5/31 ずーっと前から雨の予想!そして昨夜の芳しくない予報では、以前から暖めていた「犬ヶ岳」や、中山君が行きたがっていた「毛勝山」も仕方なく諦めた。雨の日でも歩きたい私達は、恐る恐る休日が似ている「北ちゃん」を誘ってみた。あの日以来初めての同行者にした「北ちゃん」も近くの山ならと「中山」に付き合ってくれた。カシミールやGPSの先生でもある彼は、最近一眼レフのデジカメも買ったようだし、短い山行でも話が尽きない。彼も、私の有事に、どれほどの回復か心配してくれていたのであろうが、笑顔だけで私を慰めてくれたような気がしてならない。山頂に着く頃から雨が大粒になり、雨具を着込んで杉の下で、ススダケ焼きとコーヒータイムとなったが(「山ノ神」はビールタイム)、見る見るうちに、コンロとリックの周りが水浸しになってしまった。覚悟の上での雨の中は、さほど気にならず、ブナの木から流れ落ちる雨を見ながら、その風情を楽しむに至った。“ 今度は「犬ヶ岳」で、ご一緒しましょう!” と正午前先に車を出して別れた。 p.m. 11:10



5/30 「悩み」と「山」を意識的に分けてから、もう一週間になろうとしている。自分でも焦らずゆっくりと思いながら、HPの修復に熱が入り睡眠時間は毎日5時間足らずである。何も考えずメチャクチャに削除したから後遺症は大変なのであるが、残っているものの修理・修復は時間を掛ければ何とかなるのである。しかし、途中半端になっているものや、全く手付かずになっているものを、記憶やメモを頼っての文章はやはりキツイ。でも、最近忘れっぽくなっているのに、「山」の事となると、かなりの確率で思い起こせるから不思議である。“ 舅と姑の看護・介護で時間を割かれ、久し振りに覗いたらHPがなかった。” と純子女史。“ 山には行けないが介護の疲れを癒してくれた。” と言って下さったY女史。中でも、N女史の “母を介護しながらでも時間を作って、山に出掛けていた「元ちゃん」が何故?” にはぐさりと来たが、その励ましなどに助けられ、私は、またHPを綴り続ける事にした。それは私の山歴を刻み込むためでもあるから・・・・・ p.m.5:35



5/29 今月は雨に祟られた事も多く、このところの諸事情もあって、メインページに載せる画像に苦慮する羽目になってしまった。またまた「懐かしのシリーズ」の登場である。大正池に焼岳が映っている画像は、何気なしに撮ったものであるが、私の山への憧憬を強くした一枚でもある。高1の夏休みの終わりに、アルバイトで稼いだ軍資金を元手に友人と上高地に出掛けた。上高地が何処にあり、どんな所かも知らない頃の話である。出発当夜、集中豪雨の影響で高山線準急「ひだ」が不通となり、払戻金100円受け取り、米原経由で鈍行列車を乗り継ぎ12時間掛かって、高山に行った事が今も忘れられない思い出である。「高山~平湯」「平湯~上高地」間のどちらであったか思い出せないが、土砂崩れのため途中バスから降り歩いた事も記憶している。米を持参して上高地の「西糸屋」に泊まったが1000円ではなかったろうか?米持参で50円の割引があったような気もするが、遠い昔の話でそこまでよく覚えていない。翌朝早起きして大正池付近を散策した時の写真が「今日の一枚」である。昭和38年は豪雪の年。そして、高校入学祝いを兼ねて買ってもらったカメラを持参したものである。朝食を終えたら、バスに乗って松本に出、また鈍行列車に揺られて高岡に戻らなくてはならぬ時間的余裕のない旅であったが、私にとっては、夏でもひんやりして清々しかった上高地と神秘的に見えた大正池。そして異様な山肌の焼岳、遠くに見えた穂高連峰など何もかもが新鮮で、心を躍らせるものであった。 a.m.6:45



5/28 胸に秘めるとは、なかなか辛いものである。誰かに聞いて欲しいものだが、「他言無用」の釘を打たれたら、その人も災難である。聞いて欲しい! してあげたい! は本能で、聞いてあげる。してもらうは結構難しいのである。聞き上手の人がもてるのも、その辺から来ているのであろう。好きな山での単独行も、疲れ果ててくると叫びたくなる。たった一日でも人が恋しくなり、一人で生きていけない事を実感する。最近は「山ノ神」の同行が多く、山仲間との楽しい山行もあり、「孤独」を感じる機会がなくなりつつある。それは、限界を試す機会がなくなって来ている事にも共通するのであろう。自分の年齢・体力・技量などを考えながらの「チャレンジ」も探せば結構ある。それを見つければ、もしかしたら、「ノーハウ」なのかもしれない。 p.m.5:10



5/27 「元ちゃんの山歩き」を閉じる宣言をしてから、アクセスカウンターの異常な反応が今も続いている。“ どうなっているの?” と思わずにはいられない。きっと私を励まし下さる方々が、何度もHPを覗いてくださるのかもしれないし、時々覗いてくださっていた方々の訪問頻度が多くなったのではなかろうかと勝手に思っている。「元さんの山歩き」になっても内容が変わったわけでもないし、その後遺症で尚更惨めな姿を曝け出しているような感じなのですが、内容はともかく確実に元気になっていますからご安心下さい。私は「世の中に私より辛い人、もっと不幸な方が大勢いる。」事をしばらくの間忘れてしまっていました。だから、私は幸せです。皆様に可愛がって頂いているだけでも本当に幸せ者です。



5/26 この度の事で、夫婦お互い仲良く助け合っていこうと誓い合ったハズだったが、「山ノ神」のイヤな顔が二日も続いている。しかも口数が少なく私と顔を合わせるのも嫌なようである。夕食時に “ 普通の女の人は、男よりお酒の飲む量が少ないか、飲まない人が多い。” と言ったのが気に障ったらしく、得意のダンマリ戦術である。意味もなかった一言が、知らずのうちに心を傷付けたのかもしれない。それはそれでいいのだが、和解を休日の山行日に合わせて来るから実に厄介である。5/31は「犬ヶ岳」を有力な候補に上げていたのだが、お天気周りが良くないし、あまり気乗りしなくなっている。最近衰えだした体力が、頭の中に合図を送っているのかもしれない。 p.m.11:45



5/25 再出発にあたり、「焦らず」「ゆっくり」「力まず」など、私を労わってのメールが多く届き感謝の念に耐えません。リニューアルなどと言っても、センスがあるわけでないし、プロでもないのだから、結果的には以前のものと何ら変わらないようなHPになる事は必死であります。それはそれで良く、心の中の問題である。「恥ずかしい」「メンツ」などを棚に上げて、“やっぱり山が好き!” を前面に打ち出し、小さな情報発信基地なれば良いと思っている。そして山好きな多くの方々と何時までも仲良く出来たらと思っている。例えお会いする事がなくてもである・・・・・・・・・。“山紀行を復活せよ!” と嬉しい助言も相次いで頂いている。ガイドでもない感想でもないヘンテコリンに綴ったものが、数多くなると、それだけの値打ちを持つようになるのだろうか? しかし、「元ちゃんの山歩き」を閉じるに当たって、ズタズタ(整理されていない。)になってしまっている。1ページを飾るには、相当数のファイルが関連している事もあり、元通りにするには、かなりの時間・日数を要すると思われますが、山歩きと同じで好きなものに挑戦なのですから、また陽が当たるように頑張ってみます。富山ハイキングクラブのHPに「越中の百山123座」完踏された方々(2名)のニュースが載せられていました。“ 私も何時かは!” と思っているが、果たして・・・・・夢は夢でもいい! 大きい方が楽しいではないか・・・



5/24 久し振りの晴れ。一週間繰り上げて「犬ヶ岳」とも思ったが、まだ一度しか、それも残雪期にしか行った事のない「唐堀山」としたが、ススダケの魅力に「山ノ神」は諸手をあげて賛成である。5年前も登山口を探すのに右往左往したが、新しいトンネルが出来ている事から古い道路地図ながら念入りに調べ上げて行った。(高山線も宮川もクネクネしていて、方向感覚が可笑しくなるから、はじめて行く人は要注意!)唐堀山は、ガイドブックの触込み通り「鉄塔とススダケの山」である。今日は平日で人出を予想していなかったのだが、F山岳会を含む3パーティー10人の方々と出会った。「一週間早い!」と通の人の声を聞いたが、皆笹薮に入り込んで行った。「山ノ神」も登る事のエネルギーを温存して来たのではないかと思う程、縦横矛盾に笹薮の中へ突入である。私はそういう事はあまり上手でなく、収穫よりは顔や手足に傷をつくってしまった。登山道に三角点があるだけの何の変哲もない山頂から更に奥に、何故かヘリポートがあるが、そこが休憩場所になるらしい。我々も、採り立ての「山の幸」を、火にあぶって頂いたのであるが、それなりの雰囲気もあり香ばしいはずが、如何せん私の採取したものは、どうも上等のものではなかったようである。新緑の中を思い切りオゾンを吸った気分は何物にも変え難く、薬師岳から笠ヶ岳までの展望は遠くにあったが、かすかな槍ヶ岳も確認出来て、私が感じる唐堀山の印象を底上げしたように思えた。 p.m.7:35



5/23 皆様お久し振りです。「止めるなんか言わなければ良かったのに!」と言われたのに、今度は “チョット早いのではないの?”と「山ノ神」に言われっ放しである。確かに一週間程なのですが、自分の悩んでいた頃から数えると、かなり時間を費やしているのであります。恥ずかしながらの再登場となったわけですが、イヤな方は見なければいい。などと開き直らなければやってられません。以前からの悩みは、そんな簡単に解消されたわけでなく、ずーっと胸中に引き摺らなければならないし、いつまた爆発しないとも限りませんが、その時はその時として、私の好きな山歩きを通じて皆様にメッセージを送り続ける事は、害を与える事もないだろうとの結論を出したわけであります。自分とて山の自己満足を語れる事は、それなりの喜びもあり、希望へと繋ぐような気がしてならなかったからです。もちろん皆様方からの過分な叱咤激励を頂いた事が、心を動かした事は確かであります。こんな私ですが、またお付き合い頂けたら幸いであります。 p.m.11:50











5/16 ここ2~3ヶ月悩んでいた事がありました。それが今週極限に達し、もう山に行けなくなるのではないか? HPも毎日更新を続けられなくなるのではないかと、小心者の私は絶望感に陥ってしまったのです。皆様がどうとらえられていたか分かりませんが、「毎日更新」が私の拠り所としていただけに、一日でも欠けるという事が許されない気持ちになってしまったのです。それは、自己満足がいつの間にか自惚れになっていたのかもしれません。しかし、私の「悩み事」の根は深く、早々に解決するものではありませんが、私の「持ち時間」も余るほどあるわけでなし、解決の兆しが少々でも見えて来たら、開き直ってHPを再開するつもりです。HPを閉じる日に語るのも可笑しいのかもしれませんが、3日前に自信喪失でシンボルの口ひげを落としてしまったのですが、まるで別人のようになってしまいました。逆にそれを再出発の証に変えたいと思います。今日は雨になってしまいました。ハレルヤの仲間達と毛勝山に出掛ける予定までキャンセルしてしまっていたのに、午前中の凄い雨の中、限られた時間を利用して「牛岳」に行って来ました。終わりの日に牛岳とは私に似合うのかもしれませんが、今日は庄川側から牛岳トンネルを抜け、山頂まで続いている林道鍋谷線片道4.4キロを歩きました。身体をいじめたくて黙々と歩くつもりでしたが、「山ノ神」共々ワラビを求めてゲレンデに入ってしまいました。その煽りを食って時間が足らず、私だけが舗装された林道を歩き続けてしまったのです。この牛岳山行中、HP作りに時間を割く事に対して不評であった「山ノ神」が、「止めると言わないで、休むと言っておけば良かったのに!」などと、また違った意味で悩んでいる私にアドバイスしてくれたのですが、「けじめはけじめ」だし、山の空気が薄らいだら、また食が喉を通らなくなるに違いないから、今日をもって皆様と一度お別れする事にします。元気になった「元ちゃん」が帰って来たら何卒宜しくお願い致します。また、何処かの山でお会いする事がありましたら、お声をお掛け願えれば嬉しく思います。「私は山が好きです!」・・・・・ p.m.8:40


5/15 私は幸せ者です。HP開設以来一度の中傷もなく、最近では激励の連続でした。また、この度のHPを閉じるにあたっても、“何故!” “どうして?” などのメール、電話、訪問など数々の方々が惜しんで下さいました。“ なかなか、あなたのようなHPはないんです。” とまで言われると涙が出る思いです。確かに岩登りや、厳冬期の高所などのハイレベルなものでなく、巷の山の愛好家や近年山に取り付かれた方々に可愛がって頂いたような気がします。そして、「掲示板」のない私レベルのHPとしては、異常なくらいのカウントの進み方でした。“ 朝晩見ているよ!”“夫婦で何ポイントも稼いでいるよ!” “一日一回は確認しているよ!”“夫婦のやり取りが面白い。”“もう少し「山ノ神」を労わりなさい。” などなど。 こういう方々に、私は支えられていたのだと改めて御礼を申し上げる次第です。未練タラタラなのですが、一応明日で区切りをつけたいと思っています。山に登れない環境が続けばHPの再開もありえませんが、一日も早く私もその事を望んでいるものです。日頃から、山に登れなくなったら死んだようなものと、言い続けて来たのですから・・・・この度激励のメールを頂いた方々には、遅くなっても必ずお返事致します。明日はどのような画像を選択しようかと思っています。 p.m.10:05


5/14 声援してくださる皆様にお返事が出せる状態ではありませんが、まずはリンクして頂いていた方々、お一人お一人に、ご連絡をさせていたのですが、涙が出て止まりませんでした。自分で止めると言ったくせに、いざ消去するとなると手が震えてなりません。未練がましく一つ一つ消していく始末です。「何があったの?」・・・・それは、少しは脚色しても、ウソをつく事が出来ないからです。また、、皆さんにチヤホヤされて好い気になっていられないからです。私の痛い胸中が払拭されれば、すぐにでもHPを再開したい気持ちですし、這ってでも山に出掛けるつもりです。恥ずかしながらメソメソと、あと何日、当欄が持ちこたえられるか分かりませんが・・・・ p.m.11:15


5/13 突然ですが、HPを閉じる事にしました。長い間「元ちゃん、元ちゃん」と、可愛がって頂き本当に有難うございました。2本の指でキーボードを打ちながら、毎日が楽しくて楽しくてなりませんでした。でも、ここに来てHPを続ける事が出来なくなりました。もしかしたら、山にも出掛けなくなるかもしれません。でも、どんな形でも「山歩き」を続けたい気持ちには変わりません。・・・・・・・  p.m.11:40



5/12 山に登れない夢を見てしまった。



5/11 調子が悪いとか、イヤになったとか、我まま充分なHPなのに、アクセスカウンターが15万を超える事が出来ました。他のHPの驚異的なカウンターの進みなどとは比べようがないにしても、HPを立ち上げてから1千件達成まで7ヶ月を要した事を思えば夢のようである。“真面目に!”“正直に!”を前面に出した面白くない男のHPであるから、同様の事を何度も繰り返しているような感は歪めず、滞る紀行文はもうガイド役の用も足さないし、新たな期待される情報も少なくなってしまったように思えてならない。他の新鮮で見映えのあるHPに、その期待を預ける事にして、私は山の想いを、時々綴れば良いのではないかと思うようになってきている。でも、人間の心とは不思議なもので、“やめれば!” などと言われると人生が終わったような気がするし、“もう歳だから無理をするなよ!” と言われれば、“俺はまだ元気なのだ!” などと反論したくなる。“雨の中のブナは美しい。” “降雪後の雪山は別世界である。” “落ち葉を踏み締めるのは、何とも気持ちがいい。” などと、山にはいろいろな楽しみ方がある。しかし、タイムや回数などが気になるうちは、まだ若い血が体内で騒いでいるのかもしれない。 p.m.2:30



5/10 小心者の私は、チョットした事に悩んでしまい胃をキリキリさせてしまう。昨夜の成年会の美味しいご馳走も朝になっても消化しきれていなかった。悪天の予想に出遅れたしまったが、完全燃焼するために予定通り「人形山」に出掛けた。遅い出発なのに途中、タラの芽やワラビ採りに時間をそがれ、登山口発が10時35分となる。歩き始めてもコシアブラなどに気を奪われ、なかなかピッチが上がらなかった。出遅れや悪天そして残雪を克服して意外な「山ノ神」の頑張りも加わり、難なく山頂に立つ事が出来た。登りに雪を拾ったばかりにヤブ漕ぎになったり、下りのガスに惑わされてルートから外れたりしたが事無きを得た。そして予想通り下りは強雨に見舞われ全身ずぶ濡れになってしまった。 p.m.11:50



5/9 アクセスカウンターが15万件に近付いて来た。マンネリと思うように進まぬHPに、疲れと苛立ちを覚えるようになってきた。「チョット一休み」は、このHPの終わりに繋がってしまうような気がしてなかなか休めない。当欄が短文になったり、情報や紀行文が思いのままにならぬかもしれない事を、しばらくは15万件達成のご褒美としてお許し願いたい。 p.m.11:25



5/8 このところチョット疲れた。5/10も雨のようだ。



5/7 「自分の気持ちの良い時は、相手が気を使っている時だ。相手を喜ばす時は気を使わなければならない。」という事を教わった。今日は楽しかったという事は、相手がそれだけ気を使ってくれた事になり、相手が面白くなさそうに見える時は、自分の気配りが足りなかった事になるのであろう。そんな面倒なのならと思うかもしれないが、人間一人では生きていけないのである。この歳になっても分からない事ばかり、また、分かったような顔をしていても大した事はない。ならば多くの人と出来るだけ仲良くした方が楽しいに決まっているし、その方が大得であり、山行時しかりである。大沢小屋や針ノ木小屋を建てた百瀬慎太郎の「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」の名文は、どのような心境の時に生み出されたのであろうか? p.m.10:00



5/6 一昨日の大平山で今年30回目の山行となった。内容はともあれ、1ヶ月間山に入った事になる。可笑しな話であるが、「山バカ」「山キチガイ」と言われるまで、自分自身相当努力を重ねたように思う。周りにいる人、出会う人、興味のない人までにも、「私は山が好きです!」と言い続けてきた。それが実ってか最近は、「山に行っているかね!」「山には未だ雪があるかね!」などと私を喜ばせるかのように声が掛かるようになってきた。そして、「何時から山に登るようになったのか?」「何時から山が好きになったのか?」の問いに変わって来た。高校時代は山岳部などと言うと必ず「ヘーっ」の声が帰って来る。でも、社会に出てからの山行回数は 年間10回くらいで、毎週のように出掛けるようになったのは、10年程前からである。父が亡くなったのや母が病に倒れた時が、今思えば転機だったような気がする。特に母の介護の合間を見ての山行は心の支えであった。持ち時間を気にしながらの山行ではあったが、今は思い出深いものである。山行中味はともあれ、友人・知人からみると、私の行動は異様なものに感じるらしいが、「今が一番幸せ!」の気持ちを、燃え尽きるまで大事にしたいと思っている。



5/5 昨日大平山で熊を見た。何となくこの山域は熊がいるような気がしていた。荷は私が担ぐにしても、自分の凛(鈴)を付けるよう「山ノ神」に促した。さて、雨の中どこに付けるか悩んだが、結局雨具のフードの伸縮のゴムにカナビラを介して付けた。耳にカナビラを付けているようなけったいな格好であったが、強い雨の中誰が来るわけでもないし、「安全」に何の抵抗もなかったようである。その山行に事無きを得て、車を走らせてしばらくした所に斜面から「熊」が下りて来たのである。こっちもビックリしたが、熊も驚いたのか、元の斜面に駆け上がって行った。3年前の秋経ヶ岳で熊が登山道を横切って行ったが、あーっという間の出来事、先日の鍬崎山での熊は、私の目では確認出来なかったが、昨日の熊は、まるで動物園で見るほどの大きさと近距離であった。「熊さん」は、あの雨でも傘は差していなかったし、何処か良い所へ行きたかったのかも知れないのに、驚かして本当に申し訳なかったです。 p.m.5:15



5/4 雨でも行く。「山ノ神」は山菜採りを希望。私は低くてもピークに立ちたい。大平山の夏道が出来て以来、行った事もなければ登山口も知らなかったので、山菜もあるかもしれないと、「山ノ神」を騙かした感じになったが魚津に向かった。平沢から9キロも山奥に入るのだから、強い雨に帰路の土砂崩れが心配になる。「標高差300m前後だから、1時間程で登れるよ! 荷物は全部私が担ぐから!」と雨の中雨具を着ての出発となったのだが、顔に打ち付ける雨、急登での滑りなど、自分の思いと違っていたらしく、昨日のハレルヤ山行と違って「ダンマリ」になってしまった。山頂からの雪面の下りが怖いと言ってはアイゼンを履かせ、雪のない滑りそうな下りでは、イチイチ気配りをしなければならなかった。車に戻っても、全身ずぶ濡れの上、山菜が見当たらずご機嫌斜めのようであった。馬鹿な亭主は、その機嫌をとるために片貝川から早月川へ車を走らせ、思う存分にコゴミを採らせたからか、帰路の車の中では口数が多くなった。往路のスーパーで買って来たチキンカツを取り出し、ビールを飲みたいと言う。「エッー」と聞き返したが、大平山で荷物を一つにすると言ったので、流石に隠し持って来たビールを、ザックに入れてくれとは言えなかったというのである。しかし、雨の大平山のしょぼくれを山菜採りで満足感にしたったのか、「山ノ神」はバックの中にビールを仕舞い込んでしまった。 p.m.8:40



5/3 第6回ハレルヤ山行は、小竹・筏井両氏お好みの粟巣野から直接送水管を登り、貯水池から水平道経由で大品山へ向かうものであった。水平道のデブリの緊張や雪面を横切る熊の出現(私の目には留まらなかったが・・)そして、大品山に達するまでのブナ林など、木々の芽吹きも感じステキなルートであった。午後からのお天気が心配であったが、頭上の雲間から日差しを受けながら、晴れ男(=筏井氏)にも多くの期待を寄せた。夏道も所々顔を出す鍬崎山への稜線で、真川の上に美女平から室堂平に至る高原を台座にして、少し遠いが毛勝の山々が今日は蒼く先鋭に見えた。大日連山は相変わらず白く一番近く見え、室堂平の上には立山の稜線が浮かんでいた。更に右には、獅子岳・鷲岳・鳶山が連なり、立山カルデラの核心部は見えなかったが、上部からその雰囲気を感じる事が出来た。高度を上げるにつけ、早朝から強風が益々猛威を振い、終いには雨が着込んだ雨具にパタパタを打ち付けるようになった。視界も悪くなり、全員登頂にも陰りを感じた事から、1756mで勇気ある退却の決断が出された。下り始める毎に、雨風とも弱まるかに思えたが、我々ハレルヤ山行には一番正しい判断だったと思われる。そして、大品山直下で今日も楽しい宴会が待っていたし、コゴミ採りや温泉浴のオプションまで企画してくれた事務局の心配りに頭が下がる思いであった。



5/2 私のHPからもリンクさせてもらっている「このきなんのき」の所長・林将之氏が「葉で見わける樹木=小学館1838円(税込)」を出版された。四つのチェック項目で葉を簡単に調べられる単純明快な検索方法。超リアルな葉のスキャニング画像で、葉の特徴が鮮明にわかるというのが特徴で、先般某新聞でも「葉のスキャニング」の記事として掲載されていました。「このきなんのき」は、樹木の鑑定をしてくれる興味深いHPで、同じく私のHPからリンクしている「花じいのHP」と共に上手く活用されれば、あなたも何時かは植物博士?かも・・・・林所長(神奈川)とお母様の涼子女史(山口)そして「花じい」との4人で、昨秋朝日岳に登ったのが、つい先日のような気がするのだが・・・・ p.m.6:50



5/1 当欄に、ちょくちょく何時かは「元じい」とか、元じいになる時を模索しているなどと、記していたからであろうか、「元ちゃん、何時から元じいになるの?」と直接問われたのには聊か参った。口には出しているが、私の子供達も25歳・23歳・21歳で未婚であるし、孫などまだまだ先の事で、爺には未だなりたくない。そう言えば、元じいになるまで頑張ると言っていたのであって・・・・・でも、鏡に我が身を映せば、この世のものかなどと思う事もあるし、写真に映された後姿を見るに付け、若いという言葉が当てはまらない。ふと考えた。元じいになる前に「元さん」がある。知り合い意外に元ちゃんと呼ばれるのもチョット照れくさくなってきたし、機会を見て元さんに改めよう。しかし、HPのタイトルをそう簡単に変えていいものかと悩んでしまう。でも、それまでこのHPが続くかどうかもわからないから、深く考えない事にしよう。 p.m.11:59