8/31 「山ノ神」は、本当に山が好きなのかどうかはわからない。少なくとも山だけではない。旅行に出掛けたり、映画も見たいであろうし、カラオケにも行きたいのだろう。外食もしたければ、新しい服も欲しいに違いない。
 私が山にしか行かないと悟ってから、俄然山に行くようになってしまっただけで、旅行気分の山が一番向いているのかもしれない。その証拠に、「私が山に行かなくなっても、山に行くか?」 と尋ねると 「行かない。」 と言っている。でも、こんな事は、その時に、なってみなければわからない。

 私は、僅かな余力を、山に注ぎ込み、他には見向かない。出来ないと言った方が、正確かもしれない。3年程前から正式な小遣いがなくなったからである。ケチではなく、本当に貧乏なのかもしれない。そして、山以外で楽しもうとする「山ノ神」に、時々イヤミを言ってしまう自分が情けないと思っている。

 そんな折、大阪のおばちゃんから、「数年前から投資信託を楽しんでいます。これからインド株が有望です。」 最近憶えたらしい辿々しいメールが届いた。すかさず、そのセレブおばちゃんに 「私を買って~。」 と打診したが、「ワッハッハ・・元ちゃん、可笑しいよ! あんたが言う台詞じゃないよ。」 そして、「真面目なイメージが壊れては、こちらが寂しくなる。」 とまで言われてしまった。
 何十年経っても、昔から(同級生)のイメージが付いて回るらしい。砕けた事も、面白い事も、私には無縁なのかもしれない。精々、当欄で、悪あがき(ごまめの歯ぎしり)する程度なのであろう。



8/30 百・二百・三百名山どころか、誰が選んだのか知らないが、四百・五百名山まであるとか・・花の百名山は、新もあれば、続も続々もあるとか、最近では新百名山もある。各県の百名山もあれば、地方の百~三百山まであると聞く。標高順の百もあれば、二百も三百もになるかもしれない。三角点もあれば、都道府県や市町村の最高点を歩いている人もあり様々である。

 それが全てと言われては、反論もあるが、人それぞれで、いろいろな楽しみ方があり、それなりに盛り上がるのも結構である。一度くらい登って何も分からぬかもしれないが、何でも一から始まるのであるから、やらぬよりやった方が良いに決まっている。
 収集の趣味でもそうであるが、数が揃って来ると、それ以上に集めたくなって来る。名山巡りもそれと似ていて、もう少しならば、「登ってしまえ!」になるのでは・・・また、知名度(有名)があるから、話題になりやすく、登っていて損する事もあるまい。

私も、せめて半分くらい(50/100)また、三百の半分くらい(150/300)登っておれば、格好が付くなどと思っていたが、機会があれば、その限りではない。唯、効率ばかりを優先すると、味気ない山登りになってしまう懸念が生じる。 p.m.11:59



8/29 昨日の大猫山は、剱に絆されたのもあるが、ちょっと可笑しい左膝を持ってすれば、3時間の登りはまずまずであった。その煽りを食らってか、このところ右膝が何だか可笑しい。左膝は深く曲げる事が出来ないが、右膝は未だそのような事はない。でも左膝と右膝は、同い年である事は間違いない。
 木や枝に、つかまりながらの下山であったが、正午過ぎには、登山口のブナクラ取水口近くの駐車場に戻れた。まだず~っと、山と関わりたいから、競争のような歩き方からは引退である。「ゆっくり、山を楽しみながら・・・」などと言っているが、そうとしか出来ないようになって来ているようだ。 p.m.11:35



8/28 昨夜は、「山ノ神」との調整が不調に終わった。「午後から雨。所によっては雷雨。」の予報は、遠出・高所を外した。「山ノ神」に行きたい所を尋ねても候補はないらしい。「午前中は降らない。」を期待して、またしても大猫山を提案する私。運転時間より、歩きが少ないのは気乗りせず、中山・負釣山なども必然候補から外れる。そして暑いのもイヤ・・。ブナクラでも、赤谷・猫又は降雨が予想される時はイヤ。「山ノ神」が苦手な大猫山と知っていても、夜明けと共に歩けば、そう暑くもないし・・・などと説得してもダメ。枕を抱えて別の部屋に隠れてしまった。一週間のダンマリを覚悟してでも、今回は自分の意見を通す事にした。

 そうなると、食料は自分で確保しなければならない。正午過ぎに下山する予定と言っても、山頂にタッチ・ターンというのも寂しい。コーヒーくらいは飲みたい。もし、晴れて、剱が見えれば、冷たいビールで乾杯もしたい。買ってあった菓子パン2ヶと、おにぎりの未完成品2ヶ、カップ麺1ヶ、後は水があれば何とかなるであろうと思って出掛けた。コンロや燃料、そして三脚を加えても、いつもより軽い。「夜明けと共に・・」を予定していたが、ちょっと出遅れて、登り始めは午前6時近くになってしまった。

 いつ降り出すかわからないような空模様であったが、登るにつれ、大日方面から西側に青空が広がって行った。「もしかしたら・・」の希望が持てて来たが、赤谷より右(南)は、一向にガスが晴れる気配が感じられなかった。
 しかし、しかしである。大猫平に近付くに連れて、剱岳・本峰周辺のガスが切れかかった。それに連られて、軟弱な足にも力が入った。最近は、晴れの日も殆ど姿を見せてくれなかったのに、何故このような日に・・と思わざるを得なかった。一週間遅れのバースデープレゼントか、それとも、「たまには独りで来るがいい。」とでも言いたいのか、などと勝手に思った。

 でも、本峰の全容を見せてくれたのは、ほんの僅かの時間で、カメラをセットしようとしたら、もう隠れてしまった。山頂に立った頃には、全く何も見えないどころか、猫又・釜谷山でさえ見えない有様であった。
 濡れたシャツには寒いくらいに感じ、もうそこまで、秋が来ているのであろう。



8/27 前回の朝日岳山行の折、食事前の一時を、小屋の前のベンチで、中高年登山者が語り合っておられるのを、小耳に挟んだり、その会話の中に入れてもらったりした。
 やはり百名山や二百・三百名山、また百高山が話題の中心になっていた。その中で、「目標があるのは、人生の張り合いになる。」と言われて、その通りだと思った。何が何でもと言うのは、どうかとは思うが、その人に元気を与えるのは間違いないと思った。

 唯、それを威張る(自慢タラタラ)となると、聞く方もイヤになる。自分のやって来た事や、やっている事を、認めてもらう事は、嬉しい事であり、実に気分がいい。しかし、それは、聞いてもらえる人が、いるからである事を忘れてはいけない。
 私も、ついつい「今年は何回山に行った。」などと言ってしまう事があるが、相手はそんな事はどうでもいいのかもしれない。自分の気分がいい時は、相手が必ず気を遣っているのである。本当にいい気になっていてはいけない。感謝しなければいけない。

 時間やお金を掛けて山に入るのも一つの手段、人の半分の日程で歩くのも方法。どれが良いのかは、その人その人の評価が違って当たり前である。凄い人も、いつかは普通の人になり、また弱い人になるかもしれない。心も、その都度変わるものである。バカな事をしようが、恥ずかしい事をしようが、ず~っと、見守ってくれる人(仲間)が、どれだけいるかが大事なのかもしれない。



8/26 「今度の休日は何処へ行きたい?」と「山ノ神」に問うて見たら、「有料道路を通らない乗鞍岳。」の返事が返って来た。乗鞍岳には、もうちょっと、回数を重ねているかと思っていたのであるが、記録では2回の登頂である。

 乗鞍スカイラインが、マイカー規制になってから、静かになったと聞く山を、下(途中)から、登ろうと言うものである。しかし、高原地図もなく、概要があまりわからない。登山口に、乗鞍高原・白骨温泉・乗鞍少年の家(高山側)などがあるが、おおよそ標高1500mくらいである。乗鞍高原の先、温泉スキー場や冷泉小屋・位ヶ原へは、車がどの程度入れるのか、また駐車スペースがあるのかもわからない。ずーっと昔、そのルートから畳平まで行った事があるが、今はどのようになっているのかわからない。

 ルートの長さだけを比較すると、長野側からのルートよりも岐阜側のルートが断然長い。西吾妻山の事もあり、一概に長さや標高差だけでルートも選べまい。十石山からの槍穂高の展望も良いと聞くから、ますます迷ってしまう。
 ここに来て、28日の予報が悪くなってきた。この件も、今秋へのお預けとしようか。



8/25 ちょっぴり飲むせいもあるが、食事の後にPCの前へ行くものの、すぐ居眠りをしてしまう。このところ、ず~っとであり、HPの更新に支障が出ている。「疲れている。」が正直なところであるが、我が家は「山中心」のライフスタイルのため、何が何でもなのである。それがなくなれば、我が家は崩壊の一途を辿る事間違いない。どんな「ちっちゃな山」でも、山に登らなければ始まらない。

 子供達にも兄弟にも、我々の休日には、「来るな!」と言ってある。今ではこれらも浸透して、余程の事がない限り来ない。私の休日の行事には参加しない。(冠婚葬祭はしかたがないが、なるべく、そうでないように頼む!)

 親友の「はるちゃん」とは、休日が同じである。同じ山好きであっても、一緒に登る機会は少ない。でも、「飲もう。一緒に飲もう。」とお互い顔を合わせる度に、また電話を掛ける度に言っている。しかし、山から帰る時間が遅いから、そんな事も出来ない。ならば「平日に飲もう。私の家に泊まればいい。」と言っても、いつもとはいかないらしい。やっぱり日の短い冬しかないのか・・。「お前がそうだから(山ばかりだから)、同窓会も出来ない。」などとも言われたりしているのだが・・



8/24 先日、東京の武鹿野氏から、残暑見舞いを兼ねた写真が送られて来た。(写真をハガキにしたもの)
 8年前の夏、蓮華岳・針ノ木岳に登った時に、知り合いになってから、年賀状と暑中(残暑)見舞を送って下さる。
 今までは、ず~っと、北海道のものであったが、近年、長野県佐久市に単身赴任になってからは、地元のものになりつつある。
 今年の7月に、再び北海道を企画しておられたようだったが、仕事の関係上、予定が変更になり、未だそのメドが立っていないそうである。「ゆっくり北海道を歩きたく・・・」には、ヨダレが出て来そうである。

 その8年前、大雪渓を登り詰めた頃、同じ東京のジョナサン君と意気投合し一緒に歩いた。 武鹿野氏は、針ノ木岳山頂付近で、シャッターを切って頂いて、一言二言交わしただけであった。今はどうかわからないが、武鹿野氏は、ネットをやらぬ人だった。若いジョナサン君は、HPを開設していたし、すぐに情報のやり取りなどをしていた。しかし、ジョナサン君がHPを閉じてから、お互い連絡をとらないままになっている。(住所も知らない。)

 一方、お互い一年に、二度だけの便りの交換であるが、こうして続いている。何している方かも知らない。写真がないから、顔も忘れてしまったのであるが、私には、大事な山友達の一人である事は間違いない。



8/23 「明日から私の新しい一日が始まる。」??? ごめんなさい。すっかり忘れていました。 どんな日々が始まるのか暫く考えていました^^; あっ!「元ちゃん」の誕生日だった!もしかしたら60才? いやいや・・私の歳を考えるとそれは来年でした。 本当に「おめでとうございます。」 来年「元じぃ」と呼べる日を首を長くして待っています。

 上記は、「好山病・・」の重鎮・「北ちゃん」からのメールである。来年は、何が何でも、私に赤い物を身に付けさせての山行を、企てている張本人である。「還暦なんて祝うほどでない。古希くらいにしてよ。」 と言っているのだが、何かの題目がないと飲めないかのように、私を狙っているようである。

 暦は一回り60年と言う事で、それなりに、めでたいのかもしれないが、「古来希なり」の古希(70歳)まで、待ってよ!という感じである。一年一年、一日一日の言葉が、日頃周りで多く飛び交うのであるが、一日一年の単位で感謝し、目標を掲げる事にしている。もう一年、出来れば、もう10年若く飛び回っていたいのである。
 髪の毛が少なくなり、歯はガタガタ、膝が可笑しくなり、顔もシワシワになって来た。気力だけはと思っても、自分の力など弱いものである。目標があるといい。仲間があると励まされる。時には煽てもいい。そして、たくさんの友達・仲間が必要だ。それには、少々マメでなくてはいけないようである。



8/22 昨夜「足は痛くない。」言っていた「山ノ神」が起きて来ない。「遊んだ後の一日こそ、余計に頑張らなくては・・」が、口癖の私だが、思わず笑ってしまった。「おい、もっと目を開けろ!」 ブス~ッ、としたその顔は、様にならない。目がない。叱られるが、ブスそのものである。(これを読まれたら、また、しばらくお仕置きを、食らってしまいそうである。)

 この1~2ヶ月の間、山に行く度に、虫にやられているのである。化膿・水疱、そして、その後が、ちょっと可愛そう。私もやられるがすぐに治ってしまう。体質の問題なのであろうか? 私は「ビールの飲み過ぎだ!」 と言うが、「山ノ神」は「量的には、あんたの方が多いではないか!」 と反論をする。「身体の大きさが違うもの!」 と言っても、最後は、「好きな物を飲まなくては、好きな事をしなくては、何の人生か!」 などになってしまう。
 「ちょっと山を休めば・・」 「虫がいなくなってから登れば・・」 などと言えば、「また邪魔者にして・・」とご立腹となる。いやはや、我が家はどうなっているのか・・・・余裕もないのに!!



8/21 夜半から雨になった。朝食を取らないで、照葉ノ池辺りに出掛ける予定であったが、無情の雨に待機となった。お山のてっぺんに立ちたい私と「山ノ神」だけで、小降りになるのを見計らって外に出た。
 ミヤママツムシソウ・チングルマ・ニッコウキスゲ・カライトソウ・ハクサンコザクラ・ハクサンイチゲ・ユキクラトウウチソウなど花の名をあげれば切りがないほどに咲き誇っていた。今年は雪解けが遅く、この時期になっても、「最盛期」の語句は、過言でないくらいであった。

 雨具を着て、濡れるのを少なくするために、カメラを手で覆いながら、可愛いお花を撮り続けた。上手く撮れなくとも、撮らなければいけないような雰囲気に感じられ、なかなか前には進む事が出来なかった。午前11時半の昼食まで4時間内の約束で出掛けたのであるから、山頂から吹き上げのコルまでが精一杯である。雷鳴轟く中、大きな雪渓の中の流水に、500mlの点滴剤を浸して、それを回収して、山頂で頂くスケジュールである。

 「吹き上げのコルから、蓮華温泉側に、ちょっと下った所のシモツケがきれいだった。」と前夜、「シュンちゃん」が、ワザワザ電話で連絡してくれたのを忠実に守った。(見逃すわけにはいかない。)
 雷鳴にビクビクしながら、点滴剤回収一心の「山ノ神」の足の速さは、近頃では見た事がないくらいのスピードであった。
 紫色のタカネマツムシソウを肴に、冷たい清涼剤の美味さは、この世のものかと思ったのは、「山ノ神」だけではなかったようである。

 朝日小屋で歓待を受け、北又に向けて出発する頃は、何とかお天気も持ち直した。(途中また降られたけれど・・)帰路も美枝・由紀子お姉様方との同行を許されたのであるが、カモシカのようなお二人に、付いて行くのは容易ではなかった。途中、我々の体力を見計らって、お菓子や果物をご馳走して頂ける気配りに唯感謝であった。

 朝日小屋の主のような方々に、「また、いつか、ご一緒に・・」などと、大それて言いそびれてしまったが、精進していれば、いつかは、そんな機会も巡ってくるかもしれない。



8/20 過去3度の朝日岳行きでは、雨具を纏わない事は一度もなかった程、巡り合わせが良くなかった。私のバースデーは、そんな事を払拭して、朝日岳山頂から何とか剱岳を眺められないかの期待もあった。

 「シュンちゃん」の計らいもあり、美枝・由紀子お姉様方と、大名山行が出来る言う幸運にも恵まれた。「山ノ神」には、タイムを気にせず、イブリ山頂と夕日ガ原で、二度の「点滴!」を施しながらの山行となった。白木峰にも負けないくらいのニッコウキスゲが出迎えてくれ、eiko女史の知人の飛騨さんとの遭遇、お客さんを連れてのシュンちゃん御一行との顔合わせ(その中には、昨年栂海新道をご一緒させてもらった森山夫妻も)など、私には、何もかもが新鮮なものに感じた。

 朝日小屋では、ちょっぴり皿洗いの真似事をさせてもらったが、邪魔になっただけのようであった。足のケガのためギブスを付けての入山となられた「ゆかりさん」であったが、そんな事があったのかと思えるくらいの元気さで、テキパキとこなされる仕事を拝見していると、流石だと言わざるを得なかった。「女の人は、こうして強くなる。」のお手本のように受け取った。



8/19 明日から私の新しい一日が始まる。何としても充実した一年にしたいと思っている。その第一日目である明日は、是非とも晴れて欲しい。



8/18 暑い日が続く。エアコンも扇風機もない、しかも焼けた二階で寝ている私だが、今年は流石に体力が落ちたのか、扇風機を回し始めた。だる~い身体でも、「やっぱり山に行きたい!」歩かないと体力の落ちるのが目に見える。
 今月は盆休が加わって、8日間の休日である。日・月(20・21日)は朝日岳、最後の休日(28日)は、何処へ行こうか・・・
 8月の「好山病・・」定例山行はお休み。一ヶ月以上会わないと寂しいな~あ。でも、「好山病・・」では行きにくい山へのチャンスなのかもしれない。



8/17 往復1300キロ走って、午前0時40分過ぎに自宅に戻った。発ってから、戻るまで70時間である。さ~っと、片付けて、風呂に入ってから、その事を話しながら、冷たいビールを飲んでいたら午前3時を回ってしまった。
 キャンプを除く山中滞在時間は、船形山5時間・蔵王山5時間・吾妻山10時間であった。相変わらず、運転するとすぐ眠たくなるのであるが、よく頑張って行って来られたと思っている。しかし、今日は一日中眠たかった。



8/16 標高1400m超の白布峠のテント内は暑かった。何度も目が覚めて、眠ったような眠らなかったような・・・・暗闇は満点の星と月、登り始めの朝焼けが、ちょっと気になったが、今日こそ好天を祈った。
 天元台からロープウェーやリフトを乗り継ぐコースが一般的らしいが、一人2700円の料金を嫌ったのと、早く西吾妻山の山頂を踏んで、一切経山に向かうために、人気の少ない白布峠からの挑戦としたのであった。

 コースは長いが標高差600mちょっと、2~3時間で登れるだろうの計算は甘かった。夜露の他に、少々の降雨があったのであろうか、深い笹藪を想定して、雨具のズボンを着用したのであるが、結果的には、胸どころか顔までびしょ濡れになってしまった。笹藪・ぬかるみ・苔の着いた大きな石や岩などで歩きにくく、あまり登られないルートのわけが分かった。
 「もー、イヤ。帰りはロープウェーで・・」と「山ノ神」が言い出したが、私は黙って我慢するしかなかった。西大巓に達したのは、予定を遙かに上回る8時半になってしまっていた。(3時間15分)

 グランデコスキー場から、登って来たという青年一人が、先に西大巓に立っていてホットした。西吾妻山頂まで、後1時間程掛かるので、この時点で、一切経山行きを諦め、中大巓方面へ足を延ばす事に予定を変更した。しかし、日が差したのは、西大巓から避難小屋あたりまでで、後は全てガスの中であった。吾妻山の最高点である西吾妻山を踏んでから、このお天気では何処へ行っても同じだと思い、天狗岩でその先を行く事を諦めた。

 予想もしないハプニングが起こった。「オコジョであった。」岩に腰掛けて休息をしていると、我々の周りを駆けめぐるのである。入ったり出たり、しまいには「山ノ神」のストックの紐を引っ張りだしたりした。愛らしいオコジョとの遭遇に、気持ちがいっぺんに明るくなった。
 避難小屋で簡単な食事をして、再び白布峠を目指した。お盆だからか、二人の男性が我々と同じコースを辿ったようである。しかし、彼らの出発は私達よりもかなり遅く、露払いをしてもらって有り難うの感謝の言葉が返ってきた。笹が乾くと覆い被さる部分が少なくなるようで、少しは違うようであった。
 一切経山は、次回の東北遠征に委ね、 西吾妻スカイバレーから檜原湖畔を通り、猪苗代湖磐梯高原ICから、新潟県・安田ICまで高速に乗り、五泉市を抜けて、三条から8号線経由で上越に出た。



8/15 午前4時前に起床して、テント撤収に備えようとライトを点けたら、テント内に驚くような数の虫がいた。手・足・顔・頭など至る所が腫れ上がっている。痒くて掻いたからか、腕時計まで外れていた。こんなに虫に刺されるなんて、私は初めてである。このところ、ず~っと、刺されっぱなしの「山ノ神」は、治らないまま、またやられた感じである。

 好天を期待して、蔵王山への出発であったが、昨日・山中で出会った登山者からは、お天気が崩れるとの予報を、小耳に挟んでいるだけに、複雑な思いもあった。
 大和(たいわ)ICに戻り、今日は東北道を南下し、村田JCTから山形道に入り、宮城川崎ICで降りた。100キロ以内なので、通勤時間帯割引で半額である。

 蔵王山への道(蔵王エコーライン)を、ず~っと登って来たのに、青根温泉から下りだした。あまりにも下る距離が長いので、間違っているのではないかとUターンするが、他に道はなかった。路線バスの運転手さんに尋ねてみると、そう少し(後1キロくらい)下ってから、蔵王ロイヤルホテルのある信号で右折すると教えてもらう。
 その信号設置場所から、グングン高度を上げるのであるが、ガスがだんだん濃くなって来て、しまいには、ワイパー全開となってしまう有様であった。しかし、もっと高度を上げると、上には青空が待っているのではの期待がもてる展開になってきた。

 お釜入り口の看板がある所(蔵王ハイラインの分岐=有料520円)の小さな駐車スペースに車を止め刈田岳を目指す。その登山道は、南蔵王山から連なっているもので、有料道路を5回も跨ぐ事になる。その度に車中の人から、異様な雰囲気で眺められていたようである。

 予想通り山頂はガスに覆われていた。「7時頃まで晴れていた。」そうである。この刈田岳やお釜付近までは、一般観光客で賑わい、我々の山スタイルは、逆に異様にとられかねないようにも思えた。
 主峰の熊野岳・ロープウェー近くの地蔵岳に登ってからは、ガスが濃くなり全身を濡らすようになった。ルートを間違わないように長い支柱が立てられているのであるが、視界の悪さからか、他の登山者が、我々に先へ行くように手で合図する事もあった。何度か、パーッと晴れ間が広がった事が、せめてもの救いであった。

 翌日の吾妻山へは、まずは西吾妻山を目指す事になり、エコーラインを山形側に降りた。途中、米沢には、私が是非とも寄りたい上杉神社があったのであるが、後々の行動に支障が出るので諦め、市内で、食料・アルコール類、また、虫除け用に蚊取り線香を買ったりした。
 あまり登られていない登山口の白布峠には、午後5時過ぎに着いた。夕闇が迫るまで、いや迫っても、テーブルを利用して夕食とした。途中、カラスに食材を狙われたが、気転良く難を逃れる事が出来た。



8/14 いつもの事であるが、予定よりちょっぴり遅れた午前2時50分自宅を出る。ちょっとでも高速料金安上がりで、魚津ICから乗る。深夜割引は午前4時までに乗らなければいけない。と言っても、目的地に午前中に着いて、1座(船形山)を登らなければ行けないのである。今回は、船形山・蔵王山・吾妻山・一切経山を目指すものであったが、その先にも、手前にも、名山は数多くあり、一度は登ってみたいものばかりであった。

 北陸道・磐越道を乗り継いで、東北道・古川ICの一つ手前大和ICを降りたのは、走行距離542キロで9時40分であった。一つ手前のICで降りたのも、経費節減の表れである。その分下道を走らなければならないのであるが、ナビがないものだから、行き過ぎたり、間違ったりしながら、ようやく登山口に通じる林道に出た。ダートの道を飛ばすなと「山ノ神」に叱られながら、大野キャンプ場に着いた頃は、600キロに達したが、午前11時頃で、計画通りであった。

 市街地から船形のように見える事から山名がついたようであるが、山形では、御所山と呼ばれているらしい。我々は最短コースを登り、下山路は沢コース(升沢コース)をとった。大方は、最短コースの往復が多く、我々のコースは、一組すれ違っただけであった。
 山頂からの展望は、ガスのため良くなく、お花もあまりなかった。下りの千畳敷あたりで、辛うじて目を楽しませてくれたが、小さな沢コースは、「山ノ神」にしてみれば、あまり得意なものでなく、「何で・・・」になり掛かった。しかし、水が澄み切った所に出てからは、それは、それなりに評価するようになった。

 登山口のキャンプ場に戻ったのは、午後4時半過ぎになっていた。当初の計画では、林道を降りて買い物をし、大和町の七つ森キャンプ場に泊まる予定であったが、暗くなってから不案内の土地で、またウロウロする事を考えると、食材や嗜好品が少々足りなくても、早く食事や寝床に着ける方を選択してしまった。
 少々虫が煩かったが、満点の星と、音を立てながら流れる「人命水」には、頗る満足であった。

   

8/13 ようやく東北行きを決定した矢先の予報が悪い。台風が発生とか、また行き先付近の予報が良くない。せっかく名山4座を無理矢理繰り入れたのに、もしかしたら、1座も登らず帰らなくなるかもしれない。4座共に営業小屋がなく、野宿を決め込んでいるのに、雨に打たれたら、味気ないものになるかもしれない。

 「中止」ならば、「雨のみちのく二人旅」に、変更しても何ら困らないと言う「山ノ神」であるが、すぐに睡魔に襲われる私には、雨の長距離運転が不安でたまらない。どちらにしても、明日未明に出発する予定である。「安達太良山より北に」が、実りある山行に結びついて欲しいと、かすかながらも、祈るしかないようである。 p.m.9:00



8/12 午前中の雷雨は、県西部(特に高岡・氷見)を中心に降ったようである。日中は止んだのであるが、今また、ゴロゴロ鳴りだしている。私の休日(盆休は明後日から)頃には、晴れる予報であるが、何だか怪しくなってきた。昨年の栂海新道は、初日の朝日小屋まで、一昨年は、3日目の白馬岳、その前年は、鳥海山・月山の帰路、二王子岳が雨に泣いただけに、この後の予定は、予報を本当に信じて良いのか疑心暗鬼である。

 晩秋か初冬に、「丹沢山に行けたらいいな!」などと余計な事を述べるもので、神奈川の由利香女史から、「ご一緒出来たら、またはお会い出来たら、ハッピーだ!」とのメールを頂いた。しかし、現実となると、こちらはあまり風采良くなく、白馬に跨る王子様を連想されていては、お気の毒で仕方がない。それでいて、当方も王女様を連想していたりして・・・でも、当然「山ノ神」が、くっついて来そうだから、引き立て役になるし、また何の心配もない。それどころか、その計画自体、実行されるかどうかのチャンスも、2回しかないのである。「哲ちゃん」にも、由利香女史にも返事を出さない内に、当欄に載せてしまい、それこそ、お叱りを受けるかもしれない。 p.m.11:45



8/11 7/31蓮華温泉からの白馬岳山行の際、「上総の哲ちゃん」とニアミスになったと知らされた。「哲ちゃん」は、前夜の9時に到着で、午前6時に朝日岳に向かって出発したようであるが、私(達)は、午前5時20分着で、45分に白馬岳に向かっている。
 そう広くはない駐車場ではあるが、出発のための準備や、トイレなどで、周囲を見渡す余裕がなかったのかもしれない。でも、「哲ちゃん」は、その夜、朝日小屋で「好山病・・」若手メンバー4名と同室になり、山の話で盛り上がったと聞く。良かった。・・・・

 その「哲ちゃん」に、丹沢山の事を尋ねてみた。「哲ちゃん」は、全国至る所の山々に詳しいが、特に丹沢通と聞いている。やはり親切で頼りになる返事が来た。晩秋または初冬に狙っているのだが、明日の事も分からない私には、本当に行けるかどうかわからない。しかし、山行計画を立てるのは、実に楽しいものである。



8/10 私は「き」を「ひ」に、「に」を「の」に、キーボードを叩く癖があるらしく、それでいて点検しないので(読み返しを怠るので)実に読み辛いらしい。ご指摘は謙虚に受け入れるにしても、またかの愛嬌で見逃して欲しい。でも、後々まで残るので、出来れば、今後共ご指摘して頂ければ尚更幸いである。

 東京三軒茶屋に住まわれる人生の大先輩・勝見氏から、節目毎に人生訓なるものを教えて頂いている。今回は、「人生って脇役がいいですね!」 が送られて来た。私はこれが結構気に入り、無断でこの欄に紹介したくなってしまった。 「勤勉にもなれるし、サボタージュも出来るし、正義の味方も出来るし、時には邪魔にもなれるし・・・・とにかく、主人公だけにはなりたくない。

 もっとも、文章の一部を割愛しているから、何の事か分からない向きもあろうが、それはそれでいい。何か感づいて頂けるのなら幸いである。
 でも、もうちょっとだけ、続けてみようか? その同氏は、小さなバー「老婆は一日にしてならず」のママさんや、著名人らと飲んでいたところ、急に胸が苦しくなり、救急車で運ばれてしまったそうである。しかし、三途の川から跳ね返され、生還後は、人生観が以前と変わられ、上記のような云々になったのかもしれない。「私の知人・友人5名が、ヘリのお世話になった事がある。」とお返事してみたが、私のメールは、何の慰めにもならないだろう。 p.m.11:59



8/9 山から戻ってPCを開いたら、「生きていますか?」の同じタイトルで、「ねぎちゃん」と「まきちゃん」からメールが来ていた。以前からの情けない内容の文章や、「8/6山に行けなかったら死ぬかもしれない。」に対する愛情?のこもった叱咤激励のメールと受け取った。馬力と技術のある二人の盛夏は、思い切りよく「試練と憧れ」を満喫しているようである。それは、探求心と耐久力を試しているかのようにも感じてならない。
 「50数年(60年近く)使ったから、取り替えるパーツはもうありません。」 と言われる程の年齢になっていながら、「まだまだ、一緒に山に行こうよ!」と声を掛けてもらえるのだから、私はハッピーだ。 p.m.5:00



8/8 午前4時半出発の予定が、目が覚めたら、もう、その時刻であった。朝食は、うどんの予定であったが、「山ノ神」は食べられないから、すぐ出発しようと言う。でも、濡れたテントを片付けたり、車まで何度も往復したりして、出発が大幅に遅れ午前5時45分となる。
 昨日の事を思うと、ロングコースだけに、不安が付きまとう。荷は全部自分が担ぎ、「山ノ神」は、ストック一本だけの条件にした。水・点滴など、ぎっしり詰め込まれ、結構重たい物になってしまった。「山ノ神」の変調に、つい先日までの私の体調不良が、何処かへ飛んで行ってしまった感がある。
 「食べろ!食べろ!」 と口煩く言っても、一個のおにぎりの1/10を、また菓子パンの1/10を、10分掛けても、食べれるかどうか程の粗食になっているのであるから、不安がいっぱいのスタートであった。

 しかし、結果的には、三角点まで80分で到達、太郎小屋まで3時間余で登ってしまったのであるから、「昨日の極楽坂山は、何であったのか!」である。それでも、本当に山頂に立てるのかは、最後まで不安であったようである。
 そして、何度も何度も休憩を重ね、6時間半程で登り切ったのである。山頂では、やはり私の予想をはるかに超える点滴が用意されていて、それは美味しそうに飲むのである。栓を抜く度に、周りの視線を気にしなければいけないようであれども、その度胸だけは、臆する事はないのである。

 復路で、薬師岳山荘前で、休息していると、「あら~」の声が掛かった。何とeiko女史である。こんな所で会えるとは思わなかった。山グループ「ドナの会」で来たのだそうである。eiko女史の顔を見ると、また飲まなければいけなくなった。ニコニコするのは、もちろん「山ノ神」である。

 eiko女史の後続の仲間とカメラに収まったのであるが、美人揃いである。今度、下界で会ったら、「美しきドナの会」に改名せよと、提案するつもりである。
 息絶え絶えの「山ノ神」であったが、その点滴が、またもや奏功したのか、太郎小屋まで1時間で降りてしまった。そこまでは良いのであるが、太郎小屋の前をウロウロし出し、何かと尋ねると、「もう点滴が切れる。」と言うのである。買って来たのは、350mlではなく、500mlであった。つまみ以外殆ど口にせずとも、これだけ頑張ったのは、何なんだろう。「山は、美味しくビールを飲む所。」 彼女の哲学が生きていたのかもしれない。



8/7 今思えば、「山ノ神」の様子が変であった。行き先が決まっていないとは言え、連休初日なのに、なかなか起きて来なかったのである。  遠出には最早遅く、薬師岳を提案したが、すぐには頷かなかった。ブナクラ周辺の山の名をあげた時などは、「あんただけ、行って来たら・・・」とさえなった。

 結果的には、「荷を担ぐのも、しんどいだろうから、明日、折立からの日帰りにして、今日は、その近くにある極楽坂山を、ちょいと登ってから、折立で避暑を兼ねたキャンプと洒落込もう。」に落ち着いたのである。

 食料を買い込み、高岡を出発したのは、午前11時を回っていた。7年前の11月初旬に、極楽坂スキー場のゲレンデを登り、その極楽坂山の山頂に立ってみて、「山と言うものは、登ってみなければわからない。」を実感した山でもあった。
 「越中の百山」ではあるが、複数回登頂にも色気があったし、それよりも、その時、白樺ハイツ側に降りた時の紅葉加減が、「山ノ神」にとっては、好印象となっていたようであった。その事もあり、簡単な山の印象が強く、すぐにOKとなったのである。しかし、白樺ハイツ側からの進入路が、有峰林道料金所前からある事が、なかなか分からず、右往左往してかなりの時間を費やしてしまった。

 標高差にして450mくらいで、1時間も掛からないと思っていたのに、「山ノ神」の足が動かなかった。5分も歩くと一服。それが、3分、2分となっていた。
 「昨日から何も食べていない。食べられない。力が出ない。」というのである。ある程度整備がしてあるものの、伸びた草木に遮られて、しかも、真夏の真昼であるから、一層応えたのかもしれない。それでも、計画の倍の時間を費やして登った。それは、以前登った好印象は薄れ、唯の山頂を踏んだだけのものであった。

 食べられないのなら、明日の薬師岳も登れないだろうから、このまま家に戻ろうと提案するも、どうなるかは明朝の判断に任せ、今取りあえず、ビールを飲ませろと言うのである。昨夜は飲まなかったし、点滴のようなものであるからとまでいう。

 登りながら、先日断った生命保険が悔やまれたのであるが、飲めるから、まだ大丈夫であろうと、気持ちが変わっていった・・・・・。

 極楽坂山を下山して、薬師岳の登山口「折立」に向かった。雨が降って来た。いや、もっと降っていて、止みかけだったのかもしれない。折立のキャンプ場は、無料の割には、設備が整っている。
 設営してから、夕暮れ時を些細な材料での食事になったのであるが、点滴が奏功したのか、「山ノ神」が元気を取り戻したかに見えたが、それは明朝になってみなければわからない事であった。しかし、相変わらず、物は食べられないが、水物だけは喉を通って行くようであった。



8/6 結局二人の意見が、かみ合わず(何も決まらず)、お互い無言のまま就寝となる。明日、山に行けなかったら死ぬかもしれない。



8/5 遠い所、あまり歩かなくてもよい所などの条件で、浮かび上がったのが「蔵王山と船形山」 「吾妻山と一切経山」 「那須岳と八溝山」 「天城山と金時山」 であったが、時間と費用の割には中味が薄いとの事で没になりそうである。

 同じ行くなら、もう少し時間を掛けてと思うのであるが、逆に、そんな所へは、そうそう機会が生じない。
 しかし、伊豆・那須・磐梯などは避暑地であるから、予想以上に時間を費やし、思うような行動が出来ない可能性もある。ならば、テントを担いで、近間の涼しい山に行けば良いのである。今からの計画でも、充分間に合う。



8/4 山仲間から、山行報告や山行計画が送られて来る。昔は、素直に受け入れられなかったが、今は「頑張っているな!」 「良いところへ行ってきたな!」 「羨ましい所へ行くな!」 などと、自分の事のように嬉しく楽しく感じている。まあ~、それだけ、歳を食ったと言えばいいのか、トゲがなくなってきている。

 「ゆっくり」や「楽しみながら・・」を、全面に押し出しながら、自分の山行を模索する事になるが、「私だって・・」が、時たま、頭をもたげる事に、かすかな期待を繋げたいと思っている。
 具合が悪いのなら、「ゆっくり静養を・・・私が、あなたの分まで楽しんできますから・・」 などの文言には、「負けてなるものか!」になる。病気を吹っ飛ばしてやる。 p.m.11:55



8/3 「こんな事を書かなければいいのに!」 「黙って休めばいいのに!」 と言われるし、自分もそう思う。しかし、それは、「毎日に拘っているし、それが拠り所でもある。」 止めたいと言う心と裏腹に、何が何でもの思いもある。もしかしたら、心の弱い私は、同情を求めているのかもしれない。そして、「止めれば・・・」 と言われるのが一番怖いのかもしれない。

 「山に行かなくなるという事は、半分死んだようなもの!」 「山に行かなければ、当然HPも終わりである。」 などと、ず~っと言い続けて来たから、そんな事に、ならないようにしなければならない。
 幸い8月は、「好山病・・」また「ハレルヤ」の予定がない。この間、心身とも自分なりのリハビリに精を出し、元気になって、また皆と一緒に歩きたいと思っている。そう言いながら、見た目は、以前と全く変わりはありませんから、ご心配なく。絶対、次の休日も何処かの山を歩くつもりである。 p.m.11:05



8/2 あまり気分が良くない。2~3年前であったろうか、可笑しい可笑しいと思いながら、日を過ごし、目も開ける事が出来なくなるような頭痛に襲われた。何処へ行けばわからず、総合病院の脳神経外科で、CTなどを撮ると、耳鼻咽喉科に回された。今回はあの時のように、酷くはないが憂鬱である。山行への意欲も萎んでいる。



8/1 昨日の白馬岳での体調不良はどうしてなのか考えてみた。前日からの耳痛・歯痛は、ひとまず収まっていたのであるが、もしかしたら、それが引き金だったのかもしれない。

 最近痛めている膝なのであるが、それはそれで、普通の歩きが出来ないわけがない。しかし、休息時に座ると、足が攣る傾向にあった事は確かであった。多分水分不足に繋がっているのであろう。

 既存のイス・テーブルがあると助かるのであるが、山ではそんなものはない。雪のシーズン「好山病・・」特製のイス・テーブルがあると実に助かっていた。でも、昨日のような事を経験すると、来シーズンそのような所へ行けるのだろうかと不安になって来る。
 では、山頂の頭痛は何であったのだろうか、睡眠不足ばかりではなかろう。今朝、自己判断だけれど、内的に異常を感じてしまった。 p.m.10:35