている。 p.m.11:59



11/17 昨日の僧ヶ岳の雨は、次第に気温を下げていくように感じていたが、やはり雪に変わったようである。“ 朝方は一時雨かもしれないが次第に晴れてくる。” の予報は、やはり山では通用しなかった。1,100mから雪を見、1,200mから降雪に見舞われた。しかし、宮屋敷からは、久しぶりに「キュッキュッ」と新雪を踏む感触が新鮮で、悴む指先に “もう軍手じゃなく、フリースの手袋のシーズンだね!”となった。宮屋敷跡到着が11時で、山頂に届くかという不安があったが、幸い降雪の割には風がなく、雨具を着込めば何ともなかった。“青空がきっと覗くよ!” の山ノ神の願いが通じてか、山頂と宮屋敷跡で、数十秒の間真上の空だけが青くなったが、それもすぐ途絶え、登山口に近付くまで五箇山の山並みを見る事が出来なかった。“術後一番長い行程だね!もう大丈夫見たいね!”と言葉を掛けてくれた「山ノ神」だったが、雪が溶け出した下り斜面では、足が滑り相当難儀しだし、“もう~イヤ”と不適された顔に変わりつつ、疲れだした足は、“ビールが切れたから・・・飲む量が少な過ぎたから・・”と牽制とも取れる捨て台詞を吐いていた。 



11/16 もしかしたら、晴れなくとも雨が降らないのではないかの期待をもって臨んだ「僧ヶ岳」。烏帽子口に着いた途端に雨が降り出し風も強くなった。視界も悪く「こんな日も」などと自分で苦笑しながら歩き始めた。この時期にしては珍しいくらいの早朝時の気温20度が示すように、1800mを超す山にもひとかけらの雪もなかった。何時雷が鳴り出しても可笑しくないくらいの空模様は、だんだんと気温の低下へと繋がっていった。降りしきる雨の中、ツエルトで雨風を凌ぎ、おにぎりと魔法瓶のコーヒーを頂いてから降りようとしてリックを背負ったところ、何と何の打ち合わせもしていないのに「シュンちゃん」が登って来た。彼は、亡きお母様に纏わる沢山の想い出を担いで登って来たようであった。一ヶ月間山を我慢し、お母様にも由緒ある僧ヶ岳を選んで、雨の中をやって来たようであった。そんな話を聞くと、男のロマンを感じるのは私だけであろうか? 話はそれだけで終わらなかった。その後に、「シュンちゃん」と親交の深い小竹氏夫妻と筏井氏が、美味しいものをどっさり担いで登って来られたのである。「シュンちゃん」の大型のツエルトをタープ代わりに張り返し、我々までがスキヤキのご相伴に預かる事になってしまった。暖かいお酒まで振舞われてチョッピリ肩身の狭い思い・・・・しかしである。家を出る時、“ 今日は雨だし、ビールはなしだよ。” “ 分かった。” の会話が成立していて、狭いツエルトの中で、顔を寄り添って食事をした時にも、流石にビールは出て来なかったのだが、6人の宴がたけなわになると、何処から出してきたのか、いつものビールが出て来たのである。主催者側のおだてに乗り、“ 飲まなくっちゃ!” になって、しまいには“ ビールなしの山なんて・・・・”と冷たい雨の中でも、美味しくて楽しくてならないようであった。その効果もあってか、山頂から烏帽子口までの帰路は、皆と同じペースで一度も休まず降りる事が出来たようである。“ いつもと違がって、元気なのは何故!” と私は言いたい・・。その余勢で、視界の悪い僧ヶ岳林道を、片貝側(別又川方面)へ降ろされてしまった。私も一度は行って見たいと思っていたが、何も雨の中を行かなくてもの思いがあったが、それはそれなりの緊張があって、今日は充実した一日となった。 p.m.9:30



11/15 明後日は、少しお天気が回復基調にあるが、明日は雨で雷雨注意報まで出ている。行けば降るが、行かなければ、降らないどころか、日が差す事さえあり、こんなパターンの連続では仕舞いにイヤになる。行かなきゃ収まらぬ身体故、まずは登山口まで行ってみよう。 p.m.10:30



11/14 山の友人からのメールを調べてみた。一度でもメールのやり取りをした事のある方の数は183名であった。(記録に残っているもの)その内、お会いした事のない方が53名である。もっとも、お会いした事があるが、ネットに縁がない親しい「山の友」もあれば、私のHPを見て頂いているが、メールのやり取りに縁のない方もある。どちらにしても、私にしてみれば、大事な山の友である。数回のメールのやり取りで疎遠になっている方もあれば、私への励ましのためのように、時々お伺い下さる方もある。どの方も私の活力になっていて下さる方々で、私のHPが続く限りとても忘れる事が出来ない。その疎遠になっている方々に、どのようにアクセスしたものかと思案をしている。私のHPを支えてくれた方々に違いないし、かといって魅力を感じなくなって離れていかれた方々かもしれないからである。でも、自惚れではないが、何時かは御礼を申し上げなければなどと思う事もあるし、何処かでバッタリ笑顔を介したいと、浮いた思いもあるからかもしれない。 p.m.11:59



11/13 今は雨が降っているが、明日・明後日は晴れて、私の休日(16~17日)は、また雨だという。“何で・・・・・。”入院する前も、退院して本格的に歩きだしたい今回も全部雨。「(本当の)神様は意地悪だな~。」でも、世の中は必ず帳尻が合うと、いつもかすかな期待を持ち続けている。しかし、裏切られる事が多く、「帳尻」などと思わない方が良いのかもしれないが、宝くじも買えない私は、これくらいの小さな夢は持っても罰は当たるまい。その次の週は、復帰山行であるが、私は「雨飾山」を希望している。まだ参加者もその目的地も決定していないのだが、表に出せば、否応なしにも決まるのではないかと、ずるい考えだが、予想通り雪になり、今冬(いや、まだ晩秋なのか!)初のラッセルが待っているような気がする。何人の友と行けるのか楽しみなのだが、肝心のメーンキャストの返事を、まだもらっていなかったワ。 p.m.11:30



11/12 メーンページの画像は、もちろん山の画像であるが、その雰囲気を伝えるために人物も登場する事がある。集合写真を載せる事もあるが、山行形態が単独または二人だけの事が多く、「山ノ神」の登場がどうしても多くなる。ずーずーしい(また叱られそう!)「山ノ神」は、“ もっときれいに写せと私に注文を出す。” 私の持ち合わせているカメラは、本当に正直でそんな細工も出来ないし、画像処理ソフトで修正する技量も持ち合わせていない。家に帰るといつも「ウ~ン↓」とトーンダウンした声が響き渡り、あたかも私が悪いかのように、さっさと冷蔵庫の方に行ってしまうのである。(冷たいものを求めて!)・・・ならば・・・苦肉の策として用いているのが「山ノ神」の後姿や、少し距離をおいて撮る技法である。「山ノ神」の事ばかりは言えなく、私の画像を載せると、「お前のは良くない!」「あまり見たくない。」などと、苦情ともイヤミとも取れる忠告が舞込む時がある。我家の魔法の鏡を見続けている限り、そう変化を感じないのだが、レンズを通すと、仕方なく歴史を感じてしまうのである。 p.m.6:55



11/11 雨とはいえ、山の味を満喫したはずなのに、頭痛・歯痛で鬱陶しい日が続いている。アルコールを控え、柔らかいものをやっとの思いで喉を通している。これでは元気が出ない。「あっちゃん」の計らいで「空を飛ぶ男」と会える日も近いのに、飲まれない宴など考えられないから、それまで何とか治さなくっちゃ! そして、「翼」をどうして勝ち得たかも、お聞きしなくてはと、今から胸がドキドキしている。とうとう本格的に暖房のお世話になるシーズンとなってきた。これでも、例年よりも暖かいそうである。来週は、僧ヶ岳や人形山を候補にあげたが、天候次第では、雪上を歩かなくてはならない。せめて林道の障害がなければ良いのだが、もっとも、始めから悪天では、心が縮かんでしまい高所の空気が吸えなくなってしまうであろう。 p.m.7:35



11/10 どうせ明日は雨だろうと思って、総選挙の開票を深夜まで見入っていた。夜が明ける頃、空はどんよりしているが、雨は降っていない。あれあれと思いながら、2~3日前から痛み出した歯に、悲鳴をあげて再び床の中に入ってしまった。足慣らしに牛岳へと思っていたのが、もうチョット足を延ばして人形山へと欲張りの計画になったが、雨の予報に昨夜の段階でもう諦めてしまっていた。牛岳、小佐波御前山、中山などが雨の時の山なのだが、身体の事を棚に上げながら、“またか”になってしまう。そんな中、雨が降らなければ「大辻山」に、降り出せば「高峰山」にと、いつもの事ながら計画変更となる。9時~10時台の富山中部広域農道や、富山市郊外の「月岡」あたりを通過した時は、薬師岳~立山方面は厚い雲に覆われていたが、剱岳稜線の一部だけは、雲の上に先鋭な姿を見せていた。しかし、大辻林道に入ってからは、車の先がガスに遮られて見えぬ所もあり点灯して走った。今日は足慣らしなので、2時間ぐらいのタイムでゆっくり登る事にして、登り始めると上から駆け降りて来る人がいるではないか!  何と「北ちゃん」である。お昼まで帰らなければならないので、走って降りて来たと言うのである。私の事を「山キチ」などと言う彼も、私に劣らず「山バカ」である。彼と別れた頃から小さな雨が降り出したが、そんなに気になるほどでもなかった。葉も落ち展望も利かぬ山歩きなれど、何故か牛のように一歩一歩足を出して進んで行くのが好きなのである。その思いが誰にも分かってもらえなくてもである。いや世の中には、必ず可笑しな同類がいるようである。お天気も悪いし、体調の事も考え、食料も少なくした。だけどコーヒーだけは飲みたいと思っていたが、山頂に着いてから家に忘れて来た事に気が付く。歯痛から形のあるものも食べる気はしないし、落ち込んでいたところに、「プシュー」をいう音がした。「あら!コーヒー忘れてきたわ!」と言い終わるのが早いか、身体をくるりと回転させて、「ゴクゴク」である。家を出る前に、「今日は持っていくなよ!」 と念を押したのに・・・・・・「馬の耳に念仏」か! 雨が降っていても、「Myカップ」に並々と注ぎ、スルメに漬物と私の食べれないものばかり、“ 嗚呼! コーヒーが飲みたかったのに!” 我「山ノ神様」は山頂で、ビールを嗜まれなかったのは、同じ大辻山で雷鳴と稲光する不運の事態の時と、数年前の雪の雨飾山で凍結した岩場で、ニッチモサッチモいかなくなった時だけである。 p.m.10:50



11/9 「ターさん」からネットを止めるという連絡が来た。私は他のものを止めてもネットは止められないと思っているが、私よりずーっと若い「ターさん」なりの何か思いがあるのだろう。でも、私勝手にいうと、新しい山にバンバン行く「ターさん」の幻のHPも消えてしまう事になり、寂しい思いをしなければならなくなる。それとは反対に、「私にPCが届いた。元ちゃんの意外な一面を見た。」と私の同級生のG女史から嬉しい携帯メールが届いた。世の中の心配を全部背負っているような心優しい彼女なのだが、これからPCに挑戦する事により、新たな世界を見つけて欲しいものだと思っている。そして、山になかなか出掛ける事の出来ない彼女であるが、私の山の写真だけでも楽しんでもらいたいものである。 p.m.8:40



11/8 退院してすぐ登った「城ケ平山」の問い合わせが3件あった。私もあまりよく知らなかった山であるが、低山でありながら、剱岳から日本海まで360度の展望の表現に、興味をもたれたのかもしれない。雰囲気のよく似た山が、その城ケ平山の隣の「ハゲ山」である。二座とも500mに満たないが、正しく剱岳の展望台である。近年地元の方々が整備されたのであろうか、登山道はしっかりしていて迷うような事はなく、お天気の良い時や時間のない時、また元気があれば雪の時でも楽しめる山である。近くにある千石城山・高峰山などと共に、足を運ばれる機会をもたれるのもいいかもしれない。 p.m.4:30



11/7 “ほどほどにせよ!” と言われながらでも、今度の休日は結構乗り気でいるが、全国的にお天気はよくないようである。何ヶ月も山に行っていないように、どの山に行こうかと可笑しいくらいに悩んでいるが、どうもこのお天気では、それが報われないようである。またしても、牛岳などの低山で気を紛らわすか、それとも、冷たい雨をおして、少しでも高い所を目指すかは、空を見ながらギリギリまで、待つしかないのであろう。昨年11月4日に、「黒部のシュンちゃん」と「山ノ神」と共に高落場山に行った時は、上では1m超の積雪で難儀した事もあるし、一晩で山は、あっという間に積雪になってしまう。 p.m.11:55



11/6 術後3週間、退院して2週間で、再び病院を訪れたが、“ 傷口はきれいになっています。” との医師の言葉に安堵したが、7cmの傷跡あるように、完全に元通りには時間が必要だろう。診察を終え退室するするや否や、きれいな看護婦(師)が飛んで来て、“あまり無理するな!” と言う。その一つに、自転車に乗ったらダメだという。漕いで足を伸ばす時がいけないのだそうだ。自転車は乗らないが、では、“ 山登りは?” もう行って来たとは言えなかった。でも、実際重いものを移動したり、持ち上げたりする自信がない。でも、歩くのならどれだけでも歩けるような気がする。ところで、前夜、あっちゃん宅に、ずうずうしく上がり込み、勝手に「快気の宴」と称して大いに盛り上がったが、二日酔い状態で病院を訪れているのだから何をか言わんである。



11/5 母の法要のため帰省していた息子が、大阪の勤め先の同僚から「元ちゃんに宜しく!」と言われたそうだ。ネットに接続していない息子が、何かの拍子で私のHPの事を喋っていたのかもしれない。東京在住の娘は、大学の後輩が、私の入院の事をメールで伺い立てて来てくれたとも言っていた。また、大学の恩師が、「お父さん元気か!」とも言ってくれたそうだ。山に興味があるのかどうか分からないにしても、時々私のアクセスカウンターをHit していてくれたに違いない。若者にしてみれば、自分の親のような年齢のオッサンが、毎日つまらない事を書き続けている訳だから、それこそ不思議でならないのだろう。でも、毎日変わる画像とコメントに、共鳴はしなくても、いささかの興味はあるようである。このように、小さなファン?にも支えられているのだから、自己満足というものの、決して自惚れず謙虚にして、書き続けなければならない。 p.m.5:00



11/4 母の一周忌の法要を簡単ながら済ませて、やっと肩の荷が下りたような気がする。未明に帰った息子や、今夕家路に着いた姉夫婦、今夜発つ娘を送り出すと、また平常どおりの生活に戻る。お互いまた、同じ顔ばかり見なければならず、誠に味気ないが、牽制しながらも、長く続かなくては山行機会も覚束ない。今日は昨日に比べて、少し寒さを感じたものの、まずまずのお天気に恵まれたが、不思議な事に山への思いは薄く、日頃の自分ではないような気がしてならなかった。自分の子供を含めた客人がいるとしても、今までは、何とかその間隙を縫って、思いを遂げる事を狙っていたが、これも病のせいで、思いが知らず知らずに衰えている証拠なのか、それとも、年齢がそうさせていくのか?  でも、来週からは、飛び回って、そのようなことを払拭させてやりたいものだ。 p.m.6:20



11/3 先週は顰蹙を買いながら、里山(城ケ平山)に登ったものの、もうイライラの限界である。重いものを持つ不安はあるが、歩くのは、もう大丈夫なような気がする。この先の一週間を、どのように気を紛らわせればいいのだろう。「山の整理?」する事はたくさんあるが、果たしてどうなる事やら!当初の予定では、歩き始めを、「牛岳」としていたが、もう少し行程が長く、高い所へ出掛けたいと思うようになった。行けなかった私の休日に好天が続いたが、山行を予定する日に、またお天気が崩れるようでは、また牛岳になってしまう。 a.m.8:20



11/2 明日は母の一周忌の法要。もう一週間山行を我慢しなければならない。この休日を、改めて母の事を思い出したり、自分の身体を休めるのに丁度いいのかもしれない。離れ離れなっている子供達を一同にする良い機会にもなる。「山・山」ばかり言っている私に、一時の違った意味の休日をくれるのかもしれない。 p.m.8:35



11/1 私の事を本当に心配してくれる「あっちゃん」が、 「元ちゃん この世の中に三つの坂があり、山登りする者には、二つはすぐにわかるのですが(上り坂と下り坂)もう一つは、<まさか>という坂です。突然出現しますから怖いですし、驚きます。充分気をつけて下さい。」というユニークなメッセージを送ってくれた。実に上手い!明日も美女3人で県西部の山に出掛けるという純子女史は、「やがて、登れなくなる日が来るとは思いますが、ボケが先か、体力低下が先か・・・」凄くて面白い励ましのメッセージ!