2/29 明日は曇りを信じて?「大地山」にする。お天気でなければ魅力が半減する山なのだが、もう我慢がならない。今年は、ハレルヤ山行で楽しい思いをしているが、「赤谷ノ頭」以外燃焼しきった山は未だない。明日の行く先を「山ノ神」に提示したら、「大高山」でなく「大地山」を選択した。晴れなくてもいいから、せめて降らないで欲しい。視界不良が一番イヤなのだが、まさか出足に降雨と言う事はないであろう。 p.m.8:30



2/28 山歩き(山登り)は、スポーツであるか、そうでないかという議論がある。ある時は修行のような気もするが、最近の私は、とても修行と言うものではない。なぜならば極限に近いまでに自分を苦しめたり、何か一つの事を思い詰めたりする機会がなくなって来ているような気がするからである。錯覚かもしれないが、なまくらな私は、リックを降ろす事も面倒で、食べ物や飲み物を口にさず、一日中腰も降ろさない事が多かった。目的とするピークに向かって、また気に入った画像を撮りたくて、只歩いていた。事前に用意したり、山ノ神が持たせてくれた食料などは、殆どが非常食となっていた。最近は、「山ノ神」との同行機会が増え過ぎ、休憩や食事の時間が増え、山行内容が様変わりしてしまった。私自身の衰えや、山の自然との関わりなどを考慮すれば、それはそれでいいのだが、とても修業的ではない。趣味を前面に掲げて、山と接すればそれでいいのかもしれないが、決して美食とはいえなくても、腹いっぱいに食べたり飲んだりする事が、心まで満足させてくれないものである。実際「山道を歩きながら、こう考えてた。」などと言う事がなくなってしまった。こればかり述べると「山ノ神」に、また叱られてしまうのであるが、自分を見つめ直したい時間が欲しいものである。幸い毎年3~5月は、私の自由にさせて欲しいの願いが通じ、50%以上は思いのままになる予定である。家には怖い顔が待っているかもしれないが、それも修行と言い聞かせればいいのである。身体を苦しめれば苦しめるほど、「ハレルヤ」の仲間達との再会が、私にとってご褒美になるような気がするのだが、果たして我家ではその思いが通年通じるかどうかは疑問である。 p.m.11:59



2/27 昨日は、G会の浜秀氏がHP(てんたかく)を開設してもう一年になるそうで、開設のエピソードとして、私のコメントも少しは影響があったと「ヨイショ!」をしていた。また、福井の山田氏からリンクの依頼があったし、今日は、朝日小屋管理人の日記に「岳人の茜さん」の事をニュースとして捕らえていてくれたりして、私も少しはお役に立っているのだな~と思った。でも、悪天続きの休日に、私の心中は穏やかでなく、あの山この山への思いが、だんだん遠のいて行くような気がして仕方がない。「山は逃げるのである!」 p.m.11:59



2/26 小竹夫妻の末娘茜さんが、3月号の「岳人」に載ると言う事を聞いてはいたのだが、買いそびれてしまった。「山と渓谷」より内容が高度なためか、書店にはあまり多く並べてないようである。私と「山ノ神」とで4店回ったが、出遅れたせいか何処にもなく、一時は小竹夫妻が買い占めてしまったのではなかろうかとさえ思ってしまった。内容は、「生活技術ブック雪山編」と題して13Pも費やされているものである。八ツ岳で行われたらしく、テントの設営・整理・水作り・火器の使用法濡れ対策や小物・安眠術・撤収また雪洞とツエルトの使用法など、入門編として細やかに書かれている。大学のWVに所属しておられる茜さんには、何でもないことかもしれないが、読者として一つ一つ頷いて拝見した。モデルとして登場している茜さんの写真が20枚ほど載せられているが、まだお会いした事がないのに、何故か親しみを感じてしまった。これからも尚一層、山と親しんで欲しいものです。 p.m.11:59



2/25 ストックのワッカが、二ヶ月連続で雪の中に消えた。山用具屋の店員さんの話では、抜けるはずがないと言うが、現になくなっているのだから仕方がない。そのために何度も店に足を運ぶのも面倒だから2個まとめて買った。でも、最近物忘れが激しいから、今度は何処にしまったかでまた悩むかもしれない。それにしても、雪の中に不燃焼物を落として来たわけで、あまり良くない話である。この頃用具にはついていない。アルミのカンジキのビーズが外れる。(とれる)2機修理に出したが、また外れてしまった。もうメーカーをあてに出来ず、DYIに出かけて手当てをしようと思っている。でも、その手の事は元来苦手な部類なのだが、整備不良が命取りになる事もあるだけに何とかしなくてはと思っている。 p.m.11:55



2/24 昨日の夕飯の事。禁酒三日目なのに、ご飯はないと言う。今までが、お酒を飲んだら、ご飯を食べなかったものだから、今日はてっきり飲むものだと思って準備はしていないとの事。うどんでも、ラーメンでもいいと言ったのだが、山に行った日に飲まないのかとか、チョットくらいいいのではないかと牽制しきりであった。二日間その誘いに乗らなかったのだが、違った意味での兵糧攻めに遭い、あえなくお酒を口にしてしまった。そうなると、今日もそれを上回るお酒に手が出てしまう。と言っても大酒のみでもないのだが、飲まないとすぐ二人だけの食卓から離れてしまうのが気にいらないらしい。しかし、飲んでしまうと、PCの前で持ち時間の半分以上寝てしまうので、HP作りに支障が出てしまう。「山の話」をすると最後は喧嘩。面白くないテレビに付き合うのは、ショッピングセンターに連れて行かれるのと同じくらい苦痛。山に登れなくなって、HPもやめてしまった事を考えると、ゾーッとして、脇から冷や汗が流れる。 p.m.11:55



2/23 昨日の「シュンちゃん」と堀シェフの「白金ノ頭」登頂は、私にしてはビックニュースであった。地形図を広げて興奮したが、二日前から控えているアルコールには手を出さなかった。悔しいとか残念とかの気持ちよりも、羨ましいそして良かったねと祝福してあげたい気持ちであった。何時かは私もの気持ちがあるが、ロートルの日帰りはきついかもしれない。でも、彼らと付き合っていくためには、それくらいのハードルを越していかなくちゃいけないと燃えるのである。そんな小さな夢を、私は大事にしたいのである。しかし、その夜は雨。起きても雨。小止みなるのを待って、小さなピーク来拝山に向かった。雨のためのワイパーが、芦峅寺付近から本格的な雪となり、「国少の家」までの長い坂道は20cm近くの新雪となっていた。今日のお天気では、何処かのピークに登るだけを目的としたが、しばらく続いた好天(高温)で多くの方々が登られたのであろうが、30~40cmの新たな雪にトレースは覆い隠されてしまっていた。しかし、ちょうど良い雪質で、40~50分ほどで山頂に届いてしまった。帰路は城前峠を経由したが、「国少の家」に戻るのに、トレースのない林道を歩くのは初体験で、何だか不思議な感じであった。 p.m.6:10



2/22 「シュンちゃん」と堀シェフが「白金ノ頭」の登頂を果たした。結果的には悪天を回避出来たようであるが、あまり良くない予報をついて、この仲良しコンビが、奥深い山に入るのだから凄いに尽きる。これに輪をかけたような話だが、前日に偵察(下見)と称して出掛けた堀シェフが、ズルズルと6時間48分かけて「頭」に届いてしまったそうだ。二日連続の「白金ノ頭」登頂という事になる。稜線に出て、剱岳北方稜線が前山の上に浮かび上がって来る様や、 初雪山と白金ノ頭が、ズームアップでぐんぐんと迫って来る様を頭に思い浮かべては、羨ましくて仕方がないが、休日や脚力の違いもあるから、若い二人にねだるのも、少々気が引けるし、心が高まっている今春に、アドバイスを受けながら私も「白金ノ頭」に、何とか立ってみたいと思っている。兎に角「シュンちゃん」、堀シェフ登頂おめでとう!  明日もまたお天気が悪い・・・・・悲しい。 p.m.8:25



2/21 4~5ヶ月ぶりにバトミントンに出掛けた。昨年10月の手術入院以来機会を失っていたが思い切って出掛けてみた。山歩きはしているものの、違った動きのバトミントンにはチョット勇気がいった。もしもの事があって、山歩きに支障が出るのを一番恐れていたからである。今日は短時間だけにしたが、下手ピーの私ながらのメドがついたような気持ちで何だか嬉しい。身体を動かすのが週に一回増えるのであるから、こんなに良い事はない。スキーや山歩きのために始めたのだから、初心にかえった事になる。もう20年を越えている。今日からアルコール類も減らす事にした。楽しい時や嬉しい時には、大いに飲むにしても、飲まない日も作り、ダラダラ飲むのを止める事にした。もっと多く、もっと長く歩きたいからである。 p.m.11:50



2/20 のっぴきならない用事が出来「山ノ神」の誕生祝を順延し、今日市内場末のH亭で祝った。H亭は カウンター椅子が6~7席に、2つの座卓がある小さな店であるが、私には曰くある店であった。私によくメールを下さるM氏行き付けの店で、とんかつが美味いと聞いていた。1年4ヶ月前(平成14年11月20日)の結婚記念日に、臥せっている母を気にしながら僅かな時間を利用して、未だ訪れた事のないH亭に足を運んだが、生憎定休日であった。仕方なく、一年に一度くらいしか行かない居酒屋で、その記念日を祝ったが、我々が帰宅してまもなく母は大量の血を吐いた後、還らぬ人となってしまったのであった。それから、ずーっと行って見たいと思いながら今日に至ったのであるが、初めての小さい店で、マスターはあまり喋らないと聞いていたから、恐る恐る店内に入って行ったが、とんかつを食べながら、飲むほどに酔うほどに、まだお会いした事のないM氏の話や、マスター夫妻の山行の話で盛り上がった。そのチョット年上のM氏から最近山行報告が来ないと思っていたら、しばらく病気入院されていたと聞いた。毎週のように、いや時には、週に2~3回も山行報告をもらっていたM氏に、“近いうちに何処かで、いっぱいやりましょう!” と言うメールを頂いたのが最後のような気がする。



2/19 最近のお天気は私の人生と同じで、なかなか思うようにいかない。どんなお天気であろうが出掛けたい私でも、遠い山・深い山・危険が付いてまわる山へは出掛けれない。面白くもなければ、辛いし怖いからである。1月・2月は元々レパートリーが少なく、何処へでも出掛けられないと思っていたから、「赤谷ノ頭」には満足している。しかし、2/9(大高山) 2/16(大地山)を逃し、2/23また大地山)もダメなようである。こうなると山行予定もメチャクチャで、優先順位を決め再検討しなければいけなくなった。何と言っても一年に一度は登りたい「大地山・初雪山」。未踏の「高杉山」と「月ヶ原山・多子津山」。猛者達に誘ってもらえれば「白金ノ頭」。「横岳」「鉢伏山」「奥ノ山」「細蔵山」なども、また行きたい山である。さて、どのように予定表を埋めようか!埋めたら埋めたでまた悩みもある。その中で、「横岳」「高杉山」は、日程は未定だが、「北ちゃん」と約束を交わした。しかし、これもお天気や家族全員が健康でなければ実現しない。 p.m.5:00



2/18 明日は「山ノ神」の誕生日である。記念日に何処かで外食をすると、以前に約束をしたらしいが、困った事に思い出せない。思い出さなければ、またしばらく曇った顔とお付き合いしなければならなくなる。元々外食が苦手な私であるから、そんなに店数がないのであるが、場当たりに知らない有名なお店を言ってしまったなら思い出せないかもしれない。しかし、未だ時間がある。最も、「山ノ神」と5歳6ヶ月歳が離れているのであるが、余計に1歳多く数えて叱られているくらいであるから、「私の事をあまりにも知らない!」と「干渉しない!」と隣り合わせであるが、その溝は埋まらない。そして、「あれだけ山に出掛けているのに!」と思うのであるが、それとこれとは別の話のようである。その「山ノ神」が、ヒョンな事を提案して来た。なかなか雪上キャンプのスケジュールが出来ないから、必ずしも連休に拘らなくても、翌日の仕事前まで帰宅すれば良いのではないかと言うのである。だんだん夜明けが早くなるのであるが、テントを撤収し、登山口まで降りて、尚且つ、ラッシュ時に車の運転である。そんな山は極々限られているし、私にはまだまだ今春に登りたい山が数多くあるのである。雪上やテントの中での宴と、家に戻らなくても良いなどの甘い誘いには簡単に騙されないでおこう。 p.m.2:50



2/17 “飽きもせず同じ山によく登るね!”“それもお天気が悪くても!”などと、その言葉の端々には、感心すると言うより呆れられていると言った方がいいのかもしれない。私としても、どう説明すればよいのか分からないのであるが、トレーニングジムに、通っているとでも思って頂いたらよいのではないかと思う。そう同じ山ばかり行きたくもないのであるが、この時期天候との相談もあるので致し方ないところもあるのである。毎週出掛けるのは、ライフスタイルとして定着してしまっているので、そんなに苦痛にもならない。雨や雪が降ったからと言って行かなければ、自分の身体の鈍りの方が心配になってくる。でも、二日続きの悪天は、特に雪の山の雨は、やはり身体を萎縮させるのは間違いない。



2/16 「雪から晴れ」の予報も、何時から晴れるのか分からないし、昨日から今朝まで、どれだけの降雪があったのかも不確定! 昨日は、さぞかし疲れたであろう「山ノ神」を、そーっと寝かしてやろうと思っていたのだが、抜け駆けしないように、私の足首に細引きが縛られていた。「目覚し」では、目が覚めぬ「山ノ神」の苦肉の策らしかった。二日続きの山行は、そんなわけで、またまた「牛岳」になってしまった。それも、登山口が午前11時発で、良く知った山であっても、あまり好ましくない山行である。登山口から物凄い雪量であったが、新雪があったもののトレースがあり、膝までしか沈まず、まずまずのペースで登れた。しかし、五合目上からは、トレースがなく、ラッセルが待っていたが、小雪の中に時々陽が差し、凹凸が分からない程の雪量で、尾根が広く感じ、そして膝までしか沈まない環境。また雪中行軍の周りの景色は、近年にないステキなものであった。時間切れで、稜線に出た所で止めたが、六合目から稜線までは、ブッシュも気になるような事がなく、登りも下りも、それこそ好きな所を自由に歩き回れた。日頃ルートとして取らない急な大斜面を、怖がり屋の「山ノ神」が降りると言うのだから、その雪量、雪の着き方が日頃と違って見えたのだろう。また牛岳かと言いたかったのだろうが、もっと早く家を出ていればなどと、後悔する「山ノ神」でもないが、久々の金星の「牛岳」であった事には間違いない。 p.m.7:40



2/15 9名で「小佐波御前山」へ行った。新しき山の友との山行は今まで全て晴れであった。今回は流石に、悪天の予想に、はじめて負け(雨または雪)が付きそうであった。チラチラ舞う雪に、いつしか青空がのぞいて来る。負けではない。“引き分けだ!” “勝に近い引き分けだ!”などと、この話を、はじめから知っている者でなければわからない話で、山行中も盛り上がる。予定よりも遥かに早い3時間を切るタイムで、宴会場(立派な避難小屋)に着き、またしても盛り上がる。堀シェフのフランス料理のハーフコースが振舞われたり、何処にあった自動販売機から出て来たのか大量の飲み物、海の幸や山の幸も出て来て、またしても3時間上回る宴会となってしまった。盛り上がる中で、山行グループの名が決まった。「ハレルヤ(晴れるや!)」である。気のあった仲間の山行グループ名で11/24の雨飾山、12/21の大辻山、1/18の牛岳、今回の小佐波御前山に参加してくれた貴方も、ハレルヤのメンバーの資格ありである。 p.m.11:25



2/14 「何か変だぞ!」あれだけ荒れると言ってたのに、外は割と静かである。県東部の「大鷲山」を断念したのに・・・・。でも行き先を替えて、またしても「情報交換の集い」を兼ねての宴会山行になる予定!こんな宴会山行もこれまでかもしれない!来月からもっと遠くに、もっとハードな山行企画になるかもしれないから・・・・。でも、もっと早くに出て、もっと早く歩けば宴会山行の継続もあるかもしれない。兎に角、明日は、槍が降ろうが何が降ろうが出掛けるのであるが、そんな仲間が集まる「雨と雪の会」なる名でもつけてみようか?まだその山行グループの名はないから・・・・ p.m.11:00



2/13 お天気が続き、道路や駐車場の雪もかなり溶けたようである。明日は一転低気圧の通過で、荒れ模様の予想である。南風に伴って雨が降り、その低気圧が太平洋に抜けたら、西高東低の冬型の気圧配置に変わり雪を降らせるのであろう。日曜日(2/15)は雪になるのであろうが、お天気の移りが遅れれば強風後、まともに雨に見舞われる事になる。 チラチラの雪やパラパラの雨ならまだいいが、雪山の吹雪と強い雨はたまらない。多くの友人達との山行を、悪天で流されるのもイヤだが、ブルブル震える山行もつらいものである。 p.m.9:35



2/12 山と渓谷3月号にDr.早川の「厳冬期の五龍岳日帰り山スキー滑降」が掲載されている。昨年12月23日のものであるから、彼のHPで拝見されていると思うが、活字を読むと改めてその凄さを感じてしまう。正月外国の山から帰ってからも、青海黒姫山・霞沢岳・焼岳(北面台地)・白鳥山・西穂高岳(西尾根)・猿ヶ馬場山(北西尾根)など、「別世界」である我々が行けもしない所ばかりである。彼の持論はスキーだから・・・・なのだが、只のスキーではないのであろう。しかも独学だというからまた凄い。この凄い人と知り合いなのかと、山好きの方々から時々尋ねられる事があるが、あまりにも凄い方などで答えられない。私の方が一回り歳が上で、12年間経たないと、あの方も私の歳に追いつかないのであると笑ってごまかしている。



2/11 “山なんか!” “ もっと面白い事を書け!” などは、まだいい方で、PCどころかネットも認めない。長年付き合っている悪友達からのコメントに、自分のためにHPを作っているのであるし、山をこよなく愛する人達へのメッセージであって、いかに友人達と言えども「山」に興味のないのに見て頂かなくてもいいのだと、表現力の乏しい私でも胸の中で囁いてしまった。最も、50代半ばの友人達であり、PCに興味のない者、買っては見たけれど宝の持ち腐れ、また山に興味のない者などに、人の事を干渉するなと言いたい。当初の意図通り「巷の山好きの情報発信」が目的であって、皆にとやかく言われる事などないと居直っている。人様の悪口も書いた事もなければ、自分が山が好きだ!と書き続けているだけなのである。 見たくない人は見なければいいのだし、意見は率直にお伺いするにしても、見てケチをつけなくても良いように思うのであるが、いかがなものであろうか? こうなると不思議なもので、PCの事はあまりわからない私でも、私のHPは、“4年間もHP支援ソフトなど使っていないのだ!” “「html」などとタグを打ち続けているのだ。” 変な所に「自負心」が働き、“ここでHPを止めてたまるか!” と息を吹き返すはずなのだが、なかなか上手く事は運ばない。・・・・・・・ここまでは、昔の元三(元ちゃん)。「仏の元ちゃん」は無理としても、「穏やかな元じい」と言われるまで続けてみたいと新たな目標が出来た。 p.m.10:25



2/10 今日の好天は、明日の午前中まで続きそうであるが、廻り合わせとでも言えばいいのか、次の私の休日(2/15~2/16)は、また雨や雪のようである。でも、15日は、私の新しき山の友人達との山行が、企画されていているのだが、未だ3勝0敗で好天続きなのである。昨年11月中旬に雨の僧ヶ岳で出会ってから、何故かツキまくっているのであるから、今回も何とかならないかの心境である。雨や雪の悪天から「牛岳」を連想するが、昨年の記録を振り返ってみると、同月に重複する事無く、8ヶ月8回の山行であった。そして、4ヶ月連続が最高であって、5・6・9・11月と、上手い具合に出掛けていなかったのである。牛岳の山行機会が多ければ多いほど、天候が悪いか、所用などの関係で時間がない事なので、私の山人生として不幸なのである。しかし、昨年12月、今年の1月に出掛けている牛岳に、来年当たり100回山行を目指すには、今月も牛岳に登り連続を意識しなければ、記録は未だ先になるかもしれない。 p.m.11:40



2/9 午前7時、先日のSさんから「今日何処行かれるがけ!」と電話が掛かって来た。「大高山」どころか、トレースのない山は登れないと思っていたから、「来拝山」と答えた。実際、来拝山でもトレースがあるかどうかもわからないが、なかったら登れないと思っていた。昨日は、友人達が「ハゲ山」に登っているという情報があったから、ダメなら「ハゲ山」にの切り替えを頭に入れて、10時頃「国少の家」をスタートする予定とした。立山公園線の芦峅の民家では、雪下ろしが行われているくらいで、「国少の家」に至る道は、車より遥かに高い壁となっていた。幸い大辻林道は圧雪の上に新雪が、来拝山へは腰までの深さでトレースが付けられていた。しかし、その溝のようなトレースに40~50cmの新雪が溜まっていた。雪山は今年からと言う、SさんとSさんの友人であるMさんであったが、スイスイとトレースに導かれていった。小雪降る中で、駐車場から山頂まで1時間20分、下りは30分であった。昨年正月に、同じコースを「山ノ神」と胸までつかりながら登ったのはウソのようで、逆にものたりなかったようであった。 p.m.8:45



2/8 雪もようやく峠を越したようである。でも、水っけの含んだ雪にも困ったものである。福井の「大長山」で、遭難している関西学院大学のパーティーも、きっと辛い思いをしているのではないだろうか? ある団体の新年会から今帰ったところである。月が出ているかと思ったら、何時の間にか、雲に覆われまたまた水っけの多い雪と変わった。明日もおまり良いコンディションとは言えないのであるが、歩かなければ次の山が見えてこないというジレンマが待っている。またある意味では、酒っけを抜くためにも、自分の出来る限りの力を振り絞っての山行を欠かせない。他人はガス抜きと言うかもしれないが、それはどうでも良い。明日行く山も決めてないが、起きてから決める事になるであろう。 p.m.11:00



2/7 2/9予定の「大高山」はこの雪ではとても登れない。私の山行予定を充てにして下さった富山のSさんには本当に申し訳ないが、私の体力ではとてもじゃないが登れない。ネットの世界の不思議な出会いだが、やっぱり山行予定なるものを載せなければいいのかと考え込んでしまう。山行は人生と同じで、いろいろなアクシデントがついて回る。パーティーを組む時は、それなりの準備やお互いの技量も知っておかないと痛い目に遭うのである。私は臆病なのかもしれないが、イザという時に、どれだけフォロー出来るかも尺度としているから・・・・。



2/6 “止める!” “止めない!” などと言いながら「元ちゃんの山歩き」が、今日で満4年を迎える事が出来ました。変わり映えもしないHPに、お付き合い頂いている事に、まずは感謝致します。当欄も平成13年1月9日からでありますから、3年と1ヶ月を経過した事になります。(実際には、その2ヶ月前から、メーンページの画像の下に、コメントを書き続けていたのですが、今を思えば惜しげもなく更新と共に削除してしまっていたのでした。ある時知人から、以前のコメントはどうしたのかと、尋ねられたのがきっかけで、当欄が誕生したのです。)読み返してみると、飽きもせず同じような実につまらない事を書き続けているのに、よく皆様に励まし頂いたものだと、恥ずかしさと感謝が入り混じって今日を迎えています。“山が好き!” 山への思いを綴りたい一心でのHPだったのですが、ここへ来て、本当に自分が楽しんでいるのかと言う、ジレンマとの戦いみたいなものに襲われています。「元じい」と呼ばれる時まで続けれるかどうかはわかりませんが、もう少し、もうチョット書いてみたい気持ちの延長を、自分に期待し続けてみたいと思っています。拙いHPを通じて得た多くの「山の友人」の方々や、山中でお会い出来た方々(山の友人)を失いたくないためにも、焦らず力まず、“いつ止めてもいいや!” の気持ちで、もうチョット頑張ってみます。何度も申しますが、HPを作って1,000件のカウントをしてもらうのに、7ヶ月かかりました。今のカウントの進み具合は本当に夢のようです。 p.m.1:30



2/5 一日中降り続いた雪は夜になっても止まない。2時間ほど会合に出て、今戻ったが、車の上にはビックリするほど積もっていた。2週間前の木曜日を思い出すが、あの時に比べて水分が多く、この気象が長続きするとは思えない。しかし、これだけ降ると山行にも影響が出て来る。この先3日間の天候にもよるが、マイナーな「大高山」行きの中止も考えなくてはならなくなる。1~2月の計画は、雪量特に降雪後の事を、頭に入れなければならなく本当に難しい。次は何処に行こうかと、ワクワク楽しい事もあれば、行き先が決まらず何だか憂鬱になる事もある。しかし、遊ぶ事に全ての事をかけるのであるから、私は幸せである。 p.m.11:05



2/4 前日もそうであったが、冬の山行として「群馬の赤城山」が頭を過ぎる。冬型の気圧配置の時に、晴れる山の1座だからである。赤城山の事は多くは知らないが、黒桧山や地蔵岳・駒ヶ岳などのピークに、火山湖の大沼・小沼がある。百名山である上に、ロープウェーまであるというから、印象としては、無雪期に登りたくない山である。昨年も、武尊山・日光白根山・皇海山・男体山・浅間隠山・榛名山に出掛けたが、赤城山だけは外した。その外した要因がもう一つある。平成13年11月中旬に雲取山に登った際、群馬の根岸氏と出会ったのであるが、同氏グループは、山頂でかなり盛り上がっていた時、「山ノ神」が、鱒寿しと芝寿しを差し出したのである。ファイアーマンと称する根岸氏は、すっかり気分を良くし、“ 赤城山に来る時は、是非我家に泊まってくれ。”といったのである。その他に多くも語らなかった同氏とは、年賀状だけの交際であるが、毎年「根岸山荘」に泊まってくださいと記してくる。軽はずみに出た一言で、奥様に叱られているのではないかと心配し、一年に一回の便りに、思いを載せているのであるが、“ 子達も成人し、夫婦二人の暮らしであるから、鱒寿しをもってきてくれ!” とまで書いてある。そうなると、日帰りの「赤城山」は、根岸氏の期待を削ぐようであり、どうしても行きにくくなっているのである。そして、根岸氏の住まいは、群馬県でも伊勢崎市なのである。ネットをやらないファイアーマン根岸氏のように、年賀状は年一回の山行報告なのである。 p.m.3:30



2/3 「西高東低」の気圧配置を確信し、三ツ峠山、毛無山に次いで、富士山を眺めに山梨県の「黒岳」に出掛けた。夜遅くまで起きていたので、チョット寝てからと思っていたのが、寝過ごしワイパーを動かしながら午前4時出発となる。いつもなら小淵沢を過ぎたあたりから、「富士山」が見えて来なければいけないのに、何だか様子が変であった。甲府に近付くに連れて靄が深く、本当に予報通り晴れるのかと心配になった。「黒岳」は、地元では、御坂黒岳とも言われ、いろいろな登山口があり、ハイキングコースとして楽しまれているようである。御坂トンネル出入口や旧御坂トンネル出入口の天下茶屋からのルートは、必ずしも富士山に対しての展望が良くないと言う情報を得、河口湖町「大石」から新道峠・破風山経由とした。その「大石」の集落からの進入路がわからず、親切なおばちゃんのお世話になった。明け方まで雨のようであったが、新道峠入口までの狭い林道は、氷の背中を走るような気持ちの良くないもので、車がやっと1~2台止めれるような所があったが、車から降りると滑ってコロリン状態であった。トレッキング体験コースと書かれた小さな看板があったが、雪は少なくとも、凍った雪の上を歩くとなるとそう簡単ではなかったようである。尾根に出てしまえば、15~25cmくらいの雪上を、ルンルン気分で歩く事が出来た。山頂では、東京のおばちゃんパーティー6名から、ミルクティーの差し入れを頂いた。富士山どころか河口湖さえも見えない展望に、雨が降らなかっただけ良しとするかと、慰めの言葉を掛け合った。「山ノ神」に、6本爪の軽アイゼンを装着させたが、氷状の雪に食い込む感触は、また新たな体験となったようである。下って登山口近くになってから、河口湖がようやく見えるようになり、湖畔に出てから、頭のない富士山が姿を見せた。半日お天気が遅れた感じであった。2月末期限の50000円のハイウェーカード残金4350円を消化するのも動機の一つであったが、「山」そのものより、遠くへ行くのが楽しみの「山ノ神」は、帰路松本から上高地公園線・安房トンネルを勧めたが、日本海側は雪の情報に、豊科から148号線に切り替えた。しかし、大町を過ぎた頃から風雪が強くなり、山道・雪道は運転しない「山ノ神」のため眠い目を擦りながら、日本海に出でからも、下道を走らされた。



2/2 “あのスキーのトレースは私のです。” “翌日、元ちゃんのトレースを辿りました。” などと、私の山行記録に対してのコメントを頂く事がある。お会いしなくとも、何故か一緒に登った気分になるし、その内いつか何処かでお会い出来るような気がして嬉しく拝見している。今日は逆に雨の中を、好天に恵まれた昨日、一昨日のものと思える他人様のトレースを辿って「千石城山」に登った。そのトレースは、林道をあまり歩かず、登山口横へ直接導いてくれるものであって、そのルートは、配水場の裏の少し離れた杉林からの直登もあり、時間短縮になるし、単純な林道歩きに比べ変化に富んでいた。(でも、深雪の時に使えるかどうかわからない。)今日は気温が高かった割には、トレースは固く、三番目の鉄塔から大きくルートを離れるためカンジキを装着したが、我慢すれば使わなくても充分であった。冬としては暖かい風が吹いていて、視界は雨前特有の「山が近くに見える。」展望に、ダメもと山行は、結果オーライとなったが、剱のてっぺんまで見せてくれる甘いものではなかった。運転中はワイパーフル回転だったが、山中は小雨が降ったり止んだりで、食事中にチョット困った以外は、まずまずであった。下りは、林道入口直下までショートカットして雪と戯れた。 p.m.5:50



2/1 日中「はるちゃん(氷見の中山君)」が訪ねて来た。「おーい、こんな日に山に行かないのか?」と言ってしまった。彼は、私の山への良き理解者の一人であり、また、要の山行によく同行してくれていた。しかし、最近は彼なりの事情もあり、「山」には遠ざかっている。そして、妻君が山に興味がないのも結構災い(?)しているようにも思う。そんな事を思うと、私は未だ幸せなのかもしれない。“ 山の友人を紹介するよ!” と言ってもあまり興味を示さず、残雪期の「毛勝山」に登りたいとだけ言って帰って行った。最近は山に繋がる友の構図が随分変わって来た。それはそれで、とても新鮮で、新たな活力源になろうとしている。しかし、昔ながらの山の友人とも、時々懐かしみながら、燃えた日を思い出したいものである。何も、難しい山を征服するばかりに、価値を求めるものではなかろうし、名山完踏が目標であっても、それがどうしたかになるであろう。「山」と、どう接するかの方が、今の私には重要になって来た。でも、未踏の山に魅力がある事に変わりはない。その人なりの小さくてもロマンがあれば、それはステキな事であって、認めて応援したいものである。 p.m.8:50