10/31 「文化の日は、中山がいい。」の定説の如く、馬場島は準備を整えつつあった。錦秋を目の当たりにした我々は、その余韻を馬場島でコーヒーを点てて浸った。

 「山ノ神」と二人の時は、下山後、後片付けをしながら湯を沸かし、唯、コーヒーを飲むという感じであった。最近は、駒ヶ岳・大猫山など「遠方より友来る。」ではないが、宮ちゃん絡みの時が多いように思う。
 暗くならない内は、もう一度「山の空気」を吸う。そして、余韻を楽しみながら山を見直す一時?・・・

 もしかしたら、友と離れるのが寂しいから・・・・、いや、歳を取って、少し心に余裕が出来たから・・・・・・
 如何様にとられようとも、これも山を楽しむ一つなのである。



10/30 馬場島に車が近付くに連れて、昨夜遅くまで降っていたのであろうか路面が濡れていた。ブナクラ取水口駐車場に定刻通り山バカ7名が集まった。そして、夜が明けるに連れて、ブナクラ谷の紅葉が色鮮やかになって行く。「もう少し陽が当たればなぁ。」などと皆の顔はにこやかであった。

 「山ノ神」のお姫様山行(橋ちゃんの言うところの荷を担がない歩き。)は、心配をよそに意外と順調であった。初めてグループに参加した茂ちゃんは、名刺代わりに皆に頭を撫でられながら、後立山の絶景を目にしていた。
 ブナクラ峠で、全員合意の上で、赤谷山行きを、猫又山行きに、行き先を変えた。これが奏功し、快適歩行に、しかも絶景が待っていた。
 この時期このメンバーで、山頂から2時間も剱岳を始めとする山々を楽しんだが、その特効は疲れた身体や日頃の邪悪の心までも、癒してくれたような気がしてならなかった。帰路の午後1時過ぎからガスに覆われたが、ブナクラの錦秋は、我々の目に焼き付いてしまったようである。



10/29 「明日は好天!」 そんな予報であるが、県東部では一部かもしれないが、雨が降っている。先程までは、大雨洪水警報まで出ていた。

 この時期としては、「山ノ神」を、赤谷山まで連れて行くのは、至難の業であるが、登山口まで行って決めるしかない。
 「好山病・・」 のメンバーも、都合が悪いと聞いていたのに、いつしか明日は、いろいろ取り混ぜて、7名が徒党を組む事となった。

 福井の往年の美女達とも、もしかしたら、今年最後の山行になるかもしれない。来年厳冬期の荒島岳を、ガイドしてくれると言うのであるから、明日は、かなりゴマすりをしておかなければならないか! p.m.11:10



10/28 今年は、不帰岳に登る機会を与えてもらった。昨秋も術後すぐであったが、西鐘釣山に登れるという幸運があった。これも、長勢・橋本君の力添えがあっての事であった。今年は日程からみても、これ以上の事もないし、また望まない。

 しかし、来年は、「これが最後かもの気持ちで・・」 少しハードルを高くして、「越中の百山」 残り13座の内、3座くらい目指してみたい。私一人でも、行けそうな所が3座くらいあるのだから、目標をもっと多くしても良いのであるが、 休日・天候・仲間が揃い、体力・気力が伴わなければ、そう簡単にはいかないし、その山に拘ると、本当に行きたい大好きな山に、行けなくなるというギャップが生まれて来る。私のようなものでも、一年に一回くらいは、どうしても行きたい山があるから・・・

 今年も後2ヶ月余、晩秋から初冬にかけての静かな山を、私なりに楽しみたいと思っている。同じ所を何回登っても、それはそれで、その良さがあるし、何回登っても、その顔は違っている。だから、私は登るのかもしれない。

 

10/27 久しぶりにRespirar坂本夫妻のご招待を受けた。彼らの住居(マンション)を、元ちゃん山荘と称して、私を呼んでくださるのである。坂本氏は、仕事の忙しさから、山中を車で走り抜ける事も出来なくなっているし、20歳の時朝日岳に登った事がある夫人は、何十年も山から遠ざかっている。

 しかし、そんなお二人であるが、私の「山の話」を、食い入るように聞いてくださる。今日は何か違った話題をと思って出掛けたのであるが、回り回って、いつもと同じような話になってしまった。

 でも、イヤな顔一つせず、私を持ち上げ、良い気分にさせてくださる。「山ノ神」所用で今日は単独行の私、話は弾んで、私が独身時代に仲間と、機会がある毎に、出掛けたスナックにまで、足を運ぶ事になった。
 「髪の毛が薄くなったね!」の第一声であったが、話はすぐ青春時代に戻った。



10/26 長年ずっと気になっていた山岳保険に今春ネットで申し込んでいた。日頃お世話になっている保険屋さんに問い合わせても、あまり良い返事がなかったし、自分の知り尽くしている範囲では、それを扱ってくれている所がなかった。(知らなかった。)

 特別な雪山や岩登りをするわけでもないが、ピッケル・アイゼンを使うとなると、ハイキング保険では要を足さないらしい。叱られるかもしれないが、救援体制が整備されている富山の山を登っている限り、もしかしたらそのような保険に入っていなくても良いのかもしれない。(危険地域に入る時はダメ。)

 そして、未組織の山愛好会の一番心配するところは、山での病気である。傷害保険故、保険の対象にならないのである。(共済なら大丈夫のようである。)

 私は取りあえず、オールラウンド遭難捜索費保険に入ったのであった。遭難捜索費用・捜索追加費用・救援者費用・死亡後遺傷害・傷害医療費用・個人賠償費用が付いた保険である。(これでも、病気は対象にならない。)

 今回、私の不注意で起きた、ヤケドや目のケガにも、次の項目に該当し、診療費が対象になるようである。
(1)公的医療保険制度における一部負担金、入院時の食事療養費の標準負担額および差額ベット代。
(2) 入院、転院または退院のための被保険者に係る移送費および交通費。

 それこそ、たった一日づつの診療であったけれど、使った費用が戻って来る形なので、小遣い不足の私には、ちょっぴり助かるのである。 p.m.8:40



10/25 「山の情報を多く頂ける。」 山ヤとまで言い切れない自分でありながら、それは、ホッとなる一時でもある。「頑張れ!」 と言って下さるようでもあるし、「一緒に行こうや・・」 とでも言ってもらっているかのようでもある。報告を頂きながら、その返事は疎かになり、いつもいつも申し訳ないと思っている。

 「行けるかな?」 「登れるかな?」 と思案しながら、「行きたいな!」 「行かなければ・・」 の気持ちが、いつまで続くのであろうか? 一方では、「ず~っと、歩きたいから無理するな!」 と軟弱な自分が語りかける。でも、最近はそれを、決して「軟弱」 とは思わなくなってきた。「勇気」 と勝手に置き換えて、自分を納得させている部分は、大いにあるのだが・・・・・・

 もしかしたら、料理やお茶タイムに時間を費やす事になり、そのための器に凝ったりするかもしれない。また、落ち葉を集めたり、カメラを覗く時間が多くなるようにも思う。でも、それもあれも計画段階の事で、もっと遠く(奥)、もっと速くにならないとも限らない。



10/24 アートハウス・ドナで、たくさんの山仲間と再会した。懐かしくて手を握り合えたり、はにかんで、上手く喋れなかった人もあった。
 人との出会いは、恋と同じで、一方通行の時もあれば、自分の心に仕舞い込んでしまう事だってある。見た目の良い事ばかりでなくても、ふ~っと吹き抜ける快感もある。

 個展終了後、大勢の有志で、絵に囲まれながら(鑑賞しながら)、eiko女史の今回のタイトルの如く、「山の語らい」を始めた。その語らいは、延々と深夜まで続いた。今日は、一日中眠たかったが、昨日の余韻が快く残った。 p.m.10:50



10/23 先日、佐渡氏から水無山の情報を得、何となく行ってみたくなってしまった。9年前に出掛けた時は6月であり、水芭蕉の大群落に驚いてしまったが、今度は素晴らしい紅葉が見られるのではないかと心が弾んでいた。
 しかし、以前からの雨の予報と、ダートな林道を、ちょっぴり懸念していたが、時々薄日が差し、また百瀬川東俣源頭までは、随分走りやすくなっていた。その源頭から水無側に下る3キロ余だけが、対向車が来たら、ちょっぴり困るところか!

 林業関係者の方々から、「熊を見た。気を付けなさい。」と言われながら、まだまだ、ず~っと奥に入った。水無山の取付きを確認してから、700~800m先の水芭蕉群生地の案内板のある駐車所まで車を入れた。すぐUターンするつもりであったが、「山ノ神」がその群生地が、「どのようになっているのか見て来る。」と言い歩き始めたので、「せめて凜くらい持って行け。」と言うと、そんなのなら行かないと言って車に乗り込んだ。
 その途端、車の前方5mくらいの茂みから小熊が現れ、「山ノ神」が行こうとしていた方向に駆けて行った。身震いも束の間、「山ノ神」は、「カメラ・カメラ!」 と叫んだが小熊は消えてしまった。「山ノ神」が忠告を無視して、歩いていたらと思うと、ぞっとしてしまった。

 取付き地点から、水無山頂までは、いつからそうなったのであろうか、刈り込んであり、10分程で辿り着いてしまう。落胆と言えば良いのか、あっけなく終わってしまった。でも、先程の事もあり、登り下りは、大声を出しながら歩いた。

 時間があれば、金剛堂山の登ろうという計画であったが、ちょっと行っては、カメラを構えて、パチリ!の連続で、庄川・河合線に出て、コーヒータイムとした時点で、金剛堂山は諦めた。利賀川ダムまで出掛けて、大勘場方面の通行止を確認しながらのダム上からの紅葉も楽しんだ。

 百瀬に正午過ぎに戻ってからは、やはり紅葉の魅力のある白木峰に車を向けた。暗雲が立ち込めたが、その間隙を縫っての日差しを浴びた山並みの紅葉は、予想通りのものであった。
 山頂から繋がる風衝草原は草紅葉、仁王山は懐に青い屋根の白木小屋を従えて萌えていた。午後3時頃から風と共に雨が降り出したが、紅葉を結構楽しめた山岳ドライブの一日となり、吉峰にあるeiko女史の展覧会場へ急いだ。



10/22 今日のメーンページの画像は祖母谷温泉。ちょっと気恥ずかしかったが、素朴な風呂に好感をもっての掲載。来秋の「好山病・・月見の会」の最有力候補である。

 明日は、雨の確率が少し小さくなった。一度しか行ったことのない「水無山」に思いを寄せている。車が入る事が出来れば、三角点まで多くの時間を要しない。ならば、東俣から金剛堂山へも可能である。eiko女史の展覧会も待っている。忙しい一日になりそうである。 p.m.10:35



10/21 地図を広げながら、山仲間の一人一人の顔を思い出してみた。「百・二百などのの名山を目指す人」・「山なら何処でも登る人」・「花や写真が楽しみ、山頂に拘らない人」・「とにかく、人より速く歩きたい人」・「何故か分からぬが、ヤブ中を好んで歩く人」など様々である。どれも優劣を付け難く、その人の個性を感じる事が出来る。

 名山歩きには、「越中の百山」もあれば、「北陸の百山」もあり、標高のベスト100があれば、分県シリーズ踏破もある。また写真に拘る人は、同じ所に腰を据え、気の済むまで撮り続け、山頂などは二の次と聞く。それから、シャッターを切らないで山を降りる事もあるらしい。
 花を追いかける人などは、ゆっくり時間を掛けて歩き、時には、北や南へ私には考えられない移動する人もいる。
 他人の記録を意識して、それを破る事に、生き甲斐を感じている若者もいるし、それを元気さのバロメーターにしている人もいる。
 そして、マイナーな山、しかも道なき道にチャレンジして、冒険を楽しんでいる人もいる。

 いつも会っている人、時々しか会わない人、忘れた頃にしか会わない人、皆私の山の友人である。 p.m.11:25



10/20 久しぶりに雨が降った。10/8以来であろうか! しかし、高岡の降水量は僅かであった。明日からまた晴れるようであるが、10/23は、雨の予報である。
 このところ、お天気に結構恵まれていたから、eiko女史の個展を見に行くのに、近間の山行きで、ちょうど良いのかもしれない。そう思いながら、私の心はよく動くのである。でも休日は、山以外に行く事がない。 p.m.10:45



10/19 ヤケド痕は醜いが、歩くのに、もう殆ど支障がない。しかし、目はそうも言えないらしい。所用で来高し、そのついでに来訪してくれた「橋ちゃん」に、「元さん、前より酷くなったんじゃない!」と言われた。

 事故当時の症状は鏡がなかったから、よく把握していない。でも、相対する人達はあまり気分の良いものではないと察する。ではと、今日の会合に眼帯をして出掛けたが、それはそれで、どうしたのかと言われてしまった。「山か?」「ものもらいか?」などなど・・・笑ってやり過ごすしかなかった。

 ビックリしたのが、車の運転であった。僅かな距離だからと、ハンドルを握ったのであるが、これが、思うようにならず、怖くて眼帯を外さずにはおれなかった。(貴重な経験?)
 今は、どうもなかった反対の目が可笑しい。疲れなのだろうか・・・
 目の病に、お酒は禁物と言う人があったが・・・大酒飲みでもないし、日常通りなのだが、これもいけないのか。

 もっとびっくりしたのが、会合の会場である公民館に備えてある血圧計(腕を入れてスイッチを入れれば自動的に計ってくれるもの。月に一回お世話になっている。)の数値が日頃と全く違っていた。(高)120→140 (低)78→95 そう言えば、首から後頭が少し重い。
 何で・・・・・・・・原因は、目ではなく、「山ノ神」との闘争が影響か!



10/18 重たく感じる目の事もあるが、昨晩からのPCの不都合には参った! S先生に登場して頂いて、何とか現在に至っている。その間、いろいろご心配頂いておりましたが、「山には行けます。」 薬は山です。「山の空気」であります。 p.m.10:15



10/17 右目の出血の他に、10cm以上の擦り傷が、腕に3ヶ所・足に2ヶ所、右足脛に打撲痕、これが不帰岳の代償であった。
 一週間前のヤケドは、足の甲だけに、それ程気にならなかったのだが、下山時に浸かった祖母谷温泉で、ペロリと上皮が剥けてしまった。
 それはそれで良いのであるが、薬・包帯・テープなどが、リックの何処に入っているのか分からなくなった事もあり、欅平まで登山靴を履いての歩行、そして、家に戻るまでの時間が長く、ちょっとばかり可笑しくなったような気がした。

 それでも、不帰岳は、それ程の登り甲斐ある山であった。まず好天に恵まれ、紅葉が素晴らしく、そして、後立山の山々への展望も、雪を被ったオマケまで付いた。究極は剱岳を拝めれた事であったろう。
 時期を外せば、また、好天に恵まれなければ、このような快適な山行もあり得なかったであろうし、また、若き山友の同行にも恵まれ、「私はハッピーだった。」としか言えないであろう。
 「越中の百山」も、精進して、その機会を待てば、もしかしたら・・・である。



10/16 朝方、北西からの雲に、惑わされそうになったが、その心配もなく今日もピーカンであった。何度も何度も立ち止まって百貫山・剱岳・後立山の山々を眺めた。このような素晴らしい時に、仲間と一緒出来なかった事を悔やみながら、メンバー一人一人の顔を思い浮かべた。

 下りは苦手と言いながらも祖母谷温泉に3時間半程で辿り着き、河原の露天風呂(祖母谷地獄)に直行となる。
 しかし、熱湯のように熱く、ちょっと外れると、縮み上がる程の冷たい流水が流れ込む。いたたまれなくなり、もう一度着衣を身に付け、祖母谷温泉の露天風呂にお世話となる。
 冷たいビールをご馳走になり、開放的な露天風呂に入り、焼きそばやラーメンを作って食べれば、この世の天国であった。それでも、時刻は未だ正午過ぎ、こんな山行も、時には良いものである。

 欅平までの小1時間の歩きに、来年の「月見の会」は絶対祖母谷温泉と、3人で勝手に決め付けた。トロッコに揺られ、魚津ICまで送ってもらい、8号線に入ってから、異常な程の睡魔に襲われた。
 この2日間、2時間程度しか寝ていなかったせいもあるのであろうが、射水市(旧小杉町)辺りで、車を止めざるを得なかった。

 行くか行かないか迷ったが、念のため、昨日のヤブ漕ぎ中に痛めた眼の事で、ヤケドや歯痛でお世話になっている総合病院眼科を訪ねた。
 しかし、到着したのが4時半を、とっくに回っており、当然受付が終わっており、月曜日の午後の眼科は検査だけで、一般診療は行っていないとの事であった。「明日、また出直しだ!」 と思って、帰ろうとした時、総合受付嬢は、私の眼の異変に気付いたらしく、眼科に連絡して看護師を呼んで下さった。

 そして、汗臭い衣服のままであったが、待合者を飛び越して、診療室に案内された。検査等の結果、黒玉の上皮が剥離しての出血らしく、この先2~3日間ほど、痛みが起こらなければ、その出血(赤い眼)も10日~2週間程で収まるだろうというものであった。
 やれやれであったが、”見た目”が悪いから、しばらくは、いろいろな方に何でも言われるのは、覚悟しなければならないであろう。あの方にも、散々言われそうである。



10/15 午後から一時ガスが掛かったが、念願の不帰岳行きは、ほぼ快晴に恵まれた。ヤケドも治っていないのに、また一週間前の白馬岳遭難者達が通ったコースではないかと、いろいろ心配をしてもらったが、それはそれは素晴らしいの言葉が、当てはまる山行となった。
 1400mから上の紅葉と、白馬岳が隠れて見えぬが、鹿島槍ヶ岳までの後立山の山々が、上部を雪化粧しながら、ず~っと、眺めさせてくれた。

 休憩するのに適当な場所もなく、延々と続く登山道であるが、思ったより整備されており、沢筋が適当な飲み水と休息場所にしてくれたのである。
 避難小屋泊とは言え、寝具に食料、そしてなくてはならぬ、アルコール類を担いでいた割には、祖母谷温泉から5時間くらいで登ったのではなかろうか!それも、デジカメではあるが、何度も立ち止まって、シャッターを切っているし・・・・・

 その余勢を駆って、午後3時前、その日の内に不帰岳の山頂を目指した。標高差100m程であるが、私の苦手なヤブ漕ぎが待っていたが、長勢君がぐんぐん引っ張って行ってくれた。距離にして400mほどであるが、私一人であれば、とてもこのような所へ来られるハズもない。

 山頂の三角点を踏んだ感動は、欲張りなもので、百貫山・奥鐘山・名剣山などの未踏の山を脳裏に浮かべてしまった。
 樹木の間からは、その百貫山越しに剱岳が雲海を従えながら、勇壮な姿を見せてくれた。
 また黒部の猫又山辺りの山々が夕日に映えて、萌えている様が目に焼き付いてしまった。

 これくらいなら良いであろうと思える小さな山名板(落ちても自然に戻れる)を取り付けて、避難小屋に戻る途中、それも、もう僅かな距離であったのに、またまた不注意で、小枝を目に入れてしまったのである。
 鏡がないから分からなかったが、「元さん、目が真っ赤だ!」と言われてしまった。しかし、気になる程の少々違和感があるが、この喜びを皆と分かち合わなくてなるものか、若い二人に連れて来てもらったものの、私にしてみれば待望の一座登頂である。嬉しかった。そして素晴らしい山。そして山行であった。

 たくさん食べて、たくさん飲んで、午後10時過ぎ二人は寝たが、私はしばらく、その余韻を楽しみながら、手帳にメモっていた。その後、シュラフに入ったが、寒さも手伝ってなかなか眠れなかった。



10/14 何の準備もせぬうちに時間が過ぎて行った。明朝の自宅発が、午前5時過ぎであるから、まだいいようなものの、寝不足で、思うように足が上がらないかもしれない。若い二人に、手を引っ張ってもらえばいいのかもしれない。



10/13 この2~3週間、数人の方から、「HP見ていますよ!」 と言われた。それはそれで感激なのであるが、その方々は、決して「山が好き!」 ではないのである。時々、HPの事を尋ねられる事があるが、「私のHPは、山の事ばかりで、山が好きでない方が見ても面白くない。」 と言い続けている。

 実際山バカが、綴り続けているわけで、山に興味のない方が見ても、何が何やら、また同じ事ばかりになってしまうのではないであろうか!
 一方ではPC・HPの事になれば話が弾む。でも、同じ山を何度も登るにつれ、また根気がなくなってきた事も左右しているのかもしれないが、本来の山のHPの主旨から、かけ離れて来ている懸念もある。

 ネタ切れで「山ノ神」の事を・・などと思われるかもしれないが、その「山ノ神」の事など、すぐネタ切れになるに決まっている。いや、それよりも、回り回っての逆襲も恐ろしく、最近はやっぱり、同コーナーを止めようかなどと思い始めているところである。
 その「山ノ神」、明後日からの不帰岳の事には、何の興味も持たず、せっせと自分の山行計画に余念がない。 p.m.11:40



10/12 左足甲のヤケドは、見る限りでは痛々しいが、だいぶ肉が上がってきたように思える。「洗い流す」のが一番との教えに、朝夕2度風呂に浸かっている。化膿さえしなければ、患部の湿り気を保たせておくのがいいのだそうだ。

 以前テレビのある番組で、擦り傷にはラップを張り付けておくのが、どの方法よりも治りが早いと、やっていた事を思い出す。でも、私の場合は、メが剥けている所が擦れれば、ワヤになるのが必死である。長い間登山靴を履き、如何様な角度にも、屈曲するのであるから、小手先のパットくらいでは、収まらないであろう。
 後、二日半、祈るようなつもりで、回復を待ちたい。不帰岳など、なかなか行く機会巡って来ないから・・・ p.m.9:55



10/11 一昨日の大猫山から下山後、馬場島荘で入浴し、体重計に乗ったら5キロも減っていた。しかし、昨日、自宅の体重計で計測すると、逆に1キロも増えていた。元々我が家の体重計も信頼性に欠けるが、あそこの体重計も怪しい事になる。
 暴飲暴食と言えども、まさか一晩で、あれだけ増えるものでもあるまい。私は見掛けにも、そう太った部類には入らない。しかし、体重を述べると「ウソー」となる。

 以前の山行形態は単独行が多く、元来ナマクラな私は、食料は持参しているが、時間を掛けて食事をする事もなく、唯歩くだけであった。長い時間歩く時などは、5キロくらいは痩せて当然であった。
 それが、「山ノ神」と歩き始めてから、歩く距離が短くなり、休憩が多くなった。そして、「好山病メンバー」と、歩くようになってからは、長距離・長時間歩くが、休息(昼食)時間が長くなった。その間、よく食べるので体重が減るわけがない。これも好山病の一症状かもしれない。



10/10 昨夜の馬場島宴会は、実に楽しかった。仕事に間に合うよう今朝家に戻ったのであるが、声がかすれてしまっていた。たくさん飲んで、いい気になって、きっと喋り過ぎたのであろうが、それ程気分が良かったのに違いない。

 ところが、その席上、自分の不手際から、熱湯を左足の甲に掛けてしまったのである。厚手の毛糸の靴下を履いていたものの、熱くて跳び上がってしまった。ちょっと水で冷やしたが、その後はあまり気にせず、飲み続けていた。
 家に戻ってから、皮がはぐれている足を見ながら、時間が経てば、治っていくのではなかと思ったのであるが、ジュクジュクしているのを見ると、化膿したりして、次の山行に支障が出るのではないかと不安になり、総合病院の皮膚科を訪ねた。

 来週、是非とも行きたい黒部の奥山(不帰岳)までに、何とか治したく、靴を履く事の否かを尋ねたら、ヤケドはそれ程でもなく、症状は靴擦れぐらいで、後はやはり化膿の心配だけだと言われた。靴を履く履かないは、治りが遅くなるかぐらいに考えればいいらしいが、擦れれば痛くては歩けないかもしれない。歳取った張りのない皮膚だが、何としても歩けるくらいに治さなくては・・・ p.m.7:15



10/9 空は真っ青、高い山は白く、絶好の山日和であった。橋本・長勢君と「山ノ神」に私の4名は、月見の準備をしなければいけないことから、大猫山になり、まきちゃんを含む強力大沢野軍団は赤谷山へ向かった。
 最近の寒さで、紅葉もドンドン降りて来ており、ブナクラ取水口駐車場は、車が溢れ、鉄製の橋付近にもたくさんの車が並べられた。

 登頂時間を考慮し、「山ノ神」は荷なし・ストック一本の特別待遇となった。それが奏功し、苦手の大猫山を3時間台前半でクリアする事が出来、白くなった剱岳を満喫する事が出来た。「こんなのなら、もっとビールを持って来れば良かった。」「折角泊まるのであるから・・」「絶景を眺めながら飲まないなんて・・」と「山ノ神」節がこだましそうであった。

 午後3時前に登山口に戻り、馬場島荘で入浴した後から、ご馳走の準備に取りかかった。七輪まで用意され、肉をジュー、天ぷらに鍋料理、食べても食べても次から次へとご馳走が出て来た。この時とばかりに、ビール・焼酎・お酒・ワインを、怪しげな雲の中から出て来たお月様を見ながら延々と続いた。
 強靱な脚力を持つ軍団だと聞いてはいたが、アルコールにもめっぽう強く、そして、気配りも利く、素晴らしくて楽しい軍団だった。休日が違い、なかなかお会いする事がないが、また、こんな機会が訪れたらハッピーである。



10/8 明日は多くのメンバーが集まらないが、登山後、馬場島で「月見の会」を行う事になった。宴も良いが、川のせせらぎに耳を傾けながら、真ん丸いお月様を眺めるのも乙なものだ。

 「早々に、大きな剱岳と対面し、早めに下山して、ご馳走に有り付く。メンバーや客人(ゲスト)と、大いに山談義をし、暗くなったら、月を眺めながら物思いにふける。」 そのような段取りになれば良いのに・・・ p.m.8:05



10/7 私には関係ないが、三連休の初日は肌寒さを感じた。高所では雪かもしれないと思っていたが、夜遅く、ネットで見たニュースでは、白馬岳で遭難が載っていた。急激にやって来る寒波を侮ると痛い目に遭う。
 ちょっと、山に慣れてきた人達には、もっとも危ない時期なのかもしれない。10年程前であったろうか、立山の稜線で京都の中高年グループの大量遭難を思い出してしまう。



10/6 「大事にしていても、この後見る事があるのだろうか?」 と若い頃に買った単行本・文庫本を処分した。それには、かなりの決断・勇気がいった。それは、まるで自分の青春と、おさらばであるから・・・
 いざ処分となると、一つ一つの想い出との決別であるから、読みふけってしまい、なかなか先へと進まない。これが手紙の類となると、もう一つ厄介である。年賀状にはどうしようもなく、一度処分をしたことがあったが、それこそ目を瞑ってやらなければ、事が進まない。ほろ苦い若かりし頃の手紙などは、封印してコンテナにしまってある。見る事もないのに・・・・



10/5 お酒を飲んだら運転が出来ない。「誰か運転してくれたらなぁ~。」 集合場所から、誰かに運転してもらっても、その場所から自宅へ戻るまでの問題もある。ぐる~っと、皆を集めてもらう事が出来ないものか・・まるで夢物語である。でも、もう少し歳を重ねれば、バスをチャーターして、ちょっと遠い所へ、それならば、何とかなるかもしれない。

 ならば、泊まればいいじゃない。山から下りて、お風呂に入って、それからなら、充分に時間がある。夜更かしをすることなく、明朝、仕事に間に合うように帰ればいい。それを「月見の会」として、提唱していたが、やはり纏めるとなるとなかなか難しく、話も達切れになっていた。

 でも、「若い力」は、やはり凄い! 私のようなロートルが仕切るより、スピーディーに事を進めて行く。お天気の事もあるから、ブナクラのどの山に登ってから、祝宴になるか分からないが、久々に顔を合わせるメンバーとの再会も楽しみである。月を見ないうちに潰れないようにしなければならない。



10/4 「午後10時40分、40万アクセスに達しましたね。」 と知人のK氏から、証拠ファイル添付のメールを頂いた。前回の30万(H.17.12.12) 時も、或いは、珍しい数字の並びの時も、私事のように、気にして頂いている。
 K氏は、山登りをされるわけでもないのに、私の山や、PCへの拘りをキャッチして、応援して頂いていると、私は勝手に思い込んでいる。記念のファイルやフロッピー、最近は、「日本の名峰」をDVDに録画して頂いた。感謝しながら、大事に扱っていきたいと思っている。

 振り返れば、流れた歳月の速さを感じ、その都度のドラマを思い浮かべる事が、私の喜びでもある。初代?「元ちゃんの山歩き」から、早いもので、6年半が過ぎた。あの頃は、何もかもが新鮮で、どうしたら良いのか、分からずながらも、没頭したものであった。
 自分の山記録と共に、いち早く情報を載せる事が、使命のような、錯覚にさえ陥っていたのかもしれない。今よりは、PCが普及しきれていなかったからかもしれないが、もちろん知名度がない事もあり、1、000件のアクセスを数えるのに、7ヶ月も掛かったのを、よ~く覚えている。
 今は、紀行文なども疎かになっているのも関わらず、一ヶ月の10,000件を軽く超えてしまうような有様である。「どうなっているの?」 と思うのは、嬉しくもあり、怖さも感じてしまうのです。

 来年の8月頃に、50万件に達したら、・・・・・・・
 夢はたくさんある。あれもこれも・・・「元じい」などと、冷やかされているが、出来れば、再出発の日にしたいものである。それもこれも、山歩きを続けているのが条件である。 足を引き摺っても歩きたい私であるが・・その時になってみなければ分からない。



10/3 「お花松原」まで行けないか(「山ノ神」は、始めから諦め・・)と、下道を吹っ飛ばして(1時間30~40分)、白山公園線に入ると、ゲートが閉まっていた。「雨量規制」の空しい看板が、ゲートに括り付けてあった。やがて・・を期待していたが、時間だけが過ぎていった。
 ・・・・・・この後は、HPに書けない。もう少し時間が経ってからなら・・・

 室堂手前からの紅葉が素晴らしかった。また室堂周辺を見下ろすのも良かった。出発時刻が大幅に遅れたため、お花松原行きを諦め、お池巡りをする事になった。ところがである。間違うハズがない登山道から外れて、瓦礫登らなければならない羽目に遭ってしまった。

 GPSがあったからまだ良かったのであるが、家に戻って、軌跡を確認してみると、とんでもない所を歩いていた事になる。御前峰の頂きに立って、「あんな所に、あんな立派な登山道があるのに!」と思っても後の祭りであった。 「山ノ神」のビール飲みに、そのしわ寄せが来た。私は、運転しなければならないからダメ! コーヒーを飲みながら、「早く早く!」と急かせるので、あまり気分が良くなかったみたいである。
 山頂に立ったのが、午後1時45分、室堂に戻ったのが午後3時。車に戻った時は、またまた真っ暗になってしまった。最初からのトラブル、そして道を間違い、最後は、暗い道を歩いてしまったのであるが、あの萌えるような紅葉を見た事で、ご勘弁願いたい。



10/2 「小雨」が登り始めに止んだ。もしかしたら・・ などと、選択を誤ったかに思えたが、やはり長続きせず、大粒でなかったが、しとしと降り出してしまった。久しぶりの単独行、しかも牛岳である。知り尽くしたかに思えるが、覚えきれないし、自然は同じではない。

 100回通えども、雑念が飛び交い、私の「哲学の道」にはしてくれない。雨・平日、条件は揃っていそうであるが、「無」には、なかなかなれない。まだまだ修行が足りないのであろう。全ての事に欲深い私は、牛岳をトレーニングの域から超えさせる事は、なかなか出来ないであろう。 p.m.6:30



10/1 「明日は雨か?」 今日は未だ良かったのに、またしても、私の休日は雨に遭いそうだ。まあ~、2週間いい思いをさせてもらったのであるから、仕方がないところかもしれない。
 行き先が決まっていない上に、雨となれば、仲間と言えども、声を掛けにくい。「好山病」故、きっかけを待っているのかもしれないが、悪者になりきれないところである。雨が強ければ牛岳。止みそうなら、「山ノ神」のおらぬ間に、大猫山になるであろう。 p.m.10:15