4/30 福井の松尾氏から電話をもらった。一昨年5月の能郷白山以来お会いしていないが、幾多のHPで、ご活躍中なのでそのお元気さは拝見していた。また福井の岳人を紹介してもらったりした事があり、その行動力は年下の私としても見習わなくてはいけないものがある。残雪期には「富山の山」にと何度もお誘いしていたのであるが、膝の靭帯を痛められていると聞いてからは、ついついご無沙汰になっていた。しかし、松尾氏はその逆境を苛まれず、山スキーや若者との山行を楽しんでいると言われた。私は何もハードな山行ばかりを望んでいるわけでもないし、“ 人気のkyuちゃん達とご一緒する機会があれば楽しいね!” と電話を切った。



4/29 好天に恵まれた今日は絶好の山行日和となり、幾つもの楽しい山の便りが飛び込んで来た。各々が目指した雪の山の頂きで感激するシーンが伝わって来て、自分の事のように嬉しくなってしまう。こんな日に家にいるのはとても辛い。毎日青い空を見続け、“自分の出掛ける時だけが雨になる。” などとならないように祈るしかない。こんな私の心を見透かしたようにRespirar坂本氏が、元ちゃん山荘(本当は坂本氏の家)に、今夕招待してくれ和ませてくれた。そして、紹介してくれた新しく友となる偉人との語らいは楽しいものであった。



4/28 私の連休(5/3~5/4)は、どうしたものかと思案していたところ、ハレルヤの事務局から山行の企画(5/3=鍬崎山)が入った。「山ノ神」との調整に苦慮していたところだけに、渡りに舟の感がある。一度挑戦した駒ヶ岳の先「滝倉山」へ、テン泊なら何とかならないかと思っていたが、楽しいハレルヤ山行に心変わりしてしまった。もっとも、「山ノ神」のご機嫌伺いもなく家庭円満も考えての事だが・・・・今ひとつ、不思議な事に必ず晴れるのである。しかし、その翌日は必ずと言っていいくらい雨に近いお天気なので、もう一日(5/4)に、思い切っての企画を立てきれないでいる。 p.m.11:59



4/27 前日の僧ヶ岳から駒ヶ岳に向かう途中、山頂直下で深みに嵌って(雪面が抜けた)抜け出す時左足が攣ってしまった。時間に追われた私は山頂で写真を撮って早々に引き返したのだが、悪い事に下りの岩場のロープに右足が絡まった時、今度はその右足も攣ってしまった。岩場に新雪が付着しているしイヤな感じであったが、そこを切り抜けた所でうずくまってしまった。わからぬままの疲労があったのかもしれないし、水分の補給を怠ったからかもしれなかった。それよりも心配したのは、食料は分けあっているのだが、ポツリと一滴の雨が落ちた時であった。僧ヶ岳山頂に一人「山ノ神」を残して来たのだが、出発時にツエルトをどちらが持っているかであった。より遠くに行く私が持って来たわけだが、雨になったらそれこそ大変である。(最終的には降らなかった。)大幅なタイムオーバーに頭を掻きながら僧ヶ岳に戻ったが、私の心配をよそに「山ノ神」は、「高みの見物」も疲れて、雪上で「大の字」になって寝転んでいた。(またこっそり、余分なものを担いで来ていたのだろうか?) 二人で行動する時は、荷の大小はあっても、必需品は必ず分け合う事にしている。特に一方だけが食料を担いでいては、有事の時はどうにもならなくなってしまう事も想定している。しかし、ツエルト二つも持参する事もないように思うから、やはり別行動をするなという事であろう。



4/26 予想を覆すお天気になった。1200~30m付近から週末の新雪を踏みながらの登高となる。登り始めから大明神山がアップで現れ、次第に毛勝山や駒ヶ岳が主役になり滝倉山や後立山の山々も浮かび上がって来る。今日ばかりは大日岳や鍬崎山は完全に小さく脇役であった。果たして登れるかと不安にかられていた「山ノ神」も、トレースもない真っ白な山と、スケールの大きな光景に怖さを忘れ「ビューティフル!」の連発であった。林道歩きも含めて6時間で僧ヶ岳山頂に達してからは、毛勝山や大明神山を眺めて本当に登れるのかと聞き直していた。天候と体力を考え僧ヶ岳までとしていたのだが、私に「駒ヶ岳」行きを勧め、「山ノ神」はビールを飲みながら「高みの見物」と洒落込むというものであった。往復2時間の猶予を与えられたが、新雪や空腹に苦しみられ(本当は体力が落ちている。)かなりのタイムオーバーとなってしまった。またまた僧ヶ岳山頂発が遅くなり、林道で山菜採りに時間を費やした事も手伝って、車に辿り着いたのが日没寸前になってしまった。先月から「山ノ神」抜きで、「白金ノ頭」「高杉山」「大明神山」などへ出掛けるために、“僧ヶ岳東又コースに連れて行く。” と言ってしまった事から今回の山行となったのであるが、大猫山と共に残雪期の僧ヶ岳も、「山ノ神」の登れない山のフォルダから外れてしまいそうである。素晴らしかった今日の山行と変な自信に、帰路の車の中では恒例の喧嘩もなかったくらいに頗るご満悦のようであった。私もあれだけきれいな「僧ヶ岳・駒ヶ岳」行きは初めてであった。



4/25 明日は目的地を一つ落として「僧ヶ岳」としたが、情報では「片貝山荘」手前、1.5キロから歩かなければならないし、高い所では降雪もあったようで、「山ノ神」同行となると何処まで行けるかわからない。「山ノ神」自身、無雪期の「僧ヶ岳」の帰路、別又谷に車で降りてきた事があるが、それより片貝川上流に足を入れた事がなく興味津々のようである。しかし、デブリに急登、そして雪の付いた痩せ尾根歩きなどは大の苦手と来ては、いやはや大きな荷物を担いで行くようなものである。今回は必ずしもピークに立てなくても良いと覚悟を決めているが、雨が早ければ早々に下るかもしれないし、それ以上に条件が悪ければ、早立ち故に、他の頂へ心変わりするUターンがあるかもしれない。 p.m.9:50



4/24 「成功への道は目標設定である。」と学んだ事があるが、何十年何百回試みても努力が足りず、絵に描いた餅のようなものだった。それが遊びでも言える事で、一生懸命遊んだのであろうかと思ってしまう。何事も一生懸命とは良いもので、美しく映るように気がするが、如何なものであろうか! 実際、一つの事に心を傾ける事は、結構疲れるのであるが、その疲れは快いものである。山を愛する方々も、その動機はどうであれ、いつしか “次はあれ”、“今度はあそこ!” などと知らぬ間に目標を掲げておられるのではなかろうか? 名山歩きもあれば、一つの山に拘るのも面白いし、花と戯れるのも良いのではないか! 険しい山、高い山ばかりが山ではないのであるが、何時しか行った事のない山に憧れるのも事実である。私も、後どれだけ登れるか分からないが、自分だけの小さな淡い夢(目標)を持って、山に触れ合っていきたいと思っている。



4/23 先日我々が出掛けた「牛岳」へ、その翌日、しかも雨の中を妖怪大猫氏が訪れたようである。彼の「知る人ぞ知る」非公開のHPをこっそり覗いて見ると、積雪時に使う尾根筋から山頂に達し、二本杉から三段の滝を経由して、林道を使わずそのまま川筋を辿っている。(私の苦い経験をした現在あまり使われていないルートである。) 流石妖怪大猫氏である。未だ二度しかお会いした事はないが、休日が多いとはいえ、私の山行回数をはるかに超える方なのである。しかも、軟弱な山行と違い「エーッ」と声をあげる所まで出掛けるのであるから凄い。以前「幻のHP」だと紹介した事のある「ターさん」のHPも、今や闇へと消えてしまったが、妖怪大猫氏のHPを奇怪なこの世のものでないHPとでも言えばよいのかわからないが、後日ステキな形容詞を探し出して命名したいと思っている。今年は多くの友人・知人が牛岳を訪れ、意外な好評を聞くに至ったが、来年の積雪・残雪期にワーッと大勢の方々が押し寄せてもらったら、私は喜んで良いのか悪いのか分からなくなってしまいそうである。



4/22 これだけ山に入っていながら、可笑しな話だが蛇が苦手なのである。昨年も5/5西笠山に向かう途中の熊尾山への送水管横の階段を登っていた時に、突然ヌーッと顔を出した彼に、ひるんでしまった。急勾配の階段から落ちずにすんだが、慌てたため右足が攣ってしまった。またしばらく動かぬ彼に、“俺は今更戻るわけには行かないのだ!” と退却(移動)を願ったのである。その下山時に、違った斜面でコゴミを採っていたら、ヌルヌルとまたまた私の横に現れ、びっくりした私は、思わず「ワーッ」と言って、3mくらいの斜面を転げ落ちてしまった。同行者がいると、あまり気にならぬ「蛇チャン」。増してや「山ノ神」同行となると全く彼を見る事もない。なぜならば、「山ノ神」は、爬虫類が全くダメ。あっちに蛇がいたと言っては「キャー」、こっちに蛇がいたと言っては「ワーッ」なので、私の目に入らぬ間に彼は何処かへ行ってしまうからである。その点積雪期は何の心配もいらないのであるが、私の高岡の友人T氏は、「山ノ神」よりも、もっと「蛇ちゃん」がダメで、彼を見た瞬間から退却し、家に戻ってしまうのである。



4/21 一昨日の牛岳山行は、カシミール勉強会の様相を呈していたが、予想をはるかに上回る残雪やF女史との遭遇もあり、それなりに意味ある山行であった。夏道に覆い被さった残雪をトラバースし、シーズン最後の積雪時ルートを歩んだ事も意味深いものであった。でも、「北ちゃん」とF女史に、牛岳を気に入ってもらえたのなら、新緑・紅葉も良いのであるが、雪深い本当の牛岳に来てもらいたいものだと思った。強風の中、風当たりの少ない場所で、簡単な食事をしたのだが、「山ノ神」とF女史は相変わらず缶ビールで、「北ちゃん」と私は、ノンアルコールビールと、最近の世の風情を象徴しているような気がした。下山時に白いショウジョバカマが咲いていた。私は花に対して疎いのであるが、白いショウジョバカマは珍しいと言う。その花の撮影をF女史に頼まれたが、高感度のカメラを持った「北ちゃん」にお願いしたのが奏効し、キレイな画像が送られてきた。何でもない「牛岳」であるが、細かく歩んでみると、百の頂に百の喜びがあるように、83回目の牛岳は、イヤイヤの牛岳でもなくなってきたようである。 p.m.11:15



4/20 内容はともかく、全休日を山行機会としているから、さぞかしと思って昨年の山行回数と照らし合わせてみたが、1日の違いだけであった。今年は、めぐり合わせが必ずしも良くなく、休日数も昨年と比べると1~2日少ないようであるから、年間山行回数の大幅な更新は難しいようである。その回数や、未踏の山に執着しないわけでもないが、他人様の目を気にしない内容の山歩きに移行して行かなければならない年齢のような気もしている。何も卑下する事無く、大人の山歩きなのであると思えば、そう気落ちする事もない。ゲレンデスキーを嗜んだ頃、コブ(ギャップ)のあるゲレンデは、本当のスキー場でない、気持ちよく滑るのがスキー場なのだと言いながら、兎平や黒菱のバーンに挑戦し、叩きのめされて、それを繰り返した頃の気持ちは、今の山歩きにも言えるかもしれない。自己満足と言え、常に胸中では格闘が行われているのであろう。そして、それが人間と言うものなのかもしれない。 p.m.11:55



4/19 昨日は、あんなに良いお天気だったのに、こんな時ばかり予報が当たり朝から雨。しかし、こんな時こそ悩みの「カシミール」の指導を「北ちゃん」に受けなければと「牛岳」に誘う。以前から、雨が降って遠くに出かけない時に、私のPCを見てあげると言っていた「北ちゃん」だけに、カシミールの事を口に出さなくとも、すぐOKの返事が来た。でも、もしかしたら、「北ちゃん」も雨の日に出掛けるなどとは、「好山病」に感染しているのかもしれない。今年は雪解けが早く進み、各地の山々の取付きに苦労をしているのだが、牛岳ばかりは違っていた。夏道は大量の残雪に覆われていたし、積雪時の尾根ルートも、小枝の煩さを少々我慢すれば、雪を拾う事が出来て結構楽しむ事が出来た。小雨降る中、登山口に着いた時、一人の女性が先に登っていった。我々が、六合目に到着した時に、その女性が降りて来たので、何と足の速い方かと褒め称えたら、残雪が多くチョッピリ不安で引き返して来たと言う。良く見ると、第一回ハレルヤ山行で、ご一緒したドナルドのF女史ではないか。結果的には4人で山頂を目指し、斜面をトラバースするにあたって、「北ちゃん」がステップを切って足場を作り、私が下部でフォローする形式を取った。7~8合目からは稜線を目掛けて直登し、意外に早く、三角点と祠のある牛岳頂上に辿り着く事が出来た。帰路は、雪量を加味し、積雪時のルートを辿り、あっという間に下る事が出来た。昨日の早乙女岳よりは、ピッケルが効果を示し、締まった雪上歩きには、F女史も頗る満足感を漂わせていたように感じられた。下山後、我家を訪れてくれた「北ちゃん」に、カシミールの手解きを受けた事に間違いなく、これで1/25000の地形図を買いに行かなくてもいいようになりました。でも、彼が精魂込めて教えてくれた事を、忘れずにどれだけの事を思いだされるのであろうかと心配ではあるが、地形図・GPSの手解きを受け、今日は本当に楽しい山行日和となったのである。 p.m.11:15



4/18 心配された小又川の状況も「シュンちゃん」の誘導で、美人衆(中には超人も ! )は、スノーブリッジや渡渉も難なくこなし、快適なコット谷に魅了し、なだらかな広い頂上への稜線漫歩となった。剱岳のバックの空の色が良くなっていくと言っては歓声をあげ、毛勝の山々や東芦見尾根の山座を確認する毎に熱っぽく語り、低くなる大熊山にも熱い視線を浴びせていた。小又川の状況如何では、登る事になっていた白く温和な山容の「前大日岳」を、文研前進基地と共に眼前に見て、“ また何時か来ればいいじゃない!” と 常に賑やかな会話が滞る事無く山頂まで続いた。大日岳への熱い視線も感じられたのであったが、予定通り早乙女岳で、大日岳を真後ろに従え、剱岳や薬師岳、そして鍬崎山にも目をやりながら恒例のハレルヤ宴会となった。もしかしたら、次回からハレルヤ山行の名に、「宴会」と言う語句が加えられるような心配をよそに、またまた山の情報交換となる楽しい宴となったのである。下山は、スキーヤーに負けるものかと、もの凄い駆け降りる姿に、おじさん・おばさんパワーを感じた。それにしても、小又川出合の駐車地には、多くの車がやって来ており、それも殆どが山スキー愛好者であった。



4/17 昨年末から、月一の楽しみとなった「ハレルヤ山行」。早乙女岳となったのだが、所用で来られなくなった人、体調の急変で見合わせる事になった人もあり、その寂しさを隠せない。経験はどうであれ、山を愛する者の集まりだけに中味は濃く、「万障繰り合わせて」が合言葉だっただけに、チョッピリ寂しいとは、この年代だけに欲張りなのかもしれない。楽しい思い出をいっぱい作り、それを見せびらかして、羨ませてあげるくらいの山行となれば良いのにと思うが、果たして明日は如何となるものや! p.m.10:10



4/16 “ヤケクソになって山に登っているの?” “ エーッ知らなかった。” など身体の変調を載せた事の後遺症のように、今も尾を引いているようだ。「山ノ神」は、私のその症状を「燃え尽き症候群」ではないと言う。かもしれない。そうなると、持ち時間もそう多くもなし、好きな事をしたくなるが、「山ノ神」も、“ 私だって好きな事をしたい!” と行く手に立ちはだかる。“ 3~5月は自由にさせてくれ!” の約束も、苦い「山ノ神」の顔が浮かんで来て、「自由枠」を使い切れないまま終わりそうな予感がする。月一のハレルヤ山行は、その上でも楽しい。我夫婦の主導権争いも一時停戦の様相で、何もかも忘れさせてくれる。日頃単独行や、夫婦の山行、また友人2~3人の山行だっただけに、私にしては大パーティーを組む事はお祭騒ぎなのである。 p.m.10:50



4/15 今日は一日中、山の話題に終始した。早朝に「シュンちゃん」からハレルヤ山行に参加するというメールが届いた。また、高岡の高田さんから初雪山登頂報告、「山が命」だと言う福井のM女史からも山行報告が届いた。町内の有志から残雪や芽吹きの状態を尋ねられているうちに、「山と渓谷5月号」が届き、月参りの住職とも「山の話」になってしまった。立山土木事務所に県道馬場島線の開通情報を訪ねたり、その事を仲間に知らせたり結構時間を要した。そして、会う人会う人「山キチ」の私に、山の話題をふりまき私を喜ばせてくれる。F女史が主宰する会の楽しい報告も受けた。何処でもいいから山に行きたいという仲間からのメールは、「どうなっているの?」と自分の事は棚に上げて、可笑しくもあり嬉しくもある。我会のシンボルである月光仮面のおじさん(シゲキ氏)が、正義感が邪魔して(約束を破る事が出来なく、ボランティアの中に吸収されるようである。)当日の山行不参加になると知り、宴会では盛り上がらない事請け合いである。名の通り晴れる(ハレル)事間違いなしであるが・・・・・p.m.11:59



4/14 先日の大明神山行きに、いろいろとアドバイス頂いた尾田さんと語る機会があった。彼は大明神山に登るに付け、熟読した地形図からルートを模索し何度も下見をしている。そうした彼の山に対する情熱には感服せずにはおられない。それは滑降距離が短く、リスクが伴う谷ではなく、少しでも長い距離を滑るものであった。「富山の山」を愛し続ける姿に、折角探し当てたルートを、初雪山の「二の舞」にならないよう、もう少しそっとしてあげたい気がしてならない。(HPの紀行文も躊躇してしている。)好条件が揃えば、どの山でも苦労しなくてもすむのだが、大明神山は常にリスクを考えて臨まれたい。その意味でも、片貝第二発電所で、車の乗り入れを禁じているが正解なのかもしれない。 p.m.11:15



4/13 馬場島まで除雪されているようであるが、剱センター前のゲートが閉ざされている。上市署に問い合わせてみたが、県道は土木事務所の管轄で、“ 連休前には!” とだけで、求める答えが返って来なかった。予定していたハレルヤ山行の「早乙女岳」は、小又川出合までの歩きと、林道のデブリか小又川の遡行のリスクを考えると、もう一週間延ばせば何でもないのだろうが、我々素人集団には回避が適当という判断になってしまう。その事もあって、横岳は如何なものであろうかと出かけてみたが、稜線に出てしまうまでの雪無の斜面を登るのも、辛いであろうと思ってしまう。山を親しむ者として、一番楽しい残雪期なのであるが、主力メンバーが所用で参加出来るかどうか分からない事もあり、足りない頭を悩ませている。私の大好きな仲間達と共通の楽しい思い出を作るためにも、もう少し検討しなければならない。 p.m.11:55



4/12 最近、“ 気を付けて!” とか、“ 大丈夫ですか!” などと激励より自重を促すメールが多くなった。当欄に、時々体調の異変を載せるから尚更であろうが、あちこち痛んできている事は確かで、それと仲良くなっていくしかないであろう。山に入ると何事もなかったように思いはするが、人様に迷惑をかけないように心掛けていきます。跡津川の佐古集落から杉の倒木を潜り除雪最終地点まで車を入れたが、何もしないでも、もう一週間すれば、大多和集落に乗り入れる事が出来るかもしれないほど、雪解けが進み、急斜面を木々を掴みながら登ったし、こんな高温が続けば白樺林の雪もすぐ消えてしまうかもしれない。しかし、広い稜線に出てからは、誰もが横岳を感嘆するように、素晴らしい展望が待っていた。少雪・雪の汚れなど、この時期何処の山でも見られることであるが、「横岳」の素晴らしさが、異様なくらいに頭から離れない「山ノ神」に、“ 今日はいつもより甘くはないよ!” と言っていた事が、下りの最後になって、二重三稜を越えなければならなくなった。



4/11 来週のハレルヤ山行の行き先が未だ決まっていない。行けるかどうか分からないと言う人もあれば、そのための訓練をしている人もいる。また何処へ行くのですかと問いかける人もあり、楽しかったから、また参加させてくれよと言う人もいる。人様々であるが、私は月に一回の山行機会を何とか楽しく、そして安全に行われる事を願っている。幸い今までは、何のアクシデントもなく、また晴れ続きなのである。だからこそ余計に注意を払っていかなければならない。明日は「山ノ神」の要望を受け入れ、3年ぶりに「横岳」へ出かけようと思っているが、あの怪しげな地形を身体が覚えているであろうか? p.m.11:59



4/10 今日の好天に、いろいろと山行報告が入って来る。長~い道程を、あるいは山スキーで、また低山で大宴会など、それぞれに楽しまれたようである。しかし、中には体調の異変や林道の閉鎖などで、目的半ばで涙を飲んだ方もあったようであるが、心中を察するに余りあり、次回にはその無念を晴らされる事を願う次第であります。明日はチョット雲が出るようであるが、やはり登山日和でまた多くの方々が山に向かわれるようである。このところ、私にも運が回って来て、明後日もまずまずの予報である。でも、行き先が未だ決まっていない。一度しか行っていない「横岳」や「前大日岳」、未だ出かけていない「猿ヶ馬場山」、そして何度も行きたい「細蔵山」である。「山ノ神」との調整に手間取っている。 p.m.10:45



4/9 雪が締まってくる3~5月の山歩きはとても楽しい時期である。日が経つに連れ高度増して行くと共に、尾根歩きから谷の雪渓歩きとなって行く所もある。急斜面や稜線を歩く時、当然滑り止めとして、ピッケルやアイゼンを利用する機会が増えて来る。しかし、雪上技術となると「山の会」などに入るか、何らかの機会に講習を受けないと、なかなか習得が出来ないようである。以前と比べてピッケルは短くなるし、アイゼンの爪(歯)の数が増えて来た。強度も増し活動もしやすくなっているようだが、一つ間違えばやはり凶器となり、自分でさえ傷付ける事がある。ピッケルの第一目的は、滑落停止であるが、カチカチの急斜面では、なかなか停止する事は難しく、瞬時に止めなければ、命にかかわってくる。だから文字通り、滑らない落ちない事である。手袋をしながら、あるいはボタンを止めながらなどの、歩きながら他の事に気を奪われていたのでは、イザという時に、肝心のピッケルで滑落を停止出来ないと言う事である。気温が上がると、無用の長物となるやもしれないが、雪山に行く限り、冬道を走る車がスノータイヤを履くように、使用しないかもしれないが必須である事は間違いない。 p.m.10:10



4/8 居眠りしていたらPC前の椅子から転げ落ちた。やはり疲れなのだろうか、嫌な言葉だが歳なのだろうか?お酒も飲んでいないのに・・・・・薬のせいなのだろうか?どちらにしても雪上の滑落でなく、椅子から落ちて捻挫なんて洒落にもならない。(ケガはしていませんから念のため!)山では、体力が落ちたと言えども未だ気力がある。(何せ我人生から山を取られれば・・・・・何の楽しみもなくなってしまうし、このHPもおそらく、なくなってしまうでしょう。)でも、日常生活に何故疲れが出てしまうのであろうか。非日常の山歩きが、日常の生活を蝕んでいるのか、それとも疲れた日常の生活を山で生き返らせているのかそれはわからない。しかし、ずーっと振り返ってみると、確かに睡眠時間は少ない。特に山行前日は、1~3時間程しか寝ていないから、その事の積み重ねが身体の症状として、ガタガタ出てきたのかもしれない。でも、チョットやソットで山は諦めない。



4/7 その人その人の山への憧憬があるが、私は一つのピークに立てる事に喜びを感じている。それがどんなに低い山であろうと、何回も登った事のある山でもである。まず登れた事に感謝し、大自然の中に育まれる事に喜びを感じている。私にも小さいけれど夢があり、いろいろと計画を立てるのであるが、一回一回、一日一日を大事にしようと思っている。あまり奢らず謙虚に物事を進めば案外スムーズにいくものである。(時として、その戒めを忘れる事もあるのだが・・・・。)山での出会いもそうであるように、単独行だったのが夫婦山行が主体になり、最近は月一のハレルヤの仲間との山行がとても楽しみである。そして、休日がよく似ている北ちゃんとの同行も増えるかもしれない。山行形態が変わっていくのも、当たり前の事であって、それが如何に自分が納得するものに出来るかであろう。幾多の心の格闘もあり、“ あーでもない、こーでもない” と悩み築き上げていくものであろう。それにしても、ネット上を含め多くの方々と知り合いになり、私はこんなに楽しくて良いのだろうかと思ってしまう。上を見なければ「私は世界で一番幸せもの」なのであるから、やはり病気などしないで元気でいなければ(昨日の診察で、山も酒も止められたが・・・・)



4/6 好きな事をすると言う事は、そういうことなのだろうか頭痛がなかった。5日間のノンアルコールの解禁とばかりに缶ビール(発泡酒)を買って家に戻ったが、山道を歩きながら、浴びるほど喉を潤してやりたいと思っていたのだが、実際には350mlを二本も飲めばもう出来上がってしまっていた。PCの前に座っても、何をどうやっているのか分からないくらいに、酔ったというより、疲れを感じていたのかもしれない。それが証拠に今日の山行が組まれていたのに、目が開いたのは午前6時半を回っていた。HPの事も気になっていたし、起きなければと思いながらも、ズルズルと床の中にいてしまった。昨日西穂山荘まで出かけて来た言う「山ノ神」を起こして家を出たのが午前9時を回っていた。“ 近くの山でいいよ!”と言われたが、やっぱり上市に車を向かわせてしまった。“ 頂上まで行かなくても・・・”などと思いながら。岩魚料理屋の前から桑首谷沿う林道に入ると、除雪車が道路整備を始めたところであった。しばらく待機しながら、ブルが休んだ時に追い越して、蓬沢・坪野線との分岐まで車を入れる事が出来た。山の雪解けは、加速度的に進み標高800mくらいでないと雪を拾えず、標高1000mに達しないと、快適な雪上歩きが出来無い状態である。今日は、昨日の大明神山の反対の山頂に立てたのであるが、この周辺の山々は皆そうであるように、“エッーあんな所を登るの?”になってしまう。何処から見ても剱岳は「絵になる山」で、今日もその光景に堪能したが、「山ノ神」は、“もう少し、もう少し” と言って、ビールを片手に頂上から離れようとしないのである。しまいには、“ もう少し早く起きれば良かった。” とまで・・・遅い出発、遅くまで山頂滞在とチョット顰蹙ものであったが、明るいうちに車に戻っているし、まずまずかな・・・もう一つおまけ! 8号線を高岡に向かわせていた帰路に、昨日「大明神山」に同行してくれた「北ちゃん」の疲れた顔を見たいと言う「山ノ神」のヘンテコな要望に応えて、ハンドルを切り直して、「北ちゃん」のお店を尋ねた。疲れどころか私よりも元気であった。まさか??本当に「北ちゃん」と、山に行ったかのかと確かめるつもりだったのではなかろうな・・・・



4/5 とうとう念願の「大明神山」に登った。尾田さんや多くの方々から、私を支援する情報を頂いた事も、今回の登頂を支えてくれた事に間違いなく、本当に感謝する次第である。私は大明神山の多くを知らないが、どのルートを辿っても一筋縄では行かず、恐怖が付きまとうと聞いている。したがって天候や雪の状態などの幸運が伴わなければなかなかの所である。我々の辿ったルートは、少々長いもののその点では、私に一番あっていたように思って感謝しながら歩いた。取付きは少々雪が足らず苦手なヤブ、そして、1,000m付近までの急登を越えれば快適な登高となった。高度を上げるに連れて、週末の降雪が意外に我々に抵抗した。風通しの良い所は、そうでもなかったのだが、吹き溜まりばかりでもないだろうに、深みでは膝まで沈んでしまった。そして下の雪が硬く、アイゼンにはカッパ(団子状態)が付き、酷い時には、靴の倍になってしまい、“ まるで、京都の舞妓さんのポックリだね!” などと苦笑していた。でも、その新雪は、青空と共に、我々をもっと奥へ奥へと導いてくれた。木々が視界を遮らなくなった頃には、どちらともなく「ワーッ」と声を上げてしまった。一時は登頂辞退を申し入れた「北ちゃん」であったが、最後の踏ん張りがあり、無事登頂し日の丸を掲げた。“ こんな長く歩いたのは初めてであり、もうこんな山は来ない。” と言いながら笑顔でシャッターを切っていたが、そこには充実した男の顔があった。山頂発が午後2時20分、1850m付近で軽い食事をして発ったのが午後3時であった。今回は予定時刻をはるかにオーバーして、 “もう来れないかもしれないから!”のよく事故があるパターンになってしまったのを反省もしている。大明神山は、大勢の方々が登る眼前に聳える毛勝三山と呼ばれる山々に、やや標高が劣るが、山容といい、展望といい何も負ける事はないと思った。しかし、私はまた来る事があるのだろうか、それこそ幸運に恵まれなければ、その頂きに立つ事は出来ないであろう。



4/4 F女史の報告によると、昨日の大地は吹雪だったそうだ。一夜明けた今日も、さほど良いお天気と思えないのだが、初雪山の登頂を果たした感激のメールが届いた。先月末に付けられた、多くの足跡を消して、少ない雪量ながら神秘を取り戻した本来の山容に酔いしれられたのかもしれない。明日も天気予報通りになれば、誠に素晴らしいのだが、濃霧だけが心配である。上にあがれば・・・を期待して p.m.7:00



4/3 日に日にウィルスが多くやって来る。一昨日は2通。昨日は3通。今日はすでに6通である。当方は「symantec. の Norton」が警告してくれるので、まだ被害にあった事はない。今はそのウィルスや頭痛よりも、明後日のお天気の方に、地形図を見ながら気をもんでいる。その予報も、どうやら我々に味方してくれそうな雰囲気ではあるが、何時オセロのようにひっくり返るか予断を許さない。片貝川上流の「偵察」が、「登頂」となれば最高なのであるが、そうそう事が上手く運ぶとは思えない。しかし、明るい日差しが向けられて来た事は確かである。 p.m.10:10



4/2 薬を飲むのが遅かったので、午前中は二日酔いによく似た状態だった。薬が効くと二日酔いも何処に行ったのかと思うような夕方の状態になった。吐き気はないが眼や眉のあたりが痛くなるのは辛い。だんだんと薄らいでいく事を願っている。この機会に次のイベントがあるまで禁酒をする事にしたが、私が飲まないと「山ノ神」は、チョット調子が悪いらしい。と言いながら、後何日続くかわからないが、親父の代からお世話になっている酒店にも、少々我慢をしてもらわなくてはいけない。こんな心境の中、最近PCの調子が悪くメールを送る事が出来ない友人や、元々PCを持っていない友人に山の便りを出してみた。出すものもメールと違った新鮮さを感じるのであるから、もらってくれる友人も50円以上の喜びを感じてくれるものと信じている。もっとも、私宛に来るハガキ・手紙の郵便物は何度も何度も読み返し、捨てる事無く大事に保管されている。手書きにしたらなどと、「山ノ神」が、チャチャを入れるが、最近はあまり自身がない。山の友に限らず私の多くの友人達は、PCを苦手としている方々が多いのであるから、時々でも「山の便り」という一方的なものを送りつけようと思うのであるが、HP作りもままならぬのに、果たしてどの程度のものになるやら・・・・ p.m.10:35



4/1 何人もの方に心配をかけてしまった。山の事とは言え毎日書き続けていると、都合の悪い事を省くという芸当が出来なくなる。少しオーバーになったり、もじったりする事はあっても、決してウソは書きたくない。その時は、当HPもおしまいだと思っている。医療の事は素人だし、事細かく書いても間違いであったら、尚更悲惨であるから、あまり多くは語らない。何種類かの薬の中で、「痛み止め」さえ飲めば山行に何の支障もない。でも、心情的に出来るだけ飲む回数を減らしているから、憂鬱な時間が長いのである。4~5日くらい薬を飲めば痛みが収まると言う医師の言葉を信じ、今は耐えるのみなのであるが、どうしても左額・左眼を手で覆ってしまう。4/5は、折角「山ノ神」に休日をもらったのであるから、お天気なら日頃から暖めている「山」に取付きたい。ルートファインディングする相棒がいれば時間短縮になるし、それを「北ちゃん」に求めているのだが、押し付けがましいのも迷惑かもしれない。どちらにしてもお天気でなければ、とても行けない。 p.m.10:30