7/31 休日がパーになり意気消沈である。悲しい事は悲しいと受け止めて、お天気を見ながら合間を縫っての山行となりそうである。「山ノ神」は唐松岳を提案したが、リフトが動くその先に歩くとしても、高岡着が心もたない。増してや高速その他の諸料金を使わぬとなるとちょっと厳しい。お天気も万全だと思えないし、馬場島周辺の山を提案すると、猫又山・大猫山を思い浮かべてか表情が冴えない。「イヤなら来なければいい。」などは、後々の事を考えると、口が裂けても言えない。朝起きて一声掛けて、起きなければ単独行になる。その考えは甘いかな! p.m.10:00



7/30 今朝方訃報が入った。叔母のような「いとこ」が亡くなったのである。「友引」が間にあり、私の休日(8/1~8/2)が、すっぽり儀式にはまり込んでしまった。「塩見岳」行きは、あっさり諦めなければなるまい。そして、あたかも「私に休養せよ!」言っているようである。でも、私は・・・・・・・ p.m.7:30



7/29 食事時やお茶時に使うコンロの主流はガスである。ところが、今冬に知り合った長勢君が、ガソリンコンロをずーっと持参していた。そのコンロの威力は、周りのガスコンロより格段の差を見せつける事になった。私の高校時代は、ラジュースと呼び名の灯油を用いたコンロであり、他にホワイトガソリンのコンロがあった。火付きの悪さや油漏れなどが嫌気され、ガスコンロの普及と共に、いつの間にか姿を消してしまっていた。しかし、低温や風に弱いガスコンロに、いろいろな付属品や自前の手法をもってしてでも、今一つ物足りなさを感じていたのは私だけではあるまい。私にも、いつ買ったか忘れてしまうほどのガソリンコンロがあった。それはおそらく3台目くらいに記憶しているが、結婚前に買ったようでもある。やはり何かの不都合か、ガスの便利さに負けてかは分からないがお蔵入りになっていた。もしかしたら、一度も使っていなかったかも知れないほどである。そのコンロを、実際使用しながら、その事に詳しい長勢君に点検を依頼したが、彼からの報告によると絶品で、「来冬から一緒に使いましょう。」という事であった。使用法も忘れてしまっていたそのコンロを、恐る恐る今日使ってみた。きれいに火が付き、威力もありそうである。でも、油漏れでリックや大事なものを汚した事が、まだ頭から離れない。傾げたりひっくり返したりしながら、その不安を払拭出来れば、雪の中で強い見方となる事間違いない。 p.m.5:15



7/28 ここ2~3日の明け方は意外と涼しく、エアコンも扇風機もない部屋で寝ている私にとっては有難かった。トタン張りの焼けてむせあがるような二階に上がるだけでも汗が流れ、床に着いても、子供のようにゴロゴロ転がり、襖や柱にぶつかる事も少なくない。したがって山を歩きながら汗を流すなど少しも苦にならず、冷気が漂うな所に出れば、それこそ恵みの何とかである。増してや、真夏のテントの中で、寒いなどとは贅沢としかいえない。 「今夏は出来るだけ北アで・・・」で、「それも出来るだけのんびりと・・・」10日前の剱岳山行で、自由空間の素晴らしさを確認済みであるのに、昨日は、またまた悪い虫が目を覚ましたようであった。行くなら「塩見岳」だけ。



7/27 塩見岳(3,047m)の日帰りは、北岳や鳳凰三山の事を思えば、そう難しくないように思える。しかし、敵は車中の睡魔である。「もう、若くはないのだから、そう無理しなさんな!」の声が何処からともなく聞こえて来る。それもそうである。登っただけの山にはしたくない歳になって来た。遠い山は何度も行けないし、それなりに、じゅっくり時間を掛けて、楽しんでこなければなどと思うのも真実である。けれども欲張な私は、その前に南木曽岳へ寄ってから、塩見岳に向かう事は出来ないだろうかと考えてしまう。8/1~8/2の連休に狙うわけであるが、「山ノ神」の高いハードルもある。また上高地公園線が不通の情報もあり、そう簡単ではないようである。もっとも、お天気でなければご破算になる。



7/26 昨日の山行で、防水を施した例の私の雨具が注目された。下山時にザーッと降った雨に撥水状態はどうかという事である。サラサラと流れていたものが、プチプチと弾く状態になったのである。しばらくはこの効果に期待したい。しかし、泥だらけになった雨具のズボンはどのように始末したら良いのかまだわからない。水洗いして、その効果が持続するのか見極めてみたい。「山ノ神」の雨具は、古くないはずなのだが、私のその効果を注目している。
 5/9の突坂山から参加している橋本君は、犬ヶ岳(5/30)以外、猫又山・釜谷山(5/23)、白山(7/11)、そして今回の金山・天狗原山と必ず雨具着用しなければならず、山はこんなに雨が降るのかと言う。私も、彼が雨を運んでくるのではない思うほど、後半になって「風雲、急を告げるのである!」でも、楽しくてならないと言ってくれる彼は、長勢君と共に、我「好山病友の会」には、なくてはならぬ存在になったようである。 p.m.9:35



7/25 好山病友の会の山行は、過去一度だけ、車を乗合わせて事があったが、原則登山口または、その周辺の分かりやすい所の集合で、車上でワイワイガヤガヤという事は少ない。今回はeiko女史の計らいがあり、素晴らしい車で、魚津から金山登山口まで便乗する事になった。可愛い妻君を気遣って先行していた長勢君に、山中で追いついた頃には、虫・虫・虫・・・の話ばかり。総勢7名が頭から防虫ネットを纏うという、正しくネット軍団!(ネットの繋がりなどの事もあり、可笑しな軍団の総称としては面白かった。)そして、登り始めから雨の懸念で纏った雨具は、ぬかるみに泥だらけ、そして、風もなく虫に悩まされ続ける。しかし、それを払拭するかのようなお花畑に今年も歓声を上げた。「ここにもあそこにもこっちにもこっちにも」、例年よりも残雪が多く、まだこれからの所もあるが、シナノキンバイとハクサンコザクラ、キンポウゲなどが目立った。「金山まで行けないかもしれない!」と不安がっていた長勢さおり夫人。不思議な事に天狗原山のお花畑でビールを飲んでから、息を吹き返し、難なく金山頂上に達した。これは恐ろしい仲間の出現である。



7/24 未だ台風の影響は少ないと思っているのだが、空の事私にはわからない。明日は一年ぶりに、お花の宝庫である金山・天狗原山の予定である。過去2回と違って、昨年は「虫」にやられてしまった。きれいなお花の代償だったのかもしれない。今年は、どの山でも、どんな花でも当たり年のようであるから、明日も沢山の可愛いお花に遭える事間違いなしであろう。でも、もうチョットお花の名前を覚えたりしないとお花も可哀想かもしれない。そして、防水を施した雨具の試しなどよりも、雨が落ちないのに越した事はない。爽やかな風が、チョッピリあればなどと思うのは、それこそ「虫」がいいであろうか! p.m.8:30



7/23 2ヶ月ぶりに神奈川の由利香さんから「屋久島・宮之浦岳」報告をもらった。しかし、2ヶ月も経ってしまったなどと言っておれない。私も5月に一年前の「有事」に際して、叱咤激励を頂いた方々に、近況報告とお礼のメールを出さなくてわと公言しておきながら、睡魔や甘い誘惑に負けて、その時間を見出せてなく失礼をしている。些細な事、面倒な事を、こなしてこそ、そこに何かが生まれる。山行とて同じ事である。誘うもの、誘われるもの、イヤな事もあれば面倒な事もある。しかし、積み重ねれば信頼・友情・思いやり・想い出など無形の何かを得る事が出来る。それは幾つになっても変わらない。何かを求めなくても、そういうものは付いて来る。私は「縁」を大事にしたい。自分から壊さないように、また壊されないようにしていきたい。そして、心だけは今も少年のようでありたい。



7/22 昨夜、宮ちゃんから、「お花がきれいだよ!久しぶりにお二人にも会いたくなった。」と今度の休日に、白山・別山への誘いを受けた。でも、残念ながら、先の約束があり断らざるを得なかった。しかし、久しぶりにお誘いを受けて、企画するもいいが、企画してもらうのに乗っかるのもいいものだと思った。いろいろ環境の違いもあるが、誘ってもらう環境も自分で整備しておかないと、そんな声も掛からないような気がする。「あいつを誘うと面白い!」などと思ってもらえるわけはないが、「誘ってやりたい!」と思われる人になってみたいものである。 p.m.11:00



7/21 一年中山行く者として、何よりも雨具が大切である。「雨が降ったら出掛けない。」「雨が降るようなら出掛けない。」それも、一つのスタイルであって、何も可笑しい事はない。しかし、突然の雨もあるし、時には防寒にもなるし、非常用の装備としては欠かせないものである。高価なゴアテックの雨具でも、使用頻度が多ければ、その消耗度が高く、雨を通してしまうは常である。私の雨具も強い雨だとすぐ衣服を濡らし冷たい思いをしている。以前使用していた、やはりゴアの雨具を洗濯し、防水スプレーを施したのであるが、HP上に載せられていた説明のようにはならず、お蔵入りになってしまった事がある。今般、最近同行する機会の多い山仲間から、NIKWAX社の洗濯用洗剤と強力防水剤を勧められ、早速試してみた。ちょっと洗濯時間が短かったような気もするし、防水剤を浸けおきしたなど、必ずしもマニュアル通りにしなかったのであるが、出来上がりの感触はいい。購入時のように、水玉が飛ぶような撥水性を期待しながら、今度の雨で試してみようと思っている。それが上手くいったら、ゴア1号の雨具、そして、冬季用のジャケットにも使用してみたいと思っている。 p.m.2:55



7/20 夏山シーズン到来である。H・Fujii氏が三方崩山・白山、中山君が赤谷山、福井の宮ちゃんが北海道の大雪山・トムラウシ・十勝岳、金沢の豆ちゃんが奥穂高岳、イマイチ女史が、種池から新越乗越経由で針ノ木岳、そして、小竹夫妻・堀シェフが大猫山に出掛けられたようである。そんなニュースが入って来ると、自分の事のように、ホットな気分になるから不思議である。私自身も剱沢でキャンプが出来るという幸先の良いスタートを切る事が出来た。今年の目標の一つに、「北アで、のんびり!」があった。大好きな剱岳を眺めながら、これまた大好きな剱沢で充分な時間を取れた事、そして、ステキな山仲間と沢山語れた事が何よりであった。そして、3年ぶりに長次郎雪渓を登り詰めた事も、「おまけ」とはいえ、満足度を高めたに違いない。警備隊の北山氏と3年ぶりにお会い出来たのも、ふーっと昔に戻れたのかもしれない。



7/19 今回の山行でeiko女史に大変お世話になった。我々に負けぬほどのリックの中から、次から次ぎへと「美味しいもの」が出されたのである。その度に感謝であった。男共は好き勝手なコースに行ってしまうのに、「私は、山の雰囲気を味わう事が出来れば、それで最高!」などと、「山ノ神」と共に別の行動をしてくださった。「別山から、剱岳山頂を伺っているのですが・・・」などとメールも届き心を和ませてくれた。好山病友の会のメンバーで気心が知れていると言っても、まだ浅いお付き合い、やはり富山では有名な「山の会」に所属しておられるから、上手なのかもしれない。
 今回の山行で、テントの型の違いを随分感じてしまった。「シュンちゃん」のもeiko女史のも、フライが、テントを二重に覆っているのであり、雨には強いとみた。私のテントは、一時主流を占めたダンロップの20~30年ほど前のものであり、横からの雨には弱く、そして狭いものである。でも、まだまだ使えるのであるが、テン場では、私の他に一張しか見掛けなかった。 p.m.11:59



7/18 テントがバタバタと、一晩中強風に煽られたため殆ど眠れなかった。もしかしたら、昨夜宴の最後に飲んだ濃いコーヒーも少なからず影響したのかもしれない。しかし、負け惜しみになるかもしれないが、そのお陰で、「満天の星」をずーっと眺める事が出来た。出発前夜も2時間ほどしか寝ておらず、連夜の睡眠不足は少々不安はあったのだが、もしかしたら、長次郎雪渓を登りつめるのも、これが最後になるかもしれないと思っていたから、テンションだけは保ち続ける事が出来た。長次郎雪渓は初めてだと言う「シュンちゃん」であったが、その巡り合わは、何故か不思議な事に、クレパスも大きく口を開けておらず、上々のコンディションであった。登るにつれ、八ッ峰5・6のコルから、6峰に取付いた若かりし頃の話、源次郎尾根のから麻のザイルで懸垂下降した事、雪渓がズタズタに切れて滝のようになっていて難儀した事など、長次郎谷の想い出話を嫌がらず聞いてくれた「シュンちゃん」に、まずは感謝! 「最後かもしれない!」から、「出来ればもう一度来てみたい。」言わせてくれたのは、岩や沢をやらぬ現在の私には環境・知名度などからして最高のグレイドだからかもしれない。前回訪れたのも3年前であり、休日・天候・仲間など諸条件が揃わなければ、なかなか来れない所だけに、やはり、「もしかしたら・・・・」である。そんな私の好きな剱岳・長次郎雪渓を「シュンちゃん」の目にはどう映り、言葉通り感激してくれたのであろうかと心配である。もちろん、私にも初雪山など他にも大好きな山があるが、天候の他に、同行者によっては随分と感じ方が違うからである。剱岳登頂後、別山尾根コースを下ったのであるが、「シュンちゃん」は、弱り掛けた私の事を考えてたペース配分をし気遣ってくれた。「シュンちゃん」の凄さは尚も続いた。剱沢に到着した頃、eiko女史と「山ノ神」は、別山・真砂岳から戻り、腹の減った私達に食事の準備をして待っててくれた。そして、少しの喉を潤す冷たいビールも用意されていた。剱沢から剱御前までの登り返しがあるため、アルコールは控えめになるのだが、昨夜の宴で残った日本酒500mlを意図も簡単に飲み干してしまったのである。これには、流石の私も、たまげてしまった。剱御前から雷鳥平までは、スコールのような激しい雨に遭い、何でもありの山行となったのであるが、本当に楽しくステキな山行になったのである。そして、室堂18時10分発の最終バスに乗った。



7/17 曇りの予報も一日早送りなって、少し日が差し始めた感じであったが、雄山・大汝山からの稜線歩きの提案に、全員の感触はあまり良いものではなく、雷鳥沢経由となった。かと言って、あまり早く剱沢に着くのも如何なものかとなり、地獄谷に回ったり、思い思いに高山植物を撮ったり、その都度大幅な休憩を取ったりしたが、正午過ぎには剱沢に到着してしまった。4人で3張りの贅沢な装備を終えた後、チョッピリ喉を潤し、一服剱まで散策に出掛けた。再び剱沢に戻ったのは、夕方の5時チョット前で、剱岳の全容を目の当たりにしながら、それこそ正真正銘の「宴」となった。快い疲れに、大好きな剱岳、そして山をこよなく愛す仲間との語らいなど、私にはこれ以上贅沢はない。飲んでも飲んでも一向になくならない酒類、隣のパーティーの歌声さえ、我々の宴のバックミュージックとなるのである。チョット冷え込んだ黄昏時は、「シュンちゃん」のテントで二次会となる。



7/16 昨日、私が弱気な事を述べたからではあるまいが、雨飾山以来お互い何の連絡もせずご無沙汰だった「シュンちゃん」から、急に参加の申し入れがあった。雨の事で気を揉んでいただけに、何だか急に元気が出て来た。こうなると、「山ノ神」の登頂がなくなり、我々だけで長次郎谷を詰める案が、また浮上してきた。この嬉しさ・楽しさを長勢君に知らせたら、剱岳登頂の頃、早月尾根から登って来ようかのメールが来た。しかし、家に戻って初々しい奥方に相談したら怒られたようであった。私の若き有能なパートナーがこんな事で、山から遠ざけられてはたまらない。じーっと我慢して後々の事を考えて欲しい。3年前やはり長次郎谷を登りつめて山頂に立ったのであるが、その情報を得てか知るひとぞ知る「妖怪大猫氏」が駆けつけて下さったのであるが、これがニアミスなのであろうかお会いする事が出来なかった。話は変わるのですが、私には若い頃にほろ苦い想い出がある。親友の奥方から、「主人を危険な山に誘ってくれるな!」と言われた事があった。それもそのはず、山の事も知らぬ新妻が「何が好んで山に行かなければ!」くらいにしか思っていなかったのであろう。その時は少なからずショックであったが、今はそんなわだかまりもない。しかし、当の本人が、今は元気も時間もない。そんな事を含め私には何もかもが大事な想い出である。 (若いという字は、苦いという字と似ているね。♪) p.m.10:25



7/15 何だかこのところ、眠くてだるくて仕方がない。(こんな事を述べるから、心配されてしまうのですが・・・)今までは、「山に行けばすっきりするよ!」だったのだが、今は、「荷物を担げるのだろうか?」「歩けるのだろうか?」などと弱気が走っている。「人生長いうち、いろいろあるよ!」「山が好きなんだから、頑張るしかないだろう!」 「そうだよ!イヤなら行かなければいいのじゃない・・・・・。」



7/14 あれだけ降ったのだからもう雨がなくなったのだろうか、予報が良い方に変わって来た。17日(日)の曇りもオセロのように「晴れ」に引っくり返らないだろうか? 例年この時期梅雨末期という事で、あまりお天気が良いない事が多く、何度も計画を変更した経緯がある。しかし、今度は久々に剱沢キャンプが出来そうである。「山ノ神」同行が3度目になるのだが、未だ剱岳のてっぺんに立った事がない。お天気が悪かったわけでもなく、怖いのであるから仕方がない。槍や穂高も行った事がなく、剱のてんぺんなど、つくつくの所に自分が行けるわけがないと思っているらしい。夫婦・親子間では、私が優しくないのか、それとも彼女の甘えがあるのか、どうも上手く行かず、今までそれを理由に私が別行動の形になっていた。例えば、私が長次郎雪渓を登ったりしている時に、彼女はテントキーパーである。まあ~、それも一つの山の楽しみ方である事も間違いないのであるが、「山ノ神」自身、周りから何故?「あんなに山行回数が多いのに!行けないわけがない。」などと盛んに勧められているようであるが、あまり乗り気でないようである。初めはの4~5時間は元気なのであるが、その後急激に足取りが失速する事を考えれば、重荷を担ぎ直して室堂に戻らなくてはならないのであるから、そう強引に勧められない。でも、今年は大分疲れて来た私、そしてゲストの参加もある事だし、別山尾根(一般コース)行くチャンスである事は間違いないのであるが・・・。



7/13 本日のメーンページの画像は、下山後の午後6時近くに撮ったものである。もちろん「北ちゃん」の許可済みなのであるが、載せてから、ちょっとまずかったかなと思ったりした。露天風呂と白水湖の雰囲気を見てもらいたかったもので、彼の頑強な身体に、ことさら目を向けてもらわなくてもよいのであるが・・・・。今のところ、感激!苦情!などのメールは何もなし。私の心配することなどなかったようである。

  7/12 今春の人形山・雨飾山に次いで先日の白山が、切れの良い10回目の登頂となり、10回超としては私の15座目になった。10回登っても未だよく分からないし、季節や天候によっては全く違うし、また同行してもらう方々によっては雰囲気も違う。1回や2回では、その触りぐらいなものかもしれない。私にも1回しか登った事のない山がたくさんある。せめて県内や近郊の山は複数回を目標にしているのであるが、その達成さえ、なかなかであるから、未踏の山へは遠いものを感じてしまう。目標は必ずしも同じにせずとも、独自のものでいい。ハードルの低いものであっても、その達成感たるや、こんなに気分が良いものはない。今まで登った山をもう一度(複数回)そして、このHPを続ける限り、「越中の百山」を永遠のテーマにしたい。



7/11 登山口の白水湖を出発する頃は、青空が広がり全員を喜ばせたが、やはり何もかもが上手く行くものではなかった。少々「虫」に悩まされながらも、きれいな花たちのお陰で気は紛らわされた。キンポウゲ・キスゲ・チドリ・キンバイ・シオガマ・フウロ・ユリ・コザクラなどお馴染みのものから、ミゾハギ・ニガナ・キバナコマノツメ、終いにはアマナ(ユキザサ)の山菜にまで及び、「これは速い!」などと思ったペースも、いつしかお花の講義となり失速し、室堂到着が11時を回ってしまった。そして、あの青空がいつの間にかなくなりガスの中になってしまった。全員で山頂に立った後、センターのベランダで、皆が持ち寄った食材で楽しい「宴」となったのであるが、下山する頃には、登山道が川となり、当初の予想通り雨の白山となってしまった。「歩ける事の喜びを感じながら、白山のお花と戯れる。」事だけは出来たのであるが・・・・・・・。



7/10 福井のkyuさんが、火打・妙高の帰り道の高速から、高岡の近くに(小杉周辺であろうか?)なったので、手を振りながらメールを送って下さった。kotomaちゃんも一緒で、お花畑に感激したらしく、火打から妙高への急な雪渓を登るのには難儀もしたが、昨日も今日も下界の我々が心配したほどの雨はなかったようである。それは、昨日、筏井氏が、僧ヶ岳・駒ヶ岳に、H藤井氏が白木峰で、きれいなニッコウキスゲを堪能された事でも頷けるのである。でもコロコロ変わる予報に私も惑わされ、明日は黒岩山から、雨(小雨)を予想して、平瀬道の白山にしてしまった。お花があるとはいえ、何処であっても晴れに越した事はなく、車に戻るまで降ってほしくないものである。私(達)は2週連続の白山になる。 p.m.10:40

 

7/9 白木峰への471号線も、キャンプ場から駐車場のある1300m地点までの林道も、金曜日夕方から通れるようになったらしい。ニッコウキスゲの見頃に、ギリギリ間に合ったようであるが、その賞味期限もあと4~5日程・・・・。白木峰の最盛期のキスゲを見る事が出来なかったが、今年は開花が早く、そしてたくさんの花が咲いた事間違いない。先週はキャンプ場から歩いた方々もあり、たくさんの花の中で、少人数が楽しむという本来のスタイルになったようであった。歩く者だけの権利・・それは「おごり」でしょうか? 美しくステキなものは、やはり多くの方々に楽しんでもらわなくては・・・なのでしょうね。



7/8 雨でも集合し、決行か否かは、その時点で決めるのが「山の会」の鉄則らしい。情報網が発達している今日でも守られているのは、企画している方への敬意もあるかもしれない。「大雨で中止は止めましょう。」「大雨でも行きます。」「とにかく行きます。」と昨日に増して、過激過ぎるメールに流石の私もチョッピリ呆れている。それほど「好山病友の会」の面々は燃えている。晴れれば(降らなければ)黒岩山、雨なら(歩行に支障がない程度なら)白山、大雨なら避難小屋のある近くの山になりそうである。この時期、敵は雨でなく、「虫」というところであろうか!



7/7 まだ4日先の事は分からないが、またまた予報が良くない。3月ぐらいから、ずーっと好天に恵まれていたのに、先週から良くない。人生と同じで良い事ばかりではないのであるが、人間は欲深いものである。しかし、「雨でも行く。」までも、メンバーに感染してしまったのだろうか、「とにかく行きます。(参加します)」の連絡が多い。雨でもお花を見る楽しみがあるが、各人の趣向がいろいろであるから、これまた難しい。行き先を決め、「その山に行きませんか?」と尋ねるのが、優柔不断の私には一番似合うかもしれない。会の名はあるけれど、会則もなければ、会費もない。年齢差もあるに関わらず、不思議と纏まっている「好山病友の会」である。「大雨が降ったら中止だよ!」と言っても、「何処かへ行くのでしょう。」と、かなり手の内を読まれている。ちょっと、ものい(辛い)事もあるが、私のエネルギー源になっているのかもしれない。 p.m.11:59



7/6 昨晩もそうであったが、PCがないと、どうも落ち着かない。そして、寂しい。何もかもがPCの中、バックアップもそうであるように、住所や電話番号・メールアドレスくらいはプリントアウトしておかなくては、ニッチもサッチもいかなくなる。辛うじて、携帯にアドレスが登録されているものだけが頼りであった。デジカメもGPSも、PCがないと効用がなく、昨日の白山行の余韻を楽しむに至らなかった。しかし、内容はともかく、私の山とHPに対する執念を呆れるくらいにご存知のS大先生は、もしかしたら、寝ずの修復作業をしてくださったのかもしれない。「少なくても3日間ぐらいは・・・」のはずであったが、夕方にはPCを持参してくださったのである。もちろん、その後に設定などの大変な作業が付いて回ったのだが、何もかもS先生に「おんぶに抱っこ」させてもらい、クシュンとしていたのが、いっぺんに元気が取り戻せた感じになった。



7/5 雨の中、白山に向けて車を走らせた。157号線河内村(現、白山市)付近で、「白山公園線通行止」の電光掲示を見たが、今更戻れないと不安を抱えながら白峰に着いたが、ゲートが閉まっていた。関係者らしい車が一台止まっていたので、その事を尋ねたが「分かりません」とそっけない返事だった。普通なら引き返すのだろうが、お天気の回復を信じたのと、降水量が多くないのを理由に、ゲート前の待機を決め込んだ。すると、そのそっけない態度の男性が、事務所会議の結果「7時にゲートが開く」と知らせてくれた。
 別当出合の駐車場には、工事車両以外一台もなく、それこそ一番乗りだった。今日は比較的楽な砂防新道を歩く事にしていたが、昨夜私の高校時代の有志の会(アルコールなし!)に同席した「山ノ神」が、コーヒーを飲み過ぎたといって寝付かれず、終いには一晩中起きていた事が、ちょっと気にかかっていた。
 石川県側のルートは、砂防工事の関係とはいえ、林道が至る所に入っており、また、これが登山道なのかと思うほど、石畳を敷いたように整備されている。山全体が花に覆われているイメージの白山であるが、これほどまでに手をかけ過ぎると、流石の私も「うーん」唸りたくなる。でも、中高年には相変わらず人気のある山である事に間違いない。別当出合の駐車場から、エコーコースを経由して室堂まで4時間半を費やしてしまった。二人きりの山行故、花があったと言ってはパチリ、ガスの中から、一瞬山が見えたと言ってはパチリを繰り返してはいた事もあるが、「山ノ神」の寝不足が影響し鈍足にした事は間違いない。室堂に着いても登山者はいなく、センターの従業員達も手持ち無沙汰のようであった。未明よりPCの調子が悪く(プロファイルの故障の可能性)、早く帰宅して、PCのS大先生に見て頂きたい気持ちがあり、山頂へは私一人が20分で駆け上がった。クロユリなどをカメラに収め、缶ビール1本、カップめん1ヶを飲み食いし、早々に室堂を離れ、下りは黒ボコ岩から直接甚ノ助小屋に降りた。先日来の大雨であったが、今日は結果的に雨具を着用する事無くラッキーであった。帰路は眠い目を擦りながら、下道を2時間半で自宅へ戻り、PCのS大先生に電話をかけた。どうも、プロファイルが故障?HP上のものはいいとしても、この2年間バックアップを怠っていた大量の資料が大丈夫かわからない・・・。ハードディスクを取り替える事になった! その後、いろいろな作業が待っている。分かっているような顔をしているけれど、本当はPCの事はあまりよく分かっていない。しかし、早く直ってくれないとライフスタイルが可笑しくなってしまう。「3日間はダメだろう。」



7/4 雨が小降りになるのを見計らって「牛岳」に出掛けた。あれだけ降ったのに、登山道はそんなにぬかるんでいなかった。そして、深い緑の中に吸い込まれるように山に入った。今日はたっぷり時間があったから、ゆっくり汗を掻かぬように登ったつもりであったが、やはりこの時期に雨具を纏えば、いつの間にか額に汗が滲んで来た。普段涸れかかっている沢も、今日は勢いよく流を保っていた。そして、お化けのようなヤグルマソウが、登山道を覆う頃から少しぬかるんで来た。あまり派手な花がない牛岳であるが、ササユリが咲く頃だけは、何だか楽しい。「山ノ神」も、それが目当てであったが、しかし、もうその時期は過ぎており、57本を数えたものの名残の状態であった。「山の空気」を胸いっぱい吸ってかえれば、ちょっとやそっとの事で喧嘩にはならず、今日は「平和」の雰囲気が漂っている。 p.m.7:20



7/3 今日の午前中は、まだ良かったようであるが、明日・明後日の予報は芳しくない。元々7月上旬のお天気は期待していなかったのであるが、それでも何だか寂しい。私としては、連休であるから尚更である。とりあえず明日は、雨の様子をみての近間の低山歩きになりそうである。明後日もそうであるが、お天気の急回復を願うものである。 p.m.8:00



7/2 先日来の大雨で県内山間部への道路の通行が気になるところである。白木峰への471号線・旧八尾薄尾地内が通行不能と聞いている。正間トンネル手前から、島地に行く道も通行止であるから、せっかく白木峰のニッコウキスゲの見頃であるというのに行けなくなる・・・・・・。大長谷地区の住民の方々の生活も掛かっている事でもあるし、一日も早い復旧を望むものである。



7/1 湿原・餓鬼ノ田などに、つきものの「池塘」を、私が長い間「地糖」と、何の躊躇いもなく、思い込んでいたのだが、いつもアドバイスを送って下さる牧野氏が、いたたまれなくなって、ご指摘をしてくださった。すぐ、私の持っている三省堂の国語辞典を繰ってみたのだが73、000語句の中には載っていなかった。インターネット辞書で確認してみて、正しくその通りであった。今回は何故か恥ずかしいとはあまり思わなかったのは、人生の先輩への甘えからなのだろうか!お陰様で「池塘春草の夢」という熟語も覚える事が出来た。 「《朱熹「偶成詩」の一節》池の堤の春草の上で見た夢。夢の多い少年時代・青春時代の楽しさ、またそのはかなさのたとえ。」 まだまだ間違いは、たくさんあるのだろうが、いろいろと教えて頂くと助かるし勉強にもなる。そんな事も流し去るような昨日からの雨は、分かっていてもモチベーションを下げてしまう。雨が降っても、雪が降っても山に出掛けると言っているものの、息もつかせなかったり、前も見えない大雨は、言葉にも表せないほど怖いものである。沢も渡れなくなり、自分の歩いている所が川になるのだから・・・これに雷鳴が轟けば生きた心地がしない。昭和44年の夏・富山地方鉄道の鉄橋を歩いた。 p.m.7:55