1/31 猿倉スキー場午前10時40分発と今日も遅い出発だった。御前山から延びる林道は、まるでトレースなしの膝上ラッセル。小佐波御前山直下の急登では、腰まで浸かってのラッセルとなった。いつもなら、もう止めようと言う「山ノ神」が、“ ここまで来たら行かなくっちゃ!” (屋根の下で飲みたいから・・)避難小屋午後2時35分着。“ 30分だけの休憩だよ!” と言っても、後片付けやカンジキの装着などで3時20分発となってしまった。横殴りの雪を伴う風に、何もかもバリバリになってしまった。明るい内に降りようと言っていたのだが、とうとうナイターの照明が灯る5時40分頃、車に戻る羽目になってしまった。 p.m.9:20



1/30 屋根や車の上には積雪が見られたが、道路上では積雪0cmが今朝の状態。しめしめこれなら明日は何処かに出掛けられると思っていたが、今は音も立てずに深々と降り続いている。行き先も決めないまま、今晩の新年会に臨まなくてはいけなくなった。尚も降り続いておれば、行き先選定は明朝にずれ込んでしまいそうである。降雪が多ければ、除雪車との鉢合わせや、駐車スペースの確保など思わぬ仕事が増えてしまう。遅い時間に出発して、ちょっとだけ歩いてくるか、それとも施設のある所から登るかどちらかであろう。 p.m.4:00



1/29 私を何時も暖かく見守ってくださる笠間さんから、600名山なるコピーを頂いた。深田久弥の日本百名山、深田クラブの日本百名山、日本山岳会の三百名山を登り切り、山仲間の情報をもとに、横浜の田中さんが選んだものであった。今までも、田中澄江さんの花の百名山や、近年話題の岩崎元郎氏の新百名山など、山愛好者の心を擽る物がたくさんある。その400名山には、富山県の山として、雄山・祖父岳(2825m)・浄土山・剱御前・前剱・富士ノ折立・真砂岳、県境に接するものとして、天狗ノ頭・不帰ノ嶮・杓子岳・ズバリ岳・北ノ俣岳・白馬鑓ヶ岳が名を連ねていた。500名山になると、赤谷山・池平山・越中沢岳・別山・獅子岳・清水岳・大日岳・太郎山、県境を接するものとして、鳴沢岳・七倉岳・布引山・白岳・岩小屋沢岳。600名山は、仙人山の一座だけで、長野県境にワリモ岳があった。こうやって、綴っていても何だかヘンテコな選定の仕方であるが、その方の名山であって、批評するものでもないのであろう。因みに岩崎元郎氏の新百名山には、富山県関係の山として、朝日岳・剱岳・立山・人形山が選ばれていた。岐阜の何の変哲のない大日ヶ岳が選ばれるのなら、富山の「大日岳」を選んだ方がいいのではないかとも思ってしまうのも私だけの思いで、選者の考え抜いた末のものであろうから、それはそれ・・・・と割り切るしかないのであろう。



1/28 こんな良いお天気なのに、明後日(日曜日)から大雪だという。このままのお天気ならば、“ 1月の大地山に行けたのに!”などと心中穏やかでない。そのためとは言わないが、飲酒を控え、明後日夜の新年会もかなり自重しようと思っていたのに、どうも上手くいかない。大雪だと言って大雪になる事など実際には少ないのであるが、仕方なく諦めるしかないようである。また、近間の同じ山になりそうである。では翌週パーッとした山行が出来ないだろうか? そうでないと精神衛生上良くない。 p.m.1:10



1/27 1/3眺望の良い千石城山の頂きに立つ事が出来た。山頂で辰口氏に、前日は数人で相当の時間を費やして道を開けた事を聞いた。私は、同じ前日、牛岳で稜線に出た所で止めてしまったが、その翌日(1/3)高岡の吉尾氏が我々のトレースの先を目指したそうであるが、三角点で力尽きたそうである。その話をつい先日聞いた。お互い単独行の雪降る細蔵山で出会った辰口氏、お正月の牛岳で、ラッセルに力尽きた所で出会った吉尾氏。その出会いから数年を経過しているのだろうが、ついこの間のような気がしてならない。その両氏が、知人だというのだから世の中面白い。トレースのない雪中を歩くのに、それなりの喜びを感じるのであるが、襷掛けのように、更にその先を行くのもまた喜びである。



1/26 昨年末に痛めた左膝と左手首がまだ都合が悪い。日常生活に支障がないものの非日常の時に具合が良くない。非日常と言うものの、今や日常的または、準日常的の格付けするに等しいかもしれない。50歳を超えると、交換するパーツもないらしく、本当にだましだまし、大事な身体を動かさなくてはいけないよな気もする。手首は、お湯に浸かって酒でも飲んでおれば、何時かは痛みが和らぐような気もするが、イザ膝となると、少々厄介なような気もする。今のところ登るにも下るにも遜色はない。しかし、咄嗟の行動に付いていけるかが疑問である。使い過ぎた為なのだろうか?それとも私の抱えている「爆弾」が影響しているのだろうか? ずーっと言い続けてきた「歩けなくなったら・・、登れなくなったら、半分死んだようなものだ!」が近付いているのだろうか? 自分の治癒力に掛けてみたい。正月からずーっと飲み続けてきたお酒を、ちょっとだけ止めてみようと昨日から×である。今週の日曜日にある最後の新年会までの5日間酒なし宣言をした。しかし、「山ノ神」は私には関係のない事などと、部屋を暖かくして冷た~いビールを嗜んでいる。翼を返してとお願いしているくらいなのに、この上、足も動かぬようになれば、奴隷にもなれない。次ぎ行く山のためにも、私は我慢をする。大好きな雪の上を歩くためにも・・・・。 p.m.11:00



1/25 新たな雪の感触に、その量自体をごまかされるのかもしれないが、昨日もeiko女史に、「ちょっと雪が少ないように思う。」と言われて、そうかと思ってしまった。一週間前の大辻山で、長勢君に「いつもなら、この樹木は雪の下だよ。」と言ったけ! 福井のアルピニストM女史から、「今年は雪が降らなくて、山を選ぶのが大変です。」とお便りを頂いた。「お天気の良い時は、富山の方へ行きたいと思っています。その時は宜しくお願いします。」とあった。休日が似ているため、その機会を楽しみにしているのであるが、「買いかぶらないでください。」や「過度の期待は禁物!」と盛んにアピールしておいたが、すら~っとしたスタイルの彼女に、機関車並みのラッセルを期待するようでは、私も、もうお終いか? p.m.4:20



1/24 洞山行きは、eiko女史と「山ノ神」と3人になったのだが、移動中に「北ちゃん」から携帯が掛かる。所用があるが、このお天気に、どうにもならなくなったという事だったのであろう。さすが好山狂(好山病友の会)の仲間だけに、途中から合流し、時間になったら下れば良いとなった。前日のものであろうかトレースが消えた頃に、ハーハ-息を上げながら、「北ちゃん」がやって来た。今日は調子の良い女性軍と、上手くかみ合いさっさと山頂に着いてしまった。好天であるが雪煙に悩まされながら、4人で雪のテーブルを囲み、暫しの語らいとなる。所用で下山する「北ちゃん」を見送り、我々は、大谷961m峰を目指した。新調したカンジキと馴染まず苦戦する私を尻目に、酒豪の女性二人は、「一時も早く飲まなくては!」を合言葉に、どんどん先に行ってしまった。洞山よりチョッピリ高い961m峰からは、遠くて小さくしか見えない北アの山々であったが、大パノラマに頗る満足の頂の人になった。



1/23 1月に大地山に行くとなれば、週間予報を眺めてみると、結果的に明日しかないようである。お天気は本当に気ままで、私の心をあざ笑っているようである。洞山に決めてしまってから、お天気マークが出て来たのである。むろんあくまで予報で、この先どうなるかは、わからないのであるが、ちょっぴり悔しい気もする。雪量・雪質そして、メンバーによっても違い、必ずしも山頂に届くとは限らないのであるが、トレースのない1月の大地山に拘っていた。一昨年の2月の半ばに「山ノ神」と大地山頂を踏んだ事があるだけに、もう一回の機会(1/31)を辛抱強く待ってみたい。洞山は一昨年の同時期に「シュンちゃん」と雨の中に出掛けて以来である。西新山は遠く及ばないが、大谷961m峰には届くかもしれない。 p.m.2:10



1/22 今日は町内会の新年会があった。来週もう一回新年会がある。休日の前夜であるから、好天の予想で、思いを寄せる山行が出来るとならば、なるべくお酒を避けて、コンディションを整わせておかなければならない。この時期そんな可能性は低いのだが、予定表に載せれるようになれば良いと思っている。明日・明後日は冬型が弱まり、久々にまずまずのお天気になりそうである。ならばと思って、月曜日休日の友人・知人に声を掛けてみたが、多くは集まりそうにない。



1/21 山行計画の障壁に「山ノ神」をあげているが、HP作りの障害には、アルコールがある。アルコールには当然睡魔が付いて回る。山歩きと共にアルコールも体力がなくなると、すぐ酔いが回るような気がする。1合が2合になり、お正月から休みは1回しかない。でも、山歩きの時は、運転してくれる方がない限り基本的には飲まないようにしている。不思議なもので「山ノ神」と二人で出掛ける時など欲しいとも思わなくなった。その代わり「山ノ神」のメーターが上がっていき、帰りの車の中でも飲みたいと言うから困ったものである。17日小佐波御前山から帰って、我家で旧友と久しぶりに「新年の集い」を称して一杯やった。吉田君と中山君の3人で清酒だけでも2升3合を軽く飲んでしまった。夫人を伴ったといえども、大酒飲みばかりである。気分が良かったのもあるが、山で身体を使ってきたからであろうか、翌日の目覚めは何ともなかった。しかし、無口な私でも、よく喋っていたそうである。



1/20 我希望的山行予定表に「山名」を少しだけ記入した。恥ずかしくて各欄を埋めるのは躊躇った。私の遊び的表現だと断っていても、なかなかその趣旨は伝わらないようである。自分を奮い立たせるものであるから、他の人の事など気にしなくてもいいのであるが、時として間違いが起こる。雨でも風でもと言い続けていても、ちょっとだけ長く山をやっているだけで、辛いのや怖いのはイヤである。直近の計画でも、天候次第では、すぐにも見直す程であるから、1~2ヶ月先の事などわかるはずがないし、行きたい山の羅列にしか過ぎない。そーっと独りで出掛けたい山もあれば、手(足かな?)を借りなければ、到底行けぬ所もある。今年のテーマは、「出来るだけトレースを当てにしない。」なのだが・・・・、それを辿らなければ届かぬ所もあるであろう。 p.m.11:35



1/19 この時期なかなか思うような計画が出来ない。余程の条件が揃わないと希望の山頂には立てない。好天・雪量・雪質・メンバーなど、私の休日に出揃うわけがない。でも僅かな機会でも、それを狙っているから、尚更計画が立たない。もう一つは、確実に衰えていく体力の事である。それが何が何でもを、抑えてくれる事にもなるから、必ずしも悪い事尽くめでもない。先日の「大辻山」と「小佐波御前山」に出掛けた16~17日は、当初テン泊の計画をもっていた。悪天の予報にすぐさま計画を中止にして、日帰りに切り替えたが、私にしてみれば、厳冬期の北ア行きに匹敵するくらいの難度な山行なのである。「山ヤ」に笑われるかもしれないが、もう自分の実力を知っているから、今では何とも思わない。さて、次ぎ行く山は何処? 未だ足を踏み入れた事のない山を、地図にてなぞるだけでも楽しい! p.m.11:55



1/18 以前牧野氏から森田健作の「♪若者たち」を引用して、“ どうして、そんなにしてまで、山に・・・。”とメールを頂いた事がある。私は適当な言葉を持ち合わせていないし、次(休日)にまた山に行きたいから・・・しかない。雨の日も、雪の日も、風の日も・・・。休むと次ぎ行く山が登れないような気がする。歩けなくなるような気がする。きっと怖いから出掛けてしまうのであろう。何も悪天が良い筈がない。それよりも歩けた喜びの方が嬉しい。感謝しながら歩いているようなものである。自慢出来るような山登りをしているわけでもないし、他の人から可笑しいのではないかと思われても、それはそれでいい。元気印の「元ちゃん」「元さん」と言ってもらえる日が、一日でも長く続くように、健康に気を付けていきたいものです。p.m.8:45



1/17 今日も雨。誰もいない猿倉の駐車場で始めから雨具を纏う事になる。昨日は多くの方々が登られたのであろうか、立派な「雪の遊歩道」が出来ていた。展望レストラン付近から雨が雪に変わったが、御前山付近では、その遊歩道に15cm前後の新たな積雪を見、小佐波御前山付近ではそれが30cm近くになっていた。昨日の疲れがあるのであろう「山ノ神」のピッチが上がらず、今夕我家で親友と「新年の集い」と称して一杯やるのに、間に合うのであろうかと心配しながらの歩きとなってしまった。「まだけ!」とだんだんイヤな顔になってきたのであるが、山頂の避難小屋でお神酒を頂いてからは、別人となって駆け降りて行った。



1/16 雨は予想通り「国少の家」から雪に変わった。城前峠までは、雪上車で踏み固められていたのであろうが、少しごぼりながら歩いた。その先は、N君こと、魚津の長勢君に先頭をお願いした。それこそスノーシューを履いた彼は、まるでラッセル車のようで、後に付いた我々はとても歩き易かった。彼はこの日のために、訓練して来たのではないかと思うくらい凄い脚力の持ち主であった。スキーのトレースが消えた長尾峠をちょっと下った所では、私のストックが、雪中にすっぽり隠れてしまうほどで、140cm超であったろう。(それ以降測量せず)長尾峠まで2時間を少し切るくらいで来れたので、その時点から、もしかしたら山頂に届くのではないかと思うようになった。相変わらず水気の多い雪もあり、ジャケットを濡らしてしまったが、身体は結構早いペースなので寒くは感じなかった。直登に次ぐ直登で、体力をかなり消耗したが、「国少の家」から4時間50分、⑨の登山口から2時間45分で大辻山(1361m)のてっぺんに立つ事が出来た。山頂では風雪が強く、見る見る内に体力を消耗していったのであるが、その中でも「山ノ神」は冷たいビールを飲んでいた。(私はどんぶりに入れたラーメン)最近、山に復帰した長勢君は、この時期に1000mを超す山に登れるとは思わなかったと喜んでもらえたので、私は、身体を震えながら喜んでしまった。下りは快調に飛ばしたが、林道歩きでは「山ノ神」の疲れが極限に達したのであろうか、何度も座り込んでしまった。こんな夫婦に長勢君は、ラブコールを送り続けてくれるのであろうか・・・・・。



1/15 太平洋側は大荒れの予報で、こちらは雨。本来なら明日はハレルヤ山行なのであるが、主力メンバーが悉く所用があり、中止となったが、最も先日の「ハゲ山」行きが、その代行を務めた感じである。
 低山であっても、雪山の雨やミゾレは辛いものである。チョット高度を上げ、雪を期待して大辻山へ出向くのであるが、果たして何処まで行けるやら? このような天候でも、燃えさくっている魚津のN君が同行してくれると言う。そのN君とは初対面なのであるが、オッサン、オバハンの顔を見て、いやそれだけでなく歩きを見て、思いと違った困惑顔を今から想像している。年齢も、私より一回り半以上若いというから尚更である。 p.m.8:00



1/14 今日はお二人の珍しい人に会う事が出来た。一人は一昨年笈ヶ岳を案内してくださった松任(2月から白山市になるそうです。)の中垣氏が訪ねてくださった。「ずーっと会っていないけれど、HPを見ているからそんな気がしない。」と言ってもらい、「でも、こっちだけやけれどね!」と付け加えてもらった。5月の有事にも話が及んだが、私は答えなかった。夜お正月の飾り物を持って、古城公園内にある射水神社の左義長に出かけた折、同級生の燕昇司君にあった。「あれだけやれば立派なものだ!」と私のHPの事を誉めてくれた。「いや遊びだから・・・」などと頭を掻いたが、彼こそ私のPCの先生であった。少しメールが出来るようになった時、分からない事は、悉く彼に質問を投げかけ、それをリアルタイムに教えてくれたのである。HP作りに対しても、「ソース(HTML)」に関して勉強すれば、チョットした修正が利くし、便利であると言われた事を、忠実に守ったような気がしている。今になっても、それを非常に感謝している。彼は、左議長にも一眼レフのデジカメを首に掛けていたが、「君の山と違って、なかなか良いものが撮れないよ!」 などと、山を否定しないで持ち上げてくれたが、これを機会に、上手い事を書こうとしたり、また人の目を気にしないで、もう一度私の原点である「巷の山への情報発信基地」に徹しなければと、心を新たにしたところである。 p.m.10:55



1/13 小型のテレビが、パーンと音を出したかと思いきや、煙が出て画面が白黒になった。そして画面が変形し、煙の臭いが凄かった。何時買ったか、何処で買ったかも、忘れてしまうほど古いテレビであったが、前日まではっきり見ていたわけだし、只寿命として片付けるのも納得いかず、M社のHPを辿ってメールを送ってみた。

 「古いテレビなのですが、1/12午後0時30分頃、突然パーンという音と共に煙が充満し、画面も白黒になって、小さくなってしまいました。1時間過ぎても部屋の臭いが取れません。古いテレビで寿命なのかもしれませんが、昨日まで、はっきり映っていたわけですし、なかなか納得の出来るものではありません。寿命なのか欠陥なのかご意見を伺いたいものです。」

のようなコメントを住所・氏名・年齢・職業・電話番号・アドレスなどを記入して送ったのであるが、普通なら、メールソフトの送信済みフォルダーに残りそうなものであるが、さすが大手のHPだからであろうかシステムが違っていたので、その文章自体はコピーではない。
   大手の家電メーカーにしては反応は素早くはなかったが、でも「煙」などの欠陥に敏感だからであろうか、丁寧な応対であった。私自身、新しいテレビをせしめてやろうとか、マスコミを使って、何とかというものではなかったから、検査結果の報告求める事と、部品がなかったら廃棄処分をお願いする事にとどめた。素人考えであるが、修理費より新しいテレビを買った方が安いかもしれない事と、テレビを処分するにしても経費がかかるから、「まあ~、いいか!」 の短絡的思考である。

 PC・HP関連の話題をもう一つ、今日NTT西日本から、電話料金値下げの案内が来た。基本料金を100円値下げするというものであったが、Myビリングにすると、更に100円を値引き、イチリッツプランを利用すると、県内市外同一料金になるものであった。申し込みが必要であるとの事で、早速116に電話をしたが、混んでいるからであろうどれだけ経っても繋がらず、NTTのHPを通じて申し込んでみた。なんて便利なものかとつくづく感じてしまった。

 山の話題がなくては、このコーナーは成り立たない。先日の「ハゲ山」で、お会いした山本氏に「ハレルヤ山行ですか? 」 「ハレルヤの皆さんですか?」 と尋ねられた。しかし、恥ずかしい話であるが、ハレルヤのメンバーが、何処から何処までなのか、私は完全に掌握していない。(小竹事務局長に一度正確に尋ねなければならない。) でも、山行に参加して頂いているのは、メンバーでなくとも、準会員か客人なのであり、大事な山仲間である事に間違いはない。私はファージーに、「ハレルヤ的山行」などと言ってしまうのもその辺からかもしれない。どちらにしても、楽しく愉快な仲間である。 p.m.11:00



1/12 昨日kyuさんから電話をもらった。“ ハゲ山の賑やかな画像を見て、元気をもらったから・・・” ひょうきんで可愛いキャラクターの持ち主であるはずのkyuさんは、何故か涙声であった。私は多くを知らないのであるが、お母様の容態でも悪いのかな? などと勝手な憶測をしてしまった。そして、「頑張れ!」「また、山に行こう!」ぐらいしか言えない自分がもどかしかった。数分後、“ 元気になったよ!” の可愛いメールが届いた。昨秋大猫山をご一緒した。初対面の馬場島で、貴公子を想像して来たのに、「おっさん」で幻滅を感じていたのではなかろうか?でも、山仲間とは不思議なもので、信頼が付くのであろうか?命を掛けるとは言わないまでも、危険を伴う行動を共にするから、また手作りの食事を一緒にするから、他の仲間よりより緊密になるのかもしれない。12月に “大猫山に未だ登れる?” と尋ねてくれたkyuさん、厳冬の荒島岳を登っても、それは無理だよと言った事を覚えているが・・・・。それと、看病・介護するものにも、休暇がなければと言った事がある。チョットの時間でも、自分の好きな事が出来るという事に人は救われるものである。そんなのでなければいい・・・・。 p.m.10:05



1/11 西山・ハゲ山・袖山の縦走となった昨日の山行は、「赤谷ノ頭」の猛ラッセルを想像していただけに、何が何でも登る・歩くの超人達には、ちょっと歩き足らなかったに違いない。山登りが人生に例えられるように、なかなか思うようにならない事を思えば、まあ~ナンテコトハないよ!
 袖山から直接水上集落に降りて、出会ったおばちゃん達に「有難う!」という言葉が自然に出てしまった。あの大きな鍋を借りたからであろうか?それとも今回も愉快な山の仲間との山行機会を得る事が出来たからであろうか?
 その大きな鍋を返しに公民館に出向いたところの第一声が、「勝手に上がり込んで・・・」「いいえちゃんと・・・」の言葉を返したが怯んでしまった。そこは、往年のビジョ3人が、その事態を背負い込んで、我々を車の所へ行くように勧め応待してくれたのである。しかし、雪が降る中待てど、なかなか戻らぬ彼女等(ビジョ)に、いろんな憶測し心配になってしまった。しばらくして戻った彼女等の話では、第一声を放った人はどうも勘違いで、「よくぞ、この西種に来てくださった。」 区長直々に「あがれ!あがれ!」と言って下さったほどで、歴史ある西種の話になったそうである。どうかすると、新年会の宴席にまでの雰囲気になったが、見計らって脱出して来たが、素朴さがあり、皆さん良い方々ばかりだったとの弁であった。怯んだ男どもは、只頭を掻くばかりであったが、この話は我々の山行が続く限り、ずーっと面白い話として何かにつけ出る事は必死であろう。 p.m.4:50



1/10 上市役場前で午前7時半に集合し、2台の車に10名が乗り合わせて、「赤谷ノ頭」に登るために伊折に向かった。除雪車を追い越し意気揚々であったが、剱橋のずーっと手前の滑川簑輪からの合流する地点で深雪となり、車もそうであるが、“ とてもじゃないが!”と、山へ突入自体を諦めた。しかし、その戻るにも車がスリップし、雪を掻くやら押すなどの日頃下界では味わえないチームワークを発揮し戻り、目的地をグレードダウンし「ハゲ山」とした。「赤谷ノ頭」では、相当の苦戦を予想してか、参戦した各々が日頃の宴会山行を期待していなかったはずであったが、何と小竹夫妻は準備周到であった。しかしである。肝心の鍋を忘れてきた事に気が付き思案されたが、縁もゆかりもない登山口の西種の公民館で、ザックにも入らない大鍋を借りて来てくださったのである。折りしも、お天気予報とは打って変わって、一時的にもお日様が顔を出し、青空が広がって行くのであった。寒さのために着込んだ衣類を膝上まで沈みながらのラッセルには、汗でどうにもならず、一枚一枚脱いでいかねばならぬ感じの登高であった。剱岳などの高所に位置する山々への展望は良くなかったけれど、低山ながらも山の雰囲気は最高であった。今日の予定からして、アルコール量は控えめであったが、西種でお借りした大鍋のお陰で、美味しい「シゲキ鍋」を頂く事が出来たし、おせちやケーキ・ぜんざいまで出て来るなど、またしても3時間近くを山頂で過ごしてしまった。歩行時間より山頂滞在時間の方が長いのは如何なものかと、帰路は袖山を経由し、ブッシュの中の急斜面を降りた。笑顔で出迎えて下さった西種地区の住人の方々に感謝し、雪が降り出した同地を後にした。今日は、カメラの電池を忘れてしまい同行有志の画像に期待するところであります。 p.m.7:20



1/9 明日の「赤谷ノ頭」行きは総勢10名になった。でもこのお天気、この先の予報では、チョット危ぶまれる。代案を考えながらの集合になるのであろうが、明日までの降雪は意外に少ないような気がしてならない。(独り善がり)しかし、冷え込んでツルツルの道路になるのは間違いない。筏井夫妻や北ちゃんが不参加になって寂しいものの、どちらにしても何処かを歩いてくる事には間違いない。 p.m.11:59



1/8 “ 何~だ!このお天気は?” どれだけ降るのかと思っていたら、青空まで見える。でも明日から、また冬型が強まると予報では言っているが・・・・・。昨年の「成人式の日」は、今年よりも2日間早かったものの晴天であった。その代わりに、登山口までの道路はツルツルであった。果たして、昨年と同じ山に登る事が出来るのであろうか・・・・。



1/7 東京の娘が明日帰ると言う。10日まで休みなのであるから、もうチョットいてもいいのに! しかし、人間の心はいい加減なものである。昨日までは、10日に帰るのでは、多くの友人達との山行に支障が出る。企画に参加した私は行くが、“ あんたは見送ってくれ ” などと、「山ノ神」に暗黙の了承を取り付けていた。「山ノ神」もホットした反面、寂しさは隠せないようである。息子達は、帰省しても友人達との交流を理由に、食事さえ一緒出来ないのであるから、それに比べると、チョット煩いものの、暗~い我家にずーっと輝き続けていた太陽のようなものであった。いつかはこんな事もなくなるのであろうが、そんな日が来なければいいなんて!親のエゴ。明日からお天気が悪くなると言う。10日の山行の連絡をしなくてはいけないが、行くとなると雨でも雪でも登りたい者ばかりのパーティーで、なんとコメントすればいいのか困っている。



1/6 私の山行スタイルが、「どうしても」から「なるべく」という表現に変わるかもしれない。それほど4日の山へ入れなかった事が響いている。「只々山」がキャッチフレーズであったし、それ以外何の特徴もないから、ことさら大事にしていたのである。また、チョットした事で妥協し、山へのスタイルが少しづつ崩れていく懸念でもある。歯止めなどはなく、心の持ちよう次第なのであろうが、人間とは弱いものである。でも、この機会に回数やタイムに拘らず、本当の山の良さを模索していきたいものである。朝夕の山の良さを知るには、泊まらなければいけないだろうし、必然重荷を担ぐ体力も備えなければいけなくなる。もうチョットレベルを上げるとなると、パートナーが欲しくなるし、そのためにも、負けない体力の他に技量がいる。しかし、我家には「山ノ神」という、もう一つ障壁がある。 蔑ろにすると祟りがある。かといって、何もかもフォロー出来るほどの体力も技量もない。そして、装備補強に対し経済援助がない。担がせておいて、あんたはスリーシーズンのシュラフで良いではないかという。こんな恐ろしい人とパーティーを組みたくない。 p.m.5:20



1/5 私は踏み跡をトレース(trace)と表現している。同じ意味でトレール(trail)でも構わない。登山用語は医学用語と似てドイツ語が多いようである。ピッケル・ハーケン・ザイル・ルンゼ・ケルン・ザックなどもそのようである。ワンゲル(ワンダーフォーゲル)やメッチェン、ナーゲルなど私の知っているだけでも数多い。唄になるとピッケルやハーケンが、ピオレやピトンのフランス語で使われる事もある。またトラ模様でお馴染みように、ザイルが英語のロープにもなる。日本の飯盒は、最近コッヘルに打って変わられているようだし、エンピ(シャベル)と言ってもあまり通用しないようである。ついでに、我々ハイカー的山愛好者には馴染みが少ない語句であるが、ゴルジュ(廊下)、ジャンダルム(前衛峰)などがある。ナーゲルとは、鋲の打った革靴で、ゴム底が主流になった今はお目にかかる事もない。チョット片隅で記憶されておくと良いかもしれない。そして、時代に沿って呼び方が変わっていくのだが、私にはどうしても納得のいかないものがある。ズボンをスラックスと呼び方を変えたのに、いつの間にかパンツと言うらしい。先日クリーニング店の看板にYシャツ○○円、ズボン○○円と記してあった。やっぱりパンツ○○円とは書けないであろう。 p.m.9:10



1/4 “ こんな日に行くのか~い。” と見えぬ手で、ズボンの裾を引っ張られているような感じであった。おりしも雨が強くなり“ いや、今日は止めるよ!”と思わず口にしてしまったが、「全休日山行日」の看板を、年初から降ろさなくてはいけないのがイヤで、心の中で何とかならないかと思っていた。帰阪する長男の電車の時刻が次から次へと変わるし、お昼過ぎから知人の葬儀があり、おまけに、その後、二男が帰名をまた一日延ばしてしまった。早朝の短い時間や、葬儀が終わった午後2時からでは、低山(二上山以外)でも雪があり、そう簡単には行く事が出来なかったのである。しかし、私には、HPという「もう一つの山」がある。1日2日に少なかったメールが、その分昨夜から今日にかけて多くなり、その返事を楽しみながら書く一日になった。また年賀状の整理にも時間を割き、何度も何度も読み返していた。 p.m.4:40



1/3 穏やかな上に絶景の剱岳を、千石城山から仰ぐ事が出来た。8人の友人・知人達と遭遇し、嬉しかったし、とても楽しかった。駐車場で会って、トレースのない手前の林道を歩かせてしまった筏井夫妻、登山口付近で、黒部の超人能登氏、山頂で、お馴染みの辰口氏、上市のかのちゃん、昨日城ヶ平で、「北ちゃん」と会ったという、同級生の山本氏、風吹く場所までの中林氏、早乙女湖畔に戻る頃、久しぶりの「ターさん」など、私としては満足の行く山行であった。しかし、家に戻れば違っていた。大阪に戻ると言っていた長男にアゴテン(肩透かし)を食わさせられ、一日を棒に振ってしまったらしい。この2日間一人で出掛けていた私に、そのとばっちりが回って来てしまった。明日は、長男・二男が帰るから、それこそ一人で出掛けるわけにはいかないであろう。絶体絶命である。??



1/2 ちょっと出遅れて、好天の正月だから、ラッセル泥棒も仕方がないと臨んだが、行ってみれば、自分が最初の登山者であった。(9時) 昨日のものと思われるトレースに、雪が半分ほど覆い被さっていたが、それも五合目ヒュッテまでであった。8年前、故高田女史とご一緒に早乙女岳へ同行された井波の長谷川氏、また寺口氏をご存知の、これまた井波の粟野氏 (大正生まれ)と遭遇し、3人で壮絶なラッセルとなった。フワフワの雪は、股下どころか腰までも浸かり、足を抜くのにも悪戦苦闘となった。もう少し雪量があって、もう少し締まっておれば、そうでもなかったのであろうが、如何せん中途半端な雪の状態なのである。五合目~六合目まで、1時間20分、六合目から稜線まで、1時間40分も要してしまい、その稜線に出た所で今日の終わりとした。そのトーレスを辿って来られた小矢部の高橋夫妻を含めて、暫しの山談義となったが、これも楽しく、私にはまた山友達が増えた感じであった。いつもの事でありながら、壮絶に登った斜面も、下りはあっという間に下る事が出来るという雪山特有の感じを久々に味わった。明日は晴天であるというから、大勢の方々が、楽チン出来る事であろうが、山頂まではまだまだ遠かろう。 p.m.11:45



1/1 今年も、昨年に引き続き高岡の「二上山」と「大師ヶ岳」に出掛けた。用事の合間を縫っての山歩きである。今年は最初からハッピーな事がおきた。「元さん(元ちゃんだったかな?)」と声が掛かった。私に山の手解きをしてくださる牧野氏であった。こちらは初めてお会いするのであるが、牧野さんからは、HPを通じ、何となく顔がわかっていてくださったらしい。一時体調を崩されたとお聞きしていたが、そんな風にはとても思えない元気さで、彼の行き付けのH亭で、いつか一杯やりましょうという事になった。その先の大師ヶ岳にはトレースがなく、小雪舞う中を気持ちよく歩く事が出来た。早々に家に戻り、昭和42年の元日から続いている管鮑会新年会(高校時代の有志の会)に臨んだ。 p.m.10:50