5/31 昨夜から臥せった「山ノ神」は、午後8時現在一度も床から離れようとしない。と言っても痛くて起き上がれないのであろう。「トイレに行かなくてもいいのか?」 「 オムツやおまるを持って来ようか?」と問い掛けると、しかめた顔をしながら「笑わすな!」とだけである。昨夜から、500mlのジュースを1本と小さなロールパンを2ヶ食べただけであるから、出るものもでないか? 病院に行くよう必要に迫ったのであるが、医者嫌いの「山ノ神」に、ガンと拒否されてしまった。もうこうなったら、「勝手にしろ!」である。それにしても腹減った! p.m.8:00
 午後10時半、「山ノ神」が24時間ぶりに起きて来た。流石にトイレに行きたくなったのと、お腹が空いたようであった。しかし、声を掛けてもろくに返事もしない。文句を言うと、喋るのも辛いのだという。明日病院に行くかと問うと、首を横に振った。「しばらくは山に行けないね?」「雪の上は怖いだろう」と言うと、そんな事はないと尚更不機嫌になった。これから、当分の間、休日以外は、「山ノ神」の召使にならねば仕方がないようである。 p.m.10:35



5/30 心配されたお天気も好天に恵まれ、前夜富山入りされていた福井5名を入れた総勢12名が、林道山姥線終点からのスタートとなった。予想通り白鳥山~犬ヶ岳間の登山道は所狭しとカタクリが咲き乱れ、足を何処に入れようかと迷うほどであった。残雪も多く、雪上歩きは、滲んだ汗を和らげてくれる清涼感を漂わせてくれた。坂田峠からの始点を選ばず、林道山姥線終点からのスタートが奏効し、ゆっくり歩きでも5時間半余で、全員犬ヶ岳山頂に立て、頗る満足のようであった。ところが、下山時の栂海山荘~黄連山間で「山ノ神」が滑落、最後は2・5~3m壁下へダイブしてしまった。背中から落ちたのであるが、幸いザックを担いでいたからか、大事に至らなかったようである。しかし、皆がズトンという音を耳にしたくらいであったから、その衝撃は本人にしてみれば相当痛かったようであった。(帰途の車中で、リックの中から取り出した携帯電話が衝撃で開閉出来なくなったり、冷し中華に使ったお重が割れていた。)皆さんの協力で、リックを軽荷にしてもらいゆっくり歩いたのであるが、 登山口までの4~5時間は結構胸の痛みがあったようである。打撲・肋骨の損傷など素人にはわからないが、車中でカーブを切る時や、道路上の段差の衝撃で顔をしかめていたくらいであったから、流石に帰宅してからも、大好きなビールを一滴も口にせず休んでしまった。

5/29 当欄を綴れなくなる予感(前兆)がある。当人が述べるのだから可笑しな話だ。オーバーに書いても、ウソを書くのはイヤだからがその発端。ネタもないし・・・。ならば書かなければよい。だけど、本当は、書きたい事が山ほどあるのだ。本日未明、牧野氏から「何故山に登るのか?」「何故そんなにしてまで登るのか?」などと本心を突付かれた。もしかしたら、牧野氏の自問自答だったのかもしれない。今年の元日に「や~っ」と一言掛けてくださっただけの見知り、でもメールではいろいろ助言を頂いている。このような方が、本当の山を極められているのではないかと思う。だから見せ掛けだけの「山愛好者」の私は恥ずかしいだけである。自分を押さえる冷静さ、時には必要以上に高まるときめき、相反する二つのものを持ち備えておらなければ、この先ロマンなどとても語れ得ない。例え単独行であっても、ロマンがなければ、その先を進めない。どれだけ歳を重ねても・・・歳を重ねれば尚更である。明日は、どのようなお天気であろうとも、楽しい山行にしたい。それは集ってくれた仲間のためでもあり、自分のためでもある。 p.m.10:45



5/28 明後日の予報が、「晴れ曇り」から「曇り」に変わった。しかも降水確率が40%である。確立が高くなっても、降水量は少ないのであろうが、企画する一人として、雨の事ばかりが気になって仕方がない。時間・雨などで、決断を迫られる事が生じるであろうが、非情になれない性格だけに、アワを食らう事があるやもしれない。どちらにしても、今月末で山行に対しての一区切りが出来そうである。最近は雪がなくなると、付き合う方も少なくなり、そして、雪見る頃に、また参集するパターン続いている。これからの半年間、「山ノ神」の意向も適えてやらなければ、後々の行動に支障が出てくる。いわゆる「ゴマすり」である。今年は、名山を幾つ登る事が出来るであろうか? 体力(健康)・気力(エネルギー)・経済力(余裕)・運(機会)の全てが揃わなければ、なかなか出掛けられない。最近、車の運転をすると、すぐ眠たくなる私には、この「ゴマすり」は、結構きついのである。 p.m.10:15



5/27 30日の白鳥山・犬ヶ岳行きのメンバーが出揃った。皆が「エ~ッ」と言う程の12名になった。私としては、昨年末の大辻山以来の大パティーである。健脚、そうでないもの、年齢も様々で、カタクリなどのお花と戯れながら、栂海の一部を味わって欲しいと思っている。福井からの5名は、昨年・一昨年の秋に私が大猫山でお会いした宮下女史御一行である。私の過去3回の犬ヶ岳行きは、全て晴天であったが、今回も、どうかそのような天候に恵まれないものかと願っている。 p.m.11:25



5/26 “ 明日から、遅ればせのゴールデンウィークで、屋久島へ行って来ます。今回は、百名山百番目(?)の宮之浦岳登頂が目標です。” 昨日頂いた神奈川の由利香さんからのメールの一部です。“ 私は行けるかどうか分からないけれど、行くチャンスがあった時は、ご指導願わなければならないから、是非登頂して来てください。”と激励のメッセージを送った。私は、由利香さんが女性である事、そして、姓なるものと、神奈川在住である事以外何も知らない。昨年11月上旬に山梨県の御正体山へ出掛ける寸前に、初メールを頂いたのであるが、山から帰ってお返事をと思った矢先に、数多いダミーメールと一緒に間違って削除してしまったのであった。アドレスもわからないまま、我HPに、この経緯を載せたらすぐ返事が来たのである。それ以来、月に1~2度程度のメールのやり取りをするくらいのお付き合いであるが、「毎朝、一服の清涼剤のように、相変らず、見ています。」のコメントが付いていた。最近、HPのアドレスを変えたので(メーンページはそのまま)検索するのは難しいのであるが、由利香さんは、25000余件の「金峰山」から私のHPを探し出してくださったのである。そして、その内容の中で、「山ノ神」が膝痛で云々と述べていた事に対して、同じ苦痛を味わった経験から、その対処法まで綴られたメールを送って下さったのである。もちろん、年齢も知らなければ、お顔を拝見した事もないのであるが、それ以来、ぐーっと山友として親近感を覚えているのである。周囲には、インターネットを毛嫌いする方が多いのであるが、私の山仲間では、今のところ、誰一人として可笑しな方々がいないのである。真剣にと言えば良いのか、真面目と言えばいいのかわからないが、「天井に唾を吐けば、自分に降りかかる。」の思いでお付き合いすれば、何事もハッピーであると思っている。しかし、それは自分の尺度であって、なかなか伝わらない事もあるのであろうが、誠意を持っておれば必ず伝わるものである。少なくとも私の山仲間達には・・・。 p.m.10:30



5/25 4時起きで今月3回目のワラビ採りに出かけた。休日に山菜採りに出掛けるのがイヤなのと、「山ノ神」への慰労?(2週続けて好き勝手の山行をした為)を兼ねてのワラビ採りである。低温続きのせいであろうか、3週続けて出掛けてみても、その伸びは低く、嘆いてしまった。しかし、3週とも、それなりの収穫は有り、お陰で胃の中が可笑しくなるくらい、ワラビ攻めにあっている。もう少し、立派なワラビであれば、知人・友人に配れるのであるが、小振り故、行き所をなくしているからであろう。「朝起きは三文の得」ではないが、高岡ハイキングクラブ創設時からのメンバーである塩谷氏から、もう使う事もないだろうからと大切なテントを頂いた。同氏とは、校下のバトミントンクラブ時代からの大先輩で、「山」という共通項を通じて大事にしてもらっていた。「塩じい」と言われる大先輩があるうちは、とても、「元じい」などと名乗る事は、滅相もないと肝の銘じている。その頂いたダンロップのテントは4人用で、私の持っている同じメーカーの2人用に比べて大きいので飛び付いたのであるが、H型4人用CTC9401のポール(支柱)は、今まで見た事のない仕様で、どう組み立てればいいのか分からないでいる。6組のポールがあるだけで、パズルのように考えなくてもいいのであろうが、硬直化した私の頭では考えがつかない。別ものの大きなフライもあり、雨天の食事時に使えそうであるが、今夏の居住性を考えるに、何とか早くテントを組み立てられるように、誰かから助言を頂かなければならないようである。 p.m.3:00



5/24 今朝8時、この一年間に88,245も進んだカウンターを外した。リニューアルもしないで「元ちゃんの山歩き」から「元さんの山歩き」と名を変えただけのHPなのに、大勢の方々に見て頂いた事になる。一日に何度も覗いて頂いたのかも知れない。励ましにカウントして頂いたのかもしれない。本当に有り難い事で、心から感謝したい気持ちです。HPを立ち上げた当時は、1,000件を数えるのに7ヶ月(何度も述べている。)も要した事を思えば、どんなに割り引いても、この一年間のアクセスは、私にとって驚異的な数字であった。山をテーマにしたHPは山ほどある。また身近な有志のHPもたくさんあり、それがステキで内容も伴っている。「そろそろ潮時かな!」などと、心が揺さぶられない事もないが、他の人にないHPを目指して、もう少し続けれればいいと思うようになってきている。レベルの高さや、真新しいものには事欠くかもしれないが、ローレベルに取られてもいいから、同じ山を何度もや、ふるさと富山の山に拘り、違った観点から山を眺めて見たい。この先、どれだけ歩けるかわからないが、今まで歩けた事や多くの山仲間に感謝しながら、焦らず、ゆっくり、気ままに、でも、「毎日更新」だけは拘っていきたい。それから、もう一つ、一年前の「有事」に激励頂いた方々で、まだお顔も知らない方、また、疎遠になっている方々に、この機会を利用して、チョット時間が掛かるかもしれないけれど、お礼のメッセージを送ってみたいと思っている。 p.m.5:15



5/23 予報通り明け方に雨が上がり、ルンルン気分で臨んだ猫又・釜谷山であったが、1,900m付近からガスに覆われ、そのガスは晴れなかった。稜線に出てでも、剣岳も後立山連峰も全く拝めず、ひょっこり現れた雷鳥だけが心を和らげてくれた。雷鳥の出現は、猫又山の次に踏んだ釜谷山の山頂直下の食事時に、雨具を纏わなければならぬ羽目になってしまった。「えっ~雪」が霰になり、否応なしに、エスケープルートとして釜谷山と猫又山との間の急斜面を下らせてしまった。落石が心配であったが、雷鳴の方が気になり、一気に長い雪渓を下った。南又谷・猫又谷の雪渓は、釜谷出合下部から現れ未だ充分に楽しめれるくらいにある。 p.m.11:10



5/22 「悪太郎(第3子)が突然やって来て労ってくれた。」予期せぬ事に「鬼の目にも涙!」これが嬉しかった事の真相である。ご心配を掛けましたが(気を持たせましたが)この話はこれでピリオド。
 いやらしい予報である。今夕から雨で、明け方まで雷を伴い、明日は西から回復に向かうと言う。予報は予定通りにはならず、必ず誤差がある。何年も前の5月末、中山君と南又谷に入ったが、突然の雨に退却した。谷筋に雪の上の雨は、いやらしくどうしても登りたいとは思わなかった。しかし、車が家路を進むにつれて、お天気が回復し、急遽登った向かいの山から「今頃あの頂きに立っていた。」などと悔しい思いをした事がある。この機会に是非「猫又・釜谷山」の頂きに立ちたいと思っている山友達の熱気が、雨やガスを吹き飛ばす事が出来るか、明朝にならなければわからない。 a.m.9:10



5/21 昨日はあまりにもの嬉しさに「嬉しい事があった。」と述べてしまった。山と関係ない事を綴らなければ良かったと思った。自分としては、山と関係あるのだが、胸にしまい込んでしまっているわけだから、他の人にはわかるハズがない。「焼けぼっくりに火がついたのか?」ぐらいに思われるのが関の山であろう・・・・。真面目さだけがとりえの私だから、そんな事などあるわけがない。公開しているのだから仕方が無い。書かなければいいのに!消せばいいのに!
 今月は、晴れれば、猫又・釜谷山と白鳥・犬ヶ岳と予定が決まっている。でも、6月は、なかなか決まらない。「虫」という敵もいるし、「遠出」という要望もあるし、思案のしどころである。「自分の尺度で山を満喫したい。」と思う今日この頃である。 p.m.10:20



5/20 今日はとても嬉しい事があった。文章には書き綴る事の出来ない嬉しい事である。たった一度かもしれないし、ほんの一瞬かもしれないが、消えそうな火が、また燃え続けれるのではないかと思えた。こんな時期に!



5/19 「山の茜を顧みて 一つの山を終わりけり 何の俘のわが心 早くも急がるる次の山 (深田久弥)」 次の山行は、今年最後の本格的残雪の山になるかもしれない。滝のような川と言われた片貝川の南又谷・猫又谷を詰めて、猫又山・釜谷山に行くものである。猫又谷は遅い時期までスキーが楽しまれる谷としても有名であるが、それだけ車の乗り入れ可能時期も遅いのである。今度は日程上で、男だけの山行となる可能性が高く、それはそれでいいのであるが、「粗食」になる可能性も高く、健康上にはかえっていいのかもしれない。それよりも心配なのはお天気で、何だかもうそろそろ、「ツキ」がなくなる頃に差し掛かっている予感がしてならない。 p.m.11:59



5/18 「大勢もいいが、たまには、こじんまりしたパーティーもいいね!」とシュンちゃん。「こんなスケールの大きな山に来たら、行く所がなくなってしまう。」と長勢君。奥鐘山と名剣山の企画に乗ってくれた2人に申しわけなかったが、祖母谷まで入る事が出来ない事情から中止となり、急遽今回の山行となった。そして、「災い転じて福となす」が如く、初日の雨雪も翌日の大パノラマを演出してくれたかのようであった。昨年の5/16は「元ちゃんの山歩き」を閉じた日でもあった。「命日」のような日に、素晴らしき山仲間と素晴らしき山に登れた事に感謝しなければならない。山を諦めなければならなかったかもしれないのに、尚更貪欲に山に出掛けさせたのは何故?・・・。「大丈夫か?」などと、心配してくれた親友達は、「どうしたの?」などと、私の心を見透かしたように、あまり深く追求しなかったのも、少しは心を和らげてくれたかもしれない。この1年間、誰にもその悩み・辛さを打ち明けずに来れたものだと自分ながら感心している。そして、あまり欲張らず「もう1年間」の気持ちで、山に登り続けたいと思っている。広がった和(輪)を大事に、それに感謝しながら・・・・。そして、その事を忘れるためにも、24日をもって1年間走り続けたカウンターを外したいと思っている。 p.m.11:45



5/17 厳冬期の山では、登山靴をシュラフの中に入れると聞いた事がある。水もそうであるようだ。汗を嗅いだ下着は速乾性があったが、雨具を通した上着は、なかなか乾かなかった。頭の上のワイヤーに吊るしたが、夜中に心配になってシュラフの中で抱えた。それが奏効し翌日は乾いたシャツを着る事が出来た。うかつだったのが水(水分)で、山頂ではシャーベット状になっていた。まだ凍らなくて良かったが・・・・・。長勢君はアンパンに、カスタードクリームを塗って食べる。可笑しな食べ方だと思ったが、自分もやってみると結構美味しい。そのチューブのカスタードクリームも凍ってしまった。しかし身に付ければ、また解決したようである。
 稜線の風を計算していたが、想像をはるかに越える爆風に、いつ使ったか覚えがないくらいの「目出し帽」が役立った。「シュンちゃん」が可笑しいと笑ったが、何よりも暖かくて良かった。(鏡がないから分からなかったが、どんな格好だったのだろう。)今回また手袋が強風に持っていかれてしまった。予備があったから良かったものの、もうチョット気を付けなければならない。この頃、山行の度に紛失物があり、愛着ある一つ一つの装備・備品に感慨深いものがあるが、何よりも物入りなのが痛い。



5/16 午前3時起きでも食事やデボ用品の整理などで、出発は5時半になってしまった。昨日の降雪がピーカンと強風で、北ノ俣岳までの大斜面はカチカチであった。朝日に向かう姿は、正に「かっこいい!」のであるが、私は、若い二人に付いていけず、それどころか、第一声が「眠たい!」であったように、何だか身体の偏重を感じる共に、昨日は、アルコールとコーヒー以外水分(注=水分補給にはならない)を全く取っておらない事に気が付き、彼らは「高速」私は「梗塞」の恐れ!・・・・しかし、2600mの稜線に出ると、「別世界」になった。昨日の降雪は、「残雪の山」を「雪の山」に変え、真っ白な山との対面をさせてくれた。吹き溜まりは靴を潜らせるが、風に曝された所はアイゼンの食い込む音が心地よかった。薬師岳・水晶岳・笠ヶ岳が主役であったが、やはり小さくても槍ヶ岳は常に特別の山のように見えた。赤牛岳や針ノ木岳も気になるところであるが、私には剱岳が「見えた。」「隠れた。」などと気になる存在であった。また、御嶽山や乗鞍岳、そして白山が一日中大きく最後まで姿を隠さなかったのがとても印象的だった。
 疲れ果てていたが、最後の300mの斜面を登り切った黒部五郎岳の山頂は、不思議にも風が弱まり簡単な食事をさせてくれる余裕が生まれた。しかし、何とペットボトルに入れたお茶がシャーベット状になっていたのには驚いた。また不思議とビールが口元に行かなかった。帰りは辛かった。私より10歳、20歳若い人達のエネルギッシュな脚力についていけなかった。しかし、彼等の思いやりに、私は楽しい山行とする事が出来た。避難小屋で荷を撤収し寺地山に付いた所に、「元さん、ここまで来ました。」と言うメッセージが小枝に張り付けてあった。俵先輩と鉄ちゃんのものであった。それよりもビックリしたのは、午後3時過ぎ、「山ノ神」が一人で山頂までやって来たのである。ビックリより、あきれてしまった。



5/15 予報がコロリと変わり自宅発から雨。当然登山口で雨具装着となるが、「荷が軽くなる。」の冗談まで飛び出すほど楽しみの山行であった。自分自身貴重な「珍味」のパッキングに悩んでいただけに、そのスペースが空いて、ホッとしての出発となる。この天候では北ノ俣避難小屋泊なるであろうから(テントは準備されている。)、あまり早く着いても、酒がなくなってしまうなどと、可笑しな山行となる。しかし、視界が悪く、ルート選定に時間を要し、イヤでも時間が掛かった。雨が雪に変わった寺地山頂から北ノ俣避難小屋までは、かすかに残るトレースを辿った事もあったが、夏道から大きく外れて、斜面をトラバースしなければならない羽目になった。しかし、3機のGPSがあり何の狂いもなく、雰囲気の良いステキな避難小屋を見つけてくれた。「あまり早くやり過ぎてもと・・・。」じーっと我慢して午後3時からの宴会となる。今日は車の運転をしなくていいはずなのに、私の予想を覆すほどの酒量? でも、「山の話」を肴にゆっくり飲んで喋った。(他に客人が一人有り=一昨年北の俣岳~黒部五郎岳の稜線で亡くなられた弟さんの追悼登山に来られた茨城の鈴木さん)何もかも無くなった、午後8時過ぎ暖かいシュラフの中に潜り込んだが、こんな時間に寝た事のない私は全く眠る事が出来なかった。雨雪が上がり室外を覗くと、星空に変わっていた。明日の行程が楽しみになったが、濡れ物が凍ってしまうほど、室内の気温も氷点下2度になっていた。



5/14 寺地山・北ノ俣岳経由の黒部五郎岳行きになった。避難小屋泊かテント泊かは、現地に出向いてからの判断になるのであるが、私にしては、久し振りの宿泊で、「山ノ神」以外とは、何年ぶりになるのかわからないくらいである。「シュンちゃん」・長勢君に荷を預け、後からそーっと付いていくつもりであるが、山中に入ってからも、そんな労わりが彼等にあるかどうかはわからない。鞭で追い立てられるかもしれない。また彼等は酒豪である。これも最後まで付き合い出来るか心配である。それはさて置き、北ノ俣岳からは北アの稜線である。山頂が踏めるかどうかよりも、その雰囲気を充分に味わって来たい。 p.m.5:00



5/13 「奥鐘山」「名剣山」行きが中止になった。不安と期待がいっぱいであったのに、イザ中止になるとちょっと寂しい。欅平~祖母谷がまだ除雪されず、トンネルが通行止では仕方がない。今後の日程からして、来年まで待つしかないようである。折角の山行機会であるからして、何処かへの思いから「黒部五郎岳」が浮上している。久し振りに重荷を担ぐ事になるが、若い二人に付いて行く事が出来るのか少々不安もある。 p.m.11:59



5/12 昨日も寒かったが、今日も寒い日だった。こんな日が続く中、ちょっと早いかもしれないと思ったのだが、今朝4時起きで、ワラビ採りに出かけた。私は山行の帰りに、時間があれば山菜採りもやぶさかでないが、ワザワザ山菜採りのために休日をあてるのはイヤである。ならばと、年に1~2回、仕事前に早起きして1~2時間出かけるようになった。しかし、予想通りというか、ようやく土の中から頭をもたげた小さいものばかりであった。この分だと、連休の山行が終わった来週でも、まだ大丈夫かもしれない。牛岳はコゴミだったが、最近はワラビになった。 p.m.11:40



5/11 昨夜は久し振りに7時間程の睡眠を取った。このところの睡眠不足もあったが、突坂山で笹平駅から直接急斜面に取付いて、何時もと違った筋肉を使って疲れたからかもしれない。そういえば、「山ノ神」も口数が少ない。よくある言葉の行き違いで、昨日から何だか様子が変なのだが、もしかしたら、身体が痛むのを「口喧嘩」に便乗して、黙り込んでいるのかもしれない。痛いと言えば、今後の山行に響くと思っているのであろうか!元々計画段階において、この先2週間(3休日)は、別行動になっているから、そのような演技も必要ないのであるが、女官の心理を見透かすのは本当に難しい。でも、当の「山ノ神」は、15日の予定を組むのに山姥グループとの連絡に余念がない。 p.m.11:05



5/10 昨夜、突坂山の画像を取り込んだが、HP上に載せれるものが殆どないように思った。ヤブに雨では仕方がなく、山頂からの展望も雲に妨げられ、これというものは撮れなかった。しかし、山登る者にしてみれば、その一枚一枚は、汗が染みるように、また危険を伴った事に関する想い出深いものとなる。その「想い出」は、同窓会のように、何度同じ事を言ってもいいくらいに、許されるから不思議である。私は、その想い出つくりのために山を歩き続けているようなものである。出来れば、それが共通の想い出となるために・・・・。グレードが必ずしも高くはないが、人一倍歩いた長い行程、お花を踏まなくては歩けない山、雪が深くて思うように前へ進まれなかった事など、自慢出来なくても、「山の話」としての材料には事欠かない。昨日の突坂山も、トロッコで行く山、新しい山友、ヤブとガスに見舞われながらも山頂に辿り着けた事、あまり人の入らぬ静かな山など、たくさんがあるが、初めて黒部の「突坂山」の頂きに立った我山仲間達は、どのように思ったのであろうか・・。きっと、忘れられぬ一座になった事であろう。 p.m.5:00



5/9 「好山病友の会」が、長勢君の同僚の橋本君と共に黒部の山に挑んだ。峡谷鉄道の「特別車」から降りて、点検道(巡視路)を行くはずが、またまた急斜面に取付いでしまい「山ノ神」に叱られてしまった。それが、また「楽しい」「面白い」「山らしい」などと持ち上げるから、我山仲間達は、もう「慢性好山病」になってしまったようである。長勢君の同僚(先輩)の橋本君も、どうも好山病の症状に似ており、今回の山行で完全に感染を確認してしまった次第である。お天気を確信して臨んだはずであったが、雲行きがいつの間にか怪しくなり、雪を掴まえた頃から、雨具を着ける羽目になってしまった。しかし、僅かであったが、一部に青空を見る事が出来るという可笑しなお天気であったが、東西に細長い山頂は、居酒屋を兼ねた食堂になり、またまた盛り上がってしまった。登りでは見る事の出来なかった、広い尾根の芽吹き始めたブナ林は、事の他素晴らしく、前半使い切れなかったカメラのシャッターを惜しげもなく切り続けた。しかし、またまた雨になり、時には小さいながらも霰が混じった。3機のGPSは、ガスやヤブの中で威力を発揮し、迷う事や、登り返す事もなく、笹平駅に午後5時45分頃までに導いてくれた。今日は「北ちゃん」が、自分の事を犠牲にして、ビデオ撮影に徹してくれたが、「北ちゃん」を除く5名が、どのように映るのか、後々楽しみである。 p.m.11:20



5/8 先月末新潟の皆川氏から久し振りにメールを頂いた。7年前、越後駒ヶ岳(魚沼駒ヶ岳)を高岡から日帰りした時、毎週のようにその越後駒ヶ岳に登っておられる皆川氏と山中でお会いしたのである。それ以来、賀状と年に1~2回程のメールのやり取りであろうか? 「新潟の山には来ないのかい?」などと言われると、あの中越地震以来「新潟の山」には、ちょっと遠のきそうと思っていたのだが、彼の顔を思い出すためにも、今秋あたり「紅葉」を求めて行ってみようかと心が動いている。鳥海山・月山の帰路、雨で止めた「二王寺岳」、ちょっと気になっていた「粟ヶ岳」「浅草岳」「御神楽岳」など、遠いが行ってみたい山だけに、頭の隅に置いておこう。その皆川氏、雪が溶けてなくなるとイヤになるという。この時期なのに早くまた雪が降らないかとも言う。雪山は何処でも登れるし、何よりも衣服や靴が汚れないという。マンシュン暮らしの彼は、その汚れ物の置く所、乾かす所がないので尚更らしい。我「山ノ神」が、「下りは膝が痛くならない。」「転んでも痛くない。」のレベルとチョット違うが、低山であろうが、雪山の魅力に嵌ると、もうぬけられない。 a.m.9:35



5/7 今年は片貝第2発電所のゲートに2度も阻まれ、「大明神山」「僧ヶ岳・北駒ヶ岳」は、長い林道歩きを強いられた。それだけ雪が残るという事なのであろうか?南又谷も遅くまでスキーヤーが訪れる所である。その奥の猫又谷を経由して、猫又山・釜谷山に6年ぶりに登る予定を今月下旬に組んでいる。雪が締まりアイゼンやピッケルの出番がある我々には格好に山である。2年前は直接大猫山に取付いたが、今はそんな元気はない。このところずーっとお天気に恵まれているが、もう少し続いて欲しいと願っているのであるが・・・・。 p.m.11:59



5/6 毎晩PCの前で、ぼーっとしている時間が多くなっている。きっとお酒の飲み過ぎなのであろうと思っているが、足と共に頭の方の回転も鈍って来ているのには間違いない。メールも山行報告も上手く書こうと思うから益々書けなくなる。その時の思いを、そのまま綴れば良いものを・・・。分かっていながら、それが出来ない。このままだと、一年前のようになってしまいそうであるが、でも、ご心配なく、その時と事情が違いますから! 9日に計画している「突坂山」の自分の紀行文を読んで見た。5年前の事だから、GPSもなく正確性には欠けるが、ついこの間のように思い出される。その前年、突坂山の雪にさえ遭遇せず、出平方面に彷徨ってしまったから尚更なのかもしれない。記録は読み返せば楽しいし想い出深いものである。焦らずゆっくり正直に書きの残さねばならない。それは自分のためにである。



5/5 今月中旬に予定している「名剣山」「奥鐘山」は、お天気でしかも雪の状態が良くなければ登る事が出来ない。何度も何度も地形図を見ていると、今まで、とても行けるとは思っていなかった「百貫山」や「不帰岳」も行けるのではないかと思って来てしまう。もちろんお天気で、良きパートナーがいないと、今の私には難しい事は事実であろう。でも、「西鐘釣山」も登れるだろうし、「瘤杉山」は不勉強であるが、もしかしたら・・・・などと思ってしまう。ここへ来て欲張らず1年に1座でも良いつもりで構えようと思っている。まだまだ15座は遠い数字である。 p.m.11:50



5/4 GW真っ只中、好天に恵まれて、たくさんの山行報告が届く。その中、私の休日は(2日間)は既に終わっており、指を加えて聞き入るだけである。帰省していた子供達も、今日は長女(東京)・明日は二男(名古屋)、明後日は長男(大阪)と順に戻って行く。まるで台風のように駆け抜けて行き、寂しさだけを残していくようなものである。昨日の大熊山頂で、「今日は、ベンチがないんだね!」と「山ノ神」が言った。何を言うのかと思ったら、いつも長勢君が、特性のベンチ・テーブルを作ってくれていた事を差していた。ならばと、ピッケルで、靴の分だけ落とせるように少しだけ掘ってみた。それだけでも、歳を重ねた者にしてみれば、ずーっと楽である。日頃当たり前のように思っているいろいろな事に、改めて感謝しなければいけない事に気付く。歩くのが遅いとか、こんな所も歩けないのかと「喧嘩」にしてしまう前に、毎週歩ける事の喜びを、何よりも感謝しなければいけない・・・・・のですね。



5/3 「大熊山からの剱岳」を撮りたくて8年ぶりに出掛けた。コット谷に出掛けても、どうしても標高の高い早乙女岳や大日岳に目が向けられてしまう。8年前、中山君と早乙女岳登頂の後、大熊山にも登り、山頂で出会った宮村氏の勧めにより、大熊谷を下った時以来であった。「早乙女岳からの剱岳」よりも雄大に眺められ、それはそれはステキである。その時の写真がアルバムにあるのであるが、デジカメになってから一度は出掛けて見たいと思っていた。下山路は、直接コット谷を目指そうとしたのであるが、「山ノ神」が、ビビッてしまい仕方なく稜線に駆け上がらせてしまうハプニングがあった。コット谷では、「しずかさんご夫婦」の華麗なるテレマークスキーを堪能しながら、足早に下ってしまったのであるが、所用があるとはいえ、お話する時間を設ければよかったのにと、悔いても後の祭であった。 p.m.8:00



5/2 時間を都合して出掛けた牛岳では、「三千坊のてっちゃん」の情報もあり、ピッケルを持参した。6合目からの夏道に、ややこしい雪が残っていた。昨日に通れても、今日はダメだというスノーブリッジが2つもあった。通いなれた牛岳でも一番イヤだったのは、昨日のトレースを消してしまう程の落雪であった。そして、そのブロック群が、今にも落ちそうであったのである。また下山路では、乗った残雪が崩落し仰向けに、こけてしまったのである。第1歩目であった事と、リックを担いでいた事で、背中や腰を打つ事がなく、チョッピリお尻の上を打っただけで本当に良かった。でも、その牛岳は、ショウジョバカマやイワウチワ、またツバキ、タムシバが、春の装いをしてくれたのが嬉しかった。チョッピリコゴミの収穫もあり一目散に家に戻った。 



5/1 明日は「牛岳」に決めた。そう時間も掛からないし、いつでも行けるからである。午前中、もしかしたら、明け方から雨が上がるかもしれないが、そう焦る事もなかろう。時間があれば、山菜の偵察に出かければいい。明日からの3人(子供達)の動向を見極めてから、5/3の行き先を決めればいい。帰省すると予定を変更して、何処でも行ってしまう彼等は、本当に今夜全員揃うのであろうか? p.m.8:00