1/31 「ところで、スノーシューはどうだった?」何度も外れるトラブルに見舞われたが、自分としては、予想以上の感触を得たような気がしている。何時もと違う所の張りを感じたが、それは、快い足の痛みとなり、何だか術前の自分の足に戻った錯覚にさえ陥った。僅かな時間であったが、二上山特訓は奏効したようである。でも、まだまだレベルは低く、長勢・橋本君らのアドバイスを受けながら模索していきたいと思っている。

 好感触と大地の余韻に浸って我家に帰れば、「山ノ神」は新年会の二次会とか・・・それはそれでいいのであるが、ご帰還なさってからが悪い。「楽しかったでしょ!」 と嫌味タラタラと始まったのである。「私も行きたかった。」 との事。「これば良かったのに!前から言っていたでしょ。」 「付き合いだもの。」「夕方5時の新年会に間に合う山行であって欲しかった。」 イヤハヤ・・・ それはそれでいいのであるが、 その時間まで、軽四を吹っ飛ばして越前海岸に水仙を見に行っているのである。それでいて、こうなのであるから・・・。

 「夕食は何もしなくていい。自分で何とでもするから。」 と言っていたが、面倒なのでスーパーへ行かず、冷蔵庫の中の豆腐と納豆で済ませていたら、「何もしない。」とまた叱られてしまった。家に戻れば、何時も隅っこで小さくなっていなければならない。こんな時に、例のストックを見せなければならなかったのであるが、二上山同行の時に、見せてしまったのでその効果はない。
 まだある。何時の間にか帰宅してビールを飲んだらしく、今日は二日酔いでダウンのようである。追い出す事も、出て行く事も出来ない私は、「マスオさん」のように耐え忍んでいるのである。それこそ、当欄を覗かれたら、またしばらく口を利いてもらえなくなる。 p.m.8:50



1/30 今日の大地行きに参加出来ない「山ノ神」の怨念(雨降れコール)が天に通じたのか、私が自宅を発つ前から霧雨のような感じで降り始めていた。その雨は、集合場所まで降り続き、途中では「こりゃどうなるのだろうか!」と思う降り方の時もあったのであるが、ゲストの「シュンちゃん」「ゆかりさん」、そして特別ゲストの「キヨミちゃん」を含めた10名全員がまだ暗い中顔を揃えた。始めから雨具を纏ったものの、そのパワフルなメンバーの熱気は、「雨降れコール」まで、吹き飛ばしてしまったようであった。
 相ノ又トンネル上から、すぐ621mを目指す「長勢ルート」は、急登を凌がなければいけないが、若い衆に引っ張られて、この時期としては、4時間を切るという「立派な戦績?」をあげる事になった。気温が高く、腐った雪に足を取られる事もあったが、深く沈む事がなく、予報を考えれば、それをはるかに上回る展望に、メンバー全員が歓声をあげてくれていた。
 私がずっと温めていた「一月の大地」は、ラッキーな気象条件と、凄いメンバーによって成し遂げられ、「山ノ神」にどれだけ妬まれても、心の中ではニタリである。 気温が高くても、大地山頂の風の強さはいつも通りで、高く積み上げた雪ブロックの間隙を縫って、我々の身体を冷えさせるものであった。しかし、我々の熱気は、それを上回り、設営から後片付けを入れれば、4時間近くも山頂に陣取ったのである。
 予想を下回る初雪山の積雪は、チョッピリ白さに欠けたような気もしたが、今後の降雪次第では、きっとなお素晴らしい姿を、「初雪山ファン」に見せてくれるに違いない。また行きたい。何度も通いたい。



1/29 行く予定のなかった二上山に、ちょっとだけだったけれど、また行ってしまった。富山からワザワザおいでた豊岡さんと会い、僅かな時間であったが並列して歩いた。山愛する人と、また一人知り合いになった。きっと、また何か良い事がある予感がした。
 立山連峰がくっきり見える素晴らしいお天気は今日だけで、明日から下り坂であるという。でも、明日の午前中だけでも、お天気が我々に味方して欲しいとの思いは通じないのであろうか? 福井の宮ちゃんは「やっぱりダメ!」との事であったが、明日は大地の頂きに立つ事も目的の一つであるが、私としては、多彩なゲストと共にの山行に意義がある。血気盛んなラッセル隊を抑えながら、それぞれの山への思いが成し遂げられれば最高である。 p.m.11:35



1/28 「また行くの?」 「山ノ神」に見透かされていたようである。「なら、一緒に行くかい!」 となり、まだ薄暗い時に、二上青少年の家を出発した。途中、スノーシューの使用を「山ノ神」に替わったのであるが、結構頷いて歩いていたようである。やれやれ、これでスノーシュー購入の件も何とか落着したとの思いである。しかし、私自身は荷も担がずして、汗が滴り落ちるようでは、30日の即戦力になるわけがないと落胆している。
 明日は全国的に「晴れ」の予報である。「もう一日何とか、もってくれ!」 それが私の偽らざる願いである。「一月の大地」 ず~っと、温めていた企画である。 p.m.11:59



1/27 今朝も二上山に出掛けた。昨日より、もうちょっとだけ早く出掛けた。何事も挑戦(チャレンジ)とは楽しいものである。特に自分が選んだもの、或いは好きな事に対しては、辛くても何だかエネルギーになっていくような気がしてならない。
 何でもないような事でも、実際やってみなければ分からない。「うん・うん」と頷き、やってみようとしたら、てんでわからないPCのようなものである。
 「これならカンジキの方が速いや!」 などと思ったり、「深雪の急斜面はなかなかいいぞ!」 と思わずにっこりしたり、ズボッと雪中に突っ込んだと思ったら、スノーシューが外れていた。何度もそんな事があったから、きっと装着の仕方が悪いのであろう。次回ラッセル隊に指南を受けよう。(志願ではない。)

 今年の山行記録に、昨日も今日も二上山を載せた。元日も合わせると3回にもなる。「二上山は、山に入らない」などと聞こえて来そうであるが、冬登れば冬山で、雪がある時に登れば雪山である。何も有名な、そして高い所だけが山ではない。「百の山頂に百の喜びあり」の如く、その人、その時の思いがあり、他人があれこれ言う事でもなかろう。「また牛岳?」と言われても、その牛岳も、この二上山にも登れなくなる時が、いつか来るのである。もう少し登りたい。もうちょっとだけ、山に行きたいの延長線として、出来たら、ず~っと登りたいのである。足を大事にしながら、それなりに鍛えながら、若い彼らを羨みながら、どんな歳をとっても、「たまには、元さんを連れて行ってやろうぜ!」などと呼んでくれるような状態でなければいけない。 p.m.7:30



1/26 昨夜買ったスノーシューには、ちょっとでも楽に、少しでも遠くへの思いがある。しかし、あの男達は、それを買っただけでも、前へ行けとばかりに、ラッセルを強要するに決まっている。術後もそうであった。「大丈夫ですか?」 などと言いながら、いつの間にか 「もう完治ですね!」 に変わって来ている。俺は若くないと言っても、黙殺されている。あ~あ、困ったな!(慢性好山病である。)
 でも、そんな事は言ってられない。まだ暗いうちに、スノーシュー早朝訓練と題して、こっそり床を離れた。初めての訓練なんだから、近くの古城公園でもよかったのであるが、やっぱり低くても山がいいと思い、元日にも出掛けた二上山とした。いざスノーシューを着けるにいたっても、説明書を読んでもいないし、仲間のものも、そう深く観察していなかったので、時間を食ってしまった。
 しかし、事の他快適であった。“ でも浮力が足りない。” “付属品のテールを買わなきゃいけないのだろうか?” “Televatorは予想通り便利だと思った。” が、今日の感想である。ちょっとの時間しか歩けなかったが、汗びっしょりになり、違った筋肉が痛くなるようである。。カンジキより「楽」などとは、まだ分からない。体重を落とすか、荷を軽くしなければ、今度の山行から、辛い辛い山行になるかもしれない。「若者よ! 年寄りを労われ!」 p.m.2:10



1/25 雪降る中、若いもんの真似をしようと、閉店間際の山用具店へ飛び込んで、スノーシューを買った。「お金がないのに・・・」と、また「山ノ神」に叱られそうで、ついでにと言ったら、尚更叱られるかもしれないが、「山ノ神」用に、一番易いストックを買って来た。「何処へ行って来たの?」 「いや、ちょっと!」 そして、一番目立たない所に置いた。(隠した。) ついでに買った「山ノ神」用のストックも、イザという時の難を逃れる時のために、もうしばらく、そ~っとしておく事に決めた。現状からは、あまり高価なものは買えなかったが、それでも気分はルンルン。でも、「山ノ神」の顔がまともに見れないのと、一ヵ月後の支払日の事を考えると、頭を悩まさなければならない。



1/24 何処から何処まで、好山病友の会のメンバーか分からないと言いながら、直近のメンバーは9名と固まって来た。その内の8名が参加した肉蔵山は、これと言って特徴がなく、長~く杉林の中を歩いたわけだが、前日の予報の事や、路面の凍結、そして、歩行中のやり取りなど、想い出深いものになったような気がする。今は感じなくても、時間が経つに連れて、何だか変な所に連れて行かれたなどと、肉蔵のネーミングと共に、納会(あるかないかは分からないが・・・)では、きっと話題に載るのは請け合いである。ず~っと、降り続かなかったお天気だけに、ちょっとだけでも、剱岳や毛勝の山々が姿を現せてくれたら、もっと印象深いものになったであろうに・・・。鍋冠山や大辻山だけ眺めでは物足りなかったであろう。

 「好山病・・」メンバーが9名と述べても、正直なところよく分かっていない。会友・特別会員・名誉会員・「ゲスト」など称して、かなり順応性がある。「楽しければいいじゃない!」「あまりの大所帯になっても・・・」 などと、いつも、はしゃぐメンバーの歳の差は二周りもある。「気が合わなくちゃ!・・」 「原則として月曜日が行動日。」 の他は、関係のない事であるが、酒豪揃いで、タバコはすわない。皆が明るい。そして、気遣いが感じられる。
 私は、山に登れる事に感謝しながら、仲良く楽しく、ず~っと続く事を願っている。 p.m.5:30



1/23 大雪を想定して、集合時刻をちょっと遅くしたり、山行予定の代案も用意されたが、気温は低くともあまり降らなかった。早乙女湖奥の最終除雪地点まで車を入れてみたら、いつの間にか当初計画の「肉蔵山1,101m」へと足が向いてしまった。標高差800mの山を登るにしては、スタートが午前8時となり、果たして山頂に届くのであろうかの不安もあったのだが、今日も若きラッセル隊に引っ張られて、何処が山頂か分かるぬ頂きで宴をあげてきた。上市第二ダム(早乙女湖)へ流れる小又川と千石川に挟まれた尾根上にある肉蔵山は、その先を進めば、大辻山から臼越山への稜線上の1335mのピークに達するという馴染みも薄く、本当に目立たぬ山であるが、「越中の百山」の一座である。午後0時40分登頂でも、「長勢スペシャル」が施され、天井には特性のタープまで設置された。その-8℃の山頂で2時間半も過ごし、除雪最終地点に戻った頃は、またまた薄暗くなりかけていた。



1/22 雪マークながら、今週はあまり降らなかったどころか何度も陽が差した。なのに、今日の午後から、また降りだしてしまった。そして、大雪だと予報は驚かす。危険を回避するためにも、その注意を素直に受け止めておけばいい事は承知しているのであるが、時々アゴテンを食らう事がある。いい方に外れるのだから、「良し」とすればよいのだが、まだ人間が出来ていないと言えばよいのか、修行が足らないと言えば良いのかわからないが、すぐ頭に来てしまう。でも、最近は、人前では平静さをよそう事が出来るようになったのは、たくさん餅を食った他ならない。大雪でも困る。そんな事はないはずだが、晴れれば面食らう。どちらにしても、上市に集合した時点で判断しなければならない。明朝はかなり冷え込むという。また車のドアが開かないかもしれない。 p.m.10:30



1/21 私の同級生や親戚は、私の事を「元ちゃん」と呼んでくれる。友人の娘さん達は、私の事を「元三さん(げんぞうさん)」と呼んでくれる。それが、結構気にいっており、晩年自分の子供達や、もしかしたら、孫達(まだ子供達は結婚していない。)にも、その「元三さん」と呼ばれるように元気でいたいと思っている。山の仲間達に目を向けると、あの有事以前に知り合った方は「元ちゃん」と呼んでくれるし、その後に知り合った方は、現在のHPの通り「元さん」であり、それの差は鮮明である。でも、それはどちらでもいい事であり、自分で付けた名であるから、気に食わぬわけがない。また、親子ほど離れた方から「元ちゃん」も、ちょっと照れくさい。この先「元ちゃん」と呼んでくれる方々とず~っと一緒に元気でいたいと思し、また、「元さん」と呼んでくれる若い方々と、少しでも長く山に行けたらなどど思う今日である。 p.m.10:10



1/20 この頃よく涙が出る。ドラマを見ていても、本を読んでいても、すぐ「く~っ」となる。感じやすくなったのか、それとも、だらしなくなったのか、自分でもよくわからない。若き頃は、「涙流してなるものか!」 と必死にこらえたものであるが、今はこらえようがない。恥ずかしいくらいに涙が出てしまう。若き頃の涙は、錯覚かもしれないが、何故か美しいような気がした。その生き方に感動したり、その痛みを分かち合ったような涙であったような気がする。今は打算を感じながら、連鎖もなく、その一つ一つに反応しているに過ぎないのかもしれない。しかし、山に対峙して胸が熱くなる事はだけは、今もず~っと変わらない。でも、山仲間が多く出来た近頃は、楽しくて面白くて、感傷に耽る間もない。ならばと、山頂に立った時や、下山時に交わす握手に感謝の意味を込め胸を熱くしている。山は、「逃避」でなく、何時までも「挑戦「(チャレンジ)」がいい。それは、どんな形であってもいい。 p.m.10:35



1/19 予報はず~っと、低温・雪マークが並んでいて、これは次ぎ行く山の選定が難しいと思っていたが、このところの2~3日は、気温は低いものの降雪も少なく「こりゃなんじゃ!」 となっている。「困っている。」 「悩んでいる」 「同じと所ばかりじゃ!」 と嘆いていたら 「でも行くんでしょ。」 と言われてしまった。深雪でなければ良いのだが・・・1000m(標高)は超えたい。



1/18 「HPを開設していると、さぞかしメールがたくさん来るでしょう?」  と言われる事がある。山行に関しての連絡時などは数は増えるものの、平生は負担になるようなものではない。しかし、ずぼらな性格上、また、気分の乗らない時などは、どうしても返事が遅れてしまう事がある。でも、遅れようと必ず返事を出すように務めている。それが、連絡のメールであってでも「了解!」などと簡単でも送る事にしている。
 しかしながら、過去に2回だけ返事を出さなかった事がある。一つは、静岡県の方であったろうか、どうして私のHPに辿り着かれたのか分からないが、その文面からして、主義主張があまりにも私の考えと隔たりがあり、且つ山の愛好者でもなかったので、悪いが削除させてもらった。
 もう一つは、一等三角点を目指しておられる東京の方で、初めは「濁谷山」を尋ねて来られた。私の出来る限りの資料をお送りしたが、二度目は、氷見市と石川県境にある蔵王山(高坂山)の事を尋ねられたのであるが、私は山名こそ知っているが、行った事がなければ、その知識もなかったので、友人・知人に教えてもらった事を知らせてあげたのであるが、何の連絡もなかった。半年だったか、一年経ってからであったか忘れてしまったが、「行って来ました。」 とメールが届いたが、私は何だか腹が立って無視してしまった。今を思えば大人気なかったと後悔をしている。メールでも一つの出会いであるから大事にしなくてはいけないと思っているが、顔が見えないながらも相性というものがあるような気がしてならない。

 今日、こんな(下記のような)メールが届いた。
突然のメール失礼します。 東京大学ワンダーフォーゲル部3年生の■■■■と申します。 3月に部で大平~初雪山~大地山~黒菱山~大平の山スキー周遊を計画しようとしています。 ところが、大地山~黒菱山の稜線を縦走した記録が中々見つからず、情報が不足しています。地図を見る限り、この区間は稜線はかなり細く切れていそうで、情報不足のまま行くわけにもいきません。 そこで、実際去年の3月に縦走なされた元さんのお話を詳しく聞ければと思いました。実際にやはり細い稜線なのか、細いとして足元は不安定なのか、落ちたら危ないのか、木々は生えているのか、黒菱山~大地山まで大体どれ位の時間で行けるのかなど。また、もし他にこの稜線を歩いた記録などをご存知であれば、それも教えていただけるとありがたいです。 お忙しい中とは思いますが、よろしくお願いします。 ■■■■

 どんな経緯で私のHPに辿り着かれたかわからないが、何故か嬉しい。若い人が山に入ってくれる事には尚更であるから、私の知っている事は全部教えてあげたいつもりでいるが、私はちょっとだけ、自称「山ヤ」だと思っているが、他の人に思われるほどの技量も才覚も持ち合わせていない。山岳会・山岳クラブ・同好会などから問い合わせが来る時には、私は大した事がないのですと、必ず先に述べるようにしている。



1/17 スキーゲレンデから離れて何年になるであろうか?何処からでも降りる事は出来るが、それ以上うまくならないジレンマと、リフト代が掛からない事もあったが、何と言っても静寂な山中を自由奔放に駆け巡れる雪山歩きの魅力に吸い込まれていった。それは、低山であっても、自分の世界を作り上げるには充分であった。しかし、最近自分の周りにも山スキーやスノーシューが横行し、自転車で歩いている横を、自動車が駆け抜けて行くようでもあり、自分の衰えていく脚力と共に、空しささえ感じるようになって来ている。
 なかなか買えなかった山スキーは、もうとっくに諦めたが、スノーシューは、ちょっと奮発すれば、手が届きそうな気もするのであるが・・・、「山ノ神」はなかなか首を立てに振ってくれない。 “ それは、また自分の世界から抜け出そうとする私を、鎖で繋ぎ止めようとしている何物でもない。”ようである。翼を折られて10年余り、まるで私は「山ノ神」の籠の中に閉じ込められてしまっている。山でエライ顔をしていても家に帰れば、掌の上に乗っかっている唯の「おとっつあん」であり、今にも吹き飛ばされようとしている。私は、ウワキどころか、何にも悪い事はしていない。(24時間365日、そして、休日までも一緒なのである。今や「翼を下さい!」が私のテーマソングなのです。)



1/16 「北ちゃん」提案の雁谷峯・二王平峯経由での南保富士・二王山行きに乗った。この時期に、「好山病・・」準若手?(北ちゃん・田村氏・ねぎちゃん・山ノ神と私)だけで行けるのかとの不安もあったが、それこそ、乗りに乗っている「好山病・・」雪崩注意報も何のそのであった。
 しかし、最初からつまずいた。除雪終点横の民家に、「更に除雪して、駐車スペースを作るから、止めさせてください。」 とお願いをしたが、やんわり断られた。道路の膨らんだ所などいろいろ模索したが、住民の方々の生活に支障が出たりしたら、まずいしと右往左往していたら、「捨てる神あれば、拾う神がある。」 もので、 「私の駐車場に止めなさい。」 と言ってくださった工務店さんにお願いする事になった。
 もちろん、「北ちゃん」の掛け合いが、あったからこそでもあるが・・・・その「北ちゃん」が終始先頭を突っ走り、我々を導いてくれた。ヤブが煩くなると、尚更元気に進んで行くのにはたまげてしまった。三峯から登る無雪期の南保富士のコースと違い、それはそれは凄く、「これは、どうなっていくの?」 などと思う所もあったのであるが、高度をあげる度に、我々の感嘆の声も次第に高くなっていった。
 ところが、反対斜面に巣から出た熊が現れ、我々の行く手にもたくさんの足跡を見、また、熊棚や巣らしきものが、幾つも見た時には、「複数の熊?」 とあまり良い気持ちにはなれなかった。「真冬に熊? 熊は冬眠していないの?」 「熊にもいろいろなのがいるのだよ!」 「今年は雪が降るのが早かったし、ここへ来て暖かくなったので、春と間違ったのでは?」 などと 「熊よ来るなよ!」 「近付くなよ!」 とお互いブツブツ言いながら先を進んだ。
 大きいアップダウンがあるやに見えたが、それは意外とそうではなく、益々視界が広がって行った。南保富士の山頂には構築物があるものの、その展望は素晴らしかった。大鷲山からの展望に勝である。その先の標高差60mの二王山に未練があったが、その見晴台と宴時間の誘惑に負け、シャベルで長勢スペシャルではないが、準若手スペシャルとでも言おうか、こじんまりしたテーブルとベンチを作った。素晴らしくて、楽しくてどれだけ山頂に留まっていたか、わからないほどであった。本当に、もうちょっとであった二王山にもちろん未練はある。また来たい行きたい山である。
 笹川に架かる田中橋付近にある折谷様の駐車場を借りたわけであるが、お礼の挨拶に行くと 「6時まで車があったら、捜索隊を出そうと思っていた。」 などと冷やかされ、「また来られよ!」 とニコニコ顔で対応してくださり、笹川に好印象を持って後にした。この辺に、清水ゆかりさんの朝日小屋連絡所があると聞いていたが、さ~っと通り過ぎる私達にはわからなかった。



1/15 今日のハレルヤ山行は「好山病・・」から、橋本・長勢君が、また、自称「北ちゃん」の弟子を名乗るイッちゃんが参加され合計10名となったが、その内、スノーシュー隊4名となり、ペースが随分速くなってしまった。
 「山頂に届かなくても・・」の出発前の挨拶も、何処かへ吹っ飛んでしまい、山頂まで悠々4時間で届いてしまい、そのご褒美としての山頂での宴会は、またまた長いものになってしまった。
 我々の匂いを嗅ぎ付けて来られた「ヤブのまっちゃん」が、またまた登場となった。その後、先般牛岳でお会いした、西本氏が登場、ハレルヤの連中は、一昨年大日岳でお会いした事を思い出したのである。
 暖かいもののガスに覆われた山頂であったが、これこそ一瞬であったが鍬崎山から毛勝山まで、雲海の上に浮かび上がるように現れたのには、全員「オーッ」と声を上げて手を叩いた。いつの間にか「シュンちゃん」の美声で「山と仲間」をこだまさせた。最後は、茂樹ちゃんのカンジキを履いた月光仮面でお開きにして、一目散に山を降りた。9時間を山中で楽しんだ我々を待ち受けていてくれたのは、缶コーヒーの差し入れを持って現れた「まきちゃん」であった。 p.m.10:50



1/14 予報が良い方に、少しだけ前倒しになりそうである。「雨でも雪でも行く!」を見込んでか、明日の大辻山は、10名が集う予定である。ハレルヤ山行に、「シュンちゃん高山病からの復帰山行」のサブタイトルを付けさせてもらった。 p.m.8:50



1/13 今晩からお天気が崩れるようである。崩れると言っても、雪でなく雨の予報で、気温も 高くなるようである。低山でも雪山の雨はイヤである。こうなると、今期2回目のハレルヤ山行(1/15)の行き先選定も難しいところである。
 翌日の1/16は、その雨が止みそうであり、もしかしたら、先週の大鷲山のような青空とはいかないまでも、好天が待っているような気がしてならない。でも、今回ばかりは、主力(元気者)を欠きそうなので、我々の体力に似合った山行になりそうである。
 今晩、Respirar坂本氏宅(元ちゃん山荘)に、またもお招き頂いているが、2ヶ月に一度ぐらいの間隔であったが、だんだんその周期が短くなり、今回は3週間ぶりとなる。山歩きと同じで、こんなにいつも楽しくて良いのだろうかと、自分で自分を疑ってしまうのである。 p.m.6:15



1/12 静脈瘤の術後2ヶ月が過ぎた。「その後、どうですか?」 の気遣いを何度も受けているが、自分でもよくわからない。山仲間は「元さん完治だね!」 と言ってくれ、対等に扱ってくれる。それは山登る者として実に嬉しい。
 強力ストッキング使用のため血流が悪いからであろうか、足の3本の指先が「しもやけ」状態である。床に着く前に、風呂に入らないと足が冷たくて眠れない。違った静脈が飛び出て来た。これが現在の私の症状である。膝にも問題があるのかもしれない。普通に歩けるのだから、良しとしなければなのかもしれないが、何処かもどかしい。もっとしっかり歩きたい。もっと元気に歩きたい。こんな気持ちは、幾つになっても、ず~っと続くのであろう・・・・ p.m.4:40



1/11 長勢君の友人の岩城君、その会社の同僚(もしかしたら後輩)の浅井君から 「大鷲山は楽しかったです。」 とのメールを頂いた。何らかの縁があり、親子ほどの歳の差を越えて、あの素晴らしい山行を、ご一緒出来た事は、当方にとっても実に光栄である。またご一緒したいなどと、欲張りな事は言わないが、時々は思い出して頂ければ幸い、たまに声を掛けて頂ければ、この上ない喜びである。
 その代表的な存在である長勢君と出会ってから、1/16で満1年になる。「そのうち、彼も飽きるだろう!」 「そのうちイヤになるだろう!」  と思っていたのに、「よくもまあ~、続いているなあ~。」 と感心している。これも私の周りにいる「北ちゃん」やeiko女史らのお陰に違いない。それにしても、私の山の友・メル友は若返っていく。その事において、私は自分が若返らなくとも、時々老けるのを抑えてくれる活力になっていると感じる事がある。それは、若い人と付き合うには、それ相当のエネルギーが必要だからである。そんな繋がりを持たせてくれる「山」に感謝し、私の年代には時々毛嫌いされるネットにも感謝である。
 そんな事を思えば、私の親のような寺口氏にも、こちらから盛んにアプローチしなければ、罰が当たるかもしれない。大正生まれの寺口氏とは、二度しかお会いした事がないが、私の山の友であり、人生の師匠でもある。もちろん彼は、ネットの活用者である。 p.m.11:59



1/10 山から帰って、遅々に小屋根の雪降ろしをした。大屋根の瓦が破損しているのは分かるが、ちょっと怖くて上がれなかった。今日は、その降ろした雪の始末に追われた。遊んだ後に、家主としての当然の事をしたのであるが、昨夜から「山ノ神」の機嫌が悪い。大鷲山の感激を美酒で味わいたかったようだが、相手が屋根の上では、そうそういい気分になれなかったのであろうか? 「心配でならなかった!」 が言い分であったが、本当は先に述べたように、いい気分になれなかったが、本音のようである。私としては、「何も悪い事をしていないのに!」 叱られているようで、割が合わない。また、しばらく「だんまり」が続き、暗い空気が流れそうである。
 そんな折、タイミングよく、福井の「宮ちゃん」から、「早くラッセル隊を送れ!」 の絵手紙が届いた。流石の彼女も、お正月は近くの低山に甘んじたようである。



1/9 快晴に近い晴天で、今日の大鷲山は、理屈抜きで素晴らしかったし楽しかった。長勢夫人の雪山デビュー、岩城君の同僚の浅井君の参戦、初めて最初から、長い距離を、ご一緒した池田氏など、私にとって何もかもが新鮮で楽しかった。
 海に近い大鷲山の素晴らしさは、後にHPに載せるにしても、ヒマラヤから帰って、チョッピリ身体を壊した「シュンちゃん」が、集合場所の朝日ICに、暖かいコーヒーを持参して激励に来てくれただけではなく、取付き地点まで来て見送ってくれたのには、恐縮しながらも非常に嬉しかった。
 その盟友である堀シェフは、ハレルヤを代表しての重責を担いでか、雪山の山頂で鯛の姿作り・スパゲティー、また、大鷲と真っ黒ネコをイメージしたティラミスをご馳走してくれたのであるが、その素晴らしさに、参加者は皆、どきもを抜かれたに違いない。
 青い海の彼方に能登半島が見え、初雪山や剱岳や毛勝山などが、最後まで姿を隠さず、我々の山行をより良いものにしてくれた。この時期、当たり前のように山頂に立っていたが、今日も長勢・岩城両君のラッセルに助けられたのは、承知の事実である。また、謙遜の塊である池田氏の身の軽さと、脚力には皆驚きっぱなしであった。この良い日に、所用で参加出来なかった方々の心中をお察し致します。 p.m.11:59



1/8 この大雪で「好山病・・」と「ハレルヤ」との初合同山行の企画が流れた。しかし、仕事や所用で4名を欠くが「好山病・・」の面々は、頭から中止などない。それが、「好山病・・」なる名の如しである。しかし、その中から、堀シェフ(ハレルヤ)が無理をおして参加してくれる。また「花じい」そして、尖山で再会した池田氏も同行の予定である。いつものラッセル機能に狂いを生じるかもしれないが、長勢君の盟友・岩城君(わんちゃん)が、橋本君やまきちゃんの代わりをしてくれるに違いない。本命の「北ちゃん」がいるし、そして、声が掛かるのを待つ堀シェフ、また知る人ぞ知る「花じい」の脚力を久々に見る事が出来るかもしれない。当てにならぬかもしれないが、「晴れマーク」もある明日の「大鷲山」行きは、どのような結果になるか、お楽しみにしていてください。 p.m.10:50



1/7 今日も「北ちゃん」が作ってプレゼントしてくれた「突坂山」のDVDを、飽きもせずまた見てしまった。「雨飾山」と共に私の宝物である。何度見ても、私が歳を取らないのであるから、それは貴重なものである。今年も一回でいいから、何処かの山で撮ってもらえないかと願っている。でも、誰かアシストしないと、彼が写らないのだから、今度はちょっと考えなければならない。



1/6 大分正月気分も薄らいで来たが、一般の方々は明日からまた三連休であるから、それが終わってから、本格的な活動(仕事)になるかもしれない。今日も届いた年賀状を含め、元日から何度も何度も読み返している。私自身、以前は幾パターンかの年賀状を作り、使い分けをしていたが、最近は、もう山一辺倒で行っている。何が何でも山である。好きであろうが、嫌いであろうが、「私は山が好きである!」と記している。その甲斐あってか、最近は相手方からも「山」を話題にしてくれるようになってきた。「山はいいでしょうね!」 「自然はいいですね!」 「私も行ってみたい」 などは、ちょっと微笑んでしまうが、「また、山ですか?」 「そんなに山がいいですか?」 「いい加減にしたら・・・」 などのコメントには、閉口してしまうが、その一筆書きには満足している。年賀状もPC仕様が多くなっていく時代、如何に個性を出すかが問われるようになって来ている。



1/5 明日帰阪する息子達、明後日帰京する娘と共に、家族5人揃っての食事は何年ぶりであったろうか? それは私にとって、何よりも嬉しい最高のお年玉であったが、好い気になっていたら、最後は一人台所に取り残されていた。おそらく「山の夢」を見ながら、舟を漕いでいたのであろう。「もう寝たら!」 「いや!寝ているのではない。目を瞑って考え事をしているのだ。」 これが、二人だけの日常的な会話になりつつあり、最近は、その会話のやり取りの突っ込み側と、ボケ側が、入れ替わる事もあるのだが、あまり多くは語れない。
 

1/4 前日の小佐波御前山・雪の避難小屋で、橋本君制作の「好山病ステッカー」が披露された。WORDを活用したそうだが、なかなか面白いものだと思った。次第に話が盛り上がり、その札に魂を入れて、入会者に売ろうと言うものだった。やり玉にあがったのは、その日城ヶ平山へ行っている「イッちゃん」で、高く売りつけようと言う事になったが・・・・・
 欲の塊の私は、こっそりその札(ステッカー)を全部持ち帰って、お金の山の夢(教祖様)を見た。しかし、その札を知人に見せたら、「これは、暴走族が車に貼っているのと同じじゃ!」と言ってちゃかされてしまった。ふと考えてみると、好山病の輩は、皆「山の暴走族だ!」飲み物も食べ物も全部食い尽くしてしまうハゲタカ集団でもある。
 でもである。心は優しく思いやりのある者ばかり・・・・最近心掛けているのは、ゴミは捨てないのは当たり前であるが、「ゴミを落とさない。」そして、極めつけはタバコを吸わないのである。
 山では自重気味であるが、何故かしらねど、酒豪揃いである。当日ゲストであった岩城君は、盃一杯のお酒も飲めないのに、どうしたわけか、自分から唇に含ませていたのは、雰囲気がそうさせたのであろうか?それとも、寒くて飲まなくてはいられなかったのだろうか? 真意は本人しかわからない。



1/3 悪天を予想して、「北ちゃん」が、屋根のある小佐波御前山を提案してくれたのが正解で、「ねぎちゃん」や「まきちゃん」が参加出来なかったものの、「好山病・・」の登り始めとなった。小佐波ルートは、新鮮なもので、膝上まで・時には腰まで雪に沈みながらの揃い踏みの山行は、皆生き生きとしていた。特に長勢君の同級生の岩城君が参戦し、「真っ黒ネコ三銃士」は、名の通り闇雲に斜面にアタックしていた。風雪が強まれば強まるほど、「北ちゃん」企画に拍手が送られ、宴も3時間を有に超えた。この山頂に、池田氏や「ヤブのまっちゃん」、また筏井夫妻が挑んで下されたのであるが、残念ながらお会いする事が出来なかった。県東部を中心に降った雪は、我々の車を埋め尽くそうとまでしていた。 p.m.11:15



1/2 もしかしたら、独身最後のお正月になるかもしれない東京の娘のために「山ノ神」はお休みである。そして、“ おまえは?” 「行かないと死ぬから・・・」の理由から単独で牛岳に向かう。
 昨日の元日であろうか、それとも大晦日だったのであろうか、多くの方々が牛岳に来られたようで、雪の遊歩道が出来上がっていた。小雨がぱらつく生憎のお天気であったが、あまり沈まず、歩く事においては好条件であった。しかし、天邪鬼ではないが、正規のルートの沿った遊歩道を嫌い、すぐに西側にあたる急斜面の直登を選んだ。杉の植林地帯や雑木林通過し、向かいの八乙女山を眺める頃には、雨がミゾレに変わった。
 五合目からは、その遊歩道に身を預け、余計に掛かった時間を取り戻しに掛かった。雪になったが、五合目から権現様のある牛岳頂上まで1時間半足らずで行けたのであるから、新年リハビリ第二弾としては、まずまずの成果であった。やはり牛岳も雪量が多く、祠がすっぽり雪に覆われているのは、お正月としては久し振りではなかろうか?
 雪降る中、菓子パンを無造作にかじっていると、下の東屋から声が掛かった。利賀側の南尾根から登って来られた7名のグループであった。その中に、土倉山であった「金沢の豆ちゃん」、そして、その相棒の村中君(この二人は、涸沢岳で長勢君に会っている。)また、一昨年の6月に、大日岳でお会いした西本氏がおられるではないか。また、リーダー格の賀久氏は、何年か前のお正月に、同じ牛岳で西尾根から登って来られた時お会いしていたのである。
 そのグループの名は、「我慢クラブ」だそうであるが、私から見たら野武士集団のようであった。彼らの下山ルートの西尾根に、私も同行させてもらったのであるが、これを登るとなると相当の体力がいるコースであろう。 どちらにしても、私としては、牛岳96回目にして初めてのルート、お正月から「豆ちゃん」に会えるし、車で送ってもらえるし、良い事尽くめで、ハッピーな一年になるかもしれない。p.m.8:10



1/1 30年以上務めた管鮑会(高校時代から有志の会)の代表を昨年辞した事や、その新年総会の開始時間が、夕方になった事から時間が出来、好天でもあり、ちょっとだけ遠くと思ったけれど、二男はすでに帰省しているものの、長女と長男が今日帰省するらしいとの事なので、やっぱり地元の二上山・大師ヶ岳行きとした。
 歩き始めはまるで、鉛の靴を履いているのか、それとも義足でもつけているような違和感があり、二上山頂上までは、荷を「山ノ神」が担いでくれた。おっちょこちょいの私は、正月早々、免許証は忘れるし、トレースのない大師ヶ岳へのルートから少々西に外れ、谷から戻るのに難儀をした。極めつけは、山頂に着いて食事をしようと思ったら、ガスは2個あるものの、コンロが見当たらないのである。新年早々ドジばかりで、この先が思いやられるのであるが、大友家持像の前では、後輩のsekkyan君と出会うし、下山時には、登って来られた高岡の高田夫妻と鉢合わせになるというステキなプレゼントがあった。ヒョンな事から、氷見の川崎氏と名乗りあったり、家に戻れば可愛いワンちゃんを連れて擦れ違った男性が、何度かメールを頂いた事がある高岡のO氏である事が分かった。山とは実に不思議な所である。そんな事で、二上山・大師ヶ岳に5時間を費やしてしまい、かなりの訓練・修行となったのであるが、沢山頂いた年賀状も見ずに、新年総会へ急がなければならないという不覚をとってしまった。 p.m.11:05