6/30 今日で今年も半分が終わった。41回の休日で42回の山行機会があったのだから、回数的には大満足でという事になる。白金ノ頭・高杉山・大明神山の真新しいものもあったが、天候に恵まれず近くの低山歩きが多かったのも歪めないところである。遠征も2月の黒岳しかなくチョット寂しかったかもしれない。しかし、複数回に拘り始めた昨今、赤谷ノ頭・大高山・奥ノ山・横岳・大平山・唐堀山・富士写ヶ岳が2度目の山行機会となった。しかし、内容はともかく、何と言ってもまず山に入れた事に感謝しなければなるまい。後半は39回の休日があるが、「皆勤」などと大それた事を考えず、一日でも多く山と接する機会に恵まれれば良いと思っている。そして、一人でも多くの方々との語り合いの場に恵まれれば「最高」である。 p.m.11:40



6/29 世の中には凄い人がいるもので、大猫山に登った昨日の同時刻に、剱岳早月尾根に登り始めた方があった。時間も時間だっただけに、早月小屋で引き返したという小杉町在住のN氏は、昨年10月上旬に同じコースで剱岳に登り5時間、下り3時間の日帰りを達成したそうである。私より20歳も若い青年でも、「アリャー」と言いたくなる。他力も必要だが、別山乗越から大日連山を経由して称名に下ってみてはと、けし掛けたくなる。となると、もっと速く歩かなければならないか?N氏の技量も知らない私の余計なお世話かもしれない。俺にも速い時があったんだと、言わんばかりの発言なれど、毎年登頂でさえ途切れてしまっている。速さや回数などを競う事など愚かな事かもしれないが、その意欲は捨て難い。何もやらないよりは数段凄い事である。自慢しなければもっと凄いのであるが・・・・・。 p.m.11:59



6/28 夜が明ける頃でもまだ雨であった。午前7時前には雨が止んだ。8時頃には一部に青空さえ見えて来た。車に飛び乗り馬場島に向かった。もしかして、雲の上に剱の稜線を見る事が出来るのではないかと、淡い気持ちの登山口10時半発であった。荷を少なくしたものの「山ノ神」は意外と好調であった。午後1時40分大猫平着で「山ノ神」は、私だけを頂上にと勧めたが、帰りの時間が遅くなるのとゴロゴロ鳴り出した雷が気になり、まだ早いお花畑で休憩とした。しかし、ゴロゴロ鳴り出し真っ黒な雲に覆われつつも、飲みだした「山ノ神」が腰をあげようとしないのに閉口し、とうとう雨にうたれてしまった。大窓・赤谷山・赤谷尾根くらいしか望めなかったが、それはそれで6月の大猫山を楽しんだ事に結構満足であった。ただ、何時もの事だが、私(私達)が下山してからお天気が回復するのは、自然現象とは言え割り切れないものがある。もう一つ6/24牛岳で滑って転んで出来た肘の傷に、今日も転び同じ所を痛めてしまった。敏捷性が無くなって来ている証拠なのであろう。 p.m.8:45



6/27 明日の予報が雨に変わった。昨日今日とだんだん悪くなって来た。こんなハズではなかったのにと、一変に山行意欲が薄らいでしまった。白山も雨飾山も止めた。夕飯を食べてから、いや明日になってからになるかもしれないが、空模様を窺いながらになるであろうから、遠い所には出掛ける事はあるまい。 p.m.8:40



6/26 一週間遅れの父の日のプレゼントとして、東京の娘から登山ズボン(今の時代は、パンツと言うのだろうか?)が贈られて来た。よく山の雑誌に出ている東京のカモシカスポーツ山の店・本店からであった。ほころびても、なかなか買えない物だけにとても嬉しく感じた。昨春の初任給や誕生日にも、登山シャツ・ロングスパッツをプレゼントしてくれたが、富山にないものだっただけに特に嬉しかった。山にあまり興味のない娘のはずだが、どのようにして選んでくれたのか興味のあるところである。もう子供達に何もしてやれなくなってしまったが、ケガや病気をしないで心配を掛けないよう元気でいなければならない。だんだん歳を重ねていく毎に、このような気持ちが増していくのだろうか? p.m.7:50



6/25 明日は私の友人・知人達の多くが朝日岳へ出掛けるようである。お天気が気にかかるところであるが、以前の予報に比べると少しは良くなった感がある。例年より雪解けが早いようであるが、何せ北ア最北の地、自然が必ずしも均一とは思えない。その事を充分加味しながら、多くの出会いを通じて楽しんで来て欲しいものである。



6/24 仕事前に牛岳に行って来た。起きたなり身体の動きは悪いが、早朝の空気は美味しい。夜露で濡れる事は、ぬかるみの汚れよりも気にならない。自分のアドレスをsasayurikoとするくらいに、ササユリが大好きな「山ノ神」を伴っての早朝登山であったが、登山道で34本を確認したにとどまった。白木峰に比べればスケールが劣るが、近くの山で見れるのがいい。このまま目で楽しむ人達だけが訪れてくれれば、もうしばらく大丈夫であろう。七合目周辺や八合目から九合目に掛けては、ヤグルマソウやサンカヨウなどが混じって草木が登山道に覆い被さって来ている。この先もっと伸びて、暑い日差しを受けての登山は、たまらないかもしれない。でも、歩かないとまた草が伸びて来る。 a.m.10:35



6/23 今月は、6/28にもう一度休日がある。週末に崩れるお天気が、月曜日から回復傾向にあるから、4回目の黒岩山や、もうチョット高い所で白馬岳、いや白山も良いなどと、次から次へと候補があがって来る。雨になって、牛岳だけは行きたくないと思っていたのに、ここへ来て、昨年12月から続いている牛岳山行の途切れる事が気に掛かってきた。因みに昨年は、5月・6月・8月・11月に出掛けなかった。過去に15ヶ月連続登頂があるが、今はそれほど気にはならない。只、牛岳100回登頂記念に同行したいとか、お祝いをしてあげるなどの外野席の事を思うと、月一で行くと来年9月当たりになる。私の好きな季節にするには(1~3月)、月ニ回にするか、もうチョット間隔を広げて再来年の冬を目指さなければならなくなる。それでは、美酒が遠い日になり待ってられない。実のところ、今朝4時自宅発を狙っていたのだが、「山ノ神」同行では、7時半頃に自宅にとても戻れなくキャンセルになった。もうチョット早く起きるか、単独行で明朝もう一度狙ってみたい。 p.m.4:15



6/22 「元さんの山歩き」に復活してもうすぐ一ヶ月になる。ズタズタに削除した経緯もあって、関連付けに手間取りなかなか元通りにならない。この機会に自分でも分かり易くするため、ファイル・フォルダ名の整理・統一をしているので、余計に時間を要しているのかもしれない。しかし、中途になっている資料や、これからの記録などを、どのようにすれば良いものかと容量の事もあり頭の痛いところである。「元さん・元ちゃん」そんなに慌てなくても・・・・の声が、何処からともなく、聞こえてきそうな気がするが・・・・。



6/21 昨日は大日岳山行の楽しい余韻を残して帰宅したが「山ノ神」は外出中だった。(帰宅が遅かったので買物に出かけていたらしい。)余韻と言うくらいだから私は結構満足だったのだが、“心配していたのに連絡がなかった!” “仲間に挨拶をしたかった!” などと、「山ノ神」のご機嫌斜めの感じが伝わって来た。自分で予定を立てて、今日の山行を欠席したのに何を言うのかと思ったが、その中味を尋ねるのを怠ったかもしれない。今日の午前中はお天気が持ちそうだから、雨飾山、負釣山、白木峰などを提案をしたが、返事もなかったので、バカな私は、酒を呷って(と言っても350mlの発泡酒を3本・・・・本当はPCの前で頑張ったのだが目が開かず午後11時過ぎ就寝)寝てしまった。HPの事もあり、午前4時に起きたが、「山ノ神」はまだ真夜中!5時前に山に行くのかと起こしたが、出発は6時を回ってしまった。「夫婦山・祖父岳」を告げると、ササユリの咲いている松瀬ルートを示唆したが、私に考えがあり小井波ルートを譲らなかった。会話もなく沈黙の山行となったのだが、昨日と同じ予想を遥かに越える展望に思わず「山ノ神」の口が開いた。最もビールがそうさせたのかもしれない。私はいつもの通りノンアルコール。大日岳稜線から見た剱岳や毛勝の山々、また駒・僧ヶ岳などなど。後立山の山々を拝めはしなかったが、薬師に笠ヶ岳などバラエティーのとんでいた。それはそうだ。戸田峰や白木峰・高峰に我牛岳が輝いていた。でも雨が来た。それにもめげず、祖父岳に行く。途中分かったつもりの山道をやはり勘違いなのだろうか、久婦須川から別荘川を通り越して野積川まで来れなく山中で迷ってしまった。でも布谷から谷折へ行き, しかと祖父岳にも登って来た。少し雨にも祟られたが、その都度その都度の山を「山ノ神」は味わったに違いなく、帰路の車中は普段の我女房殿に戻った。 p.m.10:05



6/20 大型の台風6号の影響で、何時から雨になるかと心配しながらのハレルヤ大日岳山行は結局雨が落ちなかった。生温い強い風は、ハンノキ滝の流れを巻き上げる珍現象を見ながらの登高となったが、大日平にはチングルマが咲き始め、沢沿いにはキヌガサソウやシラネアオイが咲き乱れていた。思わぬ歓迎に皆大喜びでシャッターを切った。一般的に残雪は少なかったが、大日岳への稜線上にはまだ多く多く残っていた。この天候で誰もが期待していなかった展望は、以外にも絶景に近し! 剱岳の全容こそ瞬時のものであったが、毛勝の山々を始め、後立山連峰など御馴染みのピークが、真新しく新鮮に感じたのは、その時その時の感性、或いはメンバーによって違うのかもしれない。強風下の中での美味しい鍋料理、またグリセードや滑落停止の余興?を飲みながら眺める(歓声をあげる)というおまけまで付いた楽しいものであった。クーラーの中にいるような環境から、下るにつけ汗が滲み出てきたが、家に帰っテレビニュースをみたら、6月の気温としては観測史上最高の36・4℃(富山市)だというからまたビックリであった。



6/19 明日はハレルヤの大日岳行きである。先月の第3日曜日に毛勝山をキャンセルしたのに、また誘ってもらえるなんて嬉しい限りだある。台風6号が沖縄に接近している関係上、全国的にお天気は思わしくない。雨男の私に対して筏井氏の「晴れ男」が上回ってくれないものかと、願わずにはいられない。同じ日に、福井の松尾氏一向(20名程)が人形山にやって来るという。反対方向に出掛ける私は、何もしてあげられなく、申し訳ないと思っている。しかし、急なお話だけに、それはそれ山の友はわかってくれるに違いない。どちらにしても、雨を吹っ飛ばすくらいの元気がないとやってられないよ!

 

6/18 今夜、大阪から突然長男がやって来た。どうしたのかと尋ねたら “何となく?” 何時までと聞いたら “明朝帰る。” と言う。親から見ればもったいない。もうチョットゆっくりしていけば良いのにと思うのであるが、親の事が気になっての帰高に間違いない。先月、私がHPを閉じた時、東京の長女が、あれだけ山好きのオヤジが、またあれだけHPに熱を入れていたオヤジが止めるなんてどうも可笑しい!と飛んで来た。その時長男を誘ったらしいが、日程が合わず今回になったように感じられる。私にそれらしい事も言わずにいるが、ひしひしと伝わって来るのであるから有り難い事である。友人の彼女が山好きで、一緒に山に登ってみたいなどと、私の心をくすぐる事まで言う。お前の彼女が登りたいのなら付き合うが、知らない若いカップルが、この年寄りと、一緒に登って、何が面白いなどと短い時間の会話を楽しんだ。 p.m.11:59



6/17 先日の犬ヶ岳ではあまり良い写真が撮れなかった。楽しい山行を重点にし、一眼レフや三脚を装備から外したからではないが、あまりにもピンボケが多かった。アングルの悪さはセンスの問題だから致し方ないにしても、如何せんシャッターぶれがまずかった。お花や樹林帯の中などでは、自動でもシャッター速度が遅くなる事を配慮し、「固定」に拘らなければいけなかった。しかし、ピンボケであろうとなかろうと、私にとっては、楽しい思い出の画像なのである。



6/16 寝不足(睡眠時間2~3時間)が3日も続けばダウンである。(目が開かない。) p.m.11:30



6/15 チョッピリ重荷を担いだ事もあったが、今日は久々の大腿に痛みを感じる。もちろん快い痛みであるが、長い行程の証でもある。一夜明けて、その感想を「山ノ神」に求めたのであるが、“ 時間が経ってからでは余韻が遠のいてしまった。” とPCの前へ直行した私への痛烈な非難である。足の痛さを問うてみても、“ あんたが痛いのなら、私が痛くないわけないでしょ!” の言葉が返って来るだけである。しかし、メンバー的にみても、「山ノ神」が付いていけるのだろうかと当初から心配だっただけに、彼女自身の荷を軽くしたとは言え、過去の同コースの歩きを払拭するものであった。たぶん二人だけの山行であったら、復路の白鳥山当たりから、暗い夜道をライトを点けて歩かなくてはならなかったであろう。その点からも同行して頂いた「北ちゃん」・藤井女史・尾田氏に感謝しなければいけません。美味しいものを沢山頂いたし、何よりも楽しかった会話、私達夫婦だけでは楽しまれない事ばかりであった。栂海の良さを強調した割には、残雪の少なさやお花時期を逸した感が歪めなかっただけに、機会あるものなら、また何時か再チャレンジを希望するものであります。しかし、好天に恵まれたことだけは、企画した者として胸を撫で下ろしているところである。 p.m.11:30



6/14 諸事情で出発が遅れたものの素晴らしい山行であった。雪解けが早かった事もあり、カタクリの絨毯を見る機会を逸したが、シラネアオイは必死に持ちこたえていてくれたように思えた。心配していたメンバー各位の耐久力は、予想以上の頑張りに各ピークでフルーツパーティーが催され、初雪山や黒岩山から朝日岳に至る残雪の山並みのメニューに、見た事のない剱岳の特別メニューを仰ぐ事が何よりも我心に喜びを感じさせてくれた。「日の暮れないうちに坂田峠に下ろう。」を合言葉に頑張ったのであるが、10~15分前に今年も日が落ちてしまった。しかし、山頂でのミニ宴会、各ピークでの長めの小休止など、充分に栂海の一部を堪能出来た事を思えば、少々のタイムオーバーは許されてしかるべきである。準備のため午前2時半に起き、下山後もチョットした出来事のお付き合いした事もあって、帰宅したのは午後10時半頃になってしまった。流石の「山ノ神」も一風呂浴びてからは、ビールどころか食事もしないで眠りに着いてしまった。



6/13 明日は確実に!いや絶対晴れる。そうなると雨男の私でも、犬ヶ岳山行は全て晴れとなる。過去2回の犬ヶ岳山行より、時期的には少し遅いようにも思えるのだが、それでも、シラネアオイ、カタクリなどの群落を期待してしまう。カタクリを踏まないで通れない群落が、今年もあるのだろうかと胸が躍るのであるが、始めで最後かもしれない5名のパーティーにも何故か興味津々なのである。 p.m.9:15



6/12 台風4号終息し、梅雨前線も一休みするようで、ようやく私(私達)の山行にも晴れマークが戻ってきそうだ。5月以来1勝8敗では、あまりにも可愛そうだと自分ながら思っていた。これから「晴れ」が続き全勝まではいかなくても、それなりに楽しませて欲しいものだと思わずにはいられない。明後日の「犬ヶ岳」と6/20の大日岳は、久々の山らしい山であるし、山友との交流が待っている。1週間先のお天気はわからないにしても、明後日の晴れ予想に、どんでん返しという事があってはたまらない!!



6/11 先日、愛知の加藤さんから、日本七霊山の問い合わせがあった。それによると、富士山、白山、立山、大山、大峰山、石鎚山、釈迦岳だと思うが、立山ではなく、御嶽山だという説もあるのでその確認。また、釈迦岳は全国に沢山あるが何処の「釈迦岳」であろかというものであった。私は「越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山三国一だよ!」の♪“越中おわら節”の一節に出てくるような事しかわからず、同HPの“お知らせ欄”で、山好きの同士に「教えて下さい!」と問い掛けて見たが、私と同様そういう知識がないのか、興味がない方ばかりなのか情報が全く寄せられなかった。期待して頂いた加藤さんに申し訳なく、今度は同欄でもう一度問い掛けをしてみたくなってしまった。重複するかもしれないが、以前に私の山好きの友人から、富士山、白山、立山で日本三霊山、御嶽山を加えて日本四霊山と聞いた事があったが、それが正しいかどうかはわからない。加藤さんから提示があった山々は、富士山、立山を東に、西日本に固まっているような感じに見受けられるが、では何処の「釈迦岳」が日本七霊山になるのであろうか? ご存知の方があればお教え願いたい・・・・・



6/10 今夜もある会合で、“ やつれたね! どうしたの?” と言われてしまった。自分としては、ウエイトの変化もないし、そう大代わりもしていないつもりだが、他人様からみると悲壮感が漂ってみえるのかもしれない。しかし、あれだけ長い間トレードマークであった口ヒゲがないのに、殆どの人達が気付いてくれない。分かっているようで、分かっていないとは、このような事なのかもしれないと思った。おそらく私の子供達も、ヒゲのないオヤジの顔など知らなかった程だが、(息子達はまだその後会っていないが・・・)4週間経過して、ようやく自分の顔になれてきた感じである。“ 老けて見える。何か変だ!” などの外野席の発言はあまり気にせず、山に入る時だけは、清々しい気持ちで、また気持ちだけは若々しくありたいものだと思っている。6/14や6/20の山行は、英気を養うためにも、またメリハリを付けるためにも、私にとってはとても大切な山行である。この時ばかりは晴れて欲しいものである。 p.m.11:59



6/9 今日は曇りがちだが雨は止んだ。本当に何故私の休日だけに雨が降るのだろうかと思ってしまう。「修行」だと思えばいいのかもしれないが、神や仏を蔑ろにしている私には似つかないだろう。もっとも、快楽などは一時の事で、不平不満を言いながらの人生とよく似ている。“ いやいやプロセスが大事なんだよ!” と慰められても、コツコツ山道を歩くような努力は、人生の道にはされていないのだろう。他人を羨むか自分を慰めるかが精一杯というところか! もしかしたら、無いものを求めた「山」だったのかもしれない。(この歳になって!) 大自然の中に入れば、人間なんて点にも線にもならないほどチッポケなもの。その悩みなどは言うに及ばないと学ぶ。もしかして、大自然にアタックなどと称して、実は逃避だったのだろうか? 雨ばかりになり、思う存分歩けないから、考えなくてもよい余計な事を考えてしまうのかもしれない。 p.m.0:30



6/8 またまた雨。これだけ雨に見舞われると、行き先もなかなか決まらず、「大辻山(北尾根コース)」になるまで、相当積んだり崩したりした。鳥越峠に着いてからも雨具を着込むのに、車の中からなかなか出れなかった。長倉峠からの本ルートと合流してからの急登箇所では、登山道がまるで川のようになってしまった。そんな雨の中では、さすがに山頂で長居する気にもなれず、すぐに下山する事になったが、連日の雨に「山ノ神」は全く元気がなかった。その証拠にビールを持参しなかったのである。“ こんな調子では、来週の「犬ヶ岳」には行けないよ!” などと言おうものなら、“ 私が行かなければいいのでしょ!” と、また膨れられるところであったが、喉元で必死に堪えた「余計な一言」の回避で、我家の夕食に影響を与える事はなかった。 p.m7:45



6/7 雨の中同じ山にばかり登っているのも飽きてしまう。思い切って、一度しか登っていない富士写ヶ岳(石川県山中町)に出掛ける事にした。降水確率の高い中、午前中が勝負だと早々に家を出たが、雨どころか青空が見えて来て陽が指してきた。 “何故? こんなのならもっと行きたい山があった!” とブツブツ言いながら、8年前に来た枯淵の登山口周辺に来たら、九谷ダムの工事で周辺が一変していた。仕方なく我谷登山口に戻り赤い吊橋を渡った。樹木に覆われ風通しも良くない登山道を、サウナに入っているかのように、滴り落ちる汗を拭いながらじっくり歩いた。それは、雨を約束されていたのに、「我慢」のご褒美でもあるかのようであった。小鳥のさえずりを聞きながら、シャクナゲが終わったとは言え、これから咲き揃う「ササユリ」、そして小振りではあるが、ステキなブナ林が我々を迎えてくれた。富士写ヶ岳山頂からの展望は、樹木で少し見えにくい所もあるが、福井・石川の山々が遠望出来、深田久弥終焉の山「茅ヶ岳」とよく似た雰囲気である。この時期特有の「小さな虫」には見舞われなかったが、大きな蜂がブンブン飛んでいたのと、モクモク湧き上がって来た雲の流れが気になっていた。一時間余滞在し、立ち上がった所に、福井からの植谷氏とお話する機会を得、予定を変更し、当初登る予定の枯淵に下る事にした。深田久弥の「歌碑」があるのと、自動車道を歩かなければならないが、山やるものとして登山口と下山口が違うのは憧れなのである。しかし、雨はしばらく、それも大降りはしないであろうの予測を裏切り、またまた雨の中の人になってしまったのである。ずぶ濡れになって工事中のダムの下に出た我々を、驚く事に先程山頂で初めてお会いした植谷氏が、我々の事が心配になり、ワザワザ枯淵側の登山口まで車を走らせて迎えに来て下さったのである。3.5~4キロ程自動車道を歩く気で致し、濡れた着衣のままで車に乗せてもらうのが気が引けたのであるが、結果的にはそのご好意に甘える事になった。山で出会う人、皆どうしてこんなに良い人ばかりなのであろう。 p.m.10:45



6/6 降る降ると言いながら、あまり降らなかった。しかし、関東も関西も梅雨入りしたようで、全国何処へ行っても雨のようである。多く降るかどうかは分からないが、雨に遭遇する事は確かで、その合間に少しの期待をするしかない。今回の連休(6/7~6/8)は、遠出もなしになるが、さて何処へ行けばいいものか、「複数回登頂」に拘って、山行歴を振り返ってみようか? p.m.11:59



6/5 明日の日中は、まだお天気が持ちそうであるが、明後日からは、ずーっと雨のようである。「ズタズタ」「バタバタ」、どの表現を使ったらいいのか分からないが、私愛用の帽子(黒の野球帽)がある。寿命を感じているのだが、愛着と共にその代用となる私の気に入った野球帽が市販されていないのである。今流行りの形の物はあるのだが、昔スタイルの物は、なかなかないようである。些細な事だが、無頓着の私にもそれくらいの拘りがある。若い時はバンタナスタイルもあったのだが、日焼け防止や雨の時は鍔があった方が便利であるし、髪の毛が少なくなってきた事もあるのであろうが、、顔もあまり大きく露出したくなくなってしまった。汚く形も崩れてしまったあの黒い野球帽であるが、まだしばらくは続きそうである。



6/4 5月は7回の山行機会があったが、「雨」に見舞われなかったのは、唐堀山の1回だけである。あとは、途中や一日中など、ことごとく降られてしまった。私の来週の連休(6/7~6/8)も、どうやら雨のようであり、「山ノ神」ご希望の県外遠征も中止の可能性が高い。また、10日も先の事で何とも言えないが、「犬ヶ岳」も雨の確率が高いようである。これだけ雨が続くと、HPを止める止めたと言って、大勢の方々に迷惑を掛けた罰のような気がしてならない。でも、良い時があれば悪い時があるように、その反対もある。真面目にやっておれば、何時かきっと良い事もあるように、お天気が続く事もあるであろう。 p.m.11:55



6/3 富山の山好き達の間では、今夏の剱岳に測量の基準となる三角点を埋設する計画が、ホットな話題となっている。明治40年柴崎芳太郎測量官が、政府の命で登頂を果たしてから、平成19年で百年に当たるそうであるが、その記念事業の一環として三等三角点を設置し、正確な標高を計測するというものである。私が山に登り出した頃は、剱岳の標高は3,003mであったが、それが測量し直したら2,998mと5mも低くなり、「一万尺」を切った事に非常なショックを受けた事をはっきり覚えている。それが何時だったのか、アルバムをひっくり返して見たのだが、よく分からなかった。今度もう一度測り直して、高くなればそうでもないのだろうが、低くなったら、またまたショックを受けるかもしれない。いやショックを受けるような感性ならまだまだなのだが、どうでもいいようになってしまっていたら、私の山人生も終局の始まりであろう。 p.m.11:55



6/2 2年前「花じい」の復帰山行(位山・川上岳)で、正確な名は忘れてしまったが、「何とかの一味」と言う名のグループの笠間さんにお会いした事がある。最も花じいを介してメールを頂いた事もある方であった。この度自分専用のPCが用意されたとの事であったが、メール相手が花じいと私だけであると言ってくださるから、また光栄である。笠間さんのメールには、必ずと言ってほどお酒の事が出てくる。2~3合の量ではお酒に入らない。うがいみたいなものであるというのであるから、また一度お会いしましょうと言うにはかなりの覚悟を決めてからでないと出来ないようである。その彼は、週2回程度お仲間とお天気の良い時に山に出掛けられるようで、(もちろん、たっぷりお酒を担いでらしい。)羨ましい限りである。奥様に家中から追い出されるという説もあるが、花じいによると若い時はかなりの山へ出掛けられているようで、その話をお聞きする事も勉強かなと思うのであるが、彼のお酒が弱くなるまでしばらくは、メル友?のお付き合いで良いのかもしれない。嬉しい、楽しいと言ってはアルコールが伴うが、最近の山での私は、ビールなし、またはノンアルコール・ビールが定着し、「山ノ神」が一人で嗜む姿を見ても何ともないようになってしまった。 p.m.8:50



6/1 もう少しワラビが欲しいと言う「山ノ神」の要望に答えて、3時半起き4時発牛岳へ。7時半まで家に戻るためには、どうしてもそんな時間になる。2週間ぶりのスキー場ゲレンデは、ワラビが隠れてしまうほどの草ぼうぼうであった。雨具を着ての山菜採りであったが、次第にガスが切れて行き、早朝の「牛岳」もまた良いものであった。今度のワラビ採りは、中山君から教わったラッキョウ酢に漬け込むものであるが、これはまた結構いける味なのである。また日持ちも良いそうである。それにしても、今年はいろいろなものを摘んだし、食べる事が出来た。でも、山菜採りだけの山行は、私には似つかない。今日の牛岳は山行と言えないし、登頂回数には入れないのである。 p.m.8:20