10/31 8号線を東に進むにしたがって、雨が強くなったが、集合場所の親不知ピアパークでは、霧雨程度というものの、やはり出発時には雨具を纏わなくてはならなくなった。青海の黒姫山は、海に近く、しかも石灰岩の白と紅葉のコントラストは、なかなか良いのである。始めの1時間はその良さを見るのを確信していたのであるが、虎ロープの張ってある急登個所から、ガスどころか雨に打たれてしまった。
 先週の大根っこ山(大猫山)に、今日は泥んこ山(黒姫山)になってしまった。悪戦苦闘の末、山頂に立ったのであるが、どのように宴を催すか悩んだが、ツエルトとタープを組み合わせて、何とか露を凌いだのである。しかし、がたがた震えながらの宴となった。それも設営に伴う時間を含めると3時間10分も滞在した事になり、今日も暗くなっての下山になってしまった。鉱山事務所に下山報告(届け)を出しにいくと、あまりにも下山が遅いので捜索を検討中であったと聞かされ、これは申し訳ないと思ってしまった。しかし、当の6人は歴史に残る?登山であったとルンルン気分であった。 p.m.11:55



10/30 予報が微妙にずれてしまった。週末が悪いと言われながら、先週の日曜日の午前中が素晴らしいお天気だったように、今日も完璧ではなかったが、晴れになってしまった。そのずれ込みが夜遅くなって雨になってしまった。行かなければ晴れるような気がするし、予定通り青海の黒姫山を目指す事にしたが、行くとあまり良いお天気にならないのが常である。登りがけに降らなければ当然決行なのであるが、後から袖を引っ張られるような気もするし、行ってみてからの判断である。どちらにしても、私には区切りの登山になる事は間違いなく、お天気だけでなく、気分の良い山行としたいと願っている。 p.m.11:25



10/29 山の事は知らない事だらけだけれど、山の話なら、ずーっと続ける事が出来る。その山を通じて、いろいろな方々を知り合いになれた。上も下も二回りぐらいの年齢差がある方々を含め幅広い方々と知り合いになれたことになる。もちろん男性も女性もである。
 私はちょっぴりオッチョコチョイだから、余計な事を喋ったり、また、上手に喋れないのであるが、山の話以外はあまり根掘り葉掘り聞かない事にしている。もちろん、尋ねられれば何でも話すが、山に来て何で下世話な事を話題にしなければならないのかと思う事もある。そんな私でも、気配りが足らず、その友人達を傷付けているのではないかと考え込む事もある。どちらにしても、こんなに幅広く多くの方々と知り合いになれ、山様々である。山以外ではとても考えられない事である。それは、ネットで知り合いになれた方々も同じである。 p.m.11:35



10/28 今週末のお天気は、またまた悪そうである。それでも山行く者は、やはり少々可笑しいのかもしれない。可笑しいと言われて、それが勲章のように思うのだから、もうどうにもならない。正しく「好山病」である。週明けの月曜日も、晴れと雨のメニューが用意されていて、行かなければならない。行かなければ叱られる。何が何でも・・・・の雰囲気である。山だけの友である。山が仲介してくれた友である。それ以外の事は何も知らないのに、何でも知っているような錯覚さえ覚える。「山」一点に自我を抑え、これだけの時間を共有するのだから、我人生に影響を及ぼさないわけがない。 p.m.11:35



10/27 10/24「山ノ神」は、eiko女史と大門山系の見越山に出かけたが、その時に、顔見知りのOさんとIさんに出会ったらしい。お二人は、大門山と赤摩木古山への分岐で、荷を軽くするという口実で、先に宴を催されていたらしく、後続の二人は、ちょっぴり相伴になったようである。入れ替わって先行の見越山で、紅葉を楽しみながら、本格的な宴になったとか・・・・そのOさんとIさんは、「飲み過ぎるなよ!」の言葉を残して先に下山されたようである。
 そのお二人に、画像を送る事(アドレスも知らないので!)も出来ないし、「元さんの山歩き」を見て頂いた事があるという言葉を頼りに、今日のメーンページを「山ノ神」の要望に答えて、見越山の一枚を載せる事にしました。 p.m.7:00



10/26 「剱岳の大展望台ですよ。」と皆に言いふらす私の大好きな大猫山は、実に私と相性が悪い。過去14回も訪れているの中、6回も雨具を着込んでいる。一日中剱岳を眺められたのは、たったの一回だけ。その他にまずまずというのが3回で、後は、てっぺんがちょこっと、または全く見えない時ばかりである。
 降られても振られても行くのだから、「山ノ神」は嫌がる。 「またけ!」 などと、最近は牛岳を提案するより嫌がるのである。それもそのはず、家に帰れば、何日か足が上がらなくなるからであろう。それでも、過去の記録(「山ノ神」の記録)を調べてみると、途中リタイヤした時を含めて、5回も大猫山に登っているのだから、もう私の聖域から外れてしまった感がある。しかし、猫又山や赤谷山と共に、ブナクラの山から剱岳を眺めると、虜になってしまい、辛いけれども、絶対行きたくないと言い切れないようである。 p.m.8:20



10/25 昨日は、久し振りに暗くならない内に山から降りた事もあって、帰宅したのが夕刻の6時半であった。見越山に出かけた「山ノ神」は、eiko女史と砺波ICに午前6時待ち合わせであったはずだから、私より先に帰っているものと思っていた。久し振りの別行動も私の方が早く帰宅するのも珍しい。
 「連絡しても返事がない。」 とか 「心配しているのに・・」 に対応して、上市市街地から携帯の電源を入れ、山用具を片付けたり、お風呂からあがっても 「6時半に帰宅しました。」 のメールへの返事がなかった。いつもは矢継ぎ早に送って来るメールもない。
 熊に襲われるはずがない。滑り落ちても這い上がって来るはずだ。でも、何かあったら運転をしなくちゃいけないし、飲むものも飲めない。“ 我家は、私に何かがあれば、ローンもなくなるが、「山ノ神」に何かがあってもローンが残り、尚更生活が苦しくなる。大きな保険を掛けておけばよかった。それなら、ゆっくり飲んで果報を待てばいいのだから・・・”などと思っていると、2時間後程に 「ただいま~。」と、のほほんとした顔で帰って来た。たくさん飲んだはずなのだろうが、別腹故か、テーブルにまた空き缶が並んだ。



10/24 イメージトレーニングまでして、この大猫山に挑戦の意欲をみせた近所の「茂ちゃん」と、大猫山から剱岳を撮りたい一心の「ねぎちゃん」との大猫山行は、予定よりお天気の回復が遅れてか、馬場島までワイパーを回しながらの運転となった。いつの間にか、「降らないだけでも良しとしよう!」とカテゴリーレベルを落としてのスタートとなったが、広がるかに思えた青空に、重荷を背負いながらも、頑張る足取りは、やはり剱岳見たさの一念であった。
 今年は今一つの紅葉は、1500m付近までであって、落葉した樹木が頭だけの剱岳を遠望させてくれ、1750m付近から笹の下に昨日来の降雪の名残を見せてくれた。やがて雪上を歩くにしたがって、「山頂では雪だるまを作ろう!」などと、初雪はいっぺんに童心へタイムスリップさせてくれるような気がした。しかし、チョッピリしか積もっていない雪のため、大猫平のぬかるみは、ズボンの裾を汚すほど歩き難いものであった。期待した山頂は全くのガスの中で、大型カメラを持参した「ねぎちゃん」が落胆するほど一度もシャッターを切らせて上げる事が出来なかった。しかし、その分まで雪上の宴となって変わった。雪化粧をした山頂は、やはり寒く、熱燗やおでんなど温かいものが大受けだった。「こんなのでは、痩せるわけがないよね!」などと言った「茂ちゃん」には、我々の山行スタイルがどのように映ったのであろうか? 2時間の宴に終止符を打った頃、すーっと現れた長野県穂高町の女性は、まるで雪女のようであったが、この大猫山でテン泊との事であった。馬場島に戻ってどんどん雲が切れていく様子を見ながら「長野の女性はいい剱をみているのでは?」とたくさん歩いた満足度と剱岳展望の未練を抱えながらの帰宅となった。
 一方、「山ノ神」とeiko女史は、お酒類をいっぱい担いで大門山系の見越山に出かけたのであったが、私よりは2時間も遅い戻りとなったが、あの恐ろしい顔も久し振りに上機嫌であった。



10/23 一昨日は、籾糠山に筏井夫妻に伸子さん、そして、上総の哲ちゃんまでは予測していたのであるが、シュンちゃん夫妻まで合流とは思わなかった。素晴らしい紅葉に中で友好を深められたようである。我々は、明日異色の3人で、大猫山を目指す事になるが、これも現地に行ってみなければわからぬパーティーである。そして、お天気も味方してくれなければ、どうなるかわからない。
 「山ノ神」は、eiko女史と県西部の山に出掛けるという。親交を温めるなどとは口実で、ピーク毎に祝杯をあげるのではないかと聊か心配であるが、何だかホットする一日になれば良いのにと思うのである。 p.m.10:25



10/22 寒~ぃ。半袖姿の私は、じーっとしているとストーブが欲しくなる。今晩から明日あたりに、高所では雪になるようである。例年よりかなり遅れている降雪が、嬉しいかどうかは別問題なのだが、立山に冠雪の便りがあれば、それなりに何故かわくわくするものがある。それに乗っかり大猫山から冠雪の剱岳を望む事が出来れば最高なのだが、何度も何度も裏切られている私は、この時点で「晴れ」の予報は、まだ信じていない。それでも、何故か昔の恋人に逢いに行くような気がして心が躍る。 p.m.10:20



10/21 仕事を終えて食事後PCの前に、休日は山に・・・。月4~7回程の諸会合があるものの1年余り前から20年も続いたバトミントンも止めてしまい平凡?な毎日が続いている。好きな事をしているつもりが、ふと振り返ってみると、これで良いのだろうかと疑心暗鬼になる。食事と共に飲むアルコール類が、私の行動範囲を狭めている事は間違いない。夜は食事中以外殆どテレビを見ないのであるが、PCの前でウトウトが多くなって来ている。「如何にテレビを見ないかが、文化的な生活を送る鍵!」などと勝手に思っている自分なのであるが、眠くなっては仕方がない。
 このところ書店に行く機会が極端に少なくなっている。「山ノ神」との折衝に破れて余裕資金もないからでもあるが、私の下手な検索技術のネットだけでは、情報が偏ってしまっている。立ち読みだけでも、変に頭が良くなった気がするものである。図書館を利用するのも一つの手であるが、私には余程の時以外まだ馴染めなくている。アルコール抜きの日を作るにおいても、週一くらい書店に出向くのもいいかもしれない。p.m.11:45



10/20 人とは愚かなもので、常に輝いていたいと思う! しかし、ちやほやされると、独りになりたくなる。到底独りでは生きていけない事を知りながら・・・・・
 私は夏目漱石の「草枕」の序文が好きである。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。」「住みにくさが高じると、・・・・・・。」と続く。
 私は、元気でずーっと、山を登りたいと思っていた。でも、この頃は、自分だけでなく、友人・知人を含め回りの人々が皆元気で、そして一緒に登りたい気持ちが強くなって来ている。それは、自分の認めてくれる人がいなくなっては、生きていけないという事と一緒なのかもしれない。



10/19 “ また大猫山?” “ 好きですね?” などと「山ノ神」や友人達に言われしまう。しかし、大猫山は剱岳の大展望台の割には、比較的短い時間で登れるのである。でも、私には冷たく、そう簡単に剱岳を眺めさせてくれない。早朝に登れば逆光、晴れを信じて登ってもガスに覆われ、頭でさえも見せてくれなかった事も多い。10/24もしかしたら、今年最後の大猫山になると思うし、出来れば気の合った山の友と登りたいと思っている。ゆっくりでもいい。大宴会でもいい。何もなくゆっくり剱岳を眺めているだけでもいい。 p.m.11:20



10/18 “ 気に食わぬ一言 ”が原因らしく、「山ノ神」のだんまりが始まった。私としては、妙高山・焼岳と充分に希望をかなえてやったという自負があるのだが、年々女性の地位向上が変な形で我家にも及び、窮屈な日々を送らなければならないようになって来ている。次回の山行までは、上手に気持ちを切り返してくるのであるが、「ブナクラ周辺の山」が候補では、これも要因の一つであるから、修復は延びるかもしれない。空き部屋を渡り歩いて、そのうち戻って来るだろうなどと思っているようではいけないのかもしれない。(現在別居中!)
 そんな折、iwanaさん(今回は改名してyamameさんになっていた。)から嬉しいメールが届いた。昨年5月の有事の時に、二度ばかり励ましのメールを頂いた事があるが、今回は赤谷山の画像と共に、まるで私の心を見透かしたように、“ HPを止めるなんて言わないでくださいよ!” などと付け加えてあった。私も懐かしくお返事すると、送信名の通り釣好きの方で、釣への情熱と山への憧れが綴られて来た。そのyamameさん(iwanaさん)は、多分北陸の方(富山県の方だと思う)文章からして男性ぐらいしか分からないのであるが、私のHPを支えてくださっている方に違いない。釣の出来る山には、あまり縁がないからお会い出来る事がないかもしれないが、バッタリお会いし、岩魚やヤマメを、ご馳走して頂ける事などないだろうかと不謹慎な思いになってしまう。



10/17 この二日間、「山ノ神」と意見が分かれたが、まあ~この際、後々の事も考えて、私が従う事にした。昨夏、笠ヶ岳に続き焼岳に登った際(登山口でキャンプ)、GPSの容量の関係上、安房峠10号カーブからの焼岳の軌跡を持っておらず、その軌跡を採るのに、焼岳登山の意義はそれなりにもっていた。 ぬかるんだ登山道に悲鳴を上げながらになったが、「中ノ湯」との分岐からは、「もうちょっと赤が・・・」の欲さえ押さえれば、予想通りの展望になった。今年登れなかった「霞沢岳」を目の前に望みながら、噴煙をあげる焼岳を目指した。山頂が近くなった頃に、何と俵先輩と遭遇!山頂で暫し「山談義」となる。大勢のツアー客?なる団体2組は、山頂で写真を撮って下山するという何と言えばいいのか分からない(自分達と比べるからか なのかもしれないが・・・)が、我々は気にもとめず、大パノラマを楽しんだ。
 「中ノ湯コースを下山コースに取りたい!」と言う「山ノ神」の要望を俵先輩の好意により実現する事になった。安房峠10号カーブに戻る俵先輩が、釜トンネル付近の登山口まで迎えに来て下さるというものである。標高差250m、そして、釜トンネル付近から、安房峠10号カーブまで、登り返さなければならぬ事を考えれば、(釜トンネル付近には駐車スペースもない。)有難くて涙がでそうであった。そのルートなるや、全くぬかるんでおらず、増してやブナなどの紅葉は素晴らしく、駐車場の事を除けば、次からはこのコースを歩きたいと思ってしまった。
 迎えに来てくださった俵先輩によると、10号カーブに下山したら、私の親友である中山君が奥様共々登山靴を脱いでいたという。まさかと思って戻ってみると、我々が下った分岐の所まで、山嫌いの奥様と登ったらしいのである。我家と反対で、どうにかして、山に夫人を連れて行きたいらしいのであるが、どうして世の中は思い通りにならないのでしょうかね! p.m.11:59



10/16 悩んだあげく、西からどんどん回復するような雲の動きを信じて、午前4時15分妙高山に向かって出発した。始めから高速利用を催促していた事もあり、「朝日IC」から「中郷」までの往路を、久々にアクセルを全開して走った。しかし、県境を越えてしばらくすると、空は真っ暗になり雨が落ちてくるではないか・・・・。「どうして!どうして!」の言葉を繰り返しながらの願いが通じてか、海岸線から離れるにしたがって雨は止んだ。
 何年前か忘れてしまったが、我家の3人の子供達が、まだ小学生だった頃に、燕温泉から妙高山を目指したのであるが、悪天下の中、「黄金清水」で引き返した経緯があるもので、笹ヶ峰から山頂を踏んだ事があるものの、「山ノ神」とリベンジという形になった。しかし、下山路に使おうと思っていた「燕新道」の橋が流失しているため「黄金清水」を経由する事が出来ず、今回は北地獄コースをピストンするものとなってしまった。
 晴れに変わったかに思えた空模様も、見る見るうちにガスに覆われしまったが、山頂直下に差し掛かった頃から、再び青空が甦ってきた。そして、山頂滞在時は、雲上に北アの一部が顔を出してくれるというサービスまであったが、頚城の山々は姿を現さなかった。富山や群馬の中年パーティー(どちらも3人)と、時々言葉を掛け合いながら、冗談が飛び出す結構楽しいものであった。前回の笹ヶ峰コースからの登頂時は、濃いガスに覆われた事もあり、南峰(最高点)を踏まなかったのであるが、今回のコースは、南峰を踏んで北峰(三角点)のある頂上に達した。山頂では、昨年2月来拝山へ、ご一緒した事のある佐渡・室谷氏と遭遇、一緒にいろいろお話しながら下山し、黄金の湯(露天風呂)に浸かった。



10/15 昨夜は、「元ちゃん山荘だと思って来てくれ!」と、またまた優しいお誘いに乗って、Respirar坂本宅を訪れた。私が自慢げに話す「山の話」を、イヤな顔一つせず、自分の事にように聞いてくださる心の通じる夫妻である。食べても食べても、また飲んでも飲んでも出て来る料理やビールに、私はこんなに良い気持ちになって、甘えていても良いのだろうかと思ってしまう。そんな雰囲気に中「山ノ神」は、ず~っと、山から遠ざかっているRespirar坂本夫妻に、何処か低山でもいいから、ご一緒しようと盛んに誘っていたが、果たしてどうなるものやら・・・・。実現すればこんな嬉しい事はない。
 その楽しい宴がお開きになる前に、デザートを頂きながら、大きなテレビ(プラズマだと思う)に、「元さんの山歩き」が映し出された。日頃15~17インチの画面でしか見ていないものとしては、すっきり映れてそれは驚きであった。一日中PCを立ち上げている方ならいいが、イザという時には時間がかかる。その点テレビはすぐにでも見る事が出来る。これからのHP作りも、その大きなテレビ画面も意識しながら作っていかなければならないと思った。CGIなどだけでなく、動画・ビデオも取り入れていくような時代は、すぐそこに来ているように思えた。デジタル時代の到来は、中年・熟年と言えども、もはや回避は出来ないようである。 p.m.10:50



10/14 今年は今日まで57回(61日)山行回数・日数を記録している。私の一番の目標は、週一の計算で一年に52~53回の山行、そして、二番目の目標は、月6回の計算で一年に72回の山行、最終的には、全休日を山に入れる事である。
 しかし、生身の人間であって、事はそう思うように運ばない。ケガや病気の他に、慶弔・歳時など、どうしようもない事があるからである。この歳になって、可笑しいと笑う方があるかもしれないが、私から見れば、何も目標がなく生きているより、数段楽しい生活を送っていると確信している。少々経済的に恵まれなくとも、また体力が劣っても「山を愛する」共通の思いに、その世界は広がって行くような気がしてならないからである。
 「山の仲間」は、山を共通項として、食事や安全を共有する事に、他の仲間と違いを感ずる。これが寝食を共にすると、一層深みを増すから不思議である。そんな山漬けの私でも、「あと何回登れるのだろうか?」、「あと何年登れるのだろうか?」と常に考えている。「這ってでも、山に登る。」と言っているくせに、一年一年弱きになっていくのは、衰えを認めたくないからであろうか? p.m.1:10



10/13 先日の猫又山行きが「山ノ神」の真新しい登山靴のデビューとなった。比較的長いコースであったが、足慣らしをせずとも、当日は何の支障もなく、履き心地は満点であったようである。皮製であるが、インナーがゴアだからかもしれない。私もサイズは違うが同型の靴を同じ日に購入したが、何となくもったいなくて、ソールの減った布製の靴をまだ履いている。雪の降りがけや雪解けの頃、また夏の雪渓登りを想定して買ったのであるが、我家にはソールが減りつつも、捨て切れない靴が数多く残っている。もう少し、もう一回履けるのではないかの気持ちがあるからであり、身も心も、それこそ一心同体だっただけに、簡単に捨てる気持ちになれないのである。
 ゴアは雨の降った日であろうが、なかろうが、30回履くと(一つの基準として)効き目がなくなるそうである。一年に数回ほどの山行回数なら、何年も保つのであろうが、一ヶ月に数回も登るものにしてみれば、そう長くは持たない事になるらしい。ぬかるみで、あるいは雨の日に、ジュワ~ッっと染みて来るあの心地は、決して気持ちの良いものではない。(私は慣れっこになっているが・・・)これからは、その事から少しは回避出来るかもしれない。それにしても、「山ノ神」は、一足の靴で通年を乗り切るのであるから、それは凄い!それも、先日まではザンバラン・フジヤマという比較的ローカットの靴であった。



10/12 我「好山病友の会」のメンバーであるeiko女史が、富山市美術展の洋画部門に入選された。やはりパステル画であろうが、50号の大作であると聞く。初雪山を描かれたそうであるから、是非県民会館に足を運ばなければ思うのであるが、(10/17まで)山行を曲げてまで行けるだろうか自信がない。昨秋彼女の個展を拝見した事があるが、絵心が全くない私でも、「山の絵」となると心が躍った。全部「山の絵」とは、山を愛する者には堪えられないほどの個展である。 p.m.8:35



10/11 先月の赤谷山に次いで、今回の猫又山も「山ノ神」の筋肉痛が酷く、その姿は痛々しい。でも、あの光景が目に焼き付いて離れないのか「もう行きたくない!」などとは、口が裂けても言いそうにない雰囲気である。ガスの中で、只歩くだけかもしれない山行が、いつの間にか、北方稜線の山から、雲海・そして紅葉がまっちした素晴らしい展望が開けたのであるから、その感激はあまり知るものである。その証拠に、見とれる光景に「もうちょっと、ビールを持って来れば良かった!」などの言葉も忘れてしまったほどである。次の休日まで、中5日間しかないのであるが、しっかりその痛みを整えて来るのであるから、そ~っと、独りで出かけるわけにはいかない。白山・妙高山、またまたチョットだけ遠い山など、行き先が決まっていないが、天候と「山ノ神」の意向次第である。 p.m.7:40



10/10 ゲストにH.fujii氏を迎えての猫又山行きは、始めからガスがかかっていた。しかし、休日とあってブナクラ取水口の駐車場は、今まで見た事のないほどの盛況ぶりであった。石黒・野開女史(赤谷山へ)と挨拶を交わしたブナクラ峠でも、あふれんばかりの人で、ぎっしり?の状態であった。
 「降らないだけでも良いとしよう。」と言いながら、高度を上げる毎に、ガスの切れ間から現れる「剱岳」に歓声をあげ続けた。それは、先月の赤谷山での「剱岳劇場」の再来であった。“わっ~”と言っては現れ、“わっ~つ”と言っては隠れる様は、まるで劇場の幔幕の開閉のようであった。これが、2200mの草原に出てからは、その草紅葉とあいまって、皆を唸らせる光景と変わっていった。3名の登山者を見送ってからの猫又山は、我々の独占状態となり、いつまでもその光景に酔いしれる事になった。雲海に浮かび優美に映る後立山連峰も、今日だけは剱岳の脇役でしかなかった。
 今春、猫又谷から、同頂上を踏んだ「北ちゃん」であるが、全く展望が利かなかったその時の事を思えば、それこそ今日は雲泥の差に思えたに違いない。前日のイベントで、体調が思わしくなかったH.fujii氏は、「素晴らしい!」を連発してからは、みるみる元気を取り戻し、下山時は飛び跳ねて先を行ってしまった。「山ノ神」に至っては、来れるはずのない猫又山からの光景を目の当たりにして、「泊まりたい。」などと戯けた事を言い出すくらいであった。「もういい加減に下らないと・・」と言いながら、下り始めても、カメラを手から離す事が出来ず、今日も出発から車に戻るまで12時間を要し、またまた暗闇になる寸前となってしまった。



10/9 明日は「晴れ」ではなくなったが、降らなければ良いくらいの気持ちで出かけなければなるまい。「山ノ神」を連れて行かなければならなくなったが、「大猫山」・「赤谷山」と共に、またまた私の聖域が狭まって行く。不安がっている「山ノ神」を連れて行く事もないのであるが、後々が煩いから仕方がない。あまり飲まないで欲しいと脅しているが、ブナクラ峠までのタイムが、山頂滞在時間を決めそうである。どちらにしても、暗くならない内に、駐車場のある取水口に戻りたいと思っている。 p.m.10:25



10/8 10/10は「猫又山」になった。お天気は水物だが、晴れの特異日に期待したい。昨年は10/14~10/15にかけて、立山・室堂で20cmの積雪を観測したが、今年は、まだそんな素振りもみせていない。



10/7 何処へ行こうかと迷う時は、昨年のまたは、過去の山行記録を参考にする事があるが、“ 大した山に登っていないな~あ。” とつくづく思う。しかし、お天気をはじめ、その時のいろいろな事情が反映されているであろうから、きっとそれなりに精一杯の記録なのであろうが、時と共に流れさってしまうのであろう。しかし、強烈な思いをしたものは、屈曲されたとしても、かなりの確率で正確に覚えているものである。それが、かなり遡るものであると、“ どのようにして行ったのであろうか?” “ めちゃくちゃの事をしていたのだろうか?” などと思い出せない。少ない写真を片手に、「俺も凄い事をしていたものだ。」とこっそり、苦笑しながら頭を掻く事がある。躊躇せずにスノーブリッジを渡ったり、潜ったり、今思い出しただけでも、身震いしなければならない事をしていたのである。また、今では手や足も掛けれない所を登っていたのだから、「若さ」だけでは片付けられまい。同年代で尚且つ、そのような事に挑んでおられる方を見ながら、彼らは、まだ血が騒いでいるように見受け尊敬の念にたえない。 p.m.11:40



10/6 先日の天蓋山行きに、ガソリンコンロを持参した。ちょっと重いが、冬場での練習を兼ねての3回目である。20年以上(もしかしたら30年以上)使っていないのだから、その操作と要領に戸惑う事が多い。“ 可笑しい~な。” と思うようにならず、焼き物にコンロを借りてしまった次第であった。ガスコンロのカートリッジを切らしたのと、その操作に慣れるために持参したのであったが、かえって自信をなくしてしまった結果になり、昨日から何度も繰り返してやっているのであるが、ぼ~っと、火がついたと思っては、消えてしまうのであった。かねてから注文してあったホワイトガソリンを注入して、再び点火したところ、今度は、ぼ~っと、勢いよく火がついた。という事は「ガス欠」だったのか? 揺さぶったら、確かちゃぶちゃぶと、音がしていたハズだったのに!次はどれだけの燃焼時間があるのか、確認の作業をしておかなくては・・・・・。 p.m.11:40

10/5 4~5の連休は、そんなに歩かなかったけれど、それなりに納得のいく山との付き合いが出来たように思っている。素晴らしい光景を目の当たりしながら、仲間と長時間に渡り山頂に滞在出来た事、時間がなく、なかなか山用品店に出掛けられなかったのが、いつもより早めの下山で、納得のゆく登山靴を買う事が出来た事、そして、また一つ、一度しか登った事のなかった高清水山に登れた事など、エネルギー的には、完全燃焼出来なかったかもしれないが、精神的にはかなり晴々とした気分であった。



10/4 涼子さんご一行が、「剱沢から大日岳を経由して称名に下る。後タクシーで馬場島へ!」の予定と知って、連休二日目は、そのお迎えがてら大日岳に登ろうかと思っていたが生憎の雨。もし、室堂経由に変更になったら、折角雨に打たれながら登っても、お会い出来なくては意味もないような気がして、また、団体行動故、携帯でうるさく尋ねるのも如何と思い自重したのが、「あだ」となってしまった。
 ちょっと県西部の山に登って、馬場島に出向けばいい。そのつもりだったのが、我等の行動が緩慢で、やはり室堂経由で下山されたご一行にはお会いする事が出来なかった。馬場島に向かいながら、何か気になり、携帯したのであったが、もう高速の人となってしまっておられた。「恋人にふられた心境で、おみやげのつもりの鱒寿しを食べています。」などと洒落にもならないメールを打つのが精一杯であった。

 今春は、土砂崩れのため長い間通行止になっていた縄ヶ池への林道を304号線から入った。高落場山を歩くつもりで臨んだつもりが、出来れば6年前の残雪期に、N君と一度だけ登った事のある高清水山にもう一度という気持ちもあった。残雪期には行きたい山が多くあって、なかなかこちらに足が向かないし、かといって今日のような雨にでもならないと、そんな気持ちにはなれなかった。「高清水山」が候補に挙がったのも、「一度しかない!」や「複数回」が頭にあったからなのであろう。標識は山頂の名盤と標柱以外は何もなく、「ひだまり峠」を目標として行った我々には、何処がどうなっているのかさっぱりわからなかった。しかし、車の進行が辛くなった林道から、草刈の跡がある別の林道を辿ってみると、その最終地点から、おそらく地元の山岳グループの方々が手入れされたと思われる登山道が付けられていた。
 視界が10数メートルの中、一番高い所に辿り着いたと思ってみたが、何の標識もなくGPSで確認してみると、どうも違うような感じであった。恐る恐るその先を下ってみて、登り返すと懐かしい看板と真新しい標柱が立てられていた。その先に道は延びていたが、「明神池」たる所まで行くと、それは、迂回するものでなく、北方面(もしかしたら赤祖父山方面)に延びているように思えた。間違いかもしれないが、雨降る中、視界も悪く、次の用事が待っている私達には、そう余裕の時間はなかった。行ってみれば簡単で、林道からの標高差が100mもないのだから、拍子抜けしてしまうかもしれないが、自分だけの「探検」「冒険」として行って見られると、それなりに征服感が湧くものである。 p.m.6:10



10/3 あんなに良いお天気になると思わなかった。ゆっくり歩いたのであるが、歩く時間より山頂滞在時間(4時間)の方が長いという珍しいケースの山歩き。でも天蓋山頂からの展望は最高であった。槍に笠、乗鞍・御岳、そして黒部五郎に薬師である。一番嬉しかったのが鍬崎だと思っていた山が、剱であったの事である。三角に見えたが、まさかあのような形ではっきり見えると思っていなかっただけに、借りた双眼鏡で、その岩肌を正しく剱岳に間違いないと確認した時は、何かぞくぞくするように嬉しく楽しくてならなかった。
 長い間山頂にいるといろいろな事があった。福井から来られた山グループの中に、今春、細蔵山や犬ヶ岳に、ご一緒した黒川女史が加わっておられた事であった。“ 師匠である「宮ちゃん」に、おいていかれた。” などと、笑っておられたのが印象的であった。もっと驚いたのは、「早月尾根から登って、今、剱岳の山頂です。」というメールが、山口の涼子さんから届いた。まさかと携帯で繋いで見ると、今朝、山口から、仲間とはるばるやって来たとの事、しかも剱沢でキャンプ、そして翌日は、大日岳経由というのであるから、それは凄い! そして、素晴らしいという感激の様子も伝わって来た。また、金剛堂山の中山君からも、「単独ながらビールを飲みながら、素晴らしい展望を楽しんでいる。」とメールが届いた。私も長い山頂から、久し振りに多くの山仲間にメールを送ってみた。
 「北ちゃん」、その盟友の田村氏と我々二人は、とても山中であるとは思えない雰囲気の山頂で、カメラを構えながら、時には寝転びながら、また山仲間の噂をしながら、二度とない(多分)贅沢な山を楽しんだ。
 クリヤ谷から笠ヶ岳に挑んだ長勢君から、鏡平まで行かないというメールが届いた時には、チョット胸を撫で下ろした。その彼と神岡の街を通り過ぎて、眠気を覚ますために停車した所で遭遇し、彼の快挙を褒め称えた。その足で、遅くなったが、登山靴を買いに行った。



10/2 新潟か岐阜の名山歩きと思っていたが、あまり良くないお天気に戦意消失! 明日は「北ちゃん」の後を追って「天蓋山」に行くつもりである。きっと、降ったらがっかり、晴れてもがっかりになる事請け合いである。「山ノ神」共々、靴底が怪しいので、登山用品屋に行かなければならないのであるが、大宴会さえなければ、富山の街には、それ相当の時刻には到達するであろう。 p.m.11:25



10/1 私の体重は71~2キロ、ウエストは82センチ弱、容貌は別にして、誰から見ても太ってはいない。最近、歯痛でちょっと陰りはあるものの、よく食べるし、お酒やビールもよく飲む。だからではないが、休日は山に出掛けて長い間(ハードに)歩かないと、もしかしたら、ブクブクになるかもしれない。しかし、好山病友の会やハレルヤで出掛ける時は、他のグループでは考えられないほどのご馳走が出て来る。(但し女性軍が参加の時) だから、尚更ハードの行程を組まなくてはならない。宴会時間も長いし、この時期、そしてこれからは、当然のように暗い道を歩かなくてはならなくなる。 p.m.7:55