4/30 明日は、日本海側の北陸から北海道方面にかけて、午前中雨が残る予報が出ている。その北陸も富山・石川が境になるのか、富山・新潟が境になるのか、明日になってみなければわからない。明日は黒部峡谷に出かけるので「山ノ神」と別行動である。3週間後の娘の結婚式に、真っ黒な顔は、まだ良いにしても、出席出来ないような事にだけはならないで欲しいとの事、そして、「そんなにしてまで行きたいのか?」と言いたいような眼差しである。 p.m.4:30



4/29 若い衆に誘われると、嬉しい反面不安が同居する。唯でさえ自信を失いかけている脚力故に、目的が達成半ばになったりして、迷惑にならないだろうかと、なかなか決断が出来なくなる。彼らは、日頃の私の状態を考慮しながら、誘ってくれているに違いないが、私は私で、念には念を入れないと申し訳なさが先行してしまう。
 彼らの目指す所は、すんなり行ける所ではないが、でも、そんな機会を大事にしなければ、益々老けていくのかもしれない。 これを機会に、自分が山行計画を作るにあたっては、反対の立場になる事もありそうなので、充分考慮しなければならないようである。

 

4/28 「愉快な仲間達」に登場する(勝手に載せている)方々に、「もうチョット良い写真を使えないか?」 また 「私の思いと違う!」 などと、時々クレームを付けられるのであるが、大方には、「また勝手に好きな事をやっているわい。」 ぐらいに受け止められているようである。プライバシーが云々の時代であるのに、断りもなく、しかも顔写真まで載せるのであるから・・(お許しくだされ! 怒られないと信じている方しか載せていないつもりですから・・)

 いざ、顔写真を載せようとすると、なかなか無いものである。こんな写真を載せると、「それこそ叱られるだろうな?」 とか また、「改めて撮らせてください。」 なども言い難い。
 「何処まで仲間?」 「皆仲間だよ!」 唯、行動を共にする機会が、あるかないかだけである。



4/27 山の遭難がニュースになると、「お前は保険に入っているのか?」となる。その内にと言いながら、ず~っと入っていなかった。どのようなタイプの保険に入ればいいのか分からないのと、未組織のグループにとっては、なかなか損害保険会社が積極的に勧誘しないからかもしれない。でも、取りあえずという事でネットを通じて、「オールラウンド遭難捜索費用保険」に入った。遭難捜索費用・捜索追加費用・救援者費用・死亡後遺障害・傷害医療費用・個人賠償責任が付いているもので、年間一人12、000円。ちょっぴり痛いが、車の保険以上にリスクがあるから、致し方ないというところである。

「ケガが原因で、健康保険指定医療機関を利用した際の公的医療保険制度に於ける  一部個人負担金を補償します。通院治療費、入院治療費、入院時の食事療養費の標  準負担額、差額ベット代、入院・転院・退院に係る移送費などをお支払いします。   ★保険制度の一部負担金とは?・・・国民健康保険の3割負担などをいいます。    ・骨折で入院したり、複雑骨折で手術した時など威力を発揮します。 」

 を意識したから、3,000円高くなった計算になる。それでも、入院・通院の特約を外してである。

 登山・ハイキング保険(3,000円)になると、ピッケルやアイゼンの使用、積雪・残雪期などには適用されず、年間通じての山行を試みるものとしては不十分である。
 上部組織がある山岳会やクラブに入会しておられる方々は、その点割安で充実した保険内容のようである。(特に、病気にも適用されるのがいい。) そこは、>我々のような同好会的なグループの弱点でもある。また、イザという時の体制つくりや、技術修練の場などにも劣るのであるが、「まあ~、ほどほどの山行にとどめておけば!」などと思うが、災難はどんな時にでも起こるのである。



4/26 「いや~恐れ入りました。参加者7人全員登頂ですか。しかも悪天候の中、さらには山頂に2時間半も滞在とは...私には好山病皆さんが、何だか恐山病に見えてきました(笑)。」 私を、いつも叱咤激励して下さる労山の尾田さんから、世辞とも取れるメールを頂いた。(バカな私(達)は、誉められたと錯覚してしまう。)
 彼は、私よりず~っと若いのに、「一年に一度くらいは、一緒に・・・」 などと、落ち目の三度笠の私に、優しい言葉をよく掛けてくれる。でも、もうその優待に応えられる自信はないのであるが、でも、「もしかしたら・・・」、また、「ちょっとでも・・」 などと色気が出てしまう。 
 このように、私は多くの山仲間に、ちょっと擽られるような励ましや、同情を頂きながら、時々曲がらなくなる膝とも付き合いながら、山と親しむ事が出来る幸せ者である。また、日頃、当たり前だと思っている「好山病友の会」のメンバーの心遣いにも、手を合わせることを忘れてはいけないのである。 p.m.10:45



4/25 「昨日のお天気はどうでしたか?」 「そんなに降りもしなかったが、黄砂のせいか霞んでいた。」 山だけお天気が悪かったのだろうか? それとも、予報に反して下界も降っていたのだろうかと、気になっていた事を尋ねてみたのである。
 林道を歩きながら、またブッシュに掴まりながら、eiko女史と「山ノ神」の怨念! あの二人の「雨降れコールだ。」 あるいは、降り続く雨に「祟りじゃ」まで、昨日は飛び出していた。
 当の二人は、大明神山を諦めてから、真夜中に、それも密かに天蓋山行きを決めていたらしい。その天蓋山頂は晴天、しかも、北ア北部方面は、ガスに隠れており、二人は思わず顔を見合わせて、ニンマリだったとか! 「山ノ神」は、私に多くを語らないが、もしかしたら、雪の山頂で、大いに呪いの祝杯をあげていたのではないかと想像されるのであるが、それはヒガミかもしれない。しかし、どちらの山行にも何事もなく、ホット胸を撫で下ろしている。 p.m.5:10



4/24 前大日岳への人津谷林道の橋(土管)が流されている情報を入手したが、どのような状態か把握出来ず、行き先を大明神山に変更する事になった。尾田さんからの情報で、まだ賞味期間であるという事、明朝雨は残るが、好天に向かうという予報を信じての決断であった。それには、前大日岳・早乙女岳を楽しみにしていた二人のメンバーが外れるという辛い決断でもあった。

 午前5時~6時には雨が上がる。遅くても7時くらいには、何とかなるであろうと思っての片貝第2発電所からの出発であったが、一向に雨はあがらなかった。しかし、不思議と止めようなどの声は、何処からも聞こえて来なかった。
 予想通り取付いて、しばらしてから、少々ヤブに悩まされたが、「このようなものは、ヤブ漕ぎには入らない。」と北ちゃんの一喝で、それもそうかと思ったが、スノーシューを持て余してしまった。
 雪を掴まえると、一昨日のものであろうスキーのトレースを発見したが、雨は止んだが視界はなく闇の世界の登高となった。急登を凌ぎ、稜線に出てからの真っ白な世界では、ストックで雪庇を気にしながら、GPSを巧みに操り山頂を踏んだ。
 風当たりの強い山頂で、一瞬でもの展望を期待しての宴会場の設営となったのであるが、今日は入口に強風が吹き込まない対策を高じてみたが、いつも入口で震えている私に取っては奏効したと感じられた。(これからはこのタイプを採用になるであろう。)

 「この時期に、単独でなく、これほどのメンバー(7名)で、しかも視界のない大明神山に足を運んだなどという事は、過去にあまり例がないのではないか?」 驕りではなく、山頂を踏んだメンバーに対しての誉め言葉に、何故か酔いしれて、満足感が漂っていたように思えてならなかった。雨の中を午前5時半頃出発し、車に戻ったのが午後7時である。山頂では宴会場建設時間を含めれば、2時間半程滞在した事になるから、やっぱり凄い!「今回参加を見合わせた二人を、次回(来年以降)に空身で招待しよう。」などとの意見まで出て、いやはや、その時に、私は歩けるのであろうか?



4/23 昨夜半と今朝に、有志から大明神山と大猫山の情報を頂いた。早乙女岳山行の連絡をした後だっただけに、地団駄を踏む事になった。もっとも9名の大所帯になる模様で、早乙女岳どころか、前大日岳までも行けるのだろうかと考え込んでしまう程だから、願望の域で収めなければならないようである。
 標高2000mでは、30cmの新雪を見たようであるし、用具の選択にも苦慮するところである。尾根筋・谷筋共、それなりに注意しなければ、後悔する事にもなりかねない。 a.m.10:45



4/22 可笑しな事に、お日様マークが出て来たが、必ずしも晴天ではないようである。そんな事もあり、当てにして私の連絡を待っててくれる仲間に、ついつい連絡が遅れてしまう。「必ず行く」「中止はない」など、可笑しなところで信用があるようだが、そこが、ちょっと辛いところでもある。

 あるHPで、GPSの事で合戦?が行われていたが、これからの時期の高所では、雪質の見極めとか、滑落しないとかの技術が、GPS論議の以前の問題であるような気がする。でも、私自身、そのような技術を熟知いや精通しているわけでもないので、とても大きな声では言えない。また、同行者のフォローする気遣いや、撤退・断念などを判断する勇気も持ち合わせていなければならないようである。



4/21 「何か綴らなければ・・・」 こんな時が一番辛い時。「毎日に拘らなくてもいいじゃない!」 と多くの方々が言って下さるのであるが、その時は、我HPの終焉であると思っている。チョットの思い付きを綴ればいいのであろうが、その一言、一行が出て来ないのである。「山」を意識しての言葉の羅列だけなのに、出来ない自分がもどかしくて仕方がない。見てもらえる、読んでもらえるという意識がいけないのかもしれない。「高が日記」 されど私にとっては、長~い想い出が記録として綴られているのである。



4/20 4泊5日の「山ノ神」が風邪を持って帰高した。お互いの「余計な一言」が災いして、だんまり戦術の「山ノ神」が床へと消えた。やっと何か違った食べ物をと期待したが、今日も「湯豆腐」となってしまった。流石に5日間の内4回(山中も含めて)ともなると、2丁を食べたゲップと共に、今夜は夢の中にまで、その豆腐が出て来そうな気がする。

 今日は平年と変わらぬ気温であったが、前日が暖か過ぎて、何だかじっとしていると肌寒く感じた。明日になると、もっと気温が下がり、ストーブにしがみ付いていなければならなくなりそうである。予報も週末から週初めに掛けて、あまり良さそうではない。こんな時の山行計画は難しい。暦は昨年と比べて一日ずれているのであるが、同時期には、片貝第2発電所から歩き、僧ヶ岳・北駒ヶ岳へ出向いた。林道歩きだけでも、往復5時間以上費やしているのだから、今更ながらに呆れている。雨でも中止のない「好山病・・」だけに、さてさて、どうしたら良いのであろうか?まだ日にちはある。 p.m.11:15



4/19 昨夜は予定通り夜桜見物と洒落込んだ。50Lのリックに、何もかもドサ~ッ放り込んで古城公園に向かった。(高岡古城公園は高岡市民自慢の公園)リックを担いで夜桜見物とは異様に映るのか、ハレルヤの筏井夫妻に見付かった。自分としては、独りも乙なもんだが、ああ人が多いと、誰か話し相手がいると何だか心強い。ちょっぴり付き合ってもらって、「山の話」で心が安らいだ。しかし、山でも行かないと、独り「感傷に耽る」などという雰囲気にはなれないものである。

   未だ東京にいる「山ノ神」からのメールの返事に、花見の事をを伝えると、「私とは行かないくせに・・もうちょっと帰高を遅らせようか。」と皮肉いっぱいのメールが再び届いた。「どうぞ!」などと、冗談でも言えば、後々のしっぺ返しが怖い。山へしか行かない私が、何か可笑しいとでも思ったのかもしれない。赤祖父山・早乙女岳に続いての湯豆腐のメニューは、山でこそ、その味わいがあるが、古城の夜桜の下では、そう好物には映らなかったような気がする。でも、リックの中に残ったインスタント食品よりは、例え安価な豆腐であろうが、火の通った温かい物は、燗したお酒と共にスルスルと身体に染み込み、またまた宵の宴となったのである。 p.m.11:25



4/18 睡眠時間2時間程が3日も続いてしまった。おまけに2日間雪山を歩いたからであろうか右目が痛い。そんな事もあって、じっとしていると目が瞑れそうである。
 先週は、この日曜・月曜の山行を控えながら、何故かモチベーションが上がらず、迷惑を掛けてしまったところもある。しかし、過ぎてしまえば、結果オーライであった。
 赤祖父山では、ハレルヤのメンバーが多く集まらなかったが、二人のゲストが穴埋めして下さったし、おまけに、その山頂では、大勢の山友達が出来たような気がしている。ハレルヤで行けなかった、早乙女岳へは、これも「好山病・・」の少数のメンバーであったが、好条件の元に行けたし、大日岳への未練もない事もないが、満足に過ごせたような気がする。

 4日間の予定で出掛けた「山ノ神」であるが、もう半日延びるようである。上京しても、「無事山から降りたか?」とか「ちゃんと食べているか?」など、頻繁にメールが来る。ある程度の食材を準備して行ってくれたのであるが、1日千円の予算では、下界で遭難するわけがない。ケチ(貧乏の方があっているかもしれない。)な私は、この機会にその4千円なるものを小遣い(私としては裏金)にしようと企んでいたのであるが、何処を探しても見当たらない。その内、「お金を置いていくのを忘れた。」とのメールが「山ノ神」から送られて来た。これも「山ノ神」の当初からの作戦であったのか。 残念!

 こうなると、家にあるお酒でも持って、それにコンロ・コッヘルなどをリックに詰め込んで、古城公園の夜桜宴会と洒落込もうか?「独りで・・?」 (疑いの眼差しが気になるが・・) 今日は暖かそうであるから、独りででも大丈夫であろう。「山ノ神」と一緒では、こんな風流な事は考えてもみなかった。今宵は、小泉総理の「ちりぬべき 時しりてこそ 世の中の花も花なれ 人も人なれ」の心境を味わって来よう。でも、その時まで、私の目が開いているだろうか? a.m.11:00



4/17 「好山病・・」の山行連絡を受け持つ私のモチベーションが上がらず、その連絡が前夜になり、メンバーに迷惑を掛けてしまった。それでも、私を含め4名で早乙女岳に出掛ける事になった。剱センターゲート集合時刻前の午前4時台前半には、これで予報通り晴れるのであろうかと思うほどの降雪があった。

 しかし、この降雪が、先日来の黄砂を覆い被さるものとなり、再び白いコット谷を演出してくれた。この大きな谷と早乙女岳への稜線は、スキーヤの尾田氏(大日岳へ)と我々以外にはおらず、お天気は元より、雪量・雪質も申し分なく、早乙女山行は大きな○印となった。
 もう一踏ん張りすれば、大日岳に届いたのであろうが、不甲斐ない私のために、早乙女岳止りになったようなものであった。しかし、初めて、この山域に入った「ねぎちゃん」などは、“ 凄い!ここは好きになりそう。また来よう。” などの連発だったように、それはそれは、ステキな山行となった。
 あんな素晴らしいお天気だったが、やはり2000m超の山である。一時であるが、ホワイトアウトになるくらい何にも見えなくなってしまったのである。でも、それは、我々に山談義をするに充分過ぎるくらいの時間をくれたようなものであった。

 いい気持ちで降るに付け、純白に輝いていた雪の表面が、薄茶色く汚れていくのであった。再び黄砂なのだろうか、いや、覆い被さっていた昨夜来の雪が溶けたのか分からなかったが、あのきれいなコットタ谷の様は、もう今シーズン見られないであろうと思った。
 コット谷出合や、その下部にあたる小又川にも、亀裂が入り始め、後何日持つのであろうかと、皆で話しながら、流れの勢いやデブリを眺めた。
 4/4も、そうであったように、剱センターゲートが閉じている頃の方が、この山域を本当に味わえるのかもしれない。



4/16 ハレルヤも中止が嫌いで、早乙女岳から赤祖父山に急旋回となる。思ったより残雪が少なく、何だかヤブのような?感じであったが、登ってしまえば山は良い。今日は満開とは言えないが「福寿草」の群落と巡り会えて、とてもハッピーだった。また、山頂で、有名な方々にお会い出来て、これもハッピー。写真を一緒に撮らせてもらったり、無理矢理撮らせてもらったりした。
 赤祖父山の福寿草を見たい時は仕方がないが、もうチョット雪の多い時が、もっといいかもしれない。また紅葉の時も良いが、落ち葉が舞う、晩秋から初冬もまたステキなのである。
 今日から4日間「山ノ神」が、流石に母であるかのように、来月嫁ぐ東京の娘の所へ出向いた。私はひもじい思いもあるが、もう一日休日がある。何だか早乙女岳に行きたくなった。 p.m.11:00



4/15 「何でぇ~、明日の天気が悪いのに!」 早乙女岳行きの問い合わせが来る。(数件) 昨夜、当欄に山行への思いを載せたからであろうか? 必ず何処かへ行くとの看板をあげたからであろうか? ご一緒にとは、有り難く光栄に思うのであるが、元来私は臆病者であり、「何かあったら・・」など考え込んでしまうタイプである。本当はパーティーを纏めてなどは、荷が重いのかもしれない。したがって、好山病・・も、ハレルヤも、皆で助け合って登っているという感じであるからこそ、今の私があるのかもしれない。脚力も技量もなく、「有事」の時どうすればなどと、思い過ぎる程の小心者なのであるから・・・。
 明日の高所では雪の可能性もある。 行ける行けないは別にしても、万全の対策を立てて欲しいのであるが・・・。 p.m3:00

 予報はあまり良くないので、検討した結果、近間の低山に予定を変更する事になる。 p.m.7:30



4/14 我家から近い古城公園の桜が満開と聞くが、未だ見物に出掛けていない。今日のように寒いと、なかなかその気になれない。また、日曜日(4/16)の「傘マーク」が取れず、ハレルヤ山行(早乙女岳)を憂慮している。そして、” 一年ぶりに中村君と再会が果たせるのだろうか? ”も心配の種であり、「山ノ神」を始め、ハレルヤのメンバーの参加者が少なくなるのも、ちょっと寂しいところである。「雨・晴れ」はっきりしてくれたら、決断も付け易いのであるが・・・「でも、お前は、何処かへ行くのであろう。」と見透かされている。 p.m.11:59



4/13 山行写真(山行写真以外でも)を見るに付け、自分の風貌がイヤになる。顔だけなら良いが、背筋が曲がったり、歩く姿も何処か様にならない。こんなハズでは・・などと思っても、しょうがないが、何故かわびしさを感じる。

 来月結婚する東京の娘が、披露宴で生い立ちを紹介するのに使う幼い時の写真を、何枚か送らなければならず、アルバムを広げてびっくりである。「俺にもこんな時があったのだ!」大声で叫びたくなるほどであった。
 でも、どれだけ力んでみても、過去を取り戻せるわけもなく、現状の中の自分を見出すしかないのである。「ケガをしたら損!」 「病に倒れたらダメ!」 ず~っと、山に登り続けたかったら、その鉄則を胸に刻んで、どれだけ煽られても、自分の哲学として、絶え続けなければいけないのである。同時に自分を理解してくれる仲間を失ってはならないのである。
 情報が飛び交う昨今であるが、何も載せられる事無く、悲痛に感じる事もなく、ゴーイングマイウェーで行けばよいのである。 p.m.11:30



4/12 「ありゃりゃ」読み返えしてUPすれば良いものを・・・誤字・脱字・転換間違いに気が付いた。まだまだあるかもしれないが、自分ではなかなか確認出来ないでいる。一日で、あるいは期間毎に「消去」すれば、恥じる事も少ないのであるが、自身が「あの時は・・・」などと振り返れるし、何といっても、HPは安全なバックアップ機能となっているので、何かあっても、HPだけは残る事になる。

 「毎日続ける事は・・・」などと持ち上げられると、つい好い気になって、ペラペラ喋ってしまう。まあ~、バカな事とは言いながら、続けただけの歴史がものを言って、現在の「元さん」「元ちゃん」があるのかもしれない。
 「元じい」または、アクセス500,000件が、ここ1~2年の目標であるが、まずはそれまで、メンバーの足手纏いにならない事の方が、切実なる目標かもしれない。
 もちろん、仲間を増やす事も良いが、一人の脱落者も出さないような、チームワークがもっと大事かもしれない。偉ぶらず、他のメンバーの事を思いやれば、何ら難しい事などない。それには、謙虚になり、他を誉め千切れば、まずは上手く行く。己を誉め、他を貶せば最悪で、天井に唾するようなものである。簡単な事であるが、これは実に難しく、未だに胸に手を当てなければならない。 p.m.11:59



4/11 “ お天気の悪い平日の雪山に、しかも大勢で登っているなんて何処か可笑しい!” と誰かが言ったが、それも中高年(中年と呼ぶには若過ぎる方も何人もいたが・・・)である。「最近の中高年は、まだまだ若いんだ!」と高を括っている連中達が、徒党を組んで歩く姿を見るに付け、あれでは熊も逃げて行く程の迫力を感じてしまったのは、私だけではなかったであろう。
 驕る(おごる)事無く、安全に気を配り、仲間に対しての思いやりを持ち続ければ、尚更楽しく、我々レベルの未知の世界にも手が届くかもしれない。
 「次は何処へ行く?」…  同じ山でも、時期が違えば、また違った味わいがあり、メンバーが違えば、その雰囲気も変わって来る。「ワイワイ」も良いが、ひもじい思いをして、自分だけの世界もいいものだ! それには平日が最適である。 p.m.8:15



4/10 集合場所の神通川第二ダムに行く前から、雨が落ち不安な心境であったが、参加予定者全員が集まった。中止など考えられない「好山病・・」山行は、横岳(1,623m)自体よりも、跡津川沿いの林道(雪崩れ・落石)の方が、企画者の一人として、行きも帰りも心配であった。
 しかし、例年よりも多い雪量に、取付いてしまえば、若い衆のコース取りに、付いて行けばよいのであるから、後は足を前に出せばいいのである。何時もは白樺林への急斜面の雪着きが悪いのであるが、今年は、まるで雰囲気を違わせるような雪量に難なく登る事が出来るというラッキーさがあった。でも、本来なら、真っ白な山肌であるはずなのに、数日前からの「黄砂」で山が汚れてしまったような気がした。

 心配された雨は、宴会が始まる頃の雪になるまでは、殆ど降らず、薬師岳などの北アは望めなかったが、高幡山や池ノ山、また天蓋山などを確認する事が出来る展望に、皆頗る満足のように思えたのである。
 そして、10名が快適に座る事が出来、尚且つ防風壁に屋根まで施される我会独特の手法で、 、今日も5ヶのシャベルによって完工されたのである。

 黄金の御殿から、ホワイトアウト状態の山頂を後にしたのは午後2時。順調に下降し、またまた珍しい事に、明るいうちに車へ戻る事が出来たどころか、帰宅した時点でも、まだ明るかったのではなかろうか?

 そしてまた、今回参加出来なかった、まきちゃんが、またまた解散地点の神通川第二ダム駐車場に、コーヒーの差し入れを持って駆けつけてくれるという、うれしいサービスがあり、ホットな気分で家路に付く事が出来たのである。 p.m.11:20



4/9 今日もあったように、このところ山の事故が相次いでいる。あれだけの人達が、高所にスキーで出掛けるのであるから、何時か何かが起きるような予感がしていた。如何に熟知していても、文明の機器を利用していても、大自然は予想も出来ないような恐ろしさがある。「きれいなものにトゲがある。」ように、決して侮る事は出来ないのである。
 我々の山行もしかりなのである。越中の低山を歩くにも、何時も心して掛からなければいけない。明日はお天気は良くない。こんな時に、出掛けるのであるから尚更である。10名が参加する「横岳」は、我々をどのように向かえてくれるのであろうか? p.m.10:25



4/8 「親が寝たきりになった。」「舅・姑がが倒れた。」「山に行けない。」「行けなくなった・・」など、私の年代になると「親の介護」の話題が多くなる。この先「老々介護」という事にもなりかねない。私は、13年前に父を、3年半前に母を亡くしている。山ノ神の両親は、それよりも以前に他界していて、我々にはもう親と呼べる人はいない。要介護の親を抱えているとそれは大変であるが、いなくなってしまうと、それでまた寂しいものである。精一杯やっても、後悔ばかりで、これで良かったとは思えないものである。「舅や姑の面倒を私なりに精一杯やったから、後腐れなく山に行ける。」と言う話を聞いた事があるが、普通はなかなかそうはなれない。

 苦しい時に勉強が出来るように、忙しい時にこそ、山に出掛けて欲しいと思っている。その人その人によって立場が違うが、1時間でも2時間でも山に出掛けて欲しいと思っている。ディーサービスやショートステーなどを利用してでも、出掛けて欲しいものである。もちろん家人の協力を得てでもいい。
 今から思えば、「山ノ神」も、母が臥せってから、山行機会が増えたような気がする。訪問介護などを拒否し、「家では自分がする。出来るだけ自分がやりたい。その代わり、休日は外に出たい。」というものであったが、山にしか行かない私故、必然的にそうなったのだろう。
 その後は、休日にディーサービスを利用し、6時間とか8時間とかの枠内の山行となった。出掛ける所に制限はあるものの、それなりに、山の気分を味わえ、振り返ってみれば、結構充実していたように思える。時計を見ながらの山行故に、帰路、交通渋滞に巻き込まれて苦い経験もあったが、終わってみれば些細な事であったように思える。
 朝早く出掛けるとなれば、前日から預けなければならないし、夜遅く帰るとなると、翌日も預かってもらわなくてはならないなど、現在のような日帰り山行をするには2泊3日のショートステーに出さなければならなかったのである。「熱がある。」 「血圧が高い。」 「風邪」などを理由に、途中で帰されたり、預かってもらえなかったりもあったりして、中止や変更などもしばしばであった。その点、二人だけの山行故、どうにでもなる気楽さがあったように思える。

 私達は、自分の事になると、まだまだ先の事などと高を括っているが、ケガや病気で臥せらなければならなくなる事のないように、日頃から、ちょっとした事にも、注意を怠らないようにしなければならないようである。



4/7 先日のコット谷は苦戦した。新たな雪でカンジキの「山ノ神」の足が思うようにあがらなかった。ならばと私のスノーシューと交換したのだが、今度は私が苦戦した。体重や荷重の差からして、30kgは違うから、尚更「ずぶ~っ」といく。鞍部から大熊山に向かう途中の亀裂に足を取られた時には、とうとう足が攣ってしまった。情けない話である。これから、このような事が頻繁に起こりそうな気がする。それに対応するためには、用具選びが重要になってくるかもしれない。(何でも買えればいいのであるが・・・)
 これからの時期、用具使用の端境期でもある。カンジキ・ストックをアイゼン・ピッケルに・・、これを間違えると結構辛いが故に、重複して担ぐ事もあるのであるが、これもだんだんと辛くなるかもしれない。
 スノーシューは、硬い斜面に強いという事が分かってきた。この残雪期に是非試してみたい。しかし、下りや、痩せた稜線などは、かなり使いこなしていないと、それはそれは悲劇である。何事も身をもって試すしかないようである。



4/6 私の休日は毎週月曜日で、その他に月2回その前後にある。(したがって、月2回の連休がある。)通常の休日間は、中6日なのであるが、連休があると中5日となる。「休日は全部山に行く。」が目標の私としては、楽しくて仕方がないのであるが、一方では、会山行の連絡をしなければならず、「あ~っ、日がない。」などと慌てなければならない時も多い。連絡する事が苦痛とは思わないし、嬉しい事だと思っている。しかし、私の思いに偏ってはいないかと考え込む事はある。偏っている事に間違いないのであろうが、今のところ、何となく上手く行っているのだから、悩む事もないのであろう。
 今は山のいい時期の真っ最中である。だんだん雪解けが進むと、あの快適な食事時のベンチ・テーブルが造れなくなる。膝痛に悩む者にとって、これが結構辛いのである。雪がなくなれば、合同の山行回数も少なくなるであろうし、ちょうどいいサイクルとなる。ちょっと離れると人恋しくなる。私も普通の人間である。



4/5 一昨日の牛岳が98回目となった。積雪・残雪期に100回を達成出来たらなどと思っていた時もあったのだが、私としては、牛岳に登れない時の方が幸せなのかもしれない。(他の山に登っている事になるから・・)でも、牛岳は、私にとって大事な山で、やがて、牛岳しか登れない時が何時か来るからである。最後にはその牛岳にも登れなくなる時も・・・・・

 100回と言っても、驚く事はない。牛岳の三妖怪(秋山・粟野・寺口氏)などと呼ばれる方々は、1年に何十回登っておられるか分からないと聞く。また、辰口氏の赤谷山100回なら勲章をあげても良いかもしれないが、私の牛岳100回などは、自慢出来る事でもない。
 山仲間には、2年後に還暦山行などと称して、私を早く「山の道」から遠ざけようとする企画があるらしいが、ちょっとやそっとで、そんな甘い誘いにのるわけがない。100歳記念とか、3000回や5000回山行記念なら、値があるかもしれないが・・・・

 しかし、私と牛岳は切っても切れない山である。100回記念は、そーっと通過したい。ハードルをもう少し高くして、200回、300回とし、直近の目標を、雪の牛岳(雪のある牛岳)100回にする事にした。私のHP上(平成9年から)で記録されている雪の牛岳は43回であった。アルバムをひっくり返して調べてみたら、高校時代から平成8年までの雪の牛岳は、推定であるが、12~13回ほどと思われる。したがって、今まで55回登った事にした。あと45回であるから、7~10年は掛かる計算になる。



4/4 たまたま休日が合った長勢夫妻と、コット谷へ行く事になった。さおり夫人を山に連れて行きたがる彼に、最近の熊騒動から独りで、大きな杉に覆われている山に、足が向かわぬ事などが合致して、我々と一緒してくれる事になった。伊折~剱センター~小又川出合間は、冷え込んだ事もあって、油断すると、すってんころりんになりそうで、それこそアイゼンが欲しいくらいであった。

 ところが、小又川に入ってからは、2~3日前の降雪(前日も降ったと思われる)が意外にも足かせとなった。何ヶ所かデブリが発生していたものの、それほど雪解けが進んでおらず、遡行には殆ど支障がなかった。コット谷に入ってからは、流れが全くなく水の音も聞こえなかったが、あの寒さは何処へ行ったのだろうかと思うほど、雪は腐って重たく足が上がらない。終始長勢君に先頭をきってもらう事になる。
 荷は軽かったものの、スノーシューのさおり夫人も、最後までスピードが衰えず、我々二人(スノーシューとカンジキを交互に使用)は、それこそ彼等のお荷物になってしまった。

 剱センター午前5時20分発、早乙女岳と大熊山の鞍部に、10時40~50分到着で、雪の状態や体力からして、早乙女岳行きを諦め、大熊山行きとなった。大熊山で、熊に噛まれたはずの長勢君であったが、先へ先へと行ってしまう。熊が怖いが、性格上、他の人より先に歩かなければならないようである。(後にいても、いつの間にか先にいる それが彼なのである。)
 絵になるような稜線を歩き、山頂で待っててくれたのは、でぇ~んとした剱岳である。 「素晴らしい!」 「早乙女岳からの展望より素晴らしい。」などと、予定よりちょっぴり低くなった山頂に、自分善がりの「山の想い」を繋がらせ、何とかピークに立てた事に満足感が漂ようのであった。

 山ヤ冥利に尽きる山頂からの展望は、1本のビールより多く酔わせてくれた。それは、何時もと違った雰囲気が、そう思わせたのかもしれない。青い空・充分な雪量・トレースがない・人影がないなどなど・・・・また、若き夫妻と一緒だったからかもしれない。山頂直下の稜線から、ダイレクトにコット谷へ降りたのも良き想い出になるであろう。



4/3 企画したものとして、決行するにも、中止にしたとしても、その後のお天気が気になる。やはり、可笑しな夢となり目が覚めた。「窓を開けると雨だった。」 そして、「良かった。」が本音であるが、その後もテレビやPC、そして、直接空を眺めるにも、本当に正しかったのだろうかと、繰り返す自問は悩ましかった。

 休日は、とにかく、山に行かなければ納まらない自分(達)は、やがて雨もあがると信じて、牛岳に向かった。午前10時過ぎの出発時でも、小雨がぱらつき、稜線に出てからは、小雪まで舞う状態であった。視界は悪く20~30m、新たな雪が5~15cmと、予想以上に悪い気象状況に、昨夜の中止は正解であったのだと自分に言い聞かせた。

 何にも見えない真っ白な山の中は、もちろん誰とも会わないのであるが、今年から使い始めたスノーシューを交互に使ってみたり、勝手気ままに休息を取ったりしながら、自由奔放な山行であった。

 三角点に着いてびっくりした。3週間前に造った雪洞が今も残っていたのである。入口はやや下がり気味で、頭がつかえるくらいであったが、それ以外は、ほぼ現状のままで、入口に雪が覆い被さり、より雪洞らしくなっていた。
 いろいろな使われ方をされたらしい雪洞の中を、きれいに清掃してから、昼食を取ったのであるが、何故か故郷の帰った心境であった。
 賞味期間は、後何日もないかもしれない。その上を歩いてもびくともしなかったのであるが、登山道の真下だけに、落とし穴に、ならなければいいのにと思うのである。 p.m.10:45



4/2 最終3名の参加になった大明神山を、明日の予報からして中止にした。雨やホワイトアウトを嫌い苦渋の決断であったが、意外とこんな後に、予報と反する結果になる事が多いのである。しかし、定石として、判断は間違いないと思い込まなければやり切れない。GOサインが出るのを待っていてくださった「福井の宮ちゃん」には誠に申し訳ないと思っている。この埋め合わせは、何時か必ず・・・・であります。
 中止とは久し振りである。最近ではよく覚えていない。私としては、次ぎ行く意欲を薄らがせる事が一番心配なのである。雨だから・・、都合が悪いから・・などと、常習になるのが、自分の性格からして怖いのである。明日は、どんな低山でもいいから出かけなくては、今後の私の山行に差し支えるかもしれないから・・・・。 p.m.11:55



4/1 4/3の予報が「曇りのち晴れ」から、「曇りのち雨」に変わってしまった。日曜日(4/2)の雨は、それなりに、納得していたのであるが、懸念していた西からの低気圧の通過・回復とも遅れる感じである。高い山、ハードな山、ゲスト有りの山行は、分かりにくいお天気回りが一番厄介である。雨なら「ザーッと降れ!」などと思いたくなる。宮ちゃんとの最終連絡(決定)も、明晩にずれ込ませねばしょうがない。