1/31 山行予定を修正しながら苦笑している。こんなに登れるのだろうかと思いながら、明後日からのお天気の崩れにあたっているようなものである。その明後日の予定も決まらないのに、その先の予定などいい加減なものであるが、それがまた楽しいのである。ドライブや旅行の計画を立てるのと同じであって、今まで出掛けた時よりも時期を早めてみるとか、ルートを変えてみるとか、地形図を眺めるのも良いものである。地形図になれていない人も、(本当は、私もあまり上手ではない。)尾根や谷を見つけその傾斜などの予測も面白いのである。時々、自分の技量など忘れて、とんでもない所へ行って見ようなどと思う事もある。机上での遭難は、きっと勉強になると思われるから怖がらなくても良い。さて、その予定表に「白金ノ頭」を、載せる事が出来るのだろうか? p.m.11:59



1/30 ここ2~3日の天気予報を聞いていると気分が悪い。土日が良くて、月火が悪いのである。このところ、それこそ予報に反して好天に恵まれてきただけに、仕方がないと諦めなければならないのであろう。当初は、県内低山か上高地での雪中キャンプ、または群馬県の赤城山、そして富士山を眺める山梨県の名山を目指す計画であったが、この二日間は、西高東低にはならず、今のところ全国的に悪いようである。さて、その天気の裏切りを期待して、じーっと待つのか、それともまた、何時ものように悪天をついての山行となるのであろうか? p.m.11:40



1/29 昨夜「お知らせ」欄に山行予定を載せた。必ずしもその日に行かないかもしれないよと、何度となく載せた事があるが、結果的には何度か迷惑を掛けてしまった事があった。自分の計画だから、皆さんに必ずしも報告しないでも良いのではないかと思ったが、自分を奮い立たせる意味でも、また何処かへと思っておられる方への、サンプルになるのではないかと思えたから、事細かく載せる事にした。もっとも只、羅列した感は歪めず、自分でも矛盾を感じている所もある。誰と何人で行くかによっても、大きく左右されるから、大幅に予定変更もありえるのである。
 早速「山ノ神」からクレームが入った。例年3月~5月は、割と自由にしてくれと言ってあるのだが、置いてきぼりにされてはいけないとの牽制であろう。因みに昨年3月~5月までの18回の山行で、「山ノ神」抜きが10回、同行したのが8回であった。しかし、2回ほどは、他の所用で自ら行かなかったものもあり、「山ノ神」が、チョット来れない所へ出掛けたのは半分程だけであった。 p.m.10:00



1/28 「アンチエージング」という言葉を新聞で見た。「いつまでも若くいたい。」老いを遅らせ若さを保とうという試みである。「アンチエージング」を直訳すれば「抗老化」「抗加齢」。進行する老いに対し、少しでも時計の針の進み具合を遅くする試みの事らしい。女性は「老いたくない」願望はより強く、プチ整形、エステ、基礎化粧品などなどに投資或いは感心が高まっているという。しかし、顔や容姿という美容分野だけでなく、「健康」も「アンチエージング」の大きなテーマである事は間違いない。水泳やスキーに我々の「山歩き」も、身体を動かし健康を維持する事になる。しかし、ケガをしては何もならない。さてさて、私の「山歩き」は、若返るとか健康という面で、良い事をしているのだろうか? 日焼け止めクリーム塗布もいい加減だし、雪中歩行でもサングラスをかけないし、クタクタになるまで歩いているし、家に帰えれば、お酒を飲むし、身体を動かす以外、何もプラスになるような事はしていないように思える。ピンピン元気に暮らして、ある日コロリと逝く「ピンピンコロリ」が、「アンチエージング」の合言葉だそうだが、そんなに世の中上手くいかないものである。 p.m.11:45



1/27 昨春、就職した娘が初任給で、登山シャツとロングスパッツを買って送ってくれたが、厚手の登山シャツのため昨秋から使い始めた。ロングスパッツは、何処もかもが雪に覆われ、おおよそ泥などの汚れが付かない時に、使用する事に決めていた。昨日の小佐波御前山(結果的には御前山止まり。)行きがピッタリの条件であった。そのロングスパッツは、生地も厚く靴の底(足でいうと土踏まず)に針金状の合金がダブルで係り、ゴムのバンドは足の甲で留めるものであった。地元の山用品店では見掛けないものであったが、その店の店員さんや、山の友人達にその装着の仕方を尋ねてみたが、だれもそんなのは見た事がないと言って、教えてもらう事が出来なかった。間違って装着していたら恥ずかしいなどと思いながら、使用してみたのだが、実にピッタリなのである。また、足の長さはそれほどでもないが、足が大きい私には、靴紐に掛けるフックもちょうど良いくらいであった。家賃の支払いや奨学金の返済などで、決して楽な生活でないと思うが、私みたいな「ダメオヤジ」に、良くも嬉しいプレゼントをしてくれたものだ。しばらくは、美しい雪の中だけで使用してみたい思っているが、これも「親バカ」なのだろうか! p.m.10:20



1/26 “始めからお天気だと言っててくれれば良いのに!” などと思ったが、先日来の雪だから何処へ行ってもダメだったろう。新年会の「山ノ神」を残して今日は単独行。猿倉スキー場に着いたのが午前9時前であるが、リフトも動いていないし、誰もいない。踏んである所を2~3分歩いたがすぐカンジキを着ける。“こりゃ~御前山にも行けないかもしれない。”と、70~80cmの雪の中に足を入れた。40分ほど歩くと、前日のものであろうか、スキーリフト終着点からのトレースに合流する。展望レストラン・猿倉山には、楽々と行く事が出来る。再び林道を下り登山道(遊歩道)に取付いたが5分もしないうちにトレースがなくなった。消えたのでなく戻ったのであろう。下の林道には、スキーのトレースが付いていたが、私がその道を行くわけにはいかない。時間が経つに連れ、連日の除雪の疲れからなのだろうか思うように足が進まない。おまけに登山道に覆い被さる木々を避けるために、何を錯覚したのか上部のヤブの中に入るのが早過ぎて、ニッチモサッチモいかなくなり時間を余計に費やしてしまった。喘ぎ喘ぎ御前山に付いたのが、午後1時5分と4時間近く掛かってしまった。小佐波御前山は今回も遠かった。午後から大きな雲が覆って来たが、午後から夕方にかけて雪の予報がまたも外れて私には幸いであった。 p.m.10:10



1/25 大雪が続くというが、今日の日中に降らなかったので、明日は「小佐波御前山」に決めた。しかし、猿倉スキー場でさえ70~80cmの積雪だから、トレースがなければ「御前山」さえも覚束ないであろう。何が何でも何処かに出掛けなければ気がすまない私だが、目が覚めて雪が降り続いておれば、さすがの私も変更または中止にするかもしれない。
先日の牛岳に同行してくれた「堀シェフ」から小噺が送られて来た。「シュンちゃん」の親友である彼とは、昨年2月の「森石山」と2回目の出会いであったが、物静かな真面目が売り物の男だと思っていたら、意外にもウイットに飛んだ面白い男であった。牛岳を気に入ってもらった事もあり、その小噺の中から2題を紹介します。(無断で!しかし著作権は、堀シェフにあります。)

小噺その1
「昔々、越中の大日と言う山奥に山ノ神が住んでおりました。  朝な夕なに近所の立山、剣、薬師と宴会を楽しんでおったのですが  皆が余興余興と騒ぎ立てるので山ノ神は諸国より動物を  集めたのです。  白鳥、犬、白馬、鷲、大猫、獅子などに混じって子牛を連れた  大きな赤牛がやってきたのです。  母である赤牛はザラ峠をひとまたぎで越えたのですが、  子牛はとうとう越える事が出来ずその場で息絶えてしまいました。  山に姿を変えた牛は今も涙が枯れる事なく  それは山肌の至る所から清水となって湧き出ているそうな。」  (おお、なんと美しい!・・・自画自賛)

小咄その2
「昔々、牛岳ははなれの夫婦山の仲むつまじい姿を見て  牛だけに乳が張ってしょうがありませんでした。 (想像妊娠したらしい)  これは誰かに搾ってもらわねばと山ノ神に相談したところ  『となりの祖父に搾ってもらうのは恥ずかしかろう、  向かいの八乙女搾ってもらいなされ。』とのこと。  さっそく八乙女に頼んで搾ってもらったところ出るわでるわ、  今も枯れる事なく牛岳の岩肌から湧き出る清水は  牛岳のお乳であると言い伝えられておるそうな。」  (おお、どことなくエロ。小佐波御前の奇峰が立っているのも  うなずける話です。) p.m.10:35



1/24 大雪のため除雪で疲れ果てた。HPの更新も尚更遅れて来る。お天気予報には、まだまだ「雪だるまマーク」が並んでいる。これでも未だ「暖冬」なのだろうか? スキー場の積雪状況は、近隣の山々のそれなりの目安となるが、今回の寒波襲来で、低い所にあるスキー場にも、大量に積雪をもたらしたようだ。そして、未だ降り続くようであるが、明日出掛ける人があるのだろうか? 私の明後日の山行先も大幅修正である。それでもピークに立てる可能性は低いであろう。でも、このまま降り続くようでは、山行自体の中止もありえる。そうなると、所用以外での山行中止は、相当遡らなければないであろう。しかし、私は諦めない! p.m.11:50



1/23 「元ちゃんの山歩き」のお知らせ欄の山行予定に「単独行」と記されているものがある。これは、必ずしも単独行とは限らず「山ノ神」抜きという表示なのである。私が行きたい所に「山ノ神」が行けない時と、「山ノ神」の所用で行けない時の二通りがある。1/26は「山ノ神」に新年会が入っており、山に行けないので、ずーっと前から “雨になれ!” と呪っているのである。自分が好きな事をするのに、私が山に行くのは忍び難いと言うのである。何とわがままなヤツであろう。大辻山行でご心配頂いたその「山ノ神」が、チョット熱があると言いながら、早く寝れば良いのに、遅くまでテレビと戯れていた。今朝になって、“ 風邪のような気がするから、休ませてくれ!” と言うのである。それはそれで、良いのであるが、夕方になってから起きて来て、すっきりしたから、“ 今日はお風呂に入って、一杯やらなければと!” 言うのである。まさかと思いながら、私が夕刻から出掛けた町内会の新年会から戻ると、ほろ酔い気分でテレビを見ているではないか! 1/26に山へ出掛けない余裕からなのであろうか・・・。私より早く休日がやって来る方々は、どうであれ、この雪ではラッセルからは逃れられまい。 p.m.11:30



1/22 1/19~1/20のコメントに意外な反響である。もしもの時、経験談、山行時の役割など女性の方々は、沈着かつ現実的な意見である。それに引きかえ男性諸氏は、日頃から気を付けながら行動しているからとか、自分には起こらないだろうと楽観的な考えが多かった。「山ノ神」と私のパーティーは、辛いのはイヤだ!怖いのはイヤだ!などと少々重荷になるところが難なのだが、気楽なところが唯一の救いである。しかし、有事のシュミレーションは行われていなく今後の課題である。だんだんと行動範囲が狭まる中で、危険は少なくなると思われがちだが、想像もしない病が待っているかもしれないのである。長~く「山」と付き合っていくためにも、チョットしたケガと共に、充分に気を付けなければいけない。 p.m.11:30



1/21 寺口翁の事、F女史の大辻山行、G会の浜秀氏からの大平・濁谷山行の誘い、純子女史の山への思い、花じいのアドバイス、Respirar坂本氏の思いやり、カンジキの話など、今日はネタ(タネ)に困る事がなかったのに、どうも上手く文章がまとまらない。とかくこのような時から、スランプが続くのである。好きな事をやっているのに辛いのである。「継続は力なり」だけを信じて、ここまで来たのだが、文章力があるわけでなし、恥を曝しているようなだけかもしれない。“無理しなくてもいいんじゃない!” “時々でもいいから!” などの激励もあるが、そうなれば私のHPもおしまいだと思っている。カウントが200,000件とか、300,000件とか、そんな大それた事ではなく、とにかく2月6日の満4年を目指そう。 p.m.11:59



1/20 昨日の大辻山行の反省点。晴天に恵まれた牛岳山行の余韻を引き摺ったまま、雨予報の翌日の行き先は未だ決まっていなかった。展望の期待も出来無い上に、歩く距離の短いのも候補から外すと結局大辻山になってしまった。長尾峠までは確実にトレースがあるし、前日の好天からして頂上までトレースがあるであろうし、最悪のパターンでも奥長尾までは大丈夫だろうと思っていた。もう一つは、気温が高いものの上は雪ではないかの思いもあった。どちらにしても、コンロ・ガスを使うような食事は止め、歩く事だけを目的とした山行とした。出掛ける直前にHPの山行予定にも今日の行き先を記したが、従来何処の山に行くにしても、必ず誰かに知らせておくべきである。二人暮らしに近い生活になって来ると、卓上にその行き先を記する事を怠るようになってきていたし、友人達に何処へ行くなどと、事前連絡もしなくなって来ている。それはさておいて、緊急時の連絡方法にも未組織な我々の弱点がある。日頃からすぐ反応してくれる連絡先をお願いしておきたいものである。もう一つは、緊急事態が発生した時の事である。幸い今までは記憶に残るようなものはないが、どう対処出来るかである。携帯電話が何処ででも使えるとは限らないし、いろいろな事を想定したシュミレーションが必要である。実際「山ノ神」が倒れたらどうしようかと思った。担いだり引っ張ったり出来るうちは良いのだが、全く動かない或いは動けない時はどうすればいいかである。「山と渓谷2月号」の岩崎氏と田中氏の対談の中にもあるように、一人はケガ人・病人に付き添い、救助を求めて行くにも一人では心配だから、もう一人の合計4人以上のパーティーが望ましいと語っていた。私は、単独行や「山ノ神」との二人パーティーが多いが、歳を重ねる毎に、ケガばかりでなく、予期せぬ病の事が頭から離れなくなって来ている。ツエルト持参など最低の自衛手段は言うまでもない。 



1/19 雨の予報なのに、いや雨なのに今日も飽きずに「大辻山」に向かった。「国少の家」から林道上で雪になった。城前峠までは雪が少ない上に圧雪で歩き易く、長尾峠でも40cmくらいであった。林道歩きでは、「山ノ神」に “チョット遅いのじゃないの!” とハッパをかけられた。⑨の登山口に来るとぐっと雪量が増えた。トレースの上に、5~10cmの新雪が積もっていても、踏み固められているために歩き易かった。ところが、あれほど威勢の良かった「山ノ神」が、奥長尾山への登りからヨタヨタの歩きになった。チョット変に感じ、心臓や胃の具合、もしかして二日酔いなどの症状を確かめてみたが、ただ「ダヤイ」だけだと言い切った。何時ものペースの1/2、または1/3にペースダウンしてもきつそうであった。上に行ってから不調を訴えられても厄介だし、脳梗塞や心臓病の事が脳裏を掠めたが、それも運命と歩き続けた。しかし、⑥への急登で、さすがの「山ノ神」も、辞退を申し入れて来た。風雪が強くなり、前日のトレーも消えてしまう程で、視界も150mくらいになってしまって不安が募ったからであろう。私は、「1、ここで退却する。2、先に国少の家まで下る。3、ここで待機する。」の三案を提示した。「山ノ神」は、“このまま下ると、あなたも不安だろうし、私も自信がない。また、あなたも頂に立ちたいであろうから、ここで待機する。” と言うのである。ではと、強風の中ツエルトを張り1時間半程の時間をもらって山頂に向かった。今日は、雨を予想して、ガス・コンロを省き、食料もコンビニで買ったおにぎりとパンだけにしていた。渡せるものは全部「山ノ神」に渡し、山頂に向かった。私にはツエルトもなければ、2食分のパンと昨日の牛岳山行の残り水にカメラ機材だけ、1時間15分の自由時間と30分の予備時間をもらっていたが、ふと過去の「山ノ神」の気になる行動が脳裏を過ぎった。あの一連の行動が「三味線」ではなかろうか? しかし、ツエルトの中と言えどもあの強風下でのは、何ぼ「山ノ神」であろうと、心中穏やかではあるまい。火の気もなく 風の音だけでもビビルと思うからである。まるで、「走れメロス」のような心境で、山頂へのアタックとなったが、杉林の中のような風の当たらない所以外は、前日の殆どトレースが消されてしまっていた。しかし、足元は意外なほどに締まっていて雪煙以外は、不安を抱かせられるものではなかった。僅か5~10分の山頂滞在なのに、今歩いて来たトレースが全部消されていた。しかし、逆に視界が広がりそう不安もなかった。約束時間に5分遅れて「山ノ神」の待つツエルトに戻ったが、“ 手が冷たい!鼻が冷たい!” などの我ままの言い放題であった。すかさず飲酒検問のように“ 息をかけなさい。” と言ってみたが、疑念をもたれるような事はなかったようである。家に戻って、再び問質してみると、ビールはリックの中に忍ばせてはあったが、そのような雰囲気でなかったと膨れていた。 p.m.10:50



1/18 もう少し雪が欲しかったが、それでも今日の牛岳山行は最高の一言に尽きた。雨の予報が何時の間にか好天に変えてくれ、私の牛岳山行の中での最高のお天気にしてくれた。また、私としては近年では最多人数のパーティー(9名)を組めた事も喜びの一つであった。前日付けられたトレースを嫌ってのラッセルや、グルメづくしの「宴」、三角点から牛岳頂上往復のタイムトライアルなどなど。我高岡グループに、黒部の3人が馳せ参じてくれたのが、盛り上がらせてくれた一番の要因かもしれない。“ 良かった。” と冬の牛岳を認めてくれた山の友達に感謝すると共に、私自身区切りのよい80回目の牛岳山行となった今日は、寺口翁まで会えるというおまけまで付いた。この愉快で楽しい仲間達は、来月も付き合ってくれるというから嬉しくてならない。どんな山に行けるのか、この先一ヶ月が楽しくて仕方がない。 p.m.8:30



1/17 昨夜はRespirar坂本夫妻のお宅に招かれた。私達の勝って気ままさを承知してか御宅を「元ちゃん山荘」と称して時々我々夫婦を歓待してくれる。今の御夫妻は、山行機会を失ってはいるが、夫人は黒部在住の若かりし頃、北又小屋で泊まり朝日岳をピストンして戻ったという思い出があるそうだし、ご主人は、近年まで県内のマイナーなピークを目指して至る所の林道を駆け巡っていたと聞く。我々の山好きも承知ながら、そのお招きの時、いろいろなゲストを紹介してくれる。昨夜は20代のIT関連の若者を、過日は空飛ぶ夫妻を紹介して頂いた。飲むほどに酔うほどに、HPの事や「山」の事など、話し上手なご夫妻は、私を有頂天にさせてくれる。夫婦の「いさかい」も、マジックのように説き伏せてしまう手腕がある。もしかして、私を本当の人間にしてくれるのは、「元ちゃん山荘」として私を迎えてくれるRespirar坂本夫妻なのかもしれない。そのRespirar坂本氏は、私より若いのである。 p.m.11:45



1/16 先日の「赤谷ノ頭」山行で、「山ノ神」の激白?があった。山頂での昼食時(「山ノ神」にしてみれば、ミニ宴会)に、1/6の負釣山の七合目待機の事が話題になり、私が山頂アタックの時間(1時間15分)に、やはりわからぬようにビールを飲んだようである。そこまでは薄々感付いていたのだが、“ あの寒いのに、まあ~、よく飲んでいられたものだと思っていた。” 「山ノ神」にしてみれば、ズルーっと滑りそうな所を残して、とても飲んではいられないという判断があったらしい。私もそこまでは許容範囲であったが、その後が聞き捨てならなかった。ビールの後に、日本酒を飲んだと言うのである。ペットボトルに入れて来て、黙っておれば証拠が残らないと思ったというのである。“ ビールなしの山は考えられない。” とまで言い切る「山ノ神」に、私はどうすればいいのか!と言いたくなる。いや何時も言っている。“ 山道・雪道の運転はイヤ!” 増してや「赤谷ノ頭」当日はカチカチの冷え込み様で、運転するなど考えてもいない。私は二人分の反則金を考えると、アルコールのグラスよりも、コーヒーカップを用意するようになってしまう。連れて行かなければ、また一週間口を利いてもらえないし、やはり「山ノ神」として奉らなければいけない運命のようである。 p.m.5:15



1/15 一日中雪が降り続いている。18日は新しき「山の友人達」との新年山行が企画されているが、未だ行き先は決まっていない。このまま降り続ければ、低山の登頂でも難しい。しかし、別の低気圧が現れて、雨混じりの雪も結構辛いのである。でも、その新しき山の友人達は、何が何でも行く人達なのである。(私も何処かで、そんな人を見かけた事がある!!)私にしても、月に一度の日曜休日で、多くの方々と親交を深める良き機会なのである。 p.m.5:50



1/14 「北ちゃん」から「雨飾山」のビデオテープが届いた。昨年11/24に、復帰山行と称して出掛けた雨飾山を丹念に撮って、それを1ヵ月半も掛かって編集したものである。“こんなのに素人が出来るの?” と思うほどの出来栄えで、彼のもう一つの顔を見た。バックミュージックに始まり、ナレーションに挿入歌、地図の他に文字が飛び出す。そしてアングルが良い。でも、何と言っても7名のバランスを考えての苦労がわかる。参加者の愛称や名前まで登場し、今日は一日スターになった気分だ。「北ちゃん」有難う。同日参加した仲間も同じ気分に違いない。ケガで参加出来なかった○○夫妻にだけは申し訳ない気分です。 p.m.6:50



1/13 昨日のお天気がウソのように今日は狂っている。昨日はどの山に登られても素晴らしい展望に恵まれ歓声がこだましていたのではないかと思われます。昨日「赤谷ノ頭」に誘ってくれた辰口氏は、「剱岳」が好きで、剱岳の登るか、それとも剱岳の見える山ばかり登っていると言っても過言でないであろう。私と必ずしも休日が合わないから、その数は少ないのだが、伊折や馬場島周辺の山に行けば、必ず出会うような気がする。彼と初めて出会ったのも降雪の「細蔵山」。しかし、赤谷山がホームグランドと言う彼と登山口からご一緒したのは、昨日の「赤谷ノ頭」」が初めてである。北尾根・中尾根・南尾根や4本杉・8本杉・田原杉などの彼が愛着を持ってつけた呼称は、何処かで聞いたような名の「剱見平」と共に、山の仲間に認知されれば良いのにと思ってしまった。隅から隅まで知っている彼であっても、深雪ならば一人で登れないし、ガスにまかれれば迷うに違いない。剱岳のてっぺんからブナクラ峠に延びる稜線上に赤谷山がある。昨日も一緒に眺めながら、今年中にその赤谷山20回に登り、来年は100回に到達したいと言っておられた。私は、彼の山以外の人生は知らないが、そんなロマンの持ち主に、100回目時は、私の休日に合わせてくれないかな?と言いたくなる。彼の大好きな冷たいビールを担いで行くのだが・・・・ p.m.5:35



1/12 8号線の常願寺橋を渡る時の温度表示が-4度、登山口の伊折に行くのに上市稲村~折戸では? 峠のスリップを警戒して箕輪から回る事になった。今日の「赤谷ノ頭」行きは急な召集のため、辰口氏、茜ママ、「山ノ神」と私の計4名になってしまった。気温は低いが、抜けるような青い空、良質の雪などを加味し、北尾根からの挑戦となる。時々展望が開ける所の他、木々の間に剱岳を眺めながらの贅沢な登行(高)となる。程よく締まった雪の上に、フワフワの新雪が・・・ ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ・・・今日来れなかった人達の事を話しながら、気分満点であった。標高が800mを超えると新雪の量が増え、ラッセルする額に汗がにじむ。新雪がストックを沈めるくらいに観測され、その下に前の雪がある。午後0時過ぎに、辰口氏が好むピークで小宴会とする。剱岳の雄大さに毛勝の山々、芦見尾根の稜線に、次ぎ行く「細蔵山」を目の当たりにして、4人とも飲まずとも「山の空気」に酔ってしまった。「いいね!」「凄いね!」「今日来れなかった人にも見せたかった。」などと1時間半も眺めていた。このピークは、三角点よりも高く、もしかしたら「花じい」が、以前に「赤谷のタンコブ」と言っていたピークなのであろうか?この後、「越中の百山」のピーク(三角点のあるピーク)で再び剱岳を眺め、南尾根を下った。雪量は、はるかに南尾根が多く、この急登に、この雪量を考えると、南尾根から登らなくて良かったと皆同口であった。周遊8時間コースは、快い疲労を残したが、1月の「赤谷ノ頭」で、こんな感激を味わう事は、もうないのではないかと、凍結した伊折から伊折橋までの道を歩きながら、皆思ったに違いない。 p.m.9:45



1/11 明日の山行を「思案中」としていたのは、直近の降雪を加味しながら決めたいと思っていたからである。もう一つは約束もないし、いつでも変更可能で、明記してご迷惑を掛けるのが嫌だったからである。明日は好天の予想で、奥長尾山の先何処まで行けるかわからないが、大辻山へ出掛けようと今日の午後になって決めていた。午後7時頃、辰口氏から「赤谷ノ頭」に誘われた。移り気な心は二つ返事で「赤谷ノ頭」行きに変更になった。2年前の「赤谷ノ頭」では、私に多くの山の友人を作ってくれた記念すべきピークなのである。しかし、1048mピークへは、ラッセル隊の人数がチョット足りないのである。 p.m.10:05



1/10 6日の「負釣山」は、降雪が一時的に強かったものの、時折晴れ間も出てまずまずのコンディションであった。虎ロープの施してある急登場面では、下雪が固くその上の新雪を踏む時にスリップし、嫌気をさした「山ノ神」が途中辞退をしてしまった。私一人登った山頂の展望は、登行中に見えた大地山も含めて小川側の景色はガスの中であった。もちろん、剱岳も毛勝の山々も僧ヶ岳もである。只黒部の扇状地に広がる町並みだけがくっきりと見る事が出来た。「負釣山」の標識が大方顔を出していたが、周囲の積雪はピッケルを刺すと完全に隠れてしまう状態であり、やはり1m近くあったのであろう。「負釣山」からの展望に、チョットわかり難いが「白金の頭」というピークがある。北又谷支流白金谷の源頭である。ご存知「越中の百山」の一座なのである。同じ一座の「定倉山」と登られているようであるが、私にはチョット自信がないし、相又谷からのゴルジュを考えても身が縮む。しかし、大好きな初雪山の近くにあるだけに、チャンスに恵まれれば是非の思いが強い。



1/9 「山ノ神」の復活を喜ぶ。今年も仲良くやってください。などと私を気遣ったメールが何通か届いた。拙く当欄を綴っているというより、勝手気ままに書き続けているのが本当なところかもしれないのに、有り難いと言うか申し訳なく思っています。年末に「難題」たる語句を載せたばかりに、心配してくださった方々も多い。親友にも言えない悩みだってある。親友だから言えない悩みもある。その悩みは誰も解決してくれない事を知っていながら、自分の担いでいる袋から一言抜けてしまったくらいに思って欲しい。50半ばを過ぎた男でも、夢もある変わりに悩みもある。私とて生まれた時から歳とっていたわけでもないし、もっともっと歳を取るのであるが、チョット見てくれは悪くても人間に変わりはない。可笑しな事を書いているものだ。私の悩みなど、あの大自然の中からみれば、何処にいるかわからないほどの、そしてまた、それよりもチッポケなものであろう。悩む事などないんだよ! お前よりもっと辛い思いや悲しい思いをしている人達がたくさんいるのだ。お前は見栄えも良くない小さな山ばかり登っているかと思っているかもしれないが、歩く事さえ出来ない人が、どれだけ世の中にいると思っているのか・・・・・私は自惚れて、山が大きく抱擁してくれるなどとは言わないが、自分を見つめ直してくれる所だと思っている。心のより所だとも思っている。只、逃避は嫌で挑戦(チャレンジ)だと位置付けている。そうでないと寂しいではないか? 誰にも言えない「難題」。いつかは「なんだい?」などと言ってのける幸せが付いて来て欲しい。 p.m.9:40



1/8 雨が降ったらどうするか?雨にもいろいろあって、ずーっと雨が降り続きそうな時もあれば、出掛けの雨、台風、或いは雪の山の雨。単独行の雨もあれば、友との約束した時の雨、グループ山行の時の雨などいろいろな雨の時がある。「雨だから行きたくない。」「雨が降りそうだから行かない。」など、人の考えも様々である。何が何でも「山」に行く私としても、雪の山の雨は低山でも辛い!「何で行くの?」と尋ねられれば「わからない。」が正直なところ。単独行や夫婦の山行ならば、中止や変更も容易であるが、こと「山の会」なるものに所属していると、どうしても集合場所の約束時刻まで出向かなければいけないであろう。約束は約束で、その企画をして下さった方に敬意を称するためにも出掛けるのが本当であろう。中止にすれば晴れるし、束縛されない単独行ならすぐ中止にして、後々悔やむ事も多い。宿泊登山の時などは、余程の事がない限り決行なのだが・・・・・p.m.9:00



1/7 あんなに良いお天気だったのに、午後から予報通り悪くなった。そしてあまり積もらないが明日は雪の予報である。しばらく雨または雪の予報が並んでいるが、昔の1月や2月は雨なんか降らず、雪が降るか降らないかだったのに、この頃は雨の日の方が多いように思う。平地に雪がないから、逆に誰でもが冬の山に登るように(登れるように)なったのかもしれない。もちろん車があっての話でもある。私の高校時代の写真を見ると、牛岳では五合目ヒュッテまで、医王山では国見ヒュッテまでのが多い。車がなく重荷の事もあったが、小屋もしくはテン泊してでも、積雪期(厳冬期)に頂上に達している記録はない。もっとも、林道もなければ、低山であっても冬山はタブーの時代。増してや中高年が団体で押しかける風潮もなかった。それを考えると、今は実にいい時代なのかもしれない。どんなに多くの山行経験があっても、怖い目或いは辛い目にあった事のない人こそ、雪の山は特に気をつけなければならないようである。 p.m.11:20



1/6 「バーデン明日」付近に来ると山が真っ白で、雨が雪に変わった。西尾根コースとの分岐から林道も白くなり、オコ谷の駐車場では、7~8cm(山ノ神は10cmだと言うが・・・)の積雪になっていた。高度を上げる毎に積雪が多くなっていったが、六合目からは以前の雪(残雪と言っていいのだろうか!)の上に、一気に積雪を増やしていった。七合目下の虎ロープが施してある所では、「山ノ神」を引っ張り上げてやらなければいけなかった。七合目には、予想よりはるかに早く着いたのであるが、降雪が強くなり、小川側の視界が一時的にも全くわからなった事などが重なった上に、山頂直下の急登場所に、尚更不安が募ったのか「山ノ神」が登頂を辞退してしまった。ツエルトを張り、食料とコンロ・ガスを渡し(まるでテントキーパー)私一人が山頂へ向かった。何ともなく行けたのであるが、九合目を過ぎた山頂直下の雪のつき方が悪く、30~40cmの新雪を踏むと下の固まった雪で滑るのである。下りの事を思うと「山ノ神」の辞退が正解のようでもあった。しかし、山頂滞在30分余を含む往復1時間15分もあれば、「山ノ神」の魂胆が充分に発揮される事を、登頂ばかり考えている私などのには、車に戻って整理するまで全く気付く事が出来なかった。 p.m.9:00



1/5 「お父さん行って来てもいいよ!」「じゃ~あ、お昼まで帰るから!」が、娘との昨日の会話。まだ薄暗い5時半頃、携帯アラームが鳴る前に起きたのだが、着替えなどを探していたら、「山ノ神」に“ 何処へ?” と声を掛けられてしまった。昨日から一枚の賀状でギクシャクしていて、お互い碌に口もきいていなかった。「行ってもいい?」「行くか?」などの会話が成立せず、今年に入って4回連続「山ノ神」抜きの山行となった。山に行きたい反面、しばらく会えない娘との時間も失いたくなかったので、行き先も告げないながら八乙女山に向かった。閑乗寺から1.9キロ林道を辿ってから整備された登山道に入った。プラブーツとゴアの軽登山靴を用意していたが、カンジキなしの軽登山靴を選択してしまった。雪のある冬は当然プラブーツになる事が多く、厚手の靴下を忘れてきてしまった。登山道は真冬ではなく、まるで晩秋のような気配であった。コナラやミズナラを見ながら10分程進んだ時、「ブシュー」と言う息と目の前の物体を見て、私の方がびっくりしてしまった。またまたカモシカなのである。私よりは、あっちの方が先に気がついていたらしく、7~10mくらい横に逃げたが、カメラを使いたい私としばらくはニラメッコが続いた。その後また10分ほど行くと、今度は雪が現れて来た。どんどん増えて林道に出た時は60cm、山頂近くでは最深80cmまでになっていた。しかし、お正月のトレースのお陰と雪が湿っていたから、あまり沈む事はなかった。しかし、カンジキがあった事に越した事はなく、その分辛い目にあったのである。展望のない山頂から降りて、峠で三角に見える牛岳と、五箇山の山々を眺めながらコーヒータイムとした。何処に行くとも告げなかった事も気に入らなかったのか、イヤミのメールが「山ノ神」から届いたが、山上にいる時ぐらい休戦にして欲しいものである。食事時間を取らなかった分だけ、コーヒータイムに30分をかけ、僅かながら自分の時間に満足した。午前6時20分に家を出て、11時に家に戻ったのだから、どのような対応も出来るはず・・・・ さて、娘を空港に送ってから何を言われるやら・・・しかし、山行と言う「後ろ盾」が私にはある。 p.m.5:00



1/4 今日のお天気が良かったのでチョッピリ悔しい気持ちであった。でも、明日・明後日もそんなに悪くないようである。最後まで残った長女が、明晩7時の飛行機で帰京するという。当然空港まで送らなければいけないのだが、明日の日中を私はどのように過ごせば良いのだろうか?買物の付き合いは1時間が限度であるし、その他の付き合い方も知らないのである。夜明け前に家を出て、お昼頃に帰宅するのなら、構わないような気もするがなかなか言い出せないでいる。 p.m.7:00



1/3 元日の夜に予告なく突然やってきた長男が、今朝早く帰阪した。駅に送り届けて自宅に戻ったのが午前6時半。「山ノ神」が私に「行って来たら!」と言ってくれ、おにぎり1個とお茶を用意してくれた。往復3時間、山の滞在が4時間の計7時間、午後2時まで帰るからなどと(実際には、雪が少なく帰宅は午後0時半)言って時々ぱらつく雨の中に車を走らせた。千石城山駐車場に歩いて7~8分ほどの所まで車を入れる事が出来たのと、雪量も多くなかったので、車を離れてから、1時間も掛からず山頂に着く事が出来た。真新しい足跡は誰のものかなどと考えながら歩いていたが、その主は予想通り「好山病」の認定を受けたばかりの筏井氏であった。ツエルトの中から出て来られた「天使」を見てまたびっくりで、夫婦とも感染してしまったようである。お正月から、このお二方とお会いする事が出来たのは、何だか縁起がいいのではないかと勝手に思ってしまった。一昨年私の大辻山復帰山行の時お会いした池田夫妻とは、調整がつかず今回はお会いする事が出来なかったが、私のHPを通じて可愛がってもらえるのは光栄の至りである。またまた、労山の尾田さんとお会い出来て良かったのだが、今回も「山の話」をする機会を失ってしまったのが、チョッピリ残念であった。結局時間の合間を縫って三日間山行が出来たのは私だけで、歯痛とは言え「山ノ神」が同行出来なかった事が、後々の山行に影響なければいいのにと願うだけである。 p.m.8:55



1/2 二年ぶりに山田・柴田君と牛岳に登った。二年前の同じ日は、風雪が強く稜線上で立ち往生した経験があったが、今日のお天気は予報より良い方に傾いた。それと裏腹に雪量が減り稜線上はブッシュで歩きにくかった。しかし、暖かく結構気持ちの良い山行であった。風邪をひいた「花じい」と山頂で会う事が出来なかったし、例年会う吉尾氏の顔も見れなかったが、あらちゃん御一行とF女史に出会った。多くの言葉を交わさなかったが、皆それぞれの思いの山行のようであった。 p.m.11:50



1/1 今年も何卒宜しくお願い致します。

〓 今年の山行目標 〓
1、 ゆっくり山を味わいたい。夏は「北ア」を充分楽しみたい。
2、 いろいろな方々と「山の話」をしてみたい。
3、 今まで得た山の友人達を大事にしたい。
4、「越中の百山」123座の内残り18座。今年5座登頂が目標。
5、「百、二百、三百名山」合わせて125座以上の登頂。現在113座で、今年12座登頂が目標。
6、「日本百名山」今年5座登頂が目標。(現在59座)
   a.m.0:30

 元日の山行は、いろいろと予定が詰まっており、過去に一度もなかった。歯痛で臥せっている「山ノ神」を置いて、高岡の「二上山」を歩いてみた。近所のG氏がよく出掛けられる「大師ヶ岳」にも足を延ばしてみた。大師ヶ岳はもちろん、冬の二上山も私にとって初めての経験であったが、ふるさとの山を見直す事が出来た。300mにも満たなく雪も全くなかったが、海山とも眺める事が出来、万葉のふるさとの山として、充分過ぎる与えのある山のように思えた。