1/31 「ウム・・・」 「町内会長」の要職が当たってしまった。特別会員を入れても、70名余の町内会であるが、イザその代表となると些か気が重い。粘って2年の任期を、1年としてもらったのであるが、必ずと言っていいほど、自分の思いと違った事が付いて回るに違いない。
 諸会合や行事が少ない町内ではあるが、何が起きるか分からない。不謹慎だが、この要職のために、何回かの山行に、影響を及ぼすのは必至である。世渡りの下手な私は、またまた重荷を背負って歩かなければならない。



1/30 大倉山の帰路、富山市内の所用をこなしても、いつもより早い帰宅となり、ちょっとだけHPを更新して夕食とした。数日前から、またまたPCの調子が可笑しく、電源を切るのが怖くて、付けっぱなし状態にしていたのであるが、今度は、デジカメの画像を取り込む事が出来なくなり、やむを得ず、一度シャットダウンを試みたところ、思惑通りにいかず、今朝の午前10時半まで、PCが立ち上がらなかった。

 14時間後、何とか立ち上がってからも、デジカメの画像を、PCに取り込む事が出来ず、しょげてしまっていた。(デジカメ自体やTVでは、106枚の画像を見る事が出来るのに、PCに取り込む事が出来ない。「山ノ神」が、同日撮った14枚の画像は、PCに取り込む事が出来た状態であった。)

 メディアの故障なのであろうか?それとも、カードリーダーの不都合なのだろうかと、私より断然メカに強い「北ちゃん」に問い合わせたりしていたところに、近所のS大先生が、偶然にも立ち寄ってくださったのである。日頃から、S大先生は持論として、「USB」の功罪を唱えておられるが、メディアの故障でも不都合でもなく、そのUSBを外したり、私の分からぬコントロールパネル部分であろうか、それこそ、チョコチョコと触って頂いたら、何と、画像を取り込む事が出来たのである。良かった!

 そこまでは良かったのであるが、「ある事」をしたからであろうか、私のHPの構成が可笑しくなってしまったのである。プロバイダーの容量制限(最近は、順次容量の拡大が行われているのだが・・・)などのため、現在DIONとgeocitiesとからなっていたのであるが、その「ある事」をしたからであろうか、リンクが全部外れてしまったのである。

 「タグ」を調べ直さなければいけないのであるが、その間「元さんの山歩き」が、見られない方も出て来る可能性もあり、二つのアドレスのどちらでも見られる作業をしていため深夜にまで及んだ。恐らく私の知識は、上っ面だけのものだけに、「な~んだ!」に、なるのだろうけれども、通常よりも多くのカウントが進む様を見るに付け、私なりの応急処置を施さなければ気が済まなかった。



1/29 積極的に誘わなかったのが何時の間にか7名が集った。正しく「好山病」の面々である。心配していたお天気も、夜明け前から星が輝き、快晴のオマケまで付いた。如何に少雪とはいえ、流石に林道は300mでストップ(倒木のため)。
 昨春の苦い経験、そして今回は1月であり、「最悪」ばかりを想定して臨んだ。「暴走」と「手綱」の駆け引きは、年の功を尊重してくれた仲間に感謝である。

 少雪とはいえ、高所はやはり雪がある。木々が煩くない事もないが、それなりのハイクが楽しめる。逆光の剱岳は、いつの間にかガスに覆われてしまったが、毛勝の山々は、凛々と我らの前に聳えていた。感嘆の声を上げながら、山頂の積雪を観測しようと、ほじくり返したが、疲れ果てて途中で止めてしまった。1443m大倉山の山頂は、2mを優に超えてした。

 周囲の山々が完全にガスに覆われるまで、山頂の人となったが、寒さと、運転手がアルコールを口にしない事も手伝い、滞在は2時間までとなった。ガスと降雪の中を、大倉山の良さだけを、胸にしまい込みながら、明るい内の下山となった。



1/28 この気まぐれなお天気に、行き先選定に悩まされたが、思い切って「1月の大倉山」とした。少雪所以の選択であるが、何処まで行けるか分からない。それもお天気と雪量次第である。山頂に拘らず、安全第一にと思っている。 p.m.11:59



1/27 少雪に安定しないお天気に、次行く山の選択に苦慮する。朝起きて、気の向くままに行けばよいのかもしれないが、山仲間と一緒する時は、そうとも言っておれない。①楽しいから、②エネルギーをもらえるから、③自堕落しないからなど利点は多い。「少々無理しても行かなければならない。」これもいいところである。
 でも、目的が違うと、袂を分かち合わなければならないが、ず~っと、仲良くしていると、必ず良い事がある。山だけの付き合いだけと言いながら、情というものが付いてまわる。義理・人情など山の世界に出したくないが、突き詰めれば、原点はその辺にあるような気もする。

 単独行の良さを認めながら、人は一人で生きていけない事も重々知っている。記録なども、他の人に認められなければ何の意味もない。応援してもらえるギャラリーも必要なのである。一つの記録に拘る事も凄い事であるが、それ以上に大切な事があるような気がする。そして、オリジナルの記録を目指すのも、また一つである。「1分1秒速く登ってどうだと言うの?」 「何回登ったから、どうだと言うの?」 その通りかもしれない。 p.m.11:59



1/26 亡父が「手の大きいのは良いが、足の大きいのは何の役にも立たない。」 と生前よく言っていた事を思い出す。お相撲さんは回しを掴む時に威力を発揮するし、またお菓子を多く掴む事が出来るという事らしかった。それに引き替え、足の大きい事の良さなど、周りに事例がなかったのであろうか?

 私が幼少の頃は、靴を買うのにも結構苦労したからであろうか? 他の人より、ちょっと大きかったので、ちょっと引っかけるのに都合がよく、よく盗難にあったからかもしれない。少年期にも、やはり好むサイズが多くなく、選択肢が限られていた。今は大きい人が多く、私でも呆れるくらいの大きいサイズのものが何処へ行っても取り揃えてある。

 青年期は、毎日のように、入れ替わり立ち替わり、友人達が、我が家を訪れていたものであるが、ある時、所用のために、ちょっと外出して戻ると、何時の間に、女の子が来たのだろうと思った事があった。結果的には、小さな足の持ち主だっただけの話であったが、何事も決めつけは行けないようである。

 その小さな足の持ち主にも、悩みがあるようである。靴探し、アイゼンやスノーシューなどは、調整・修繕を伴わないと、使用出来ないケースもあるらしい。何事も普通がいいようである。でも、これ以外の事になると「特徴」とか「個性」だと言って、同じのがイヤだという。何と人間は愚かな動物なのであろう。



1/25 私がHPを更新している様をみていた知人が、「まだ、そんな事をしているの?」 と呆れ返っていた。私は常々、まだPCや携帯を使用していない友人・知人から「どんなもんだね!」 などと相談を受ける時、「これから先、20~30年生きるのだから、ちょっと位知っていた方が良いし、便利だし、やれば結構楽しいよ!」 などとアドバイスをする事があるが、ことHP更新になると、HP作成ソフト(ホームページビルダーズなど)を、使っていないのだから、言っている事と、やっている事が違うのであろうか?

 最も、そのソフトを持ち合わせていないのだから、使用出来ないのであるが、ロゴなど素材を、自分で作成しなければならないなど不便であり、スマートなHPとはなっていない。しかし、ローカル色とか、個性的とかと言う表現が当たるかどうかは分からないが、内容は別にしても、自分では結構満足しているのである。

 未だにPCの事はよく分からず、四苦八苦・悪戦苦闘を繰り返している。それなのに、画像・記録・メモ・住所録・帳簿などなど、PCへの依存が増していく。PCのトラブルで使用が出来ない時は、全く動けなくなってしまう現在である。

 PCの他にも、デジカメ・GPS(カシミール)など、山行には欠かせないメカにも、よく分かっていないというのか、中途半端な知識しかない。もうちょっと勉強をと、思うのであるが、覚えたつもりが、振り向いただけでも、忘れてしまう現在の私であるが、この先、ますます進歩すると思われるメカ群に、どのように付き合っていけば良いのか、とても不安である。
 でも、低い歩留まりであっても、やらなければいけない。ちょっとでも、自分の脳の活性化のためにも、若い衆の仲間に、入れてもらっているためにも・・・



1/24 今夕のテレビ報道で、北アも少雪らしく、立山・室堂にある「ホテル立山」の全容が映し出されていた。それでも、例年より1m位少ないが、4m10cmの積雪があるらしい。しかし、今冬は、標高2、000mを境にして、雨と雪に分かれているのだろうか、かなり積雪の差が窺えるようである。
 私の行く低山でも、現在は、標高500m位が、積雪の有無の境に感じる。しかし、山の深さにも関係し、必ずしも当を得ているものではない。

 この少雪は、夏の水不足の心配だけでなく、土砂崩れなどの災害を引き起こす危険性があるとの事、自然の中を歩く一人として、謙虚に受け止めなければなるまい。

 こんな折、「元さんのHPに、誰かがよく雨降れコールを叫んでいますが、一度雪降れコールがあ ればお願いします(笑)。」 と日頃は、ニヒルで通っているO氏から、私としては、結構面白いメールをもらった。

 誰かとは、「山ノ神」を指す場合が多いのであるが、その「叫ぶ」のとは、ちょっとニュアンスが違うのである。「山ノ神」は、自分の所用や不甲斐なさで参加出来ない事に、「皆が楽しんでいると思うと、嫉妬の念に駆られる。」 のであろうが、今冬のように、雪がなく歩きにくい時に「降雪」となると、「塩を贈る」 事になってしまう。
 しかし、私もO氏のように、もう少し、また、山だけで良いのであるが、降雪を期待したい。そのためにも、もうちょっと、気温が下がって欲しいとは、欲張りな男である。 p.m.10:30



1/23 昨日の仁王山は、カンジキで苦悩する「山ノ神」を見るに忍びなく、私のスノーシューと交換をした。斜度が増すにつれ、スノーシューの味を覚えた私の身体(脹ら脛)にも、辛く当たったが、そこは根性しかなかった。昨日の「リックを流した。」も、そんな状況下に起きてしまったのである。

 「雪稜を歩く時、万が一に備えるような体勢でなければならず、グローブをしながらや、ボタンをかけながら歩いてはいけない。そのような時は、止まってやらなければ、滑落などのイザという時には、何も出来なくなる。」

 今回は、そのような尾根でもなく、普通の平凡な所であったが、そのミスは、上記の事と差ほど変わらないように思う。荷を降ろした時から、滑りやすい雪質だという事を認識しながらの無配慮だっただけに、反省しきりである。あれが、もし、高所の奥深い山でしでかしたとすれば、装備をいっぺんに失うわけであるから、生命が危ぶまれる事になる。

 カンジキを履いたまま、一目散にリックを追ったのであるが、後の登り返しの事を思うと、腰が引けそうになった。案の定、高度を下げただけ、雪質も悪く、また斜度がきつくなるにつけ、何度もずり落ちてしまった。荷を担ぐと、それは尚更であり、這って登り返した感じであった。恐らく尾根上で、何度も大声を上げていた「山ノ神」にしても、何処まで行ったのかと、心中は穏やかではなかったであろう。

 荷は、片方に偏らないようにしなければいけないのであるが、どうしても、体力のある方が、重い物を担いでしまう。「滑落時に食料がない。」 などとならないように、今一度基本を見直さなければならないようである。もしかして、大自然に望むには、「万に一つ」の事を想定してでなければ、その資格はないのかもしれない。

 そんな情けない事情もあり、「シュンちゃん」の「キー探し」は、充分でなかったかもしれない。しかし、「山ノ神」はサングラスを探し当てた。(拾った!)せめて、これが、シュンちゃんの物であればと願っている。

 私もかって、デジカメを落とし、メンバーに大変迷惑を掛けた事がある。限定された所で、参加者全員で、1時間を費やしてもらったが、見付からなかった。残念であったけれど、その時の事を、今でも感謝し、目に焼き付くように、今でもはっきりと覚えている。私も誰かに、何処かで、そんな気持ちでありたいと思っている。 p.m.3:10

 

1/22 「午後から怪しい予報!」 でも、行かなければならない私(達)である。昨日は長男の帰省で、ハレルヤ山行に参加出来なかった「山ノ神」への埋め合わせも有り、気遣いを多分に滲ませての「今日は何処かへ・・・」 と、言っても、雪が少なく満足する所も少ない。ましてや、今晩も町内会の新年会が控えている事もあり、なかなか目的地が決まらなかった。

 しかし、「午前中が勝負!」 と、昨日「シュンちゃん」が、雪中で紛失したランドクルーザーのキーを、探し当てないまでも、「その気持ちを、献上する事に意義有り」 となり、「山ノ神」との仁王山になったのである。二日連続の「仁王山」に、「この人、ちょっと可笑しいのでは?」 とでも思ったのかもしれないが、山仲間への配慮には、些かの不満もなかったらしい。

 昨日よりも、ちょっぴり南の尾根を遊歩道?らしき雰囲気の所から取り付いたのであるが、ここで思わぬハプニングが起きた。今朝も、昨朝程でないにしても、かなり雪質は固かった。
 標高830m地点位であったろうか? 地図を見るにあたって、リックを降ろしていた時に、「山ノ神」が、水分補給にとペットボトルを、渡そうとしてくれたのである。私は、身体で、リックをフォローしていたハズなのに、そのペットボトルを取ろうとして、足が外れたスキに、リックが滑り落ちていったのである。「あっ」と言う間もなく、みるみる内に、谷に向かって、加速を付けて消えて行ったのである。

 財布・免許証・GPS・コンロ・スコップ・ジャケットなどが、駆け降りながら脳裏に浮かんだ。「わーっ」と叫びながら、 登り返しの事を考えると、1時間が限度だと思ったが、幸い高度にして70m位下がった所であったろうか、雪が大きく切れた所に、リックが引っかかっていたのである。ラッキーであった。リックの多少の破損は、この際目を瞑らなければなるまい。

 気を取り戻して、「シュンちゃん」が、スキーをしていた所まで駆け上がり、探そうとしたのであるが、「海で、キーを探すようなものであった。」 雲の流れを気にしながら、幾つかのシュプールの跡を、また、「シュンちゃん」が、転倒したと思える所に目をやってみたが、それは、「何もしなかったより増しだった。」と言う他はないのである。「シュンちゃん」には、「仁王山に来た。」とだけ感じ取ってもらえれば良いのであるが、「性根が入っておらず、ゴメン」 であった。

 午前11時、昨日に続き山頂に立ったのであるが、今まで見えていた山々が一瞬のように、ガスに包まれ、終いには、雪が舞いだしてしまった。それでも、1時間を山頂で過ごし、本格的に降り出した雪中を、ルートを間違わずに大長谷温泉まで、二人としては、結構早く降りる事が出来た。その雪は、大長谷川を渡るまで降り続いていたが、下界に戻ると、その気配もなかった。 p.m.6:20



1/21 今回のハレルヤ山行は、「シュンちゃん」が企画してくれ、仁王山となった。当初、危ぶまれたお天気は、誠に良く、山頂に届いた多くの登山者や、スキーヤー達を唸らせていた。もしかしたら、「こんな日は、1年に何度もない。」 と思わせる程であり、特に小さくしか見えない剱岳だけであるが、雪を付けず、黒々と輝いていたように思えたのである。

 次から次へと山頂に訪れる方々の中に、高岡ハイキングクラブの上田・川崎・鵜野の各氏のお顔があり、新たに知り合った中村・但田氏らと写真に収まった。労山の尾田氏とも山中では、お久しぶりの再会となった。

 ハレルヤ山行に参加した私を含めての6名は、こぢんまりとしたパーティーらしく、最初の急登を含め、ゆっくりと、また会話を楽しみながら、時には、カメラ越しの展望を楽しみながら、皆素晴らしい想い出の一日とした。 p.m.11:45



1/20 昨夕、大阪の長男が、友人達と共にやって来た。その中に入って、夜遅くまで飲みまくった。それはそれで楽しい一時を過ごしたのであるが、帰るのが明日で、またまた「山ノ神」が、ハレルヤ山行に不参加となる。明後日は、お天気が下り坂であるが、「山ノ神」の思いを取り入れた山行にしなければなるまい。

 明日のハレルヤ山行は、シュンちゃんの企画に乗るし、筏井さんのお迎えまである。そして、「山ノ神」ナシのお酒付きである。後からゆっくり歩いて、違った意味で山を堪能したい。それにしても、お正月から、ず~っと、飲み続けである。でも行事が今月いっぱい続くし、嫌いでもないお酒を避けきれない。でも、ず~っと、歩き続けたいなら、いい加減に節制を考えなければいけないのである。 p.m.11:25



1/19 新たな山を目指すのもいいし、好きな山に、何回となく登るのもまたいい。大勢でワイワイ行くのもいいし、独り歩きもいい。

 今冬は、少雪のため、行き先選定に苦慮する。日頃通う低山の雪の状態が中途半端だし、より奥に行くには、時間が足りない。
 昨冬は、どかっと降った割には、1月中旬以降、あまり降らなかった事が幸いし、1~2月に残雪期感覚で思いもよらぬ山々の頂きに行く事が出来た。
 今年は、その反動と思っておれば、気も休まるのであろうが、欲張りな私達の心中は穏やかでない。当世は、僅かなお酒も厳しいし、宴会に憂さを持っていく訳にもいかない。やはり適度な降雪があって欲しい。



1/18 昨年末、「山ノ神」用のスノーシューを購入するにあたって、M社かE社か迷った。靴のサイズが小さい「山ノ神」は、価格の事もあったのだろうが、デザイン性や、あまり出回っていないE社のものを選択した。普通は、売れ筋を購入するものであるが、ここが、「山ノ神」の一風変わったところかもしれない。

 それは、一向構わなかったのであるが、使用した1回目にリフターが、いつの間にか脱落して分からなくなり、2回目は、新たに取り付けてもらったリフターが、変形して動かなくなってしまった。どちらも、購入先のK店の素早い対応を受けたのであるが、今度は、リフターが固定せず、その意味をなくさなくなってしまった。

 昨日、そのスノーシューを、K店に持ち込み相談したところ、メーカーに送り調整をお願いする事になった。その後の対応に注目をしている。しかし、高が部品一つであるが、山中深く入り込んだ時は、生命にも影響してくるのであるから、メーカー側も、もうちょっと勉強して欲しいものである。
 過日こんな話を聞いた。ツアースキーで、そのスキーを、流されて失った時の悲惨さである。絶対の自信など、大自然から見れば「屁の河童」である。



1/17 金剛堂山の帰路、スノーシューに新たな不具合が発生した事と、山用品の小物を買いに富山へ向かったのだが、途中、「時間が出来たから、一杯飲もう。お酒も肴も持参して、高岡に出て来るから・・」 と中山君からの電話が鳴った。「用事を済ませてから」 の返事をしたのであったが、折角時間を割いて来てくれるのだからと、Uターンして自宅に戻った。「お前は、山ばかり行っているから・・」 なのであろうからか、強行突破してきた彼に感謝である。「友と杯を交わす。」

 丁度シャワーを浴びた終わった頃に、彼がやって来た。「最近は、随分飲む機会が減ったね!」と言いながら、飲むほどに、酔うほどに、最近の山行から、昔々の「下ノ廊下遡行」「長次郎谷」へと話が繋がる。「7月に、よくも下ノ廊下に行けたね!」 飲む度に、この話から始まるのであるが、これは、正しく二人だけの世界になる。親の世代の「戦友」というところであろうか?

   はるちゃん(中山君)は、今年から、標高50m位の氷見市にある「朝日山」毎日登山を始めている「10~15分くらいなんだよ。」 などと謙遜気味の言い回しであるが、何か心に秘めたものを感じてしまった。
 我ら、今注目の「団塊の世代」であるが、優雅・裕福の文字には縁遠い二人。しかし、「ボロを着てても、心は・・」 の精神で、この先頑張って行こうと纏めた。
 「久しぶりに、良い気分になれた。」と、奥方の迎えで、帰って行った「はるちゃん」は、きっと翌朝は、辛かったであろう。



1/16 昨日の金剛堂山「栃谷から4キロ地点」までは、「敗退」などと言うものでなく、「賞賛」という言葉が似合ったような気がする。「山頂に至らないかもしれないけれど・・、それでも良かったら!」 と「ねぎちゃん」の同行を受け入れたが、その彼女でさえ、百瀬川に架かる橋を渡る時、その雪量に「えぇ~」と思ったと言う。暖冬・少雪と言われる今冬であるが、流石に豪雪地帯の「利賀」であった。

 2時間余の食事を終えてから、また車中でも、家に帰ってからも、「行けたかもしれないね!」 と、てっぺんへの思いを、何度も顔を見合わせてみたが、「栃谷から4キロ地点」での余力の空間は、日頃、大勢で出掛ける山行と、また違った趣があった。
 遠くの立山連峰を眺めながら、「剱が隠れた。また出た。」 などと、無邪気なほどに、はしゃいだり、そして、はにかみながらの本音がポロリ・・・などなど
 でも、お互い山への想いを語る時が、一番生き生きしていたかのように思えたのであるが・・・
 少人数だから「すき焼き」との「山ノ神」の配慮も奏功し、汚れを知らぬ真綿色の雪上を、思い切り歩けたのが、一番の収穫であったかもしれない。



1/15 「何処へ行きますか?」 と言ってくれたねぎちゃんと、何も知らない「山ノ神」と3人で、金剛堂山に出掛けた。何処でも良かったのだが、「山ノ神」のスノーシューの調整もあったし、少しでも雪が多いと思われる所へ行きたかった。自分の心を清めるためにも、真っ白な雪の上を歩きたかったのである。

 栃谷登山口までは、スノーモビルではないかと思われるトレースがあったが、その後は、全く純白な雪上歩きが待っていて、それはワクワクするものであった。今回の山行は、まだ1月の金剛堂山の経験はなく、行ってみたかった、来てみたかったの要素が強く、山頂に届くかどうかは、どうでも良かった。猛ラッセルで、登山口から「栃谷から1キロ地点」に、1時間を要して届いたのであるが、その先からは、スキー場駐車場から登られたトレースと合流し、「楽チン」となる。

 しかし、「栃谷から3キロ地点」を過ぎてから、そのトレースは消え、動物のものと思われるトレースに変わった。雪上には視界が開け、五箇山の山々はもちろん、遠くは立山連峰が神々しく聳えていた。
 車を止めてから4時間半(栃谷から4キロ地点)で、余力を残しながら山頂を諦めた。あまりにも素晴らしい光景に、3人は、シャッターを切り続けていたからでもあったが、その地点からの眺めは、恐らく山頂からのものに匹敵するもの違いなかったであろう。
 帰路は、スキー場駐車場に直接降りたが、「やっぱり、唯ではすまなかった。」と言いながら、「山ノ神」の顔から、「暗くならなくて良かった。」と安堵感が伝わってきた。



1/14 今日は、まずまずのお天気だったから、皆思い思いの山に出掛けたのであろう。それにしても、雪が降らない。「明日は、何処の山へ行こうかな?」 謹慎の身であるから、公表出来ないし、募る訳にもいかない。

 今日は私の知人・某会社の重役から、「ネコさんは何をやっている人、なかなかの人だね。文章も上手いよ! あれだけの枠に、ちゃんと収めるし・・・」 そして、「家族を大事にしている。」 などと誉められた。何故か分からないが、自分が誉められたように嬉しく感じた。「まだまだなんですよ!」 「これからなんですよ!」 などと言いながら、「もう、私の出る幕はありません。」 を付け加えてしまった。

 以前から、私の友人・知人から、「ネコさんのHPも、毎日見ている。」 「すぐ、更新されるから・・」 「面白い。」 などと評価はいろいろであるが、私の事を思ってかどうかは、分からないのであるが、そういうコメントを多く頂いていた。
 「順調に育って欲しい。」 「ケガして欲しくない。」 「欲張らないで欲しい。」 などとは、私の思いであるが、もう、何にも言うことはない。 あの、はにかんだ笑顔を、時々見せてくれればそれでいい。 p.m.11:30



1/13 謹慎3日目。自分で決めておきながら、結構辛いものである。「何だか・・・」 と思わせたのであろうが、それとなしのメールを数通頂いた。心配して頂けるだけでも嬉しく申し訳ないと思っている。しかし、私の気配りが足らずして起こした事であるから、私が苦しんでこそ、意義があるのでしょう。ほんの些細な事、たった一語なのと思えるかもしれないが、当事者の心に入れば、大事なのである。

 私の気配り・気遣いなどは、まだまだ足りない。私が楽しいという事は、周囲の方々の気配り・気遣いの方が、私よりも上回っているという事なのであろう。ここまで来ると、その気配りというものも、天性のものがあるのではないかと思ってしまう。イヤ、才能というのか、勉強(修行)が足らないのであろう。 p.m.11:40



1/12 自分で決めておきながら、何か変な感じ。たぶん多くの方々が、「何か可笑しいぞ!」 と思っておられるに違いない。山の情報欄に「謹慎中」 とか、「お詫び」 とかを載せようと、UP寸前までいったのですが、自分の気持ちがスッキリするようでは、何の戒めにもならないと思い断念した次第です。

 突き詰めれば、何もなかったのですが、この歳になると、物覚えが悪い中にも、自分の至らなさや、未熟さが、イヤという程見えてくるのです。私だけの拘り、試練だとお見逃しください。先の休日も、私からは積極的に友人を誘う気はありません。でも、何も知らぬ(分からぬ)仲間達の誘いや同行を断る事もありません。 p.m.10:10



1/11 HP上の事で、不手際があり 「山への一言=山つれづれ・・」 をお休みした。
  同コーナーが、どうという事もないのですが、何であれ、縁あって、私のHPを訪れてくださる方々に、一瞬でも、不愉快にさせた事は、歪みないところであり、反省しなければの思いからです。

 いい気になっていたところが、あったからかもしれませんから、そのペナルティーを考えるに、皆さんに、一番可愛がってもらっている 「山への一言」 を休む事が、私としても辛いし、一番いいと考えたからです。本当は、更新しなければ、良いのでしょうが、今まで、更新を怠れば、遭難や重病説が流れ、かえって、ご心配を掛けた事もあったので、他のコーナーを動かし、元気さをアピールする事にしました。

 全て私の心の問題であり、「山への一言」 の謹慎は、次回山行の翌日までと、勝手に決めた次第です。それも、それを綴り続けるのが、私の拠り所であるだけに、「その間UPしない。」 の謹慎スタイルとしました。

 私には、「アクセスカウンター500,000件まで」 とか、「60歳の誕生日まで」 のささやかな目標があります。その先の事は別にして、何としても続けたいのであります。そして、「何が・・」 と問われても、それには一切のコメントも申しませんから、見逃してください。「唯、一文字への配慮が足りなかった。」 とだけ申しておきます。もう少し、我慢して、元通りになるつもりです。

  

1/10 歳を重ねる毎に、年配の方の元気さが気にかかる。負けてはおられないなどと、励みになる事は間違いない。そして、目標となる。  そんな折、長い間ご無沙汰していた寺口氏からお手紙を頂いた。同氏は、大正生まれながら、油絵(仏画や、その関連の絵、しかも、50号や120号の大作)を描いて、近くのお寺に寄贈したり、巧みにPCを使いこなされる方である。

 私は、山中で、未だ二度しかお会いした事がないのであるが、何年も前から、メールのやり取りをしている事もあり、旧知の仲のような気がしていたし、何度もお会いしているような感じであった。

 お手紙によると、一昨年の4月に牛岳登山中に転落しケガをされ、長い間療養の身であったようである。しかし、持ち前の気骨の精神で、入院もせず、整形外科や針治療に専念され、まだ納得のいかない状態であるらしいが、執念で山に復帰されているようである。例年の半分程度などと、山行内容が綴られていたが、思わず、自分の事のように小さな拍手をしてしまった。

 快晴の1/5、いたたまれず、牛岳に登ってしまったとある。そして、多くの山仲間と出会い、親交を深められたようである。このような方が、本当の山の師であり、人生の師であるような気がする。



1/9 「お父さんお正月の予定は?」 「山は何時行くの?」 昨春、結婚した娘の問いに、上手く返事が出来なかった。婿殿の実家(長野県)に寄ってからの帰高であったから、元日は「山ノ神」との山行が適ったが、2日・3日は、「ちょっとだけ・・」 と私だけが出掛けた。
 特別の山を登るわけでもないのであるから、家で、じ~っと、していればいいのであるが、そこは「病気(好山病)であるから」、「パチンコをしているよりも良いのでは(25年間も遠ざかっている。)」 とでも思っていてくれたら良いのであるが・・・
 昨日(8日)も、娘が帰省する日だと言うのに、「大事な山仲間との約束があるから・・」 などとのいい訳を、走り書きして山に出掛けてしまった。

 ワーワー騒いだ山から家に戻ると、その走り書きした用紙に、「元気でいてね! 「また来るから・・」などと書き留めてあった。そして、更に彼女が勤め始めてから続いていた「お年玉」を、また、昨年は、「一緒に旅行が出来なかったら・・」 などと、もしかしたら、彼女の一ヶ月分の給料に匹敵する金子を置いていったのではなかろうかと思う程であった。
 「山ばかりは、如何なものか・・」の付記には、ちょっと頭を掻かなければならないが、「これを山用具に使ったら・・・」 「ううん、では、遠征に使おうか? 」

「本当にありがとう。」 p.m.7:35



1/8 富山地方鉄道開発駅付近の某場所に愉快な仲間達14名が集まった。残念ながら、仕事や所用で参加出来なかった人や、体調を崩した人などからの「雨降れコール」ではないが、逆に、各自の出発時点や、通過道路そして、集合場所など、全く積雪を観測しなかったのであった。

 「悪天・屋根がある」 を考慮した別コースからの小佐波御前山も、あまりにの少雪のため断念し、腹案である「奥ノ山」の登山口である小坂・大清水に車を進めたのであるが、標高は300m余であっても、やはり奥深い所であるだけに、積雪を観測していたのであった。
 直接取り付く標高500m余の桧峠までの林道歩きをすれば、ヤブ漕ぎがあっても、何とかなるのではないかの思いが奏功し、雪中の行軍となった。私などは、しっぽから、ダラダラ付いて行くだけなのであるが、その時点で、この企画は上手くいったと思った。

 下界と違い雪が降りしきる中の宴は、震え上がる程の寒さを伴った。タープを張ってくれた若い衆に感謝しながら、暖かいお酒を飲めば、いっぺんに上気したが、車の運転を司る方々には、本当に申し訳なかった。奥ノ山の適期は残雪期なのである。雪を求めて、この時期の来てしまったのであるが、結果オーライとは言え、あまり自慢の出来ない山行であったかもしれない。



1/7 「好山病・・には中止がない。」 これが常識になって、今回も大鷲山から、「小佐波御前山 or 奥ノ山」になって、決行となる。明日の平野部の降雪は、恐らく少量であろうが、山沿いでは、まだ何とも言えない。常識が非常識にならないように、安全第一で出掛ける事になる。 p.m.7:15



1/6 今は、午後4時。予報の雨などはない。、雲の合間から青空さえ覗かしている。「日本海と本州の南岸には前線を伴った低気圧があって、発達しながら東または北東に進んでいる。」から「大荒れ」の予報であるのに、どうなっているのかわからない。この後、その「大荒れ」が襲って来るのであろうか? 

 雪は、もう少し欲しいが、吹雪やみぞれは、イヤなのである。今晩からでも、明朝からでも、降り続いてもらってもいいが、8日に止んでくれたら、最高なのであるが・・・
 「好山病・・19年初山行・大鷲山」 を楽しみにしていただけに・・・どちらにしても、変更を含めた判断は、明晩にずれ込みそうである。 p.m.4:10



1/5 週末からのお天気が気になるところであるが、今年のお正月は好天に恵まれ、山への人出も多かったのではなかろうか?
 好天で思わぬ所まで足を延ばされた方、少雪でヤブに悩まされた方など、今年も様々な思いを胸に、山行が始まったに違いない。また、地元の低山では、いろいろな出会いがあり、知人の消息を確かめたり、伝言を託したり、また、それを機会に、親交が深まったりした話も多く聞き及んだ。こんなに楽しく、いい話ばかりだと、「世の中も上手く行くのに!」 などとは、余計な話であろうか?

 新年に当たって、今年の目標を掲げるのが通例であったが、萎み続ける目標など、気恥ずかしく公表しない事にした。しかし、幾つになっても、胸中には、誰にも負けない程の目標はあるもの・・・それまではなくさない。
 今年は、急がず、楽しく、そして、山と、じっくり対峙する機会を、多く持ちたいと思っている。衰えつつある脚力を、長持ちさせるためでもあるかのようにである。
 「元さん、引っ張ってでも、背中を押してでも・・」と言ってくれる若い衆の足を、何時も引っ張っているわけにはいかないのである。ましてや、教える事などなく、逆に教えてもらってばかりの私であるから、尚更である。

 若い衆の行動を応援しながら、自分だけが緩やかな山道を歩く機会が多くなるに違いない。時間を掛けても、重荷を背負ってでも、未だ山を楽しむ多くの手段が残されているから、私は今年も、自分の山歩きを模索しながら、時間のある限り、山に浸かりたいと思っている。そして、多くの笑顔を求めながら・・、多くの語らいを求めながら・・。



1/4 正月三箇日は、制限時間もあって、食材は程々にし、その滞在も皆短いものであった。もちろんアルコールもなしの寂しいものであったが、お陰で目方が、ぐーんと減った。牛岳の歩きは、ちょっとしんどかったが、他は軽い歩きにも関わらず、食べないという事は、何と身体に良いのかと、改めて分かったような気がした。しかし、婿殿との宴に象徴するように、一時で、それも全てが、元の木阿弥となってしまった。

 年が明けて今日が4日目。いろいろな方とお会いし、いろいろな方々から、メールやお手紙を頂いた。直接話題には上らなかったのであるが、自分に正直に、そして、一つ一つの出会いを大事にし、記録などは、後に付いて来るものだという事を再認識した。
 記録を意識する事も有意義なのであるが、唯それだけに終わってしまっては、賞賛されないし、達成感に乏しいのである。(人は、自己満足だけでは、終わらないからである。) これは、私の戯れであり、何もかも否定するものではなく、各々が、大いに目標に向かって歩んで欲しいと思っている。

 亥年が巡り巡って一回り(5回)になり、節目の年となった私であるが、毎年行きたい「初雪山」・「剱沢」を出来ればキャンプで、そして、適期に毎週でも行きたい「大地」などを、最優先課題にしたい思いである。何が何でもというには、やはりそれだけの体力を必要とするから、日頃の精進が必要になるのであろう。でも、私の思いは、その良さを知った仲間達共々、格別の通じるものがあり、余程の事がない限り、定番となる事が必至である。 p.m.11:59



1/3 午後には、一日遅れで、娘の婿殿がやって来る。しかも、その婿殿は、仕事の関係で、翌日帰京するのである。大事な日であるが、私には、その間(午前中)を、山歩きに充てた。

 8号線、小杉~富山間では、かなり強い雨が降っていたからであろうか、それ程早い時間でもなかったのだが、今日の「千石城山」一番乗りになった。展望もなく、唯、歩ければ良いと思っていても、たった一人の山頂は、やはり寂しいものである。

 その後に、2組の登山者を見て、下山を始めたところ、バッタリ会った筏井夫妻に、もう一度頂に戻るよう勧められ、笑いながら、再び山頂を踏んだのであるが、その後に来るという、「シュンちゃんファミリー」には、別ルートになったからであろうか、お会いする事が出来なかった。  でも、山頂では、魚津の西本夫妻に、帰路の登山口近くでは、富山の佐渡さんとも挨拶を交わした。

 「山ノ神」のスノーシューに、不具合があり、山用具店に持ち込んで、部品を交換してもらったのであるが、さて、皆と違ったメーカーのスノーシューを、自分の物に出来るのであろうか? ちょっと、難しいのではない・・・! p.m.6:00



1/2 「1/2は牛岳。」 平成13年から続いている。この間の「山ノ神」の同行は、一度だけ。昨夜は、新年会もあり、結構飲んだのであるが、何が何でもの私は、やはり、牛岳に行かなくてはならない。「山ノ神」は、子の親であり??、午後から帰高する娘を待つ事になった。

 「ちょっとだけ行って来る。」の言葉を残して、牛岳に臨んだのであるが、雪量・雪質ともあまり良くなかった。昨日のものと思われるトレースは、5合目と6合目の中間点までであり、6合目から、夏 (無雪期)ルートを外し、稜線への斜面を登るわけであるが、雪量不足であるから、小枝が結構煩く、気温も高いのか、スノーシューを履いていても沈むのであった。

 稜線に差し掛かる頃から、後続の高岡ハイキングクラブの上田さんと鵜野さんの脚力を借り、ちょっぴり楽をさせて頂いた。しかし、カンジキのお二人は、私以上に、苦労をされていたかに思えた。しかし、お二方がおいでたから、戦意を失う事なく、三角点に達する事が出来たに違いない。

 お二方共、高岡ハイキングクラブを代表する方のようで、山の心得を始め多くの事を教わる事が出来た。今度何時何処で、お会い出来るか分からないが、私には好印象が持てたお二方であった。
 このように、山の知人・友人が、どんどん増えていく事が、私には楽しくて仕方がないのであるが、その方々に、迷惑を掛けないようにしなければいけない事も、重々知っているのである。 p.m.6:30



1/1 娘の帰高は、明日午後になるし、息子達は、帰省の予定もなく、初めて、元日に高岡を離れられる事になった。それには、恒例の管鮑会新年会の(高校時代からのグループの新年会41回目)開始時間が、3年前から、夕刻にずれた事もあるからである。

 それに、好天が付いた事もあり、行き先に少々迷ったが、やはり、剱岳が見え、出来るだけ人の少ない所へとなり、「城ヶ平山」となる。山頂の積雪は、30~40cm、前日に訪れたであろうトレースがあるものの、「人出はなし」、新春に相応しい静まり返った山頂から、全部と言っていいくらいの山々が眺められた。剱岳・早月尾根を眺めながら、年末30日から、剱岳に登っている「ねぎちゃん」に向かって、我々二人は、「ヤッホー、やったね!」と叫んだ。

 下山して、駐車場に戻る間は、大岩詣の車にビックリし、その中の、不釣り合いな我々の姿が、車中から覗く人達には、きっと異様に見えたに違いない。今年も、「元気でありたい。」 「我が足よ。もう少し歩かせと欲しい。参るには早過ぎるじゃないか?」 などと、新春に向けての私の気持ちは、決して欲張りすぎていないと念じて、家路を急いだ。